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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

49 件 (全巻)/ 1–49件を表示

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後編6-No.159-2文書確認度 中

松平石見守・生駒壱岐守衆中切腹被仰付候衆書立

松平石見守・生駒壱岐守の家中で切腹を命じられた者を列挙した書立。伊木野伊織以下の家臣を、相馬大膳・仙石越前守・丹羽左京・真田伊豆・京極丹後守・松平出羽守・森内記らの預け先ごとに掲げ、切腹者のほか追放・仕置に関わる者も記している。張紙・墨書で『此名書ハ御譜中ナシ』との注記があり、本文135頁から136頁上段まで続く。

登場人物
松平石見守、生駒壱岐守、伊木野伊織、同名次左衛門、大原久左衛門、寺西仲左衛門、菅友伯、小川四郎左衛門、別所六左衛門、牛尾四郎左衛門、杉谷多左衛門、丸山忠兵衛、山元喜左衛門、田邊三郎右衛門、石丸六左衛門、小川二郎兵衛、小寺八郎右衛門、宇津孫右衛門、山脇久左衛門、三野四郎右衛門、生駒帯刀、生駒左門、上坂勘解由、森出雲、前野次太夫、石崎若狭、下嶋市兵衛、新庄右近、相馬大膳、仙石越前守、丹羽左京、真田伊豆、京極丹後守、松平出羽守、森内記、青山大蔵允、井上筑後守、柳丹後守、能勢四郎右衛門尉
宛先
—
キーワード
松平石見守、生駒壱岐守、家中衆、切腹、書立、預け先、相馬大膳、仙石越前守、丹羽左京、真田伊豆、京極丹後守、松平出羽守、森内記、追放、仕置衆、張紙、墨書、御譜中ニ無之
前編1-No.2263文書確認度 高

伊作氏後胤信州書

伊作三郎左衛門尉久氏が京都で将軍の御代官を務め、天王寺合戦で京方が敗れた後も退かず、皇居を遥拝して辞世の和歌を書き、切腹したとする後胤伝承。家臣三名の殉死、遺族の薩摩移住、伊作に居住して系統を継いだことまで記す。

登場人物
伊作氏後胤・久氏ほか
宛先
信州・薩摩国
キーワード
伊作久氏、将軍御代官、天王寺合戦、辞世和歌、切腹、家臣殉死、薩摩移住
後編1-No.183記録確認度 高

肝付兼明指出(元禄七年)

永禄四年七月十二日の廻陣で島津忠将が戦死した際、肝付兼明の兄孫六・仲右衛門が竹原山で戦死し、掃部助は忠将を討ち取ったのち同月十七日に坂で切腹したことを記す指出。

登場人物
肝付兼明、大兄孫六、中兄掃部助、小兄仲右衛門、島津忠将
宛先
—
キーワード
肝付兼明指出、竹原山合戦、島津忠将、肝付掃部助、孫六、仲右衛門、切腹、永禄四年
後編1-No.1298文書確認度 高

一色昭秀書状

一色昭秀が喜入季久へ、播磨上月城が即時落ち、尼子勝久と家僕らが切腹し、宇野民部少輔以下の諸士の過半が味方に属したと知らせた書状。義久が肥後へ出馬して大勝したとの風説を祝し、今後も公儀への馳走を太守へ勧めるよう求める。

登場人物
一色昭秀、喜入季久、尼子勝久、宇野民部少輔、島津義久
宛先
喜入摂津守季久
キーワード
一色昭秀書状、喜入季久、上月城、尼子勝久、切腹、宇野民部少輔、島津義久、肥後出馬、公儀馳走
後編2-No.280記録確認度 高

勝部兵右衛門聞書

島津義久の上洛・降伏後、秀吉が九州を治定し、一族を人質に定め、日向諸県郡を又一郎久保へ与えるなど諸大名の知行を再編した経過を列挙する。続いて肥後を拝領した佐々成政が検地を急いで国衆一揆を招き、鎮圧に失敗して摂津で切腹し、その後の肥後が小西摂津守・加藤主計頭へ分与されたことまで記す。九州仕置と検地抵抗を伝える重要記事である。

登場人物
豊臣秀吉、島津義久、島津久保、佐々成政、小西摂津守、加藤主計頭
宛先
—
キーワード
勝部兵右衛門聞書、九州征伐、島津義久、上洛、人質、島津久保、九州仕置、知行再編、佐々成政、検地、肥後国衆一揆、切腹、小西摂津守、加藤主計頭
後編2-No.931文書確認度 高

