← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-0309巻6:93/巻11:212公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

義岡久延

異名・検索語:義岡久延/義岡蔵人久延/島津久延/島津蔵人久延/又二郎

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

DESCRIPTION

本文内容説明

義岡蔵人久延(又二郎)は喜入季久の二男で、母は佐多忠将の娘。永禄四年生まれ。島津氏の項目では忠俊の養子とされ、久延の代に義岡氏へ改めたとして詳伝へ参照を指示する。義岡氏の詳伝によれば、養家に嗣子がなくなったため義久の命で後嗣となり、天正八年に義久から諱の一字を与えられて義岡と号した。天正十五年、竜伯(義久)の初上洛に供奉。文禄四年四月十四日、山城国伏見で病没した。三十五歳。

系譜・人物関係

実父喜入摂津季久入道休宅の二男、母佐多伯耆守忠将女。島津条に忠俊養子と明記。義岡詳伝にも忠俊伝記志ノ部への逆参照がある。島津久延と義岡久延を同一人物として統合。旧義岡忠也の後嗣という説明は誤読のため訂正。

奉公・役職

義久の命で後嗣となり、天正八年に義久の諱の一字を与えられて義岡と号したと記す。天正十五年、竜伯の初上洛に供奉。具体的な役職は本条に記載なし。

軍役・事績

本人の合戦武功は記載されない。祖先豊久の飫肥戦死・忠実や忠俊の戦死は本人の戦績ではない。親族忠俊の戦死日は義岡条で元亀二年八月十七日、忠俊条で同年九月二十七日と不一致のため、久延の公開文には採用しない。

生没・法名等

永禄四年生。文禄四年四月十四日、山城国伏見で病没、三十五歳。法名の中央字は一英・一芙の判読課題が残るため公開文では省略する。墓所は記載なし。

統合人物ID
HP-0309
原人物ID群
06-093-05/11-212-04
氏・分類
義岡
掲載巻頁
巻6:93/巻11:212
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
実父喜入摂津季久入道休宅の二男、母佐多伯耆守忠将女。島津条に忠俊養子と明記。義岡詳伝にも忠俊伝記志ノ部への逆参照がある。島津久延と義岡久延を同一人物として統合。旧義岡忠也の後嗣という説明は誤読のため訂正。
検索キーワード
天正/文禄/戦死/飫肥/二男/子/父/母/孫/嗣子/女/法名/歳/家系由緒・奉公・軍役/島津久延/義岡久延/喜入季久/忠俊養子/義久/上洛供奉/伏見病没
公開区分
公開可
精読・確認状況
従来記録:精読済(今回の再精読は未実施)
公開判定根拠
従来判定を継承。新基準による個別再判定は未実施。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
島津久延AI全1頁・義岡久延AI全2頁、忠俊AI全1頁を照合。久延2条は相互参照する同一人物。公開HP-1282をHP-0309へ統合し原見出し2件を保持。義岡詳伝の隣接文字を除いた確認用・AI用各2頁へ差替え、旧2PDF保存。島津条PDFは維持。新規採番なし。
判読保留
与ノ部を旧伊予ノ部から訂正。忠俊戦死の月日は記事間で不一致、祖先系譜の細部と法名中央字は留保。旧忠也・元亀元年の誤読を解除。本文2条の相互参照、本人の出自・養嗣・上洛供奉・伏見病没を採用して公開可を維持。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』