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HP-0376巻9:179注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

宮内宗繁

異名・検索語:宮内宗繁/宮内次郎左衛門/次郎左衛門/宗繁

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:見出し注は鮫島の養子となったことと子孫鮫島仲之丞を記すが、養子の時期・宮内家相続との前後関係は未確定。/家の由緒と宗繁本人の経歴を分け、先行する羽月移住・足軽大将を本人の確定事績としない。/蒲生死去に対し脇注に戦死の異記。注記の参照先細字、没年月日・戦死事情は未確定。清右衛門・四郎兵衛の経歴を本人へ転用しない。

DESCRIPTION

本文内容説明

宮内次郎左衛門は入道名を宗繁という。本文は宮内家の宇都宮氏としての由緒を述べた後、奉公高が多い一方で跡目がなかったため、次郎左衛門に継承を命じて宮内を名乗らせたと記す。白坂式部とともに肥後から来住した合志加賀一党を討ち、水俣陣では小川伊豆と足軽大将を務めた。惟新公の命で栗野・帖佐・蒲生へ移り、関ヶ原退去では敵二人を討って帰国。本文は蒲生で死去したと記し、脇注に戦死とする異記がある。没年月日は未詳。後段の加治木・鹿児島への移住、筆者役・扶持、鮫島嘉心跡の相続は嫡子清右衛門の事績である。

系譜・人物関係

宮内家の跡目を次郎左衛門に仰せ付ける。宇都宮氏の由緒と鮫島養子・子孫の小注あり。子清右衛門、さらに嫡子四郎兵衛。養子の時期等留保。

奉公・役職

宮内家継承。水俣陣の足軽大将。惟新公の命で栗野・帖佐・蒲生へ移る。

軍役・事績

白坂式部と合志加賀一党を討つ。関ヶ原退去で敵二人を討ち帰国。

生没・法名等

本文に蒲生死去、脇注に戦死とする異記。没年月日・享年・墓所は不明。宗繁は入道名。

統合人物ID
HP-0376
原人物ID群
09-180-01-03
氏・分類
宮内
掲載巻頁
巻9:179
主題・活動
宮内家継承・合志加賀一党討伐・水俣陣・関ヶ原退去
人物関係要約
宮内家の跡目を次郎左衛門に仰せ付ける。宇都宮氏の由緒と鮫島養子・子孫の小注あり。子清右衛門、さらに嫡子四郎兵衛。養子の時期等留保。
検索キーワード
宮内宗繁/次郎左衛門/宇都宮氏由緒/宮内家相続/鮫島養子注/白坂式部/合志加賀/水俣/小川伊豆/足軽大将/惟新公/栗野/帖佐/蒲生/関ヶ原/清右衛門/四郎兵衛/筆者役/鮫島嘉心
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
旧AI全3頁・原冊179頁下段拡大・修復通常AI各全1頁確認済。見出し小注を回収。
公開判定根拠
宗繁本人と家の由緒・子孫の事績を区別し、蒲生死去と戦死異記を公開注記に明示して本文への検索案内を維持する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
原冊179頁下段の一宮内次郎左衛門入道宗繁から、子孫四郎兵衛のさノ部ニモ見得タリまで。見出し脇注を回収し、分断3頁を連続1頁へ復元。後続の一宮内茂右衛門は含めない。
判読保留
見出し注は鮫島の養子となったことと子孫鮫島仲之丞を記すが、養子の時期・宮内家相続との前後関係は未確定。/家の由緒と宗繁本人の経歴を分け、先行する羽月移住・足軽大将を本人の確定事績としない。/蒲生死去に対し脇注に戦死の異記。注記の参照先細字、没年月日・戦死事情は未確定。清右衛門・四郎兵衛の経歴を本人へ転用しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』