追録7-No.無番号_0129報告書旧記雑録暫定版確認度 中
天保3年辰12月15日~天保4年正月10日(記録期間。末尾署日正月10日) / 冊子 932~935頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書無番号_0129
重豪の前年夏以来の病状を概説し、辰十二月十五日から巳正月十日まで、脈状・舌や口の乾燥・食欲・睡眠・寒気の影響・気力・排便などを日別に記した高輪詰奥医師の記録。高齢による陽気の衰弱と説明し、杉本宗春院の診察、熊参湯の継続、寒気を防ぐ薬、建中湯加減・調中益気湯の兼用などを記す。正月には食量の減少と疲労が増し、三日に四君子湯加附子へ転方、五日に野間廣春院が初めて診察し、不食を高年の衰弱によるものと報告した。六日以後は口中の爛れ、吃逆、咽痛とその推移を記し、四君子湯への加味、沈香降気、駆風解姜湯への桔梗・天花粉、清咽利膈湯、七珍散などの調製・転方を記録する。十日は熊胆生姜煎汁を用い、直ちに治ったとの記述に続け、暖かくなれば快方との見込みを述べる。末尾は天保四年正月十日、高輪詰奥医師。の1の独立した無番号行として六頁を保持し、後続のの2食量表との境界を確認する。
- 登場人物
- 高輪詰奥医師、三位様(島津重豪)、杉本宗春院、野間廣春院、法円、木事方(本カ)
- 宛先
- 宛名記載なし(高輪詰奥医師の病状記録)
- キーワード
- 無番号、の1、奥医師秘抄、高輪詰奥医師、島津重豪、病状日記、十二月十五日、正月十日、脈状、食量、多眠、乾燥、寒気、熊参湯、四君子湯、野間廣春院、咽痛、吃逆、七珍散、熊胆生姜煎汁
後編3-No.448記事確認度 高
慶長三年八月十八日 / 冊子 228頁
『島津義久譜』が、豊臣秀吉の病状が危急となり、徳川家康に天下の政務と幼い秀頼の補佐を委ねたことを記す記事。南山北嶺の高僧による祈祷や医師の薬餌・針灸も効かず、慶長三年八月十八日に没して東山に葬られ、天下が悲嘆するなか畿内の諸侯と島津義久(竜伯)も在洛していたとする。
- 登場人物
- 豊臣秀吉、徳川家康、豊臣秀頼、島津義久(竜伯)、諸侯、高僧、医師
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津義久譜、豊臣秀吉、病気、危急、死去、徳川家康、天下政務、豊臣秀頼、補佐、高僧、祈祷、医師、薬餌、針灸、八月十八日、東山、島津義久、竜伯、在洛
後編5-No.821文書確認度 中
(寛永十二年)三月廿三日 / 冊子 476頁
島津家久が本田伊賀守へ、上洛後は好天が続いたので無事に到着しただろうと述べ、美作守が急病となり医師理心の薬で養生していること、自身も二度見舞い、脈は良いため回復を期待して続報を送ることを伝えた書状。
- 登場人物
- 島津家久、本田伊賀守、美作守、医師理心
- 宛先
- 本田伊賀守殿
- キーワード
- 島津家久、本田伊賀守、美作守、理心、上洛、病気、養生、見舞い、医師、回復
附録1-No.218文書確認度 高
年月日不詳 / 冊子 86-87頁
記主不詳者が鎌倉殿の最期と葬送前後の出来事を記した覚書。六月二十一日の三島参詣と管弦・仏事、御酒・名馬・鷹狩、その後の発病と医師の治療、二十六日の臨終、諸大名・番衆の出家、鎌倉新造御所への移住から死去までを詳述する。
- 登場人物
- 記主不詳、鎌倉殿、三島参詣の関係者、極楽寺僧、医師、諸大名、鎌倉新造御所関係者
- 宛先
- (宛所記載なし)
- キーワード
- 鎌倉殿、三島参詣、極楽寺、管弦、仏事、名馬、鷹狩、病気、医師、臨終、出家、鎌倉新造御所
追録6-No.1185申渡書旧記雑録暫定版確認度 中
安永三年四月(末朱、日なし) / 冊子 429~430頁/原整理番号 1185/整理ID 1185
神農殿を造立し、医学院を建てて医書を講じ、医術を精密にして領国内の療養に役立てるよう命じられたことを述べる。しかし医道を修行する者が専心して出精せず、当分の講談へ出席して聞くだけでは古書の意味を十分会得できないと戒める。今後は初心者の式日を定め、医学院で講習・討論・会読などを行う。その際、当分講談をする医師から一両人ずつ輪番で出席し、意味を判断する。作法を正しくし礼譲をもって交わり、猥りなことのないよう心得る。会席への出席は城下士に限らず、外城衆中・足軽・家来・町人に至るまで、志のある者は出席することを認める。与中・支配中・諸外城・私領へ漏れなく申し渡し、医学院講談医師にも伝えるよう求める。末尾は朱の安永三年四月、左中。扣正文は家老座。講習の方式、輪番で指導する医師、会席の礼儀、広い参加範囲と周知先を区別する。
- 登場人物
- 左中(島津久金)、医道修行者、初心者、講談医師、城下士、外城衆中、足軽、家来、町人、与中・支配中・諸外城・私領
- 宛先
- 与中・支配中・諸外城・私領、医学院講談医師(周知先)
- キーワード
- 神農殿・医学院、医術精密と療養、聞くだけでなく古書会得、初心者式日、講習討論会読、医師一両人輪番、作法礼譲、城下士外城衆中足軽家来町人・有志、周知
附録2-No.828文書確認度 高
八月九日 / 冊子 357頁
以前求められた薬種のうち医師の日記で確認できた分を送り、入手できなかった『本草綱目』も当年の船で二部到来したため併せて送ると伝えた島津家久書状。
- 登場人物
- 島津家久、医師
- 宛先
- 不詳
- キーワード
- 島津家久、薬種、本草綱目、医療、書籍流通、渡来船
追録3-No.2406文書旧記雑録暫定版確認度 中
享保十四年十一月十四日 / 冊子 955頁/整理ID 2406
入輿時に御医師や御女中方へ割り振る勤め・病養の備えについて、人数や役割を先例に照らして伺う。
- 登場人物
- 相良彌一兵衛、竹姫、松平大隅守、御医師、御女中
- 宛先
- —
- キーワード
- 相良彌一兵衛、竹姫、入輿、御医師、御女中、病養
追録6-No.1045-2申渡書旧記雑録暫定版確認度 中
安永二年五月(独立日なし) / 冊子 373頁/原整理番号 1045の2/整理ID 1045-2
無役の寄合・寄合並・小番で長袴を着用して御礼を申し上げる者について、御屋形で長袴に支度替えをしてよかったが、今後は自宅から長袴を着用して出るよう命じる。御礼が済んで御屋形で支度を替えることは随意とし、役人が御役席で支度する扱いもそのままとする。また、士医師は当分、脇差までを帯びて往来するが、無役の士医師にも今後は大小を帯びるよう命じたことを伝える。城下士だけに関する刀帯の件と但書がある。表方に直接通達し、側方・勝手方へは写しで伝える。末尾は安永二年巳五月、仲。
- 登場人物
- 仲(島津久健)、無役の寄合・寄合並・小番、御役人、城下士医師、表方・側方・勝手方
- 宛先
- 独立宛書なし(表方へ通達、側方・勝手方へ写し)
- キーワード
- 長袴の着用・支度替え、御屋形・自宅・役席、士医師の脇差・大小
追録6-No.1169申渡書旧記雑録暫定版確認度 高
安永三年午二月(日なし) / 冊子 424頁/原整理番号 1169/整理ID 1169
諸人が病気の際には御医師の証文を差し出してきたが、以後は御医師に限らず、町医師も含め、実際に療治した者からの証文で申し上げるよう求める。末尾は安永三年午二月、左中、島津久金の注。朱に雑抄中の出典を記す。病気証文の作成者を御医師だけに限定せず、町医師など療治者へ広げる申渡で、証文を不要にするものではない。証文に関する規則と署名・月記が上下段に続く。
- 登場人物
- 左中(島津久金注)、病気の諸人、御医師、町医師、療治した者
- 宛先
- 病気証文の提出関係者(独立宛書なし)
- キーワード
- 諸人の病気、御医師証文、御医師に限らず町医師を含む、療治者の証文、安永三年午二月、左中久金
追録6-No.2039書状旧記雑録暫定版確認度 高
天明四年正月十六日 / 冊子 720頁/原整理番号 2039/整理ID 2039
大進久起が左中に、妙心院が旧冬から不快で、最近の疲労は老病と見られるため、薬用などの別紙と容体書を送る旨を記す。軽い容体との知らせでも老人なので、御附医師に念を入れさせ、奥御医師のうち二人を付け、時々診察し服薬などに配慮させる。用人・側役も日々参上して様子を承知し、相談するよう命じた。太守の見舞いなどの扱いは当地で吟味し、都合よく取り計らって首尾を報告する。既に急飛脚で知らせたが、現状の容体なら以後は途上の太守へ飛脚で逐一報告せず、随行側役の同役に問い合わせて知らせるとする。追って容体書・薬方合わせて三通を送ると記す。天明四年正月十六日、上嶋津大進の記載を伴う、正文が家老座にある控えの書状。
