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旧記雑録拾遺 著作史料集3の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:1 本田氏関係書上
『本田氏系図』と『秩父氏系図』の記述を対照し、畠山重忠の子重季が本田親恒の猶子となって貞親と改名し、大隅国守護や惣小川村に関わる由緒を記す。続いて貞親・親保(静観)・久兼(兼阿)の生年と文書年紀を照合して世代欠落の可能性を論じ、丹後局の西国下向伝承を検討したうえで、島津忠久の初下向時に貞親が先立って…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:1-1 大田久知書状
島津綱貴代の記録奉行・大田小平次久知が平山勘兵衛へ送った十一月十三日付書状。本田氏元祖について浅羽三右衛門へ問い合わせた結果、所持する伝記はいずれも異説であるとしつつ、始祖を宣化天皇とし、武蔵七党の丹党に属して秩父郡内の本田・榛沢を拠点としたこと、家紋は「田」の字を十字形に配したものと伝える。親経以…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:2 本田氏正統系図
本田氏正統の系図。桓武天皇七代の上総介忠恒につながる祖系から恒親・恒文を経て、親恒・貞親以下の本田氏歴代と諸分流を系線で示す。親恒・貞親の源頼朝・島津忠久への奉仕と大隅国守護、親保(静観)・氏親・親治・忠親・重恒・国親・兼親以下の家督・養子・婚姻を記し、執事・家老・地頭職、宇治川・二俣川・蓑原での戦…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:3 本田久兼流系図
本田家四代貞親の他腹長男・久兼(弥太郎、左近将監、二郎左衛門尉、法名兼阿)を祖とする庶流系図。久兼が島津貞久から感状を受け、足利尊氏・直義からも賞された由緒を掲げ、親尚の忠昌~勝久代の家老職と実久家臣化、兼恒の忠国代平佐での戦功、祁答院重武伝にみえる享禄二年の帖佐・山田・加治木攻防、親資の日当山城攻…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:4 本田重恒流系図
本田氏十代家督・重恒(又二郎、信濃守、法名義翁)を祖とする系図。兄元親から家督を譲られ、島津忠国に仕えて家老となったが、国親の讒訴で家督を奪われ、文安三年の上洛中に清水城を攻略され、のち曽於郡で国親に殺された経緯を記す。後裔について、隅州菱刈院・穂北・伊集院・湯之尾等の地頭職、親貞の養子相続と関ヶ原…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:5 本田市郎左衛門家略系図
本田市郎左衛門家の略系図。清寧天皇から親峯・親正・親満・親定へ続く系線を掲げ、善光を天竺の月蓋長者・聖徳太子の過去世の師とし、難波浦で得た阿弥陀如来を信濃へ奉送したとする善光寺如来縁起を詳記する。続いて薩州出水郡山門院の本田氏について、平氏下向時に近衛家へ参って藤原氏を称したとの伝承、親森(道観)以…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:6 本田親貞流系図
本田氏十二代兼親の二男・親貞(初名親成、又五郎、刑部少輔、因幡守、入道一恕)を祖とする系図。家嫡董親の背命・悪虐をたびたび諫めながら聞き入れられず、守護に属して忠義を守った由緒を記す。後裔では友親の大隅州西原での戦死、盛親の弘治元年岩剣城攻略、親治の加世田地頭と天正六年新納院高城での大友軍との戦死、…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:7 本田親賢流系図
本田氏十二代兼親の三男・親賢(源二郎、兵部少輔)を祖とし、肥駄隼人介の後嗣となった系統。親豊が肥駄氏を去って本田氏に復したこと、親次が永禄九年十月二十六日に三之山で戦死したことを記す。親商は惟新公の加治木在城時の家老で、関ヶ原退去の際に忠志を尽くし、蒲生地頭を務め、慶長十年四月二十日に没した。ほか、…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:8 本田古簾流系図
出自不詳ながら、信濃守重宣の孫・丹波守実親の弟である部左衛門親行の法名ではないかと考証される古簾(道号越岩、異伝では越山永超居士)を祖とする本田氏系図。親尚は日新公に奉仕して戦功を重ね伊集院地頭となり、親吉は日新公・貴久公に仕えて感状を受けた。親貞は兄の死後、太守の命で正嫡を継ぎ、義久の家老、吉田・…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:9 藤原姓鎌田政詮家略系図
鎌田権頭通清の三代の孫・蔵人太夫光政の二男である加賀守政重の流れを引く、鎌田愛大夫政詮家の略系図。島津忠久が源頼朝から薩摩・大隅・日向三州を領するに際し、政重が難波・長野・石塚・福崎氏ら三州の御家人と協議して薩摩へ下向し、五子をまとめて関東へ報告したのち、文治二年八月一日の忠久入国に供奉した由緒を記…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:9-1 鎌田政真和歌
鎌田政真の槿花の奇瑞に伴う朝顔二首の和歌を掲げ、鎌田家系を続記する。政春(治部左衛門尉)の系では、大炊助が島津義久の菱刈院馬越攻略に従い、永禄十年十一月二十三日に軍功を立てて戦死した。政在は嗣子のない大炊助の養子で、実は佐多久越後守の弟とされ、薩摩・大隅・日向三州および肥後・筑後・豊後六州の軍場に従…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:10 鎌田政香家略系図
田布施士・篠原諸左衛門政盛家の庶流にあたる鎌田政香家の略系図。鎌田氏四代清重の二男・篠原清時から十代、篠原政明の二男に発する一流とし、政実は嗣子のない鎌田家へ婿養子として入り、実は上井薫兼の五男で上井覚兼の弟だったと記す。政徳・兼安以下の出生・没年、鬼塚・鎌田・曽木・義岡・伊集院諸家との養子縁組、婚…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:11 宮之原通直家略系図
