旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:58系図旧記雑録拾遺暫定版・確認中
伊東作太夫家系図
明応9年11月11日(久逸戦死時との注)、天文7年、寛永11年/原整理番号 58
確認度高
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概要
伊東作太夫家の系図。祐康は井尻を号し源兵衛を称し、祐能は孫右衛門として伊作久逸に仕え、加世田で戦死したと記す。傍注はその時を久逸が戦死した明応九年庚申十一月十一日であろうとする。祐秀は四郎左衛門で間瀬川に戦死。祐貞は伊賀守として日新公に仕え、天文七年戊戌に日州日知屋へ移って地頭となった。別系の祐盛は伊賀守で功があり、祐盈は太郎四郎を称して京都で没した。末尾の祐義は伊左衛門、寛永十一年生まれで母を仁礼蔵人の女とし、養子で実は喜入休右衛門久守の三男、伊東へ改号したと記す。島津光久の江戸下向時に平戸で没した。
登場人物
祐康、祐能、伊作久逸、祐秀、島津忠良(日新)、祐貞、祐盛、祐盈、祐義、仁礼蔵人、喜入休右衛門久守、島津光久
宛先
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キーワード
伊東作太夫家系図、祐康、井尻、源兵衛、祐能、孫右衛門、伊作久逸、加世田戦死、明応九年十一月十一日、祐秀、四郎左衛門、間瀬川戦死、祐貞、伊賀守、日新公、天文七年、日州日知屋、移住、地頭、祐盛、有功、祐盈、太郎四郎、京都死去、祐義、伊左衛門、寛永十一年、仁礼蔵人女、養子、喜入休右衛門久守、三男、伊東改号、島津光久、江戸下向、平戸死去
冊子頁
178頁
読込量
小
面白さ
★★☆☆☆
原文を確認
(1)解題・例言・目次・本文1~216頁(諸家系図1~3).pdf