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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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156 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録4-No.2301伺書旧記雑録暫定版確認度 中

病中につき将軍宣下祝儀を翌春の宗信参府時に延ばす伺い

継豊は将軍宣下の祝儀として関係者を招いて祝う意向があるが、病中のため直ちには行えないと述べる。翌春正月に同氏薩摩守宗信が参府した際に祝儀を勤めたいと伺う、十二月廿二日付の申上書。

登場人物
島津継豊、島津宗信
宛先
幕府役人
キーワード
継豊、宗信、将軍宣下、祝儀、病中、翌春正月、参府、伺い
追録6-No.2369書状旧記雑録暫定版確認度 高

重豪の差控不要の裁許に病中の本人に代わって礼を述べる

佐土原城主島津忠持は、重豪の幸橋御門内屋敷長屋焼失に伴う差控の伺いに対し、差控不要との裁許を受けたことを謝す。重豪が病中であるため、自ら代わって御礼を申し上げる。

登場人物
島津忠持(淡路守)、島津重豪(松平薩摩守)
宛先
幕府
キーワード
島津忠持、島津重豪、佐土原城主、幸橋御門、屋敷、長屋、焼失、差控、病中、御礼
追録6-No.2374届書旧記雑録暫定版確認度 高

病中の参勤御礼を使者に行わせる裁許を承知する

重豪は、病中のため参勤御礼の献上物を使者に託し、家来二人を登城させて献上させる伺いについて、水野忠友から許可を受けた旨を承知したと届ける。書付は留守居本城源七郎が西丸老中鳥居忠意へ提出し、承知された。

登場人物
島津重豪(松平薩摩守)、水野忠友(出羽守)、鳥居忠意(丹波守)、本城源七郎
宛先
鳥居忠意(丹波守)
キーワード
島津重豪、病中、参勤御礼、使者、献上物、家来二人、水野忠友、鳥居忠意、本城源七郎
追録4-No.929記事旧記雑録暫定版確認度 高

継豊病中ニ御鷹・雲雀拝領

継豊が芝邸で病臥して将軍の命を親しく奉じられず、鳥居伊賀守忠胤が代勤し、七月二十二日以後に上使石丸藤蔵から御鷹所で捕えた雲雀を拝領したことを記す。

登場人物
島津継豊、鳥居忠胤、石丸藤蔵、徳川吉宗
宛先
島津継豊
キーワード
島津継豊、病中、鳥居忠胤、石丸藤蔵、雲雀拝領
追録6-No.2373伺書旧記雑録暫定版確認度 高

病中の参勤御礼を使者と家来二人に行わせることを伺う

重豪は、二月に参勤時期となったが疝積・気痛が快癒せず、なお出勤できないため、参勤の御礼と献上物を使者に託し、先規どおり家来二人を登城させて献上させてよいか伺う。幕府は使者による献上を認め、前日の届出や家来の献上物の納戸納入方法を指示した。

登場人物
島津重豪(松平薩摩守)、水野忠友(出羽守)、渋谷五郎右衛門
宛先
水野忠友(出羽守)
キーワード
島津重豪、病中、参勤、疝積、気痛、使者、献上物、家来二人、登城、水野忠友
追録6-No.2685記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪と雄五郎の江戸行程、到着の挨拶と病中の代理献上を記す

九月朔日、重豪が雄五郎を伴って本府を発ち江戸へ向かい、家老市田貞英・側用人矢野清香ほか諸役が同行したと記す。四日に出水米之津から乗船して肥州日奈久へ渡り、以後は九州の陸路を進んで十四日に豊前小倉、翌日に長州赤間関へ到着した。晴天で波も静かなため再び船に乗り、二十一日に播州室津へ至って一日滞在し、そこから中国の陸路を取り、二十八日に大坂へ着いて五日滞在した。十月三日に大坂から川を遡り、翌日伏見に着いて四日滞在、九日に出発して東海道を経て二十七日に江戸へ到着した。同日留守居を老中邸へ送り、重豪と雄五郎の到着を報じた。二十九日、将軍は阿部正倫を芝邸へ遣わして参府を労ったが、重豪に病気があったため斉宣が代わって送迎の礼を行った。同日には老中邸で謝礼し、さらに留守居を若年寄邸へ、表方使者を側衆邸へ遣わして謝礼した。晦日に老中奉書で翌日の登城と参府御礼を命じられたが、病気が癒えず登城できなかった。その後、本文に同四日と記す日に番頭島津矢柄久宅を本丸へ遣わし、太刀一腰・白銀三十枚・縮緬十巻を将軍へ献じて到着の御礼とした。

登場人物
島津重豪、島津雄五郎(忠厚)、市田勘解由貞英、矢野男吏清香、島津斉宣、阿部伊勢守正倫、島津矢柄久宅、留守居、若年寄、側衆、将軍
宛先
記録記事(宛所の記載なし)
キーワード
重豪参府、雄五郎、同行家老、出水米之津、日奈久、小倉、赤間関、室津、大坂、伏見、東海道、江戸、阿部正倫、斉宣代礼、病中、太刀一腰、白銀三十枚、縮緬十巻
追録4-No.992記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津吉貴、病中の島津継豊登城拝謁を礼謝す

元文元年十二月十一日、継豊が参府後初めて登城し、病中の安否を尋ねられて黒書院で拝謁したこと、吉貴が幕府へ礼書を投じたことを記す。

登場人物
島津吉貴、島津継豊、徳川吉宗、徳川家重
宛先
—
キーワード
島津吉貴、島津継豊、参府、登城、黒書院、礼謝
追録4-No.2549記事旧記雑録暫定版確認度 中