島津竜伯義久直書

島津義久(竜伯)が歳久へ、邪答院での以前の振る舞いと今回の不慮の事件を理由に、切腹させるとの秀吉の朱印命令が届いたことを告げる。 上意に従って早々に切腹すれば妻子眷属は保全され、家と国のためにも名誉ある最期として後世に名を残せると説く。兄義久が弟歳久へ処断を直接伝えた、歳久事件の核心文書である。

登場人物
島津義久(竜伯)、島津歳久、豊臣秀吉、細川幽斎
宛先
島津歳久(左衛門入道)
キーワード
島津義久、島津歳久、豊臣秀吉、細川幽斎、邪答院、朱印状、切腹命令、妻子保全、歳久事件
後編2-No.1579記事確認度 高

島津義弘譜

秀次事件について、秀吉が秀次に高野山行きを命じ、切腹後に妻子・近臣まで処刑した経緯を義弘譜が詳述する。 義弘も聚楽城内で外出を禁じられたが、木村常陸介の助言を受けて脱出し、その後の召喚や弁明に対応したという緊迫した体験を伝える。

登場人物
島津義弘、豊臣秀吉、豊臣秀次、木村常陸介、石田三成、前田玄以、増田長盛
宛先
—
キーワード
島津義弘、豊臣秀吉、豊臣秀次、秀次事件、高野山、切腹、聚楽城、木村常陸介、石田三成、連座
後編3-No.300文書確認度 高

五代友喜・有川貞豊・帖佐宗光連署覚書

五代友喜・有川貞豊・帖佐宗光が川上四郎兵衛尉・枇杷権左衛門尉へ、袈裟菊殿内の宇多与右衛門尉が安宅殿へ提出した申状に関する聞取り結果を報告した連署覚書。宇多の知行配当、使者の往来、奉公・武具・書状、相良五郎左衛門尉らの証言を照合し、宇多父子の切腹を命じる書状の有無をめぐる袈裟菊殿母側の主張など、当事者間で食い違う言分を詳細に列挙する。

登場人物
五代友喜、有川貞豊、帖佐宗光、袈裟菊丸常久、宇多与右衛門尉、安宅秀安、島津龍伯、島津義弘、相良五郎左衛門尉、阿多大炊助、本田源左衛門、福崎新兵衛尉
宛先
川上四郎兵衛尉殿・枇杷権左衛門尉殿
キーワード
五代友喜、有川貞豊、帖佐宗光、袈裟菊丸常久、宇多与右衛門尉、安宅秀安、相良五郎左衛門尉、知行配当、使者、奉公、武具、書状、宇多父子、切腹命令、聞取り、争論
後編3-No.1360記録確認度 高

神戸五兵衛覚書

住吉の築地内で島津義弘(惟新)が退路がないとして切腹を決意し、供衆に暇を与えたが、供衆は来世でも供をするとして各所で切腹の相談を始めた。本田源右衛門の使いによりいったん中止し、大坂から御上様・宰相殿が無事との報が届いたため、供衆は大坂へ向かって屋敷の警護と人質解放の手続きを行った。

登場人物
神戸五兵衛、島津義弘(惟新)、桂太郎兵衛、本田源右衛門、御上様、宰相殿
宛先
該当なし
キーワード
神戸五兵衛覚書、島津義弘(惟新)、住吉、切腹、供衆、本田源右衛門、大坂、御上様、宰相殿、人質解放
後編3-No.1364記録確認度 高

神戸休五郎覚書

島津義弘(惟新)が桂太郎兵衛を通じ、これ以上退く場所がないため内で切腹し、供衆には暇を与えると伝えた。供衆は関ヶ原以来の奉公を挙げ、外で切腹して来世でも供をすると答え、五人・三人ずつ介錯の相談を始めた。本田源右衛門の使いで、事情を見定めるまで切腹を止めるよう命じられた。

登場人物
神戸休五郎、島津義弘(惟新)、桂太郎兵衛、本田源右衛門、島津供衆
宛先
該当なし
キーワード
神戸休五郎覚書、島津義弘(惟新)、桂太郎兵衛、本田源右衛門、切腹、介錯、供衆、住吉
後編3-No.1365記録確認度 高

