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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
追録7-No.1895-2願書旧記雑録暫定版確認度 高
文政5壬午年12月18日 / 冊子 640頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1895-2
松平備前守が老中へ嶋津桃次郎を聟養子にしたいと願う。男子がなく、従来の由緒から前年に仮養子を願った桃次郎は娘との年齢の釣合いもよいと述べる。自身は若いものの近年しばしば眼病になり、重要な領地を受け持つ身分なので手厚く教え導き、長崎での勤向も将来に備えて見習わせたいとする。桃次郎は格別に幼いため、同姓・実姓・親類・遠類にも適当な者がいないという事情を添える。備前守は午年二十八歳、桃次郎は午年十二歳で、桃次郎を松平豊後守の叔父と記す。文政五壬午年十二月十八日付。目録は黒田斉清願書とし、掲載願書は備前守署・老中宛。前枝の備前守人物注「黒田斉溥」と目録実名には異同がある。
- 登場人物
- 松平備前守(午二十八歳)、嶋津桃次郎(午十二歳・松平豊後守の叔父)、松平豊後守、御老中
- 宛先
- 御老中殿
- キーワード
- 聟養子、仮養子、男子なし、眼病、娘、年齢、二十八歳、十二歳、長崎、勤向、見習、領地、老中
追録6-No.1022願書旧記雑録暫定版確認度 高
安永二年閏三月四日(年は朱) / 冊子 364頁/原整理番号 1022/整理ID 1022
帰国の暇を許され国元へ移るに当たり、男子がまだいないので、在国中に不慮のことがあった場合には、国元にいる従弟嶋津兵庫を養子として命じ、跡職に相違のないよう願う。兵庫は当年二十二歳と記す。末尾は閏三月四日、松平薩摩守御書判、朱に安永二年とあり、五名の老中に宛てる。男子のない状態と、不慮に備える養子・跡職の願いを述べた書で、正文は右筆所にある。
- 登場人物
- 松平薩摩守(島津重豪)、従弟嶋津兵庫(当年二十二歳)、松平右近将監、松平右京大夫、松平周防守、板倉佐渡守、田沼主殿頭
- 宛先
- 松平右近将監殿・松平右京大夫殿・松平周防守殿・板倉佐渡守殿・田沼主殿頭殿
- キーワード
- 男子不在、在国、不慮への備え、従弟の養子、跡職
前編2-No.1491記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 478頁
文明六年正月十一日、島津忠昌が十二歳で元服し、その後に守護職の譲りを受けたことを記す系譜記事。
- 登場人物
- 島津忠昌
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津忠昌譜、島津忠昌、元服、十二歳、守護職、文明六年
前編2-No.2712記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 908頁
天文二十二年十一月朔日、比志島美濃守義任が郡山城で戦死し、享年七十二歳であったことを記す。
- 登場人物
- 比志島美濃守義任
- 宛先
- —
- キーワード
- 殉国名藪、比志島美濃守義任、郡山城、戦死、天文二十二年、七十二歳
後編1-No.44記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 24~25頁
弘治二年三月十五日、島津貴久が蒲生城の支塁・松坂塁を攻めた。梅北国兼が諸兵を督励し、二男忠平は三尺の剣で城門を破り、城壁を越えて現れた強敵を斬って初めて首級を挙げた。退いた後、鎧に敵矢五本を受けていたことが判明し、当時二十二歳という。十月十九日の松坂落城、十一月以降の蒲生包囲と菱刈援軍も記す。
- 登場人物
- 島津貴久、島津義弘(忠平)、梅北宮内左衛門尉国兼、蒲生氏、祁答院氏、菱刈左馬権頭
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津貴久譜、弘治二年、蒲生城、松坂塁、梅北国兼、島津忠平、三尺の剣、城門突破、初首、鎧に五矢、二十二歳、松坂落城、菱刈援軍
後編1-No.45記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 25頁
弘治二年三月十五日の松坂塁攻撃を義弘(忠平)の伝記として記す。梅北国兼が先陣を切り、兄義久と忠平が三尺の剣を提げて城門・城壁を攻めた。敵の勇士に名乗って斬り合い、忠平が首級を得る。退却後、鎧に五本の矢を受けていたと判明したが、身に負傷したとは記さない。当時二十二歳で、これが初首だった。
- 登場人物
- 島津義弘(忠平)、島津貴久、島津義久、梅北宮内左衛門尉国兼、蒲生方勇士
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津義弘譜、忠平、島津義久、梅北国兼、弘治二年、松坂塁、三尺の剣、名乗り、初首、鎧に五矢、二十二歳
後編1-No.54記録確認度 中
年月日未詳 / 冊子 30~31頁
蒲生城攻略に先立ち松坂要害を落とす作戦を詳述する。島津貴久父子と諸将約五千余騎が出陣し、忠平の提案で三千人をもって松坂を攻撃。梅北宮内左衛門の先登に続いて忠平らが攻め込み、忠平は敵将を斬り、鎧に矢五、六本を受けながら無傷で、二十二歳にして初の分捕を得た。中村父子以下を討って落城させ、市来内藤助を地頭に置いた。後の横尾口戦で勝部主殿助が戦死したことも記す。
- 登場人物