- 登場人物
- 島津久起(大進)、島津久金(左中)、妙心院、太守、御附医師、奥御医師、御側御用人、御側役
- 宛先
- 島津久金(左中・往復相手)
- キーワード
- 島津久起、大進、島津久金、左中、妙心院、旧冬、不快、老病、容体書、薬方、御附医師、奥御医師、二人、服薬、用人、側役、見舞い、太守、道中、急飛脚、報告、三通、正文在家老座
追録6-No.2041書状旧記雑録暫定版確認度 中
天明四年正月廿日 / 冊子 721~722頁/原整理番号 2041/整理ID 2041
妙心院が旧冬から不快で最近も疲労があり、十六日に容体書を添えて飛脚で知らせたことを踏まえ、その後の療養と手配を報じる。医師を詰めさせ、老体なので図師長益・中村瑞伯にも伺わせたい旨を申し出た。於千萬も時々訪れているため医師同様に詰めるよう求めた。昨夜は暫く眩暈があり、薬用の記述には人参三分を加える旨がある。今暁から目覚め、食事を取り、追加の手当の後にも容体はすぐれないため、医師・用人・側役で相談して服薬等を世話する。太守の見舞いの扱いを取り計らい、奥向からの使いと御肴一折の見舞いにも触れる。途中の御不快の知らせについても記し、急飛脚で報告し、途上の用事が済み次第この便を直ちに差し通すよう求める。正月廿日、宮之原主膳・嶋津仲・嶋津大進の連署で左中に宛てる。天明四年の朱書と、大野休之丞の便を通じた受達の注記を伴う。正文は家老座にある控え。
- 登場人物
- 宮之原主膳、嶋津仲、嶋津大進、嶋津左中、妙心院、図師長益、中村瑞伯、於千萬(原注:島津斉宣生母)、大野休之丞、太守、御医師、御側御用人・側役
- 宛先
- 嶋津左中殿
- キーワード
- 妙心院、旧冬、不快、疲労、十六日、容体書、飛脚、療養、図師長益、中村瑞伯、於千萬、斉宣生母、眩暈、薬用、人参三分、看病、医師、用人、側役、見舞い、太守、御肴一折、奥向、御中途御不快、江戸、急飛脚、宮之原主膳、嶋津仲、嶋津大進、左中、連署、受達、控
追録7-No.無番号_0130書上旧記雑録暫定版確認度 高
天保4年正月10日(署日。食量は前年12月15日~正月9日) / 冊子 935~936頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書無番号_0130
高輪詰奥医師が重豪の食量を日別に列記した添付表。十二月十五日から正月九日までの二十五項目に、三度の食事の合計を匁・分で記す。初日の合六十六匁五分に別枠の蕎麦十二匁を加え、十二月二十二日には合四十一匁五分のほか夜五ツ半時の粥十二匁を記す。正月に入っても増減があり、元日は四十五匁、六日は二十一匁八分、八日は四十六匁七分、九日は二十四匁とする。末尾は朱書天保四年、正月十日、高輪詰奥医師。前の病状記録のの1と対応するの2だが、無番号_0130を独立行として保持する。原文の匁・分、合計量と別枠の蕎麦・粥を分け、現代の重量単位への換算や一日量への加算を根拠なく行わない。四頁の開始日・全日別量・署日署名まで確認し、後続のNo.2643消息との境界を保つ。
- 登場人物
- 高輪詰奥医師、三位様(島津重豪)
- 宛先
- 宛名記載なし(食量表)
- キーワード
- 無番号、の2、奥医師食量目録、高輪詰奥医師、島津重豪、食量、三度、匁、分、合計、十二月十五日、正月九日、正月十日、蕎麦十二匁、粥十二匁
追録8-No.851-1創傷者への巡回派遣を免じ地方担当の詳細調査報告へ改める達旧記雑録暫定版確認度 中
明治2年三月27日知政所(年は朱書) / 冊子 657頁/原整理番号 851の1/整理ID 851-1
通達留。城下・外城・私領で出軍して創傷を負った者への診察のため、医師と検事を見廻りに派遣する旨を既に命じていたが、その派遣を免じると告げる。代わりに城下は本隊長、外城は地頭と副役、私領は領主から、創症により原文で「廃人」とされた者について詳しく調べ、軍務局へ申し出るよう命じる。朱明治二年己三月廿七日、知政所。調査・報告担当の変更であり、原の身体状態の呼称を現代診断へ置換せず、対象者数・実調査済みや全診療廃止を補わない。
- 登場人物
- 知政所、出軍創症の者、医師・検事、城下の本隊長、外城の地頭・同副役、私領の領主、軍務局、関係向々
- 宛先
- 城下本隊長、外城地頭・同副役、私領領主と関係向々
- キーワード
- 原851の1通達留城下外城私領出軍創症診察見廻医師検事派遣免城下本隊長外城地頭副役私領領主創症原廃人委細調査軍務局申出朱明治二年己三月廿七知政所
追録8-No.877-10資格職分別の服装髪型帯刀腕印と監督責任を定める達旧記雑録暫定版確認度 中
明治2年六月5日知政所(年は朱書、当分の服制) / 冊子 676~677頁/原整理番号 877の10/整理ID 877-10
上下と資格職分を辨別するためと述べ、朝廷の統一服制が出るまでの服装を定める。城下常備兵は平常戎服とし在宿の服や髪型に例外を認め、士分以上は左腕に幅一寸五分の白い輪印を付ける。予備隊士分・臺場兵、楽隊と予備楽隊には戎服髪型と赤い輪印の別規定を置く。治事局員・城下外城無役士以上と医師には戎服髪型を許す一方、附士足軽・私領寄合家来は常備兵加入時の例外以外、戎服等を禁じ中すり二寸ほどとする。職人手伝は右脇差、髪服の禁と中すり四寸ほど、諸職人内の衆中家来は当職時の扱いを定める。家来小者は主人供の脇差例外、百姓町人と町役、寺門前も別に規定する。士分以上は当分戎服を常服とし朝廷勤事関係者は当分心得る。支配頭主人へ漏れなく伝え、違反はその落度ともする。朱明治二年己六月五日、知政所。各対象の詳細は台帳に保持し、原評価を達へ帰属させ、実際の服装や摘発人数は補わない。
- 登場人物
- 知政所、軍務局総裁、常備・予備・臺場・楽隊、治事局員・医師・無役士、附士足軽・家来、職人・手伝、百姓町人寺門前、支配頭・主人
- 宛先
- 軍務局総裁、関係向々、支配頭・主人等
- キーワード
- 原877の10服制容貌上下資格職分朝制待当分戎服常備予備臺場楽隊白輪印一寸五分赤輪印治事局医師無役士附士足軽私領寄合家来職人手伝脇差中すり二寸四寸家来小者百姓町人町役寺門前帯刀髪型朝廷勤事支配頭主人落度朱明治二年己六月五日知政所
後編5-No.409文書確認度 中
(寛永八年)七月廿四日 / 冊子 220頁
徳川秀忠の胸・脇・腹・腰の痛み、便通、食事、鍼治療、灸・煎薬の経過を、江戸から届いた七月十七日付の報告に基づいて詳述する。家光は機嫌よく社参し、秀忠も快方に向かう見込みだと伝えた松平定綱の書状案。
- 登場人物
- 松平定綱、徳川秀忠、徳川家光、島津家久、針医、医師
- 宛先
- 島津中納言(島津家久)
- キーワード
- 松平定綱、徳川秀忠、徳川家光、病状、胸痛、腹痛、鍼治療、灸、煎薬、便通、江戸注進
追録3-No.2419文書旧記雑録暫定版確認度 中
享保十四年十一月十八日 / 冊子 959頁/整理ID 2419
竹姫付きの御役人を入輿前に引き渡された後、御用人・御医師・御同朋衆などを大隅守が召し抱える扱いを伺う。
- 登場人物
- 土岐半助、竹姫、松平大隅守、御用人、御医師
- 宛先
- —
- キーワード
- 土岐半助、竹姫、入輿、御役人、御用人、御医師、召抱え
追録5-No.2529記事旧記雑録暫定版確認度 要
宝暦十一年六月十二日~九月二日(記事) / 冊子 848~849頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2529
六月十二日、家重が江戸西城で五十一歳で死去して惇信院と諡され、二十九日に薩摩へ訃報が届き、重豪は三原源五左衛門を江戸へ遣わして香奠銀三十枚を献じた。西国巡見使の青山七右衛門・神保帯刀・花房兵右衛門が六月二十二日に出水米之津へ入り、阿久根・永利・宮之城・金山・蒲生・加治木を経て、二十八日に重富で重豪が応接し、家老・若年寄・大目付が侍座した。七月に今和泉・山川・大根占・大姶良を経て志布志へ進んだが、神保が病で残り、他の二使は飫肥へ向かったため、重豪は家老・用人・医師らを派遣した。神保は八月の記事中の脇注で「此月十日」に死去し、同使の命で喪を伏せたとされ、二十九日に喪を発して成願寺へ葬り、二使は九月朔日に肥後へ出境し、神保の従者は翌二日に米之津を発った。
- 登場人物
- 家重(惇信院)・重豪・三原源五左衛門・青山七右衛門・神保帯刀・花房兵右衛門・家老・若年寄・大目付・用人・医師・従者
- 宛先
- 記載なし(記事。独立宛名なし)
