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HP-0167巻4:67~68注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

奥山左近

異名・検索語:奥山左近/奥山藤五郎(初称)

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:落人隠匿記事は左近将監宅・其左近と呼称が交錯し、父子いずれの行為かを留保する。/子藤五郎の石高・物成の数字は史料自身が員数不合と注記する。十七石五斗に五斗を加えて三十石とする記載等を勝手に補正しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

奥山左近は山城国の住人で、奥山左近将監の子。初め藤五郎と称した。竜伯公と知遇があり、天正年間に薩摩へ下ったことが覚兼日記に見えるという。同条には関ヶ原後の落人隠匿も記すが、左近将監と左近の呼称が交錯するため父子の帰属を留保する。惟新公から薩摩へ来れば知行を与えると伝えられたが、老齢を理由に辞退し、子の藤五郎を差し出した。子は鼓の芸により召し抱えられ、百石の加増と切米十二石を受け鹿児島に置かれた。以後の知行・物成も記すが、末尾には員数不合の注記があり、慶長十六年国分高帳の奥山藤五郎百二石を掲げる。本人の没年・没地は記されていない。

系譜・人物関係

山城国住人、奥山左近将監の子。原見出し奥山左近、初藤五郎。子も藤五郎と記す。諱方近は本条に見えず旧人物名を奥山左近へ訂正。

奉公・役職

竜伯公の知人。天正年間に御当国へ下ったことが覚兼日記に見える旨。惟新公から知行を与えて招くと伝えられるが老齢で辞退し子藤五郎を差し出す。

軍役・事績

関ヶ原後の御国人隠匿と厳禁を記すが父子帰属は留保。子藤五郎の鼓の芸・召抱え・百石加増と切米十二石・鹿児島召置、中納言様御代五十石、元和年間又々五十石、物成米十七石五斗、その後五斗を加え三十石という記載。末尾に本ノ儘員数不合、慶長十六年国分高帳百二石奥山藤五郎の注。

生没・法名等

本人は招請時に老齢と記すのみ。生没年月日・享年・墓所は無記載。子の知行記事を本人へ帰属させない。

統合人物ID
HP-0167
原人物ID群
04-067-05
氏・分類
奥山
掲載巻頁
巻4:67~68
主題・活動
島津家との交際・招請辞退・子の鼓奉公
人物関係要約
山城国住人、奥山左近将監の子。原見出し奥山左近、初藤五郎。子も藤五郎と記す。諱方近は本条に見えず旧人物名を奥山左近へ訂正。
検索キーワード
奥山左近/初藤五郎/山城国/左近将監/竜伯公/天正/覚兼日記/関ヶ原/落人/惟新公/老齢/鼓/鹿児島/切米十二石/元和/慶長十六年/国分高帳/百二石
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊照合、修正通常AI各全2頁確認済。
公開判定根拠
奥山左近と初藤五郎の字形・本人招請辞退と子の鼓奉公を確認。隠匿主体と石高不合を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
第1頁一奥山左近から第2頁子藤五郎の知行記事と員数不合小注末尾山藤五郎まで。同じ条に関連する子の叙述で新番号不要。第1頁右1.5pt復元・下端110pt、第2頁下端5pt拡張。第二候補通常AI各全2頁を確認。
判読保留
落人隠匿記事は左近将監宅・其左近と呼称が交錯し、父子いずれの行為かを留保する。/子藤五郎の石高・物成の数字は史料自身が員数不合と注記する。十七石五斗に五斗を加えて三十石とする記載等を勝手に補正しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』