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HP-0953巻5:73注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

川上忠堅

異名・検索語:川上忠堅/川上左京亮忠堅/左京亮/忠堅

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:筑紫春門には成ともいうとの小注がある。現用説明の晴門表記を確定名として用いない。/天正十四年の戦死記事本文の日付と同年九月肥後役の小注は追加校合を要するため、概要では年のみを採る。埋葬の九日は本文表記のまま。/法名・塔所在地と母の父名等の細字は留保する。討取りの経緯は本書の叙述として示し、独立に史実検証したものとはしない。

DESCRIPTION

本文内容説明

川上左京亮忠堅は忠智の嫡子で、初名久堅、永禄元年生まれ。高城・肥後矢崎の戦いで敵を討ち、有馬救援では深江城で一番槍を立てた。天正十二年の島原合戦では家久の子忠豊の具足を与えられたと記す。龍造寺隆信の所在を探して鎗で突き伏せ、薬師院兵右衛門がその首を切った。忠堅は首を肥後佐敷へ運び義久に披露し、甲冑と太刀も得たという。天正十四年、筑紫広門の鷹取城を攻め、広門の弟春門と斬り合って右腕を切られ、ほどなく戦死した。遺骸は川舟で八代へ運ばれ、下利田村の庄屋の外屋敷で九日夜に葬られた。引導師は八代の増福寺と記す。享年二十九。春門の名には成ともいうとの注があり、法名の細字と戦死記事の日付・小注は留保する。

系譜・人物関係

忠智の嫡子。初名久堅、左京亮。永禄元年生まれ。母系の細字は留保。

奉公・役職

有馬救援に新納忠元とともに出陣。家久の子忠豊の具足を与えられ、義久へ軍功を披露したと記す。

軍役・事績

高城・矢崎・深江・島原・鷹取城の軍役。深江一番槍。隆信を鎗で突き伏せたのが忠堅、首を切ったのが薬師院兵右衛門。隆信の首を佐敷の義久へ披露し甲冑・太刀を得た。

生没・法名等

天正十四年、鷹取城攻めで春門と斬り合い右腕を切られ戦死、二十九歳。川舟で八代へ遺骸移送、下利田村庄屋外屋敷で九日夜埋葬。引導師は八代増福寺。法名と塔注の細字、戦死月日小注は留保。

統合人物ID
HP-0953
原人物ID群
05-073-02
氏・分類
川上
掲載巻頁
巻5:73
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
忠智の嫡子。初名久堅、左京亮。永禄元年生まれ。母系の細字は留保。
検索キーワード
永禄/天正/合戦/戦死/肥後/島原/高城/八代/子/母/孫/女/法名/歳/家系由緒・奉公・軍役
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊73頁上下段・細字拡大確認済。
公開判定根拠
軍功の役割分担、戦死と遺骸移送・埋葬を具体化し、日付小注・法名等の疑義を残して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
冊子73頁上段〇川上左京亮忠堅から軍歴・鷹取城攻め、同頁下段右端の春門との戦闘・戦死・八代への移送埋葬・法名・塔注まで通常AI各全2頁。次の〇川上左京亮久林は含まれない。冊子上下段を接続する同一人物記事でありPDF・ID維持。
判読保留
筑紫春門には成ともいうとの小注がある。現用説明の晴門表記を確定名として用いない。/天正十四年の戦死記事本文の日付と同年九月肥後役の小注は追加校合を要するため、概要では年のみを採る。埋葬の九日は本文表記のまま。/法名・塔所在地と母の父名等の細字は留保する。討取りの経緯は本書の叙述として示し、独立に史実検証したものとはしない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』