病中の継豊に鶴を届け宗信が代理で謝礼を述べる記事

十二月三日以後、上使が病中の継豊の邸を訪れ、将軍からの御鷹にかかわる鶴を届けた。継豊は病気のため直接応対しにくく、宗信が代理で受領の謝意を伝え、幕府の執政らにも礼を述べる。下賜品、病中の応接、宗信による代理の謝礼を記す記事。

登場人物
島津継豊、島津宗信、徳川家重
宛先
—
キーワード
島津継豊、島津宗信、徳川家重、十二月三日、上使、病気、御鷹、鶴、代理、謝礼
追録4-No.2611連署消息旧記雑録暫定版確認度 中

宗信の少将任官と継豊の病中見舞いを述べる吉貴宛返書

松平上総入道吉貴宛の返書。正月十八日付の書状を受け、三御所が健勝であることと、宗信の少将任官を喜ぶ。前年十二月十八日に少将を命じられたこと、病中の大隅守継豊に見舞いがあったことを述べ、吉貴の御礼の趣を伝えるよう求める。No.2609・2610と同趣だが別の返書。

登場人物
清崎、高瀬、島津宗信
宛先
—
キーワード
島津吉貴、島津宗信、島津継豊、三御所、少将任官、病気、見舞い、正月十八日
追録4-No.2425記事旧記雑録暫定版確認度 中

病中の継豊が家重の叙位を使者で祝う記事

家重の官位叙任について、継豊は時機に病気で登城できなかった。そこで官服の使者を執政に遣わし、奉伸の賀詞を述べさせた。家重の昇進と島津家の祝いの手続を、継豊公御譜の記事として記す。

登場人物
島津継豊、徳川家重
宛先
—
キーワード
島津継豊、徳川家重、官位叙任、病気、登城不能、使者、賀詞、執政
追録4-No.2531記事旧記雑録暫定版確認度 中

継豊病中の宗信代理と将軍への祝儀・登城を記す記事

継豊公の譜の記事。継豊が享保年間に国元で病み養生していたため、宗信が代理として登城した先例を述べる。その後も将軍への祝儀と登城の代行が行われ、使者が太刀一腰と馬代金十両などを献じ、幕府役人を介して謝意を伝えた経過を記す。継豊の病気と宗信の代理という背景を示す記事で、単一の致仕願いではない。

登場人物
島津継豊、島津宗信、徳川家重、酒井雅楽頭
宛先
—
キーワード
島津継豊、島津宗信、病気、養生、代理登城、将軍、祝儀、太刀、馬代金、享保年間
追録6-No.2083伺書旧記雑録暫定版確認度 中

病中の登城に際して足袋を用いる許可を伺う

松平薩摩守は病気で冷えがあるため、夏秋でも足袋を用いる旨を伺う。三月二十一日付の伺書に「足袋用可被申候」との許可が付く。附書には、留守居渋谷五郎右衛門が田沼主殿頭の用人山崎藤五郎へ書付を差し出し、主殿頭からの仰せで本城源七郎と武田織右衛門を介して許可が伝えられた経緯を記す。

登場人物
松平薩摩守(島津重豪)、留守居渋谷五郎右衛門、田沼主殿頭、用人山崎藤五郎、本城源七郎、武田織右衛門
宛先
田沼主殿頭(留守居を経由)
キーワード
病気、冷え、夏秋、足袋着用、許可、留守居、田沼主殿頭、用人
追録6-No.2698書状旧記雑録暫定版確認度 高

参府見舞いの上使と懇意に対し、病中の重豪に代わって御礼を申し上げる

同氏上総介の参府に際して上使が遣わされ、懇ろな上意を受けたことをありがたく思うと述べる。上総介が病気であるため、その名代として、また自分自身からも御礼を申し上げる。十月十九日付、松平豊後守の書状である。

登場人物
松平豊後守(島津斉宣)、同氏上総介(島津重豪)、上使
宛先
宛所の記載なし
キーワード
重豪参府、上使、上意、御礼、上総介不快、名代、斉宣
追録8-No.633-2薩摩少将への参朝召命二日分と病中の押参を求める追書旧記雑録暫定版確認度 中

十二日午半刻の参朝、病中でも扶助しての参朝、当日の衣冠参朝を命じる召書

正月十一日に御用のため明十二日午半刻の参朝を命じる。追書では別段の御用であるため、所労でも扶助を受けて押して参朝するよう求める。十二日当日には、今日午半刻の御用に衣冠で参朝するよう改めて命じる。召命と追書・当日命令を分け、実際の参朝記録や病状・診断をこの文書から補わない。

登場人物
薩摩少将、扶助する者、朝廷
宛先
薩摩少将
キーワード
原6332薩摩少将正月十一明十二午半刻参朝御用追別段所労被扶押参正月十二今日午半衣冠召書
後編4-No.700記事確認度 中

盛香集

盛香集の記事。山田越前こと夫利安慶哲居士の猛心・節義にまつわる逸話と、病中や露・葉を題にした和歌を収め、法印龍伯や新納忠元らの作を付す。

登場人物
夫利安慶哲居士、山田越前、法印龍伯、新納忠元
宛先
—
キーワード
盛香集、夫利安慶哲居士、山田越前、逸話、節義、病中、和歌、法印龍伯、新納忠元
後編4-No.842文書確認度 高

福島正則書状

六月二十日、福島正則が島津家久に、龍伯義久の死去を聞いて驚き哀悼し、自身の病中のため直接見舞えない事情を述べ、比志島国貞・伊勢兵部にも弔意を伝えた書状。

登場人物
福島正則、島津家久、島津義久、比志島国貞、伊勢兵部
宛先
島津家久
キーワード
福島正則書状、島津家久、島津義久、龍伯、死去、弔意、病中、比志島国貞、伊勢兵部
後編5-No.1000文書確認度 中