- キーワード
- 家重六月十二薨廿九訃報香奠銀三十、三使米之津入境重富重豪応接、志布志神保病、家老用人医師派遣、脇注此月十日卒秘喪、八月廿九葬九月朔出境翌従者発
追録5-No.2751保姫入輿行列次第旧記雑録暫定版確認度 高
宝暦十二年日付不記(本文朱年記。十二月四日の入輿は関連文書) / 冊子 956~961頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2752
保姫入輿の行列を図示し、先頭の左右に御使之者を置き、御徒・徒頭・目附、小十人、挟箱持・書同心・弓同心・長刀持などの配置と人数を列記する。召替輿は十人、貝桶は八人、百々曲乗物は八人、先乗女中は六人、本輿は二十人で扱い、日傘・傘持、奥之番・大御番・納戸頭・医師・用達・用人なども配する。供女中と見送女中の乗物、伊賀之者、火之番・茶道坊主・茶弁当・裏箱持などを続け、後部に菅笠釣台三人・同三人・同三人と惣供僕従を記す。朱書で各役の熨斗目・羽織・小袖・麻上下・袴、木綿の単物・四つ打組・足袋・手拭などの衣装と用具を指定する。
- 登場人物
- 保姫・御使之者・御徒・徒頭・目附・小十人・挟箱持・書同心・弓同心・長刀持・先乗女中・奥之番・大御番・納戸頭・医師・用達・用人・供女中・見送女中・伊賀之者・火之番・茶道坊主・供僕従
- 宛先
- 記載なし(独立宛名なし)
- キーワード
- 保姫入輿行列配置人数朱衣装、左右使之者徒同心弓長刀、召替輿十貝桶八百々曲乗物八先乗女中六本輿二十、傘医師用達用人、供見送女中伊賀者茶弁当菅笠釣台惣供僕従、菅笠釣台三人同三人同三人、宝暦十二年の朱注
追録6-No.538書状旧記雑録暫定版確認度 高
明和五年十月四日 / 冊子 207頁/原整理番号 538/整理ID 538
王子付き医師が剃髪して赴く件を許可したことへの謝礼として、中山王がこのたび宮城親方を遣わし、別録の品を贈ったことについて、芳墨を披見し、入念な心遣いが過分で恐縮する旨を返す。十月四日付、年は明和五年の朱注、中将重豪御判と謹上中山王の表示を備える。No.537も宮城親方と贈物を扱うが、本書は医師の剃髪・移動許可への謝礼についての返書である。
- 登場人物
- 中将重豪(御判)、中山王、王子付き医師、宮城親方
- 宛先
- 謹上中山王
- キーワード
- 王子附医師剃髪・相越許可、謝礼、宮城親方、中山王別録贈物、過分への恐縮
追録6-No.722届書旧記雑録暫定版確認度 中
明和七年十二月(日無記載、付注に翌卯正月の提出・受渡) / 冊子 270~271~272頁/原整理番号 722/整理ID 722
私領は呉國口にあり、東・南・西の三方、数十里の大洋海を抱えるため、毎年のように唐船が漂着し長崎へ送ると述べる。以前にも白帆の船が領内の沖に見え、前年には屋久島・甑島に呉國人を囲い置いて長崎へ送ったことがあり、平時から呉國方を堅固に守ることを主要な奉公としているという。海上を見渡せる津・浦・島の各所に番所を置き、各番所へ城下の士三、四人ずつを送り、勤番を交代して不断に守らせる。番人のほかにも各所へ士を多く遣わし、呉國方の役を命じる。城下には唐船方・呉國方を管する役所を置き、家老一人、用人二人を配置する。長崎間役・唐船引受役人・警固の者・医師・足軽・通事など多くの人数を置き、漂来の注進があれば、その中から漂着場所へ駆け付け、江戸・長崎への届出が滞らないよう命じる。唐人と通じる通事は多くなく、複数の唐船の同時漂着への対応と急事の助けに備え、数十人を仕立て、内二、三人ずつ長崎へ送って修練させる。城下だけに通事を置くと遠方の浦島では間に合わないので、各所にも配置する。悪意の唐船を追い払う場合は、家老以下三百五十人一組ずつを船数に応じて繰り出すよう平時から手当てし、関船・小早船その他大小の船と、手配を心得た者を役所に置く。甑島は長崎へ往来する唐船・阿蘭陀船の針筋にあり、城下から遠く、長崎への順路に当たるので、番頭格と城下の士を置き、ほかにも多くの士を在島させる。荒波の海を渡って急事に船を差し向けるのは難しいため、唐船送届用の関船・小早船を平時から備え、漂着時には島中で処理し、問題なく済んだ唐船を番頭格から直接長崎へ送るようにしている。長崎で非常事態があれば公儀の下知を守って国元から人数を送る備えとして、長崎の屋敷以外にも三ヶ所ほど人数を置ける地面を予め借地させておく。国元へ知らせればほかにも記せる件はあるが遠国で難しいため、まず手元の帳面にある分を概略書き上げると結ぶ。年は明和七年の朱注、十二月付。張紙は寅十二月十九日、別紙二通について松平右近将監の内意を得たところ、願書を簡略にするよう指図があり、翌卯正月十三日に留守居佐久間新左衛門が提出、十五日に留守居が召され中村与太夫が出向き、付札を添えて願書を渡された経過を記す。
- 登場人物
- 島津重豪(目録)、領内家老・用人、士、番頭格、長崎間役(原表記)、唐船引受役人、警固勤の者、医師、足軽、通事、松平右近将監、留守居佐久間新左衛門、中村与太夫
- 宛先
- —
- キーワード
- 呉國口三方数十里海、唐船漂着長崎送、前年屋久甑囲置、海上番所士三四人交代、城下家老一人用人二人・唐船方呉國方、各役医師足軽通事、通事数十人・二三人ずつ長崎修練、遠方浦島配置、悪意唐船三百五十人一組船数に応じ繰出、関船小早、甑島番頭格常備・無事唐船直送長崎、長崎非常時公儀下知・屋敷外約三ヶ所借地、翌卯正月十三提出十五受渡
追録6-No.958届書旧記雑録暫定版確認度 高
安永元年十一月二十五日 / 冊子 339頁/原整理番号 958/整理ID 958
浄岸院がこの間から病気で、医師を留め置くことになったと届ける。先に届けた内容は相違ないとし、この旨を聞き置くよう求める。十一月二十五日付、年は安永元年の朱注、松平薩摩守内の佐久間新左衛門の名があり、留守居・村央との注を伴う。浄岸院には島津継豊の継室・竹姫との注がある。控正文は文庫にあるという。
- 登場人物
- 松平薩摩守、佐久間新左衛門(留守居・村央注)、浄岸院(島津継豊継室・竹姫注)、医師
- 宛先
- —
- キーワード
- 浄岸院継豊継室竹姫御不例、医師留置、先届趣相違なし、聞置求め、薩摩守内佐久間新左衛門留守居村央、十一月二十五日
追録7-No.1426式次第旧記雑録暫定版確認度 高
文化12年(末尾朱年注。独立月日なし) / 冊子 459~462頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1426
重豪公御譜中・扣正文在家老座。近衛左大臣の高輪邸招請次第を定める。西御門から入り供目付が先に案内、南坂御門外で伊集院隼衛が先立ち、茶屋の輿臺で下乗、大御隠居が迎えて座敷へ導く。熨斗・茶・たばこ盆の後、諸大夫の案内順で大御隠居、太守・御隠居、大膳大夫・肥前守が挨拶する。染帷子・十徳/半袴の着服注、進物の差出と次の間への置き方、医師方の御逢と召替を記す。湯漬、庭・居間・入側や座向の見物を経て能見物所へ案内し、給仕は近習、手長は奥小姓とする。茶・椀菓子・吸物・盃・酒・肴・坪物、白木三方と銚子を列記。舞臺正面脇に浪形簾障子を立て、子様方とおふき方お千佐・初瀬・勝澤が都合により御逢又は御目見する。中入に座敷へ戻り三汁七菜、本膳上下と大御隠居の位置、臺引・引肴・吸物・盃・土器等、盃事の取次と湯・茶菓子・後菓子・薄茶を規定し、再び能見物へ戻す。茶・菓子・名酒盆上・小皿物、檜重1組と青籠1個の進上、能が済んだ後の挨拶、夜食二汁五菜・後段・吸物・盃・酒から立ち際の送りへ続く。医師の取持、出入御城坊主と初馳走方・付添役人の召呼及び能見物を許すこと、帰館後は家老使者で礼を伝え翌日大御隠居が旅館へ参上することを定める。末尾朱文化12年のみ、月日・署名・独立宛名なし。呼称を実名へ一律置換せず、次第の手順を実施済の記事としない。末頁の1427見出し全上の混入を除いた新通常AI各六頁を全読した。
- 登場人物
- 近衛左大臣(基前は目録)、伊集院隼衛、大御隠居、太守、御隠居、大膳大夫、肥前守、諸大夫、近習、奥小姓、子様方、お千佐、初瀬、勝澤、医師、出入御城坊主、初馳走方、付添役人、家老使者
- 宛先
- 独立宛名なし(招請次第)
- キーワード
- 近衛高輪招請西御門供目付南坂伊集院下乗大隠居迎・熨斗茶煙草盆着服挨拶進物医師召替、湯漬庭入側能見物給仕近習奥小姓・浪形簾子女御目見、中入三汁七菜白木三方銚子盃事薄茶再能、檜重一組青籠一個名酒小皿物夜食二汁五菜・役人見物送り当日家老礼翌日旅館参上、朱文化十二日なし
追録7-No.1427申渡書旧記雑録暫定版確認度 高