神戸休五郎覚書

大坂へ送った山廻りが戻り、御上様と宰相殿が無事との報が届いたため、島津義弘(惟新)は切腹を中止して退却を続けることにした。多人数では忍行できないとして、少数だけを住吉に残し、ほかの供衆には大坂へ赴いて両人に奉公するよう命じ、涙ながらに別れた。

登場人物
神戸休五郎、島津義弘(惟新)、本田源右衛門、御上様、宰相殿、島津供衆
宛先
該当なし
キーワード
神戸休五郎覚書、島津義弘(惟新)、本田源右衛門、大坂、御上様、宰相殿、切腹中止、供衆、別離
後編3-No.1371記録確認度 高

帖佐宗辰覚書

伊勢国境へ向かう道を知る者がなく、関所も多いため、一行では切腹の時機まで議論された。帖佐宗辰は在所の者を案内人に求めるよう進言し、捕らえた道行人に一部を案内させた。案内人が先を知らないと辞退したため、伊勢平左衛門が交替して案内人探しに向かった。

登場人物
帖佐宗辰、島津義弘(惟新)、伊勢平左衛門、道行人
宛先
該当なし
キーワード
帖佐宗辰覚書、島津義弘(惟新)、伊勢平左衛門、伊勢国境、関所、切腹、案内人、道行人、退却路
後編3-No.1403記録確認度 高

神戸五兵衛関ケ原覚書

井尻弥五助が徳川家康への書状を携えて江戸へ向かい、水口で厳しい改めを受けて拘禁された後、釈放されて伏見攻めや関ヶ原退却に供奉した経緯を記す。住吉で義弘が切腹を決意すると供衆も殉死を覚悟したが、大坂の夫人方が無事との報で中止し、仙秀坊が人質退去の手形を得て一同は帰国した。

登場人物
神戸五兵衛、井尻弥五助、島津義弘(惟新)、本田源右衛門、仙秀坊
宛先
井尻喜兵衛
キーワード
神戸五兵衛関ケ原覚書、神戸五兵衛、井尻弥五助、島津義弘(惟新)、本田源右衛門、仙秀坊、水口、伏見、関ヶ原、住吉、切腹、人質、帰国
後編4-No.1247文書確認度 高

山口直友書状

五月五日に両御所が出馬し、七日に先手が大坂へ攻め入り本丸天守が焼け、八日に秀頼が切腹したと報じ、人数を残して自身は速やかに上洛するよう求めた書状。

登場人物
山口直友、島津陸奥守、秀頼
宛先
島津陸奥守
キーワード
山口直友書状、大坂落城、両御所出馬、先手、本丸焼失、豊臣秀頼切腹、上洛、元和元年五月九日
後編5-No.697文書確認度 低

某覚書

月例出仕、未進・出物、武具携帯、殺人事件の切腹・遠流処分、徒党・私的交際の禁止、役人の収賄・私用使役禁止など、家中規律と刑罰を条文形式で定めた覚書。

登場人物
国元家老衆、奉公衆、仁礼伝五郎、丸田伝右衛門尉、岩本平左衛門尉ほか
宛先
―
キーワード
月例出仕、未進、武具、切腹、遠流、徒党禁止、収賄禁止、私用使役、家中規律、刑罰
追録1-No.2029伺書旧記雑録暫定版確認度 高

島津光久伺書

島津光久が幕府へ、佐土原で逆意を企てた松木三郎五郎・村上三太夫を討った後、松木左門とその二男・三男も悪意の中心人物の親兄弟であるとして、島津久寿が三人に切腹を命じたいと申し出た件に同意し、処置の内意を伺った文書。

登場人物
島津光久、島津綱貴、島津久寿、松木左門父子、松木三郎五郎、村上三太夫
宛先
—
キーワード
島津光久、島津綱貴、島津久寿、松木左門、松木三郎五郎、村上三太夫、佐土原、逆意、切腹、内意、伺書
追録1-No.2030口上覚書旧記雑録暫定版確認度 高

伊勢貞以口上書

伊勢貞以が、大久保忠朝から松木左門と二男・三男の処置について直接相談を受け、三郎五郎・村上三太夫の佐土原での逆意を踏まえ切腹を命じる内意を承知し、当面は三人を従来どおり拘置して中将へ伝えるよう求められた経過を記した口上覚書。