伊勢貞昌書状

家久の病中に口頭だけでは伝達漏れが生じるとして、条書への回答を詳細に書き付けた書状。北郷・比志島・薩州関係者の知行や役付、加治木、縁組、家久・光久周辺の人事処置など、多数の案件について見解を述べる。

登場人物
伊勢貞昌
宛先
東郷重位
キーワード
伊勢貞昌、東郷重位、島津家久、病中、条書、知行、役付、北郷、比志島、加治木、縁組、人事、沙汰
後編5-No.1014文書確認度 高

島津家久書状

前年夏の江戸からの帰国祝いとして、琉球国主から使者と焼酎三壺・肴二壺を贈られたことに謝意を表し、江戸と国元が平穏であると伝える。病中のため印判を用いたとの追書を伴う書状。

登場人物
島津家久
宛先
中山国主
キーワード
島津家久、中山国主、琉球、江戸帰国、祝儀、使者、焼酎三壺、肴二壺、江戸、国元、病中、印判
後編5-No.1067文書確認度 高

土井利勝書状

家久が将軍へ琉球布を献上し、阿部豊後守が披露したところ首尾よく受納されたと伝える。利勝自身にも同布三端が贈られたことに礼を述べ、病中かつ遠路からの厚意を謝した書状。

登場人物
土井利勝
宛先
松平大隅守(島津家久)
キーワード
土井利勝、島津家久、松平大隅守、琉球布、献上、阿部豊後守、将軍、三端、贈答、病中、七月十四日
後編5-No.1095文書確認度 高

細川光利書状

八月二十四日付書状と沈香三斤の贈答に礼を述べ、家久の病状が夏頃より少し良くなったことを喜ぶ。将軍と薩摩守の無事を伝え、病中の返書の負担を避けて便りを控えていたこと、越中守からの使者や詳細は島津弾正大弼が伝えることを記した書状。

登場人物
細川光利
宛先
松平大隅守(島津家久)
キーワード
細川光利、島津家久、松平大隅守、沈香三斤、病状回復、徳川家光、薩摩守、病中、返書負担、越中守、島津弾正大弼、十月十七日
後編5-No.1128文書確認度 高

土井利勝書状

薩摩から将軍へ蜜柑を献上し、土井利勝にも五百入りの籠を贈ったことへの礼を述べる。遠路かつ病中にもかかわらず心を配ったことを特に感謝した。

登場人物
土井利勝
宛先
松平大隅守(島津家久)
キーワード
土井利勝、島津家久、松平大隅守、蜜柑、将軍、献上、五百、贈答、病中、十二月二日
後編5-No.1131文書確認度 中

松平定行書状

島原・天草の切支丹一揆と薩摩勢派遣の幕命を伝え、速やかな出兵を勧める。松平信綱・戸田氏鉄が現地処置のため江戸を出発したこと、江戸は平穏であることを知らせ、病中の家久を気遣った。

登場人物
松平定行
宛先
松平大隅守(島津家久)
キーワード
松平定行、島津家久、島原の乱、天草一揆、切支丹、薩摩勢、松平信綱、戸田氏鉄、江戸、病中、十二月三日
追録4-No.930連署書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久春外二名連署書状

継豊病中の登城・代理勤仕、上使応対、座席、献上物、御礼、家臣の名代・役付などについて、幕府側への照会と先例を島津久春ら三名が詳しく報告する。

登場人物
島津久春(島津大蔵)、樺山久初(樺山主計)、頴娃久周(頴娃左京)、島津継豊、鳥居忠胤、松平乗邑
宛先
島津主殿・島津本殿・種子島弾正・堀四郎太夫・比志島隼人・島津登
キーワード
島津久春、樺山久初、頴娃久周、病中勤仕、幕府礼法
追録4-No.1165伺書旧記雑録暫定版確認度 中

島津継豊伺書

将軍家から継豊の母へ女中使を通じて年々下される拝領物について、継豊が病中の年の礼式と取扱いを伺う。

登場人物
島津継豊、将軍家、女中使、継豊母
宛先
幕府役人
キーワード
島津継豊、女中使、拝領物、継豊母、病中、礼式
追録4-No.1343伺書旧記雑録暫定版確認度 高

島津継豊伺書

島津継豊は、嫡子又三郎が松平を名乗るよう命じられた礼として、将軍と大納言への献上物と謝礼の方法を伺う。継豊が病中のため名代で礼を述べたいこと、国元の吉貴も使札と献上で謝意を表したいことを記す。添えた品目表には太刀・馬代、巻物十や綿三十把などを挙げる。

登場人物
島津継豊、島津忠顕、島津吉貴、樺山久初、公方、大納言
宛先
樺山主計(樺山久初)
キーワード
松平称号、謝礼、名代、病中、太刀、馬代、巻物、綿
追録4-No.1538内意書旧記雑録暫定版確認度 高

吉貴の国政聴聞に関する内意書

吉貴は、継豊が病中で江戸にいるため隠居後も国元の用務を聞いているが、軽い案件が上がらず用務が少ないことを懸念する。家老に諸事をおろそかにせず締まりを保つよう命じ、その趣旨を目付・勘定奉行・町奉行など諸役人へ伝えるよう指示した。

登場人物
島津吉貴、島津継豊、家老、諸役人
宛先
家老中・諸役人
キーワード
吉貴、継豊病中、国政聴聞、家老、役人、政務の締まり
追録5-No.159記事旧記雑録暫定版確認度 中

