HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
川上昌久
異名・検索語:川上昌久/川上大和守昌久
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:旧説明の切腹命令者「島津貴久方」は本文に実名がないため採用しない。帰館主体も本条の省略表現から断定しない。/末尾小注の北原・財部への逃避と帰還・復権は勝久公の叙述。旧説明の「関係者五人は北原氏、財部、豊後などへ逃れた」は訂正し、豊後を補わない。/小注の毘沙門堂表記は原文どおりとし、寺堂名を外部知識で訂正しない。末尾列名五人の細字は確定しない。/冒頭の父祖系譜・信州戦死・年齢記事は昌久本人と区別する。
DESCRIPTION
本文内容説明
川上大和守昌久は上野介安久の養子。天文二年、勝久の行跡を理由に十六人の連判で実久に付くよう申し入れたが、承引されなかったと記す。末弘伯耆守が伝え、翌三年十月二十五日、昌久が谷山皇徳寺で伯耆守を誅したところ、勝久は驚いて根占へ移ったという。翌四年四月三日、鹿児島への帰館に続き、昌久は川上城から召し出され、大興寺で切腹を命じられた。小注は当時の大興寺前の毘沙門堂で自殺したとする。遺骸は鳥越に葬られ、杉三本を植えて墓標とした。法名は華翁浄栄居士。末尾には連判の謀議と勝久の北原・財部への逃避、のちの帰還・復権を述べる小注が続く。切腹命令者の実名、生年・享年は本条では明記されない。
系譜・人物関係
川上上野介安久の養子。冒頭は川上氏の祖先から養父安久までの系譜。本人の生年・享年を祖先の戦死記事から補わない。
奉公・役職
十六人連判で実久への帰属を申し入れる。承引されなかったと記す。本人の地頭職とは記されない。
軍役・事績
天文三年十月二十五日、谷山皇徳寺で末弘伯耆守を誅す。勝久は根占へ移る。末尾の北原・財部逃避と帰還復権は勝久の小注。
生没・法名等
天文四年四月三日、川上城から召出され大興寺で切腹を命じられる。毘沙門堂自殺の小注。鳥越に葬り三本杉を墓標。法名華翁浄栄居士。生年享年・命令者実名は無記載。
- 統合人物ID
- HP-0949
- 原人物ID群
- 05-069-01
- 氏・分類
- 川上
- 掲載巻頁
- 巻之五69~70頁
- 主題・活動
- 実久帰属の連判・末弘伯耆守殺害・大興寺切腹・鳥越墓所
- 人物関係要約
- 川上上野介安久の養子。冒頭は川上氏の祖先から養父安久までの系譜。本人の生年・享年を祖先の戦死記事から補わない。
- 検索キーワード
- 川上昌久/大和守/安久/勝久/実久/末弘伯耆守/十六人連判/谷山/皇徳寺/根占/川上城/大興寺/毘沙門堂/鳥越/三本杉/華翁浄栄居士/天文
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊69~70頁・没年月日法名拡大を照合。末尾小注の主語を訂正。
- 公開判定根拠
- 連判・末弘殺害・切腹と墓所を確認。命令者の実名補足を除き、末尾勝久記事の誤帰属を訂正して注記付き公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 巻五69頁下段の一川上大和守昌久から70頁上段右端の連判者列名と勝久公の帰還・復権小注末尾まで、通常AI各2頁。原冊は第1分冊最終81頁から第2分冊1頁へ連続。父祖系譜と末尾小注は関連叙述。次の〇川上上野介久隅は独立条で含まない。境界・ID維持、PDF変更なし。
- 判読保留
- 旧説明の切腹命令者「島津貴久方」は本文に実名がないため採用しない。帰館主体も本条の省略表現から断定しない。/末尾小注の北原・財部への逃避と帰還・復権は勝久公の叙述。旧説明の「関係者五人は北原氏、財部、豊後などへ逃れた」は訂正し、豊後を補わない。/小注の毘沙門堂表記は原文どおりとし、寺堂名を外部知識で訂正しない。末尾列名五人の細字は確定しない。/冒頭の父祖系譜・信州戦死・年齢記事は昌久本人と区別する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』