登場人物
伊勢貞以、大久保忠朝、近藤吉左衛門、松木左門父子、松木三郎五郎、村上三太夫
宛先
—
キーワード
伊勢貞以、大久保忠朝、近藤吉左衛門、松木左門、松木三郎五郎、村上三太夫、佐土原、切腹、拘置、口上覚書
追録6-No.644達書旧記雑録暫定版確認度 中

小松清香・樺山久智家老連署条書

与頭宛の連署条書。与中の者が喧嘩して相手を打ち果たした際は、近辺の横目へ申し越し、親類を差し添えて意趣の次第を聴き届けた上で切腹させること、手続きを経ず切腹させれば親類の越度となるとの従前の命令を厳守させる。喧嘩をする者はいないはずだが、万一心得違いがあってもこの手順を守るよう伝達させる。学文・武芸、礼儀作法、行跡を正すことは書付を広めるだけでは心に留まらず無益になるので、与頭自身が心に掛け、書付に加えて直接丁寧に教えるよう求める。御役人・小番・大番にかかわらず、その郷の若者を教訓し、人柄を見合わせて学文・武芸の指南役を選び置くよう命じる。若者が郷内外の者と交わる際、誹謗雑言や衆道などを掛け、互いに腕が立つと思い違えて法外な喧嘩に及び、無躰に若輩を殺すことがあると指摘し、親兄弟にも常々気を付けさせ、そのようなことがあれば名前を報告するよう求める。年長者が自らの非儀をよい手本のように見せ、生立ちの悪い者へ不宜な行為を促すことも害になるので別けて戒め、従わない者は報告する。諸稽古に励み、礼儀正しく律儀な者も報告するよう命じる。必要な条項を与中へ書付と直接の申渡しで伝え、風俗を改めることに励むよう結ぶ。明和七年寅正月付、左京・帯刀の二名の署を備え、出典は朱注で雑抄中とする。

登場人物
左京(樺山久智・目録対応)、帯刀(小松清香・目録対応)、与頭、与中の者、横目、親類、御役人、小番・大番、学文・武芸指南の者、親兄弟、年長者
宛先
与頭
キーワード
与頭宛、喧嘩殺傷時の横目届・親類同行・意趣聴取後切腹、手続き無視の親類責任、学文武芸礼儀行跡、書付と直接教訓、指南役選定、若者交流・誹謗衆道・腕立誤信の禁、親兄弟見守り・名前報告、年長非儀教唆者報告、稽古礼儀律儀模範者報告、風俗改め、二名連署
追録7-No.25申渡書旧記雑録暫定版確認度 高

島津久邦外五名家老連署申渡書

島津久邦ら六名が、根拠のない浮説を言い触らすことを禁じ、その取扱いを各方面へ漏れなく申し渡すよう命じた連署申渡書。安永4年以来たびたび禁止が伝えられ、初めての入国を機に静謐を心掛けるべきところ、浮説がなお聞こえ、根拠のない議論が上の政事を妨げ、他所からの問い合わせも生じるとして不届きを指摘する。露顕すれば容赦なく切腹・死罪等に処し、親類にも迷惑が及ぶ旨を改めて示す。人々が申し合わせ、家来の末々まで浮説を広めないよう厳守し、厳しく徹底することを命じる。署名は石見・伊賀・求馬・登・主計・右膳で、人物注に六名の実名がある。

登場人物
島津久邦(石見)、島津久金(伊賀)、島津久親(求馬)、島津久逵(登)、二階堂行旦(主計)、名越恒当(右膳)
宛先
本文に独立宛名なし(各方面への周知を命じる)
キーワード
浮説、流言、禁止、静謐、政事、切腹、死罪、親類、家来、周知、六名連署、島津久邦、二階堂行旦、名越恒当
追録8-No.355京師世態間合の書付写(平田延太郎の標題・伝聞と問答)旧記雑録暫定版確認度 中

