SEARCH THE ARCHIVE

文書を探す

『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

検索範囲
すべての文書
読込量の目安
小
数行~半頁未満。短い書状、感状、証状、記事、本文省略や同文注記のみ。
中
半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
大
1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

166 件 (全巻)/ 1–50件を表示

ページ 1 / 4

追録6-No.1225-10覚書旧記雑録暫定版確認度 中

喜入主馬覚書―未沙汰の乗物届の照会と御用番への書付・御受手配

矢野清右衛門が大御目付正木志摩守に参上し、用人坂田東馬を通じて、先達て仰せ渡された乗物の件を御用番へ伺っているが、まだ何分の沙汰もないことを述べる。仰せ渡された時には届け出るのが相応であるとの返答を受け、趣旨を書付にしておくよう言われたので、一通を認め差し出し、志摩守が聞き置いた旨を用人から聞いたとする。主馬が承ったこと、当番御近習役には別段申し上げる旨を付す。添える書付一通は打揚腰網代等の件で、御付札を伴い、御用番松平右近将監宛。次頁では、その側から御達があったため、内の一人が出向くよう切紙で仰せ渡され、櫻田御屋敷詰の御歩行落合平左衛門を当番御近習役へ差し出して別紙写を添えた経緯を述べる。矢野を申し出、受ける儀を内談したところ、今夜、表方の使者をもって御受を申し進めるのがよいと聞いたと記す。御用人には松倉左仲の表示。冒頭朱は午十二月廿三日、末は午十二月廿五日・主馬承之なので、両日時を残す。未沙汰の照会、書付呈出、御受の手配を分け、ここから三品の使用許可日や使者の派遣完了を確定しない。

登場人物
主馬(喜入久福、目録)、矢野清右衛門、正木志摩守、用人坂田東馬、松平右近将監、御用人松倉左仲、櫻田御屋敷詰御歩行落合平左衛門、当番御近習役
宛先
正木志摩守(届の照会先)、御用番松平右近将監(書付提出先)、当番御近習役(別段報告先)
キーワード
未何分御沙汰無、正木志摩守、坂田東馬、矢野書付一通、御付札、御用番右近、当番御近習役別段、落合平左衛門、松倉左仲、御受内談、今夜表方使者、午12/23・12/25主馬承之
追録6-No.1160書状旧記雑録暫定版確認度 中

佐久間九十九書状―柵門・番所取建の内談と首尾

国元の山田司から寄せられた御内用について、佐久間九十九が取建の相談経過と首尾を報告する。帯刀に相談したこと、御供方の関山軍兵衛・島津登・二階堂部へ国元に差し越す旨を申し越したとの注を伴う。中心となる計画は、新橋下方の橋詰に柵門と番所一か所を置き、さらに升形入口にも同じく一か所を設け、城周辺を締めること。見附の番所のように軽く建てる趣旨として宮川古仲太へ私的に承合する。取建の姿によっては要害に関わる意味を持つので、前もって趣旨を十分伝え、工夫して扱う必要があるとする。右近将監が引き受けた内容と実際の取建に食い違いを生じさせないよう、着手前に内容を整えるべきだと述べる。大切な御内用であるため、口伝で不明なまま進めず、紙面で詳しく伝え、取り違いのないようにすることを求める。去十四日、別の用で宮川に会った折に大意を内談したが、右近将監が退席した後、古仲太も急に帰って十分な相談ができなかったため、あらましを書き置いた。その後「昨十八日」に参会して篤く談じたと記す。この内談では、城自体に掛かる工事ではない一方、非常を糾すために締めるものは要害の意味を持ち得ることが論じられる。石垣・櫓・堀・土手上の柵垣・練屏塀などを例に挙げ、城外の番所や幕構との関係も含めて、取建の性格と扱いを検討する。右近将監から出た御小家の話と国政に関わる話を区別し、後に照会を受けても説明できるよう、従来の仕来や御前格に関する点を確かめる必要があるとする。御前格には「別カ」の注がある。古仲太との相談では、大きな難渋に至るほどのことではなかろうとの見通しが示されるが、これは内談の応答であり、正式な許可を得たとは記さない。率直な相談の内容を伝えてさらに確かめ、心遣いがあれば知らせるよう求める。末尾は正月廿九日、佐久間九十九、山田司殿宛、近習役明遠の注、朱に安永三年。正文は江戸家老座にある。計画二か所、相談の段階、説明と確認を求める意図を分けて記す。

登場人物
佐久間九十九(村央)、山田司(近習役明遠注)、帯刀、右近将監、宮川古仲太、関山軍兵衛、島津登、二階堂部
宛先
山田司殿(近習役明遠注)
キーワード
新橋下方橋詰・升形入口の二か所、柵門・番所、城周辺の締め、軽い取建、要害、宮川古仲太との内談、右近将監、取違防止、御前格別カ、去十四日・昨十八日、江戸家老座
追録6-No.48式次第旧記雑録暫定版確認度 高

拝領鶴御披之次第

三月十九日に拝領した鶴を料理して祝う際の次第。書院の床に立花一瓶と掛物一幅を置き、御剛押板に飾りを設ける。朱注は、この次第に従って臨むことを求め、御前五通酒肴は御剛五之間の書請申付に従うとする。書院での出座時に御支度として熨斗目半上下を着用することを申し合わせ、御用人・御近習役・御納戸奉行・月番御目付等へ承知させ、取次を町田源左衛門とする。縁頬の相詰、熨斗、茶、鶴吸物、銚子・差味・吸物、白木の土器三方と肴の三方、再度の銚子の順に進める。御相伴は嶋津備中・肥前・因幡の三名で、支度は熨斗目半上下。盃を召し上げた際の祝いの言葉、備中殿から差し上げる肴、上段塗敷居から六枚目の備中殿の位置、同席する備中・肥前・因幡への盃と肴、同席の御流公・家老・若御年寄・大御目付への盃と肴、終了後の納まりを定める。座之間では出座の後、家老に盃を下し、御用人・御近習役・御納戸奉行へ通しを下す。梅之間では御家老等に鶴吸物を下し、面々の着座時には御側御用人による御意の伝達、御近習番所では御用係の御用人・御近習役・御納戸奉行への吸物と酒を定める。御側廻にも同席の肴一種・酒一通を下し、御祝相伴の面々には熨斗目着用者と熨斗目半上下着用者の双方を兼ねるとする。重豪公御譜中・扣正文在家老座の出典注があり、末尾は三月・此面、松平薩摩守宛。

登場人物
松平薩摩守(島津重豪)、此面(高橋種寿)、町田源左衛門(取次)、嶋津備中(貴儔、人物注)、嶋津肥前(忠紀、人物注)、嶋津因幡(忠温、人物注)、備中殿、肥前殿、因幡殿、御流公(嶋津久峯、人物注)、御家老、若御年寄、大御目付、御用人、御近習役、御納戸奉行、月番御目付
宛先
松平薩摩守殿
キーワード
拝領鶴、三月十九日、料理披露、書院、立花、掛物、御剛押板、熨斗目半上下、鶴吸物、銚子、差味、御盃掛、御相伴、席順、座之間、梅之間、御近習番所
追録6-No.144申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

樺山久智申渡書

太守の官位昇進に伴う社寺・霊牌等への献納と代参の申渡書。大雄山御宮へ白銀二枚、台徳院以下大猷院・厳有院・常憲院・文昭院・有章院・有徳院・惇信院の位牌殿へ各一枚を南泉院に納め、花尾山の忠良、加世田日新寺の慈眼院・寛陽院・泰清院・大玄院・有邦院・慈徳院の各位牌、福昌寺の円徳院位牌、浄光明寺の浄国院位牌へも各一枚を献じる。諏方・稲荷・祇園・若宮・春日・福ケ迫諏訪、尾畔三社と御休息所御看経所には青銅百疋ずつを記す。尾畔三社等の代参は近習役を勤めさせ、護摩所不動・表御看経所には進納物がなくても近習役が代参するよう、使番から伝達する。末尾は、明後廿五日に代参して献納・寺納し、御手当を如例申し渡すこと、代参人柄の指示と取次の注、日新寺には来る廿七日に代参があることを記す。閏十二月廿三日、樺山左京の署、久智の人物注。朱注の申聞は十二月廿三日。出典注は重豪公御譜中・扣正文在家老座。目録の表題・年月日と対応する。

登場人物
樺山左京久智、太守、寺社奉行、使番、川上弥五太夫(取次注)、近習役、台徳院徳川秀忠、大猷院家光、厳有院家綱、常憲院綱吉、文昭院家宣、有章院家継、有徳院吉宗、惇信院家重、忠良、慈眼院島津家久、寛陽院光久、泰清院綱貴、大玄院貴久、有邦院豊久、慈徳院宗信、円徳院重年、浄国院吉貴
宛先
直接宛名なし(寺社奉行・使番への申渡し)
キーワード
閏十二月廿三日、官位昇進、明後廿五日代参、廿七日日新寺代参、白銀二枚、各一枚、青銅百疋宛、位牌殿、寺納、献納、近習役、使番、御休息所御看経所、護摩所不動、表御看経所、進納物なし、御手当如例、代参人柄、寺社奉行、申聞
追録6-No.145記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪昇進、祖廟ニ白銀ヲ献ズ

先の官位昇進により、この冬閏十二月二十五日、島津肥前忠紀を大雄山の神祖廟へ遣わして白銀二枚を献じ、島津播磨久敦を通じて台徳公から惇信公まで八代の霊牌へ各一枚を献じた。同日、島津図書久濃を花尾権現社へ、番頭島津内記久澄を福昌寺の慈眼院・寛陽院・泰清院・大玄院・有邦院・慈徳院・円徳院の尊牌へ遣わして、各一枚を献じた。新納五郎右衛門久起は浄光明寺の浄国院尊牌へ一枚を、島津直衛久中は諏方・稲荷・祇園・若宮・春日・福ケ迫諏訪へ同品をそれぞれ一枚献じた。近習役によって御休息所の看経所と尾畔三社へ青蚨百疋を献じ、護摩所不動と表御看経所では献物を設けず、拝礼のみをさせた。二十七日には使番頭種子島左内久芳を加世田日新寺の梅岳公島津忠良の尊牌へ遣わし、白銀一枚を献じて恭賀の意を述べさせた。出典は重豪公御譜中。目録は記事で年月日欄を空欄とする。

登場人物
重豪、島津肥前忠紀、島津播磨久敦、島津図書久濃、島津内記久澄、番頭新納五郎右衛門久起、島津直衛久中、近習役、使番頭種子島左内久芳、梅岳公島津忠良、台徳公、大猷公、厳有公、常憲公、文昭公、有章公、有徳公、惇信公
宛先
—
キーワード
官位昇進、閏十二月二十五日、忠紀、久敦、久濃、久澄、久起、久中、各社霊牌、白銀二枚、白銀各一枚、近習役、青蚨百疋、護摩所不動、表御看経所、献物なし拝礼、二十七日、種子島久芳、梅岳公尊牌、恭賀
追録5-No.2750保姫入輿規式次第旧記雑録暫定版確認度 高

