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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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63 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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後編3-No.412文書確認度 高

石田三成・島津竜伯連署書下

石田三成と島津義久が上方の算用所運営について定めた連署書下。用事のない者や自分の算用を持たない代官の出入りを禁じ、呼出しに病気・他行を理由として遅参した者には知行高に応じた過怠銭を科すこと、算用中の悪口・軽率な振舞いを処罰すること、算用場の食事を一汁一菜とすること、万物奉行の下知に従うことなどを命じる。

登場人物
石田三成(治部少輔)、島津義久(竜伯)、本田与左衛門尉、新納孫右衛門尉、河上左近将監、上方算用聞
宛先
本田与左衛門尉殿、新納孫右衛門尉殿、河上左近将監殿
キーワード
石田三成・島津竜伯連署書下、算用所、出入禁止、代官、呼出し、遅参、過怠銭、算用聞、悪口禁止、一汁一菜、万物奉行、職務規定
後編3-No.413文書確認度 高

石田三成・島津竜伯連署覚書

石田三成と島津義久が上方での会計手続きを列記した連署覚書。薩摩から上る米の大坂での受取・売却、算用聞の切手、売却代金の義久への送付、呉服・作事方の買物、摂津・播磨知行の免目録、口米、台所の飯米・塩噌・炭薪油などを規定する。算用聞四人が三か月ごとに帳簿を監査し、帳目録を作らない場合は知行物成の五分一を没収すると定める。

登場人物
石田三成(治部少輔)、島津義久(竜伯)、本田与左衛門尉、新納孫右衛門尉、河上左近将監、河内河守入道、上方算用聞
宛先
本田与左衛門尉殿、新納孫右衛門尉殿、河上左近将監殿、河内河守入道殿
キーワード
石田三成・島津竜伯連署覚書、上方算用、大坂、薩摩米、切手、売却代金、呉服方、作事方、摂津・播磨、免目録、口米、台所入用、三か月監査、帳目録、過怠
後編3-No.758文書確認度 高

伊勢貞昌書状

伊勢貞昌が入田左馬入道に、孫右衛門尉を介して伝えられた件を披露したところ御感を得たと報じる。忠節を尽くす者があれば取り立てること、御前への披露以外は知る者のない件なので隠密に扱うことを求め、後日の証拠として関係する二人にも書付を送った旨を伝える。

登場人物
伊勢貞昌、入田左馬入道、孫右衛門尉
宛先
入田左馬入道殿
キーワード
伊勢貞昌書状、入田左馬入道、孫右衛門尉、忠節、取立て、隠密、書付、後日証拠、慶長四年六月三日
後編3-No.980文書確認度 高

伊勢貞昌書状

伊勢貞昌が薩州少将の側近へ、孫右衛門から承った縄瀬の番手について、入来院殿へ老中の使者を立てたが、その後の決着が分からないため様子を問う。玉薬三百放を先に送り、鉄炮は鹿児島から追送すると知らせる。本来は陣所へ参上すべきところ、まず龍伯のもとへ赴くため、濱之市から改めて参上するとし、上方は平穏なので安心するよう伝える。

登場人物
伊勢貞昌(兵部少輔)、島津忠恒(薩州少将)、入来院殿、孫右衛門、島津義久(龍伯)
宛先
薩州少将様人々御中
キーワード
伊勢貞昌書状、薩州少将、孫右衛門、縄瀬、番手、入来院殿、老中使、玉薬三百放、鉄炮、鹿児島、陣所、島津義久、龍伯、濱之市、上方静謐、十二月十七日
後編3-No.1366記録確認度 高

神戸休五郎覚書

住吉に残った供衆が田那辺屋道与への相談を検討し、もし公方へ密告すれば道与を討って義弘が切腹すると決めた。道与は義弘の生存を喜び、自宅へ迎えて薩摩まで送ると申し出た。船を持つ塩屋孫右衛門も協力し、逃走用の船を手配した。

登場人物
神戸休五郎、島津義弘(惟新)、田那辺屋道与、塩屋孫右衛門、島津供衆
宛先
該当なし
キーワード
神戸休五郎覚書、島津義弘(惟新)、田那辺屋道与、塩屋孫右衛門、住吉、密告、船手配、薩摩帰還
後編3-No.1378記録確認度 高

伊地知増也覚書

関ヶ原敗戦後、島津義弘(惟新)は約五十人で敵中を突破し、十五日夜に甲賀で老翁を道案内に立てた。伊賀・上野を経て村人の襲撃を退け、十七日に奈良、同夜に堺へ着いて入江孫右衛門宅に入り、船で脱出した。大坂から田辺道与が逃した夫人らとも沖で合流し、九月二十三日には日向沖の海上に現れた多数の火を稲荷大明神の加護と受け止め、二十五日に鹿児島へ帰着した。後に大坂・堺の協力者や案内人へ褒賞を与えた。

登場人物
伊地知増也、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、入江孫右衛門、田辺道与
宛先
該当なし
キーワード
伊地知増也覚書、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、関ヶ原、敵中突破、甲賀、伊賀、奈良、堺、入江孫右衛門、田辺道与、帰国、稲荷大明神、褒賞
後編3-No.1384記録確認度 高

今井松関願書

関ヶ原敗戦後、伊勢平左衛門から島津義弘(惟新)の所在を聞いた今井道与は、住吉辺に潜む義弘を迎えて自宅で休ませ、厳しい落人改めを避けて夜に堺の塩屋孫右衛門宅へ移した。大坂川口の通行手形や船を手配し、義弘の船と夫人方の船を沖で合流させて帰国を助けた。この忠節により後に千石・無役を約されたと訴える願書である。

登場人物
今井市兵衛入道松関、今井道与、島津義弘(惟新)、伊勢平左衛門、塩屋孫右衛門
宛先
該当なし
キーワード
今井松関願書、今井道与、島津義弘(惟新)、伊勢平左衛門、住吉、大坂、堺、塩屋孫右衛門、落人改め、川口、出船、帰国、千石
後編5-No.543文書確認度 中

島津久元書状

島津久元が、家久の指示を谷山孫右衛門尉・国分帯刀長に伝えさせ、帯刀長の馬の件を処置するよう命じた書状。併せて、肥後の有力者が剃髪して退去し熊本城が無事に渡される見込み、肥後への諸国衆の動員・人質や家臣配置、伊勢貞昌の病状と後任・奉公人選、惟新供衆の名簿などを詳報した。

登場人物
島津久元、喜入忠続、川上久国、谷山孫右衛門尉、国分帯刀長、伊勢貞昌、肥後衆
宛先
喜入摂津守殿・川上左近将監殿
キーワード
島津久元、谷山孫右衛門尉、国分帯刀長、肥後、熊本城、城明渡し、剃髪、動員、人質、伊勢貞昌、病状、後任、惟新供衆
附録1-No.383文書確認度 高

伊勢貞陸書状

伊勢貞陸が島津豊後守に、渡唐船に関する忠節について池水新左衛門尉から注進があり、上聞に達したところ神妙で感賞すべき旨が示されたと伝えた書状。相手の面目を祝し、詳細は潮口孫右衛門尉が申し伝えるとする。

