HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
久富半五左衛門尉
異名・検索語:久富半五左衛門尉/半五左衛門尉/久留半五左衛門尉
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:旧間野の異本注・梅北眠存坊の名は要校合。12-226-08の木崎原戦死者と同人か、同名別人か、記事の誤配かは未確定。琉球軍役を根拠に没年を推定しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
久富半五左衛門尉は久留とも記され、武勇で名高い人物とする。牛根陣で本村筑前半五左衛門とともに新納忠元の指揮下で城を掘り崩し、落城させた。木崎原合戦では遠矢下総とともに一番鑓と記す。天正十二年九月二十六日、肥後小代の城際で旧間野陣を退けた際にも軍功があり、志布志衆とされる。慶長十四年の琉球入りには軍役三人のほか一人、計四人で渡海し、国王下城後も従わない者を志き名の野まで追った人数に含まれる。梅北眠存坊らの負傷を付記する。ただし日高正治条には久留半五左衛門が木崎原で戦死したとあり、同名者の対応・年代の整合は未確定である。
系譜・人物関係
牛根陣では本村筑前半五左衛門と行動し、新納忠元の指揮下。梅北眠存坊らは琉球追撃時の負傷者。木崎原の一番鑓に遠矢下総の名を併記。
奉公・役職
志布志衆と記す。具体的役職・父祖なし。
軍役・事績
牛根城の掘崩し、木崎原の一番鑓、天正十二年九月二十六日肥後小代方面の軍功。慶長十四年琉球軍役は計四人。
生没・法名等
本条に本人の生没年・没地なし。別条の木崎原戦死の久留半五左衛門との同定は保留。
- 統合人物ID
- HP-0340
- 原人物ID群
- 12-227-06
- 氏・分類
- 久富
- 掲載巻頁
- 巻12:227
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 牛根陣では本村筑前半五左衛門と行動し、新納忠元の指揮下。梅北眠存坊らは琉球追撃時の負傷者。木崎原の一番鑓に遠矢下総の名を併記。
- 検索キーワード
- 志布志衆と記す。具体的役職・父祖なし。/牛根城の掘崩し、木崎原の一番鑓、天正十二年九月二十六日肥後小代方面の軍功。慶長十四年琉球軍役は計四人。/本条に本人の生没年・没地なし。別条の木崎原戦死の久留半五左衛門との同定は保留。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID・頁数対応を確認。疑義を明記して記載箇所へ案内できるため公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 全2頁。「内ナ」から第2頁冒頭「リ」へ接続し、梅北らの負傷注で終わる。独立見出しの混入なし。ただし別条との同名・年代矛盾は人物同定の別問題として記録。
- 判読保留
- 旧間野の異本注・梅北眠存坊の名は要校合。12-226-08の木崎原戦死者と同人か、同名別人か、記事の誤配かは未確定。琉球軍役を根拠に没年を推定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』