文化12年5月(末尾朱注。日なし) / 冊子 462~465頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1427
全上・扣正文在家老座。近衛左大臣の高輪邸招請手当を箇条で申渡す。参向・滞留中の招請希望を家老使者で伝え、期日回答があれば即日御請、入邸前日に留守居が御用番・西丸老中へ届出、当朝は用人使者等で御臺へ伝える。早朝から留守居付役・足軽を旅館へ派し出立を遠見して亀甲茶屋・御殿へ注進する。式臺・茶屋門内の飾り、屏風、門の節桶と幕、番所担当を指定。火消1組、夜入四時まで門留、上番・中番の平伏、屋敷内外清掃、庭・環江照明、大丸挑灯籠・札渡所の徒目付等を定める。西辻番所から馬頭観音下で迎え、供目付1人と付役1人で供人・道具を案内し、西門の先番5~6人が亀甲玄関へ導く。小人8人計、中小姓詰5人・中番2人、取次番1人、留守居付役1人の記載を部所別に採録。前日から時計を玄関に置き、入邸前夜八時から明け六時まで時觸を行う。供廻や入来者の膳・給仕、医師の足軽案内、城坊主・役者の召呼、座敷床棚飾・照明を担当別に指示する。家老以下与力まで染帷子半袴、羽織袴の着服注を分ける。半切桶・柄杓を玄関・馬場木屋前三箇所、木屋後用所脇、見物前場等に備え、不締り箇所の不寝番を置く。勤務の難迚、人数書・詰所・食事や賤所も担当別に扱う。帰館後は家老使者で礼を伝え、立後の座敷・亀甲・稲荷脇木屋・仕出所の火元と不寝番を目付・兵具方等が見締める。別紙次第書の通りとも命じ、末に典膳署、朱文化12年5月、日・独立宛名なし。手当の指示を実施済・実員総数へ変えず、冒頭見出しを回復した新通常AI各七頁を全読した。
- 登場人物
- 典膳(鎌田政輿は目録)、近衛左大臣、家老使者、御用番、西丸老中、御臺、用人、留守居、付役、足軽、供目付、小人、中小姓、取次番、側目付、徒目付、兵具方、作事方、庭方、奥茶道、数寄屋頭、医師、城坊主、役者、納戸奉行
- 宛先
- 独立宛名なし(招請手当の申渡)
- キーワード
- 近衛高輪招請期日家老請・前日御用番西丸届当朝御臺連絡、旅館遠見足軽注進亀甲、門番屏風桶幕火消一組夜入四時門留清掃挑灯籠、西門先番五六供目付一付役一・小人八・中小姓詰五中番二取次一、時計前日夜八明六時觸、供給膳医師案内着服座飾半切桶柄杓不寝番難迚人数書、帰館礼立後火元見締・典膳文化十二五月
追録7-No.1429式次第旧記雑録暫定版確認度 高
文化12年(末尾朱年注。独立月日なし) / 冊子 467~468頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1429
全上・扣正文在家老座。甘露寺前大納言参府に伴う高輪邸招請の手当を定める。江戸着当日に表方から使者を出して挨拶し、贈物があれば使番が担当する。滞留中に招く日取を留守居が使者で伝え、来邸前日は留守居から御用番・西丸老中へ届出、表方から明日の来邸確認の使者を出す。当日早朝から旅館に付役・留足軽を置き、出立や左右の遠見を注進させる。作事方は式臺前・門内の飾桶、留守居方は邸内外の清掃と廻り・時觸、庭方は庭内掃除、数寄屋は座敷・棚飾を担当する。式臺脇には大半切・柄杓を置く。役々は染帷子半袴、向惣番・取次番・中小姓は染帷子麻袴、本門中番足軽と左右の留足軽二人は黒羽織袴。輿を式臺脇張番所へ置き、供人には取次番が入所を伝える。大御隠居への贈物は式臺で受け奥へ回す。医師方・城坊主を招き出物膳を手当し、供廻りの出物は膳番・徒目付が担当する。夜入は大丸挑灯籠と札渡所を設け、徒目付・作事方が照明、徒目付が火元見締と長屋への注意を担当。退出後は表方が使者で挨拶し、庭方・数寄屋は環江見物所の明方・清掃、兵具方は不寝番を担当する。末朱文化12年、日付・招請の実施結果は記さない。
- 登場人物
- 甘露寺前大納言(国長は目録)、大御隠居、御用番、西丸老中、留守居、付役、使番、取次番、作事方、庭方、数寄屋、医師方、城坊主、膳番、徒目付、兵具方
- 宛先
- 独立宛名・署名なし(扣正文は家老座)
- キーワード
- 甘露寺前大納言高輪招請手当家老座、参府当日挨拶留守居日取使者御用番西丸老中前日届、旅館付役留足軽遠見注進、式臺飾桶清掃棚飾染帷子半袴麻袴黒羽織袴本門留足軽二人、輿張番所贈物医師城坊主供廻出物膳、大丸挑灯籠札渡所火元見締長屋退出礼不寝番
追録7-No.1430式次第旧記雑録暫定版確認度 高
文化12年(末尾朱年注。独立月日なし) / 冊子 469~470頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1430
全上・扣正文在家老座。甘露寺前大納言を高輪邸に招く次第。表門から入り玄関前の中門で下乗し、伊集院隼衛が玄関薄縁へ案内する。太刀取は小姓、櫻井半藏・圖師崎良助・田原喜左衛門・吉井源七郎は取次番として罷り出、留守居付役一人は環江見物下の先立・門外の送迎、供目付は門内から先導する。大御隠居が出迎え座敷へ案内、甘露寺は客居に着座し、大御隠居は主居の向座から少し下がる。贈物への礼、白木三方の熨斗、茶、たばこ盆を出し、小姓が半袴で給仕。大膳太夫・肥前守も半袴で挨拶し退座する。先方への贈物は目録で披露し、取持医師方衆への品は旅館へ回す。掛盆と白木三方で吸物を出し、酒・中皿・肴・土器の盃などを順次供する。「御盆事可被為在」との記載、夜食二汁五菜・香物・本膳と御二御三の付記、塗盆、皿菓子、薄茶へ続く。医師方が相伴し、大御隠居の相伴辞退は書院雑掌で伝える。召替後に庭を見、大奥休息所で子様方、お富貴ほか女中が目見、子様方への贈物も記す。椀菓子・名酒盆、吸物・小皿・重・後段の掛盆等を列記し、大御隠居・大膳太夫・肥前守が寄合、取持医師方が相伴する。退出は両人が玄関まで送り、役々は初め同様に罷り出る。医師方取持、出入城坊主の召呼、その他手当は別紙による。末朱文化12年、料理の個別献立や実施日時は示さない。
- 登場人物
- 甘露寺前大納言(国長は目録)、大御隠居、大膳太夫、肥前守、伊集院隼衛、櫻井半藏、圖師崎良助、田原喜左衛門、吉井源七郎、留守居付役、小姓、医師方、城坊主、お富貴ほか女中・子様方
- 宛先
- 独立宛名・署名なし(扣正文は家老座)
- キーワード
- 甘露寺高輪招請次第表門中門下乗伊集院隼衛薄縁太刀取小姓櫻井半藏圖師崎良助田原喜左衛門吉井源七郎取次、留守居付役一人環江供目付、客居主居向座贈物礼熨斗白木三方茶たばこ半袴、吸物掛盆酒中皿肴土器盃夜食二汁五菜本膳御二御三皿菓子薄茶医師相伴、庭大奥子様方お富貴女中目見椀菓子名酒盆重後段掛盆寄合玄関送城坊主別紙手当
追録7-No.2649書状旧記雑録暫定版確認度 高
天保4年正月15日(年次挿入・朱書、月日本文) / 冊子 938~939頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書2649
猪飼央から三家老へ送った重豪の病状悪化の報告と奥医師の別紙。去る十日に飛脚で報告した後、疲労が増して食事が減り、昨夜半ごろから格別に衰弱したと知らせる。今朝六時に脈等を診察し、詳細は奥医師の別紙の通りであるとして、内談のうえ申し上げるよう依頼する。正月十五日付、猪飼央署。添付の医師記録は十日以後の心下の痞鞭・吐、熊姜湯や白湯、十一日の杉本宗春院の診察、七珍散・半夏・丁香の加味、十二日の野間廣春院の診察と衰弱、十三日以降の食事停滞、脈の微細化、各投薬・針治の経過を記す。十四日に病労が増し、延齢丹や針治などを行った後も脈がさらに微細となり、朝六時には足が冷たくなった旨を記して、高輪詰奥医師・正月十五日で結ぶ。出典は前の全上を受ける扣正文在文庫。主書と医師の別紙、日別の経過・治療・報告の時点を分け、次のNo.2650別書状を混入させない。
- 登場人物
- 猪飼央(尚敏)、島津丹波、川田信濃、二階堂主計、三位様(島津重豪)、杉本宗春院、野間廣春院、高輪詰奥医師
- 宛先
- 島津丹波殿・川田信濃殿・二階堂主計殿
- キーワード
- 猪飼尚敏、猪飼央、三家老、島津重豪、病状悪化、飛脚、正月十五日、今朝六時、奥医師別紙、内談、杉本宗春院、野間廣春院、脈微細、食事減少、熊姜湯、七珍散、半夏、丁香、黒丸子、延齢丹、針治、足冷
追録7-No.2724記事旧記雑録暫定版確認度 高
天保5年(本文、月日未記載) / 冊子 990~991頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書2724