登場人物
伊勢貞陸(伊勢兵部少輔)、島津豊後守、池水新左衛門尉、潮口孫右衛門尉
宛先
島津豊後守殿
キーワード
伊勢貞陸、島津豊後守、池水新左衛門尉、潮口孫右衛門尉、渡唐船、忠節、注進、上聞、感賞、書状
後編3-No.564記事確認度 高

島津義弘譜

『島津義弘譜』の記事。慶長三年、日本から渡海した上使の徳永法印式部卿・宮木長次郎が、在陣諸将へ十一月十五日を期限として一斉に帰帆するよう命じた経緯を記す。ところが順天城の小西行長らは明・朝鮮の大軍に海陸から包囲されて退去できず、和議を結び、人質を行長に渡させたことで、諸将とともに順天を離れて釜山浦へ退いたとする。

登場人物
島津義弘、徳永法印式部卿、宮木長次郎、小西摂津守行長、大村新八郎、五島孫右衛門尉、有馬修理大夫、松浦法印刑部卿、明・朝鮮軍
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、慶長三年、徳永法印式部卿、宮木長次郎、日本上使、十一月十五日、帰帆命令、小西行長、順天城、大村新八郎、五島孫右衛門尉、有馬修理大夫、松浦法印刑部卿、明軍、朝鮮軍、海陸包囲、和平、人質、釜山浦撤退
後編3-No.1408記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六の覚書から、関ヶ原敗戦後の島津義弘(惟新)の敵中突破、駒野・伊賀・信楽を経た退却、住吉・堺での潜伏と出船を記す。横山休内は義弘の鎧を着て持ち帰り、本田源右衛門らは危機に際して身代わりを申し出た。海路では豊後沖で船団に被害が出たが、義弘は細島・佐土原・八代を経て十月三日に帖佐へ帰着した。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、横山休内、本田源右衛門、田辺道与、塩屋孫右衛門
宛先
該当なし
キーワード
大重平六覚書、大重平六、島津義弘(惟新)、関ヶ原、駒野、信楽、住吉、堺、横山休内、本田源右衛門、田辺道与、塩屋孫右衛門、出船、帖佐帰着
追録3-No.149文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津仲休副状

島津仲休が大嶋孫右衛門に、又三郎へ差し出す使者の取り次ぎを依頼し、口上書と書付を渡す手順や関係者への伝達を指示する副状。

登場人物
島津仲休、島津帯刀、又三郎、大嶋孫右衛門
宛先
大嶋孫右衛門殿
キーワード
島津仲休、島津帯刀、又三郎、大嶋孫右衛門、使者、口上書、書付、副状
追録7-No.無番号_0002報告書旧記雑録暫定版確認度 高

橋口与三次首尾書

橋口與三次が谷村孫右衛門へ、中根半平の息女を島津伊賀の養女とする手続について、掛け合いの経緯と届出の済んだことを報告する首尾書。大奥奉公中の息女から早く支配頭へ届けるよう半平へ求めがあり、半平が橋口へ手紙で照会した。橋口は以前の示談を知らなかったため伊賀へ照会し、前年に御廣鋪御用人小嶋甚兵衛を介して承知を得ていたことを確認して、発駕前の取結びを半平に伝えた。半平は4月23日、支配頭への届書が済んだ旨を知らせた。橋口は半平から来た届出の書面と別紙三通の文通を添え、4月24日付で谷村へ申し出る。支配頭への届出という振合以外に別の手続を要しないとの説明も記す。これに続く養女の名目・贈答に関する「追而」は、原本では附書「の3」の標示の下に載り、次の届書案文の前に続いている。

登場人物
橋口與三次、谷村孫右衛門、中根半平、半平息女、島津伊賀、武田河内守、御廣鋪御用人小嶋甚兵衛
宛先
谷村孫右衛門殿
キーワード
橋口與三次、谷村孫右衛門、中根半平、大奥奉公、島津伊賀、養女、御廣鋪御用人、小嶋甚兵衛、支配頭届出、示談、文通添付、首尾報告
追録7-No.1089申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

安房久備申渡(寛二郎を嶋津若狭の養子とする)

白木御文書七番箱49番。寛二郎が今日、嶋津若狭(忠貫注)の養子に仰せ付けられたので、その旨を帳面に記しておくよう御記録奉行へ命じる。4月、安房(島津久備注)署。包紙は文化7午4月廿七日、興倉孫右衛門へ渡し、白木御文書七番箱に収納と記す。正文の4月・今日と包紙27日を別に保持し、寛二郎の出生家や実父・実母を外部から補わない。

登場人物
寛二郎、嶋津若狭(忠貫注)、安房(島津久備注)、御記録奉行、興倉孫右衛門(包紙表記)
宛先
御記録奉行。包紙受渡:興倉孫右衛門
キーワード
寛二郎嶋津若狭忠貫養子仰出、帳面記置、御記録奉行、四月安房久備、四月廿七興倉孫右衛門受渡、七箱四十九
後編3-No.1352記録確認度 高

山田晏斎覚書

駒野で島津義弘(惟新)が花色の木綿衣を着け、同色の手拭で髪を包み、矢野主膳が用いた鞍に敷き替えて馬に乗ったことを記す。伊勢平左衛門が先導し、山間の道を夜通し進んで住吉へ至った。大坂屋敷にいた相良日向・吉田美作入道・新納孫右衛門・上原右衛門佐らも船で兵庫へ追い付き合流した。

登場人物
山田晏斎、島津義弘(惟新)、伊勢平左衛門、矢野主膳、相良日向、吉田美作入道、新納孫右衛門、上原右衛門佐
宛先
該当なし
キーワード
山田晏斎覚書、島津義弘(惟新)、駒野、変装、伊勢平左衛門、矢野主膳、住吉、大坂屋敷、兵庫、退却路
追録2-No.3192書状旧記雑録暫定版確認度 低

大坂川筋の船除実施を求める大嶋孫右衛門書状

大嶋孫右衛門が市来次郎左衛門へ、薩摩守の大坂川筋通船時に旧例どおり他船を除けるよう町奉行所に申し立てた経緯を報告する。大津屋勘兵衛と唐金屋助九郎に照会し、差図・書状の写しを添えて、今後の船年寄・町奉行への申渡しを求める。

登場人物
大嶋孫右衛門
宛先
市来次郎左衛門
キーワード
大嶋孫右衛門、市来次郎左衛門、大坂川筋、船除、大津屋勘兵衛、唐金屋助九郎、町奉行所、書状
追録2-No.3193書状旧記雑録暫定版確認度 低

大坂川筋の船除差図をめぐる大嶋孫右衛門書状

十一月三日、大島孫右衛門が御用人衆へ、七月の大坂川筋船除について調査経過を報告する。町奉行の申付けは川方役所の帳面に残る公の扱いで、船奉行からの船除は内証で船手・家来が行うとの違いを、若林新五兵衛・羽津元右衛門らの説明から整理する。城代土岐伊予守への照会、町奉行二人への挨拶と紗綾・縮緬十巻宛または年頭等の金馬代、川奉行四人への銀一・二枚、若林への謝礼案を述べる。礼物の案について協議し、御用人衆を通じた披露を求める。

登場人物
大嶋孫右衛門
宛先
御用人衆中
キーワード
大嶋孫右衛門、御用人衆中、大坂川筋、船除、町奉行所、石川四郎左衛門、若林新五兵衛、羽津元右衛門、書状
追録7-No.無番号_0084覚書旧記雑録暫定版確認度 高

