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後編2の目録

旧記雑録 天正13年~文禄4年の文書・記事です。

全1,646件中 1601~1646件・17 / 17ページ

  1. 後編2-No.1598 島津義弘書状

    義弘は二人の処罰や関係者の処置について、竜伯・石田三成との熟談を踏まえて幸侃と帰国し、知行配当を進めていると報告する。 京都・九州衆・在陣衆の動向や帰朝後の配置にも触れ、講和・撤兵期の家中再編を又八郎へ細かく指示した長文書状。

  2. 後編2-No.1599 島津義弘書状追而書

    義弘は追而書で、栗野衆を帖佐まで移す一方、鹿児島への大量移転は事情があって見合わせたと伝える。 帰朝時に詳しく面談し、本源右衛門尉の件も処置するとし、領内の人員移動と配置を具体的に知らせる。

  3. 後編2-No.1600 北郷忠能譜

    北郷氏が日向都城など十五か所・六万九千石から、薩摩祁答院三万七千石へ所領替えとなった経緯を記す。 長千代丸と一雲法印の移住、家臣団の随従・残留、旧領との関係調整まで述べ、豊臣政権下の大規模な国替えが家中に与えた混乱を具体的に伝える。

  4. 後編2-No.1601 安宅秀安書状

    秀安は唐島での番船捕獲や、明軍が籠る朝鮮の城を島津勢が攻めて多数を討ち取った戦功を祝う。 弓次郎の高麗出陣、伏見での留守役、軍役人数と知行、上洛・国元での処遇などを詳しく論じ、朝鮮戦役と家臣の軍役負担を結ぶ長文書状。

  5. 後編2-No.1602 北郷氏庶流系図

    北郷時久の四男久村について、幼少の忠能に代わる名代として長年京都に人質滞在したことを記す。 伊牟田・長野・中津川・宋地三千石を石田三成から与えられたとする、北郷庶流の系譜と豊臣政権下での処遇を示す系図記事。

  6. 後編2-No.1603 豊臣秀吉朱印状

    永吉領主所蔵の秀吉朱印状であるが、本文は別文書と同文として省略されている。 この頁では伝来情報と日付のみ確認でき、宛先・具体的命令の確定には省略注記が指す本文との照合が必要である。

  7. 後編2-No.1604 伊集院幸侃・本田三清連署証状

    薩摩国菱刈本城内の南浦村・荒田原内町屋敷などについて、各地の石高を示して東郷源七郎へ給与する。 新知分の数量を列挙し、加増時は両名の判断で配分するとした、検地後の知行宛行を具体的に示す連署証状。

  8. 後編2-No.1605 伊集院幸侃・本田三清連署領知目録

    大隅国桑原郡栗野の上村・御前野村・石作などについて石高を列挙し、土持弾正忠へ給与する領知目録。 新知分を確定し、加増がある場合は伊集院幸侃・本田三清の判断で配分すると定め、同日付証状に対応する具体的な土地明細を示す。

  9. 後編2-No.1606 島津義弘譜

    義弘譜は帰国後の領内再配置として、栗野から帖佐への移動、北郷氏の荘内から祁答院への移転、島津右馬頭の種子島移住などを記す。 豊臣政権下の所領替えが島津一門・有力家臣の居所を連鎖的に変えたことが分かる短い記事。

  10. 後編2-No.1607 島津義久譜

    義久は帰国後、大隅国富隈に新たな宅地を定め、鹿児島を忠恒へ譲った。 家臣・領民を動員して土石工事を完成させ、富隈へ移住しようとした経緯を記し、島津家の本拠再編と忠恒への継承過程を示す。

  11. 後編2-No.1608 島津竜伯書状

    竜伯は石田三成から贈られた黒馬をいったん「武庫」のもとに置き、後日又八郎へ渡す手順を伝える。 京都での役職・人員配置や召し寄せについても触れ、使者の平田太郎左衛門から詳しく聞き、重要事項なので油断なく処理するよう求める。