公武の周旋・久光との問答と諸藩浪士の企てを伝える平田延太郎の京師書付写

平田延太郎の京師世態間合の書付写。久光上京は朝廷・幕府のため薩摩の力で周旋する趣旨とし、堀次郎が大原卿に聞いた叡慮や、伏見から上京した久光を近衛邸で中山・正親町三條・岩倉らが迎えて政治の存意を尋ねた経緯を記す。幕府の違勅を寛大に許し公武合体を求めること、一橋後見・諸侯寛罪・幕政賞罰・将軍謝罪等を叡慮として伝えるが、書付が聞いた内容として区分する。久光への問答では勅命決定後に従い、諸藩が争わず国力を尽くすよう求める姿勢を記し、長州山田又助や長井雅樂の説、久光の病気と蒸気船二艘による帰国案も伝える。後半は諸藩同盟の志士が京都・伏見に集まり、薩摩側に企てがあるとして久光が無是非に討取を命じたという記述と、六人討取・森山新五左衛門切腹、指導者名列を載せる。これに動揺した崎宅一郎らへ書状を送り、朝廷を守護するため京師での企てを急ごうとする内々の相談や、二十七八日頃に大坂へ暫時退いたとの情報を記す。末尾は文久三年癸亥正月廿日写之との注。本文の動静・伝聞と後年の写日を分ける。

登場人物
平田延太郎(標題)、臣・拙者(本文一人称)、泉州侯久光、堀次郎、大原卿、中山・正親町三條・岩倉・近衛、一橋・尾張・越前、長州山田又助、長井雅樂、福岡侯、橋口壮介・橋口傳藏・有馬新七・田中謙助・柴山愛次郎・森山新五左衛門、崎宅一郎・多田三五郎・吉松寅太郎・宮部定藏(原表記)
宛先
宛先書式不記(世態の聞き合わせを記す書付)
キーワード
平田延太郎京師世態間合書付写、久光公武周旋、堀次郎大原卿叡慮伝聞、近衛邸公家問答、一橋後見諸侯寛罪、幕政賞罰将軍謝罪、勅命後奉行、長州山田又助長井雅樂、病気蒸気船二艘帰国案、諸藩同盟志士京都伏見、六人討取切腹者記事、橋口壮介森山新五左衛門原名、崎宅多田吉松宮部書翰、内々企て、大坂暫退、文久三年正月廿日写
追録8-No.590-1原市之進の横死と三人の動静の風聞書旧記雑録暫定版確認度 中

原市之進宅での横死と三人の死傷・取押について伝える風聞書

今十四日六ツ半時頃、三人が原市之進宅へ来て対面を願い、その場で打ち留めたという風聞を記す。その後、三人が老中板倉の門前へ願書を持参し、追い付いた原市之進の家来が二人を打ち取り、残る一人は先に中之口へ来て便所で切腹し、役人に見付けられ取押されたとの風聞だとする。名書は鈴木常太郎と同豊次郎が門前で死亡し、依田勇太郎は手負で養生中と注記する。末尾に三人の名前と陸軍奉行との関係を問う字の注がある。月年、風聞の発信者は本文に記されず、死傷の経過は風聞とその付注の報告として保持する。

登場人物
原市之進・家来、老中板倉、鈴木常太郎、同豊次郎、依田勇太郎、役人、陸軍奉行欤との末尾注
宛先
宛名不記(風聞の書付)
キーワード
今十四六ツ半原市之進宅三人対面打留老中板倉門前願書家来追付二人打取中之口便所切腹取押風聞、鈴木常太郎同豊次郎御門前死依田勇太郎手負養生中右三人名前陸軍奉行欤注
追録8-No.727根岸辺での斥候三名と彰義隊の戦闘についての薩摩藩暫報旧記雑録暫定版確認度 中

薩摩藩が斥候三名の根岸辺での戦闘を伝聞で届け、確証を得て詳報するとする

五月八日付の薩摩藩の届写。斥候の有吉庄之丞・湯地治右衛門・有馬早八郎が昨七日夕に根岸辺で彰義隊の者八九人と出会い、屯集へ同行するよう囲まれ、断ると斬り掛かられて戦ったという由を報じる。三人のうち一人がその場で斬り伏せられ、敵二人を討ち六人に傷を負わせたとの報を述べる。残る二人は脱出し駒込千駄木観音堂前まで退いたが、深手を負い追撃を受け、一人が切腹し、他の一人も割腹しようとしたところ早く鉄砲で撃ち伏せられたとする。探索の者が届け出たため、追って確証を得て詳細を報じるが、まず知らせておくと結ぶ。死傷の認定は届書の暫報として示し、三名のうち誰が各記載に当たるかは割り当てない。