継豊、御鷹の鶴を拝領す

延享四年十二月二十三日、上使山口勘兵衛を通じ、継豊に御鷹が捕らえた鶴を賜った。継豊は病中だったため、島津加賀守忠雅が継豊に代わって老中各邸を訪れ、謝礼を述べた記事。出典は継豊公御譜。

登場人物
島津継豊・上使山口勘兵衛・島津加賀守忠雅・執政(老中)
宛先
該当なし
キーワード
十二月二十三日、上使山口勘兵衛、継豊御鷹鶴拝領、病中、島津加賀守忠雅代礼、老中各邸
追録5-No.345記事旧記雑録暫定版確認度 中

継豊、御鷹ノ御拝領ス

継豊公御譜は、病中の継豊に将軍から御鷹所で捕らえた鶴が下賜されたと記す。将軍の使者は桜井監物で、水野肥前守忠見が継豊に代わり、執政らのもとへ赴いて謝意を伝えた。

登場人物
島津継豊・櫻井依郷(監物)・水野忠見(肥前守)
宛先
—
キーワード
島津継豊、病中、将軍、御鷹、鶴、拝領、礼
追録5-No.357記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信、琉使具志川王子ト共ニ登営ス

十二月十五日、宗信が直垂を着し、琉球使節の具志川王子とともに登城した。平田掃部正輔・近習役・留守居らが従い、家重への拝謁は鳥居伊賀守忠胤が取り次いだ。松平右近将監武元が使節の遠来の労をねぎらい、具志川が中山王の献物を披露した。宗信も数品を献じ、井上遠江守正敦が奏達した。平田は太刀一腰・馬代白銀一枚を献じ、鳥居が奏達した。宗信は西城でも拝謁・謝礼し、稲葉丹後守正申の取次ぎを経て各執政にも礼を述べた。翌十六日、上使木下内匠が江戸芝邸に来て、鷹狩で得た鶴一隻を宗信に賜った。宗信は病中のため水野肥前守忠見が代わって拝領し、幕府の各執政に謝礼した。

登場人物
島津宗信・具志川王子・中山王・徳川家重・平田掃部正輔・鳥居伊賀守忠胤・松平右近将監武元・井上遠江守正敦・稲葉丹後守正申・木下内匠・水野肥前守忠見
宛先
—
キーワード
島津宗信、具志川王子、中山王、平田正輔、登城、献上、西城謝礼、鶴拝領、宗信病中、水野忠見
追録5-No.512書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

島津久柄外二名家老連署書状

寛延二年八月三日、嶋津主鈴久郷・矢柄久寛・主殿久柄が、樺山主計・伊勢兵部・鎌田典膳・平田靱負へ、太守様(宗信)の病状悪化に伴う養子・家督相続の相談と願書提出の経緯を報告する。主殿が相続に関する書付を差し越し、姫君様への願いと菊姫様への申し進めについて村路を通じて取り次いだ。八月朔日夜、新御書院で荻原殿・お梅殿・岡田殿と差出人三人が会合し、療養を尽くしても効験が見えず衰弱が増すため、急変した際には当三月の下国前に仮養子として申し置いた嶋津兵庫の相続を願いたいこと、隅州様および一門の相談を経て願書を差し出したいことを伝え、姫君様・菊姫様も承知したと記す。関係者の名を列記し、柳生備前守は不快のため断ったと付記する。二日には芝屋敷で隅州様の相談について留守居を介して報告し、伊豫守・加賀守が養子願の案文を内見した。両者は万端の取計を引き受け、野村大右衛門にも伝え、大玄院病中の諸書付を見合わせて案文を整え、小笠原縫殿助・久世忠右衛門にも相談した。堀田相模守への内意照会では、病状の届はすでに二度上聞に達しているので改めて奉書を届けず、直接養子願を差し出すよう回答され、岩下佐次右衛門から春日井庄兵衛を通じて伝えられた。三日、願書を御用番本多伯耆守へ加賀守と小笠原縫殿助が提出し、若年でも不慮の事態を考慮して受け取る旨の返答を得た。加賀守は門外へ退出後に戻って受理の礼を述べ、櫻田の御守殿へ報告した。尾張様へは矢柄が使者として知らせ、嘉知姫様にも用人を介して伝達した。京・大坂の使番、関係する御方、御守殿付用人、近習役以上、家老座・諸役人・諸士への周知を記し、書付写五通を送って貴聞に達するよう求める。日付と周辺の宗信死去記事との前後関係には疑義がある。

登場人物
嶋津主鈴久郷・嶋津矢柄久寛・嶋津主殿久柄・樺山主計久初・伊勢兵部貞起・鎌田典膳政昌・平田靱負(正純と注記)・太守様(宗信)・隅州様・姫君様・菊姫様・嶋津兵庫・荻原殿・お梅殿・岡田殿・村路・松平越中守・阿部伊豫守・鳥居伊賀守・水野肥前守・柳生備前守・松平河内守・小笠原縫殿助持廣・久世忠右衛門廣氏・嶋津加賀守忠雅・嶋津又四郎久門・山本大膳正之允・野村大右衛門・大玄院・岩下佐次右衛門・堀田相模守・春日井庄兵衛・本多伯耆守・尾張様・嘉知姫様
宛先
樺山主計久初殿・伊勢兵部貞起殿・鎌田典膳政昌殿・平田靱負殿
キーワード
宗信重病、仮養子、嶋津兵庫、家督相続、姫君、菊姫、朔日新御書院会合、芝屋敷、願書案文内見、大玄院病中先例、堀田相模守内意、本多伯耆守受理、櫻田御守殿、尾張、嘉知姫、書付写五通
追録5-No.569文書旧記雑録暫定版確認度 高