重豪公御譜中の記事。天保五年、重豪の遺物を公家・宮家、将軍家の女性、水戸等の諸家、奥平・戸田・本多等の親戚、島津忠徹とその男子、幕閣・医師・御臺附役へ配ったと記す。近衛忠熙への堆錦料紙箱、御臺への文臺、都君主への玉掛床、甘露寺國長への中央(本文品名)、水戸齊昭への料紙硯箱などを挙げ、手鑑・花入・硯屏・刀掛・短刀・食籠・石盆・鉢・置物・掛物を受取人と数量別に列挙する。夫人・嫡子・養子・男子への贈与も別々に記し、職名・続柄、脱字の疑いを示す小書注を伴う。掛物は花町・梅溪・類井・瀧山・佐川・波浦・歌川・袖村・関川・谷浦の附役別に図柄・筆者・幅数を記す。結びは一門・一族・家老・若年寄・大目付・親戚・近臣等にも各差を設けて賜ったとする。贈与先と品物の対応は長い一覧のため精読記録の各条に保持する。奥平男子の一部の人名脱落を推測で埋めず、遺物の贈与と生前の進上・返礼を混同しない。
- 登場人物
- 大信公(島津重豪)、近衛忠熙、御臺、都君主、甘露寺國長・廣長、圓臺院宮、維覺心院宮、徳川齊位、水戸齊昭、松平齊清・齊溥・齊敏・定永・定和、奥平昌獻・昌高、松平豊熙・保泰・保興、戸田氏庸・氏正、本多脩慎・康融、阿部正篤、松平康任・定穀、島津忠徹及男子、幕閣・親戚・近臣・医師・御臺附役(個別贈与先は精読記録)
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津重豪、遺物配分、天保五年、公家宮家、御臺都君主、公族親戚、幕閣医師、夫人嫡子養子、料紙箱硯箱文臺、手鑑、刀掛短刀、食籠花入置物、挂物三幅対二幅対一幅、御臺附役、図柄筆者、奥平男子脱字、一門一族近臣、個別贈与一覧
追録8-No.628履歴本文群(詔・沙汰、糧米給付、恩賞受領と軍職辞退・治療願・復姓・鎮撫届)旧記雑録暫定版確認度 中
履歴記事:慶応4年戊辰正月3~29日(途中2・3日の戦端を回顧) / 冊子 458~463頁/原整理番号 628/整理ID 628
履歴記事として、正月三日の大坂兵への対応と尾越への引揚げ仲介、二・三日の戦端と隊長・監軍の報告、仁和寺宮・西園寺への一小隊差出し、宮門の警衛と人夫差出しを収める。七日の総裁・山階宮・諸卿列席での演達は、朝廷の軍事・鎮撫の方針と慶喜側への処置を述べる。九日の大寺中納言を介した、会津守護職の手当として置かれた山城六村の糧米給付、十二日の参朝と剣・勅書受領、戦死者の忠魂への金五百両を記す。十四日の薩長協議は軍費・糧米の取扱いを伝え、十六日の元服奉賀では太刀と御馬代銀二十枚を献じる。十八日の海陸軍務総督辞退願、二十四日の傷者治療のため兵庫滞在の英国医師を借りる願いと届書、二十五日の会計裁判所を通じた金二万両、二十九日の島津復姓・忠義改名と届を続ける。日田・長崎方面の鎮撫兵配置と全員引揚げの届も収める。命令、受領、願い、取伝を区別し、糧米・人数・賜物は各条の対象と単位を保持する。
- 登場人物
- 茂久・忠義・薩摩少将、尾張大納言・越前大藏大輔、慶喜・会津桑名、長土藝、仁和寺宮・西園寺三位、岩倉前中将、総裁宮・山階宮・議奏参与、松平容保(原守護職記事)、長門宰相内寺内暢三・薩摩少将内内田仲之助、岡元左兵衛尉、西四辻大夫、中御門中納言、外国事務総督三條前中納言實美、非藏人松室伊勢、英国医師、傷者・兵・人夫
- 宛先
- 引用沙汰は薩州等、願書届書は朝廷へ執奏依頼。十四日書状は内田仲之助宛
- キーワード
- 御履歴慶応四戊辰正月三薩州尾越引揚朝敵条件二三戦端隊長監軍詔書三通五受仁和寺西園寺一小隊六宮門火敵捕警衛人夫連日十人百姓二十五人籠七朝召岩倉演達征東追討九大寺中納言糧米山城愛宕西賀茂田中岩倉市原葛野小北山木辻十二参朝剣勅書忠魂金五百両十四薩長軍費十六元服献太刀銀二十枚十八辞総督廿四英国医師借用傷者兵庫治療廿五金二万両会計裁判所廿九復姓忠義日田長崎鎮撫引揚届
追録8-No.759-2京都で定めた官武一途供列の役別人数と五社参詣等への適用を伝える通達旧記雑録暫定版確認度 中
朱記:慶応4辰六月(日不記)、備後署 / 冊子 584頁/原整理番号 759の2/整理ID 759-2
御側役一人・小納戸二人・小姓二人・医師一人・草履取二人・笠持一人の供列を掲げる。京都で官武一途の供列を定めたので、今後の五社参詣その他の特別な時もこのとおり召し連れ、長柄まで持つ扱いにすると伝える。但し先払横目四人または押二人を召し連れるとし、行列の立て方は別冊どおりとする。末は朱慶応四辰六月、備後の署。
- 登場人物
- 御側役一人、御小納戸二人、御小姓二人、御医師一人、御草履取二人、御笠持一人、御先払横目四人または押二人、備後
- 宛先
- 供列に関わる向々(個別宛名不記)
- キーワード
- 原759の2官武一途供列側役壱小納戸貳小姓貳医師壱草履取貳笠持壱五社参詣特別時長柄先払横目四又押二行列立別冊外略朱慶応四辰六月備後
追録8-No.930-1伝事生産営繕等の附士区分呼称支配と士族願出を改める達旧記雑録暫定版確認度 中
明治2年十一月12日知政所(年は朱書)/来正月届出期限 / 冊子 709~710頁/原整理番号 930の1/整理ID 930-1
私領家来を各郷士族とする際、普代・新参・職業・身分差を定め名実相当を求めた趣旨に照らし、伝事・生産・営繕方の附士等を改める。伝事方附士は家筋由緒職分を記し来正月までに願い出て郷へ移る扱いとし、細工・紺屋等でも軍役可能な者を吟味するが、当分の医師・学館勤等は当地在勤を認める。船手の家筋・現職別に軍艦方附士・附属を定め、軍務局支配と平日運送船の生産奉行取扱いを区別する。生産方附属長・附属・附属長格、営繕方附属長・附士の対象と所管を分け、来正月願出、金山錫山・琉球島運送等の扱いを定める。営繕方附属の呼称を改め、諸附士は取扱治定後に追って廃する旨を伝える。朱十一月十二日知政所、張紙十三郷を附す。原身分評価・条件を保持し、全員の士族化や即時廃止完了は補わない。
- 登場人物
- 知政所、私領家来、普代・新参、伝事方・生産方・営繕方の附士等、医師・学館勤、地頭、軍務局、生産奉行、家来・百姓・町・濱人と原賤之家職の者
- 宛先
- 承知すべき関係向々、伝事方、生産奉行、地頭等各担当
- キーワード
- 原930の1通達留私領家来普代新参名実職分伝事方附士家筋職業郷士族来正月願医師学館勤当分当地軍艦方附士附属軍務局生産奉行生産方附属長附属長格営繕方附属長附士苗代川道之嶋原賤之家職家来百姓町濱諸附士治定後追廃張紙十三郷朱十一月十二
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 183書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月十日 / 冊子 115~116頁/原整理番号 183
川上久国・三原重庸が、黄門様の病状がこの一両日重くなったと報じ、医師衆と治療・養生を相談するため相手に来訪を求める。薩州様の到着状況などを踏まえ、今後の対応を協議するよう依頼する。
- 登場人物
- 川上久国、三原重庸、黄門様、御連枝、薩州様、有馬の医師衆
- 宛先
- 吏部様参、人々御中
- キーワード
- 川上久国、三原重庸、黄門様、病状悪化、医師衆、治療、養生、来訪依頼、薩州様、有馬
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 191書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
二月十一日 / 冊子 120~121頁/原整理番号 191
川上久国・三原重庸が島津久元・伊勢貞昌・山田有栄へ、黄門様の疲労が続く状況を詳報する。平田主殿助を側近衆に加えること、食事・排泄・脈・服薬・睡眠など日々の病状と医師の処置を述べ、今後の養生を相談するとともに、黄門様が待つ薩州様の帰着についても伝達を求める。
- 登場人物
- 川上久国、三原重庸、島津久元、伊勢貞昌、山田有栄、黄門様、平田主殿助、弟子丸治左衛門、医師衆、薩州様
- 宛先
- 島津野州様、伊勢兵部少輔様、山田民部少輔様、人々御中
- キーワード
- 川上久国、三原重庸、黄門様、平田主殿助、病状、食事、排泄、脈、服薬、睡眠、医師、養生、薩州様
追録5-No.1616病気首尾一件旧記雑録暫定版確認度 要確認
〈宝暦五年〉六月十三日(目録。の七の本文は六月のみ) / 冊子 537~538頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1612
