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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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505 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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後編3-No.376文書確認度 高

近衛竜山前久書状

近衛前久が龍伯(島津義久)の便宜を通じて島津又八郎へ送り、長い在陣の苦労を察して無事を尋ねた書状。伏見の女房衆は何事もなく安心してよいと知らせ、忠恒のめでたい帰朝を待っていること、龍伯とは折々会っていることを伝える。

登場人物
近衛竜山前久、島津義久(龍伯)、島津又八郎(島津忠恒)、伏見の女房衆
宛先
又八郎殿
キーワード
近衛竜山前久書状、島津義久、龍伯、島津忠恒、又八郎、在陣、伏見、女房衆、無事、帰朝
後編3-No.1319記録確認度 高

神戸五兵衛覚書

井尻弥五助が島津方の書状と孔雀の尾羽二羽を徳川家康へ届け、良い返事を得た。帰路、水口で厳重な検問を予想して書状を焼き判だけを隠したが、不審者として二十日間拘留された。伊勢参詣と島津義弘(兵庫頭・惟新)の家臣松岡勝兵衛との関係を説明して釈放され、拘留に耐えた奉公を賞され、のち伏見城攻撃でも働いた。

登場人物
神戸五兵衛、井尻弥五助、徳川家康、島津義弘(兵庫頭・惟新)、松岡勝兵衛、伏見城攻撃参加者
宛先
該当なし
キーワード
神戸五兵衛覚書、井尻弥五助、徳川家康、島津義弘(兵庫頭・惟新)、江戸、使者、孔雀尾羽、水口、検問、拘留、松岡勝兵衛、伏見城、褒賞
附録1-No.126文書確認度 高

有馬純房書状

有馬純房が、伏見城をめぐる戦況と自身の奉公について知らせた書状。内府の内衆が籠城する伏見城を諸軍が昼夜攻撃し、惟新以下が戦う中、自身も大坂から召されて城際に配置され、鉄砲による負傷者が出たことを報告し、千代丸兄弟の養育も依頼する。

登場人物
有馬純房、惟新、内府、伏見城籠城衆、千代丸兄弟
宛先
(宛所記載なし)
キーワード
有馬純房、惟新、内府、伏見城、大坂、籠城、攻城、鉄砲、奉公、千代丸
附録2-No.1150文書確認度 高

島津帯刀覚書

大坂の唐物屋伏見屋作兵衛・金兵衛が所持していた、朝鮮での軍功に関する豊臣秀吉政権五奉行の感状らしき文書を譲り受けた経緯を記す。島津家の重宝になるとして内見を経て御記録所へ納めるよう命じた島津帯刀覚書。

登場人物
島津帯刀、佐多豊前、伏見屋作兵衛、伏見屋金兵衛、豊臣秀吉、五奉行
宛先
佐多豊前
キーワード
島津帯刀、佐多豊前、伏見屋作兵衛、伏見屋金兵衛、豊臣秀吉、五奉行、朝鮮出兵、感状、御記録所
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 66書状抄・軍勢上京督促旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津惟新義弘書状抄

惟新が伏見少将へ、春以来求めた伏見留守番の人衆が一人も上京していないことを嘆き、予定された在京人数七千人の半分、三千五百人を急送するよう重ねて求める。鹿嶋太郎兵衛尉を介した伝達にも触れ、他の九州勢が秀頼に奉公していることを挙げ、他国並みの軍役を果たすよう強く催促する。

登場人物
島津義弘(惟新)、伏見少将、豊臣秀頼、鹿嶋太郎兵衛尉
宛先
伏見少将
キーワード
島津義弘、伏見留守居、在京衆、三千五百人、軍勢上京、豊臣秀頼
追録3-No.2292記事旧記雑録暫定版確認度 中

継豊、上使伏見総部を迎え賜物を受く

七月二十八日、上使伏見総部が芝屋敷に来て、継豊に雲雀を下賜した。継豊はこれに謝し、丹羽式部少輔を介して将軍への礼を伝えたうえ、西城へ登って謝礼を述べた。

登場人物
島津継豊、伏見総部、丹羽式部少輔
宛先
—
キーワード
島津継豊、伏見総部、雲雀、芝屋敷、西城、丹羽式部少輔
追録8-No.608-1探索方聞合書(下坂人数・武器・通行経路の伝聞報告)旧記雑録暫定版確認度 中

伏見・淀方面で探索した徳川・会津・桑名の下坂動向を報告する聞合書

徳川・会津・桑名の下坂について伏見に探索を出し、別紙の申越しと聞取りを報告する。徳川・会津が夜五ツ時過ぎに鳥羽街道から淀へ出て枚方方面へ向かい、主従徒歩、多数の供を伴い小銃八面を持参、大砲は不明という。旗本、若州・伊豫・松山・膳所本多、会津三百人程と大砲五丁、桑名などの通行、人員、騎馬と徒歩、武器の聞取りを条ごとに記す。伏見船番所の会津藩七~八人、旗本百人程と騎馬十人程、梅原九助の鳥羽方面の探索、船役人の回答も収める。桑名・板倉など未詳の点を明記し、探索員が戻ったので報告すると結ぶ。人数・時刻・武器は各聞取りに属し、確定した総兵力として合算しない。

登場人物
探索担当(名無し)、徳川・会津・桑名、旗本、若州・伊豫・松山・膳所本多、伏見船役人、梅原九助
宛先
報告先の個別宛名不記
キーワード
聞合書伏見淀鳥羽枚方徳川会津桑名下坂五ツ五ツ半七ツ旗本若州伊豫松山膳所本多騎馬徒歩供五百三十会津三百大砲五丁小銃八面手鎗船番所会津七八旗本百騎馬十梅原九助船役人探索聞取不相分
追録8-No.644戦死者の役料米給付を当分従前どおり続ける申渡し旧記雑録暫定版確認度 中