- 島津貴久、島津義久、島津忠平、島津歳久、島津忠勝、島津忠将、北郷忠相、梅北宮内左衛門、市来内藤助、中村父子、勝部主殿助
- 宛先
- —
- キーワード
- 箕輪伊賀自記、蒲生城、松坂要害、五千余騎、島津忠平、梅北宮内左衛門、三千人、鎧に五六矢、二十二歳、初分捕、中村父子、市来内藤助、横尾口、勝部主殿助、本文日付注記
後編1-No.166記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 86~87頁
竹原山合戦で、海辺の守備に当たっていた島津忠将が町田忠林の制止を退けて単騎で敵中へ突入し、包囲されて四十二歳で戦死した経過を詳記する。法名は心翁大安大居士で、家臣や援兵にも多数の戦死者が出た。
- 登場人物
- 島津忠将、町田忠林、肝付兼続
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津忠将譜、竹原山合戦、島津忠将、町田忠林、戦死、四十二歳、心翁大安大居士
後編1-No.203記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 105頁
島津尚久が永禄五年三月一日に三十二歳で死去し、法名を曇秀、号を一枝、陽広山曇秀寺殿と称したことを記す。家臣尾辻源八が追腹殉死し、尚久の娘が島津義久の前室となった系譜情報も載せる。
- 登場人物
- 島津尚久、尾辻源八、島津義久前室
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津尚久譜、永禄五年、島津尚久、三十二歳、曇秀、一枝、尾辻源八、追腹、島津義久前室
後編3-No.580記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 285頁
『旧伝集』の記事。朝鮮での番船との戦いで木脇休作が負傷して海へ落ち、浮かんでいたところ、島津義弘の命を受けた小鷹丸船頭東太郎左衛門が帆柱を下ろして引き上げたとする。休作は当時二十二歳の大男で黒具足を着けており、義弘の膝前で自ら療養を受けて傷が平癒し、その後に追腹したと伝える。
- 登場人物
- 木脇休作、島津義弘(惟新)、小鷹丸船頭東太郎左衛門
- 宛先
- —
- キーワード
- 旧伝集、木脇休作、朝鮮番船、負傷、海中転落、島津義弘、惟新、小鷹丸、船頭東太郎左衛門、救助、二十二歳、大男、黒具足、義弘自ら療養、平癒、追腹
後編6-No.188文書確認度 高
「寛永十八年」四月十九日 / 冊子 151頁
島津光久が新納右衛門佐久詮へ、伊勢兵部貞昌が四月二日夜に死去したとの知らせを受け、驚き悲しんでいることを伝えた書状。久詮の身を案じ、諸事にいっそう注意して勤めるよう求めている。本文注は貞昌がこの年に七十二歳で没したとする。
- 登場人物
- 島津光久、伊勢貞昌、新納久詮
- 宛先
- 新納右衛門佐殿
- キーワード
- 島津光久、伊勢貞昌、新納久詮、伊勢兵部、死去、訃報、七十二歳、悲嘆、諸事精勤、本文注、書状
追録5-No.493文書旧記雑録暫定版確認度 高
〈寛延二年〉七月八日 / 冊子 170頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0493
宗信が堀田正亮・本多正珍・松平武元へ、病気が重くなり急変の恐れがあるため、弟島津兵庫を養子として認め、跡職を継がせるよう願う。当年二十二歳の宗信は、三月に帰国の暇を許されたことを述べ、弟兵庫の年齢を二十一歳と記す。病気のため印判を用いた旨の注記がある。
- 登場人物
- 島津宗信
- 宛先
- 堀田正亮・本多正珍・松平武元
- キーワード
- 島津宗信、島津兵庫(久門)、養子、跡職、病状悪化、二十二歳、二十一歳、宗信印判
追録5-No.546文書旧記雑録暫定版確認度 高
〈寛延二年〉宗信中陰(目録日付記載なし) / 冊子 191~192頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0546
貴儔が慈徳院殿宗信に献じた祭文。七月十日の死去、十三日夜の殯、二十四日の葬礼と玉龍精舎の霊場を記し、中陰に供物を捧げる。本文の対句は宗信を三国の柱石、文武に優れ仁徳・忠孝を備えた君主とたたえ、二十二歳で失った悲しみを表す。君臣の思い、面影と遺徳、日月や山川の比喩を重ね、末尾で霊に供物を受けるよう願う。備中貴儔献納の朱注がある。
- 登場人物
- 島津貴儔
- 宛先
- —
- キーワード
- 貴儔、宗信、慈徳院、二十二歳、七月二十四日葬礼、玉龍精舎、祭文
追録5-No.547文書旧記雑録暫定版確認度 高
〈寛延二年〉宗信中陰(目録日付記載なし) / 冊子 192~193頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0547
周防忠紀が慈徳院殿宗信に献じた祭文。病中の薬や祈祷もかなわず七月十日に死去し、福昌寺へ霊柩を移して二十四日に葬礼を行った経緯を記す。中陰に献祭し、文武に通じた君主の徳と民衆への恩をたたえ、二十二歳で失った嘆きを述べる。衰えた老人と幼い子を残した悲しみを対句に託し、雲水や月、夢の比喩を用いて故人の霊を追慕する。末尾に忠紀献納注がある。
- 登場人物
- 島津忠紀
- 宛先
- —
- キーワード
- 忠紀、宗信、福昌寺、葬礼、中陰、二十二歳、遺児、祭文
追録5-No.551文書旧記雑録暫定版確認度 高
〈寛延二年〉八月七日〔本文による。目録日付なし〕 / 冊子 196頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0551