保姫入輿規式次第

十二月四日の保姫入輿に際し、門・辻の立番、火消し、小番・大番の警備、家老の子持筋嘉珍熨斗目・長袴、用人・近習役の長袴、納殿役人の半袴など役別の衣装を定める。婚姻日と祝物を一門へ伝え、附使者を鴈之間で二汁五菜でもてなし、松平民部大輔を招き、一橋へ赴く時宜により若櫻田屋敷へ来訪する場合の吸物・菓子・案内も用意する。小姓が腰物を預かり、阿部豊前守が書院へ案内して三汁八菜・引物・土器と肴を取り扱い、松平大藏大輔の帰りを見送り、貝桶渡しを済ませた田沼能登守・末吉善左衛門にも奥から表へ案内して酒肴を供する。勝手方・坊主衆の料理、城坊主の供賄、家老の御守殿への祝儀、留守居を使者とする御用番への婚姻届、諸役人・諸士の祝儀と当日または後日の精進日の帳付けまで記す。

登場人物
保姫・家老・用人・近習役・納殿役人・松平民部大輔・小姓・阿部豊前守・松平大藏大輔・田沼能登守・末吉善左衛門・坊主衆・城坊主・留守居・御用番・諸役人・諸士
宛先
記載なし(独立宛名なし)
キーワード
十二月四保姫入輿、門辻立番火消警備衣装、附使者鴈間二汁五菜、民部大輔招若櫻田一橋側対応、豊前守迎腰物預三汁八菜盃肴、貝桶渡田沼末吉奥表接遇、御用番届祝儀精進日帳付、家老子持筋嘉珍長袴、用人近習長袴、納殿半袴、民部信有注
追録6-No.511諭達旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪教令書

御筆の写しとして、衣服と倹約の心得を命じる。江戸詰の者は定めのとおりにし、晴れでない場所では綿服を用いる。国許の男女の衣服も定めがあるが、公界がないため、一門大身分には日の紬・木綿を用いさせ、一所持以下には木綿・紬類以外を禁じる。染色は無地又は小紋付きとし、模様を染め出すことをやめる。極老・幼少・病身で寒気をしのぎにくい者は、手持ちの絹類を着てもよく、側廻りの奉仕で着古しをもらう場合もあるため、公界に用いにくいほど古い衣類を国元で着ることは勝手次第とする。江戸詰には無益の参会をやめさせ、酒や取はやしを一切停止するよう、側用人・近習役へ厳しく命じ、若達の者へ伝えたうえで吟味し直ちに申し出させる。ひそかに隠すことがあれば越度とし、国元にも同様に申し渡す。奥向は表方役人と委細を取り計らい、納殿役人の手寄りとも相談して、小事でも費用を抑える。役所の手薄に伴う節減や吟味は滞りなく申し出、減方を命じられて難儀と感じても長期間ではなく年限内のことなので、努めて励むよう厳しく申し渡す。明和五年四月付。在雑抄中の表示があり、日付の日・個別の宛所はない。

登場人物
島津重豪(目録対応)、江戸詰の者、国許の男女、一門大身分、一所持以下、側用人・近習役、奥向・表方・納殿の役人
宛先
—
キーワード
衣服制限、江戸綿服、国許木綿紬・無地小紋、老幼病身の絹類例外、着古し使用、無益参会・酒取はやし停止、側用人近習役への伝達、隠匿越度、奥向表方納殿、期限内倹約
追録6-No.739記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、帰国の途中に長崎を巡遊する記事

明和八年の任官・拝領・服章と、帰国途中の長崎見学、帰国後の役職変更を日付順に記す。二月二十五日、島津栄女を若御年寄とし、新納次郎四郎久儔を大御目付として内蔵の称を賜った。四月十六日、大家の使松平周防守が物を賜り、公は邸で受け、帰国を命じられ、西丸からも阿部豊後守を使いとして例どおり物を賜った。十九日に朝して拝恩し、大家が懇ろに諭し馬を賜った。二十一日、閣老の承旨により使人が馬を牽いて邸に届け、公が玄関へ迎えて敬拝した。二十六日、服章の制を定め、十字の章は世子に限り、翁主も用いてよいとし、他の公子は桐または牡丹を用いるという。二十七日、國老樺山左京が公の首途を祝う記事があり、二十九日、民部卿の使い田沼能登守が賜物を届けた。家治の真筆を望み、二幅を一橋を通じて賜り、謝恩したことを記す。注には女松島による取次、太公望・伝説図という二幅の題と六月十五日説があり、月日の誤りを疑うとする。五月三日、閣老を訪ねて賜書に礼を述べ、三家へ告別した。二十八日に邸を発ち、六月五日伏見邸、二十一日大坂邸に至った。今月八日、信解君が西田館で卒去し、二十二日に訃報が達したため、中村早太を先に進香へ遣わした。二十七日に大坂を発ち、七月朔日に坂越、八日に大里に至ったと記す。十六日長崎邸へ至り、十七日、今村政十郎を無役中通とし、十八日、奉行所を訪ね大家の起居を伺った。十九日、林市兵衛宅で「陣所」を見て市人を召見し、二十日、福済寺・聖王寺を訪れた。二十一日、針鹿太左衛門宅で「前裁」を見て、福田十郎右衛門宅も訪れ、二十二日唐人館、二十四日聖堂・聖堂預の向井齋宮宅、興福寺・宗福寺、二十五日出島館を見学した。出島では小鷹丸・御橋の記載と、紅毛船に乗ってしばらく見た旨を伴う。二十七日平野善次右衛門、二十八日今村源右衛門の茶亭を訪れ、紅毛人を呼んだ。訪問時の帷子・上下・羽織裃・御道具などの服装注もある。八月九日、大波戸から出帆し、長崎邸には凡そ十八日滞在したと記す。十四日、阿久根所在の大島に着き、十五日、阿久根に至って大島を再び狩り、十八日府へ至り、末川織衛久中を江戸へ謝恩に遣わした。二十一日、山岡齋宮久容を家老とした。九月二十一日、家老桂織部久中を病のため免じ、まだ老齢でないので慎んで療復を待てと諭した。十月十日、松峯山で淨國公(吉貴)の二十五年諱辰に謁し、長上下を着た。十三日、尾畔へ行き十五日に還った。十一月の記事は、近習役が従来使番下と同級だったのを進格し、「御近習役次席」を置き、職禄九十石を給する命令を記す。出典は近秘野艸。

登場人物
公(重豪)、島津栄女、新納次郎四郎久儔、大家、家治公、松平周防守、阿部豊後守、國老樺山左京、民部卿、田沼能登守、一橋、女松島(原注)、閣老・三家、信解君、中村早太、今村政十郎、林市兵衛、市人、針鹿太左衛門(原字形留保)、福田十郎右衛門、向井齋宮、平野善次右衛門、今村源右衛門、紅毛人、末川織衛久中、山岡齋宮久容、桂織部久中、淨國公(吉貴注)、近習役・使番
宛先
—
キーワード
栄女若御年寄・新納久儔大御目付内蔵、帰国命・物馬拝領、服章世子翁主十字他公子桐牡丹、家治真筆二幅・一橋謝恩、首途告別・伏見大坂坂越大里長崎、信解君訃報進香、奉行所寺院聖堂唐人館出島紅毛船茶亭巡遊、八月九日出帆・凡十八日、阿久根大島府帰着、山岡家老・桂久中病免療復、淨國公二十五年諱辰、近習進格職禄九十石
追録6-No.964記事旧記雑録暫定版確認度 中

浄岸院逝去・遺骸帰葬の記事

同年十一月、浄岸院が痰症を患い、河野仙寿院・森雲禎・武田長春院・吉田秀庵・井上良泉・橘隆庵・浅井休伯・武田宗安・坂幽玄らが交替で診療し薬を施したが、日々悪くなったと記す。同月二十七日に老中へ知らせたため、大家はたびたび病状を尋ね、贈物を与えた。十二月五日、芝の邸の正寝で逝去し、年六十八、浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼と諡した。本州玉龍山福昌寺へ遺骸を戻して葬ることを願い、同月九日に老中松平右京大夫輝高を通じて申し出た。大家から銀二百枚、大納言家基から銀二十枚を賜り、輝高がその取次を務め、同日に秋月山城種茂が重豪に代わって老中の邸へ謝礼に赴いた。二十日の明け方、霊柩が芝の邸を発して薩府へ向かい、大家は留守居番織田圖書信方を遣わして送らせた。家老島津左中久金、側用人西恰之介純房、近習役薬丸猪右衛門兼風、留守居有川勇馬貞厚、芝の大圓寺の貞順和尚、相州鎌倉永明寺の越州和尚が随行したという。

登場人物
浄岸院、河野仙寿院、森雲禎、武田長春院、吉田秀庵、井上良泉、橘隆庵、浅井休伯、武田宗安、坂幽玄、大家、大納言家基、松平右京大夫輝高、秋月山城種茂、重豪、織田圖書信方(留守居番)、島津左中久金(家老)、西恰之介純房(側用人・原表記)、薬丸猪右衛門兼風(近習役)、有川勇馬貞厚(留守居)、貞順和尚、越州和尚
宛先
—
キーワード
浄岸院十一月痰症九医師交替診療、二十七日老中通知大家病状尋・贈物、十二月五日芝邸正寝逝去年六十八・戒名、玉龍山福昌寺帰葬願九日輝高取次、大家銀二百枚家基二十枚賜、秋月種茂代礼謝、二十日昧爽霊柩芝邸発薩府へ、織田信方送行・家老側用人近習留守居二和尚随行
追録6-No.1135覚書旧記雑録暫定版確認度 中

虎寿丸出生・七夜祝儀の贈答、使者への下付と取替手配

虎寿丸の出生・七夜に関する贈答と使者の手配を列記する。虎寿丸から太守へ御太刀一腰・御馬代金一枚・二種一荷を進め、御近習役を使者とする。朱に正月二十一日、祝物の御取替を正月二十五日に命じる旨を受け、御使番へ首尾を伝え書付を渡したとの注。於篤・妙心院・嶺松院へは二種二百足宛を記す。御前様から太守へ一種三百足、妙心院・嶺松院へ祝詞一通、使者は納殿役人。太守から妙心院・嶺松院へ二種宛、両院から太守へも二種宛を進め、御近習役が使者となる。去十三日の七夜祝が済んだことを受け、産婦から太守へ二種二百足と祝詞を御年寄によって進める。虎寿丸から太守へ鯛一折・榛代三百足、また七夜に太守が幼名を与えて鯛一折・榛代三百足を贈り、虎寿丸も同じ品を進めたことを記す。帯刀殿から太守への二種一荷には御肴代二百足・御弓勤の指示を添え、その妻から太守へ金子三百足を進めて拝領させる。贈答と下付を取替える手配について、去九日に帯刀殿が若松十左衛門へ伝え、白木の調え方は御門の目録を基に仕出すよう求める。太守からは独立の使者を差し越さず、七夜祝時の側御用人・御近習役を使者として祝物・産婦と帯刀殿への拝領物等を進め、十三日に整った分以外も当日の取替下付に合わせる。使者下付は、虎寿丸祝物と賜名祝物の御近習役へ金二百足宛、太守から虎寿丸祝物の御近習役へ金子百足ツを記す。太守・御前様・妙心院・嶺松院相互の祝物の使者には下付不要、於篤から虎寿丸祝物の使者へは金子百足を拝領させる。虎寿丸・敬姫・於篤相互の祝物の使者と下付も検討し、妙心院・嶺松院から於篤への七夜祝物は納殿役人を使者とし金子百足を下す。虎寿丸の使者にも同様に下付するため取り合わせる。於薫殿の御髪立と、それに伴う進上品・遣物も祝当日に合わせる。帯刀殿の妻から虎寿丸への品と拝領物は帯刀殿名代で整え、御髪立道具の進上使者川田甚四郎には金子百足を拝領させる。産婦への進上・下付品は再吟味不要とし、真含院から妙心院・嶺松院への祝詞使の時は御ふくを用いて差し越し、納殿役人へ伝える。末尾は安永二年十二月十九日、江戸御使番。各贈答方向・使者・下付の有無、済んだ七夜と後の取替手配を分ける。