伏見ほか戦死者への役料米等を、次の申渡しまで従来どおり給付するよう命じる

伏見その他の場所で戦死した者について、追って申渡しがあるまでの間、役料米等を従来どおり給付するよう関係先へ命じる。正月右衛門と署し、辰二月七日に通達を承知したと付記する。給付継続の指示と承知日を区別し、恒久的な給付権・受給人数・金額や実際の支給完了を補わない。

登場人物
右衛門(目録:桂久武)、伏見ほかの戦死者、役料米給付の担当
宛先
給付担当と関係先(個別宛名不記)
キーワード
伏見戦死役料米給付従前継続追申渡迄正月右衛門辰二月七通達承知桂久武
追録8-No.705時姫の倹約・召遣人数減少と戦死者弔慰を伝える藩内通達旧記雑録暫定版確認度 中

桂右衛門が時姫の質素・減員の沙汰と、伏見戦死者の姓名提出・弔慰を一統へ伝える

京都の事情と太守の心中を聞いた時姫が力を添えたいと願うが、書付は「御女子様之御事」として直接の助力はでき兼ねると説明し、身廻りその他を至極質素にし、召し遣う者を減らす沙汰を伝える。諸士が御両殿への奉公で身命を忘れて伏見で戦い、太守に喜ばれたことを述べる一方、戦死者への深い憐れみを表し、せめて水・茶でも手向けたいので名前を認めて差し出すよう求める。戦死人数・姓名書を提出し、時姫の沙汰と謝意を父子兄弟、地頭・領主にも知らせるよう命じる。慶応四年三月二十四日に桂右衛門が伝え、取次は御側御用人細瀧権八と表示する。

登場人物
時姫(忠義室原注)、太守、御両殿(原表示)、諸士・伏見戦死者と父子兄弟、地頭・領主、桂右衛門、御側御用人細瀧権八
宛先
一統および戦死者の父子兄弟・地頭・領主等へ伝える通達
キーワード
原705新抄京都事情太守心中時姫忠義室御女子様原説明直接助力出来兼質素身廻り召遣者減少諸士御両殿奉公伏見戦身命忘太守満足戦死者憐香水茶手向名前提出戦死人数字姓名書謝意父子兄弟地頭領主慶応四三月廿四桂右衛門取次御側御用人細瀧権八
追録8-No.404同文省略の参照記事(久光の供中への仰渡)旧記雑録暫定版確認度 中

伏見で久光が供中へ仰せ渡した御筆について第408号を参照して本文を省略する注

執事方帳留の久光公の記事。第408号の文書と同文として本文を省略し、文久三年癸亥三月十四日に伏見で供中へ仰せ渡したと注記する。参照記載は「四〇八の号」で枝番号の数字がない。今回精読した第408号の2は三郎が京都で仰せ出た御筆写であり内容の参照先候補として対応するが、枝番号欠記を補って完全な同文照合済みとはしない。

登場人物
久光公、御供中
宛先
御供中(伏見での仰渡注)
キーワード
執事方帳留久光公、同文省略、四〇八の号枝数字欠、文久三年癸亥三月十四日、伏見御供中仰渡、408の2御筆写候補
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:120文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津惟新書状抄

島津惟新の書状抄。伏見の留守番のため上方へ送るべき人数が出されていないことを案じ、上方情勢の変化に備え、鹿島太郎兵衛を使者として国元の対応を促す。

登場人物
島津惟新、如此申下候、嘗時秀頼、慶長五年惟新、従伏見少将
宛先
嘗時秀頼、慶長五年惟新公従伏見少将
キーワード
島津惟新書状抄、軍事・武具、役職・人事、目録・所蔵
前編1-No.1031記事確認度 高

島津国史

永仁六年から正安元年にかけ、後伏見天皇の践祚、改元、幕府命令や島津忠宗の事績を年次順に掲げた『島津国史』の記事。

登場人物
後伏見天皇・島津忠宗
宛先
日本・薩摩国
キーワード
島津国史、後伏見天皇、践祚、正安改元、島津忠宗、年代記事
前編1-No.1106記事確認度 高

島津国史

徳治元年への改元、後伏見天皇の動向、島津忠宗在世期の出来事などを年次順に記した『島津国史』の記事。

登場人物
後伏見天皇・島津忠宗
宛先
日本・薩摩国
キーワード
島津国史、徳治改元、後伏見天皇、島津忠宗、年代記事
後編6-No.432文書確認度 高

北郷久加・新納久詮連署書状

北郷久加・新納久詮の連署書状。江戸城西丸作事に伴い、薩摩から材木二千五十本を進上することを阿部忠秋へ目録で届けたと報告する。代銀約六十六貫目が必要だが蔵銀がないため、商人伏見屋又兵衛と相談し、その手前から立て替えて上納させるよう手配した。

登場人物
北郷久加、新納久詮、山田有栄、川上久国、阿部忠秋、伏見屋又兵衛
宛先
山田民部少輔・川上因幡守
キーワード
北郷久加、新納久詮、江戸城西丸、作事、材木二千五十本、進上、阿部忠秋、代銀六十六貫目、伏見屋又兵衛、立替、寛永二十一年十月朔日
追録1-No.718書状旧記雑録暫定版確認度 中

島津久茂書状

久茂が国元役人六人へ、伊角に節約の意を伝えて返詞をさせること、伏見院息女の城中輿入、大猷院七年忌法事と将軍の正忌参詣を報じる。在国大名の機嫌伺使者の頻度を相談し、薩州様の誕生に伴う血忌と法事参詣の差合いを伝える。類火した伊角への縮緬等、太守の実名がなく名乗のみの書状への注意、久世息女への祝儀、老中取次への年例巻物辞退、土持段右衛門の到着と奉書・帰国の取扱いも述べる。

