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HP-0959巻5:75~76注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

川上忠通

異名・検索語:川上忠通/川上又左衛門忠通/又左衛門/忠通

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:在番年数の六/八の字形、列挙された交易品の細字、法名の細字は追加校合を要する。旧説明の国宝は呉国ニテの誤読として除去する。/寛永八年初めて琉球在番奉行で渡海とする本文と、寛永二年此奉行川上又左衛門とする補足を併記する。初代奉行と断定せず、年代と役職の関係は確定しない。/家久公の呼称は本文どおり。銀百貫目余は買物の資金、百石は拝領分として区別し、私財や交易利益としない。没地は墓所等から補わない。

DESCRIPTION

本文内容説明

川上又左衛門忠通は忠真の子。文禄年間に使者として朝鮮へ渡り、そのまま在陣した。本文は寛永八年、初めて琉球在番奉行として渡海したと記す。在番中は糸・巻物などの唐物の買付けに関わり、御書を数通受け、帰国時に召し出されて御腰物を拝領した。家久公が琉球へ銀百貫目余を送り、忠通を買物奉行に任じ、勤めを果たしたため百石を与えたとの補足記事もある。その後は御使役、穆佐・松山・牛根の地頭を務めた。寛永二十年十月五日、七十三歳で没したと記す。没地は明記されない。寛永二年にも奉行とする記載があり、就任時期の関係は留保する。

系譜・人物関係

忠真の子、又左衛門。次条の十左衛門忠利は忠通二男として別人物。

奉公・役職

朝鮮への御使と在陣、琉球在番奉行、唐物買物奉行、御使役、穆佐・松山・牛根地頭。

軍役・事績

在番中の糸・巻物等の唐物調達、御書数通、帰国時の御腰物拝領。家久公の銀百貫目余と買物奉行、百石拝領の記事。

生没・法名等

寛永二十年十月五日七十三歳卒と記す。法名細字は留保、没地不記載。

統合人物ID
HP-0959
原人物ID群
05-075-05
氏・分類
川上
掲載巻頁
巻5:75~76
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
忠真の子、又左衛門。次条の十左衛門忠利は忠通二男として別人物。
検索キーワード
文禄/寛永/地頭/御使役/使役/奉行/在番/渡海/琉球/二男/子/卒/法名/歳/家系由緒・奉公・軍役
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊75~76頁・修復候補全頁確認済。
公開判定根拠
交易記事の誤読を訂正し、任官年代と細字の留保を明示して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊子75頁下段末尾の〇川上又左衛門忠通から冊子76頁上段冒頭の御書・拝領・諸役・没年記事、〇寛永八年・〇寛永二年の本人補足まで全2頁。次の川上十左衛門忠利は別条。第2頁左境界413.793144を420ptへ絞り隣条の字片を除去。本文末尾トアリと両丸印補足を保持。新規IDなし。
判読保留
在番年数の六/八の字形、列挙された交易品の細字、法名の細字は追加校合を要する。旧説明の国宝は呉国ニテの誤読として除去する。/寛永八年初めて琉球在番奉行で渡海とする本文と、寛永二年此奉行川上又左衛門とする補足を併記する。初代奉行と断定せず、年代と役職の関係は確定しない。/家久公の呼称は本文どおり。銀百貫目余は買物の資金、百石は拝領分として区別し、私財や交易利益としない。没地は墓所等から補わない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』