  12. 後編2-No.1609 島津義弘書状

    義弘は京都での処置が延引している事情を伝え、領内の人員移動や知行配当を急いで進めるよう又八郎へ指示する。 食糧不足や物資輸送への配慮、幸侃らとの相談にも触れ、帰朝後の混乱を抑えながら国元再編を進める苦心が表れる。

  13. 後編2-No.1610 島津忠恒書状

    忠恒は上井仲五から又八郎の無事な下着と意向を詳しく聞いて喜び、国元の「置目」を整える苦労をねぎらう。 帰朝後の奉公や家中の処置に加え、祈念坊主を市来大日寺から参勤させる件も相談し、政務と信仰実務を併せて依頼する書状。

  14. 後編2-No.1611 滝重時書状

    滝重時は上井仲五を介して京都での謁見や渡海、城替えの処置について指示を仰ぎ、遅滞なく進めたいと伝える。 加藤主計頭・毛利豊前守らの動向や現地の軍事情勢も報告し、使者から詳しく聞くよう求めた、朝鮮在陣中の長文連絡。

  15. 後編2-No.1612 島津義弘譜

    秀吉の命令による薩摩・大隅・日向諸郡の所領替えと、それに伴う領主・家臣の移動を記す。 さらに明使李宗城・楊方亨らが日本へ渡り、堺や宗城を訪れて国内の平穏を観察した経緯を述べ、領国再編と日明講和使節の来日を結びつける記事。

  16. 後編2-No.1613 北郷三久譜

    北郷三久は所領替えにより日向国三俣千町から、薩摩国平佐・天辰・高江など高一万一千五百四十余石へ移された。 平佐を居城と定めたことを記し、続く返地目録の背景となる北郷氏庶流の移封経緯を示す譜記事。

  17. 後編2-No.1614 伊集院幸侃・本田三清連署返状知目録

    川内の平佐村・天辰村・宮里村・高江村、入来院塔之原村、祁答院久富木村など、返地となる村々と石高を列挙する。 北郷宗次郎に宛て、所領替えに伴って返還すべき土地の範囲を数量で確定した連署目録。

  18. 後編2-No.1615 島津竜伯外七名詠草

    竜伯・幸侃・貞親ら八名が、桜島、春の花、時雨、紅葉、鶴、月などを題材に詠んだ和歌をまとめる。 軍事・知行文書が続くなかで島津家中の文芸交流と季節感、各人の表現の違いを一度に比較できる貴重な詠草。

  19. 後編2-No.1616 島津義久譜

    本文はNo.1607の記事と同文として省略されている島津義久譜の記事。 義久が富隈に新居を構え、鹿児島を忠恒へ譲った本拠再編の記事を重出として収録したもので、具体的内容はNo.1607を参照する。

  20. 後編2-No.1617 聖護院道澄書状

    聖護院道澄(興意)が友枕斎・如雲へ、陽明宛および薩州・高麗宛の書状を確実に届けるよう依頼し、武庫(島津義弘)から前年同様の「御合力」が得られるよう取り計らってほしいと求める。 援助が一昨年までにも整わず、今回も進まないことへの困惑を訴えるほか、久四郎の件は言葉に尽くせず直書では述べられないとして、両…

  21. 後編2-No.1618 島津忠恒書状

    忠恒は友枕斎の無事な帰国を祝うため、本田治右衛門尉を使者として遣わした。 長期の在京を終えて帰国したことを喜び、使者を通じて今後の用件や関係者への連絡を取り次ぐ、帰国祝いの書状。

  22. 後編2-No.1619 島津忠恒書状

    島津忠恒が新納武蔵入道(新納忠元)へ、忠元の無事と龍伯(島津義久)の帰国を聞いた喜びを伝え、なお在京している忠元の辛労をねぎらう。 現地の置目・処置について厳重に申し聞かせ、少しでも緩みがあれば曲事となるので念を入れるよう求める一方、こちらには変わりがないので安心するよう知らせた書状。

  23. 後編2-No.1620 年代記

    文禄四年十月、島津義久が下向して濱市へ家を移し、同年十一月に「武庫」こと島津義弘が上洛したと記す。 義久の本拠移動と義弘の上洛を同じ年代記条で伝え、帰国後の島津家中枢の動きを時系列で確認できる。