登場人物
虎寿丸(齊宣)、太守、御前様、於篤(重豪女注)、敬姫、妙心院・嶺松院(継豊側室注)、産婦、帯刀殿・その妻、若松十左衛門、川田甚四郎、於薫殿(佐土原島津久柄室注)、真含院(継豊女・菊姫注)、御近習役、納殿役人、御年寄、側御用人、江戸御使番
宛先
太守・虎寿丸・女性親族等(贈答の各受け手)、江戸御使番等(手配先)
キーワード
虎寿丸出生・十三日七夜、太刀一腰・馬代金一枚、二種一荷・二百足宛・一種三百足、鯛一折榛代三百足、父子・女性親族の贈答方向、御近習役・納殿役人・御年寄、使者下付、下付不要の例、白木調・目録、正月取替、御髪立
追録6-No.1225-3書状旧記雑録暫定版確認度 高

佐久間九十九書状―有馬方からの到来書を順達し主馬へ写を送る

書面がただ今有馬中務大輔から到来したので、本書は松平陸奥守方へ順達し、写を差し上げると報告する。当番御近習役へは別段申し出たことも述べる。末尾は十二月七日、佐久間九十九、主馬様宛。副廻状の黒本文の列間に朱で付された書状で、幕府の大目付の差出と、佐久間による本書の順達・主馬への写送付を区別する。

登場人物
佐久間九十九(村央、目録)、有馬中務大輔、松平陸奥守、当番御近習役
宛先
主馬様(目録の関連文書では喜入久福)
キーワード
本文唯今到来、有馬中務大輔、本書松平陸奥守順達、写差上、当番御近習役別段申出、十二月七日佐久間九十九、主馬様
追録6-No.1225-9届書旧記雑録暫定版確認度 高

矢野清右衛門伺書―三品の指図が済み次第届け出る旨の申上

打揚腰網代乗物等について書付をもって仰せ達せられ、御用番へ伺い申し上げる趣旨があるため、指図が済み次第届け出るので聞き置くよう求める。追書には当番御近習役へ別段首尾を申し上げる旨を付す。末尾は十二月廿三日、松平薩摩守内矢野清右衛門、朱に安永三年。指図後の届出を予告する申上であり、この時点で指図・使用許可・届出がすべて済んだとはしない。

登場人物
松平薩摩守内矢野清右衛門、御用番、当番御近習役
宛先
幕府(御聞置を求める先、独立宛書なし)
キーワード
三品書付仰達、御用番伺、御差図相済次第御届、当番御近習役別段首尾、十二月廿三日矢野清右衛門
追録6-No.1460申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

毎月十五日の講釈と聴講・代講・在府の取扱い

毎月十五日を今後の定日とし、御礼の後、座之間へ出座して聖堂奉行に講釈を命じるので、大目付以上は出て拝聞するよう申し渡す。聖堂奉行が差し支える時には学頭が勤めること、在府の時にも梅之間で同様に扱うことを記す。在府・在国のどちらでも御側御用人・御近習役は詰めるとし、この通り仰せ出されたので役人に限って通達するよう命じる。六月、左中。

登場人物
左中(目録は島津久金)、太守(一件文脈)、聖堂奉行、講堂学頭、大目付以上、御側御用人、御近習役
宛先
御役人限り(通達の指示)
キーワード
毎月十五日定日御礼後座之間出座、聖堂奉行講釈大目付以上拝聞、差支学頭代、在府梅之間同断、在府在国側御用人近習役詰、役人限通達
追録6-No.2601-1覚書旧記雑録暫定版確認度 高

三寺の位牌殿への盆の供物と使者について家督交替後の扱いを申し上げる

南泉院の惣位牌殿、浄光明寺の得佛・浄國院、福昌寺の有邦院・正覺院・慈徳院・智光院・圓徳院・慈照院・浄岸院・玉貌院の位牌殿への盆の供物を吟味する。南泉院には官香二把、浄光明寺・福昌寺の各位牌殿には官香二把ずつを掲げる。家督を継いだ側が燈籠二つを献納する規定であるため、中将は今後、御側役を使者として右の官香を献納する扱いと考えると申し上げる。有邦院が隠居した後、盆に御近習役を使者として官香二把を献納した先例を挙げる。また、浄國院・慈徳院・靈龍院・瑞仙院・月桂院には御近習役を使者として官香二把ずつを納めてきたが、今後は本行に示したとおり御側役を使者とする扱いになるものと吟味したと記す。七月九日付で御使番が報告する。

登場人物
御使番、御家督様(斉宣)、中将(重豪)、御側役、御近習役、有邦院、得佛、浄國院、正覺院、慈徳院、智光院、圓徳院、慈照院、浄岸院、玉貌院、靈龍院、瑞仙院、月桂院
宛先
記載なし
キーワード
盆、官香二把、燈籠二つ、御側役、御近習役、先例、隠居、家督
追録7-No.1426式次第旧記雑録暫定版確認度 高

近衛基前招請次第書(高輪邸の接遇手順)

重豪公御譜中・扣正文在家老座。近衛左大臣の高輪邸招請次第を定める。西御門から入り供目付が先に案内、南坂御門外で伊集院隼衛が先立ち、茶屋の輿臺で下乗、大御隠居が迎えて座敷へ導く。熨斗・茶・たばこ盆の後、諸大夫の案内順で大御隠居、太守・御隠居、大膳大夫・肥前守が挨拶する。染帷子・十徳/半袴の着服注、進物の差出と次の間への置き方、医師方の御逢と召替を記す。湯漬、庭・居間・入側や座向の見物を経て能見物所へ案内し、給仕は近習、手長は奥小姓とする。茶・椀菓子・吸物・盃・酒・肴・坪物、白木三方と銚子を列記。舞臺正面脇に浪形簾障子を立て、子様方とおふき方お千佐・初瀬・勝澤が都合により御逢又は御目見する。中入に座敷へ戻り三汁七菜、本膳上下と大御隠居の位置、臺引・引肴・吸物・盃・土器等、盃事の取次と湯・茶菓子・後菓子・薄茶を規定し、再び能見物へ戻す。茶・菓子・名酒盆上・小皿物、檜重1組と青籠1個の進上、能が済んだ後の挨拶、夜食二汁五菜・後段・吸物・盃・酒から立ち際の送りへ続く。医師の取持、出入御城坊主と初馳走方・付添役人の召呼及び能見物を許すこと、帰館後は家老使者で礼を伝え翌日大御隠居が旅館へ参上することを定める。末尾朱文化12年のみ、月日・署名・独立宛名なし。呼称を実名へ一律置換せず、次第の手順を実施済の記事としない。末頁の1427見出し全上の混入を除いた新通常AI各六頁を全読した。

登場人物
近衛左大臣(基前は目録)、伊集院隼衛、大御隠居、太守、御隠居、大膳大夫、肥前守、諸大夫、近習、奥小姓、子様方、お千佐、初瀬、勝澤、医師、出入御城坊主、初馳走方、付添役人、家老使者
宛先
独立宛名なし(招請次第)
キーワード
近衛高輪招請西御門供目付南坂伊集院下乗大隠居迎・熨斗茶煙草盆着服挨拶進物医師召替、湯漬庭入側能見物給仕近習奥小姓・浪形簾子女御目見、中入三汁七菜白木三方銚子盃事薄茶再能、檜重一組青籠一個名酒小皿物夜食二汁五菜・役人見物送り当日家老礼翌日旅館参上、朱文化十二日なし
追録7-No.1527書状旧記雑録暫定版確認度 高

新納久命書状(屋敷移転の伝達・取計)

重豪公御譜中、写正文は家老座にあるとする。拝領した「御鷹御下屋敷」への据越について、神田橋の御屋形まで高輪から願い置いたところ、勝手次第との承知があったと伝える。移転は格別重い事柄で、大御隠居について「御限御願済」と記し、軽からぬ事であるため、奥向・近習へ伝え、去る九日の席で当人にも恐悦の旨を申し上げ、家中にも承知するよう通達したとする。その元での申渡等について取り計らうよう求め、別紙を添えて申し越す。文化十三年の朱書、十二月十二日、新納内蔵から川上右近・町田監物・島津安房・鎌田典膳へ。願いへの承知・関係者への伝達・申渡の依頼を区別し、実際の移転日や別紙本文は補わない。「御鷹御下屋敷」「御限御願済」の語を保持し、建物・屋敷の具体的同定や願いの法的範囲は留保する。

登場人物
新納内蔵久命(目録)、大御隠居、奥向・近習、当人、家中、川上右近、町田監物、島津安房、鎌田典膳
宛先
川上右近殿、町田監物殿、島津安房殿、鎌田典膳殿
キーワード
重豪公御譜写正文家老座拝領御鷹御下屋敷据越神田橋御屋形高輪御願勝手次第承知格別重大大御隠居御限御願済奥向近習去九日当人恐悦家中通達申渡取計別紙文化十三十二月十二新納内蔵四宛
追録8-No.675本文群(親征行幸先陣・供列・衣服の書付五通と首尾、衣服取扱いの変更)旧記雑録暫定版確認度 中

親征・大坂行幸先陣の命令と供列・行在所等の書付、服制通知の取扱い変更を報じる

嶋津伊勢が三月八日に、先月二十日の内田出頭で太守の大坂行幸供奉先陣等の勅命を受け、書付五通を取り次いだと家老ら五名へ報じる。供列について二十二日に御官名内留守居名で届け、中将にも知らせたという。所収書付には、親征に際して民の苦を救い復古を進めるため軍紀を守り、書役・小役にも規律を及ぼすこと、衣服・荷物・夜具・滞陣中の食事などを軽便にする心得、薩摩少将への行幸先陣、諸侯供列の人数、行在所と太政官代の場所を収める。衣服の書付は堂上方以上に渡されたもので、薩摩側へは取り消すよう吉見三河が申し越したという書状・首尾も添える。供列の写は中藩以上の銃隊五百~三百人、小藩の銃隊百五十~五十人に諸役付を連れ、近習・手廻りはそれぞれ十~十五人、六~十人とし、銃隊以外は用捨する。人数届は来る十二日中とあり、行在所・太政官代とも東本願寺掛所とする。

登場人物
嶋津伊勢、太守、中将、内田仲之助、坊城頭辨、非蔵人松室信濃・吉見三河、行幸奉行俊政、四家老・新納刑部、伊勢様、諸侯・主従・先陣銃隊・陪従・近習
宛先
三月8日嶋津伊勢の報告:嶋津圖書・桂右衛門・川上龍衛・新納刑部・町田内膳。内田首尾は伊勢様、吉見は内田へ、先陣通知は薩摩少将へ
キーワード
原675雑録中辰三月八嶋津伊勢先月廿内田御所仮建親征大坂行幸太守先陣書付五通供列廿二御官名内留守居中将通知服制取消吉見三河堂上以上二月廿内田坊城頭辨松室信濃本書写五通親征法令軍紀衣躰狩衣直垂水干下衣任意荷物軽便食夜具角倉廿吉見内田廿一首尾二月廿二俊政薩少将先陣中藩銃500300近習1015小藩15050近習610銃隊外用捨来十二人数届行在所太政官代東本願寺掛所内侍所新取立
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 57-2文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