1136の1御目見例書(病気の愛太夫を谷村孫右衛門が代行)

1136に続く印刷の1、例書。天明7年未2月、同氏修理大夫(島津斉宣注)の家督御礼を申し上げた際、御目見が決まっていた家来の鎌田愛太夫が病気であったため、谷村孫右衛門を代りに出す旨を届出て召し連れたところ御目見を仰せ付けられたと記す。4月の表示。今回の右近病気代人願の参考に付けた過去例として採録し、今回の伊勢雅楽が御目見を許された結果へ置換しない。

登場人物
同氏修理大夫(島津斉宣注)、鎌田愛太夫、谷村孫右衛門
宛先
独立宛名なし(例書)
キーワード
印刷1136の1例書、天明七未二月斉宣家督礼、鎌田愛太夫病気、谷村孫右衛門代人届召連御目見、四月例書、今回結果別
後編4-No.456記事確認度 高

新納忠元勲功記

慶長十三年、新納忠元が年頭祝儀のため加治木へ参上し、八月には家久へ月毛の馬を献上した。家久は帷子三領・酒二樽を与え、忠元の長年の武功と忠勤を称賛して、八十三歳の老齢をいたわったことを記す勲功記。

登場人物
新納忠元、島津家久、大口衆、肥後仲左衛門盛良、中嶋孫右衛門
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、年頭祝儀、加治木、献馬、月毛馬、帷子、酒、武功、忠勤、八十三歳
追録2-No.3187口上覚旧記雑録暫定版確認度 低

大坂川筋の船除復旧を求める大島忠宣口上覚

七月十二日、大島孫右衛門が船奉行石川四郎左衛門の家老・猪瀬喜内と鈴木弥市右衛門へ、吉貴が帰国暇を得て近日到着するので、大坂川筋通船時に以前のように船除を行ってほしいと願う。一昨年の帰国は陸路で、前年参府時は願い出なかったが、船が入り込んで危急を感じたという。

登場人物
大島孫右衛門忠宣
宛先
猪瀬喜内・鈴木弥市右衛門
キーワード
大島孫右衛門忠宣、猪瀬喜内、鈴木弥市右衛門、船奉行石川四郎左衛門家老、大坂川筋、船除、一昨年陸路、前年参府、船入危急、旧例復旧、口上覚
追録2-No.3195書付旧記雑録暫定版確認度 低

大坂川筋船除の実施・謝礼をめぐる書付

十二月二十九日、大島孫右衛門が御用人衆へ、大坂川口船除の謝礼を調整し、使者を立てて贈った品と返答を記す。町奉行北条安房守・桑山甲斐守へ各紗綾十巻・干鯛一箱、船奉行石川四郎左衛門へ紗綾十巻・干鯛一箱、川奉行四人へ銀二枚宛、同心八人へ一部分金一切宛、若林新五兵衛へ銀三枚を挙げる。家老・用人等の人数も示す。正徳二年三月に島津帯刀が、今後の通船の格式として記録方から帳の写しを江戸家老座へ渡し後代に残すと追記する。白木は品を載せる受台・容器の注記である。

登場人物
大嶋孫右衛門ほか
宛先
記載なし
キーワード
大嶋孫右衛門、島津帯刀、大坂川筋、船除、町奉行、船年寄、紗綾十巻、干鯛一箱、銀三枚、銀二枚、書付
追録7-No.142書状旧記雑録暫定版確認度 高

本多忠籌書状

本多忠籌が重豪の書状を披見し、将軍・若君の安否と、帰国御暇・御羽織拝領への御礼を承知したと伝える書状。公方様・若君様はますます機嫌よく、重豪が御暇と御羽織の拝領を重ねて有難く思っている旨を受け止める。国許到着後の御礼として谷村孫右衛門を通じて目録どおりの品を献じ、披露したことについて、書状の趣旨を承知したと述べる。12月5日付、本多弾正大弼忠籌の署名、松平上総介殿宛で、年次は朱注による。本文は献上品の具体的な数量を記さない。

登場人物
本多忠籌(弾正大弼)、島津重豪(松平上総介)、公方様、若君様、谷村孫右衛門
宛先
松平上総介殿(島津重豪)
キーワード
本多忠籌、島津重豪、公方様、若君様、安否、帰国御暇、御羽織拝領、国許到着御礼、谷村孫右衛門、目録、披露、返書
追録7-No.143書状旧記雑録暫定版確認度 高

戸田氏教書状

谷村孫右衛門を翌6日の四時に御城へ差し出すよう、松平豊後守殿の留守居に通知する短い書状。12月5日付で、署名表示は戸采女。目録は戸田氏教書状とし、年次は朱注による。谷村の登城時刻を指定したもので、本文には登城後の拝謁や献上の結果は記されない。

登場人物
戸田氏教(采女正。目録)、谷村孫右衛門、島津斉宣(松平豊後守)、留守居
宛先
松平豊後守殿の留守居
キーワード
戸田氏教、戸采女、谷村孫右衛門、松平豊後守、留守居、翌六日四時、御城、差出通知
追録7-No.144書状旧記雑録暫定版確認度 高

松平定信外三名老中連署状

重豪の帰国御暇・御羽織拝領への御礼献上に返答する老中四名の連署状。重豪の書状を披見し、公方様・若君様はますます機嫌よく、重豪が御暇と御羽織拝領を重ねて有難く思っている旨を承知したと述べる。国許到着後の御礼として谷村孫右衛門を通じて縮緬五巻と樽肴を献じ、披露したところ、谷村は御前に召し出され、その念入りな勤めを喜ばれたと伝える。12月6日付で、戸田氏教・松平乗完・鳥居忠意・松平定信が連署し、松平上総介殿に宛てる。年次は朱注による。

登場人物
松平定信(越中守)、鳥居忠意(丹波守)、松平乗完(和泉守)、戸田氏教(采女正)、島津重豪(松平上総介)、公方様、若君様、谷村孫右衛門
宛先
松平上総介殿(島津重豪)
キーワード
松平定信、鳥居忠意、松平乗完、戸田氏教、老中四名連署、島津重豪、帰国御暇、御羽織拝領、国許到着御礼、谷村孫右衛門、縮緬五巻、樽肴、披露、御前召出
追録7-No.1136報告書旧記雑録暫定版確認度 高

鎌田典膳政與首尾書(川上右近の代人伊勢雅楽御目見)

白木御文書七番箱55番。川上右近が病気で、御暇礼に際して代りの伊勢雅楽を御目見させたい件。昨日19日の御暇礼に関連し、留守居が別紙を御用番土井大炊頭の御勝手へ持参し内見したが、正式の願書提出は示されず、用人木次傳四郎へ出すよう言われた。先例書を求められ、病気で御目見しない場合は献上品も流れ、例書は返却し名札のみ出す扱いだと留守居が聞いた。家老の病気代人例を出したが、今日は城内で検討中で、明日の御目見・御礼について上聞したものの、先格が往々の差障りとなること、内々に調べても余り気の毒で正式に太守へは伝えず、極内で留守居に相談する趣旨を記す。西丸老中松平能登守にも右近の病気を届け、了承を得、上田右の取次からも承知と知らせた。参府礼の家老二人中一人が病気だった先例として、天明7年の御隠居様家督礼で鎌田愛太夫(政誼)が病気となり谷村孫右衛門(純璋)を代人とした例を挙げるが、今回の急な病気・往来の差障りとは取扱いが違うため、留守居らにも調べさせたと述べる。極内の相談は先方にも申し合わせてあり、事情を見て内意を尋ね、手抜かりなく計らう旨で結ぶ。4月廿日、鎌田典膳政與署、将監久泰・安房久備・信濃久喬宛、添書2通あり。御目見許可が実現したとの結果は本文になく、正式手続と内々の照会・未決状況を分ける。