登場人物
島津久茂、島津光久、徳川家綱、伊角、伏見院殿、桂外記、永井弥右衛門
宛先
町田勘解由、新納右衛門、伊勢兵部、鎌田筑後、島津筑前、島津図書
キーワード
久茂、伊角、伏見院息女、輿入、大猷院、七年忌、血忌、機嫌伺、縮緬、署名、巻物辞退、土持段右衛門
追録1-No.751書状旧記雑録暫定版確認度 中

島津久茂書状

久茂が国元役人七人へ、鎌田左京の気色は変わらず草臥れていると報じる。稲葉美濃守家老役就任の祝儀使者を、御供衆の騎馬または小荷駄衆から早急に差し遣わすよう求める。紀伊宰相光貞と伏見院姫安宮の縁組を祝う井の家の使者も稲葉方への使者で取り計らい、留守居に相談する意を伝える。十月二日付。封面には十月十三日に飛脚が持ち下ったと記す。

登場人物
島津久茂、島津光久、鎌田左京、稲葉美濃守、紀伊宰相、伏見院殿
宛先
島津図書、島津筑前、鎌田筑後、伊勢兵部、新納右衛門、町田勘解由、鎌田源左衛門
キーワード
島津久茂、島津光久、鎌田左京、稲葉美濃守、紀伊宰相、伏見院殿、使者、馬、進物、参勤
追録4-No.283記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津吉貴徳川家重婚儀祝賀記事

伏見宮邦永親王の姫君比宮と徳川家重の婚約・婚礼に際し、島津吉貴が祝儀を献上した経過を記す。

登場人物
島津吉貴、徳川家重、比宮、伏見宮邦永親王、徳川吉宗
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津吉貴、徳川家重、比宮、伏見宮邦永親王、婚儀
追録8-No.1282日記抄旧記雑録暫定版確認度 中

島津忠義が宮中で天吹を奏し御酒肴を賜った日記抄

島津忠義が参内し、鹿児島県士族西幸吉の薩摩琵琶と天吹・柴笛の演奏を天皇が聴いた。忠義は自作の天吹を献上し、求めに応じて一曲を奏し、御酒肴と御手自らの盃を賜って深夜に帰邸した。

登場人物
島津忠義、明治天皇、西幸吉、東伏見宮
宛先
—
キーワード
島津忠義、明治天皇、西幸吉、東伏見宮、薩摩琵琶、天吹、柴笛、献上、演奏、御酒肴、日記
追録5-No.329記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信、琉使ト共ニ伏見ニ着ス

宗信が寛延元年十一月十四日に坂越を出て、陸路で尼ヶ崎へ行き、大坂港で琉球使節の船と会った経過を記す。龜井隠岐守茲胤・松平周防守康福・松浦肥前守誠信が台命を受け、河船三艘と小艇四十艘を用意し、輸送と船の警護に当たった。宗信は大坂の仮館で三日休み、注には島津加賀守忠雅の仮亭に泊まったことを記す。十八日に宗信が使節・従者を率いて大坂を出て淀川を遡り、その夜は枚方に泊まり、翌十九日に伏見の仮館へ着いた。伏見では二日休み、諸有司の船が前例どおり警護した。

登場人物
島津宗信・琉球使節・龜井茲胤(隠岐守)・松平康福(周防守)・松浦誠信(肥前守)・島津忠雅(加賀守、注)
宛先
—
キーワード
島津宗信、琉球使節、坂越、尼ヶ崎、大坂、枚方、伏見、十一月十九日、輸送・警護
追録2-No.56記事旧記雑録暫定版確認度 高

綱貴大坂・伏見経由参府記事

島津綱貴が三月二十一日に大坂へ着船し、同二十四日に河舟で大坂を発った後、霖雨による増水のため同二十五日に伏見へ着き、同二十七日に伏見を発って四月九日に参府し、翌十日に上使阿部正武の慰労を受けた経過を記す記事。

登場人物
島津綱貴、阿部正武
宛先
—
キーワード
島津綱貴、大坂着船、大坂発、河舟、霖雨、河水増水、伏見、参府、阿部正武、上使、慰労
追録3-No.409記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津吉貴、琉球使者と伏見を発つ

島津吉貴は琉球使者を伴って伏見を発ち、近江・美濃・東海の駅路に向かった。琉球使者に駅馬二百匹、担夫千人が支給された。

登場人物
島津吉貴、琉球使者
宛先
—
キーワード
島津吉貴、琉球使者、伏見、近江、美濃、東海、駅馬、担夫
追録3-No.977記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津吉貴と琉球使節の大坂出発・伏見滞在記事

吉貴が琉球使節とともに大坂を発ち、翌十五日に伏見へ着き、随行の船や使節の警衛を記した記事。

登場人物
島津吉貴、琉球使節
宛先
—
キーワード
島津吉貴、琉球使節、大坂、伏見、使船、道中
追録3-No.980記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津吉貴と琉球使節の伏見出発記事

吉貴が琉球使節を率いて伏見駅を出発し、江州・濃州・東海道を経る道中で駅馬百匹と担夫四百五十人を手配したことを記す記事。

登場人物
島津吉貴、琉球使節
宛先
—
キーワード
島津吉貴、琉球使節、伏見、江州、濃州、東海道、駅馬、担夫
追録5-No.333記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信、伏見ヲ発シ東ス

宗信公御譜は、宗信が琉球使節を率い、十一月二十二日に伏見の宿所を出て江州・濃州を経る東海道を東へ進んだと記す。道中のため伝馬百匹と担夫六百二十四人を給された。

登場人物
島津宗信・琉球使節
宛先
—
キーワード
島津宗信、琉球使節、伏見、東海道、濃州、行程
追録5-No.1133御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