有馬康純・同直純連署錠書

有馬直純・康純が連署して定めた軍中法度。軍法と大将・物頭の下知への服従、隊列維持、独断行動・油断・無届の鉄砲発砲・馬の放置を禁じ、使番・物見・近習頭・騎馬・足軽・弓・長柄の者の任務、武器の備え、旗の統制を規定する。さらに陣屋での喧嘩・狼藉・押買・濫伐、火の不始末を禁じ、陣屋の清掃、逃亡者の捕縛・届出、小屋留守番、小者の作法を命じる。

登場人物
有馬直純、有馬康純、大将、物頭、使番、物見、近習頭、騎馬・足軽・弓・長柄の者、小者
宛先
宛先なし(軍中法度)
キーワード
寛永十五年正月晦日、有馬直純、有馬康純、蒲生士佐々木氏蔵、軍中法度、軍法、大将、物頭、使番、物見、近習頭、騎馬、足軽、弓、長柄、鉄砲無届発砲禁止、馬放置禁止、喧嘩禁止、狼藉・押買禁止、火の用心、逃亡者捕縛、小者作法
後編2-No.932文書確認度 高

島津晴蓑遺書

島津歳久(晴蓑)が近習衆へ、自分は病で手足も不自由であり、秀吉に反逆する意図はなかったと弁明する遺書。島津家累代を守るため自分一人が自害すると家臣へ繰り返し伝えたが、家臣が承諾しなかった事情も記す。 病身の当主と従臣との葛藤、処断直前の心情を本人の言葉で伝える重要な史料である。

登場人物
島津歳久(晴蓑)、豊臣秀吉、島津義久、歳久の家臣ら
宛先
近習中
キーワード
島津歳久、晴蓑、遺書、近習中、豊臣秀吉、反逆嫌疑、病気、切腹、家臣、島津家
追録2-No.521請書旧記雑録暫定版確認度 中

島津惟久請書

島津惟久(島津左京)が中将様御近習衆中へ、先頃二人の使者を通じて願い出た件について、中将の書付を受け取り、その趣旨を承知したと答えた請書。今後は忠勤に励むので、引き続き指図を仰ぎたいと頼む。

登場人物
島津惟久(島津左京)
宛先
中将様御近習衆中
キーワード
島津惟久、島津左京、中将様御近習衆中、二人の使者、中将、書付受領、趣旨了承、忠勤、指図依頼、請書
追録2-No.777条書旧記雑録暫定版確認度 中

島津綱貴条書

修理大夫の近習に召し仕える者へ示された五箇条の覚。学問・武芸・有識を怠らず卑劣なことを慎むこと、側仕えの不善の行跡を放置せず主人のため諫めること、主人の賢否や私的好悪によらず善悪を正しく申し立てること、私心なく正直であること、勤務中に不行跡がなく不時の用事を考えてみだりな飲酒・沈酔後の乱行を避けることを求める。

登場人物
島津綱貴
宛先
島津吉貴近習
キーワード
近習、修理大夫、五箇条、覚、学問武芸有識、卑劣戒め、側仕者不善、直言、主人賢不肖、私心なし、正直、勤務、不時用事、飲酒、沈酔乱行、承知遵守、月日不記、吉貴二十二歳注
追録5-No.1369門出入条書旧記雑録暫定版確認度 高

普請小屋門出入条書

島津主鈴久郷が治水手伝に当たり、元木屋・出張木屋に派遣する関係者へ門出入の手続きを申し渡す。役人・小役人が無札で外へ出る場合、御用又はやむを得ない理由を御用人へ届け、証文をもって御近習役から門通行を命じ、出発・帰着時にも報告する。支配に属する者、馬廻・新番・歩行士、役人家来・下人、国足軽・人足等は、それぞれ御用人・支配頭・主人を経て同様の届出・証文手続きを取る。出張木屋の者は名書を御門番へ渡しておく。身分・所属に応じて外出の届出経路を定める条書である。

登場人物
島津主鈴久郷
宛先
元木屋・出張木屋の御用人・御近習役・支配担当者
キーワード
門出入、証文、御近習役、名書、御門番、支配頭、役人、家来、足軽、人足
追録6-No.640記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪参勤す

正月二十七日、重豪が薩府を発ち、江都へ参勤した記事。島津久金・樺山久智、赤松則正、関山金郷・二階堂行旦、村上範村らが随従し、九州の駅路を経て二月十一日に豊前大里へ着いた。十二日は風波で滞留し、十三日に乗船して大里を発ち、二十七日に播州坂越へ着いた。ここから陸路で三月二日に大坂へ着き、三・四日は滞留、五日に大坂を発って川を遡り、その夜に伏見の旅館へ着いた。七日に伏見を発ち東海の駅路を進み、十六日に遠州掛川へ着いたが、その日の大雨で大井川が満水となり渡れず、十九日まで滞留した。二十日に金谷駅へ泊まり、二十一日に大井川を渡り、二十三日に箱根へ泊まった。酒匂川も増水して渡れず二十六日まで箱根に滞在し、二十七日に箱根を発った。道中滞留せず晦日に江都へ着いたとも述べ、直ちに芝邸へ入ったとする。四月十三日には、上使田沼意次が命を奉じ芝邸へ来て旅の労を慰めた。十五日、重豪は登城し家治公へ太刀一腰・白銀五十枚・縮緬二十端を献じて拝謁し、家基公へも白銀五十枚を献じ拝謁した。先例により家老島津久金・樺山久智も各太刀一腰・馬代白銀一枚を献じ、拝謁を許された。久金の奏者は土屋篤直、久智の奏者は大岡忠喜で、礼を終え重豪は退出した。

登場人物
重豪、島津左中久金・樺山左京久智(家老)、赤松甚右衛門則正(側用人)、関山新左衛門金郷・二階堂蔀行旦(側用人兼近習役)、村上桂馬範村(近習役)、田沼主殿頭意次、家治公、家基公、土屋能登守篤直、大岡兵庫頭忠喜
宛先
—
キーワード
正月27薩府発、家老側用人近習随従、大里風波滞留・13出帆、坂越大坂伏見、掛川大井川増水滞留、金谷渡河、箱根酒匂川増水滞留、三月晦江都芝邸到着、四月13田沼上使、15登城、家治太刀一腰白銀五十枚縮緬二十端、家基白銀五十枚、家老各太刀馬代銀一枚拝謁・奏者
後編5-No.1306文書確認度 中

勝連良継外二名連署書状

有馬・天草のキリシタン一揆が鎮圧されたことを受け、残党が琉球へ流来した場合は捕縛し、困難なら討ち果たすこと、南蛮人を直ちに追放し、漂着しても米・木・水を与えず一か所に留めて報告することを承諾し、琉球の宗門改帳を我那覇に持参させたことを報じた三名の連署書状。

登場人物
勝連良継・浦添重利・豊見城盛良
宛先
御老中・御近習
キーワード
勝連良継、浦添重利、豊見城盛良、御老中、御近習、有馬、天草、キリシタン一揆、残党、捕縛、南蛮人、追放、漂着、宗門改帳、我那覇、四本内蔵介、五月十九日
追録6-No.1583覚書旧記雑録暫定版確認度 高

年頭直御請の事前内談・付紙許可と当日実施を近習帳留に基づき家老座で記す

この亥年の年頭の直御請は初めての勤めで、前年春の松平陸奥守の振合を取り寄せ、年内に右近将監の用人へ内談するよう命じておいた経過を記す。旧臘二十六日、松倉左仲に会って内談したところ、右近将監へ申すとされ、ほどなく戻った左仲から、正月の御用番なので直御請の書付を差し出すよう求められた。翌二十七日に持参して受け取られた。前年の陸奥守の際は同席一同へ大目付を通じて知らせていたが、この年は御請の形が変わるため、なお前年どおり通知する旨が確認された。その扱いに変更がある場合は、年内又は元日夕までに知らせる旨も重ねて伝えられた。二十九日、用人からの呼切紙で矢野清右衛門が出向き、別紙写しのとおり付紙で指示を受けた。矢野には清香との原注を付す。正月二日、登城して大目付新庄能登守へ直御請の件を伝え、右近将監からも指示があり、既に年内に整えられていたことを確認した。申合せの変更と能登守の内談・取合、同朋頭を通じる手続に触れた上で、前年の先規どおり着座し、頂戴物・取合の上、上意を受けて御機嫌を伺い恐悦を申し上げ、他も滞りなく済んだと記す。この経過を帳留へ付け置くよう命じられ、正月二日、近習帳留の内容を佐久間九十九が申し出て左中が承ったと結ぶ。正月三日の佐久間首尾書とは記録日と形態を分ける。独立した宛所はなく、本文中の能登守や佐久間・左中を宛先欄へ入れない。前年と当年の申合せを記すため、未実施の願出だけを述べた文書とはしない。

登場人物
江戸家老座、佐久間九十九、左中、太守、松平陸奥守、松平右近将監、御用人松倉左仲、矢野清右衛門(清香の原注)、大目付新庄能登守、御同席・同朋頭
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
旧臘26用人松倉内談27書付受取29矢野呼切紙付紙指示、正2能登守直伝・年内段取済、先規通着座頂戴取合上意機嫌伺恐悦、近習帳留を佐久間申出左中承
追録5-No.398記事旧記雑録暫定版確認度 高

琉使薩府ヲ経テ帰ル

具志川王子と従者ら琉球使節は、寛延元年十二月二十八日に江戸芝邸を発ち、東海・美濃の驛路を経て大坂で滞在した。翌年正月二十四日に大坂港から出帆し、寛延二年三月十二日に薩摩の西向田、十三日に薩摩府へ着いた。家老平田正輔が護送の総監となり、用人戸田傳五郎成庸、相良彌一兵衛、近習役北郷八右衛門資矩らが護送した。到着当日、王子と従者は府城へ登って謝礼し、琉館へ戻った。四月五日に暇を賜い薩摩府の前浜から出帆し、海路を無事に琉球へ帰った。

登場人物
具志川王子・平田正輔(家老・護送総監)・戸田傳五郎成庸(用人)・相良彌一兵衛・北郷八右衛門資矩(近習役)
宛先
—
キーワード
具志川王子、江戸出立、大坂港、正月二十四日出帆、三月十二日西向田、三月十三日薩摩府、護送、平田正輔、琉館、四月五日出帆、琉球帰国
追録6-No.54記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、琉使ニ先ンジ参府ス

将軍家治が新たに大統を継いだことに伴い、重豪が宝暦十四年に琉球国司尚穆の聘使を率いて江府へ赴く予定であったが、寒疾を憂慮して許可を求め、琉使に先立って三月廿二日に国を発った経緯を記す。家老島津久金・高橋種寿、側用人福山安都・宮之原通直、近習役二階堂諸等が供奉した。九州路を経て四月六日に大里へ着き、翌日、赤間関を渡って山陽道を進み、四月廿四日に大坂へ到着。廿六日に大坂を発ち、河流を遡って枚方に泊まり、廿七日に伏見へ着き、廿九日に伏見を発った。伊勢路・東海道を経て五月十三日に芝の邸へ到着する。注は、予定を早めた参府であるため上使の来訪に及ばなかったとする。その後、幕府に謁したいと望みながら病のため登営できず、次第に回復した六月廿三日、用番松平右京大夫輝高の宅を訪れ、将軍家の機嫌を伺い、参府の拝礼を請うて引き返した。