登場人物
鎌田典膳(政與注)、川上右近(久芳注)、伊勢雅楽(貞改注・原表記)、御用番土井大炊頭、御留守居、御用人木次傳四郎、河村理兵衛、太守、西丸老中松平能登守、上田右、鎌田愛太夫(政誼注)、谷村孫右衛門(純璋注)
宛先
川上右近殿(冒頭)。末宛:嶋津将監久泰・嶋津安房久備・頴娃信濃久喬
キーワード
右近久芳病気伊勢雅楽貞改原注代人、土井御用番勝手留守居内見木次傳四郎、例書返却名札提出、御目見不許献上流、河村理兵衛表向き不達極内相談、西丸能登上田右承知、天明七鎌田愛太夫政誼谷村孫右衛門純璋代人例、四月廿典膳政與三宛添書二
追録7-No.1841記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪公譜抄(御臺様・御簾中昇任祝賀・位階記載差)

重豪公御譜。三月二日、御臺様が従三位から従二位へ昇任し、御簾中が従三位に叙されたと記す。九日、重豪は物頭町田平實盈を本丸へ遣わし、大家へ二種・五百疋を献じた。物頭中村黑人義祇を西丸へ遣わして儲后へ同じ二種・五百疋、留守居助本田孫右衛門親惠を本丸へ遣わして御臺様へ二種・五百疋、留守居助町田孫太夫俊智を西丸へ遣わして御簾中へ二種・五百疋を献じた。實盈・義祇は使番、親惠・俊智は馬廻として江戸在勤中で、当日は仮の物頭・留守居助を務めたとの注を持つ。各位階を祝い、斉興・斉宣も献物に差があって各譜に載せると結ぶ。御臺様の位階はNo.1837の「従二位→従一位」と異なり、両方を残して留保する。入力の「従二位昇任」は本文の前後の位階を併記し、二種の品目や五百疋の単位を両へ換算して補わない。

登場人物
島津重豪、御臺様、御簾中、大家、儲后、町田平實盈、中村黑人義祇、本田孫右衛門親惠、町田孫太夫俊智、島津斉興・斉宣
宛先
記事(献上先:大家・儲后・御臺様・御簾中)
キーワード
重豪譜三月二御臺様従三位従二位御簾中従三位九日町田平實盈中村黑人義祇本田孫右衛門親惠町田孫太夫俊智本丸西丸大家儲后御臺御簾二種五百疋使番馬廻仮物頭留守居助斉興斉宣各譜1837位階記載差
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W11_30-1覚書・修補記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

大乗院畳雲の愛染像修補記事

代参の先例を記す短い書付から始まる。続く記事は、弘法大師作と伝える五指量愛染王像の損傷を大乗院畳雲が訴え、綱貴が仏師田中孫右衛門に修補を命じた経緯を記す。

登場人物
大乗院畳雲、島津綱貴、田中孫右衛門
宛先
宛先明示なし
キーワード
大乗院畳雲・五指量愛染王・田中孫右衛門・修補
追録2-No.3189書状旧記雑録暫定版確認度 低

大坂川筋船除の実施を伝える大津屋勘兵衛書状

七月十八日、大津屋勘兵衛が大島孫右衛門へ、吉貴の当地到着と川口入津・出船に際し、仲間で船除をして乗船に支障のないようにする旨を町奉行所から命じられたと伝える。今後は出船日時を早めに知らせてもらい、その都度内意を伺いたいと頼む。

登場人物
大津屋勘兵衛
宛先
大島孫右衛門
キーワード
大津屋勘兵衛、大島孫右衛門、薩摩守、大坂川筋、船除、町奉行所、町役人、書状
追録2-No.3191書状旧記雑録暫定版確認度 低

大阪川口の船除と朝鮮使船の到着見込みを伝える羽津書状

七月十八日、羽津元右衛門が大島孫右衛門へ、吉貴の当津到着を喜び、川口で船除を行う旨を廻船年寄にも申し渡したと報じる。出船日時は年寄から問い合わせるので承知してほしいと述べる。今年初めての申付けであり家老から奉行所への立寄り挨拶を内々に勧める。朝鮮正使・従事の船は五日に対馬佐須奈浦へ着き、副使船は遅れて未着で、大方来月十日頃に当津着岸の見込みと伝える。

登場人物
羽津元右衛門
宛先
大嶋孫右衛門
キーワード
羽津元右衛門、大島孫右衛門、吉貴、当津大阪、木津川口、船除、廻船年寄、出船日時、奉行所立寄、朝鮮正使従事船、対馬佐須奈、副使船未着、当津到着見込み
追録2-No.3194書状旧記雑録暫定版確認度 低

船除の進物・人数を照会する島津久當書状

島津将監久當が大嶋孫右衛門へ、大坂川筋の船除を進めた町奉行側の者への御礼や進物をどう扱うか、十一月三日付の書付を受けて尋ねる。若林新五兵衛らへの銀子三枚・二枚や、町奉行・川奉行の人数に関する申出を挙げ、相応の取扱いを検討するよう伝える。

登場人物
島津将監久當
宛先
大嶋孫右衛門
キーワード
島津久當、大嶋孫右衛門、大坂川筋、船除、若林新五兵衛、銀子三枚、銀子二枚、十一月三日、書状
追録5-No.305記事旧記雑録暫定版確認度 高

宗信、琉球慶賀使を伴い参府す

家重の将軍職継承に対する琉球慶賀使の参府を記す。継豊は病気のため江戸に留まり、延享三年に家督を継いだ宗信が代行する旨を執政酒井雅樂頭忠知へ申し出て、許可された。中山王尚敬は慶賀正使具志川王子と副使與那原親方を薩府へ遣わし、寛延元年九月九日、宗信は正副使と従者九十八人を率いて薩城を出発した。島津兵庫久門、番頭格入來院石見定勝、家老鎌田典膳政昌、側用人本田孫右衛門親房、近習役澁谷喜三左衛門貫通・二階堂林左衛門行通・福山平太夫安都らが同行し、家老平田掃部正輔、用人有川幸右衛門貞利、近習役堀堀右衛門貞起らが使節を監督した。十一日に向田の仮館へ着き、十四日に琉球使・琉人監官・諸有司が久見崎港で乗船した。

登場人物
島津宗信・島津継豊・徳川家重・酒井忠知(雅樂頭)・尚敬(中山王)・具志川王子・與那原親方・島津久門(兵庫)・入來院定勝(石見)・鎌田政昌(典膳)・本田親房(孫右衛門)・澁谷貫通(喜三左衛門)・二階堂行通(林左衛門)・福山安都(平太夫)・平田正輔(掃部)・有川貞利(幸右衛門)・堀堀右衛門貞起(原文表記)
宛先
—
キーワード
島津宗信、島津継豊、琉球使節、江戸参府、薩府、宗信公御譜
追録5-No.613記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年登営シテ襲封ヲ礼謝ス

