HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
町田久用
異名・検索語:町田久用/又七/治部少輔/中務少輔/久用
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:巻8の落城月字は印刷が薄く判読保留。公開説明の三月七日は巻13の明瞭な記載に基づく。祖先注の本家七代の名は清久と読めるが追加校合を要する。郡山の死因字は戦死と読めるが印字が薄く、公開欄では死因を限定しない。盛久の子/忠重の子の関係を養子などと推定して整合させない。旧説明の新納忠良・子忠豊は本二条からの確定事項として採用しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
又七、治部少輔、中務少輔と称した。巻八は盛久の子と記す一方、割注には則久・忠幸・忠重・久用と続く系譜を載せ、盛久を忠幸の弟とする。大永七年、島津実久が伊集院を奪った際、その命で一宇治城を守った。巻十三では守備開始を同年六月、日新公による落城を天文五年三月七日と記す。巻八には日新公父子に攻め落とされ、久用が降参したとある。また郡山での死を記すが、没年・享年は明記されない。
系譜・人物関係
巻8の盛久の子という記述と、割注の忠重の子という系譜を併記。盛久は忠幸の弟とする。実久に属した後、日新公父子へ降参。
奉公・役職
実久の命で伊集院一宇治城を守備。通称又七、治部少輔・中務少輔。
軍役・事績
大永七年(巻13では六月)から一宇治城守備。巻13は天文五年三月七日に日新公が攻め落とすと記し、巻8は日新公父子への降参を記す。
生没・法名等
巻8に郡山での死の記載。没年・享年は不明。父とされる忠重についても郡山戦死の記載がある。
- 統合人物ID
- HP-1181
- 原人物ID群
- 08-130-07/13-238-12
- 氏・分類
- 町田
- 掲載巻頁
- 巻8:130/巻13:238
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 巻8の盛久の子という記述と、割注の忠重の子という系譜を併記。盛久は忠幸の弟とする。実久に属した後、日新公父子へ降参。
- 検索キーワード
- 町田久用/又七/治部少輔/中務少輔/実久の命で伊集院一宇治城を守備。通称又七、治部少輔・中務少輔。/大永七年(巻13では六月)から一宇治城守備。巻13は天文五年三月七日に日新公が攻め落とすと記し、巻8は日新公父子への降参を記す。/巻8に郡山での死の記載。没年・享年は不明。父とされる忠重についても郡山戦死の記載がある。
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
- 公開判定根拠
- 既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読
- 本文境界判定
- 巻8の旧PDFでは見出し・父子関係・祖先注が欠けていたため、冊子130頁の一町田中務少輔久用から降参までを復元。巻13の独立〇見出しは同じ実久配下・一宇治城守備の記事として併合管理。両PDF各1頁を全頁確認。
- 判読保留
- 巻8の落城月字は印刷が薄く判読保留。公開説明の三月七日は巻13の明瞭な記載に基づく。祖先注の本家七代の名は清久と読めるが追加校合を要する。郡山の死因字は戦死と読めるが印字が薄く、公開欄では死因を限定しない。盛久の子/忠重の子の関係を養子などと推定して整合させない。旧説明の新納忠良・子忠豊は本二条からの確定事項として採用しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』