宮之原主膳通直家の略系図。『宮之原家譜』などを引き、畠山重忠の四男重俊、その子重弘が延応元年八月十一日に日州飫肥の宮之原へ下着し、地名を家号として諸県郡北郷を領したという由緒を掲げる。一方、重氏以前は系譜が欠け、古譜・文献にも確証がないため、伝承する「重」の一字を根拠に重氏を始祖としたとの考証を、明…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:12 惟宗姓市来政方家略系図
市来早左衛門家から分かれた惟宗姓市来左仲政方家の略系図。家保・家利から家政以下へ続く系線を示す。家利は竹内隠岐守の養子となり、家政は父が継いだ竹内家の号・官途を継承したが、嫡家の家尚が島津家久へ訴え、父祖の本氏である市来氏へ復して家尚の庶流となることを許された。家尚は系図を書写して家政へ与えた。助左…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:13 二階堂維遠流系図
二階堂氏元祖とする駿河守従五位下・維遠の流れを示す系図。維遠は長和四年に生まれ、寛治元年の軍忠賞として陸奥国須賀川荘を与えられた。遠江守・駿河守従五位下の維兼は、天喜から寛治にかけて奥州で軍功を挙げ、将軍から軍忠の賞として一引両の紋を賜り、これを家紋としたと記す。維行から白尾三郎行遠・山城守行政へ続…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:14 藤原姓二階堂氏正統系譜
藤原南家から二階堂氏正統へ至る由緒と家譜をまとめた草稿写。天児屋根命・藤原鎌足・武智麻呂以下をたどり、維遠を二階堂氏の元祖とする。維兼について、前九年合戦で安倍頼時を射て軍功を挙げ、源頼義・義家から一引両の紋を賜ったとの家紋由来を記す。行政は源頼朝の政所執事、行村は源実朝の侍所司を務め、和田義盛の乱…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:14-1 東鑑
二階堂維遠流のうち、行光から行次までを『吾妻鏡』の記事と家蔵文書の目録を交えてたどる長編系図。行光の将軍御成・鶴岡八幡宮供奉・上洛使節、元行の和田義盛の乱での戦功と相模国懐島殿原郷・三河国重原荘の地頭職、行氏・行景の所領相続と幕府下文を記す。泰行については蒙古襲来への警固命令を受け、忍照尼の判断と久…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:14-2 田布施金蔵院旧記
二階堂氏正統系譜の近世部分。行次の記事を受け、行治・行存の代に田布施の封邑と家勢が衰えたことを記し、定行が寛永十五年に島原の乱へ従軍した経歴へ続く。養子として正統を継いだ行格は、古系図・伝来文書を島津光久へ提出し、家の由緒を認められて寛文四年に田布施から鹿児島府下へ移住した。島津綱貴から扶助米を受け…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:15 二階堂行重流系図
二階堂氏正統十一代行雄の三男・行重を祖とする庶流系図。行隆・行義・行秀・行恒らの分岐を示したのち、行廣が島津義弘に仕えて厩別当を務め、朝鮮出兵・庄内の乱・関ヶ原合戦に従軍した事績を記す。行朋は島津綱貴から叶結紋と風車花の替紋、新恩地五百石を受け、久志秋目地頭となり、綱貴の御成と常盤木谷命名・御歌拝領…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:16 二階堂氏系譜抄
二階堂行光の後裔・支流を諸系譜から抄録した考証。行盛・行忠・行宗・行貞・行廣を経る系統では、六郷道行が徳川家康に仕えて出羽国仙北郡六郷に住み、六郷氏へ改姓したこと、六郷政壽が慶長五年の上杉景勝挙兵時に家康方へ忠節を尽くし、常陸国府中・出羽国由利郡本荘の城主となった経緯を記す。別支流では石谷政清が遠江…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17 源姓松崎氏系図
『諸家系図 二』所収の松崎氏関係史料群を開く中表紙。『松崎采女貞悦家之系図』と記し、次の17-1以下に続く松崎氏系図と家蔵文書のまとまりを示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-1 〔天保五年〕七月廿四日伊地知季安覚書
天保五年七月二十四日、伊地知季安が松崎采女貞悦の自撰系図を整理・書写した覚書と系図。原系図は貞悦が延宝四年九月から同五年十二月まで、山田聖栄の自記二冊をもとに作成し、延宝二年までの記事を収めたものと説明する。季安は横長の小冊をいったん解体して順番を付け、本来の形へ継ぎ直した。系図本文は輪の内違鷹羽紋…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-2 文禄五年三月十七日伊集院幸侃領知目録
伊集院右衛門入道幸侃が松崎采女正へ与えた文禄五年三月十七日付の加増知行目録。大隅国桑原郡稲葉崎村で諸侍への配分後に門割した余分から九石、これとは別に姫城村で一石、合計十石を加増として与える。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-3 文禄五年十二月二日伊集院幸侃判領知目録
文禄五年十二月二日、伊集院右衛門入道幸侃が松崎采女正へ与えた領知目録。薩摩国伊佐郡大口のうち北柿原村五十石、栗野稲葉崎村九石、曽於郡姫城村一石、合計六十石を記し、このうち五十九石を加増とする。続く経歴記事は、松崎采女正が慶長二年に島津義久の上洛へ供奉して伏見で眼鏡を拝領し、慶長十年の国分移居に伴って…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-4 国分衆中高帳抄
国分から移された衆中の高を記す国分衆中高帳の抄録。松崎杢右入道について高七十石四升五合を掲げる。左端の小字頭注には判読不能箇所があり、編者は一部を『門付免カ』と推定している。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-5 元和六年二月廿七日国分衆中高帳抄