寛延二年十一月十五日、久門(重年)が執政の奉書に従って登城し、白書院で家重へ、襲封の御礼として太刀一腰・御刀一腰・縮緬二十巻・白銀百枚・馬二匹を献じた。永井伊賀守直陳が奏達し、久門は大納言家治にも御礼を申し上げ、尊詞を受けて退席した。その後、再び召されて敷居内へ進んだ。 宗族の島津木工久篤、家老の島津矢柄久富・伊勢兵部貞起・島津主鈴久郷は、それぞれ太刀一腰・馬代白銀一枚・縮緬五巻を献じた。番頭高橋七郎右衛門種辰、用人の宮之原甚五兵衛通興・本田孫右衛門親芳・財部孫之丞盛興、伊集院十左衛門久東は、それぞれ太刀一腰・馬代白銀一枚・縮緬三巻を献じて拝謁した。これらは当家の先例によると記す。 久門はさらに西城へ登り、大岡越前守忠宣の取次ぎで前大樹吉宗と家治に襲封の御礼を申し上げた。両公にはそれぞれ太刀一腰・御刀一腰・白銀百枚・馬一匹を献じた。家臣九人も随行し、執政・副執政各位の邸で御礼を申し上げた。また本営の老女へ白銀三枚ずつ、表使へ二枚ずつを贈り、このほか執政・諸有司・親戚・知己へ太刀・絹帛・酒肴等を贈って謝礼した。 冒頭に「全御譜中」。献上刀剣には銘・寸法や代金、馬には裸背の注を付す。

登場人物
島津久門(重年)・徳川家重・徳川家治・永井伊賀守直陳・島津木工久篤・島津矢柄久富・伊勢兵部貞起・島津主鈴久郷・高橋七郎右衛門種辰・宮之原甚五兵衛通興・本田孫右衛門親芳・財部孫之丞盛興・伊集院十左衛門久東・大岡越前守忠宣・徳川吉宗
宛先
—
キーワード
島津久門、重年、襲封御礼、白書院、家重、家治、吉宗、永井直陳、大岡忠宣、献上馬二匹、家臣九人、老女、表使
追録5-No.974御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

家重、重年入部ノ安否ヲ問ヒ

九月十九日、家重が重年の襲封後初の帰国を祝い、安否を問うため佳肴一種、鮭十尺を賜った記事。老中本多伯耆守正珍が江戸留守居山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、老中宿次奉書と驛路證印を渡した。比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音、歩士三人・軽卒六人が警衛して同日芝邸を発ち、東海・山陽・西海路を昼夜休まず進み、十月十五日に薩府城へ着いて重年が拝戴した。同日、山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅が重年の謝書と驛路證印を携えて執政へ赴き、軽卒六人も従った。重年は一門島津周防忠紀を謝恩使とし、継豊も物頭中江九衛門員張を同行させた。秀命・恒堅らは西海・山陽・東海道を経て十一月十一日に江戸へ着き、山澤盛福の案内で武元へ重年の報翰を呈し、正珍の證印を返納した。忠紀は九州の駅路から豊前小倉、大坂、東海道を経て十八日に芝邸へ着き、二十一日に酒井忠寄へ家重宛の連署、秋元凉朝へ家治宛の連署を届け、西尾忠尚へ両公宛の格書と書状を渡した。十二月朔日、忠紀は白書院で重年の献物二種・雙樽を家重へ献じ、家治にも謝恩を伝え、松平周防守康福が奏達した。忠紀自身も太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じた。続いて西城で朽木土佐守玄綱を奏者とし、重年の献物一種・雙樽と、忠紀自身の太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。十二日に召されて登城し、檜之間で武元から回翰を手渡され、紗綾三巻を拝領した。青山因幡守忠知が奏達し、十三日には西城で武元から、十八日には西尾忠尚の邸で回翰を受けた。二十九日に芝邸を発ち、東海道を経て翌三月二十五日に薩府へ帰り復命した。

登場人物
島津重年・徳川家重・本多伯耆守正珍・山澤小左衛門盛福・比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音・山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅・島津周防忠紀・島津継豊・中江九衛門員張・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・秋元但馬守凉朝・西尾隠岐守忠尚・徳川家治・松平周防守康福・朽木土佐守玄綱・青山因幡守忠知
宛先
—
キーワード
家重、重年、鮭十尺、奉書、驛路證印、比志島國泰、谷山通音、歩士三人、軽卒六人、山本秀命、調所恒堅、島津忠紀、中江員張、謝恩使、白書院、西城、二種雙樽、一種雙樽、紗綾三巻、回翰、復命
追録5-No.2397御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

継豊 家重ヨリノ嘉賜拝戴ス(目録記事。隠居祝儀の護送と謝礼)

家重が六月二日、継豊の隠居祝いに若年寄酒井石見守忠休を芝邸へ遣わし、宝刀一振と箱肴一種を賜った。重豪が接待し、桂長左衛門勝行と大島孫右衛門有情が、歩士二人・軽卒四人を伴って品物を薩摩へ護送した。一行は六月八日に江戸を発ち、東海道・山陽道・九州を経て七月七日に到着した。継豊は即日、使者の書状で礼を申し述べ、老中が奉書で返答した。

登場人物
家重・継豊・酒井石見守忠休・重豪・桂長左衛門勝行・大島孫右衛門有情・歩士・軽卒・老中
宛先
記載なし
キーワード
六月二日記事、家重退隠祝儀、酒井石見守忠休、宝刀一柄箱肴一種、備前助守、長二尺五寸二分半代金三十五枚、重豪接待、桂勝行大島有情、歩士二軽卒四、六月八日江戸発七月七日到着、即日使翰謝礼、老中奉書返答
追録6-No.1035碑文・題記旧記雑録暫定版確認度 中

重豪造立の聖堂棟札―宣成殿上棟・助造者・造営諸役

聖堂の棟札。「従四位上中将源朝臣重豪造立」と記し、「上棟 宣成殿」、安永二年癸巳四月十五日と示す。総営の家老は嶋津左中源久金・樺山左京藤原久智。助造として、入徳門及び座之間は琉球国中山王尚穆、仰高門及び供屋外繋は島津因幡源忠温、講堂及び打座は島津筑後藤原久倫、文庫及び張番所は種子島左内平久芳を対応させる。監事の組頭用人兼務に小松相馬平清行、用人に藤野休左衛門藤原良記、近習役に村橋左膳源久昌、使番記録方に山田司平明遠、普請奉行に児玉早之丞藤原實門を記す。記録奉行は伊集院六左衛門藤原兼尚・川上正右衛門藤原親芳、細工奉行は本田新右衛門藤原親方、記録方添役は向井新兵衛惟宗友相・川田来栖源國風。さらに郡山主右衛門藤原員良・山本傳藏建部常行、谷元六兵衛藤原延貞・郡山権藏藤原長矩・上野善兵衛藤原篤祐を、間船方受込格・問學方の見出しとともに列記する。総大工は山崎傳次郎菅原安詮・松山孫右衛門藤原為央。造立者、上棟の建物・年月日、総営、建物別助造者、造営を担当した諸役を配置によって示した棟札の写し。正文は聖堂方にある。

