HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
井尻祐秀
異名・検索語:井尻祐秀/井尻四郎左衛門尉祐秀/四郎左衛門尉/祐秀
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
祐能の子に訂正。籤による二人選抜ではなく、手拭を三つに裁って三人が受け取った記事。本文の伊作久逸への奉仕と天文7年日新公の細字逸話の関係は未確定のため分けて記載。
DESCRIPTION
本文内容説明
井尻祐秀。四郎左衛尉と記され、孫右衛門祐能の子。朱注は伊尻源兵衛祐慶の子孫とする。本文は伊作久逸への奉仕と加世田での戦死を記す。一方、細字注記は天文7年12月19日、日新公が加世田へ向かい、間瀬川の鎮守の渡で急難に遭った際、祐秀・宮原隼人・肥後掃部左衛門の三人が御名代として戦死することを願い出たと記す。再三の願いが認められると、下された手拭を三つに裁ち、三人で受け取って敵軍へ走り向かい討死したという。加世田落城後、日新公は三人の追福のため戦死地に六地蔵を造立させた。本文と細字の奉仕先・年代の関係は未確定で、記述を分けて示す。享年・法号は不記載。
系譜・人物関係
井尻孫右衛門祐能の子。朱書注記は伊尻源兵衛祐慶ノ子孫と記す。祐能の子孫とした旧説明を子へ訂正。細字の同行者は宮原隼人・肥後掃部左衛門。
奉公・役職
本文は伊作久逸へ仕へ於加世田打死。細字注記は日新公の加世田発向時の御名代を願う逸話。本文と注記の奉仕先・年代の関係を留保し、祐能の奉公へ転嫁しない。
軍役・事績
細字は天文7年12月19日日新公加世田発向・間瀬川鎮守之渡の急難、祐秀・宮原隼人・肥後掃部左衛門三人が御名代として戦死を願い出て再三請い、許されて御手拭を三つに裁ち三人頂戴、敵軍に走り向かい討死したと記す。籤や二人選抜の記載はなく旧説明を訂正。
生没・法名等
本文は加世田打死。付記は三人討死・加世田落城後に日新公が追福のため戦死地に六地蔵御造立。本文と付記の関係は留保、享年・法号不記載。
- 統合人物ID
- HP-0104
- 原人物ID群
- 01-016-18
- 氏・分類
- 井尻
- 掲載巻頁
- 巻1:16~17
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 井尻孫右衛門祐能の子。朱書注記は伊尻源兵衛祐慶ノ子孫と記す。祐能の子孫とした旧説明を子へ訂正。細字の同行者は宮原隼人・肥後掃部左衛門。
- 検索キーワード
- 井尻祐秀/井尻四郎左衛尉祐秀/四郎左衛門尉/井尻孫右衛門祐能/伊尻源兵衛祐慶/伊作久逸/日新公/天文7年12月19日/加世田/間瀬川/鎮守の渡/宮原隼人/肥後掃部左衛門/手拭/三人/戦死/六地蔵/追福
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全2頁・通常全2頁・原冊16~17頁・系譜手拭等拡大・修復通常AI各2頁照合済み。
- 公開判定根拠
- 全2頁をつなぎ系譜・手拭・三人討死・六地蔵を確認。本文と注記の関係の留保を明示して検索公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- AI全2頁・通常全2頁・原冊16~17頁・見出し系譜と同行者・手拭三分と追福の拡大・修復通常AI各2頁を照合。一井尻四郎左衛尉祐秀から本文伊作久逸へ仕へ於加世田打死、細字天文7年12月19日以下、次頁の余リ御手拭ヲ被下候から六地蔵御造立まで連続する。祐慶・祐能は系譜、同行二人は同じ逸話内の関係者で新見出しなし。次の井尻佐渡守祐光01-017-01を除外。原冊再切出しで第1頁右端の朱標識を保持、余白を調整し全2頁維持。ID維持、新規採番なし。
- 判読保留
- 本文の伊作久逸への奉仕・加世田戦死と、細字注記の天文7年日新公の逸話の関係は未確定。両者を一続きの確定履歴にせず、本文と注記に分けて記載/地名は原冊の間瀬川表記に従い現代地名に置換しない。前項伊賀守の脇注祐秀との同人関係は認定しない
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』