登場人物
重豪、大樹家治公(将軍)、琉球国司尚穆、琉球の聘使、家老島津左中久金、家老高橋此面種寿、側用人福山平太夫安都、側用人宮之原甚五太夫通直、近習役二階堂諸(行旦、人物注)、松平右京大夫輝高
宛先
—
キーワード
家治の大統継承、尚穆、琉使、寒疾、先行参府、三月廿二日発国、供奉、九州路、大里、赤間関、山陽道、大坂、枚方、伏見、伊勢路、東海道、芝、登営見合わせ、六月廿三日
追録5-No.2590社参日記旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪入部社参日記

重豪の初帰国に伴う社参次第で、十一月三日の稲荷社では初穂金子二百疋・神楽・幣・盛塩を、五日の一之宮では青銅百疋と本田出羽守による幣を定める。花尾山では白銀十両を納め、大乗院による幣・神酒・土器の授受、梨御廟所・愛染堂参詣、初穂百疋、平等王院での二汁三菜・島津主鈴の相伴、僧侶の御目見と進物を定める。十二月十九日の小城権現では白銀一枚と善聚院の祈願、福ヶ迫誠方社では金子二百疋・本地堂参詣・青銅百疋、普賢院での二汁三菜・家老の相伴、白銀一枚の下賜を、未九月十三日の宇治瀬では金子二百疋と神主の御目見・青銅百疋を記す。福ヶ迫社は在国中一度直参し、以後と七月十六日祭礼には側用人・近習から代参させ、青銅百疋を進納するよう定める。

登場人物
重豪・本田出羽守・大乗院住持・島津主鈴・善聚院・普賢院・家老・神主・側用人・近習
宛先
記載なし(独立宛名なし)
キーワード
初帰国社参次第、稲荷一之宮花尾、幣神酒土器、初穂饗応進物、小城善聚院福ヶ迫普賢院宇治瀬、直参代参、御渡包紙後年取扱注
追録6-No.109記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪琉使ヲ伴ヒ将軍嗣位ヲ賀ス

将軍家重が家治に政務を譲り西城に退いたことを受け、琉球国司尚穆が先例に従って賀使読谷山王子を江府へ遣わし方物を献じた経緯と、賀使の旅程を記す。王子は麑府に到来後、八月廿三日に東武へ向けて出発し、家老川田伊織国福・用人岩下佐次右衛門方峯・近習役島津矢柄久籌・留守居有川勇馬貞厚・使番矢野清右衛門清香らが護送した。八月晦日に薩州久見崎港から出帆、九月廿九日に長州赤間関へ繋船、十月九日に摂州大坂へ着船して五日滞在。十五日に川を遡り、翌日城州伏見へ到着、三泊後に出発し、美濃路・東海道を経て十一月九日に江府芝邸へ到着した。同日、留守居を老中宅へ遣わして琉使到着を報告した。出典は重豪公御譜中。目録は記事として年月日欄を空欄とする。

登場人物
故大樹家重、右大将家治、琉球国司尚穆、読谷山王子、家老川田伊織国福、用人岩下佐次右衛門方峯、近習役島津矢柄久籌、留守居有川勇馬貞厚、使番矢野清右衛門清香、留守居、老中、重豪(目録)
宛先
—
キーワード
家重の退隠、家治の継承、尚穆、読谷山王子、賀使、方物、護送、八月廿三日出発、八月晦日出帆、九月廿九日赤間関、十月九日大坂、十五日遡河、伏見三泊、十一月九日芝邸到着、老中への報告
追録5-No.2626記事旧記雑録暫定版確認度 高

芝邸火シ重豪参勤ノ途ニテ帰国

宝暦十二年、重豪は正月元日から三日まで喪中のため賀正を受けず、四日に自ら羽衣を舞い、六日に尾畔の放鷹、九日に荒平、十三日と二十二日に吉野の狩猟へ出た。二十二日は島津久亮ら家老・近習・納戸役らと従者三十人ほどが鎧を着けて従い、十八日の上士踊、二十三日の下士踊、二十五日の上下町踊も見て、二十六日に袖判で有司へ命令した。二月四日に府城を発って参勤へ向かったが、十五日の江戸火災が翌十六日に芝邸へ及び、淨岸君は高輪邸へ避難し、重豪は三月朔日に火難の報知を受けて留守側の安否を問い合わせ、木脇賀太郎・鎌田六郎太夫らを先に急ぎ帰国させた。六日に宮島へ泊まり、七日に芝邸延焼を知らせる閣老の檄を拝読し、九日には急ぎ帰国せよとの再檄を受け、二十七日に府城へ戻った。

登場人物
重豪・島津久亮・家老・近習・納戸役・従者・淨岸君・木脇賀太郎・鎌田六郎太夫・閣老
宛先
記載なし(記事、独立宛名なし)
キーワード
近秘野艸、正月喪中賀正不受、羽衣放鷹狩猟踊、二月四参勤発、十五江戸火十六芝邸淨岸避難、三月朔報知、留守安否、先帰国宮島閣老檄七日拝読九日急帰国命二十七府城
追録5-No.2643記事旧記雑録暫定版確認度 要

重豪、参勤ノ途次芝第焼亡ヲ聞ク

重豪は二月四日に鹿児島を発って参勤し、島津杢久峯、家老の左中久金・主鈴、側用人・近習役らが供奉し、久峯には青蓮院尊真法親王との師資関係から先に京都へ赴いて起居を伺い、筆法を伝授されてから江戸へ向かう旨の注がある。十日に出水へ着き、十一日に出発して九州を陸行し、二十一日に豊前大里へ着いたが暴風浪で三日滞留し、二十五日に開帆、三月二日に伊予津和港へ着いた。同日、江戸からの飛脚が、二月十六日の芝馬町火災が南風で芝南取添地へ延焼し、本宅・守殿が焼け、淨岸院は菱刈藤馬實詮を伴って高輪邸へ避難したと知らせた。重豪は即日村上彦八範村を江戸へ遣わして淨岸院の起居を尋ね、末尾には邸宅造立時、南家老宿に家老・用人らの役所を仮設したと記す。

登場人物
重豪・島津杢久峯・左中久金・主鈴・側用人・近習役・青蓮院尊真法親王・淨岸院・菱刈藤馬實詮・村上彦八範村・家老・用人
宛先
記載なし(記事、独立宛名なし)
キーワード
二月四日参勤発、久峯青蓮院筆法伝授京都先行、十日出水十一日発二十一日大里二十五開帆三月二津和、芝馬町十六火本宅守殿焼亡、淨岸院高輪菱刈實詮随奉、村上範村派遣、仮役所
追録6-No.317碑文・題記旧記雑録暫定版確認度 高

大磯荘内稲荷社新建棟札

大磯荘内に稲荷社一宇を新建した際の棟札。中央に上棟と新建稲荷社一宇、右に従四位上左近衛中将源朝臣重豪、左に明和三年龍集丙戌七月廿二日と記す。家老菱刈藤馬、側用人兼近習役伊地知新太夫、普請奉行喜入佐司右衛門、検者伊東勘助・磯永團七・牧市兵衛、総大工副役荒田甚兵衛を、それぞれの氏・諱とともに列記する。図の形を伴う棟札の記録で、「在雑抄」と朱注する。

登場人物
源朝臣重豪、菱刈藤馬藤原實詮(家老)、伊地知新太夫平季周(側用人兼近習役)、喜入佐司右衛門藤原譽昌(普請奉行)、伊東勘助藤原祐儔・磯永團七平喜和・牧市兵衛平胤隆(検者)、荒田甚兵衛源有起(総大工副役)
宛先
—
キーワード
大磯荘、稲荷社一宇、新建、上棟、七月廿二日、普請奉行、検者、総大工副役
追録6-No.338式次第旧記雑録暫定版確認度 高

一橋治済招請次第

来る五日の民部卿招請について、準備から送迎・贈答・料理・供衆の手当までを定める次第。明和三年十月付、高橋此面の名と種寿の注がある。招請日を内々に定めた後、家老の使で表立って通知し、夫人の年寄・局が一橋へ赴く折に奥へも伝え、機会がなければ使を立てる。前日に来訪を再確認し、当日は出迎え役、門前・道中の立番、下乗、太守の玄関・式台での迎接と書院の座を定める。家老・用人・近習役・留守居等は長裃、田沼能登守・末吉善左衛門は麻上下など、着用と御目見の扱いを指定する。 三献の杯・銚子・肴の順と、一橋小姓及び薩摩側小姓の給仕分担を記す。民部卿から太守へ太刀・金馬代・縮緬五巻・二種一荷、太守から民部卿へ太刀・金馬代・縮緬五巻・三種一荷を示す。贈答目録は留守居から善左衛門、さらに能登守を通して披露し、品を用意するに及ばないという但書を付す。鎌三郎・金次郎との干鯛各一箱の贈答も定める。奥では夫人と対面し、民部卿から夫人への縮緬五巻・二種一荷、淨岸院から老女の使で届ける檜重一組や菓子を記す。夫人側からの進物は奥で渡すとする。 本膳は三汁十菜・白木具とし、引物、八寸、吸物、島台、菓子、濃茶・薄茶を順次記す。機嫌次第で茶屋へ、又は休息所へ案内し、重一組・吸物・銚子などを出す。帰る際は表に再着座せず、太守が玄関板の間まで送り、帰着確認や夜間なら翌日の見舞い・御礼の使を定める。供衆には、家老・番頭・用人へ二汁六菜と見合吸物・酒肴五種、小姓・近習番・医師へ二汁五菜と酒肴三種、そのほかの役組へ一汁二菜と酒肴二種を出し、下位の道具持・駕籠・中間・馬口付・馬飼等には赤飯を出す。給仕は広間小姓又は足軽、御目付の受込、兵具所肝煎の挨拶まで指定し、首尾掛へ申し渡す。 朱注は当日に変わった箇所を直したものと明記する。能登守が御座の間での盃を辞退し書院で御目見とし、善左衛門も同様としたこと、帰殿後の善左衛門の使による挨拶、伊織の返答取次、夜陰のため当日の使者勤めをせず翌六日に勤めたことを補う。扣正文は江戸家老座にあるとする。

登場人物
高橋此面(種寿の注)、民部卿(治済)、太守(重豪)、御前(夫人)、淨岸院、田沼能登守(意誠、一橋家老の注)、末吉善左衛門(利隆、一橋近習役の注)、鎌三郎、金次郎、伊織(朱注の返答者)、家老・用人・近習役・留守居、年寄・局・小姓、料理役・医師、番頭・供衆、首尾掛
宛先
—
キーワード
来る五日、招請次第、内々日程・表立通知、迎接、長裃・麻上下、三献、贈答目録、干鯛一箱、夫人対面、淨岸院檜重、三汁十菜、濃茶・薄茶、茶屋、帰着確認、供衆別料理、赤飯、首尾掛、当日朱注修正、能登守盃辞退、翌六日使者
追録6-No.450式次第旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪参勤首途規式次第