登場人物
従四位上中将源朝臣重豪、嶋津左中源久金、樺山左京藤原久智、琉球国中山王尚穆、島津因幡源忠温、島津筑後藤原久倫、種子島左内平久芳、小松相馬平清行、藤野休左衛門藤原良記、村橋左膳源久昌、山田司平明遠、児玉早之丞藤原實門、伊集院六左衛門藤原兼尚、川上正右衛門藤原親芳、本田新右衛門藤原親方、向井新兵衛惟宗友相、川田来栖源國風、郡山主右衛門藤原員良、山本傳藏建部常行、谷元六兵衛藤原延貞、郡山権藏藤原長矩、上野善兵衛藤原篤祐、山崎傳次郎菅原安詮、松山孫右衛門藤原為央
宛先
棟札のため独立宛書なし
キーワード
聖堂造立、宣成殿上棟、家老総営、建物別助造、監事・大工
追録6-No.1309書上旧記雑録暫定版確認度 中

上手組の人名・付記と検見・喚次

安永四年十一月十三日の代初犬追物稽古手組と記し、上手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又六郎(二の付記)、入来院隼人、嶋津権十郎(一の付記)、蒲生正左衛門、肥後太郎右衛門、瀬川作平次、上村休之進、海江田半蔵、本田孫右衛門(一の付記)、伊勢亘、嶋津内膳である。検見・喚次欄には川上十郎左衛門、岡元千右衛門を記す。名簿の掲載人名は11枠で、検見・喚次欄の二名は別に保つ。一・二の付記は一疋・二疋を示す。付記のない者もいる。

登場人物
嶋津又六郎、入来院隼人、嶋津権十郎、蒲生正左衛門、肥後太郎右衛門、瀬川作平次、上村休之進、海江田半蔵、本田孫右衛門、伊勢亘、嶋津内膳、川上十郎左衛門、岡元千右衛門
宛先
記載なし(手組・名簿)
キーワード
上手組、掲載人名11枠、検見喚次、棒線符号、一二付記、一疋二疋原付記保持
追録6-No.1312書上旧記雑録暫定版確認度 中

論之犬稽古手組の人名・付記と検見・喚次

論之犬稽古手組之事と安永四年十一月十三日を記し、論之犬稽古手組の名簿を示す。名簿の列記順は嶋津又六郎(一の付記)、嶋津十太右衛門(一の付記)、本田孫右衛門、喜入休兵衛、鎌田源八、後醍院八郎、嶋津彌市郎、倉山藤覺(一の付記)、蒲生正左衛門(一の付記)、川上四郎(一の付記)、嶋津又七郎(一の付記)、西左太郎(二の付記)である。検見・喚次欄には川上十郎左衛門、相良仁右衛門を記す。名簿の掲載人名は12枠で、検見・喚次欄の二名は別に保つ。末尾の包紙には安永四年未十一月十三日、代初稽古大追物の手組四通を帯刀殿から渡され、写し置いたことを記す。また白木御文書五番箱と百十中ニアリとの所在記載があり、箱の後の八/ハに見える字は原記載として留保する。

登場人物
嶋津又六郎、嶋津十太右衛門、本田孫右衛門、喜入休兵衛、鎌田源八、後醍院八郎、嶋津彌市郎、倉山藤覺、蒲生正左衛門、川上四郎、嶋津又七郎、西左太郎、川上十郎左衛門、相良仁右衛門
宛先
記載なし(手組・名簿)
キーワード
論之犬稽古手組、掲載人名12枠、検見喚次、棒線符号、一二付記、一疋二疋原付記保持、手組四通帯刀渡、白木五番箱百十中
追録7-No.無番号_0001書状旧記雑録暫定版確認度 高

菱刈実祐書状

菱刈大炊が家老四名へ、中根半平の息女を島津伊賀の養女とする取結びの成立と、その後の処置を報告した書状。半平は武田河内守支配の小普請で、娘は大奥に召し仕えている。前年に御廣鋪御用人から半平へ示談して承知を得ており、当年の発駕前に取結びを済ませるよう橋口與三次が掛け合った。4月18日に伊賀側が願書を出し、半平も支配頭へ届け、21日に伊賀の願が認められ、23日に娘を差し遣わす旨の届書が済んだという。大奥での取計いによる養女の名目なので、両家間の音信・贈答は行わないと当初伝えていたが、表向きの祝儀として伊賀から半平へ一種三百疋を贈るよう御使番が吟味して申し上げ、その通り命じられた。谷村孫右衛門から御内用を通じて承知し、御記録奉行へ書留を命じ、届書案文・橋口の申出・書付など四通を添えて送ると記す。4月晦日付、菱刈大炊署名、四家老宛。

登場人物
菱刈大炊(目録は実祐)、中根半平(正房)、中根半平息女、島津伊賀(久金)、橋口與三次、谷村孫右衛門、島津求馬、伊勢播磨、市田勘解由、名越右膳、御廣鋪御用人、御使番
宛先
島津求馬殿、伊勢播磨殿、市田勘解由殿、名越右膳殿
キーワード
菱刈大炊、中根正房息女、島津久金、養女、大奥、御廣鋪御用人、橋口與三次、支配頭、願書、届書、一種三百疋、祝儀、御使番、御記録奉行
追録7-No.無番号_0025申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

二階堂行智申渡書(目録345の17)

清七夫妻と佐野父子への処置を、主計(二階堂行智注)から谷村孫右衛門取次で伝え、橋口與三次宅へ呼び出して桑山が申し渡した書付写。清七夫妻・善次郎父子はいずれも難有いと請礼したと記す。清七と妻には当分の容として高輪御下屋敷御借店裏明地に家を造り、住まわせる命令を示す。家作は自分調いとし、清七に年々金27両、但し15人扶持・米27石の賦とする注、妻に年々金30両を下す。申聞きを含む取扱いは御留守居、家作造立等の吟味は承向へ指示する。丑5月14日という記事日付と、命令末尾五月・主計署を伴う。前附書の処置案から、具体的命令と受命後の請礼へ進んだ段階である。

登場人物
主計(二階堂行智注)、谷村孫右衛門、橋口與三次、桑山甚助、鈴木清七夫妻、佐野縫右衛門、佐野善次郎
宛先
清七夫妻・佐野父子へ(橋口宅で桑山が申渡し)
キーワード
清七夫妻、佐野父子、二階堂行智主計、谷村取次、橋口宅申渡、桑山、年々二十七両、十五人扶持米二十七石、妻三十両、高輪裏明地、家作自分調
追録7-No.無番号_0027届書旧記雑録暫定版確認度 高

桑山甚助届書(目録345の19)

先の命令で清七夫妻へ年中御給金30両と御扶持米代金27両を下し、高輪御下屋敷御借店裏明地へ召し置くことが決まっていたところ、家ができたため勝手次第に転居するよう伝え、本日家内全てが移転を済ませたと桑山甚助が報告する。今後の居所については借店同様に扱い、御留守居付役から差引きをするよう命じたことも清七へ伝えたと記す。丑7月13日付、桑山署名、橋口宛。次頁に橋口が右の通り桑山からの申出を上申する同日書付を付し、朱注で谷村孫右衛門取次による差出しとする。目録345の19は7月23日だが、記事首・本書・橋口上申は13日なので本文日付を採り、差を留保する。