堀田正亮書状

堀田相模守正亮が松平大隅守継豊へ九月二十一日に返書を送る。宗信の病中、願いに従って医師平賀玄純を遣わしたことについて、ありがたいとの継豊の礼状を受け、その意を承知したと答える。本文の医師名には玄を元とする注がある。紙面の趣旨も読んだと記す。今後継豊を診察する許可ではなく、宗信病中の派遣への御礼に対する返答である。

登場人物
堀田正亮
宛先
松平大隅守(島津継豊)
キーワード
堀田正亮、継豊、宗信病中、平賀元純(玄純)、医師派遣、御礼返答
追録5-No.571文書旧記雑録暫定版確認度 中

西尾忠尚書状

西尾隠岐守忠尚が松平大隅守継豊へ九月二十一日に返書を送る。宗信の病中に医師平賀玄純を願いどおり遣わしたことについて、継豊からの御礼を承知したと伝え、紙面の趣旨も理解したと述べる。前の堀田・秋元書状と同じ医師派遣に対する返答で、忠尚の署名・判と大隅守宛所を持つ。

登場人物
西尾忠尚
宛先
松平大隅守(島津継豊)
キーワード
西尾忠尚、継豊、宗信病中、平賀玄純、医師派遣、御礼返答
追録5-No.575文書旧記雑録暫定版確認度 高

徳川宗勝書状

尾張中納言宗勝が松平大隅守継豊へ九月二十七日に返書を送る。宗信の病中、油断なく療養するよう宿次奉書で伝えられたことについて、継豊の書札と贈物一種を受け取ったと述べる。大御所・大納言からの御諚を記す奉書が届いた旨も承知し、心遣いをありがたく受け止めたと答える。宗勝の署名・判と御報注を持つ。

登場人物
徳川宗勝
宛先
松平大隅守(島津継豊)
キーワード
宗勝、継豊、宗信病中、宿次奉書、大御所、大納言、贈物一種
追録5-No.576文書旧記雑録暫定版確認度 高

堀田正亮書状

堀田相模守正亮が松平大隅守継豊へ九月二十八日に返書を送る。宗信の病中に上意を宿次奉書で伝え、大御所・大納言からも御諚を記す奉書が届いたことについて、継豊からの御礼を承知したと答える。使者の来訪に伴い、書札の趣旨を関係者と相談して上聞に達したと記す。宛先は継豊で、病人として記されるのは宗信である。

登場人物
堀田正亮
宛先
松平大隅守(島津継豊)
キーワード
堀田正亮、継豊、宗信病中、宿次奉書、御礼、使者、上聞
追録5-No.577文書旧記雑録暫定版確認度 高

秋元凉朝書状

秋元但馬守凉朝が松平大隅守継豊へ九月二十八日に返書を送る。宗信の病中、上意を宿次奉書で伝え、大御所・大納言の御諚も奉書で知らせたことに対する継豊の御礼を承知する。使者の到来に伴い、継豊の紙面の趣旨を言上したと述べる。堀田の前書と同件だが、本書は凉朝の署名・判と大隅守宛所を持つ独立した返書である。宗信への上意・御諚の伝達に対する継豊の御礼を扱う。

登場人物
秋元凉朝
宛先
松平大隅守(島津継豊)
キーワード
秋元凉朝、継豊、宗信病中、宿次奉書、御礼、使者、言上
追録5-No.578文書旧記雑録暫定版確認度 高

西尾忠尚書状

西尾隠岐守忠尚が松平大隅守継豊へ九月二十八日に返書を送る。宗信の病中の宿次奉書、大御所・大納言からの御諚を伝える奉書に対して、継豊の謝意を承知したと答える。使者の来訪に伴って紙面の趣旨を言上したと記す。

登場人物
西尾忠尚
宛先
松平大隅守(島津継豊)
キーワード
西尾忠尚、継豊、宗信病中、宿次奉書、御礼、言上
追録5-No.983書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