  24. 後編2-No.1621 島津氏重物目録

    島津家の重物として、旗六流、毘沙門絵一幅、立物付きの甲二刎、太刀、内状箱、丹後獅子縫の装具などを列挙する。 武具・文書箱・儀礼具が一括管理されていたことが分かり、島津家の家宝構成を具体的に伝える目録。

  25. 後編2-No.1622 島津氏重物目録

    太刀・甲・内書・兵法切紙・日記類に加え、役人状箱、家図、大小の玉、馬書箱、数珠箱など十五種の重物を列挙する。 No.1621とは品目構成が異なり、軍事資料だけでなく家政・宗教・系譜関係の品々まで含む別系統の重物目録。

  26. 後編2-No.1623 島津氏重物目録

    島津家の重物として「兵法一巻之書」「兵法抜書一巻」「御内書八通」の三品を挙げる簡潔な目録。 武具中心のNo.1621・1622とは異なり、兵学書と主君の書状のみを一組として管理したことが分かる。

  27. 後編2-No.1624 高岡大日寺書出

    義弘が栗野在城中、宝積坊を召し置いて武運長久のため法華経四千部を読誦させ、高岡大日寺の祈祷役とした経緯を記す。 寺領や住持の処遇を含み、島津家の軍事祈祷と寺院保護の関係を伝える書出。

  28. 後編2-No.1625 川上胘枕忠智書状

    川上胘枕は、義弘が法華経四千部を読誦した宝積坊へ、飯田内の大日寺前田・後田一段を居住地として与えたと確認する。 後任者を含め永く安堵すべきであり、土地を押領しないよう内山村談合衆へ命じた寺領保護の書状。

  29. 後編2-No.1626 伊集院忠棟・本田三清連署証状

    薩摩国谷山郡福平村の土地について、惣高・配分済み分・残余分を石高で示し、伊地知千代菊へ給与する。 返地となる人数分を差し引き、残余を宛行う計算過程まで記した、検地後の知行配分を具体的に示す連署証状。

  30. 後編2-No.1627 豊臣秀吉朱印状

    永吉領主所蔵の秀吉朱印状だが、本文は別文書と同文として省略されている。 この頁からは日付と伝来情報のみ確認でき、宛先・命令内容は注記が指す参照文書との照合を要する。

  31. 後編2-No.1628 石田三成・細川玄旨連署状

    石田三成・細川玄旨が島津又八郎(忠恒)へ、島津領国の「置目」に返答し、京都にいる不忠の者の処罰や、家臣の縁組・相続を関白の意向に従って処理するよう伝える。 伏字が多いものの、豊臣政権が島津家中の成敗・相続・領国再編に深く関与したことを示す連署状。

  32. 後編2-No.1629 島津竜伯書状

    竜伯は島津又八郎(忠恒)へ、分国の所替え・返地・家臣の知行配当を京都の石田三成らと相談し、年内上洛や国中の「置目」を進める方針を伝える。 京都屋敷の造営、家臣の相続・配置、海路の自由や高麗和平の見通しまで触れ、豊臣政権との調整事項をまとめた長文書状。

  33. 後編2-No.1630 島津忠恒書状

    新納忠元譜に収められ、正文が新納次郎四郎忠鐶家に伝来した忠恒書状。 本文は別文書と同文として省略されているため、この頁では伝来先と収録譜以外の用件・宛先を確定できない。

  34. 後編2-No.1631 島津忠恒書状

    島津忠恒が新納武蔵入道(新納忠元)へ、その進退については図書頭へ口頭で伝えており、穏当な決着を見込むので詳細を「秘書」と熟談するよう知らせる。 その後連絡が途絶えるなか、明春の「奥入」が命じられて諸人が準備している一方、島津家中の仕置が整わず軍役を調える体制もないとして、国元の留守居に格別の注意を払…

  35. 後編2-No.1632 島津義弘書状

    義弘は島津又八郎(忠恒)へ、法元からの報告、佐左平次の帰朝、鹿児島衆の配置、帖佐の普請など、帰朝後の家中処置を細かく指示する。 船の手配、知行・人員移動、医師や鷹に関する用件まで盛り込み、領国再編の実務が同時並行で進む様子を伝える長文書状。