琉球使節を伴う大坂出発・伏見到着

宝暦二年壬申十一月八日、重年が琉球使と従者を率いて大坂の仮館を出発し、川をさかのぼってその夜は枚方に泊まり、翌九日に城州伏見の仮館へ着いた記事。諸役人が船を出して河流に沿って配置し、琉球使の船を警衛させる扱いは先の行程と同じであった。重年は伏見の仮館で二日滞在した。

登場人物
島津重年・琉球使節と従者(固有名記載なし)
宛先
該当なし
キーワード
重年、琉球使節、従者、宝暦二年十一月八日、大坂仮館出発、遡流、枚方泊、九日伏見着、諸役人、警衛船、二日滞在
追録5-No.1146御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年公御譜(伏見出立と東海道通行)

同年十一月十二日、重年が伏見の仮館を出発し、江州・濃州を経て東海道の駅路を進んだ記事。通行のため伝馬百匹と担夫六百五人が与えられた。朱書は、寛延元年の担夫が六百二十四人であったことと、今回は請いにより十九人を減らしたことを補記する。出典は重年公御譜。

登場人物
島津重年
宛先
該当なし(重年公御譜の記事)
キーワード
重年、十一月十二日、伏見出発、江州、濃州、東海道、伝馬百匹、担夫六百五人、寛延元年六百二十四人、十九人減
追録6-No.1742伺書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪伺書(伏見・西宮間の山崎道通行)

国元への暇を許された島津重豪が、伏見から西宮まで通人馬で山崎道を通行したいと伺った書付。天明元年三月六日付。同日、留守居を介して御用番松平右京大夫へ提出し、付紙によって願いどおり許可された。

登場人物
島津重豪、松平右京大夫輝高、留守居
宛先
松平右京大夫輝高(御用番)
キーワード
国元、帰国暇、伏見、西宮、山崎道、通人馬、伺書、付紙、留守居、松平右京大夫、島津重豪
追録6-No.1942伺書旧記雑録暫定版確認度 高

伏見から西之宮まで山崎道を通人馬で旅行する許可を求める

島津重豪が国元への暇を与えられたのを受け、伏見から西之宮まで山崎道を通人馬で旅行したいと伺った。付札には「勝手次第」と回答された。天明三年三月九日、留守居有川勇馬が御用番松平周防守へ伺書を差し出し、同日呼出しを受けて本城源七郎が出向き、付札で回答を受けたことを注記する。

登場人物
島津重豪、有川勇馬、本城源七郎、松平周防守
宛先
松平周防守(御用番)
キーワード
島津重豪、帰国、伏見、西之宮、山崎道、通人馬、伺書、御付札、勝手次第、有川勇馬、本城源七郎、松平周防守、三月九日
追録6-No.2614伺書旧記雑録暫定版確認度 高

重豪が西宮から伏見まで通し人馬で山崎を経由したいと伺う

同氏上総介が国元で入湯し、相応の時期に休暇中でも御国廻りをして参府したいという希望は、願いどおり認められていると記す。その際、西宮から伏見まで通しの人馬を用い、山崎を通って旅行したい旨を上総介が伝えてきたので、この件を伺う。四月二十四日付、松平豊後守の名を記す。

登場人物
松平豊後守(島津斉宣)、同氏上総介(島津重豪)
宛先
記載なし
キーワード
入湯、休暇、御国廻り、参府、西宮、伏見、通し人馬、山崎、旅行、伺書
追録8-No.19記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉興参府途上、伏見ニ御鷹ノ鶴ヲ拝領ス

天保九年二月九日に島津斉興が鹿児島を発ち、三月二十七日に江戸へ着いた記事。参府の途中で徳川家慶から宿次奉書により御鷹の鶴を賜り、伏見の宿駅で受け取ったことを記す。

登場人物
島津斉興、徳川家慶
宛先
宛先なし(記事)
キーワード
島津斉興、徳川家慶、参府、伏見、御鷹の鶴、宿次奉書
追録8-No.349-1切米宛行写(八人への十石ずつの褒賞)旧記雑録暫定版確認度 中

伏見で身命を投げ出して働いた八人に切米十石ずつを宛行う御名乗御判の写

雑集中の印刷の1。鈴木勇右衛門・鈴木昌之助・森岡善助・奈良原喜八郎・道嶋五郎兵衛・大山格之助・江夏仲左衛門・山口金之進の八人を年齢付きで列記し、勇右衛門には深手、五郎兵衛には即死の注を付す。今日伏見で身命を投げ出して比類ない働きと誠忠を示したことを喜び、各人に切米十石ずつを宛行い精勤を求める同文を載せる。文久二年四月廿三日、御名乗御判とするが発給者の実名は記さない。八人と八通の発給を同一視しない。

登場人物
鈴木勇右衛門、鈴木昌之助、森岡善助、奈良原喜八郎、道嶋五郎兵衛、大山格之助、江夏仲左衛門、山口金之進、発給者姓名は御名乗御判の表示のみ
宛先
名列の八人それぞれへ
キーワード
雑集中、印刷の1、八人名列年齢、鈴木勇右衛門深手、道嶋五郎兵衛即死、伏見身命投働、誠忠、切米各十石、文久二年四月廿三日、御名乗御判
追録8-No.349-3討留八人の名列・記事(雑集)旧記雑録暫定版確認度 中