龍伯の代の国分衆中高帳から、松崎杢右衛門の高七十石四升五合を元和六年二月二十七日付で記す抄録。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-6 鹿児府衆中高究之帳抄
鹿児府衆中高究之帳から松崎杢右衛門入道の高七十五石を掲げ、同人と後継の貞綱の家歴を続記する。慶長十八年の江戸質開始に、杢右衛門入道は島津義弘の姫の上洛代官として役人十人を伴い、六月二十四日に鹿児島を出発し、十一月十六日に江戸桜田屋敷へ入った。四年間勤め、本文に『元和元年丙辰(ママ)』とある四月に暇を…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-7 寛永九年高帳抄
寛永九年高帳から松崎喜右衛門の百石を掲げ、松崎貞盛と貞悦の家歴を続記する。貞盛は文禄四年四月朔日生まれで、寛永九年に島津家久の上洛へ供奉し、同十二年七月二十六日に四十一歳で没して法名を風山秋月とした。貞悦は慶長十七年六月二日生まれで、十三歳で家久に御目見し采女に任じられ、寛永九年から同十一年まで上洛…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-8 寛永十三年九月鹿児島衆中屋敷検地帳抄
寛永十三年九月の鹿児島衆中屋敷帳から、松崎采女正について『下屋鋪四せ』『下々屋敷四せ廿三分』と記す抄録。続いて松崎貞悦の慶安五年以降の奉公歴を掲げる。慶安五年に上洛を命じられて三月六日に鹿児島を立ち、四月二十五日に江戸へ着いた。承応二年には琉球からの将軍継目祝使である国頭王子に関わり、島津光久に召し…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-9 鹿児島衆中万治高帳抄
万治二年己亥の鹿児島衆中高帳から、松崎采女殿の高七十三石三斗を抄出した記事。『高』に続く一字は原刊で黒く潰れ、編者が『直カ』と傍注する。本文注は本件を『旧記雑録追録一』859号文書の抄と推定する。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:18 矢上氏系図抄
『慶応四年戊辰三月写終 伊地知季通 藤原姓長谷場氏系図』とする中表紙・冒頭系図に続く、矢上氏の短い系図抄。冒頭系図には貞満・貞国と五郎左衛門、助七、喜右衛門らを配し、貞満を中村勘解由左衛門義康の三男と記して、郡奉行・御書物奉行・公事奉行の官歴を添える。印刷番号18の本体は矢上五郎時澄から沙弥阿妙・阿…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:19 藤原姓長谷場氏系図
藤原鎌足・冬嗣から長良・良房・基経らを経て長谷場氏へ至る祖系と、薩摩・大隅・日向に展開した諸流を記す長大な系図。鹿児島郡司・弁済使・取納使、東福寺城・市来城・飫肥・櫛間・有馬等の所領・城地、建武期の足利尊氏による安堵、島津元久への東福寺城・長谷場屋敷の引渡しと清水移居、福昌寺創建、市来移住などを叙述…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:20 藤原姓平岡氏系図
藤原北家の日野流から平岡氏へ至る系図。藤原鎌足五代の内麿、真夏・冬嗣・閑雄以下を配し、日野・広橋・柳原の祖系を経て、義純が康平五年の安倍貞任・宗任追討に従軍した功で河内国平岡郷を賜り、富士から平岡を称したとする。義陳は保元の乱で源為義方、義真は平治の乱で藤原信頼・源義朝方となった経緯を記す。義養・義…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:20-1 後奈良天皇口宣案
冒頭に弘治二年十月五日付の後奈良天皇口宣案を掲げ、権大僧都省釣(肝付兼続)を法印へ転任させる。上卿は中山大納言、奉者は蔵人頭左大弁頼房で、『家わけ二』肝付文書一七号と同文である。続いて前文書からつながる平岡氏系譜を収める。平岡義理は天正元年に日向国住吉原で北郷時久・相久・忠虎らとの合戦に討死し、義光…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:21 伴姓萩原家来歴
伴姓萩原家の祖系と下向由緒を記す導入系図。天智天皇について、推古三十五年誕生、舒明天皇の皇子・中大兄皇子、母は皇極天皇、即位・崩御・近江志賀大津宮・大安寺造営・藤原鎌足薨去などを記し、大友皇子と斯喜王子から光仁・桓武・嵯峨・光孝・宇多・醍醐の諸帝へ系線を引く。別伝として伊賀皇子、黒主王、葛野皇子・池…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:21-1 神名書上
冒頭に大原・平野・住吉三社を御姓神として本地仏と祖先下向以来の守護祈願を掲げ、兼経以下の肝付・萩原諸流を展開する神名書上兼系図。中世部では兼元の応永十七年島津元久上洛供奉・足利義持拝謁・河内守任官・加治木陣没、萩原城・萩原館・萩原庄主、高崇寺・帝釈寺などを記す。近世部では兼隆・兼義の川辺から加世田へ…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-1 伴姓肝付氏庶流系図
舒明天皇・天智天皇・大友皇子を起点に伴姓の祖系を示し、兼経・兼益以下の肝付氏と庶流を配する系図。萩原・救仁郷・安楽・検見崎・北原・和泉・岸良・野崎・川南・鹿屋・小野口・山下など各氏の分出を明記する。兼尚が鎌倉在府中、兼重が留守・番代を務め、その子秋兼が兼尚の養子となって嫡家を相続した経緯を載せる。後…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-2 源盛富段書
肝付氏嫡流古系図の巻頭を掲げて当流の出自伝承を説明する、天明七年正月吉祥日付の源盛富段書。河内守兼続入道省釣の致仕後、豊前守兼隆の弟・治右衛門尉兼清を鼻祖とする伝承を示す。ただし古系図には兼隆・兼清を確認できず、年代が隔たり徴すべき文献もないため系線を接続できないと判断し、兼清を肇祖として後代の再撰…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-3 肝付兼清流系図