平田正輔・市来政方連署書状

平田靭負正輔・市来左中政方が六家老へ、太守・隅州の有徳院遺物拝領後の御礼について、江戸での相談と書状・使札の提出経過を報告する。加賀守から名代御礼についての照会がないため、留守居を通じて御用番酒井左衛門尉へ申し上げ、山澤小左衛門を取次に遣わした。国元在住の拝領者には名代御礼の例がなく、上使の差図もないまま、有徳院の隠居祝いの拝領例だけで処理するのは不足があるとして、堀田相模守へ内談した。留守居が御用人浅井八兵衛から、御用番の出勤を待って礼使札を差し出す扱いを聞き、赤松甚右衛門にも申し合わせた。甚右衛門は病気で参上できず、小左衛門が佐久間源太夫へ事情を伝え、先月十五日に相模守へ内談する手はずを整えたが、浅井八兵衛の内用のため進まなかった。そこで倉次甚太夫にも相談し、十七日付の手紙と十九日の来訪を経て、御用番の差図どおり名代で勤めることになったと報告する。 名代が登城して御礼するのか、廻勤で済むのかについても堀田側と相談した。隅州が病中のため、在府の加賀守が両丸へ登城し、老中へ廻勤する扱いとし、似寄りの例書を添えるよう八兵衛から伝えられた。当分出勤しない酒井左衛門尉・秋元但馬守への御礼は差し控え、出勤後に改めて勤める。大納言への御礼も御用番へ申し上げて済ませるという。有徳院遺物の両殿への拝領について本多伯耆守へ提出した書付一通と例書一通、隅州から大納言への御礼についての書付一通と付紙の扱いを挙げる。加賀守父子の名代については先に願い、御用人を通じて登城を要しない廻勤の差図を受けた。先月二十五日の書状提出、翌二十六日の加賀守の老中・上使側への廻勤、若年寄への菱刈孫兵衛の使者、側衆への表方・隠居方それぞれの使者を記す。 太守・菊姫の遺物拝領に隅州から謝礼する連署書状一通について、本多への提出と受け取り、秋元宛書状が西丸用務のため登城しなかったこと、西尾隠岐守宛書状の提出、元で整えた連署書状と御右筆の案文を挙げる。太守・菊姫の拝領に対する奉書一通、隅州から大納言への謝礼に関する同一通、本丸の老女五人から隅州への返事六通も報告する。隅州の公方・大納言への御内証の御礼は名代使札で決めにくく、国元で文面を整えるよう伝えられた。八月二十一日付の御文と御案文、御礼文の八月九日・九日付、使札の八月二十一日付に相違があるため、御文を案文として扱い、双方を相談して調え直した。先月二十六日に御守殿から提出した御文はその日に返事が下り、女使の口上と春井の取次を経た。二十七日には春井から添文付きの御文六通を提出したという。 太守の御頂戴がまだ済んでいないため、七月十日の拝領として差し出す御礼文の扱いを佐々木に尋ね、差し支えないとの返答を得た。隅州の御礼文は御右筆が提出し、国元の御案文も添える。日付の異なる案文と調え直した文面を送って、国元の心得とする。京都諸司代・大坂城代への通知は、隠居祝いの拝領時の例に従って調えるよう使番へ申し渡したが、先例が見当たらないため、近衛その他への通知とあわせて相談する。日光宮・御三家・御一門への通知は、太守の御礼が済んだ時に使番へ申し渡すよう求める。隅州の御礼が済んだことも伝え、別紙九通を送るとして結ぶ。末尾に十月四日の朱記と、平田靭負・市来左中の名義、六家老宛名を掲げる。

登場人物
平田靭負正輔・市来左中政方・太守・隅州・菊姫・嶋津加賀守・山澤小左衛門・酒井左衛門尉・堀田相模守・浅井八兵衛・赤松甚右衛門・佐久間源太夫・倉次甚太夫・有徳院・秋元但馬守・本多伯耆守・西尾隠岐守・菱刈孫兵衛・大納言・公方・春井・山野・老女五人・御留守居・御用番・御右筆・御使番・老中・若年寄・側衆・物頭・京都諸司代・大坂城代・近衛・日光宮・御三家・御一門
宛先
嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門
キーワード
遺物拝領、名代御礼、御用番、酒井、堀田、留守居、浅井八兵衛、赤松甚右衛門、佐久間源太夫、倉次甚太夫、両丸登城、廻勤、病中隅州、加賀守、菱刈孫兵衛、本多、西尾、秋元、連署書状、奉書、老女五人、返事六通、八月二十一日、礼文日付相違、御守殿、春井添文、御文六通、御右筆、佐々木、京都諸司代、大坂城代、近衛、日光宮、御三家、御一門、別紙九通
追録5-No.1729家老連署首尾書旧記雑録暫定版確認度 要確認

島津久郷・伊集院久東家老連署首尾書

島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東が十月四日、三家老へ重年の病中から家督相続までの御挨拶を報告する。継豊の意向を受け堀田相模守へ礼を伝え、八月十二日付朱書き返答を承知したのち、九月に水野肥前守へ挨拶し、肥前守が島津邸へ来た際の返答を述べる。堀田の来訪と、西尾隠岐守を通じて肥前守へ伝えた経過、御家老使者による御礼への応答も記す。これらの取次と挨拶が済んだことを国元へ報告する。

登場人物
島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東
宛先
島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳
キーワード
病中家督、挨拶、水野肥前守、老中取次
追録7-No.1751-1届書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪届書(介助辞退・1751の1)

重豪公御譜中、白木御文書八番箱三十八号にもあるとする。天明七年未に隠居を願い、国政筋は病中に介助する心得を申し上げておいたと述べる。その後溪山へ政事を任せ、文化六年巳に溪山が隠居して豊後守へ家督を命じられてからも介助した。溪山には斉宣の傍注がある。老年で気力が衰え、近年は病身となり、これ以上の介助が思い通りにならないとする。昨年の御目見時に受けた重い上意は恐れ入って承るが、行き届かないため今回介助を断ると届ける。引き続き心添えはするので、その旨を聞き置くよう求める。末尾は「月」のみで、松平榮翁署、宛先は本文に示さない。文政三年は前後の配列による整理で、目録も「月」のみを記す。月数・日数を補わない。介助辞退と今後の心添えを区別して扱う。

登場人物
松平榮翁(島津重豪)、溪山(島津斉宣と傍注)、同氏豊後守(島津斉興)
宛先
本文に宛先記載なし
キーワード
重豪公御譜白木八番箱三十八私儀天明七未隠居願国政病中介助心得溪山斉宣政事文化六巳溪山隠居豊後守家督介助老年気薄病身不任心底昨年御目見重上意恐入行届困難介助断心添聞置月のみ松平榮翁
追録7-No.1751-2届書旧記雑録暫定版確認度 高

島津斉興届書(介助辞退・1751の2)

