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HP-0951巻5:73~74注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

川上忠兄

異名・検索語:川上忠兄/川上四郎兵衛忠兄 入道青緑/四郎兵衛/忠兄/青緑

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:入道号は旧説明の青緑に対し本文字形は青穏とも読めるため、確定せず留保する。地頭任地のうち細字・難読地名も追加校合を要する。/還俗の命主は本文の義弘を採り、旧説明の貴久を訂正。墓所の心岳寺と、没地の帖佐山野の別業は区別する。井伊直政を鉄砲で撃った記事は家来柏木源藤の行動であり、忠兄本人の行為としない。

DESCRIPTION

本文内容説明

川上四郎兵衛忠兄は忠智の二男で、永禄四年生まれ。幼時は小野寺光久法印の弟子となったが、義弘の命で還俗した。天正十五年、小林地頭として、根白坂から野尻高原へ進む豊臣方を防いだ。朝鮮の泗川合戦では義弘の左に控え、庄内の乱では病中ながら敵の退却を伏兵の誘いと見抜き追撃を制止した。関ヶ原の退却では五本鑓の一人とされ、家康陣へ赴き義弘の口上を伝えた。元和八年三月二十三日、帖佐山野の別業で病没、六十二歳。法名は浄翁元清居士、墓は心岳寺と記す。

系譜・人物関係

父は川上忠智。弟に川上久智。子は佐渡久恒。

奉公・役職

義弘の命で還俗。天正四年三山(小注あり)・後羽月、天正十五年小林の地頭。帖佐から別任地への転任記事もあるが任地字形留保。義弘・忠恒に奉公、庄内時には家老役、関ヶ原退却時に家康陣へ使者。

軍役・事績

豊臣方の野尻高原方面進軍を小林で阻止。泗川では義弘の左に控えた。庄内では病中に敵の退却を伏兵の誘いと判断し追撃制止。関ヶ原退却五本鑓の一人、義弘の口上を家康陣へ伝達。井伊直政を撃った柏木源藤の行為は家来の事績として区別。

生没・法名等

永禄四年生。元和八年三月二十三日、帖佐山野の別業で病死、六十二歳。浄翁元清居士、墓は心岳寺。子佐渡久恒の咎による地頭職召上は末尾の関連付記。

統合人物ID
HP-0951
原人物ID群
05-073-06
氏・分類
川上
掲載巻頁
巻5:73~74
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は川上忠智。弟に川上久智。子は佐渡久恒。
検索キーワード
永禄/天正/慶長/元和/安永/地頭/近習/合戦/戦死/渡海/朝鮮/肥後/関ヶ原/根白坂/二男/三男/子/父/孫/法名/墓/歳/家系由緒・奉公・軍役
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全3頁再読・修復通常AI各3頁確認・原冊照合済。
公開判定根拠
還俗命主を義弘へ訂正し、小林防衛・泗川・庄内献策・関ヶ原使者を具体化。没地と墓所を区別。入道号・難読地名は留保して検索公開。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
第1頁右端3pt拡張で子孫の傍記端を回収。拡張部分の下部のみ白被覆し隣人物の文字片を除外。通常AI各3頁全頁目視。第2頁の柏木源藤・家康・近衛らの発言行動は忠兄の関連記事として区別。第3頁子久恒の地頭職召上付記まで保持し、弟久智の独立見出しは含めない。新番号不要。
判読保留
入道号は旧説明の青緑に対し本文字形は青穏とも読めるため、確定せず留保する。地頭任地のうち細字・難読地名も追加校合を要する。/還俗の命主は本文の義弘を採り、旧説明の貴久を訂正。墓所の心岳寺と、没地の帖佐山野の別業は区別する。井伊直政を鉄砲で撃った記事は家来柏木源藤の行動であり、忠兄本人の行為としない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』