十二月十九日の首途式について、対面所から出て城下吉野橋筋を行列し、請笠・竪笠・鉄炮二挺・弓台二肩・旗竿・鎧一領・道具四本を伴い、四時に諏方へ参詣する次第を定める。山伏金藏院が先に控えて海陸の安全を祈り、安養院が供し、祇園前から召船に乗る。供の家老は羽織袴で乗馬、用人以下は駕籠廻りを勤め、馬廻新番・歩行・筆者・小役人も羽織袴とする。用人以上は長柄の手鎗を持ち、馬廻新番は持たない。諏方社の御膝着青銅百足、諏方・祇園両社の神楽料青銅各六十足、安養院からの盛塩と三献を記す。供の御側小姓は二人で一人を御名字下から勤めさせ、安養院へ先に入る。住持の一束一本進上と御目見、奏者番の麻上下・進物番の羽織袴、安養院への引次拝領青銅百足、大乘院坊中が取り次ぐ五ヶ寺の御目見を定める。吸物・挾肴・盃・銚子・茶の供し方、安養院への吸物等の拝領青銅二十足も記す。終えて祇園へ参詣し、伊集院覚左衛門屋敷前を通って召船に乗る。家老・用人には小早を各一艘渡し、築地御普請方脇の波戸で着船、江戸橋金藏前・御蔵下辻番脇筋から帰館する。その他の供は上築地通・琉球假屋前新橋・御普請方前小路で控えて帰館の供を勤め、町田源左衛門屋敷角から清水馬場筋への繰入れも指示する。帰館後は本丸で御處斗・茶・吸物・銚子・御差味・平皿・菓子等を供し、供の諸役にも酒を下す。出御・帰館とも役を平日どおり勤め、近習番所で祝儀を申し上げる。担当役と供の面々へ伝達・申渡しを命じる。伊織・仲の署に諱注、関山新左衛門の取次記載を備える。年は明和四年朱注、本文は十二月、末尾に亥十二月十六日の朱注がある。扣正文は家老座にある。

登場人物
島津重豪、伊織(川田国福注)、仲(島津久健注)、取次関山新左衛門、山伏金藏院、安養院住持、大乘院坊中、供の家老・用人・使番・馬廻新番・歩行・筆者・小役人、御側小姓二人、奏者番・進物番、近習役・納戸奉行
宛先
担当御役・御供の面々(本文の伝達・申渡先)
キーワード
首途式次第、吉野橋筋、諏方四時参詣、金藏院海陸安全祈願、祇園乗船、鉄炮二挺・弓台二肩・鎧一領・道具四本、役職別羽織袴と手鎗、青銅百足・両社各六十足・安養院百足/二十足、小姓二人、住持一束一本、五ヶ寺御目見、家老用人小早各一艘、帰館本丸饗膳、銚子二篇(原語)、祝儀・役人伝達
追録6-No.694式次第旧記雑録暫定版確認度 中

結納・婚姻次第書

結納・婚姻に向けた警固、支度、室内飾り、食事、祝いの手順を定める。時触は例どおり、表門押番二人、張番所物頭一人、兵具所肝煎、小番・大番・打込番は麻上下、足軽は羽織袴とし、御勝手御書院の掛物・生花・棚飾を整える。見舞客のため五、六人前を御末の仕出しで用意し、付使者があれば鳩之間で二汁三菜、菓子、薄茶を出し、出入医師も同様とする。出座して見舞う馬廻二人を置き、物奉行は十人前を手当てする。使者の格式によって取次の間へ案内し、用人が返答、相手の格式に応じ甲用人・留守居が伝達し、広間詰小姓も適宜命じる。御中奥は寿老人の掛物・立松・棚飾・丁子風呂を整え、在土は原島津久柄室と注す葦殿へ参上するよう、先に年寄から文で伝える。中奥に太守様・御前様が着座し、熨斗は白木三方で、茶、式三献、雑煮、差味、塗三方の土器、挟肴、銚子、吸物・掛盃、簡の銚子を順に出す。夫妻は葦殿で相伴し、意次第で二汁五菜の料理、御肴の居付、銘々の盃、銚子、肴を出す。続いて吸物、島臺、挟肴、銚子、湯、菓子、濃茶、後菓子、薄茶、時節に応じた間の吸物・肴・菓子、意次第の後段を用意する。年寄・若年寄・表使・中臈・若女中へは吸物・銚子を、以下へは取肴・酒を下す。納殿役人は年寄と同様、葦殿供の年寄は若年寄と同様、供女中は取肴・銚子とする。表家老には中奥で吸物・取肴・酒を、御前様からは盃を戴いて肴を下し、側用人・表用人・近習・納戸奉行には近習の吸物・酒を配る。中奥の側用人・近習・納戸奉行・納殿役人にも同様に出し、側廻・奥勤の者には席で取肴・酒を、年寄・若年寄・表使・中臈・若女中には酒を通す。樽肴は太守様・御前様の年寄から浄岸院様へ内々に進める。御守殿その他へも祝いを伝え、役人の祝儀が済んだら家老へ挨拶し、諸士は当日または後日の精進日間に帳面へ記して退出する。末尾は明和七年の朱注、五月、左京の署で、手当てを命じ、日限は追って知らせるとする。

登場人物
左京(樺山久智、692署との対応)、太守様、御前様、御年寄、浄岸院様、物頭、兵具所肝煎、足軽、小番・大番・打込番、使者、医師、馬廻、物奉行、用人、留守居、島津久柄(在土原注)、家老、納殿役人、近習・納戸奉行・女中・諸士
宛先
—
キーワード
結納婚姻準備、警固支度・掛物生花棚飾、押番二人物頭一人、見舞五六人前・十人前手当、付使者二汁三菜と格式別案内、中奥着座・式三献、葦殿相伴・二汁五菜、茶料理盃銚子菓子の順、役人女中供人の配膳区分、浄岸へ樽肴、御守等祝儀、諸士帳面退出、五月左京署・日限追報
追録6-No.749式次第旧記雑録暫定版確認度 中

家治自筆二幅対拝領祝儀次第書

家治自筆画二幅一対の拝領に伴う五月二十一日の祝儀の手順と手当てを定める。画は左太公望、右「傳説」で表具なしと記す。序の書付は四月二十八日に一橋の老女松島が持ち下り、民部卿から田沼能登守をもって二十九日に届けられたこと、右近将監・田沼主殿頭へ留守居使者で内々に知らせ、五月三日登城前に見廻って礼を述べたこと、別に伺った内証の勤めは不要との指図と松平陸奥守の先例を記す。 客方へ使者で知らせ、門前立番・物頭張番等は家督初めの鷹の鳥拝領祝の例とする。正客と四品以上の客の到着を見計らい、家老・留守居以上が玄関練石まで迎える。太守は表書院角の間辺で迎え、小姓一人を玄関薄へりに置いて刀・腰物を受け、他の客の腰物は表書院三之間で札を付けて受ける。太守・諸役・番人は麻上下、十徳を用いる者は十徳とする。座之間の床へ画を掛け同朋頭へ予め申し込み、大書院は家督初めの飾りに従うが、床の掛物を客着座前には掛けず着座後に拝見させる。勝手之間・表書院の客への伝達案内、御側用人・城坊主による案内を分ける。 熨斗・茶・たばこ盆・本膳、二汁七菜の居付膳と引物、鉢の替え、八寸の引盃、銚子、引肴の順を示す。両側の席について客居を淡路守、主居を太守または式部とする注がある。吸物二の膳へ替え、白木三方の土器・肴を正客と四品以上の客へ、その他にも同様に出す。太守が出て土器・肴を遣わし、返盃、膳下げ、湯・菓子・濃茶・後菓子・薄茶の順を記し、土器を取り上げる時は舞・囃子を用意する。茶菓子・茶碗を替え下げる。酒井雅楽頭には勝手之間で別立てながら大書院同様の料理を出す。二篇目は太守・淡路守の引肴を分け、土器・肴・銚子・盃、湯・菓子・茶を続ける。三篇目は両側の家老二人または小姓二人の給仕を定め、正客が立つ前に太守が挨拶し玄関まで見送り、他の役人も出る。客退出後、表書院二之間の城坊主へ料理三篇目の土器・肴と、留守居・茶菓子・濃茶・後菓子・薄茶の手当てを命じる。 供の用係の家老には塗三方で盃・肴を、用人・近習役・留守居・納戸奉行・使番には切足八寸で出し、御座之間末襖付から横畳込み三枚目までに通す。御側用人が伝達し、諸役人から家老へ首尾を報告する。五月付仲署で諸事を例どおり手当てするよう命じる。 五月二十一日の名簿は御一門・御心安の人々を大書院・勝手之間・表書院等に列記する。松平越前守・左兵衛督・壱岐守・大膳太夫・左近将監・左兵衛佐、酒井修理大夫・播磨守、鳥井播磨守、本多伊勢守・若狭守、田沼能登守、京極兵部、小川玄達、柳生能登守、青山但馬守等には「御断」の注がある。名簿を全員の出席実績として扱わない。眞含院へ肴一折を表方使者で進め、浄岸院には表客同様の料理を御守殿奥で進め、側用人または奥の年寄が届けることを記す。末は拝領経過を記録方へ記すよう家老衆から渡した書付を後続に示す旨で、正文は文庫にある。

登場人物
太守、正客淡路守殿、四品以上客、式部殿、仲、家老、留守居、側用人、近習役、納戸奉行、使番、物頭、城坊主、小姓、松平陸奥守・右近将監、田沼主殿頭・能登守、民部卿、老女松島、酒井雅楽頭、有馬一学、嶋津淡路守・八郎右衛門・式部・八郎兵衛、伊勢平蔵、水谷民次郎・弥之助、深見久太夫、山本大膳、堀本一甫老、松前主馬、御守殿、年寄、眞含院(継豊女菊姫注)、浄岸院(継豊継室竹姫注)、名簿所載の御一門・御心安の人々
宛先
—
キーワード
画二幅一対表具なし、取次受領と見廻礼・内証勤不要、五月二十一祝次第、客格式別迎接腰物支度飾画、二汁七菜・引物鉢八寸盃吸物土器銚子舞囃子茶、二篇目三篇目席給仕、見送退出後料理、供人塗三方切足八寸と席、名簿御断注部屋一覧、眞含院肴一折浄岸院奥料理、五月仲署記録書付
追録6-No.1007記事旧記雑録暫定版確認度 中

浄岸院霊前の代香・祭文・献贈と中山王の贈物

重豪公御譜中の記事。同年三月五日、夫人と真合院殿、諸翁主・側室等がそれぞれ代香を行った。真合院には故松平修理大夫重政の夫人との注がある。嶋津備前貴儔・若狭忠救・兵庫久徴・因幡忠温・淡路守久柄等は各々祭文を献じた。左衛門久健・駿河久敦・又五郎久当・筑後久倫等と家老・若年寄・大目付・側用人・近習役・添用達等も献贈を行う。一門以下に関する注に久倫の妻女が世話をした旨があり、家嗣もそれぞれ香饌を献じたと記す。中山王尚穆は上折一合、竹心香・芳茗等を献じた。代香・祭文・献贈の主体を分け、藩内の人々と中山王からの贈物をあわせて収録する。

