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HP-0116巻8:150~152注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

阿蘇新九郎宇治惟永

異名・検索語:阿蘇新九郎宇治惟永/阿蘇惟永/玄与/墨斎/惟高(異記)

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:見出しには惟高という異記がある。諱・一門の人名の細字と家系の詳細は留保する。/箱崎での身上の相談は六歳の養子の記事であり、本人の赦免と断定しない。阿波守の戦死も本人と区別する。/諸城名・使者名・戦闘日付の細部は追加校合を要する。生没年月・没地・墓所は本条から補完しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

阿蘇新九郎宇治惟永は肥後阿蘇大宮司惟前の孫と記され、玄与・墨斎と号した。矢部に居城し大友氏に属したが、天正十三年の島津軍進攻後に降伏し、一門から人質を八代へ送った。天正十五年、兵庫頭家久に忠節を誓い、阿蘇宮内少輔と千余の兵を残した。島津勢の撤退時には阿蘇・小国方面で支援し、宮之池の戦いでは一族の阿波守が戦死した。その後、豊臣方の矢部包囲を受け下城。天正十六年、譜代の家臣を連れて薩摩へ移り、大口に到着して千石を与えられた。和歌に通じ、近衛信尹から多くの書状を受けた。信尹の赦免・帰洛の際には供をして上京したという。本条は詠歌や信尹との贈答歌も載せる。生没年月・没地は記されない。

系譜・人物関係

阿蘇大宮司惟前の孫と記す。宮内少輔・一族の阿波守・六歳の養子の関連記事を伴う。旧整理の叔父という続柄は断定せず、本人の経歴と一門の記事を区別する。

奉公・役職

矢部居城、大友氏から島津氏へ服属。天正十六年に譜代を連れ大口に到着し千石を拝領。

軍役・事績

天正十五年島津勢撤退支援。阿波守戦死は一族の事績。和歌を好み近衛信尹と書状・贈答歌を交わし、信尹帰洛時に上京供奉したという。

生没・法名等

玄与・墨斎。見出しに惟高異記。生没年月・没地・墓所の記載なし。

統合人物ID
HP-0116
原人物ID群
08-150-15
氏・分類
阿蘇
掲載巻頁
巻8:150~152
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
阿蘇大宮司惟前の孫と記す。宮内少輔・一族の阿波守・六歳の養子の関連記事を伴う。旧整理の叔父という続柄は断定せず、本人の経歴と一門の記事を区別する。
検索キーワード
阿蘇惟永/阿蘇新九郎/玄与/墨斎/惟高/阿蘇惟前/矢部/阿蘇/小国/八代/大口/島津家久/近衛信尹/天正十三年/天正十五年/天正十六年/千石/和歌/帰洛
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全5頁再読・修復通常AI全5頁確認、原冊見出し照合済。
公開判定根拠
服属・撤退支援・薩摩移住・歌道交流を具体化。養子の箱崎身上相談と本人経歴を分け、細字留保を明示。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊子150頁上段の一阿蘇新九郎宇治惟永から152頁上段の信尹との贈答歌まで全5頁。同一条内の一門・家臣・養子・信尹の記事で、新たな独立人物見出しはない。第1頁右端を178.30415から179.80415ptへ1.5pt拡張して玄の傍記を回収。第2~5頁維持。通常AI全5頁を確認し隣接条本文の混入なし。新番号不要。
判読保留
見出しには惟高という異記がある。諱・一門の人名の細字と家系の詳細は留保する。/箱崎での身上の相談は六歳の養子の記事であり、本人の赦免と断定しない。阿波守の戦死も本人と区別する。/諸城名・使者名・戦闘日付の細部は追加校合を要する。生没年月・没地・墓所は本条から補完しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』