重年の病状悪化と家督継承に関する七件の書付。病気が重く大切な容体になった旨の届書と、急変した場合に当年十一歳の嫡子松平又三郎へ跡式を相違なく継がせてほしいとの願書を収める。施療医師名書は武田長春院・井上交泰院・村田長庵・森宗乙の四人の薬を服用したと記し、別に望月三英を掲げる。縁者一類名書は容体を知らせる相手八名を列記し、容体書は四月中旬の疝積発病から薬を替え、草臥れが増して大切になった経過を述べる。山澤小左衛門の首尾書は、酒井左衛門尉の用人関茂太夫を介する病気届一通の提出と受領を報告する。相馬宛ての伺書では、帰国も難しい病状のもと、又三郎への家督・琉球国を含む領地の継承を願い、幼少の又三郎に不慮のことがあれば家中が安気でなくなるとして、実弟嶋津中(久珍、二十四歳)を又三郎の末養子とする案と琉球国の処置を一類とも相談し、事前に内々の意見を求める。
- 登場人物
- 島津重年(松平薩摩守)・嫡子松平又三郎十一歳・実弟嶋津中(久珍、二十四歳)・相馬・武田長春院(信郷)・井上交泰院(方正)・村田長庵(昌利)・森宗乙(春山)・望月三英(君彦)・松平右近将監・西尾隠岐守・堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・山澤小左衛門・関茂太夫・松平隠岐守・松平越中守・阿部伊豫守・鳥居伊賀守・松平河内守・柳生采女・水野肥前守・嶋津淡路守
- 宛先
- 堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守(願書)/松平右近将監・西尾隠岐守(医師名書)/相馬様(伺書)/他は独立宛名なし
- キーワード
- 病気、疝積、容体、六月十三日、又三郎十一歳、跡式、手振印判、施療医師、縁者八名、服薬、届書一通、山澤小左衛門、関茂太夫、琉球国、嶋津中久珍二十四歳、末養子、内談
追録5-No.1616-3医師名書旧記雑録暫定版確認度 高
〈宝暦五年〉六月十三日(目録) / 冊子 537頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1612-3
松平右近将監・西尾隠岐守宛ての施療医師名書。御医師として武田長春院・井上交泰院・村田長庵・森宗乙の四名を掲げ、右四人の薬を服用したと記す。武田には信郷、井上には方正、村田には昌利、森には春山との小字注が付く。別に望月三英を掲げ、君彦との小字注を付す。本文には日付・差出人の署名は記されない。
- 登場人物
- 武田長春院(信郷)・井上交泰院(方正)・村田長庵(昌利)・森宗乙(春山)・望月三英(君彦)
- 宛先
- 松平右近将監・西尾隠岐守
- キーワード
- 施療医師名書、武田長春院信郷、井上交泰院方正、村田長庵昌利、森宗乙春山、望月三英君彦、四人の薬、松平右近将監、西尾隠岐守
追録5-No.1621-2医師名書旧記雑録暫定版確認度 高
〈宝暦五年〉六月十五日 / 冊子 540頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1621-2
重年が服用した薬の医師として、武田長春院・井上交泰院・村田長庵・森宗乙の四名を列記する。別に望月三英の名を掲げる。
- 登場人物
- 重年・武田長春院・井上交泰院・村田長庵・森宗乙・望月三英
- 宛先
- 記載なし
- キーワード
- 施療医師、服薬、四名、望月三英
追録5-No.2435幕府申渡書旧記雑録暫定版確認度 高
宝暦十年十月七日 / 冊子 795頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2435
十月七日の幕府申渡書で、同氏大隅守が国元で病気のため、願いのとおり医師村田寿庵を派遣するので、その旨を承知するよう伝える。朱書に「松平薩摩守に」と宛先が記されている。
- 登場人物
- 同氏大隅守・村田寿庵・松平薩摩守
- 宛先
- 松平薩摩守に(朱書「在口裏」の宛先。重豪は関連記事比定)
- キーワード
- 宝暦十年辰十月七日朱、同氏大隅守国許病気、願通り医師村田壽庵派遣、可得其意、朱在口裏薩摩守に、願提出者独立署不記
追録6-No.2042書状旧記雑録暫定版確認度 高
天明四年正月廿日 / 冊子 722頁/原整理番号 2042/整理ID 2042
大進久起が左中・二階堂主計に、妙心院の不快について於千萬や女中方から南泉院の加持を求める意向があったと伝える。南泉院の大奥への通行等は通常容易に許さないが、この時は格別として相談し、加持を許したこと、側役も詰めるよう命じたことを知らせる。奥御医師のうち二人を付けた件は先便で伝えており、平田長淳・左近允喜泉を詰めさせ、伺わせるよう命じたと記す。上への伝達は相手の考えに任せる。天明四年正月廿日付、島津大進の書状。大野休之丞の便を通じた受達の朱注を伴い、正文は家老座にある控え。
- 登場人物
- 島津久起(大進)、於千萬、御女中、南泉院、御側役、平田長淳、左近允喜泉、嶋津左中、二階堂主計、大野休之丞
- 宛先
- 嶋津左中殿・二階堂主計殿
- キーワード
- 島津久起、大進、妙心院、不快、於千萬、女中、南泉院、加持、大奥、通行、格別、側役、奥御医師、二人、平田長淳、左近允喜泉、詰番、伺い、左中、二階堂主計、受達、大野休之丞、正文在家老座
追録8-No.823細工奉行医師旧役廃止と侍医新設・診療当番の達旧記雑録暫定版確認度 中
明治2年二月24日知政所 / 冊子 643頁/原整理番号 823/整理ID 823
通達留。藩治職制の治定により御細工奉行と御医師の役々を廃し、侍医を新設する。両御丸その他の詰所はもとの御医師詰所とし、本科・鍼科が繰り回しで泊番まで勤め、毎朝の拝診を終えた上で退出するよう求める。但し両御本丸は当分病気中などであるため、両科がともに昼番・泊番を勤める扱いは都合次第に命じるとし、向々へ早く周知するよう求める。明治二己二月廿四日、知政所。診療当番の規定であり、病名、診療人数、治癒・実勤務完了は記されていない。
- 登場人物
- 知政所、御細工奉行、御醫師、侍醫、本科・鍼科、両御本丸の診療対象(具体人名不記)
- 宛先
- 向々、侍医と診療当番の担当
- キーワード
- 原823通達留細工奉行醫師旧役廃侍醫新設両御丸旧医師詰所本科鍼科繰廻泊番毎朝拝診退出両御本丸病気中両科昼番泊番都合次第二月廿四知政所
追録2-No.2787記事旧記雑録暫定版確認度 中
宝永六年四月十一日~五月二十五日 / 冊子 837–838頁/整理ID 2787
病気の吉貴夫人の相州湯本湯治について、吉貴が井上正岑を通じて願い、将軍宣下賀儀の後に許可を得る。四月十一日、御台君が餞別に御袷十・干鯛一箱を贈り、十三日江府を発ち二十日湯本着。侍女・医師・諸役・軽士四十余人に加えて足軽六十八人が同行した。三十日湯治し、五月二十日湯本を辞して二十五日江府へ帰る。
- 登場人物
- 吉貴夫人・吉貴・井上正岑・御台君・三雲新兵衛定恒・医師木村元達・小田宗信・野本玄固
- 宛先
- —
- キーワード
- 吉貴夫人、井上正岑、御台君、湯本温泉、餞別干鯛一箱、四月十一日、十三日江府発、二十日湯本着、軽士四十余、足軽六十八、五月二十日辞、二十五日江府帰
追録5-No.2749保姫入輿当日祝儀次第旧記雑録暫定版確認度 要
宝暦十二年十二月四日(婚姻当日。本文中に「来月四日」) / 冊子 947~952頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2749
保姫の婚姻当日、淨岸院への料理、松平越前守方の見送使者・家老の来訪、各室の座飾りを定め、近習役・年寄から事前に料理の進上を伝える。熨斗・茶・雑煮・吸物・盃を進め、太守の盃の取替え、年寄・若年寄への雑煮と酒肴、意向に応じた三汁八菜、附用人・医師・用達・台所頭・同朋衆への二汁六菜、中臈・小姓・表使・部屋子などへの二汁三菜、半下への一汁三菜と水菓子・せんし茶、小間遣などへの一汁二菜を記す。本文で「来月四日」と記す入輿の見送役酒井與惣左衛門を玄関から鳩之間へ迎えて用人・留守居・家老が挨拶し、副使にも同室末で屏風を設けて茶・煙草盆・酒肴を供する。表書院、新奥の各室、中奥、休息所の掛物・筆者・立花・香具・歌書などを列挙し、末尾に諸大名・家臣名と「御断」「御勝手」の注記を載せる。
- 登場人物
- 保姫・淨岸院・松平越前守・酒井與惣左衛門・太守・年寄・若年寄・附用人・医師・用達・台所頭・同朋衆・中臈・小姓・表使・部屋子・半下・小間遣・用人・留守居・家老・副使・ほか末尾列記の諸大名・家臣
- 宛先
- 記載なし(独立宛名なし)
- キーワード