登場人物
重豪(目録題)、夫人、真合院殿(原表記、故松平修理大夫重政夫人注)、諸翁主、側室、嶋津備前貴儔、嶋津若狭忠救、嶋津兵庫久徴、嶋津因幡忠温、嶋津淡路守久柄、嶋津左衛門久健、嶋津駿河久敦、嶋津又五郎久当、嶋津筑後久倫、久倫の妻女、家嗣、家老・若年寄・大目付・側用人・近習役・添用達、中山王尚穆
宛先
記事のため独立宛書なし
キーワード
霊前代香、祭文、香饌・献贈、藩内諸役、中山王の贈物
追録6-No.1047申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津仲申渡―一門登城時の刀扱い・刀番二人と殿中作法

御一門が登城する際、敷舞臺入口の杉戸辺までは刀を帯び、表坊主が刀を受け取る。家老座へ通る場合は刀を座まで持ち、御近習へ通る時には鳴子之間で表御小姓へ渡す等の扱いを記す。刀番は以前から二人で勤めていたが、刀を坊主が取る際には刀番の仕向けがないので、二人を連ねて召し、一人は城内を先行し、一人は脇に付いて来るよう示す。刀は高欄や上板敷に置かず控えること、取り次ぎの用事で刀持ちが内へ入ってしまわないよう心得ることを求める。御一門方に殿中その他で諸人が参集する際は、差し控えるか殿勤めで平伏する扱いを指示し、寺方もこの二ヶ条に準じるとする。本丸前通りで御一門方の先供が立つことは差し支えなく、「鎚ハ伏セ」とする付記がある。末尾は安永二年巳五月二十日、嶋津仲。刀の取次場所、刀番二人の役割、参集時の作法と先供の扱いを記した申渡。

登場人物
嶋津仲(島津久健)、御一門、表坊主、表御小姓、御近習、刀番二人、寺方、参集する人々
宛先
独立宛書なし
キーワード
登城時の刀取次、刀番二人、置き場禁止、殿中参集の作法、寺方・先供
追録6-No.1048申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

小松清行申渡―笠を着けたままの式対と役・人による扱い

領国中の者は着笠を用いるよう先に申し渡していたが、直触以下と道中で出会う際、相手へ向けて笠を脱ぐことについて、寺社奉行から御近習役まで、及び無役の寄合・寄合並までは笠を脱ぐ必要はなく、式対をするよう命じる。寺社奉行以下の直触の者は、互いに笠を着けたまま式対してよいとする。また、直触以下の役については、相手の人に応じて笠を脱いで式対することも許されると示す。末尾は明和十年巳五月二十一日、小松相馬、清行との注があり、朱に安永二年也と記す。着笠を用いる通行の場で、役や人によって挨拶の扱いを分けた申渡。

登場人物
小松相馬(清行注)、領国中の者、寺社奉行以下の直触、御近習役、無役寄合・寄合並
宛先
独立宛書なし
キーワード
着笠、途中の式対、笠を脱ぐ必要のない役・身分、互いの挨拶
追録6-No.1051達書旧記雑録暫定版確認度 中

乗輿・馬上・歩行の行き合いにおける下馬下乗と式対の規定

「乗輿・馬上其外途中式対定」。備前・兵庫・因幡・若狭・玄蕃の五名は、大目付格以上の役人と独礼の者には下馬・下乗し、それ以外には下馬・下乗を要しないとする。組頭・番頭・一所持・一所持格・寄合・寄合並の中には、相手に応じて馬を留めて式対する扱いを定め、その他の士に会う時には乗輿の戸を開け、馬上でも自身で式対する。大目付格以上の役側は、鑓を持たせる役格の者には下馬・下乗するが、鑓を持たせる格でない者には、その相手が下馬しても下馬・下乗を要しない。大身分・独礼格の者同士が馬上・乗輿で行き合う場合は互いに下馬・下乗し、相手が歩行ならもちろん下馬・下乗する。また、大身分・独礼の者は、鑓持の役格や、鑓を持たなくても近附の中で確かに役を勤める者には下馬・下乗するが、その他の小役人・歩行の格には不要とする。大目付格以上の役人同士が馬上・乗輿で行き合う場合は互いの下馬・下乗を要せず、式対をせずに通ることも差し支えないと記す。末尾には、以前に定めた式対のうち、寺社奉行から御近習役以上の役人及び近附の士に関する扱いを、このたび改めたので遵守するよう求める。表方に直接通達し、側方・勝手方へは写しで伝える。末尾は安永二年巳六月二日。各条で対象、役格、乗輿・馬上・歩行、下馬下乗・式対の有無を分けている。

登場人物
備前殿、兵庫殿、因幡殿、若狭殿、玄蕃殿、大目付格以上の役人、独礼の者、組頭、番頭、一所持・一所持格、寄合・寄合並、小役人、寺社奉行、近習役、近附の士、表方・側方・勝手方
宛先
独立宛書・差出署なし(表方へ通達、側方・勝手方へ写し)
キーワード
五名の一門、役格別作法、馬・乗輿・歩行、鑓持格、式対、改定・通達
追録6-No.1144申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津久金・山岡久澄申渡―子供教授、会読・論文・詩会の規則

子供の素読指導は講釈のない日は四時、講釈日は九時と時を定め、指導者の座席も定めて諸事を厳正に扱う。素読が済めば手習に移し、毎月二度清書を係へ差し出させる。大字・小字は任意とする。童蒙須知と小学は講釈式日を定め、子供にできるだけ耳近くで聞かせ、講釈担当者だけでなく他の係も相談して講釈する。入学の子供は他の子供の手本となるよう期待されるので、言語・容貌を律儀にし、粗暴な振舞いを避けるよう何度も教える。用もなく定めの座席を立つことや、不要な物を出すことを禁じ、丁寧に教えて日常の教訓に従わせる。係の者は経義の解一通・議論の文一通を書き、春秋に一度ずつ日限を定め講堂へ取り揃えて互いに討論し、終われば御近習へ差し出す。文体は和文・漢文とも任意で、経義の章・議論の題は係が吟味し先に定める。詩作者には兼題を定めて作らせ、一緒に差し出させる。講堂の会読は従来の指示どおり出精し、詩作者は式日を定めて詩会を行う。夜番でも講会・詩会を催し、係の者と子供は課程を守る。長年怠らない者が、出精しない者や不律儀な者を戒め、承知しなければ申し出るよう求める。行儀・経学・文章に年長も年少も互いに励み、人材を出して他国にも誇れるよう、まず子供の教授に心を尽くすべきだとする。末尾は朱の安永二年十二月、左中・齋宮。教授の日程・書字・教訓と、成人の会読・作文・討論・詩会を併せて定める。

登場人物
左中(島津久金注)、齋宮(山岡久澄注)、聖堂方勤の者、教授者、入学の子供、係の者、御近習
宛先
聖堂方勤の者(末の伝達先)
キーワード
素読指導四時・九時、指導席、手習・月二度清書、童蒙須知・小学、言語容貌・律儀、無用の離席禁止、経義解と議論文各一通、春秋提出・討論、和文漢文、兼題詩、会読・夜番講会詩会、相互戒め、子供教授
追録6-No.1457記事旧記雑録暫定版確認度 高

聖堂奉行・講堂学頭の設置と毎月の講経、後の補助職追加

先に安永癸巳の秋、宣成殿を創建して講堂とし、この年の夏六月に聖堂奉行と講堂学頭を置いて諸生を教育させたと記す。癸巳は安永二年に当たる。聖堂奉行の注は山本傳藏正韶を補し、後に教授と改称したとし、講堂学頭の注は長崎鐵之丞通喬を補し、後に助教としたことを付す。毎月望日に聖堂奉行を府城へ召し、座之間で経書を講じ、重豪が臨席した。奉行に故がある場合は講堂学頭が代わるという注がある。大目付以上は皆進んで席に着き聴講し、側用人・近習役は左右に侍した。江戸へ赴いた時にも梅之間で同様に行ったと記す。後記は天明二年秋九月に訓導師・句読師をさらに置き、教導の補助としたことを載せる。

登場人物
重豪、山本傳藏正韶(聖堂奉行の原注)、長崎鐵之丞通喬(講堂学頭の原注)、大目付以上、側用人、近習役、訓導師、句読師
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
安永癸巳秋宣成殿講堂、安永六夏六月聖堂奉行山本傳藏正韶後教授・講堂学頭長崎鐵之丞通喬後助教、毎月望日奉行府城座之間講経重豪臨席有故学頭代、大目付以上聴講側近左右、江戸梅之間、天明二秋九訓導師句読師追加
追録6-No.1523記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪の宿疾と暑熱を避けた参府の前倒し、麑城発・江戸着

安永七年戊戌正月二十一日、重豪が麑城を発って江戸へ向かったと記す。家老島津左中久金、側用人兼近習役川上頼母久品、側用人格留守居事佐久間九十九村央、近習役市田勘解由貞英その他の諸有司が同行した。西海・山陽二道の諸州を経て大坂に至り、例のとおり美濃路と東海道の諸駅を歴て、三月二日に江戸へ到着した。通常の朝覲は四月を期としていたが、重豪は近年痔疾に悩み、前年の帰国時に炎暑に侵され宿疾が再発したため、暑い時期の遠行を避けるべく許可を請い、このように江戸へ来たと説明する。

登場人物
重豪、家老島津左中久金、側用人兼近習役川上頼母久品、側用人格留守居事佐久間九十九村央、近習役市田勘解由貞英、諸有司
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
正月二十一日麑城発、三月二日江戸着、西海山陽大坂美濃路東海道、通常四月朝覲、前年帰国炎暑宿疾再発
追録6-No.1582報告書旧記雑録暫定版確認度 高

年頭初の直御請に関する松倉との内談、書付差出・付札指示と当日実施を佐久間が報告

年頭の登城・御目見・着座に際して取合の上で御機嫌を伺い恐悦を申し上げることは年首として初めてで、参府と暇の直御請はすでに二様とも済んでいたため、前年春の松平陸奥守の年首の勤め方を取り寄せたとする。初めての儀なので、右近将監の御用人松倉左仲へ掛け合い、旧臘二十六日に登城前に訪ねて対談した。左仲は、参勤・暇の直御請をすでに行っているので届書は不要とする趣旨を述べながら、正月の御用番へ前年の陸奥守同様に勤める心得を届け置き、大目付衆を通じて同席の人々へも伝える旨を説明した。当年頭当日の申合せは当日の大目付によるため、佐久間が正月御用番の勤め方も問い合わせたところ、右近将監へ申すとされ、再度出てきた左仲から名を書いた書付を差し出すよう指示を受けた。二十七日に別紙のとおり持参し、同席への通知方法を重ねて確認して書付が受け取られた。二十九日には矢野清右衛門が呼び出され、書付に付紙で「可為此通」と指示され、その経過を申し上げた。正月二日の登城当日、大目付新庄能登守へ前件の趣を直に伝え、右近将監からの通知と前年の振合どおりに行い、他も先規どおり滞りなく済んだので、委細は近習の帳留へ付け置くよう命じられた経過を報告する。正月三日、佐久間九十九、左中様宛。九十九には留守居・村央の原注がある。宛先は能登守ではなく左中で、能登守は当日の取合に関わる大目付。内談時の届書不要という説明と、その後に名の書付を求められた経過を消さず、願出・付札・当日の実施を別段階として保つ。