登場人物
桑山甚助、橋口與三次、鈴木清七、清七妻、谷村孫右衛門、御留守居付役
宛先
本書:橋口與三次殿。取次上申:独立宛名なし
キーワード
清七夫妻、桑山甚助、橋口與三次、家作完成、家内全転居、高輪裏明地、御給金三十両、扶持米代二十七両、借店同様、差引、谷村取次、十三日二十三日差
追録6-No.2572記事旧記雑録暫定版確認度 中

斉宣の襲封と謝恩登城・家臣献上・少将任官を記す

「近秘野帥 斉宣公」の出典表示を伴い、天明七年の公辺関係の出来事を記す。正月二十九日に世子が封を受けたとし、二月十五日には斉宣が登城して太刀一腰・御刀一腰(濃州兼定)・縮緬二十巻・白銀百枚・御馬二疋を献上し、襲封の恩を謝したという。あわせて家臣九名が進物を献上する。島津兵庫久徴・島津伊賀久金・市田勘解由盛常・島津登は巻物各五と御馬代銀を、大島休左衛門久皐・松崎次左衛門貞儔・岸喜右衛門章彬・郡山権蔵長矩・谷村孫右衛門は巻物各三と御馬代銀を献じ、大家に陪謁し、例のとおり恩賞を受けたと記す。二月十九日に斉宣が初めて短袖となり、三月十八日に左近衛少将へ任じられたが位階は従前のままで、四月朔日に登城して謝恩したと続く。

登場人物
島津斉宣、将軍、島津兵庫久徴、島津伊賀久金、市田勘解由盛常、島津登、大島休左衛門久皐、松崎次左衛門貞儔、岸喜右衛門章彬、郡山権蔵長矩、谷村孫右衛門
宛先
記事(宛先なし)
キーワード
襲封、謝恩、登城、献上、太刀、兼定、縮緬、白銀、御馬、短袖、左近衛少将
追録7-No.119記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪帰国ス

重豪の帰国許可、療養を含む道中、帰府後の謝恩を記す記事。8月5日、斉宣は父・上総介が藩内温泉で入浴して脚の宿病は軽快したものの再発の苦しみがあるため、9月初旬から江戸を発ち帰国療養する期限の猶予を願う。17日に斉宣が奉書で召され、白書院廂下で老中松平伊豆守信明から重豪の帰国許可と道服三領の下賜を伝えられた。23日には庶子雄五郎を伴う帰国も認められ、25日に重豪の年寄女子が召され、老女を介して将軍が着用した道服一領を重ねて賜る。9月1日に重豪は雄五郎と芝邸を発ち、矢野清香・本城輝承・愛甲兼盛らが従う。9月8日に浜松へ宿し、翌日の風雨で1日滞留した後、10日に今切を渡り三州赤坂へ宿した。15日に伏見へ入り2日留まり、18日に川を下って大坂へ着き3日滞在、22日に大坂を発って山陽道を進み、10月6日に長州吉田、翌日に豊前小倉へ至る。筑肥の数駅を経て14日に日奈久から船で薩摩の米之津へ入り、16日に出水を発ち、阿久根、向田、苗代川を通り22日に府城二丸へ到着したとする。阿久根と向田には各2日、苗代川には1日滞留した。謝恩のため谷村孫右衛門純章を遣わし、11月24日に江都芝邸へ着き、12月1日に登営して白書院で将軍に拝謁したと記す。縮緬五巻、干鯛・昆布各一籠、樽一荷を献じ、水野壱岐守忠韶が口上を伝えた。谷村自身も太刀一腰・紗綾二巻・馬代銀一枚を献じ、その他の贈賜は天明丁未の例に同じとする。

登場人物
島津重豪、島津斉宣、徳川家斉(大家)、松平信明(伊豆守)、島津忠厚(雄五郎)、重豪の年寄女子、老女、矢野清香(男吏)、本城輝承(源七郎)、愛甲兼盛(蔵記)、谷村純章(孫右衛門)、水野忠韶(壱岐守)
宛先
—
キーワード
島津重豪、島津斉宣、帰国療養、宿病脚疾、入浴、期限猶予、松平信明、帰国許可、道服三領、雄五郎、芝邸発、東海道、山陽道、日奈久航海、米之津、府城二丸、谷村純章、謝恩使者、白書院、献上品、水野忠韶
追録7-No.1220起請文旧記雑録暫定版確認度 高

小禄良和起請文前書(五条・神文略)

白木御文書7番箱中61番。敬白・天罰霊社起請文前書として、若輩の自分が去歳三司官役を仰せ付けられた恩をありがたく思い、御国許御奉公にいっそう心を尽くすと述べる。五条は、斉興・重豪・斉宣に少しも疎意を抱かないこと、御国許から仰せ付けられた御条書を堅守し悪意・邪儀を企てる者があれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟その他を親疎のひいきなく処理することを誓う。役就任への謝意の条も含め五つの一条見出しを採る。右条に偽りがあればと続き、神文は略すとの表示。文化9年壬申5月6日、小禄親方良和判。次段の外包注は同年申6月廿四日典膳から興倉孫右衛門へ渡し、白木7番箱収納と記す。正文誓約日と収納日を分け、省略神文を復元しない。

登場人物
小禄親方良和、斉興、重豪、斉宣、国王、典膳、興倉孫右衛門
宛先
独立宛名なし(起請文前書)
キーワード
小禄親方良和、去歳三司官就任謝、五条斉興重豪斉宣忠義、御条書悪意邪儀披露、国王忠勤、国中掟無贔屓親疎、神文略、五月六、外包六月廿四典膳興倉七箱六十一
追録8-No.394申渡(久光上京の供奉役・伏見出迎え)旧記雑録暫定版確認度 中

侍長等八名を上京供奉役とし中小姓六十人とともに伏見で三郎を待ち受けさせる申渡

雑集中。侍長として村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太を挙げ、続いて和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助を列記する。これらの者を三郎の上京に伴う供奉役に命じ、当分の勤方を申し渡すとする。二月、筑後、注は川上久封。末注は亥二月十五日に九州路へ差し立て、ほかに三重中小姓六十人も一緒に差し越し、伏見で三郎の上京を待ち受けるよう命じたと記す。列記八名と六十人は別に扱い、この日を三郎本人の出発日や伏見到着日として認定しない。

登場人物
三郎(久光)、筑後(注:川上久封)、侍長村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太、和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助、三重中小姓六十人
宛先
列記された供奉役の者へ申渡す
キーワード
雑集、三郎上京供奉役、侍長四名村田平田大迫右松、和田種子島長崎伊地知、二月筑後川上久封、亥二月十五日九州路差立、三重中小姓六拾人、伏見待上げ
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::140文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

犬追物稽古手組

天明八年三月十三日の犬追物稽古手組。一番に島津圖書・伊地知新太夫ら、二番に島津藤次郎・本田孫右衛門らを配し、それぞれ検見と喚次を示す。

登場人物
島津圖書、伊地知新太夫、島津主税、島津藤次郎、本田孫右衛門ほか
宛先
宛先なし(手組)
キーワード
犬追物、稽古手組、天明八年三月十三日、一番、二番
後編6-No.159-2文書確認度 中

