HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
稲留石見守
異名・検索語:稲留石見守/稲留石見守 入道伝翁/石見守/伝翁
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:父の入道名は増三と見えるが確定留保。/子長泰の旁注は辰と見える。末尾の復姓者との同一人物関係は断定しない。/参照先の入道名は閑栖斎に見えるが字形と人物比定を留保。善介墓志の小注も引用関係の詳細は未確定。
DESCRIPTION
本文内容説明
稲留石見守。入道して伝翁と号した。本文は球磨相良氏の支流とし、祖先の稲留蔵人が忠国公の代に来仕し、相模守友久公に付属されたと記す。系譜は蔵人、慶麟、石見守入道、本人の順に続き、慶麟を直接の父とはしない。『宗純記』を引いて田布施の人とし、永禄4年7月12日に隅州廻で戦死したと伝える。法名は伝翁常心禅定門。子は新助長泰と記すが、諱には異記の小注がある。生年・享年、戦死時の具体的役割や軍功は記載しない。末尾は相良氏へ復姓した人物の伝記への参照で、別人物の独立記事ではない。
系譜・人物関係
本文の系譜は稲留蔵人→慶麟→石見守入道(増三と見えるが字形留保)→本人。子は新助長泰(辰の異記らしい小注)。球磨相良氏支流・相良四郎兵衛頼親子孫とする由緒。
奉公・役職
祖先蔵人の来仕は忠国公御代、相模守友久公へ被召付。旧説明忠昌を訂正。本人の主君・役職は具体的不記載。
軍役・事績
宗純記を引いて田布施の人。永禄4年7月12日に隅州廻で戦死。祖先来仕・子の改姓らしい付記を本人の事績と混同しない。末尾は相良右衛門尉日向守入道の伝記(佐之部)を参照する。
生没・法名等
永禄4年7月12日隅州廻で戦死。伝翁常心禅定門。生年・享年・墓所不記載。
- 統合人物ID
- HP-0111
- 原人物ID群
- 01-018-05
- 氏・分類
- 稲留
- 掲載巻頁
- 巻1:18
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 本文の系譜は稲留蔵人→慶麟→石見守入道(増三と見えるが字形留保)→本人。子は新助長泰(辰の異記らしい小注)。球磨相良氏支流・相良四郎兵衛頼親子孫とする由緒。
- 検索キーワード
- 稲留石見守/伝翁/稲留蔵人/慶麟/忠国/友久/相良/田布施/宗純記/永禄四年七月十二日/隅州廻/戦死/伝翁常心禅定門/新助長泰
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 旧AI・通常各全2頁と原冊18頁、修復通常・AI各全2頁を確認。第2頁は本文なし。
- 公開判定根拠
- 戦死年月日・場所・法名を確認。祖先来仕の主君を忠国へ訂正し慶麟と父を区別。細字留保を注記し公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 旧AI・通常各全2頁、原冊18頁(第1分冊29頁)、修復通常・AI各全2頁を確認。1頁目の一稲留石見守入道伝翁から佐之部ニ委クアリまでが一記事。右端の善介墓志など小注を段差境界で回復し、隣の祐玄の地頭記事を含めない。過大な左下余白を縮小。第2頁は旧版同様ほぼ余白で本文なし、頁数・リンク互換のため保持。祖先と子の記載は系譜付記で新規独立見出しではない。2頁・ID・旧OCR維持。
- 判読保留
- 父の入道名は増三と見えるが確定留保。/子長泰の旁注は辰と見える。末尾の復姓者との同一人物関係は断定しない。/参照先の入道名は閑栖斎に見えるが字形と人物比定を留保。善介墓志の小注も引用関係の詳細は未確定。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』