HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
吉利忠張
異名・検索語:吉利忠張/吉利下総守忠張/下総守/三郎九郎/忠張/忠位/長虎丸/右衛門尉/円岩宗鏡/吉利長忠
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:朝鮮渡海・庄内陣の各月日、褒賞品の細部は追加校合を要する。/文禄三年条の千石拝領には系図・雑記間の年次異同を述べる割注がある。泗川合戦後の千五百とは区別し、千五百石の追加加増とは断定しない。/本文の敵軍人数・戦果は史料の記述であり、軍全体の戦果を忠張単独の討取数としない。墓所は本条から補完しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
吉利下総守忠張は忠澄の子、母は上井董兼の女。天正元年十一月十三日生。久保の小田原出陣に十六騎の一人として従い、文禄元年には義弘父子と朝鮮へ渡った。本条は文禄三年条に千石拝領を記し、慶長三年の泗川合戦では赤糸威の鎧で奮戦し知行千五百を受けたとする。庄内・稲津討伐に従軍。大坂冬の陣は孫の病で帰り、夏も出陣したが落城の報で帰陣した。市来・恒吉・飯野地頭、年寄、三番・一番組頭を歴任。鉄炮の名手とされ、正純作の鉄炮を子孫に伝えた。慶安五年一月十三日、鹿児島で八十歳没。法名円岩宗鏡。
系譜・人物関係
父は吉利忠澄。母は上井武蔵守董兼の女。子に吉利久在。
奉公・役職
市来・恒吉・飯野地頭、年寄、三番・一番組頭。文禄三年条に千石拝領、泗川合戦後に知行千五百と記す。割注に年次異同。
軍役・事績
小田原十六騎、朝鮮渡海・泗川、庄内・稲津討伐。大坂冬は孫の病で帰陣、夏は落城の報で帰陣。鉄炮上手、正純作鉄炮を子孫に伝える。
生没・法名等
天正元年十一月十三日生。慶安五年一月十三日鹿児島卒八十歳。法名円岩宗鏡禅士。
- 統合人物ID
- HP-0334
- 原人物ID群
- 06-091-01
- 氏・分類
- 吉利
- 掲載巻頁
- 巻6:91~93
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は吉利忠澄。母は上井武蔵守董兼の女。子に吉利久在。
- 検索キーワード
- 吉利忠張/吉利忠澄/上井董兼/小田原/朝鮮/泗川/赤糸威/千石/千五百/庄内/稲津/大坂/市来/恒吉/飯野/地頭/年寄/組頭/鉄炮/正純/鹿児島/慶安五年/円岩宗鏡
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全4頁再読・修復通常AI全4頁確認・原冊照合済。
- 公開判定根拠
- 本人の軍役・役職・鹿児島没を確認。知行拝領時期の混同と母方名を訂正し、年次異同等を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 冊子91頁下段の〇吉利下総守忠張から93頁上段の没記事・鉄炮付記まで全4頁。第1頁右端を3pt拡張して忠位・長虎丸の傍記を回収し、傍記より下の拡張部分だけ白被覆して隣接忠澄記事の文字片を除外。第2~4頁は既存範囲を保持。次の吉利久在見出しは含まれず、新番号不要。通常・AI全4頁を確認。
- 判読保留
- 朝鮮渡海・庄内陣の各月日、褒賞品の細部は追加校合を要する。/文禄三年条の千石拝領には系図・雑記間の年次異同を述べる割注がある。泗川合戦後の千五百とは区別し、千五百石の追加加増とは断定しない。/本文の敵軍人数・戦果は史料の記述であり、軍全体の戦果を忠張単独の討取数としない。墓所は本条から補完しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』