兼清治右衛門を起点とする肝付氏庶流系図。兼清は没年月・法名不詳とし、志布志士永山主計の二男兼陳を嗣子がないため養子に迎えたことを記す。兼陳は慶長二年生、万治三年没・六十四歳、法名亭月陳長上坐。兼林・兼高以下についても、寛永・明暦・寛文・天和・宝永・享保・宝暦・明和期の出生・没年、法名、母方を列記する…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-4 神名書上
肝付氏系図に付属する神名・法名の書上。書付のある掛物を盆に一度掛けて妙鏡禅定尼らを祭ったとの伝承を冒頭に記し、日窓禅定尼、節宗正忠大姉、如山宗意上坐、才安泰俊大禅定門、月浦省釣法印、昌山久公大禅定門、竹雲常林禅定門、玉室妙金大姉など一族・関係者の法名を列挙する。霜月十五日、四月十八日、八月十日・十八…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:23-1 禰占氏略系図
中表紙『禰占氏略系』に続く禰占氏の家伝・系図。上祖未詳の兵右衛門が十八歳で忠政君に出仕を求め、府下の士となって与力を命じられたこと、寛永十二年の戸口改め後も家臣・与力として扱われ、田宅と廩米を与えられた由緒を記す。四郎兵衛は辺川へ移住したが火災で系図を失い、普請方役人として光樹君に仕えた。仁左衛門は…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:23-2 禰占氏法名書上
明和二年九月晦日付の別紙として伝わる禰占氏法名書上。白峰了雲居士、宝山大珎大姉、道岳昌久居士、快翁一慶居士、雲庵洞麟大姉、白林秋雲大姉、宝隣善室大姉、隆光意温居士、月窓妙寿大姉などの法名と没年月日を、禰占四郎兵衛・仙次郎・四郎次・休八らとの父母・子・妻・妹等の続柄に対応させる。後半は秋月妙光大姉、花…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:24 床波氏系図
床波佐次右衛門を起点に、嘉左衛門以下の床波氏諸流を配した系図。佐次右衛門は元禄三年生・安永四年五月没、嘉左衛門は享保元年生で、助兵衛を養子とし、女子は久木田覚助に嫁いだことを記す。兵次郎は次右衛門へ、与助は武右衛門へ、正助は勘介から、権左衛門は佐次右衛門へ、権助は清右衛門へ改名した。仁兵衛が兄次右衛…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:25 伊地知季昭家系図
『系図 写 伊地知唯右衛門季昭』と題する中表紙に続く伊地知季昭家系図の冒頭断片。九代重豊の五男を山城守とし、出家後の入道名を伊白と記す一枝のみを掲げる。次の25-1証文・付属系図へつながる伊地知氏系譜群の導入である。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:25-1 伊地知将興証文
元文四年三月二十四日、秩父十郎右衛門将興が伊地知真学へ出した証文。雅楽助に実子がなく断絶した家の名跡について、願いにより相続・系譜への編入を許可する。渕之上家は当方と由緒があるため、伊地知へ改姓する件も別紙で差し出したと記す。続いて山城守・主税助・丹後守・雅楽助・渕之上清右衛門以下の系図を掲げ、妻の…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:26 平姓薩摩氏吉富系図
『吉富氏系図写』の中表紙に続き、頴娃三郎忠長の六男・薩摩六郎忠直を祖として、薩摩氏吉富流の諸家を近世後期まで展開する系図。薩摩郡本地頭、串木野若松・吉富名・羽島などの知行、加世田城・日州飯野・関ヶ原・目白坂等での軍役と戦死、朝鮮出兵・琉球渡海、加治木・帖佐・平松・蒲生・高岡への移住と奉公を記す。各代…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:27 税所氏系図
『税所氏系図 大隅曽於郡系図』と題し、光孝天皇―宇多法皇―敦実親王―篤房以下を祖系として税所氏諸流を展開する系図。篤房流が天暦九年に藤原姓を給わったとの伝承、治安元年の大隅国曽於への配流、曽於御館・坂上御館を起点とする家系を記す。税所職、押領使職、大隅国大介・国大専当、曽於郡司、止上大宮司、惣検校、…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:28 島津龍伯儀証状
天正十八年六月十五日、島津義久(龍伯)が税所越前守へ与えた証状。税所越前守が当家への忠勤を尽くす心底を明らかにし、二度にわたる神載(神判・誓約に関わる表現)を頼もしく思うとして、その子細を賞し、今後も怠りなく忠勤することが肝要であると申し渡す。末尾に龍伯の花押を据え、右御包紙にも『税所越前守殿 龍伯…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:29 島津龍伯覚書状
六月一日、島津義久(龍伯)が兵庫頭へ送った覚書状。萩原寺が兵庫頭のもとへ赴くと聞き、現地での談合を求める一方、石田殿から直接、諸事を幸侃(町田久倍)が分別するよう命じられているため、別人との談合は不都合だと注意する。幸侃が存松・税所越入を通じ、談議所寺中で捕縛された科人の件を申し出たこと、萩原寺が京…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:30 久保氏見聞秘記
『久保氏見聞秘記』から長崎警固の沿革を抄出した記事。寛永十八年までは長崎奉行のみで大番がなかったが、同年、筑前福岡城主黒田右衛門佐忠元が異国警固と西辺防護の任を初めて願い出て許可され、翌年には肥前佐賀城主鍋島氏も同職を願い出たため、以後両家が交替で長崎を警固したと記す。正保四年には当番でない年にも加…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:31 田代氏系図