中村大學久尚が八月七日に慈徳院殿宗信へ供物と祭文を献じる。六月から病が重くなり、医療・祈祷もかなわず七月十日に死去し、玉龍へ霊柩を移して葬礼を行ったと記す。対句は仁政と民への恩、二十二歳の若さをたたえ、国を治めた手が失われたこと、城中と民衆の嘆きを述べる。死後も面影をしのび、祭礼を受けてほしいと願う。冒頭の六月は病状の経緯で、献祭日は八月七日である。
- 登場人物
- 島津久尚
- 宛先
- —
- キーワード
- 久尚、宗信、六月病状、八月七日献祭、玉龍、二十二歳、祭文
追録5-No.2036在府家老連署書状旧記雑録暫定版確認度 高
宝暦八年五月八日 / 冊子 683~684頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2036
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が五月八日、在国家老四名へ、太守の出仕・元服・官位の先例と内談の結果を報告する。隅州は十五歳で御目見して間もなく元服し、その後に出仕を願い、慈徳院は十二歳で御目見・元服後に五節句の登城、十五歳から月次の出仕を許されたと記す。圓徳院は家督礼後、元服前に五節句・月次の願いを許されたが、家督ゆえ元服を延ばした事情があり、当年十四歳の太守は隅州・慈徳院の例に沿って元服後に願うのがよいと相談する。櫻井七左衛門・山澤小左衛門を介して草案に異論がないことを確認し、官位は少将の先例を聞き置いて元服後に願う方針、別紙・書付写一通・留置覚書写三通の送付を伝え、朱注は本文承知と隅州伝達・留置を記す。
- 登場人物
- 高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京
- 宛先
- 島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳
- キーワード
- 隅州十五歳、慈徳院十二歳御目見元服・十五歳月次出仕、圓徳院家督元服延期、太守十四歳、櫻井七左衛門山澤小左衛門内談、御用番草案、少将先例、元服後願、書付写一通覚書写三通、朱承知留置
追録5-No.2794島津重豪願書旧記雑録暫定版確認度 要
宝暦十三年四月二十二日 / 冊子 980頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2794
重豪が四月二十二日、帰国の暇を得たが男子がいないため、在国中に不測のことが起きた場合は、国元にいる島津杢(久峯、当年三十二歳)へ相続させ、跡職を変わりなく認めてほしいと願う。酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・松平右京大夫の四名に差し出す。包紙の注は、連名の書付と奉書を折綱で付けた封の取扱いを記し、本文の四月二十二日と別に、二十一日に御用番酒井へ留守居を通じて差し出した旨を記す。
- 登場人物
- 島津重豪・島津杢(久峯)・酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・松平右京大夫
- 宛先
- 酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・松平右京大夫
- キーワード
- 重豪帰国男子なし不慮時島津杢久峯三十二歳相続跡職願、四老中宛四月廿二本文・包紙廿一差出
追録6-No.2363届書旧記雑録暫定版確認度 高
天明六年三月二十八日 / 冊子 858頁/原整理番号 2363/整理ID 2363
重豪は、先年に妾腹から生まれた二男の島津富之進が当年十二歳となったこと、出生以来虚弱であったため届けを控えていたが、次第に丈夫になったため出生を届け出る。
- 登場人物
- 島津重豪、島津富之進
- 宛先
- 幕府老中
- キーワード
- 島津重豪、島津富之進、妾腹、二男、十二歳、出生届、虚弱、丈夫
追録8-No.262御履歴抄(継承・改革事績の総括)旧記雑録暫定版確認度 中
安政5年7月斉彬病歿・12月28日茂久家統継承;過去の改革を回顧 / 冊子 187~188頁/原整理番号 262/整理ID 262
御履歴から、安政五年七月の斉彬病歿と十二月二十八日の茂久家統継承を記し、斉彬の遺志と久光・忠義の履歴を総括する記事。米使節来航後の措置で公武の指旨に相違が多いことを憂え、皇国守護に心を尽くした斉彬の事業が未成に終わり、久光・忠義がそれを継承したと評する。斉彬が官礼・旧弊を改め、国論を採り、武門と国事守護を重視し、執事・軍務の官を設けたこと、十六歳から四十二歳までの城下兵士の砲銃訓練、薬・度量・製法の規定、海軍局と器械製造場の設置を列挙する。久光・忠義の教場巡察・試験、城外兵士の配置、在郷教育、民の農武両面と備え、忠義の財貨による軍備拡充も記す。始祖以来の治領を回顧し、潘士の恩と家臣の忠順・上下和協、武教の成就を論じ、久光・忠義の勤王の志業を斉彬の遺志に根拠付けるとの叙述で後文へつなぐ。事績の評価や因果関係はこの履歴記事の記述として整理する。
- 登場人物
- 斉彬、茂久、久光、忠義、亜墨利加使節、官吏・兵士・島士、公武、島津忠久(始祖の回顧)
- 宛先
- 宛先なし(御履歴中の総括記事)
- キーワード
- 御履歴、斉彬遺志、久光忠義、茂久家統、十二月二十八日、米使来航、公武指旨、旧弊改革、国事守護、軍務局、砲銃訓練、十六歳四十二歳、海軍局、器械製造場、教場巡察、在郷教育、上下和協、勤王
