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HP-0389巻二:24注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

橋口安張

異名・検索語:橋口安張/橋口石見守安張/石見守/安張/寿庵/寿菴/安宗(本文表記・異同留保)

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:見出しは安張、本文の正国十五代之孫に続く名は安宗と読める。異名・誤記のいずれかを断定せず同一表記へ統一しない。/賞賜状の日付は慶長二月廿九日で年ノ脱の注がある。従来の慶長二年二月二十九日を撤回し、慶長年間の年未詳二月二十九日とする。引用状の此表の地名は補わない。

DESCRIPTION

本文内容説明

橋口安張は石見守、入道寿庵。大和から薩摩へ下った刀工正国の十五代の孫とし、谷山波平の刀鍛冶の系譜を記す。文禄・慶長年間に惟新公(島津義弘)に従って朝鮮へ渡り、現地で刀を作った。兵船の渡海が困難な中、身命を顧みず参陣したことを賞し、知行五石を与える旨の書状を載せる。差出人は比志島紀伊守・伊集院下野入道、宛名は橋口石見守。日付は慶長の年数が脱落した二月二十九日で、慶長二年とは確定できない。子孫に橋口四郎右衛門行間を挙げ、谷山神光坂之上居住とする。加増・返地目録や名寄帳の存在も記す。本文の安宗と見出し安張の表記差は留保。生没年月日・墓所は不記載。

系譜・人物関係

相馬小次郎将門の後胤とする系譜伝承。大和鍛冶正国の十五代の孫。正国の子行安の渡海と波平称号由緒は先祖記事で本人と区別。子孫は橋口四郎右衛門行間、谷山神光坂之上居住。

奉公・役職

石見守、入道寿庵。文禄慶長年間に惟新公御供で朝鮮へ渡り作刀。知行五石の賞賜状あり。差出人比志島紀伊守・伊集院下野入道、宛名橋口石見守殿。

軍役・事績

渡海困難時に身命を顧みず参陣した功を賞する書状。先祖行安が荒海で自作刀を海へ沈め波平の称を得た由緒と区別する。慶長5年7月9日・6年2月3日・8年7月10日・同年10月朔日、天正20年霜月9日、文禄5年2月9日の加増目録・返地目録・名寄帳の存在を記す。

生没・法名等

生没年月日・没地・墓所は記載なし。寿庵は入道号。賞賜状の二月廿九日を没日としない。

統合人物ID
HP-0389
原人物ID群
02-024-01
氏・分類
橋口安張
掲載巻頁
巻二:24
主題・活動
刀工・朝鮮作刀・渡海参陣・賞賜
人物関係要約
相馬小次郎将門の後胤とする系譜伝承。大和鍛冶正国の十五代の孫。正国の子行安の渡海と波平称号由緒は先祖記事で本人と区別。子孫は橋口四郎右衛門行間、谷山神光坂之上居住。
検索キーワード
橋口安張/石見守/寿庵/安宗/谷山/波平/正国/行安/一条院/大和/惟新公/義弘/朝鮮/文禄/慶長/作刀/渡海/参陣/知行五石/比志島紀伊守/伊集院下野入道/橋口四郎右衛門行間/神光坂之上/加増目録/返地目録/名寄帳
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
全1頁と修復通常・AI各全頁を確認。先祖由緒と本人の作刀・賞賜を区別。名の異同と賞賜状の年脱落を注記。
公開判定根拠
朝鮮作刀・賞賜五石と子孫記事を確認。本文と見出しの名の異同、賞賜状年未詳を注記して公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
原冊24頁上段の橋口石見守安張入道寿菴見出し、右端子孫注と朱注、正国・行安由緒、本人の朝鮮作刀、賞賜状と末尾帳存之まで確認。修復attempt3で右端注記を回復し、左隣橋口対馬介の記事片を除外。通常・AI各全1頁を照合。祖先・子孫は関連家族記事で独立見出しではなく、新規採番不要。
判読保留
見出しは安張、本文の正国十五代之孫に続く名は安宗と読める。異名・誤記のいずれかを断定せず同一表記へ統一しない。/賞賜状の日付は慶長二月廿九日で年ノ脱の注がある。従来の慶長二年二月二十九日を撤回し、慶長年間の年未詳二月二十九日とする。引用状の此表の地名は補わない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』