大坂から伏見へ抜け駆けし浪人に組した八人の名列と討留を記す雑集記事

印刷の3は有馬新七・弟子丸龍助・田中謙助・橋口傳藏・橋口壮助・西田直五郎・柴山愛次郎・森山新五右衛門の八人を年齢付きで掲げる雑集記事。八人が大坂から伏見へ抜け駆けして浪人に組し、申諭を聞き入れなかったため、前件の鈴木勇右衛門の列へ討手を命じ、文久二年戌四月廿三日暁に伏見の高道儀兵衛宅で討ち留め、皆即死したという記録。年齢には三十八九・二十六七など二数を並べた原表記があるので確定年齢に直さない。討留と即死は記事の記載として扱う。

登場人物
有馬新七、弟子丸龍助、田中謙助、橋口傳藏、橋口壮助、西田直五郎、柴山愛次郎、森山新五右衛門、鈴木勇右衛門の列、高道儀兵衛
宛先
宛先なし(名列と事件記事)
キーワード
雑集印刷の3、討留八人名列、有馬新七弟子丸龍助田中謙助橋口傳藏橋口壮助西田直五郎柴山愛次郎森山新五右衛門、年齢幅原表記、大坂伏見抜掛、浪人組し申諭不聞、鈴木勇右衛門列討手、文久二年四月廿三日暁、高道儀兵衛宅、皆即死之由
追録8-No.394申渡(久光上京の供奉役・伏見出迎え)旧記雑録暫定版確認度 中

侍長等八名を上京供奉役とし中小姓六十人とともに伏見で三郎を待ち受けさせる申渡

雑集中。侍長として村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太を挙げ、続いて和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助を列記する。これらの者を三郎の上京に伴う供奉役に命じ、当分の勤方を申し渡すとする。二月、筑後、注は川上久封。末注は亥二月十五日に九州路へ差し立て、ほかに三重中小姓六十人も一緒に差し越し、伏見で三郎の上京を待ち受けるよう命じたと記す。列記八名と六十人は別に扱い、この日を三郎本人の出発日や伏見到着日として認定しない。

登場人物
三郎(久光)、筑後(注:川上久封)、侍長村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太、和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助、三重中小姓六十人
宛先
列記された供奉役の者へ申渡す
キーワード
雑集、三郎上京供奉役、侍長四名村田平田大迫右松、和田種子島長崎伊地知、二月筑後川上久封、亥二月十五日九州路差立、三重中小姓六拾人、伏見待上げ
追録8-No.588御履歴本文群(上京派兵・政権奉還・任命新政と巡邏)旧記雑録暫定版確認度 中

茂久の上京派兵と議定任命、新政の制度改正・京都伏見巡邏を収める履歴記事

御履歴の記事。慶応三年丁卯九月に茂久が一大隊を京都へ派遣し邸内に屯させ、十月に慶喜が政権を奉還して朝廷が允容したとする。十二月九日の議定任命と九門警衛の命、同十四日と記す聖諭を収め、新政の基礎、大政返上・将軍職辞退、摂関・幕府等の廃絶と総裁・議定・参与の三職、太政官の整備、礼式改革を掲げる。摶紳武弁・堂上地下の別なく公議し、言路を開いて人材を登用、物価騰貴と富者貧者の格差や政令の弊への献言を求める。十四日夜に慶喜が二条城を出て大坂へ向かったとの記事に続き、十八日の洛中洛外巡邏命令は町奉行所の当分の兼務、山城國中と市中の取締、六藩ほかの見廻担当を分ける。廿一日の伏見巡邏命令は人心不安・狼藉の鎮静を求め、取締は田宮如雲にも兼務させ、巡邏は長州・土州・藝州と同様に担うとする。同日小銃三隊・臼炮半隊を伏見へ遣わし異事がなかったとの結び。履歴の報告と引用命令を区分し、九月一大隊と十二月の派遣を合算しない。

登場人物
茂久・薩摩少将、徳川慶喜、朝廷・先帝、摶紳武弁、総裁・議定・参与、本多主膳正・青山左京亮、松平圖書頭、小出伊勢守・松浦肥前守・植村駿河守・龜井隱岐守・加藤遠江守・加藤能登守、加州・土州・中河(原表記)、田宮如雲(原字留保)
宛先
履歴記事/引用:薩摩少将への任命、薩州への巡邏命令と各関係者
キーワード
御履歴慶応三丁卯九月茂久一大隊京都邸内十月慶喜政権奉還朝廷允容十二月九議定九門警衛同十四聖諭王政復古摂関幕府廃絶総裁議定参与三職太政官礼式門流廃止言路洞開人材登用物価格差救弊六十余所大小藩、十四夜慶喜二条大坂十八洛中洛外山城取締六藩見廻廿一伏見田宮如雲巡邏長土藝小銃三隊臼炮半隊異事なし
追録8-No.611伏見巡邏鎮定の朝廷沙汰と伝達・請書の記録旧記雑録暫定版確認度 中

伏見の巡邏・鎮定と田宮如雲の取締兼勤を命じ、請書差出しを記す

改革の多端に乗じ伏見で狼藉者が横行し人心不安であるとの聞得を理由に、厳重な巡邏・鎮定を求める朝廷沙汰を収める。伏見市在の取締は田宮如雲が兼勤し、長州・土州・藝州にも同様に巡邏を命じたと注記する。卯十二月二十一日に参与役所から至急の御用達があり、留守居付役永山左内が出席して非藏人葉室播磨から受領し、請書差出しを求められて差し上げたという。内田仲之助から佐次右衛門へこの首尾書があると記す。聞得、巡邏命令、受領と請書差出しを分ける。

登場人物
田宮如雲(原表記)、長州・土州・藝州、参与役所、永山左内、非藏人葉室播磨、内田仲之助、佐次右衛門
宛先
巡邏担当の関係者、首尾書は佐次右衛門殿宛との記録
キーワード
伏見御変革多端狼藉横行人心不安相聞巡邏鎮定田宮如雲市在取締兼勤長州土州藝州卯十二月廿一参与役所至急御用達永山左内葉室播磨御渡請書内田仲之助佐次右衛門首尾書
追録8-No.615岩下佐次右衛門書状(慶喜処置・参与交名・伏見対陣と上京要請)旧記雑録暫定版確認度 中