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 505松倉重次切腹・舎弟助命記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 398頁/原整理番号 505
『寛明日記』は十二月五日、松倉長門守重次が四十二歳で切腹を命じられたと記す。領内の悪政で百姓が困窮し、やむなく一揆を起こした事情が目付衆から上聞に達し、詮議の末の処分であった。養子となっていた舎弟右近も同罪となるべきところ、島原城での忠戦を理由に死罪を免じられた。
- 登場人物
- 松倉長門守重次、舎弟右近
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 寛明日記、本文十二月五日、松倉長門守重次、四十二歳、切腹、悪政、百姓困窮、一揆、西国目付衆、上聞、詮議、舎弟右近、養子、島原城、忠戦、死罪免許
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 506松倉重次切腹・舎弟軍功助命記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 398頁/原整理番号 506
『元寛日記』は十二月五日、仕置の悪さから百姓一揆を招いた松倉長門守重次が四十二歳で切腹を命じられたと記す。養子である舎弟右近は同罪となるべきところ、たびたび身命を捨てて軍功を励んだことが聞き届けられ、死罪を免じられた。末尾の六日甲午は次の日次見出しである。
- 登場人物
- 松倉長門守重次、舎弟右近
- 宛先
- 宛先記載なし
- キーワード
- 元寛日記、本文十二月五日、松倉長門守重次、四十二歳、切腹、悪政、百姓一揆、西国目付衆、上聞、舎弟右近、養子、軍功、死罪免許、六日甲午、次の日次見出し
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:62系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
建久9年、正平6年12月23日 / 冊子 180~181頁/原整理番号 62
薩摩国在国司・大前氏東郷斧渕氏の系図。敏達天皇の後胤・橘諸兄の苗裔とし、道胤は幼名菊王丸、東郷弾正少弼・左衛門尉、西前寺殿、法名慈寛を称し、東郷城に居住、建久九年に上洛して内裏大番を勤めた。道武は菊寿丸・兵衛尉・武蔵守、西前寺殿、慈光で、妻を山門院郡司秀忠の女とする。道義は平太郎・蔵人・弾正少弼・摂津守、斧渕を号し、西前寺殿・慈道。正平六年十二月二十三日に渋谷九郎重興が軍勢を催して戦った記事を伴う。道長は平次郎・弾正少弼・相模守、西前寺殿・慈法で、道張(山田)から道久・道宗(荒川)へ分かれる。道将は平六郎・弾正少弼・相模守、西前寺殿・慈徳で、道重へ続く。後半は道盛、道真(今村兵部太夫)と道時・道実(藤川)の系、道信、良道を掲げる。道信は大泉坊・不動院として平佐城・樋脇天神坊に住み三十五町を領し、法名仙香、八十二歳で没した。良道は源五郎・神力坊・不動院で入来院重時の家臣となり、子孫を入来院家臣・斧渕仁兵衛とする。
- 登場人物
- 敏達天皇、橘諸兄、道胤、道武、山門院郡司秀忠、道義、渋谷九郎重興、道長、道張、道久、道宗、道将、道重、道盛、道真、道時、道実、道信、良道、入来院重時、斧渕仁兵衛
- 宛先
- —
- キーワード
- 大前氏東郷斧渕氏系図、薩摩国在国司、敏達天皇、橘諸兄、道胤、菊王丸、東郷弾正少弼、左衛門尉、西前寺殿、慈寛、東郷城、建久九年、上洛、内裏大番、道武、菊寿丸、兵衛尉、武蔵守、慈光、山門院郡司秀忠女、道義、平太郎、蔵人、摂津守、斧渕号、慈道、正平六年十二月二十三日、渋谷九郎重興、軍勢、道長、平次郎、相模守、慈法、道張、山田、道久、道宗、荒川、道将、平六郎、慈徳、道重、道盛、道真、今村兵部太夫、道時、道実、藤川、道信、大泉坊、不動院、平佐城、樋脇天神坊、三十五町、仙香、八十二歳、良道、源五郎、神力坊、入来院重時、斧渕仁兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0123記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 297頁/原整理番号 123
『応永記』が、応永十三年に田布施城が没落し、翌十四年五月四日に総州伊久が六十二歳で死去したと記す。忠朝も没落し、薩州平佐城で踏みとどまろうとしたが、元久の大勢が山を越えて来たため敵対に及ばなかったという。
- 登場人物
- 島津伊久(総州)、島津忠朝、島津元久
- 宛先
- —
- キーワード
- 応永記、田布施城没落、伊久六十二歳死去、忠朝の平佐城、元久の大勢、山越えと敵対回避
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P04-NIKAIDO-D0113身曳状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –
文書日付:永正八年辛未十月廿一日 / 冊子 609~610頁/原整理番号 113/整理ID TMP-P04-NIKAIDO-D0113
永正八年辛未年の飢饉により、初と名乗る二十二歳の女子が永代に二階堂山城守殿御うらさまの下部として身をはめる旨を記す。
下部となった後、親類兄弟などから違乱・妨げを申し立てることはないとする。
逃げ去り、「いかなるけんもん・富家・神社佛寺の御領内」へ入ったとしても、この状により沙汰する旨を掲げ、その時に争わないと記す。