- 淨岸院料理進上前触、見送使者家老来訪、年寄若年寄三汁八菜附用人等二汁六菜中臈等二汁三菜、十二月四酒井與惣左衛門鳩間迎接副使、各室掛物筆者香具歌書、諸大名家臣名御断御勝手注、半下一汁三菜水菓子せんし茶、小間等一汁二菜
追録6-No.338式次第旧記雑録暫定版確認度 高
明和三年十月(来る五日の招請を対象とする次第) / 冊子 141~142~143~144~145~146頁/原整理番号 338/整理ID 338
来る五日の民部卿招請について、準備から送迎・贈答・料理・供衆の手当までを定める次第。明和三年十月付、高橋此面の名と種寿の注がある。招請日を内々に定めた後、家老の使で表立って通知し、夫人の年寄・局が一橋へ赴く折に奥へも伝え、機会がなければ使を立てる。前日に来訪を再確認し、当日は出迎え役、門前・道中の立番、下乗、太守の玄関・式台での迎接と書院の座を定める。家老・用人・近習役・留守居等は長裃、田沼能登守・末吉善左衛門は麻上下など、着用と御目見の扱いを指定する。
三献の杯・銚子・肴の順と、一橋小姓及び薩摩側小姓の給仕分担を記す。民部卿から太守へ太刀・金馬代・縮緬五巻・二種一荷、太守から民部卿へ太刀・金馬代・縮緬五巻・三種一荷を示す。贈答目録は留守居から善左衛門、さらに能登守を通して披露し、品を用意するに及ばないという但書を付す。鎌三郎・金次郎との干鯛各一箱の贈答も定める。奥では夫人と対面し、民部卿から夫人への縮緬五巻・二種一荷、淨岸院から老女の使で届ける檜重一組や菓子を記す。夫人側からの進物は奥で渡すとする。
本膳は三汁十菜・白木具とし、引物、八寸、吸物、島台、菓子、濃茶・薄茶を順次記す。機嫌次第で茶屋へ、又は休息所へ案内し、重一組・吸物・銚子などを出す。帰る際は表に再着座せず、太守が玄関板の間まで送り、帰着確認や夜間なら翌日の見舞い・御礼の使を定める。供衆には、家老・番頭・用人へ二汁六菜と見合吸物・酒肴五種、小姓・近習番・医師へ二汁五菜と酒肴三種、そのほかの役組へ一汁二菜と酒肴二種を出し、下位の道具持・駕籠・中間・馬口付・馬飼等には赤飯を出す。給仕は広間小姓又は足軽、御目付の受込、兵具所肝煎の挨拶まで指定し、首尾掛へ申し渡す。
朱注は当日に変わった箇所を直したものと明記する。能登守が御座の間での盃を辞退し書院で御目見とし、善左衛門も同様としたこと、帰殿後の善左衛門の使による挨拶、伊織の返答取次、夜陰のため当日の使者勤めをせず翌六日に勤めたことを補う。扣正文は江戸家老座にあるとする。
- 登場人物
- 高橋此面(種寿の注)、民部卿(治済)、太守(重豪)、御前(夫人)、淨岸院、田沼能登守(意誠、一橋家老の注)、末吉善左衛門(利隆、一橋近習役の注)、鎌三郎、金次郎、伊織(朱注の返答者)、家老・用人・近習役・留守居、年寄・局・小姓、料理役・医師、番頭・供衆、首尾掛
- 宛先
- —
- キーワード
- 来る五日、招請次第、内々日程・表立通知、迎接、長裃・麻上下、三献、贈答目録、干鯛一箱、夫人対面、淨岸院檜重、三汁十菜、濃茶・薄茶、茶屋、帰着確認、供衆別料理、赤飯、首尾掛、当日朱注修正、能登守盃辞退、翌六日使者
追録6-No.694式次第旧記雑録暫定版確認度 中
明和七年五月(日無記載) / 冊子 260~261~262頁/原整理番号 694/整理ID 694
結納・婚姻に向けた警固、支度、室内飾り、食事、祝いの手順を定める。時触は例どおり、表門押番二人、張番所物頭一人、兵具所肝煎、小番・大番・打込番は麻上下、足軽は羽織袴とし、御勝手御書院の掛物・生花・棚飾を整える。見舞客のため五、六人前を御末の仕出しで用意し、付使者があれば鳩之間で二汁三菜、菓子、薄茶を出し、出入医師も同様とする。出座して見舞う馬廻二人を置き、物奉行は十人前を手当てする。使者の格式によって取次の間へ案内し、用人が返答、相手の格式に応じ甲用人・留守居が伝達し、広間詰小姓も適宜命じる。御中奥は寿老人の掛物・立松・棚飾・丁子風呂を整え、在土は原島津久柄室と注す葦殿へ参上するよう、先に年寄から文で伝える。中奥に太守様・御前様が着座し、熨斗は白木三方で、茶、式三献、雑煮、差味、塗三方の土器、挟肴、銚子、吸物・掛盃、簡の銚子を順に出す。夫妻は葦殿で相伴し、意次第で二汁五菜の料理、御肴の居付、銘々の盃、銚子、肴を出す。続いて吸物、島臺、挟肴、銚子、湯、菓子、濃茶、後菓子、薄茶、時節に応じた間の吸物・肴・菓子、意次第の後段を用意する。年寄・若年寄・表使・中臈・若女中へは吸物・銚子を、以下へは取肴・酒を下す。納殿役人は年寄と同様、葦殿供の年寄は若年寄と同様、供女中は取肴・銚子とする。表家老には中奥で吸物・取肴・酒を、御前様からは盃を戴いて肴を下し、側用人・表用人・近習・納戸奉行には近習の吸物・酒を配る。中奥の側用人・近習・納戸奉行・納殿役人にも同様に出し、側廻・奥勤の者には席で取肴・酒を、年寄・若年寄・表使・中臈・若女中には酒を通す。樽肴は太守様・御前様の年寄から浄岸院様へ内々に進める。御守殿その他へも祝いを伝え、役人の祝儀が済んだら家老へ挨拶し、諸士は当日または後日の精進日間に帳面へ記して退出する。末尾は明和七年の朱注、五月、左京の署で、手当てを命じ、日限は追って知らせるとする。
- 登場人物
- 左京(樺山久智、692署との対応)、太守様、御前様、御年寄、浄岸院様、物頭、兵具所肝煎、足軽、小番・大番・打込番、使者、医師、馬廻、物奉行、用人、留守居、島津久柄(在土原注)、家老、納殿役人、近習・納戸奉行・女中・諸士
- 宛先
- —
- キーワード
- 結納婚姻準備、警固支度・掛物生花棚飾、押番二人物頭一人、見舞五六人前・十人前手当、付使者二汁三菜と格式別案内、中奥着座・式三献、葦殿相伴・二汁五菜、茶料理盃銚子菓子の順、役人女中供人の配膳区分、浄岸へ樽肴、御守等祝儀、諸士帳面退出、五月左京署・日限追報
追録6-No.1002記事旧記雑録暫定版確認度 高
安永二年二月二十七日~三月五日の記事(附注に閏三月二十一日) / 冊子 357頁/原整理番号 1002/整理ID 1002
重豪公御譜中の記事。二月二十七日から浄岸院の中陰梵儀を七日間行い、小注に二十七日から三月三日までとある。初日は島津備前貴儔、晦日は島津兵庫久徴、三月三日の満散は島津貴儔が代参し、祭文を上げた。四日に織田信方が福昌寺の浄岸院廟主へ参詣し、将軍家治と大納言家基の名代として焼香・伝拝した。同日、備前貴儔が賜られた賻銀を牌前へ供えた。信方は勤めを終えたので江戸へ書を送り老中へ報じ、翌五日に藩府を発って東武への帰路についた。附注には留守居付・歩士・医師等を信方に付けたこと、同日側用人中村与太夫種暁も江府へ赴任させて同行し、九州・山陽・東海の三駅路を経て同年閏三月二十一日に江府へ到着したことを記す。法要の日程と代参者、幕府の名代焼香、帰路の出立と到着をそれぞれ区別して収録する。
- 登場人物
- 浄岸院、島津備前貴儔、島津兵庫久徴、織田信方、将軍家治、大納言家基、老中、留守居付・歩士・医師、側用人中村与太夫種暁
- 宛先
- 記事のため独立宛書なし
- キーワード
- 中陰法要七日、代参・祭文、幕府名代焼香、賻銀、帰路・随伴
追録6-No.1354達書旧記雑録暫定版確認度 中
安永五年三月(日記載なし、年は朱)、宝暦八寅年の先規に言及 / 冊子 488~489~490頁/原整理番号 1354/整理ID 1354