平清盛―重盛の流れを掲げ、資盛・維盛以下から実盛、国盛、時盛、兼盛、道清らを経て田代氏諸流へ展開する系図。時盛の代に当国へ下り、野上田・百引を知行し、源氏へ改姓して建部を称したとの伝承、兼盛が田代を号したこと、野峯崎・串良院の知行、宝光寺建立、高隈知行などを記す。宗次郎らの官途、島津忠昌・勝久期の加…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:32 梶原左近尉系図
梶原左衛門景時の二男景高を祖とし、景純以下、純家・兼純・滋純・信純・義純・重純・政純・元純・氏純・房純・成純・尚純らへ続く梶原左近尉家の系図。滋純が北条弥次郎を号して日置に住み、建武元年に下大隅へ入ったこと、信純が応安五年の日州合戦で御旗の役を務めたこと、政純が島津久豊の東福寺城で重代の太刀を守る番…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:33 梶原景久流系図
『上世略』として梶原太郎を号した景久から景長へつなぎ、景時・景季・景高・景茂らの諸流を展開する梶原景久流系図。景久流と、兼純・滋純・助純・信純・義純・重純・政純らの系線を掲げ、北原弥次郎の称号、薩摩国日置、鹿児島城・別府での討死、官途・法名・嫡子・次男・養子関係を記す。吉田上村、島津式部亮、三俣中野…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:34 梶原孝純流系図
『梶原家嫡 主計』と掲げ、孝純(主計)以下の諸流を簡略に示す梶原孝純流系図。孝純から六男景信(勘解由)、景茂(左衛門)へ続く系線、景氏(右衛門)から景家・景安(左衛門)へ続く系線、景孝(孫次郎・主水)から景房(孫次郎)、景貞(孫次郎・喜右衛門)へ続く系線、および景治(孫太郎・主水)を掲げる。景氏には…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:35 海江田氏系図
紀内親王を祖とし、日下部氏を称し、海江田氏へつながる系図。阿多の征伐時に但馬国木崎郡八千町を賜ったこと、子孫が将軍に供奉して薩摩郡を給されたこと、清原天神との関係を由緒として記す。信種・信春以下の多数の支流を系線で示し、信種を二男とする注記、信家・信重、信春・信亮・信行・信実・信道、信定・信秋・信光…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:36 讃良重貞流系図
川越太郎重頼の三男重員を起点とし、重輔・重貞以下へ続く讃良氏の系図。重貞は修理亮を称し、河内国讃良郡を領したため讃良を号したと由緒を記す。貞與・重矩・重治、重純・重賢・重年、重寛・重朝・重高などの分流を示し、大膳亮・刑部太輔・土佐守・兵衛などの官途を添える。後半は重喬以下、貞盈・貞喬・貞能・貞敦・貞…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:37 相良氏系図
佐近・頼安以下の相良氏系図と、清兵衛頼兄・喜平次父子を中心とする家伝。清兵衛は永禄十一年に球磨で生まれ、相良の本姓へ復した。慶長五年、福原右馬助が主取となる濃州大垣城に熊谷内蔵之助・木村宗右衛門・垣見和泉守・相良宮内頼房・高橋右近・秋月長門守らと籠城したが、秋月・高橋・相良は関東方へ赦免時の返忠を申…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:38 永山休兵衛家系図
足利義昭―義尋を起点とし、義尊・常尊・義在以下へつなぐ永山休兵衛家系図。義尋は南都大乗院門首で、義尊・常尊の母は播磨人古市胤栄の娘とする。母は義尋との間に二子を生んだため南都に住めず、京都に居て高山を号し、のち後陽成天皇に仕えて三位局と称し、道晃法親王を生んだため、先の二子も天皇の子分とされ帝王系図…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:39 仁礼覚左衛門家系図
文徳天皇―惟喬親王を祖とし、建守親王・康和親王・正明親王・仁礼親王から惟貞・頼明以下へつなぐ仁礼覚左衛門家の系図。惟喬親王は木原王子・小野宮を号し、惟貞は正三位修理大夫で初めて藤原姓を賜ったとする。伴善男の後裔について、善男が宇多天皇の勅を奉じ薩摩・大隅・日向三州の長吏として寛平元年に下向したこと、…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:40 江田源助家系図
小野太郎家綱を起点とする江田源助家の系図。家綱は文治三年、源頼朝が惣追捕使として諸国の国人を御家人に補した時に日置地頭となり、島津忠久の命により内裏大番を勤めた。家重は父の譲りを受け日置を領し、京都大番・筥崎警固に従事した。家長は兄に男子がないため跡を継ぎ日置を領して大田を号し、家氏は大田を退いて江…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:41 国分氏系図
『国分平八郎家系図』と題し、八文字紋を掲げる国分氏の系図。康友は兼宗大納言知国の四男とされ、鹿児島大夫・新田宮・鹿児島藤内・左馬允・大夫判官・薩摩国司などの称を伴い、島津忠久の猶子となった由緒を記す。定友以下の諸系線を展開し、友久は国分左衛門尉を号し、頭注に執印康友三男の鹿児島四郎友家を平野氏祖とす…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:42 入田氏系図
大友氏四代因幡守親時の二男泰親を祖とする入田氏系図。泰親は入田次郎を号し、因幡守・兵庫頭、のち秀直、初名松屋とし、豊後南郡を領して入田城に居住したという。氏綱・氏朝・親忠・氏廣・親廣・親廉へ続く系線と治部少輔・因幡守・豊後守・大膳大夫・修理亮・丹後守・出羽守などの官途を掲げ、氏綱を正和年間生、氏朝の…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:43 菱刈氏略系図