後日の証文として永正八年辛未十月廿一日付で初が略押を添え、二階堂山城守殿御うらさまへ申し上げる。
- 登場人物
- 初(原表記留保・比定未確認)、二階堂山城守殿御うらさま(原表記留保・比定未確認)
- 宛先
- 二階堂山城守殿御うらさま
- キーワード
- 身曳状、下部、女子、二十二歳、飢饉、親類兄弟、富家、永正八年
追録2-No.777条書旧記雑録暫定版確認度 中
元禄十三年(編者注。月日不記) / 冊子 226頁/整理ID 777
修理大夫の近習に召し仕える者へ示された五箇条の覚。学問・武芸・有識を怠らず卑劣なことを慎むこと、側仕えの不善の行跡を放置せず主人のため諫めること、主人の賢否や私的好悪によらず善悪を正しく申し立てること、私心なく正直であること、勤務中に不行跡がなく不時の用事を考えてみだりな飲酒・沈酔後の乱行を避けることを求める。
- 登場人物
- 島津綱貴
- 宛先
- 島津吉貴近習
- キーワード
- 近習、修理大夫、五箇条、覚、学問武芸有識、卑劣戒め、側仕者不善、直言、主人賢不肖、私心なし、正直、勤務、不時用事、飲酒、沈酔乱行、承知遵守、月日不記、吉貴二十二歳注
追録5-No.2025在府家老連署書状旧記雑録暫定版確認度 高
宝暦八年四月二十四日 / 冊子 680~681頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2025
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が四月二十四日、在国家老四名へ、太守の成長に応じて早く御角入を行うことと、元服・袖留の取扱いを相談する。隅州は十五歳で正徳五年三月十五日に初御目見、同年四月五日に元服、五月二十一日に袖留をした先例を挙げる。慈徳院は元文二年七月朔日に初御目見、同四年十二月十一日に元服、寛保元年五月十二日に十四歳で袖留をしたと記す。太守も袖留が似合う様子に見えると述べ、元服後に袖留する意向があるか隅州へ伺い、御守殿への報告と願い出を先例に沿って整えるよう相談する。
- 登場人物
- 高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京(本文署名)
- 宛先
- 島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳(本文宛名)
- キーワード
- 御角入、元服袖留、隅州十五歳正徳五年先例、五月廿一日袖留、慈徳院十二歳御目見十四歳袖留、被脱注、隅州意向、御守殿報告、先例願出
追録7-No.677記事旧記雑録暫定版確認度 高
享和2年11月9日(本文) / 冊子 208頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0677
享和2年壬戌11月9日、江府芝邸の大書院で元服し、父公が自ら加冠、市田勘解由貞英が理髪した。又三郎忠温と命名され宝刀を賜い、年は実12歳と記す。出典は斉興公御譜中。近秘野帥では市田出雲盛常が理髪したとする注を伴う。本文と別出典注の理髪担当名を一人に統合せず保持する。次678の蓋紙・別紙の次第、681の元服日異同と区別する。
- 登場人物
- 斉興(又三郎忠温)、父公、市田勘解由貞英、市田出雲盛常(近秘野帥注)
- 宛先
- 独立宛名なし
- キーワード
- 元服、江府芝邸大書院、父加冠、貞英理髪・盛常異説、又三郎忠温、宝刀、十二歳
前編2-No.1428記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 452頁
寛正六年六月二十九日、北郷持久が息子敏久とともに高城を去り、安永古江村薩摩迫へ移ったこと、および文明二年に同地で六十二歳で没したことを記す。
- 登場人物
- 北郷持久、北郷敏久、島津立久
- 宛先
- —
- キーワード
- 北郷持久譜、北郷持久、北郷敏久、島津立久、高城、安永古江村、薩摩迫、移住、文明二年
前編2-No.1509記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 486頁
文明八年九月十二日、時任源八左衛門義昭が日州三俣院の戦いで四十二歳にして戦死したことを記す記事。
- 登場人物
- 時任源八左衛門義昭
- 宛先
- —
- キーワード
- 殉国名藪、時任源八左衛門義昭、日州、三俣院、合戦、戦死、文明八年
後編2-No.297記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 325頁
羽柴秀長の大軍が日向高城を包囲すると、島津家久・豊久父子が根白坂の豊臣方陣地を攻めたが、後陣が進まず敗れて佐土原へ退いた。佐土原城も包囲され、藤堂与右衛門尉の勧告を受けて和議・開城に応じる。家久は野尻で秀長と会見して饗応を受けたのち重病となり、六月五日に佐土原で四十二歳で没したと記す。九州征伐最後の戦いと家久の急死を連続して伝える譜記事。
- 登場人物
- 島津家久、島津豊久、島津義久、島津義弘、羽柴秀長、山田有信、藤堂与右衛門尉
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津家久譜、島津家久、島津豊久、羽柴秀長、日向高城、根白坂合戦、佐土原城、藤堂与右衛門尉、開城、島津家久急死
後編4-No.662記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 264頁