慶喜の処置と諸藩協議、参与と警衛、伏見の動向を報告し小松らの早い上京を求める

十二日までの報告に続け、徳川内府・会桑の下坂、淀・伏見への人数繰出し、尾越両侯の仲介、慶喜への辞職・政務用途分の領地収納と公議による処置の沙汰を伝える。期限を七日として返答を求めるが、朝命への恭順が明確でないと述べる。西郷・大久保・自分の参与任命と諸藩の交名、宮門警衛の平常化、伏見の歩兵増員と乱妨の聞得、土藝の巡邏、奉行屋敷へ入った千人余の兵と当分の対陣、三條卿・宇和島侯の議定等を報告する。朝廷勤務が朝四ツから夜まで続くため小松の早い上京を望み、諸藩の異論で薩摩を孤立させる意図があるとの見方、乾退助らの引出しや津田側の尊幕論への懸念も述べる。近く飛脚を立てて大坂の形勢を知らせるとして、十二月二十七日に岩下佐次右衛門が桂・小松へ送る。

登場人物
岩下佐次右衛門(方平原注)、桂右衛門(久武原注)、小松帯刀(清廉原注)、徳川内府・会津・桑名、尾越両侯、三條卿・宇和島侯、西郷・大久保、参与交名所載諸人、後藤、津田、乾退助、松平豊前守、土藝等諸藩
宛先
桂右衛門様、小松帯刀様
キーワード
十二月廿七岩下佐次右衛門方平桂右衛門久武小松帯刀清廉徳川会桑下坂尾越仲介辞職前内大臣政務用途領地公議日数七返命参与西郷大久保交名十四宮門平日九門外国布令伏見歩兵千余対陣土藝巡邏三條卿宇和島議定調練白御門朝四ツ上京乾退助津田尊幕薩孤立見方飛脚
追録8-No.621-1薩州の伏見防禦・増員と厳重警衛を命じる沙汰旧記雑録暫定版確認度 中

大坂兵出張の報告を受け、薩州へ伏見防禦と早い増員を命じる

大坂兵の出張が容易ならぬ事態だとの度々の言上を受け、薩州に伏見方面の防禦へ十分尽力し、早く人数を増して厳重に警衛するよう命じる。慶応四年戊辰正月と記し、追って長・土・藝にも同様に命じたと注記する。本文は薩摩国元の家老衆への添書末にあるとの表示があり、命令の対象・伝達の記録と実際の増員実績を分ける。

登場人物
薩州、大坂兵、長州・土州・藝州、国元御家老衆
宛先
薩州。長・土・藝にも同様との後注
キーワード
原6211薩州坂兵出張不容易追言上伏見防禦尽力人数相加厳重警衛慶応四年戊辰正月長土藝同様御家老衆添書末
追録8-No.621-5尾張・越前への伏見出張兵引揚げ交渉と条件付き朝敵処置の沙汰旧記雑録暫定版確認度 中

尾張・越前へ伏見出張兵の引揚げを求め、不奉命なら朝敵として処置すると伝える

昨日至今晩に至る大坂兵の伏見出張は容易ならぬ事態で、そのままにはできないと述べる。一方で前から仲介の筋もあるため、まず人数を早く引き揚げさせるよう尾張大納言・越前大藏大輔へ求める。命に従わなければやむを得ず朝敵として処置するとの条件を示し、辰正月三日に仰せ渡したと記す。引揚げの交渉と不奉命を条件とする処置を区別し、この文書だけで引揚げや討伐が実行されたとはしない。

登場人物
尾張大納言(徳川慶勝原注)、越前大藏大輔(松平慶永原注)、大坂兵
宛先
尾張大納言、越前大藏大輔
キーワード
原6215辰正月三仰渡尾張大納言徳川慶勝越前大藏大輔松平慶永昨日至今晩坂兵伏見出張不容易周旋人数早引拂不奉命朝敵御所置条件
追録8-No.622春日丸乗頭井上新右衛門の江戸邸・船戦・伏見方面の届書旧記雑録暫定版確認度 中

江戸城火災と邸の襲撃、船の砲戦、伏見出火を井上新右衛門が報告する

去年十二月二十三日の江戸城西丸の出火、二十五日に幕人が芝邸へ踏み込み幼少者まで殺害し、先に出立した定府以外の残留者が戦闘で半ばになったとの報告を収め、櫻田・小山の邸も同様との聞得を記す。翔鳳丸が品川で定府乗船のため廻船した際の幕船との砲戦と小損傷、二日の平運丸への二度の砲撃と士官部屋損傷を報告する。三日夜に春日丸が兵庫で幕船五艘を認め、翌四日の出帆で一艘に追われて相互に砲撃したこと、翔鳳丸・平運丸も痛んで廻船し平運丸は瀬戸内へ向かったことを記す。伏見方面の出火も認めたとし、春日丸が今日到着して判明した内容として、慶応四年辰正月六日に乗頭井上新右衛門が記す。殺害・損害等は報告に帰属し、絶対人数や確定勝敗を補わない。

登場人物
春日丸乗頭井上新右衛門、定府・残留者、幕人、翔鳳丸・平運丸・春日丸、幕船
宛先
個別宛名不記
キーワード
慶応四辰正月六九ツ着船春日丸乗頭井上新右衛門前年十二月廿三西丸出火廿五芝邸幼少殺害残半聞得櫻田小山翔鳳丸品川定府乗船幕船砲戦損傷平運丸二度砲士官部屋三夜兵庫幕五艘四出帆一艘追砲相引瀬戸内伏見出火
追録8-No.624玉里久光公系図の記事(鳥羽伏見・九州諸侯・東征と辺陲全安)旧記雑録暫定版確認度 中