菱刈氏嫡家十二代の家督重時から始まる略系図。重時を左兵衛佐、重衆を右兵衛佐とし、女子が肥州阿蘇惟永、島津出羽守忠明、相良伊勢守長皎へ嫁いだ婚姻関係を示す。重副は大和守で両院を知行し嫡家を継いだ。重政は次郎・伊勢守を称し、父重時の命で大口地頭職に補され大口に在城、法名を徳翁道盛居士とする。重根は兵庫頭…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:43-1 三原重秋外二名連署書状・菱刈一族並他門交名注文
二つの文書と菱刈氏系譜記事を現行一件に収める。第一は十二月二十日付で、伊集院忠金・川上忠克(意釣)・三原重秋が新納忠元へ送った連署状。菱刈四郎が曽木を差し上げた後も在所が定まらないため、従前の奉公に報いて花北一所を与え、追って加扶持する上意を伝える。続く隆豊の伝記は、文禄元年に島津義弘・久保に従って…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:44 野村氏系図
佐々木氏元祖式部大夫成頼の後裔とする野村氏系図。盛綱は佐々木三郎ともいい、仁安元年に藤九郎盛長の加冠を受けたため盛綱と号し、加治三郎左衛門尉を称した。源頼朝に仕えて功を立て、出家して西念を号したという。弟の加治太郎信実や、建仁年間に戦死した小三郎盛秀以下、久綱・実季・実綱・長綱等の諸系線を掲げる。盛…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:45 日奉姓小川氏系図
日奉姓の小川氏を日野宰相宗頼の末流とする系図。宗頼の流れが武蔵国へ移り、武蔵国内の西小川に居住したため小川を号したと由緒を記す。小川小太郎季能は宇治合戦の功によって甑島を与えられ、季直は甑島へ下向した。季有―季久―公季、久季―高季―久季、公季―季安―忠季、有季―尚常などの系線を掲げ、遠江守・前美濃守…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:46 肥後氏系図
種子島氏と同じく藤原氏の跡を継ぐとする肥後氏系図。信基・信家・正信・信盛・正盛以下の系線を掲げ、信家には文永二年の切腹記事を付す。盛武は建久六年に大隅国守護代となり、先に日州穂北へ下着して一時居住した後、島津忠久に従って薩摩へ下り、東福寺城取懸を命じられ、下大隅九十五町を与えられたとする。信盛の代に…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:47 那須五左衛門家系図
那須五左衛門家の系図。那須氏祖を頼賢(為義四男)とし、為信を備中守行家の一男、宗高を八島で扇の的を射た与市とする。宗治は文治二年に島津忠久の薩州下向に先陣して日向国臼杵郡に住したといい、義祐は楠正成に従って北条高時・大仏貞直方と戦い、河内国千剣破城で戦死した。元祐は応永四年、筑後国上妻で菊池武政方と…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:48 餅原氏系図
餅原氏の短い系図。政公以下、長門守・摂津守・駿河守および法名玄良を称した山城守・四郎左衛門の系線を掲げ、周防介から惟利へ続ける。後半では、家嫡宗能の嫡子で無子のため惣領職となった肥前守惟之、惟延―肥前守惟清―兵部惟興、大隅守を称して戦死した人物から庄内で戦死した与四郎・平右衛門惟元へ続く系線を記す。…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:49 黒田氏系図
黒田氏の簡略系図。義清の長男宗満が筑前黒田を領し、その三男頼満は黒田四郎五郎と号して初めて薩州へ下り、島津貞久に仕えたとする。頼房―頼秀の系線、隈城合戦で功のあった主水頼長から太郎兵衛頼重へ続く系線、越中守頼広から二郎七・佐渡を称した頼季と越中守頼宗へ続く系線、久右衛門頼定から名の後字を欠く太郎次へ…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:50 橘姓東山藤崎系図
橘諸兄の末流とする東山藤崎氏の系図。小四郎公紀は従五位下美濃守で藤崎を号し、鎌倉合戦では宮方として新田陣に加わり、初めて薩州へ下って向島および諸所を領したとする。公辰(美濃守・橘次)―公明(備前・小四郎)―公兼(肥前守・平六兵衛)の系線、公範(豊前守・小四郎)―公行(善六左衛門・但馬守・小四郎)―公…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:51 有馬次右衛門系図
有馬次右衛門家の系図。先祖は摂津国有馬を領したとし、純長から純衣へ続ける。伊与守純衣は文治二年に島津忠久に従って薩州へ下った。後続の諸系線として、伯耆守純幸―石見守純門―左衛門太夫純国、豊前守純満―日向守純尊―次郎左衛門純恒、対馬守純行―大和守純森―三河守純文、兵部太夫純柄―対馬守純守―主計助純武、…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:52 肥後庄右衛門系図
肥後庄右衛門家の系図。清盛の二男基盛の末孫とする六郎左衛門信等を掲げ、信家には『肥後守信基三男』とする異伝注を付し、正信へ続ける。六郎左衛門信盛―中務少輔正盛―大和守盛久の系線では、応安六年に日州で戦死したことを記す。ほかに時盛、氏盛―盛家―長盛、盛寿―盛次―盛昌の系線を掲げ、盛昌は天正六年の大友合…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:53 村田氏系図
村田氏系図。藤原鎌足十二世の中関白道隆から七世の孫に当たる菊池領主兵藤四郎経頼の五男・経秀が村田五郎を号し、肥前村田庄地頭職を得たことを起点とする。経秀―秀朝―秀重、秀房―秀俊―武貞、秀家―秀永―秀保の系線を掲げる。如秀(異本『厳』)は師阿闍梨として薩州へ下り、功により肥前村田庄地頭職を賜り、経種へ…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:54 三原氏系図
三原氏の系図。大職冠流の遠江守経重の男・経義から経俊へ続け、経義を三原兵部太夫とする一方、菊池領主将監則隆の三男または太郎経隆の四男とする異説も掲げる。後醍醐天皇から三原城を与えられた経俊が筑後国三原城に居住して氏としたと記すが、元弘・建武期の人物とすれば世代数が長すぎるとの考証注を付す。経重・為重…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:55 鮫島宗家流系図
