東鑑
正治元年、建保元年12月19日、建保2年正月3日、建保7年2月13日、承久元年9月6日・8日、建暦3年5月2日・3日・9日、承久3年7月11日、仁治元年、嘉禎4年4月2日、建長元年8月9日、文永3年6月10日、文永4年4月24日、文永8年、弘安6年7月23日、弘安8年11月17日、正応5年11月7日・12月7日、嘉元2~3年、元亨元~2年、正中2年、建武4年、貞和2~7年、観応2~3年、正平9~12年、永徳3年、応永3~22年、康正2~3年、明応8年8月6日、安永3年秋/原整理番号 14-1
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概要
二階堂維遠流のうち、行光から行次までを『吾妻鏡』の記事と家蔵文書の目録を交えてたどる長編系図。行光の将軍御成・鶴岡八幡宮供奉・上洛使節、元行の和田義盛の乱での戦功と相模国懐島殿原郷・三河国重原荘の地頭職、行氏・行景の所領相続と幕府下文を記す。泰行については蒙古襲来への警固命令を受け、忍照尼の判断と久明親王の許可により薩摩国阿多北方へ下向した経緯を掲げる。行雄・行仲は建武・観応期に足利尊氏方として軍功を挙げ、尊氏・直義・直冬らの御下文・感状を伝えたとする。後半は行貞の田布施城籠城と島津元久への降伏、市来・阿多への移住、行隆の田布施城奪回未遂、忠行の足利義政供奉、行次代の島津立久・忠昌関係文書までを収める。
登場人物
二階堂行光、二階堂行村、源実朝、二階堂元行、和田義盛、九条頼経、北条義時、二階堂行義、二階堂行有、二階堂行藤、二階堂行久、二階堂行氏、北条泰時、藤原頼嗣、二階堂行景、宗尊親王、北条時宗、北条政村、二階堂泰行、忍照尼、久明親王、北条貞時、北条宣時、二階堂行雄、守邦親王、北条高時、北条英時、足利尊氏、足利直義、足利直冬、島津貞久、二階堂行仲、島津師久、島津元久、伊作久義、二階堂行貞、島津伊久、二階堂行隆、二階堂忠行、足利義政、二階堂行次、島津立久、島津忠昌、伊地知重貞、本田兼親
宛先
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キーワード
二階堂維遠流、吾妻鏡、二階堂行光、二階堂元行、和田義盛の乱、評定衆、地頭職、家蔵文書、蒙古襲来、忍照尼、二階堂泰行、阿多北方下向、建武・観応、足利尊氏、足利直義、足利直冬、田布施城、島津元久、二階堂行貞、二階堂行隆
冊子頁
45~55頁
読込量
特大
面白さ
★★★★★
(1)解題・例言・目次・本文1~216頁(諸家系図1~3).pdf