島津忠興の譜。慶長十五年、十二歳で父島津以久を失った忠興が家を継ぎ、駿府城で徳川家康、続いて江戸城で徳川秀忠に拝謁して礼を述べたのち帰国したことを記す。
- 登場人物
- 島津忠興、島津以久、徳川家康、徳川秀忠
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津忠興譜、島津忠興、島津以久、徳川家康、徳川秀忠、家督、駿府城、江戸城、拝謁
後編4-No.1215記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 569頁
元和元年、十二歳の北郷久加が元服し、島津家久が加冠して又次郎と名乗らせ、宝刀を与えた。島津義弘も銭二千疋を贈り、祝歌を添えたことを記す北郷久加譜の記事。
- 登場人物
- 北郷久加、島津家久、島津義弘
- 宛先
- —
- キーワード
- 北郷久加譜、元服、島津家久、島津義弘、加冠、又次郎、宝刀、二千疋、元和元年
後編4-No.1292記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 605頁
元和元年七月十八日、吉富大蔵が主君の跡を追って四十二歳で殉死したことを記す『殉国名藪』の記事。
- 登場人物
- 吉富大蔵
- 宛先
- —
- キーワード
- 殉国名藪、吉富大蔵、追腹、殉死、元和元年七月十八日
後編5-No.677記事確認度 中
年月日未詳 / 冊子 404頁
家久在府中、児玉利昌が始良(姶良)の地頭職と給米三十石を受けたこと、納殿役として近侍し現地へ赴けないため、三十二歳の子利実を遣わし、児玉吉兵衛らと支配に当たらせたことを記す児玉利昌譜の記事。
- 登場人物
- 児玉利昌、児玉利実、児玉吉兵衛、島津家久
- 宛先
- ―
- キーワード
- 児玉利昌、児玉利実、児玉吉兵衛、島津家久、始良、姶良、地頭職、給米三十石、納殿役、近侍、支配
追録1-No.2063願書旧記雑録暫定版確認度 中
(貞享四年)七月六日 / 冊子 792頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2082
島津光久が老中三名へ、長年の筋気で歩行が不自由となり、七十二歳にもなったため隠居し、同名薩摩守綱貴へ家督を相続させたいと願い出た願書。
- 登場人物
- 島津光久、島津綱貴、大久保忠朝、阿部正武、戸田忠昌
- 宛先
- 大久保加賀守殿、阿部豊後守殿、戸田山城守殿
- キーワード
- 島津光久、島津綱貴、大久保忠朝、阿部正武、戸田忠昌、筋気、隠居、家督相続、願書
追録1-No.2066願書旧記雑録暫定版確認度 中
(貞享四年)七月六日 / 冊子 793頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2085
島津光久が老中三名へ、長年の筋気で歩行が不自由となり、七十二歳にもなったため隠居し、同名薩摩守綱貴へ家督を相続させたいと願い出た願書の別収録。
- 登場人物
- 島津光久、島津綱貴、大久保忠朝、阿部正武、戸田忠昌
- 宛先
- 大久保加賀守殿、阿部豊後守殿、戸田山城守殿
- キーワード
- 島津光久、島津綱貴、大久保忠朝、阿部正武、戸田忠昌、筋気、隠居、家督相続、願書、別収録
追録5-No.348文書旧記雑録暫定版確認度 高
その1は年次混在/その2は〈寛延二年〉正月十二日 / 冊子 116~117頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0348
大目付へ差し出す折紙の書式と、官位に関する明細書の先例・書付を収める。折紙は長九寸五部・横二寸八部の奉書二枚で、図には高六十万五千石余、別に琉球国十二万三千七百石、薩摩国・大隅国各一国と日向国の内、本国薩摩、生国武蔵、従四位上中将松平薩摩守、辰年二十二歳、居城薩州鹿児島と記す。その一は享保十四年の次第を参照し、官位授与時に両御丸の明細帳を改めて二枚提出する手順を載せ、上田周防守から堀万右衛門を介した指示、寛延二年正月十六日に能勢因幡守へ分限帳を提出する件も記す。その二は正月十二日、岩下佐次右衛門が人見軍記へ、前年末の官位に伴う明細書二通の書付を受け取り、登城・退城時の勤めについて首尾を報告する。
- 登場人物
- 島津宗信(目録標題・折紙の松平薩摩守)・上田周防守・堀万右衛門・能勢因幡守・岩下佐次右衛門・人見軍記
- 宛先
- —
- キーワード
- 折紙、奉書二枚、長九寸五部、横二寸八部、六十万五千石余、琉球十二万三千七百石、官位、明細帳、分限帳、人見軍記
追録5-No.1972在府家老書状旧記雑録暫定版確認度 高
宝暦七年九月十八日 / 冊子 657~658頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1972
島津主鈴が九月十八日、在国家老五名へ、太守の来春の御目見願について隅州が同意し、家督の礼・道具・手当を相談したと知らせ、幼年の名代で参府した家来九人の初めての御目見を願うよう求める。家老三人・番頭一人・用人四人の先格を挙げ、左京の出府、番頭左源太の派遣と宮之原甚五太夫の留置、濱谷喜三左衛門らの交代、一門から島津本殿一人を送る意向を示し、分限帳と一門の書付を送る。部屋柄の初めての御目見には先例がないので追って連絡し、元服は継豊が十五歳で初御目見後に命じられた例、慈徳院が十二歳で初御目見した翌未年十二月十一日に元服した例、圓徳院の家督礼・元服日を挙げる。太守は家督後に御目見するため間もなく元服を命じられるだろうと述べ、手当は別紙のとおり国元で相談し、隅州へ伺う件も検討するよう求める。