下馬より下乗橋まで召し連れる人数を身分別に示す。四品および十万石以上、国持の嫡子は侍六人・草履取一人・挟箱持二人・六尺四人、雨天は傘持一人。一万石以上は侍五人または四人を分限に応じて召し連れ、草履取一人・挟箱持一人・六尺四人、雨天は傘持一人とする。下乗より内では、四品・十万石以上と国持の嫡子は侍三人。一万石以上は嫡子も侍二人、幼少の場合は別に介添一人を加えることを勝手次第とし、草履取一人・挟箱持一人、雨天は傘持一人とするが、挟箱は中御門外に残す。番頭・諸物頭・布衣以上の役人、中奥小姓衆、三千石以上の寄合は侍二人・草履取一人・挟箱持一人、雨天は笠持一人。三千石以下の寄合・布衣以下の役人・中奥番衆・惣御番衆は侍一人・草履取一人・挟箱持一人、雨天は笠持一人。医師は侍・草履取・挟箱持・薬箱持各一人、雨天は笠持一人。城に部屋のない者も挟箱を中御門外に残し、御役人はこれまで通りとする注を保つ。江戸の往還は小勢とし、国持でも騎馬一騎または二騎、供鎗二本または三本以内。侍は九千~五千石で七人または八人、四千~三千石で六人または七人、二千~千石で四人または五人、九百~三百石で二人または三人、二百石で一人または二人。押足軽は五千石以上二人、三千石より四千石まで一人、三千石以下は無用とする原区分を保ち、境界の三千石を一方へ補正しない。番頭・芙蓉之間の役人は押一人。軽輩の長柄傘は無用とし、陪臣もこの人数に準じて小勢にする。供の風俗を目立たせず、道を片付けて通行を妨げないよう命じる。先年の供廻規定がおろそかになったとして、宝暦八寅年に伝えた規定を堅く守るよう改めて示す。大名往還の先供・駕籠脇は一万石以上十三人または十四人、五万石以上十七人または十八人、十万石以上二十人まで。分限に応じ、国持も含めて先供・駕籠脇を二十四人または二十五人以内とし、徒歩の者だけでなく挟箱ほかの供の行列にも、およそ五、六尺ずつの間隔を置く。登城・御曲輪内の往来では騎馬供を無用とする。国持・溜詰・御三家庶流の従来の騎馬供は御曲輪外で一行を離して召し連れることを勝手次第とするが、一騎または二騎以内、鎗もその騎馬の者が持つ数とし、ほかに供馬を率いることは無用とする。前々から供馬・供鎗がある国持・溜詰・御三家庶流は別格とする一方、近来これを増やした場合は無用とする。旧来の者にも四品被仰付・大広間席不相成以前という条件で向後無用とする条項があり、この原条件を保って一律に許可されたとはしない。その他の供もこの規定に準じて小勢とし、登城・御曲輪内で混雑する際、快晴なら一行の合羽籠などを見計らって最寄りの途中に置くよう命じる。末尾は安永五年三月。場面別・身分別・雨天時・旧例の条件を保持し、人数を合算して実参加人数にしたり、尺を現代距離へ換算したりしない。
- 登場人物
- 諸大名、国持、嫡子、番頭、諸物頭、布衣上下の役人、中奥小姓衆・中奥番衆、寄合、惣御番衆、医師、陪臣、溜詰、御三家庶流、供の者
- 宛先
- 宛所名記載なし(身分・石高別の規定)
- キーワード
- 供廻人数、下馬下乗橋、下乗内、身分石高別侍、雨傘笠、中御門外挟箱、江戸往還小勢、押足軽三千石境界留保、騎馬一二騎、供鎗二三本、長柄傘無用、宝暦八寅年先規、先供駕籠脇十三四/十七八/二十/二十四五人、行列五六尺、御曲輪内騎馬無用、合羽籠途中残置
追録6-No.2469-16式次第旧記雑録暫定版確認度 高
天明六年(十月七日~十六日の参詣日割、発給日記載なし) / 冊子 896頁/原整理番号 2469の16/整理ID 2469-16
法会の参詣者を十月七日から十六日まで、御三家・諸大名・諸役人・寄合・御番衆などに分けて割り当てる。各指定日の朝四時から九時までに、直垂・狩衣・大紋・布衣の者と法印・法眼はその装束で、無官は熨斗目長袴で参詣する。牽馬と供の者は黒門前の橋の外に残すよう定める。 日割は、十月七日:御三家;十月八日:宮内卿・民部卿、諸大名一万石以上と嫡子;十月九日・十日(いずれか一度):高家・詰衆・奏者番と嫡子・菊之間縁頬詰と嫡子・番頭・芙蓉間役人・中奥衆;十月十一日・十二日(いずれか一度):布衣以上の諸役人・医師;十月十三日:寄合;十月十四日~十六日(いずれか一度):御番衆・小役人。
- 登場人物
- 御三家、宮内卿、民部卿、諸大名と嫡子、諸役人、医師、寄合、御番衆、小役人
- 宛先
- 宛所記載なし
- キーワード
- 法会、参詣日割、装束、牽馬、供回り
追録7-No.無番号_0054申渡書旧記雑録暫定版確認度 高
寛政10年午9月6日(朱注・帳留写);本問合せ8月15日とは別 / 冊子 219頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書無番号_0054
706の6、朱注は寛政10年午9月・帳留写。鹿児島下中町名頭青木嘉右衛門の女子、札名きくとを、思召によって奥医師永田閑龍の養女に仰せ付け、今日大奥の小姓に召し抱えたので承知し、諸向へ渡達等するよう求める。午9月6日、広敷用人連名、記録奉行本田孫九郎殿宛の朱注。「ここ」は朱線の消印との説明を伴う。同面の8月15日付問合せと、その亥8月16日朱返答とは別の過去の帳留写であり、年度・日付・任用と養女命令を分ける。
- 登場人物
- 青木嘉右衛門女(札名きくと)、奥医師永田閑龍、本田孫九郎、御広敷御用人衆
- 宛先
- 本田孫九郎殿(朱注)
- キーワード
- 706の6、寛政十年午九月帳留写、下中町名頭嘉右衛門女、札名きくと、閑龍養女、大奥小姓、渡達、朱線消印
追録8-No.76証状旧記雑録暫定版確認度 中
天保十三年三月廿一日 / 冊子 50~51頁/原整理番号 76/整理ID 76
市来龍雲寺に伝わる立久の古い画像一幅を修補し、同寺で永く格護するよう命じた証状。顔貌は明瞭だが装束などが傷み題号も不明瞭であったため、斉興の命で奥医師と絵師馬場伊蔵が立ち会い、伊木七郎右衛門が調べた。永正七年の記録見聞にある家紋の記載と対応することを確認し、その家紋を採って修補した。風帯・一文字は青地金欄、中縁は白地金欄金筋立、上下・脇縁は繻珍、紫絹啄木、金属軸は七子地に御紋と唐草毛彫とする。浅黄羽二重の包み、真塗に金粉銘書の内箱、薄溜塗に朱漆銘書の外箱なども記し、修補した画像を寺社方へ渡し、もとの龍雲寺で格護させる。天保十三年三月二十一日付で島津和泉久風が署判する。
- 登場人物
- 島津立久、島津斉興、島津和泉久風、奥医師(名字字形留保)、絵師馬場伊蔵、伊木七郎右衛門
- 宛先
- 寺社奉行
- キーワード
- 島津立久、肖像、画像修補、市来龍雲寺、永正七年記録、家紋、表具、箱、格護
追録8-No.1024-1産科医療導入のため英国式器械と医師二人の研修を定める達旧記雑録暫定版確認度 中
辛未3月知政所 / 冊子 805頁/原整理番号 1024の1/整理ID 1024-1
藩内では産科療術が未整備で難産による母子の被害が多いため、局学校で雇い入れた教師から英国式の産科手術器械が伝来した機会に、産科医師の敏嶋嘯齋・渡邊昌齋を産科掛に任命して修学させる。難産・産婦療治を希望する者は病院へ申し出て受療するよう周知する。辛未三月知政所。
- 登場人物
- 知政所、産科医師、敏嶋嘯齋、渡邊昌齋、局学校教師
- 宛先
- 産科医療・学校関係者および患者
- キーワード
- 産科療術、難産、母子、局学校、英国式手術器械、敏嶋嘯齋、渡邊昌齋、産科掛、修学、病院、産婦療治
追録8-No.22-1法度旧記雑録暫定版確認度 高
天保九年二月廿一日 / 冊子 12~13頁/原整理番号 22の1/整理ID 22-1
天保九年二月二十一日付の武家諸法度。文武忠孝と礼義、毎年定められた時期の参勤交替と従者数の抑制、分限に応じた人馬・兵具の用意を求める。城郭の新規構築を禁じ、修補は奉行所の指図を受け、徒党・誓約・私関所・新法の津留、無断の出向、喧嘩口論や私的な談議を禁じる。異変は奉行所へ届け、主従双方に責任を負わせ、百姓の訴えは支配側で処理できなければ評定所へ差し出す。領主等の私婚姻を禁じ、公家との縁組には指図を求め、贈答・婚礼・饗応・家宅造作などは倹約して私的な奢りを避けるよう定める。衣服と乗輿には身分別の規定を置き、養子は生前の届出を原則とし、五十歳以上十七歳以下の者や末期の場合は吟味を受け、殉死を禁じる。知行地の政務を清廉に裁き、国郡の衰弊を防ぎ、道路・駅馬・橋舟の往還を保つこと、大船の停止、従来の寺社領の維持と新規寺社建立の停止、各国各所で江戸の法度を守ることを命じる。
- 登場人物
- 国主・城主・万石以上の領主、近習・諸奉行・諸物頭、公家、医師、僧家、従者・若党・弓鉄砲の者(個人名記載なし)
- 宛先
- 国主・城主・万石以上の領主等(個別の宛名なし)
- キーワード
- 武家諸法度、文武忠孝、参勤交替、城郭、婚姻、養子、殉死、倹約、知行、寺社領
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 48軍賦制度考証・稽古論旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 47~48頁/原整理番号 48
伊地知季安が寛永九年の軍賦改定と天草・島原援軍時の事情を論じ、慶安元年・寛永十五年・十七年・慶長十八年などの古い軍賦帳や元和九年の公儀定と比較する。少人数主従の騎馬を停止した見直し、五番編成、東目・西目の出陣に応じて各外城地頭を先頭に繰り替える方式を挙げる。軍賦は古制と近例を時所に応じて斟酌して定めたものと考え、古帳を借り出して年代を考え、写して稽古の便に備える。
- 登場人物
- 伊地知季安、島津家久(慈眼公)、伊勢貞昌、川上久国、島津久慶、新庄右近大夫、慶祐・意徳(医師)、寺澤家
- 宛先
- なし
- キーワード
- 稽古、軍賦、兵賦改定、騎馬、旗本、東目、西目、出陣編成