鮫島宗家流の系図。工藤四郎家光の子・宗家(鮫島四郎)が駿河国鮫島郷を領し、源頼朝に属して石橋山合戦で功を挙げ、建久三年に薩州阿多地頭職を与えられたことを起点とする。宗家・長家と女子・山門郡司秀忠の婚姻関係を図示し、その系譜説には宗家と秀忠が同時代人であることから誤りであろうとの考証注を付す。二代家高…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:56 高城氏系図
高城氏の系図。初代重貞は落合六郎を称して高城を号し、承久の乱に宇治川で戦死したと記す。二代重秀(太郎二郎)から、三代重郷(河内守)、四代重藤(太郎)、五代重雄(小太郎・下総守)、六代義重(六郎太郎)、七代重豊(越後守)、八代重令(越後守)へ続ける。後半は九代重継(小太郎・下総守)、実弟との注を伴う十…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:57 田部姓土持氏系図
田部姓土持氏の系図。十九代反正天皇(諱瑞歯別)と高部王子を掲げ、武城王―野髪王―直彦宿祢の系線を置く。鳥養(異本は『馬』)の条に田部姓を初めて賜り、宇佐八幡の惣弁官となった由緒を記し、吾津麿―連国―連方、連景―景文―信連―信増、信春―信行―信勝―信親などの諸系線を示す。信厳―信郷―則綱の系では、則綱…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:58 伊東作太夫家系図
伊東作太夫家の系図。祐康は井尻を号し源兵衛を称し、祐能は孫右衛門として伊作久逸に仕え、加世田で戦死したと記す。傍注はその時を久逸が戦死した明応九年庚申十一月十一日であろうとする。祐秀は四郎左衛門で間瀬川に戦死。祐貞は伊賀守として日新公に仕え、天文七年戊戌に日州日知屋へ移って地頭となった。別系の祐盛は…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:59 伊東権角家系図
伊東権角家の系図。曾我大臣の末孫・曾我兵部祐清の二男とする祐泰を祖とし、祐泰は井尻を号して八郎右衛門・七郎次郎を称した。祐貞(七郎右衛門・八郎次郎)から、祐徳(権之介・七郎右衛門)、祐守(九郎次郎・佐渡)、祐俊(八郎右衛門・早左衛門)へ続け、別系に祐元(九郎次郎・佐渡守)、祐宗(九郎次郎・佐渡守)、…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:60 伊東才蔵家系図
伊東才蔵家の系図。伊東加賀守から右衛門へ続き、右衛門は実は加賀守の弟で、兄の猶子となり、加賀守とともに木崎原で戦死したと記す。次左衛門の後裔は佐土原没落時に浪人となり、のち伊集院忠真に属し、忠真下城後は指宿に居住、その後加治木へ至って惟新公に仕え、知行を与えられた。別系の仙右衛門―志摩助の後裔は光久…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:61 浄楽院系図
浄楽院に関わる諸系統の系図。満市は満諸院を号し、その十八世に当たる系統は島津忠久に従って薩州へ下り、宝山検校は伊作に住したと記す。十一代常慶院から寿長院へ続き、寿長院は俗姓渕脇氏で日新公に功があった。家村氏の大光院は島津貴久に仕えて功があり、『三ケ国家督』を給わったとする。長倉氏の常徳院は島津家久に…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:62 大前氏東郷斧渕氏系図
薩摩国在国司・大前氏東郷斧渕氏の系図。敏達天皇の後胤・橘諸兄の苗裔とし、道胤は幼名菊王丸、東郷弾正少弼・左衛門尉、西前寺殿、法名慈寛を称し、東郷城に居住、建久九年に上洛して内裏大番を勤めた。道武は菊寿丸・兵衛尉・武蔵守、西前寺殿、慈光で、妻を山門院郡司秀忠の女とする。道義は平太郎・蔵人・弾正少弼・摂…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:63 藤原姓菊地氏系図
冒頭に『大河平系図ニハ』として、冬嗣以下の長良・良房・良相・基経の系線と養子関係に関する異伝を掲げ、続いて『藤原氏菊地系図』を展開する。天津児屋根命二十一世の藤原鎌足から、不比等・房前・真楯・内麻呂・冬嗣・良房・基経・忠平・師輔・兼家・道隆・隆家へ至る祖系を、官位・贈位・諡号・没年とともに記す。隆家…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:64 藤原姓相良氏系図
『藤原姓相良氏』と題し、入来家士・種田小仲蔵に伝わった相良氏系図。藤原南家の武智麻呂から乙麻呂・是公・雄友へ続く祖系と、弟阿・高扶・兼輔の系、維義・為憲以下の工藤氏系統を示す。為憲を工藤と号した遠江権介とし、時理・維景・時信ら駿河守の系を経て、維職を伊豆国押領使で工藤・伊東・林・狩野等の先祖とする。…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:65 大河平家系図
菊池則隆の二男政隆を祖とし、隆基・隆季・隆房・基宗へ続く大河平氏の系図。基宗の子女から基寄・経助・経遠、佐野氏・八代氏との婚姻を分け、隆俊―俊房、光隆―隆行・隆光、隆綱―隆氏―隆章・隆親などの系線を掲げる。後段では隆助―隆慶―隆連―隆貞、隆秀―隆屋・顕隆、隆充―隆利―隆次―隆俊・隆堅などの諸流を示し…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:66 古加治木家系図
入来家士・東郷善兵衛所蔵の古加治木家系図。藤原鎌足後胤とする忠平から実頼・頼忠へ遡り、一条院寛弘三年に経遠・顕経・経平の三人がそれぞれ肥後国菊池、駿河国池上、大隅国加治木郷へ配流されたとの由緒を記す。加治木へ来た経平は、男子のなかった本領主大蔵良長の後家方に迎えられ、その娘と婚姻し、春日大明神を氏社…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:67 莫根氏系図
