島津久柄外二名家老連署書状
〈寛延二年〉八月三日/整理ID 旧記雑録追録5_文書0512
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概要
寛延二年八月三日、嶋津主鈴久郷・矢柄久寛・主殿久柄が、樺山主計・伊勢兵部・鎌田典膳・平田靱負へ、太守様(宗信)の病状悪化に伴う養子・家督相続の相談と願書提出の経緯を報告する。主殿が相続に関する書付を差し越し、姫君様への願いと菊姫様への申し進めについて村路を通じて取り次いだ。八月朔日夜、新御書院で荻原殿・お梅殿・岡田殿と差出人三人が会合し、療養を尽くしても効験が見えず衰弱が増すため、急変した際には当三月の下国前に仮養子として申し置いた嶋津兵庫の相続を願いたいこと、隅州様および一門の相談を経て願書を差し出したいことを伝え、姫君様・菊姫様も承知したと記す。関係者の名を列記し、柳生備前守は不快のため断ったと付記する。二日には芝屋敷で隅州様の相談について留守居を介して報告し、伊豫守・加賀守が養子願の案文を内見した。両者は万端の取計を引き受け、野村大右衛門にも伝え、大玄院病中の諸書付を見合わせて案文を整え、小笠原縫殿助・久世忠右衛門にも相談した。堀田相模守への内意照会では、病状の届はすでに二度上聞に達しているので改めて奉書を届けず、直接養子願を差し出すよう回答され、岩下佐次右衛門から春日井庄兵衛を通じて伝えられた。三日、願書を御用番本多伯耆守へ加賀守と小笠原縫殿助が提出し、若年でも不慮の事態を考慮して受け取る旨の返答を得た。加賀守は門外へ退出後に戻って受理の礼を述べ、櫻田の御守殿へ報告した。尾張様へは矢柄が使者として知らせ、嘉知姫様にも用人を介して伝達した。京・大坂の使番、関係する御方、御守殿付用人、近習役以上、家老座・諸役人・諸士への周知を記し、書付写五通を送って貴聞に達するよう求める。日付と周辺の宗信死去記事との前後関係には疑義がある。
登場人物
嶋津主鈴久郷・嶋津矢柄久寛・嶋津主殿久柄・樺山主計久初・伊勢兵部貞起・鎌田典膳政昌・平田靱負(正純と注記)・太守様(宗信)・隅州様・姫君様・菊姫様・嶋津兵庫・荻原殿・お梅殿・岡田殿・村路・松平越中守・阿部伊豫守・鳥居伊賀守・水野肥前守・柳生備前守・松平河内守・小笠原縫殿助持廣・久世忠右衛門廣氏・嶋津加賀守忠雅・嶋津又四郎久門・山本大膳正之允・野村大右衛門・大玄院・岩下佐次右衛門・堀田相模守・春日井庄兵衛・本多伯耆守・尾張様・嘉知姫様
宛先
樺山主計久初殿・伊勢兵部貞起殿・鎌田典膳政昌殿・平田靱負殿
キーワード
宗信重病、仮養子、嶋津兵庫、家督相続、姫君、菊姫、朔日新御書院会合、芝屋敷、願書案文内見、大玄院病中先例、堀田相模守内意、本多伯耆守受理、櫻田御守殿、尾張、嘉知姫、書付写五通
冊子頁
180~182頁
読込量
大
面白さ
中
(2)166~310頁(寛延2~寛延4).pdf