玉里久光公系図に記す戊辰の鳥羽伏見、九州諸侯への使節・東征と翌年までの征討

玉里久光公の系図記事として、明治元年戊辰正月、当藩兵が詔を奉じ長州等と鳥羽・伏見で慶喜側の兵を退け、慶喜が江戸へ敗走したと記す。同月に勅諭を受けて九州諸侯へ使者を遣わし順逆を問うたが異状はなく、二月には東征の詔により関東へ出兵したという。東北諸道の抵抗に対し多くの兵を送り、最後に函館の拠点を取り、翌二年まで征討が続いたと述べる。五月には辺陲の全安の功を奏したとして、詳しい経緯は忠義譜にあると二度参照する。軍功や敵対者への評価は系図記事の叙述に属する。

登場人物
玉里久光公、慶喜、当藩・長州等の兵、九州諸侯、東北諸道の敵対者(記事の呼称)、忠義
宛先
宛名なし(系図記事)
キーワード
玉里久光公御系図明治元戊辰正月慶喜反記事鳥羽伏見長州等詔江戸敗走忠義譜参照同月九州諸侯順逆使節二月東征関東東北多兵征討函館翌二年五月辺陲全安
追録8-No.625忠義公系図の記事(戊辰初戦の隊別行動と茂久の参朝・軍職・賜物・復姓改名)旧記雑録暫定版確認度 中

忠義公系図に記す鳥羽伏見の隊別戦闘、茂久の参朝・軍職・恩賞と島津復姓改名

忠義公系図の記事として、明治元年戊辰正月三日の鳥羽・伏見での戦闘に至る慶喜の辞職、会津・桑名等の下坂と奉行所滞在、諸藩警衛を記す。当藩の小隊・大砲隊・遊撃隊について鳥羽と伏見の配置、増援、四日の進撃、五・六日の追撃と淀・橋本方面の動き、七日の楠葉進出と諸隊の大坂下り・京都帰還を日ごとに列挙する。慶喜の江戸逃走、九日の大坂城火災、十日の仁和寺宮入坂を続ける。十二日に茂久が召されて参朝し、引用勅書で軍功を賞され、剣一口と陣亡者への金五百圓などを賜ったと記す。十五日の天皇元服とその翌日の茂久の参賀、太刀一腰・御馬代銀二十枚の献上、十八日の海陸軍務惣督任命と辞任、十九日の姫路征伐・二十一日の明石到着と姫路降伏、二十二日の帰還、二十五日の金二万両、二十九日の松平姓から本氏島津への復姓と忠義への改名を収める。評価と勝利叙述は記事に帰属し、隊番号・隊数・賜物の対象と原単位を分ける。

登場人物
茂久・忠義、慶喜、松平容保・定敬、会津・桑名諸藩、当藩の各小隊・砲隊・遊撃隊、長州・土州・因州・藝州、仁和寺宮、岩倉侍従、岡元左兵衛尉、天皇・准后
宛先
宛名なし(系図記事。引用勅書と参賀あり)
キーワード
忠義公御系図明治元戊辰正月三鳥羽伏見慶喜会津桑名松平容保定敬諸藩小隊砲半隊遊撃隊当番小銃隊四進撃五六追撃淀富森八幡堤橋本七楠葉大坂京都九城火十仁和寺入坂十二茂久参朝勅剣一口陣亡金五百圓賜酒十五天皇元服翼日茂久参賀献太刀一腰御馬代銀二十枚十八海陸軍務惣督辞任十九姫路二十一明石二十二帰二十五金二万両二十九島津復姓忠義改名
追録8-No.627島津氏家譜の戊辰初戦・参朝恩賞・軍職辞退・復姓改名の記事旧記雑録暫定版確認度 中

島津氏家譜に記す鳥羽伏見から姫路までの軍功、茂久の参朝・恩賞と復姓改名

島津氏家譜の記事として、四年正月三日に大坂から伏見・鳥羽へ進んだ徳川側を当藩兵が朝命で止め、退く意志がないため両道で戦い、淀・八幡・大坂へ追い、慶喜が海路で関東へ退いたと述べる。姫路への征討、十二日の茂久の参朝と剣・勅書、戦死者の忠魂への金五百両を記す。十六日の元服奉賀で太刀と御馬代銀二十枚を献じ、十七日の海陸軍総督任命に対して十八日に若年・不材と職責の重さを理由に辞表を出したとして文言を引用する。二十四日の朝命と金二万両、二月朔日の本姓復帰の命を続け、松平を除いて島津に復し名を忠義に改めたと記す。軍功・勝敗の評価と日付は家譜記事に属し、他の系図・履歴の記事とは区別する。

登場人物
茂久・忠義、徳川氏・慶喜、会津・桑名、当藩兵、海陸軍総督、主上、陣亡者
宛先
宛名なし(家譜記事、勅書・辞表を引用)
キーワード
島津氏家譜四年正月三鳥羽伏見両道朝命抑留戦大砲正面田中散開淀八幡大坂江戸姫路十二茂久参朝剣勅書忠魂金五百両十六元服奉賀献太刀御馬代銀二十枚十七海陸軍総督十八辞表二十四金二万両二月朔島津復姓忠義改名
追録8-No.682-2本文群(薩州への仏蘭公使伏見・相国寺と途中警衛の二通)旧記雑録暫定版確認度 中