松平石見守・生駒壱岐守衆中切腹被仰付候衆書立

松平石見守・生駒壱岐守の家中で切腹を命じられた者を列挙した書立。伊木野伊織以下の家臣を、相馬大膳・仙石越前守・丹羽左京・真田伊豆・京極丹後守・松平出羽守・森内記らの預け先ごとに掲げ、切腹者のほか追放・仕置に関わる者も記している。張紙・墨書で『此名書ハ御譜中ナシ』との注記があり、本文135頁から136頁上段まで続く。

登場人物
松平石見守、生駒壱岐守、伊木野伊織、同名次左衛門、大原久左衛門、寺西仲左衛門、菅友伯、小川四郎左衛門、別所六左衛門、牛尾四郎左衛門、杉谷多左衛門、丸山忠兵衛、山元喜左衛門、田邊三郎右衛門、石丸六左衛門、小川二郎兵衛、小寺八郎右衛門、宇津孫右衛門、山脇久左衛門、三野四郎右衛門、生駒帯刀、生駒左門、上坂勘解由、森出雲、前野次太夫、石崎若狭、下嶋市兵衛、新庄右近、相馬大膳、仙石越前守、丹羽左京、真田伊豆、京極丹後守、松平出羽守、森内記、青山大蔵允、井上筑後守、柳丹後守、能勢四郎右衛門尉
宛先
—
キーワード
松平石見守、生駒壱岐守、家中衆、切腹、書立、預け先、相馬大膳、仙石越前守、丹羽左京、真田伊豆、京極丹後守、松平出羽守、森内記、追放、仕置衆、張紙、墨書、御譜中ニ無之
追録7-No.12書状旧記雑録暫定版確認度 中

菱刈実祐返書

元服後の長袴・素袍着用をめぐる照会と朱書返答。主書は島津石見(久邦)から菱刈大炊へ宛て、加治木・垂水両家も同様に扱う指示、辰年9月に示された総州様の意向、太守家に伝わる元服式を取り上げる。記録奉行が家伝の礼法を調べ、書抜を添えて報告したことを述べ、相手の意見を求める。朱書では、中将様への上聞と張紙の朱書による取扱い、以後の元服で長袴を着用させる申渡しを伝える。目録は「菱刈実祐返書」とするが、本文の主書署名は島津石見、宛名の人物注は隆邑であり、署宛と目録の人名を区別する。

登場人物
島津久邦(石見)、菱刈大炊(宛名。人物注は隆邑、目録は実祐)、島津斉宣(太守様)、島津重豪(総州様)、中将様、谷村孫右衛門
宛先
菱刈大炊殿(主書。人物注は隆邑、目録標題は菱刈実祐)
キーワード
元服、長袴、素袍、加治木家、垂水家、記録奉行、島津久邦、菱刈大炊、朱書返答、礼法照会
追録7-No.13達書旧記雑録暫定版確認度 高

島津斉宣内意書

元服後の礼装、とくに素袍と長袴の先例を扱う内意書。越前家・今和泉家では髪をそいだ後の御礼に長袴を着用する定めがあったとし、明和7年の若狭殿の元服支度に関する中将様の指示、元文5年の総州様の意向を記録奉行の申出書付から取り上げる。これらを踏まえ、今後家来の元服の際には長袴を着用する意向を伝える。朱書は善次郎の元服に素袍を用いること、若狭・備前・今和泉家等も従来同様に扱うことを述べる。目録の差出人は島津斉宣で、本文には独立した署名・宛名がない。

登場人物
島津斉宣(目録による)、島津重豪(中将様の人物注)、島津吉貴(総州様の人物注)、若狭殿、谷村孫右衛門(谷村純章)
宛先
本文に独立宛名なし
キーワード
島津斉宣、元服、素袍、長袴、越前家、今和泉家、記録奉行、谷村純章、元文5年、明和7年
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 358帳簿・船賦旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田宗直船賦帳 船賦出船申付状

『平田宗直船賦帳』所収の出船申付記事。五枚帆四艘(各水手八人)と四枚帆一艘(水手七人)について主取と上乗を列記し、小湊から出水への出船を命ずる。さらに市来湊船の七端帆一艘(船頭神兵衛尉、水手六人、上乗鮫嶋源兵衛尉)と串船の壱端帆一艘(船頭徳右衛門、船頭・水手十人、上乗永井与兵衛尉)を掲げ、小松原で御上米の積込を終えた運賃船を出水へ出すよう記す。

登場人物
平田宗直 孫右衛門尉 川越四右衛門尉 隼人佐 池田長左衛門 与四右衛門尉 川越善兵衛 次郎左衛門 前田久左衛門 大蔵兵へ尉 神兵衛尉 鮫嶋源兵衛尉 徳右衛門 永井与兵衛尉
宛先
なし(帳簿記事)
キーワード
船賦 五枚帆 四枚帆 運賃船 御上米 小湊 出水 市来湊 串船
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 780覚書・人躰と小者の氏名帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

某覚書

蒲生有馬氏に正文が所在する覚書。谷口助右衛門らの氏名を三段組で列記し、随所に下人の名前や本人名の訂正・異記を添える。末尾の合計は人躰八十人、小者四十九人。文書独自の日付・宛先・作成者は記されず、名簿の対象集団や出陣先は、この覚書単独からは断定しない。旧切り抜きで774~782へ分散していた名簿を、本文の連続する三つの全高切片に復元した。

登場人物
蒲生有馬氏 谷口助右衛門(六左衛門) 相良古右衛門 元野大学介 赤塚主水佑 赤塚源太左衛門 酒匂彦左衛門 野村与右衛門 野村新兵衛(喜右衛門) 小山田対馬守 同名壱岐守 松田早兵衛 竹之内二郎兵衛 川崎杢之允 山下金兵衛 谷山諸右衛門 田代治部左衛門 黒江次郎介 同名五兵衛 酒匂吉右衛門 緒方対馬介 小田真左衛門 山下金兵衛 長田辰兵衛 持原才藤 同名助六 嶺崎弥右衛門 山本喜左衛門 海老原甚介 村田五右衛門 馬渡四郎兵衛 野添右近将 大脇佐渡守 石塚二介 松下源五左衛門 連続坊 野村九右衛門 吉元善二郎 帖佐軍八 金子織部介 梶原宇右衛門 長野勝左衛門 桑幡六右衛門 朝隈半左衛門 高木藤左衛門 市来方左衛門 三光院 海江田加兵衛 長谷川少作 同名七左衛門 金丸乗兵衛 福崎半兵衛 松下源介 和田孫兵衛 家村佐右衛門 長野助左衛門 北村舎人佑 黒木神左衛門 池田源左衛門 田中為左衛門(甚右衛門) 川内盛右衛門 指宿盛左衛門 湯田平右衛門 帆足舎人佐 厚地為右衛門 大光坊 吉留藤内 草野千左衛門 高野六左衛門 福崎新兵衛 木原郷右衛門 楠元次右衛門 蘭牟田平兵衛 北原半三郎 大山右近将 長谷場孫右衛門(五郎左衛門) 池田主馬 有村二郎太郎 山田孫八 上原十兵衛 帖佐軍八 有村市左衛門 川原林彦右衛門 新穂五兵衛 西郷主水 ほか各人の下人
宛先
なし(名簿)
キーワード
某覚書 蒲生有馬氏 氏名帳 人躰八十 小者四十九 下人 名の異記 三段組