巻末目録では『莫根氏系図』、本文見出しでは『莫根系図』とする系図。平良文(村岡五郎・従五位下)から忠朝・孝輔・貞道へ続き、貞道を伊作平三、源頼光四天王の一人と記す。貞言・貞元・季基・為賢、兼輔・兼重・季兼・良忠、成道・兼時、成兼以下の諸系線を展開し、河崎・神崎・山口・浜田・樋脇などの名字・居所、官途…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:68 高木氏系図
巻末目録では『高木氏系図』、本文見出しでは『高木系図』とする系図。大職冠十三代の藤原隆家から、経輔(堤藤大納言)・文時(藤中納言)へ続き、文時が大宰府へ流され、屋敷馬場の高木陣に居住したとの由緒を記す。政則は筑前国山鹿へ流されたとし、季平・実遠を経て、日向国高木に住む恒貞以下、守光・貞兼、末兼・末忠…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:69 紀姓宮里氏系図
孝元天皇を起点に武内宿禰・応神天皇・醍醐天皇を掲げ、紀道元・紀友則・紀貫之、紀古佐美らを経て紀姓宮里氏へつなぐ系図。正信は紀四郎太郎として初めて宮里郷を領し『御公事足六十町』、正家は紀太夫・郡司で宮里を号し『御公事足四十町』と記す。正氏・正行・正有ら郡司の系を掲げ、正有を足利尊氏将軍の時代と注記する…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:70 祢寝山城坊女子系図
祢寝山城坊の女子から亀山又兵衛妻へ至る関係と、岡村伊織家の由緒を記す系図・由緒書。女子は近衛信輔公の側に召し置かれ、上京に供奉したのち、岡村伊織との縁組を命じられたとする。伊織は元和元年に豊臣秀頼方へ味方し、落城後は牢人として籠居したが、のち松平下総守に召し仕えた。伊織の子は十六歳の時、国許にいた母…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:71 伊東清左衛門流系図
伊東清左衛門から伊東休意へ続く短い系図。清左衛門は初めて伊東家へ参じたといい、休意は七条大仏師康厳の弟子となった仏師で、傍注に『子鉄孫鉄』と記される。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:72 祢寝元就流系図
祢寝式部大輔元就から祢寝駿河頼治へ続き、喜蔵重頼・覚内重昌、覚兵衛重好・平左衛門重貞・甚兵衛らの系線を示す。覚内重昌は吉利で死去し、覚兵衛重好は祢寝氏の称を避けて栗川口氏を名乗ったと記す一方、末尾の甚兵衛には祢寝氏へ復称したかとの考証注を付す。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:73 古佐多系図
平清盛―重盛―資盛を祖系とし、実盛・国盛、時盛、存盛・兼盛以下へ続く古佐多氏の系図。時盛は伊豆守・野上田・伊予坊と記され、百引知行のため初めて当国へ下向して建部へ改姓したとする。存盛は父から佐多を譲られて佐多を号し、成盛は田代を譲られて田代二郎、さらに祢寝三郎を号して祢寝院を領した。久秀は宇治川で戦…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:74 有川與左衛門流系図
有川與左衛門の奉公歴と後裔を記す系図。與左衛門は飯野から栗野・帖佐・加治木の諸所へ供奉して御香番を勤め、のち鹿児島へ召し移された。正保四年の王子ヶ原大追物では、新納小右衛門と二人で御普請奉行を命じられた。後裔として有川幸右衛門・泉阿・與左衛門・清兵衛を掲げ、末尾に「兄之養子」との注記を付す。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:75 西俣代々系図
清和天皇―貞純親王―源経基―満仲以下の清和源氏祖系から、頼光・頼信・頼義・義家らを経て西俣氏へ至る系図。祖先が島津忠久に頼まれて薩摩国満家院に住み、三子をもうけた後に信濃へ帰国し、子の重賢(入道栄尊)が母方の私領を知行したとする。重賢の母方は満家院郡司大蔵氏永平の娘菩薩房で、満家院郡司職は関東下文・…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:76-1 源家西俣氏系図
比志島元祖上総介重賢(入道法橋栄尊)の二男盛忠を祖とし、重賢から譲られた薩摩国満家院内西俣名主職を後裔が相伝した源家西俣氏の系図。久盛・義時の筑前笠崎異国番、義定への貞和四年道鑑公御書、義光への応永十八年久豊公御書など、名主職・所領・軍役を証する文書の伝来先も記す。義村に実子がなかったため蒲生彦太郎…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:76-2 宝永三年九月廿三日西俣数馬届書
宝永三年九月二十三日、西俣数馬が比志島平右衛門へ、元祖以来判明している自家の由緒・家伝と庶流までを書き上げた系図資料を御記録所へ提出するよう依頼した届書。元禄七年冬にも系図御方へ提出していたが、このたびの再撰に際して改めて記して差し出すと述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:77 二階堂氏系図
二十六代二階堂行智(初名行孝、改行充、称新十郎・主計・河内)を中心に、寛政三年の父行且没後の家督相続から、島津家での側役・近習・供奉、江戸・大坂・国元での勤仕、拝領・贈答、病没と子孫の相続までを編年した系図・家歴。行智は島津久秉の命を受け、二階堂本宗・兼帯家・諸支族の系図、家譜、宗氏文書目録を編輯し…
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:78 延慶二年八月廿日郡司藤原・地頭代源連署下文
延慶二年八月二十日、地頭御代官源と郡司藤原が連署し、温田村内の屋敷一か所を宛行った下文。寺代・桑代・島地子などの惣万雑公事を停止して毎年の年貢を二百文と定める一方、国・社家の公事は郡内平均の役として分限に応じ沙汰させ、社頭修理と公私の祈祷のため給付するとする。伊地知季安は、建久八年の薩摩国田帳にみえ…