登場人物
佐久間九十九(留守居・村央の原注)、左中、太守、松平陸奥守、松平右近将監、御用人松倉左仲、矢野清右衛門、大目付新庄能登守、御同席、近習
宛先
左中様
キーワード
旧臘26松倉内談・参府暇直請済、初年首勤先例取寄、27名書付差出・同席通知、29矢野へ付紙可為此通、正2能登守へ直伝・先規通実施、正3佐久間→左中
追録6-No.1615記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、帰国す

五月十五日、重豪は江戸を発って帰国し、家老島津左中久金、番頭兼側用人島津登久連、側用人兼近習役川上頼母久品、近習役市田勘解由貞英その他の諸役人が従行したと記す。六月二十八日、鹿児島へ帰着し、同日、頴娃左京久喬を江戸へ遣わして帰国の礼を述べ、従来例どおり献物をした。久喬は大家に謁見し、これも先例どおりであったとする。出立、帰着、帰着当日の謝礼使派遣と献物・謁見を続けて記し、献物の品目・数量は記されない。

登場人物
重豪、家老島津左中久金、番頭兼側用人島津登久連、側用人兼近習役川上頼母久品、近習役市田勘解由貞英、頴娃左京久喬、大家(本文の呼称)、諸有司(無名)
宛先
独立宛名記載なし
キーワード
五月十五日江戸発、六月二十八日鹿児島帰着、従行役人、頴娃久喬江戸謝礼使、献物旧例、大家謁見
追録6-No.1665記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、参勤の途次に御鷹の鶴を拝領す

御譜の記事。安永九年庚子春正月九日、重豪は本府を発って江戸へ向かい、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常ら諸司が供奉した。九州の驛路を通り、二十日に豊前大里へ着き、翌日に長州赤間関へ渡り、中国路を取って晦日に備前片上驛へ着いた。先に正月十八日、大樹家治公が宿次奉書をもって御鷹の鶴一隻を重豪へ賜い、月直老中松平右京大夫輝高が家臣矢野清右衛門清香を召して鶴・奉書・宿次証文を託し、新番中島直八利容と中小姓亀澤八兵衛安村を護送に遣わしたと記す。附足軽二人の注がある。利容・安村はその夜に芝邸を発ち、東海道を取って二月朔日に片上驛へ到着し、重豪は同日の客舎で頂戴した。直ちに足軽二人に礼の返書と宿次証文を持たせて江府へ向かわせ、謝恩使の番頭赤松造酒も遣わしたが、当時は大坂にいたとの注がある。十一日に足軽二人が江府へ着き、宿次証文等を芝邸へ届け、留守居が月直老中板倉佐渡守勝清の宅へ行って礼の返書と証文を呈した。利容らは大坂から東海道を通って十二日に江戸芝邸へ着き、孝恭院殿の中陰法事に当たったため、十五日に勝清の邸へ行って趣旨を述べ、連署等を呈したとする。重豪は二月五日に片上驛から大坂へ至り、翌日に枚方筋を取って伏見へ行き、東海道の驛路を通り、十八日に江府の芝邸へ入った。直ちに留守居を勝清へ遣わして参府を報じ、翌十九日には重豪自身が勝清を訪ねて大家の安否を問い、他の老中にも同様に述べた。二十九日、上使阿部豊後守正允が芝邸へ来て労問し、諸老中もそれぞれ礼を述べたという。この年の朝覲が早いのは前年に予め請うたことによるもので、七年の朝覲の例に従ったとする。三月朔日には勝清が留守居を召し、重豪はすでに朝覲しているので賜鶴の礼使は大家へ拝謁するに及ばず、奉書も下されないと伝えたという。正月十八日の宿次奉書による賜鶴と、二月朔日の旅中頂戴、その後の証文返納・謝恩使、二月の参府と三月の礼使取扱いを分けて示す。

登場人物
重豪、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常、大樹家治公、月直老中松平右京大夫輝高、家臣矢野清右衛門清香、新番中島直八利容、中小姓亀澤八兵衛安村、附足軽二人(注)、斎乙の足軽二人、礼使番頭赤松造酒、板倉佐渡守勝清、留守居、孝恭院殿、阿部豊後守正允、諸老中
宛先
記事につき独立宛名なし
キーワード
安永九年正月九日発駕、供奉三役、大里二十赤間関翌日片上晦、正月十八日宿次賜鶴一隻、矢野清香中島利容亀澤安村護送、二月朔片上頂戴、足軽二人斎乙証文、赤松造酒謝恩、十一日十二日江府届、孝恭院中陰十五日勝清、二月五大坂翌枚方伏見十八芝邸十九問候二十九上使、三月朔礼使拝謁不要奉書不降
追録6-No.2632書状旧記雑録暫定版確認度 中

茂姫の近衛家養女縁組の内意と手続を報じ国元からの指図を急ぐ

茂姫の近衛家養女縁組をめぐる幕府の内意と手続を国元へ報告し、重豪の指図を急いで求める。先月二十九日、松平周防守の側用人から面談の依頼があり渋谷五郎右衛門が出向くと、太守の翌朔日登城の予定と近衛家一件の申渡しを内々に知らされる。太守は六つ半時供揃で登城し、御礼後に居残り、竹之御廊下から黒書院へ移って周防守から書付を渡される。内意なので当日の御請・御勤向は不要と聞き退城。幕府も内密に扱うため広い親類への通知は難しい一方、一橋には知らせないと不都合ではないかと佐次右衛門・五郎右衛門が吟味した。周防守に伺って差支えない旨を得、一橋と松平越前守(傍注誠前・重富)へ側用人または留守居を使者として内々に通知する。近衛家との熟談には家老使者を立てる方針を重豪の承知の上で実行し、使者や諸手続の指図を国元から早く飛脚で知らせてほしいとする。二日に五郎右衛門が別紙箇条書で伺ったが、同席の相談も必要な重要事で大奥にも関係するため、周防守も即決できず、未だ指図がない。近衛家は諸太夫を派遣する予定で、熟談・取結後には両家から一緒に表向きの使者を立てる。公辺の手続が済んだ後、京都へ祝物を持参する番頭使者を派遣する案も述べ、具体的指図を早く受けたいとする。春に近衛家へ派遣した橋口与三次の件について、年頭使者として下った諸太夫今大路内蔵権頭が進捗を尋ねたため、今回の内意を与三次から知らせて安心させるよう、御内用掛近習役と京都留守居へ書状で伝える。急飛脚を手配して指図を待っており、御手扣の別紙写・首尾書を添えてまず報告する。六月四日付、島津登と島津伊賀が国元の島津和泉ほか九名に宛てる。

登場人物
島津登(久連)、島津伊賀(久金)、太守(斉宣)、中将(重豪)、御縁女(茂姫)、松平周防守、渋谷五郎右衛門、佐次右衛門、一橋、松平越前守(重富)、橋口与三次、今大路内蔵権頭、近衛家、京都留守居、御内用掛近習役
宛先
島津和泉殿、喜入安房殿、菱刈大炊殿、川上頼母殿、島津仲殿、二階堂主計殿、宮之原主膳殿、市田勘解由殿、関山糺殿
キーワード
茂姫、近衛家、養女縁組、内意、登城、黒書院、親類への通知、一橋、重富、熟談、家老使者、表向き使者、京都、祝物、急飛脚、指図
追録6-No.2660記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪が隠居後初めて座の間・書院・対面所で家臣に接見する

七月七日、重豪は座の間に出て、一門・家老・若年寄・大目付および奥向近習通の諸司に接見した。続いて書院で大身分寄合以上・惣寄合ならびに表方の諸有司に会い、さらに対面所へ出て府下の諸士に接見した。重豪が隠居してから初めて出座してこの礼を行ったため、ここに記すと編者は説明する。小注では、大身分とは寄合以上をいうとしている。

登場人物
島津重豪、一門、家老、若年寄、大目付、奥向近習通の諸司、大身分寄合以上、惣寄合、表方諸有司、府下の諸士
宛先
記事(宛所なし)
キーワード
七月七日、隠居後初出座、接見、座の間、書院、対面所、一門、家老、惣寄合、大身分、府下諸士
追録6-No.2690達書旧記雑録暫定版確認度 高

武家諸法度十五条の遵守と、九月の法度日付・十一月の受渡しを記す

天明七年九月十一日付の武家諸法度十五条を掲げる。文武・忠孝に励み礼儀を正すこと、参勤交替の所定時節を守って供の人数を増やさないこと、人馬・武具を分限に応じて備えることを命じる。新たな城の構築を禁じ、居城の塁・石壁等が壊れた際は奉行所へ届けて指図を受け、櫓・屏・門以下は先規どおり修補する。新規の徒党・誓約、私的関所・新法の津留を禁じ、不慮の事態でもみだりに集まらず持場で指図を待ち、刑罰の場へ役務外の者が出向くことも禁じる。喧嘩・口論・私的争論を慎み、事情があれば奉行所へ届け、争いへの加担や元の主人に差し障りのある者の召抱えを禁じ、百姓の訴えは支配で相談し、滞る場合は評定所で扱う。国主・城主・一万石以上・近習・奉行・物頭の私婚を禁じ、公家との縁組も奉行所の指図を求める。贈答・婚礼・饗応・屋敷造営等は倹約し、無益な道具や私的な奢りを慎み、身分に応じた衣類と乗輿の許可・例外を定める。養子は原則同姓で相応しい者を選び、異姓の場合は由緒を正して在生中に届け、五十歳以上・十七歳以下や末期養子は吟味を受け、実子でも筋目違いの者は認めない。殉死を禁じ、知行所を清廉に治め、道路・駅馬・橋船を無断で滞らせず、荷船以外の大船を禁じる。寺社領を古来の付属どおり保持し、新たな寺社建立は禁じ、やむを得ない事情は奉行所へ届ける。江戸の法度を国元でも守ることと全条の堅守で結ぶ。包紙には武家諸法度一通と記し、十一月十五日に和泉から川上平右衛門へ渡して白木御文書六番箱へ納めた旨を朱書する。

登場人物
国主、城主、一万石以上、近習、奉行、物頭、家中、奉行所、和泉、川上平右衛門
宛先
武家・家中(遵行対象)。写しは和泉から川上平右衛門へ受渡し
キーワード
武家諸法度、十五条、文武忠孝、参勤交替、城修補、徒党禁止、津留、喧嘩、婚姻、倹約、衣類、乗輿、養子、殉死禁止、知行所、寺社領、九月十一日、十一月十五日受渡し
追録7-No.1990書上旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪神田橋邸伺候の節献上品書上

重豪公御譜中に収める、神田橋邸伺候時の献上品と後日の到来品の書上。三月二十七日には御石台・御紙台・御香爐卓・鯛などを御臺様へ献上した。翌二十八日以降、唐織、泛檜重、御塗重、葉子折、右同、徳利、交肴、島越後、嶋越後、八重山細上布、銀子などについて、豊後守、両隠居、右筆、花町殿、御家老や側用人など差出人・取次人を記す。四月朔日・十八日の到来、使者への奉札、近習番頭・小納戸使への答礼も載せる。

登場人物
島津重豪、御臺様、豊後守、両隠居、徳利、近習番頭ほか
宛先
—
キーワード
島津重豪、御臺様、神田橋邸、三月二十七日、三月二十八日、四月朔日、四月十八日、献上品、御石台、御香爐卓、唐織、御塗重、八重山細上布、銀子、使者