- 登場人物
- 島津主鈴(久郷。本文署名・人物注)
- 宛先
- 島津圖書・島津主殿・樺山左京・義岡相馬・鎌田典膳(本文宛名。目録返書は在国家老)
- キーワード
- 来春御目見願、隅州同意、幼年名代家来九人、家老三番頭一用人四、左京出府、役人派遣留置交代、分限帳、部屋柄先例なし、元服先例
追録5-No.2067登城先例写・提出経過朱書旧記雑録暫定版確認度 高
宝暦八年六月十五日・二十五日(朱書。正徳五年・元文四年先例を併記) / 冊子 694頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2067
正徳五年四月五日に十五歳で元服した継豊について、父吉貴が同月十六日に月次出仕を願い、同日願いどおり許された先例を記す。元文四年十二月十一日に十二歳で元服した宗信については、父継豊が同月二十一日に五節句・月次出仕を願い、二十四日に五節句は願いどおり、御礼は御目見後、月次出仕は十五歳からと命じられたと記す。朱書では、宝暦八年六月十五日に願書と御例書を酒井左衛門尉へ提出し、同月二十五日に佐久間源大夫が召されて御書付のとおり申渡しを受けた経過を付記する。御書付は松平薩摩守へ、五節句・月次の御礼には登城でき、各々の御礼は御目見後に行うよう伝える。
- 登場人物
- 継豊・吉貴・宗信・酒井左衛門尉・佐久間源大夫・松平薩摩守
- 宛先
- 松平薩摩守(御書付の対象表示。願書・御例書提出先は御用番酒井左衛門尉)
- キーワード
- 正徳五年四月十六日許可、元文四年十二月二十一日願・二十四日申渡、御礼御目見後・月次十五歳、六月十五日提出・二十五日佐久間源大夫召出申渡
追録7-No.1791記事旧記雑録暫定版確認度 高
文政4年3月4日(辛巳) / 冊子 596頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1791
斉興公御譜中の記事。文政四年辛巳、春3月4日、嫡子邦丸が家伝の元服式を江府本邸の座之間で行ったとする。邦丸には斉彬の注があり、年齢は十二歳と記して実十三歳との注を付す。大書院の営造がまだ完成していないため、その格式で座之間において式を行った旨の注がある。斉興が親しく冠を加え、家老川上美濃久芳が理髪した。又三郎へ改称し、忠方と名付けたと記す。式の内容は忠方譜に載せる旨の末注がある。本文の年齢と注の実歳をともに保持し、元服の場所、冠を加える役と理髪役、改称と実名の命名を分けて整理する。
- 登場人物
- 齊興(島津斉興)、嫡子邦丸(斉彬の注)、又三郎・忠方(元服時の称名)、家老川上美濃久芳
- 宛先
- 記事(書状の宛先なし)
- キーワード
- 齊興公御譜文政四辛巳春三月四日嫡子邦丸斉彬年十二実十三歳家伝元服式江府本邸座之間大書院経営未成格式斉興親加冠家老川上美濃久芳理髪又三郎改称忠方命名忠方譜式掲載
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 562-4記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
延宝六年四月廿八日 / 冊子 452頁/原整理番号 562-4
編者は、権左衛門が寛永十五年に二十二歳で光久の江戸供を勤め、同十七年の年頭使、同十九年三月の上屋敷普請奉行などを務めた経歴を挙げる。正保二年の制度改定後も三十四石で百石・二百石・三百石以上の者に準じる御賦を受けたのは、先祖の光というより、高役に召し仕われた人材を重んじた当時の運用によるものではないかと考証する。目録は延宝六年四月二十八日付伊地知重利書状とするが、本文は日付・署名のない編者記事である。
- 登場人物
- 同姓権左衛門重昶、光久公
- 宛先
- —
- キーワード
- 目録延宝六年四月廿八日、目録標題と本文相違、編者記事、権左衛門、光久、江戸供、年頭使、上屋敷普請奉行、三十四石、御賦、高役、人材重視
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID sar:24-9記録・覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
文明六年八月頃 / 冊子 261頁/原整理番号 24の9
文明六年八月頃に京都から九州三か国を行脚した僧の旧記を抄出し、十二歳の守護島津武久と鹿児島の譜代衆を記す。猿渡筑前守の名、忠国から西手内を与えられた文書、隈城・隈之城の領有を照合し、猿渡氏の知行と系譜を考証する。
- 登場人物
- 島津武久、猿渡筑前守、本田周防助、島津忠国
- 宛先
- —
- キーワード
- 文明六年、九州行脚僧旧記、島津武久、猿渡筑前守、本田周防助、島津忠国、西手、隈城、隈之城、知行
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:163文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
慶長十七年三月廿二日 / 冊子 402頁/原整理番号 163
町田久幸ら四人の連署覚。関東の御用のため、当地の十二歳から十九歳までの女子を五人ほど差し出すよう命じる。慶長十七年三月二十二日付。
- 登場人物
- 町田久幸外三名、少将、惟新
- 宛先
- 少将様、惟新
- キーワード
- 町田久幸外三名連署覚抄、琉球関係、伊勢