仏蘭両公使の伏見宿泊と相国寺滞在・途中警衛を薩州へ命じる

第一は、仏・蘭両公使が来る二十八日に上京し伏見駅に宿泊することに伴い、薩州へ警衛と御用取扱いを命じ、詳しくは外国掛へ問い合わせるよう求める。第二は、来る二十九日に両人が上京し相国寺が滞留所となるため、同所と途中の警衛を薩州へ命じる。各通末は二月。二十六日に軍防局から呼び出され、隈元敬一郎が出て非蔵人から二通を渡された旨の、内田仲之助から伊勢様への首尾書が添うと記す。

登場人物
薩州、仏・蘭両公使、外国掛、軍防局、留守居付役隈元敬一郎、非蔵人(個人名不記)、内田仲之助、伊勢様
宛先
二通とも薩州、末首尾は内田から伊勢様
キーワード
原682の2薩州二月二通仏蘭両公使廿八上京伏見駅止宿警衛御用取扱外国掛廿九上京相国寺滞留途中警衛辰二月廿六軍防局隈元敬一郎非蔵人二通内田伊勢首尾
追録8-No.837-1中将の大坂着船から京都二本松屋敷到着までを伝える達旧記雑録暫定版確認度 中

中将が大坂川口に着船し、伏見を経て京都二本松屋敷に到着したとの報を周知する

通達留。中将は機嫌よく、先月28日九ツ過ぎに大坂川口へ着船、翌29日午刻に上陸し、中一日滞在したと伝える。去る朔日から川を上り、伏見に一泊、翌2日巳下刻に京都二本松屋敷へ到着したとの報が届いたので、向々へ周知するよう求める。明治二年己三月十日、知政所。通知日と旅程の各日を区別し、原時刻を現代時刻へ換算せず、中将の姓名は本条のみで補わない。

登場人物
中将様(本文姓名不記)、知政所、関係向々
宛先
向々(到着報の伝達先)
キーワード
原837の1通達留中将機嫌先月廿八九ツ過大坂川口着船廿九午刻上陸中一日滞在朔日川上伏見一泊翌二日巳下刻京都二本松屋敷到着報三月十知政所
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W02_121記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

山田為正書出(御行実編輯)

山田為正は順聖院様の御行実編輯にあたり、御記録所や家蔵の古記録・日記・系図を借りて調べる方法を論じる。史料所有者の意向、書写や書入の許し、編輯に用いる際の扱いを慎重に確認し、書面への意見を求める。

登場人物
玉海、伏見御仮屋御留守、陽明公江御参殿、御参殿、昨日者御殿、為御暇乞参殿、齊彬公、忠熙公
宛先
御元祖様、御父子様
キーワード
玉海・記録・寺社・江戸・御用・古文書
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:128文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

本多正信書状

本多正信が羽柴陸奥守に宛てた書状。北郷讃岐守を通じて嶋津菊袈裟の交替を披露し、菊袈裟の帰路、将軍の意向および当地屋敷の普請への配慮を伝える。慶長十七年十二月二十六日付。後段には関連する諸書状・記録の書出が続く。

登場人物
本多正信、一惟新、原陣前八月廿日本田六、公方様江文八郎、陸奥守、一竜伯、武庫、州皆御奉
宛先
公方様江文八郎、陸奥守、吉田次郎、伊東豊後守、寺志摩守、御在所被成御打立薩、弾正大弼、下野守、頴娃左馬頭、鎌田治部少輔、山田民部少輔、本田下野守、羽柴薩摩宰相、平嶋休右衛門、北郷入道、一惟新、少将様、伏見、川上左近将監、薩摩中納言、山民部少
キーワード
本多正信書状、系図・由緒、寺社・宗教、琉球関係、薩摩、大隅、高麗、京都、伊勢、豊後、出水
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:151文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊集院忠真書状

伊集院忠真の書状。幸侃の処分後の自身と家中の立場、庄内をめぐる交渉、惟新・龍伯らとの行き違いを説明し、公平な取次ぎを求める。慶長十四年十一月六日付、平野源右衛門尉宛て。

登場人物
伊集院忠真、難奉、内府、出候、如何、右之走可然、平野源右衛門尉、伊源二郎寺志摩守
宛先
無腹蔵御両所、薩州、何方、内府様、如何、右之走可然、平野源右衛門尉、伊源二郎寺志摩守殿、於伏見士山摩守
キーワード
伊集院忠真書状、寺社・宗教
追録6-No.985記事旧記雑録暫定版確認度 高

浄岸院遺骸の伏見・大坂・薩州への送葬と玉龍山埋葬

重豪公御譜中に記された浄岸院の送葬と埋葬の記事。安永二年癸巳正月八日に遺骸が伏見へ着き、十日に大坂へ到着、一日滞在して十二日に大坂を発し、二月四日に豊前州大里へ到着した。先に派遣された一族島津左衛門久健と寺社奉行伊勢兵部貞矩が藩府から大里へ出向いて棺を迎え、両名が随行した。同月十五日に薩州出水へ着き、十九日未刻に領内の福昌寺へ入り、輿を御所の間へ安置した。二十日夜に入棺し、二十四日夜に葬礼を行い、棺を客殿へ移して法筵を開いた。懿親の島津備前貴儔が重豪に代わって焼香し、その後霊柩を葬場へ出し、貴儔が神主を奉じて、儀礼を整えた。玉龍山上へ葬り、廟を建て、その壮麗さは他の廟に比べようがないと結ぶ。到着・安置・入棺・葬礼・埋葬を、それぞれの記事の日付に沿って記録する。

登場人物
浄岸院、島津重豪、島津左衛門久健、寺社奉行伊勢兵部貞矩、島津備前貴儔
宛先
記事のため独立宛書なし
キーワード
遺骸移送、迎棺、安置、葬礼、代焼香、埋葬・建廟