斉興が、榮翁の国政介助辞退と今後の心添えを届ける文書。榮翁が天明七年未に隠居を願い、国政筋は病中に介助する心得を申し上げ、その後溪山へ政事を任せた経緯を述べる。文化六年巳に溪山が隠居して斉興へ家督を命じられてからも、榮翁は介助を続けた。次第に気力が衰え近年は病身となり、これ以上の介助が思い通りにならないとする。昨年の御目見時の重い上意を恐れ入って承るが、行き届かないため今回介助を辞退し、重要な事柄にはなお心添えすると述べているので、その旨を聞き置くよう求める。末尾は「月」のみ、松平豊後守署に斉興の注を付す。前の包にあるとの注がある。添えられた朱書は、両通を8月10日に留守居早川千竃が阿部備中守の勝手へ持参し、用人阿部小助を通じて先例のない届として内見・吟味を求め、先預りとなった経緯を記す。13日の呼出しでは太守の届書も添えるよう求められ、同日附で差し出すよう内分に伝えて取計い、備中守の落手を小助から聞いたとする。本文の日付と朱書の提出経緯を分け、次のNo.1752の首尾書も併読する。

登場人物
松平豊後守(島津斉興)、同氏榮翁(島津重豪)、同氏溪山(島津斉宣)、早川千竃(朱書)、阿部備中守(朱書)、阿部小助(朱書)
宛先
本文に宛先記載なし
キーワード
榮翁重豪天明七未隠居国政病中介助心得溪山斉宣政事文化六巳隠居豊後守斉興家督老年気薄病身昨年御目見重上意介助辞退重立事心添月のみ前包朱書両通八月十日十三日早川千竃阿部備中守勝手阿部小助先例無内見吟味先預り太守届添同日附取計落手
追録7-No.2645書状旧記雑録暫定版確認度 高

瀧山外二名連署消息

花町・梅溪・瀧山から松たいら栄翁様人々御中への連署消息。長寿を祝い、上様方の機嫌がよいことを知らせる。相手が高齢であることにより、思召をもって御納戸金の内から三百両を例年通り内々に贈ったと述べる。病中でもあるため慰めになるよう、例年より早く贈った旨を伝え、めでたく受け取ってほしいとして結ぶ。朱書天保四年、三名の署名と宛先を保持する。病状の詳報や投薬とは分け、贈金の原資としての御納戸金、三百両、例年通りの額と例年より早い時期を区別して記録する。

登場人物
花町、梅溪、瀧山、栄翁様(島津重豪)、上様方
宛先
松たいら栄翁様 人々御中
キーワード
花町、梅溪、瀧山、島津重豪、栄翁、高齢、病中、思召、御納戸金、三百両、例年通り、例年より早く、内々、慰め、贈金、連署消息
追録7-No.2646書状旧記雑録暫定版確認度 高

瀧山外二名連署消息

花町・梅溪・瀧山が松たいら栄翁様人々御中へ送った返事。手紙を受け取ったことと上様の機嫌がいよいよよいことを伝え、昨日、相手が高齢であるため御台様の思召により御納戸金の内から三百両が内々に贈られたことをありがたく思っていると述べる。病中につき厚い思召で例年より早く贈られたことを特にありがたく受け止め、手紙の通り礼を申し上げたと知らせる。朱書天保四年、三名の署名と栄翁宛を保持する。No.2645の贈金通知とは別に、御台様による三百両の贈金が昨日あったこと、例年より早い時期と礼の取次を記す。

登場人物
花町、梅溪、瀧山、栄翁様(島津重豪)、御台様、上様方
宛先
松たいら栄翁様 人々御中(御返事)
キーワード
花町、梅溪、瀧山、島津重豪、栄翁、御台様、御納戸金、三百両、高齢、病中、昨日、例年より早く、御礼、御返事
追録8-No.807-5病中の中将が津畑へ勅使を迎えに出る予定を周知する達旧記雑録暫定版確認度 中

中将の病体と不敬の断りを伝え、津畑出迎えの予定を一統へ知らせる

原807の五。中将はまだ病中で身体の屈伸も不自由だが、勅使の下向は容易ならぬ重要な役柄のため、病中の不敬となるところを重ねて断った上で、病体のまま津畑まで迎えに出る旨の沙汰があったと伝える。一統が承知するよう向々へ周知を命じる。朱明治二巳二月十三日、龍衛。病状は達に記された範囲で示し、診断名・予後や実際の出迎え完了を補わない。

登場人物
中将様、勅使、龍衛、一統・向々
宛先
一統・向々
キーワード
原807の5旧ID8073中将病中屈伸不自由勅使下向至重御病中不敬幾重断御病体行形津畑出迎沙汰周知明治二巳二月十三龍衛
追録8-No.852島津中将の勤王・病中参朝を評価し御打柏一領を賜う沙汰と別紙旧記雑録暫定版確認度 中

島津中将へ勤王と参朝を評価する沙汰を下し、御召古御打柏一領を賜う

「玉里ヨリ現書御引譲ノ内」。島津中将宛に、積年の勤王の勲労を慰めるため勅使を遣わしたところ、早速拝謝し病を押して登京参朝したことへの叡感を述べる。格別の配慮で別紙の品を賜い、一新の大業を助けて励むよう求める。「賛補」には補を輔カとする注がある。文末は朱書の明治二年と三月、行政官で、日を記さない。続く別紙は「御召古 御打柏一領」を下賜すると記す。勲労・病中参朝の評価は沙汰に帰属させ、本文と別紙を分け、他条の同賜与と数量を合算せず、衣服の現代名・価格や実引渡完了は補わない。

登場人物
島津中将(原宛名)、行政官、勅使、天皇(原叡感・御品賜与の主体)
宛先
島津中将
キーワード
原852玉里ヨリ現書御引譲ノ内島津中将積年勤王勲労勅使拝謝病中登京参朝叡感別紙賜品一新鴻業賛補輔カ朱明治二年三月行政官御召古御打柏一領下賜
追録8-No.992岩倉大納言が天皇の使者として来訪し忠義が久光に代わり受けた系図記事旧記雑録暫定版確認度 中