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID H:4詠草旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 541頁/原整理番号 4
栗原信充の詠草。季安八十三歳、自身七十二歳でともに襲山・高千穂を論じたことを『むなそひの坂』を登る歌に託す。
- 登場人物
- 栗原信充詠草
- 宛先
- —
- キーワード
- 栗原信充詠草、史料内容
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w07:1御用留抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
寛延二年七月十一日 / 冊子 203~204頁/原整理番号 1
伊勢紹易貞興の御用留抜書は、島津宗信が寛延二年五月二十三日に帰城後、むくみを増して七月七日に死去したが、しばらく病状として扱われ、十日に島津兵庫への家督継承願いが諸士へ伝えられたと記す。諸士五十日の月代停止などの禁制、福昌寺への遺体移送、法名と二十二歳での死去にも触れる。
- 登場人物
- 伊勢紹易貞興、島津宗信(慈徳院)、島津兵庫
- 宛先
- ―
- キーワード
- 寛延二年、伊勢紹易貞興、島津宗信、慈徳院、七月七日、家督継承、葬送、禁制
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W02_53-1覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
安政4年9月8日 / 冊子 50頁/原整理番号 53-1
季安は御使番への役替、役料米の据置き、年齢七十二歳、持高四十三石九斗八升、坂元村内上之原の借地を覚に列記し、明細書を差し出すと記す。
- 登場人物
- 伊地知季安(伊地知小十郎)
- 宛先
- 役所
- キーワード
- 御使番・役料米・役替え
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W02_88書付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
文久3年2月21日 / 冊子 73頁/原整理番号 88
季安は御鉄砲奉行への役替を受け、御役料米七十三俵、八十二歳、持高五十五石四斗余、坂元村上之原の借地などを明細帳として申告する。勤方は従来どおりとされた。
- 登場人物
- 伊地知季安
- 宛先
- 記録所
- キーワード
- 伊地知季安書付
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W03_文書0034-1詩歌旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 135~136頁/原整理番号 34-1
栗原信充と伊地知季安の贈答詩歌を収める真跡写。栗原の高齢の学問・著述を詠む漢詩、季安の西遊散懐詩と高韻に和した栗原の漢詩、山・楠・高千穂・八十三歳と七十二歳の交情を詠む和歌、温泉行の漢詩を掲げる。欄注は栗原来訪時に『漢学紀原』や嚢山考・南聘紀考等の改正を相談した事情を記す。
- 登場人物
- 栗原信充、伊地知季安
- 宛先
- —
- キーワード
- 栗原信充、伊地知季安、真跡写、漢詩、和歌、西遊、嚢山考、漢学紀原、南聘紀考、温泉
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0039自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 342~343頁/原整理番号 39
山城を三千人で囲み、放火して攻めた時の戦いを記す。城兵が多数の石を投げる中、忠平らは登って攻め、梅北宮内左衛門が先に入ったが石を受けて堀へ落ちた。大将が攻め上れないと見た忠平は、河上・新納・山田・伊集院・平田ら三百余人と進み、敵を討ち取った。大将を狙った騎馬の武者とも戦って首を取り、鎧に矢が何本も立ったことを記し、忠平十二歳の初陣とする。
- 登場人物
- 島津忠平(義弘)、梅北宮内左衛門、河上上野守、河上左近将監、新納刑部太輔、山田蔵人、伊集院右衛門、平田将監
- 宛先
- —
- キーワード
- 箕輪伊賀自記、三千人の包囲、放火、投石、先陣、堀への落下、救出、白兵戦、初陣
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0134勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中
年月日未詳 / 冊子 403頁/原整理番号 134
右之城に詰めていた肝付勢が、伊東勢の福嶋進攻を受けて争戦し、島津方へ降参したことを記す。高山を肝付兼護道に残し、姶良・志布志・福嶋など諸所を島津側の領知とした。忠元は十二歳で初めて出陣した旧領志布志の人々と面会し、旧臣の子孫が当地に残ったという。十二月には伊東義祐が佐土原を捨てて豊後へ出奔し、忠堯が城に籠もった。忠元は相良領と大口の境目の玖广で番を務めた。
- 登場人物
- 新納忠元、新納忠堯、伊東義祐、肝付兼護道(後の左馬介)、貴明
- 宛先
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- キーワード
- 新納忠元勲功記、天正五年春、伊東の福嶋進攻、肝付方の降参、諸所の領知、忠元の初陣と息子の働き、佐土原放棄、豊後への出奔、国境の番