  36. 後編2-No.1633 寺沢正成書状

    寺沢正成は又八郎からの使札を受け、明国使節が到着したため、その旨を日本へ注進したと知らせる。 必要な用件があれば申し入れるよう促し、使節対応を遅滞なく進めるための連絡を求めた、講和交渉期の実務書状。

  37. 後編2-No.1634 川上胘枕外二名領知目録

    大隅国帖佐舟津村内の大園門・蒲生久徳村浮免などについて、米・大豆合わせ三十石を本田助丞へ給与する。 田畠の配分は現地で相談し、法に反する者がいれば申し出るよう定めた、川上胘枕・新納旅庵らの領知目録。

  38. 後編2-No.1635 伊集院幸侃・本田三清連署宛行状

    薩摩国永吉村の土地百六石余を本田助允へ配分し、残余分についても返地令に従って処理する。 永吉村内の具体的な石高と宛行先を示す、検地後の知行再編に伴う連署宛行状。

  39. 後編2-No.1636 小西行長書状

    小西行長は又八郎の書状に返答し、朝鮮使者を送り返したことと、春に予定される使者・軍勢の動きについて知らせる。 詳しい事情は使者から直接聞くよう求め、講和交渉後の朝鮮側との往来を調整した書状。

  40. 後編2-No.1637 島津義弘書状

    義弘は島津又八郎(忠恒)へ、鹿鳴右衛門尉の到着と大明和平に関する知らせを伝え、在陣衆の帰朝や知行処置について相談する。 京都での検地・家臣配置、上井仲五らを介した連絡にも触れ、再渡海を控えた家中調整を進める書状。

  41. 後編2-No.1638 白坂篤国起請文

    白坂篤国は、幸侃の在所から栗野へ召し移されても「武庫」こと島津義弘への奉公に二心を抱かず、命令に従うと誓う。 島津又八郎(忠恒)の上洛供奉を願ったものの留め置かれた経緯も述べ、配置変更に際する忠誠を神仏へ誓約した起請文。

  42. 後編2-No.1639 豊臣秀吉朱印状

    豊臣秀吉が島津又七郎(島津豊久)へ、長期の在番と城普請の勤務を評価し、冬季は養生して健康を保つよう気遣った朱印状。大勢の部隊は三分の一、小勢は半数を現地に残し、下々は交代で帰国させて国元の用務に当たらせるよう命じている。さらに、秀吉が北の名護屋まで出馬し、筑前中納言・備前中納言を渡海させる将来構想を…

  43. 後編2-No.1640 島津義弘譜

    義弘が帰国後に栗野へ下着し、所領替えを受けた諸士を新領へ移した経緯を記す。 再渡海に備えて船と軍勢を整え、十二月二十一日に帖佐を出発、陸路で筑前秋月へ向かったという、再出陣の行程を示す譜記事。

  44. 後編2-No.1641 伊集院幸侃・本田三清連署証状

    一乗院に伝来した文書として掲げられるが、この頁には「一作」とあるのみで本文が収録されていない。 日付・標題以外の宛先や具体的な用件は確認できず、別本または原文書との照合が必要である。

  45. 後編2-No.1642 伊集院幸侃・本田三清連署証状

    薩摩国谷山郡福本村の高百三十五石余を一乗院へ給与し、加世田の返地分を差し引くよう定める。 寺院領の石高と返地処理を具体的に示し、検地後の寺社領再編を確認できる連署証状。

  46. 後編2-No.1643 高麗入日々記自文禄四年十二月一日至三十日

    文禄四年十二月一日から三十日まで、高麗再渡海を控えた島津義弘周辺の日々を記す。天候、寺社参詣、連歌・茶・舞、贈答、使者・書状の往来に加え、船・馬・人員・武具・衣類・兵糧の手配、家臣への給付や知行処置、出仕・帰館を日次で列挙する。 比志島紀伊守・寺沢志摩守・伊集院幸侃・上井仲五らの動向も現れ、軍役準備…