御系図(玉里久光公)

天皇の使者として岩倉大納言具視が来訪し、宸翰を賜った。久光は病中であったため、忠義が久光に代わって拝受した。明治三年十二月、御系図・玉里久光公。

登場人物
天皇、岩倉大納言具視、島津久光、島津忠義
宛先
—
キーワード
御系図、玉里久光公、明治三年十二月、天皇使、岩倉大納言具視、宸翰、久光病中、忠義代拝受
追録8-No.1139-2従二位叙任の受命御礼を済ませ呼称を改める旨の達旧記雑録暫定版確認度 中

従二位叙任受命御礼と呼称

前年に従二位を宣下されたものの病中で受命の猶予を願っていた人物が、参内して天気を伺い、受命の御礼を済ませたため、今後は「従二位様」と称するよう御家令から通知し、県が布告する。

登場人物
御分家、御家令、鹿児島県庁、従二位被叙者
宛先
県内官民・関係家中
キーワード
参内、天気伺、従二位、宣下、病中、受命猶予、御礼、御家令、鹿児島県庁
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 419書状・軍事情勢連絡旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

松平定行書状

松平定行が島津家久へ、天草・島原の一揆に際して薩摩兵を早く出すよう求める。寺沢家来の薩兵衛が先月十三日に一揆を討ったが再蜂起の情報があると述べ、家久が病中でも派遣兵への指示を確実にするよう頼む。松平信綱・戸田氏鉄が三日に当地を出て近く九州へ着く予定で、自身も西国への加勢を命じられたと知らせる。追伸では家久の療養を気遣い、城外へ出て気晴らしすることを勧める。

登場人物
松平定行 島津家久 松平河内守 寺沢堅高 薩兵衛 松平信綱 戸田氏鉄
宛先
島津家久(松平大隅守)
キーワード
薩摩出兵 再蜂起 上使増派 病中見舞
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 319-3覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

向評定書案文帳覚書

評定所案文帳の保管・改装履歴を記した覚書。正月六日から二月二十六日までの一大冊で、島原の乱以来、家老座に保管されていた。延享三年十二月六日、元禄九年の御城火災(回禄)の焼け残りで、中納言様の病中の事柄も記すため記録所の照合に役立つか吟味して報告するよう、町田仲右衛門へ渡されたという。他に同類の冊子がないので裏打ちして保管し、後年の照合に用いる旨を右平太へ報告した。明和元年九月には四冊に分けて被紙を済ませ、『草案燼余』と改号し、根帳を消除したと記す。

登場人物
町田仲右衛門・右平太(本文関係者)
宛先
宛先なし(保管履歴覚書)
キーワード
評定所案文帳、保管履歴、正月六日、二月二十六日、一大冊、島原乱、家老座、延享三年十二月六日、町田仲右衛門、元禄九年、御城回禄、焼け残り、中納言様病中、記録所、類冊なし、裏打ち、右平太、明和元年九月、四冊、被紙、草案燼余、改号、根帳消除
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 404村尾重候の病中見舞・立寄依頼書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鍋島茂利書状

鍋島茂利が村尾源左衛門重候へ、病中にもかかわらず届いた書状を謝し、先の働きは書中で言い尽くせないと賞賛しつつ、体調がすぐれないと聞いたため養生を勧めた返書。追而書で、八日に相国を通る折には必ず立ち寄ってほしいと頼む。

登場人物
鍋島茂利(鍋島六左衛門尉)
宛先
村尾源左衛門(重候)
キーワード
寛永十五年三月一日、鍋島茂利、鍋島六左衛門尉、村尾源左衛門、重候、病中見舞、働賞賛、養生勧告、八日、相国通過、立寄依頼、返書、村尾源左衛門家蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-15書状・上原氏系譜考証/系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原尚演書状

霜月二十六日、上原大蔵尚演が上原源兵衛へ、先日の来訪時は病中で十分相談できず残念だったと詫び、系図について税所次郎右衛門へ尋ねて改めて報告し、正月の再訪時に詳しく話したいと伝えた書状。尚演は病状が日増しに回復していることも喜んで報じる。朱書の季安按は、この書状と休兵衛自記に系図がないことから、上原氏に系図が伝わらず、藤原流への接続や古文書中の中原姓も後世の誤りではないかと疑い、曽於郡止上権現の社家に古系図が保存されていたものの、季安自身が十六、七歳頃に上原形部へ頼んで見た内容を覚えておらず、古文書との整合も直接再確認しなければ評価できないとする。付属系図は尚敷・尚盛・尚朝・尚治・尚輔らの家督、養子、婚姻を記し、寛永九年の伊豆守の食禄百五十一石、尚敷の百二十二石、万治二年十二月の百三十八石八升などを掲げる。

登場人物
上原大蔵尚演、上原源兵衛、税所次郎右衛門、伊地知季安、上原形部、上原尚敷、上原尚盛、上原尚朝、上原尚治、上原尚輔、比志島宮内少輔国隆
宛先
上原源兵衛様
キーワード
上原尚演書状、正文家蔵、霜月二十六日、上原大蔵尚演、上原源兵衛、病中、相談未了、税所次郎右衛門、系図照会、正月再訪、病状回復、伊地知季安按、休兵衛自記、系図無之、藤原流疑義、中原姓疑義、曽於郡、止上権現、社家古系図、上原形部、十六七歳、朱書、前文書行間、上原尚敷、上原尚盛、上原尚朝、上原尚治、上原尚輔、家督、養子、婚姻、寛永九年、伊豆守百五十一石、百二十二石、万治二年、百三十八石八升、比志島国隆