登場人物
有吉庄之丞、湯地治右衛門、有馬早八郎(斥候三名)、彰義隊の者八九人、探索の者、薩摩藩
宛先
御届の受け手(個別宛名不記)
キーワード
原727薩州届写有吉庄之丞湯地治右衛門有馬早八郎斥候三昨七夕根岸彰義隊八九囲同行要求拒否切掛一人切伏敵二打果六負傷両人切抜駒込千駄木観音堂前深手追重一人切腹一人割腹前鉄砲打伏探索届追確証詳報五月八薩摩藩
附録1-No.125文書確認度 高

有馬純房書状

有馬純房が、天山三次の成敗を命じられた経緯を報告した書状。大井七左衛門とともに正月四日に伏見から大坂へ下り、翌五日に三次へ切腹を申し渡して無事執行し、七日に伏見へ戻った後、九日に殿様に供奉して再び大坂へ下ったと述べる。

登場人物
有馬純房、天山三次、大井七左衛門、殿様
宛先
(宛所記載なし)
キーワード
有馬純房、天山三次、大井七左衛門、伏見、大坂、成敗、切腹、使者、供奉
附録1-No.291文書確認度 高

有馬純房書状

有馬純房が、天山三次の成敗を命じられた経緯を報告した書状。大井七左衛門とともに正月四日に伏見から大坂へ下り、翌五日に三次へ切腹を申し渡して無事執行し、七日に伏見へ戻った後、九日に殿様に供奉して再び大坂へ下ったと述べる。No.125と同文。

登場人物
有馬純房、天山三次、大井七左衛門、殿様
宛先
(宛所記載なし)
キーワード
有馬純房、天山三次、大井七左衛門、伏見、大坂、成敗、切腹、使者、供奉、No.125、正月十二日
附録2-No.177文書確認度 高

島津義弘書状

幼少の袈裟菊丸島津常久の知行処置をめぐり、祖母方による上方への直訴を禁じ、三千六百石の蔵入・家臣知行配分を阿多大炊助に任せた経緯を説明し、宇多奥右衛門親子への切腹命令を義弘が出したとの疑惑を否定して、関係者へ周知を命じた長文書状。

登場人物
島津義弘、島津常久、島津龍伯、石田三成、安宅秀安、袈裟菊祖母、宇多奥右衛門、阿多大炊助、本田掃部入道
宛先
袈裟菊関係者
キーワード
島津義弘、島津常久、袈裟菊丸、知行、蔵入、直訴禁止、阿多大炊助、宇多奥右衛門、切腹命令、文書偽造疑惑、家中支配
附録2-No.1404記事確認度 高

豊州家系図抄(一)

島津季久を祖とする豊州家一流系図。忠廉・忠康以下、加治木家への養子相続、寺院住持となった者、串良戦死・飫肥での父子切腹、島津朝久へ続く嫡流の官途・婚姻・生没年を記す。

登場人物
島津季久、島津忠廉、島津忠康、島津朝久、島津守興、島津忠朝
宛先
—
キーワード
豊州家、島津季久、島津忠廉、島津忠康、島津朝久、加治木、串良、飫肥、切腹、養子、寺院、系図
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 106達・関狩鉄砲事故処分旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某達

村田清右衛門が御関狩で鉄砲を廻し、異様な扱いから人を負傷させた件を詮議した達。切腹相当としつつ、総州様の意向により切腹を免じ、処分を申し渡した経緯を記す。

登場人物
村田清右衛門、村田平右衛門、総州様、本井上名字之、甚助
宛先
村田清右衛門
キーワード
某達、御関狩、鉄砲事故、村田清右衛門、総州様、切腹免除
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 491島原軍役経過・召立衆名簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肥前島原天草軍立之事

寛永十四年冬の島原籠城を受け、三原左衛門を大将として人数を差し遣わし、のち島津豊後守久賀・下野守久元が人数を率いた経過、正月元日の大合戦や島原城攻撃・帰陣を記す。続いて寛永十五年正月十四日に召し立て、三月末に帰宅した130人を名と知行高別に列挙する。末尾には一向宗改めで仏踏みを命じられた者や、屋敷・高の召上げ、追放、切腹・討死等に至った関係者の事例を付記する。

登場人物
編者記事(差出人なし)
宛先
宛先記載なし
キーワード
肥前島原天草軍立之事、寛永十四年冬、島原籠城、三原左衛門、島津豊後守久賀、島津久元、正月元日、大合戦、島原城攻撃、寛永十五年正月十四日、召立衆130人、知行高、三月末帰宅、一向宗改め、仏踏み、屋敷高召上げ、追放、切腹、討死、日高十兵衛正盛
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 505松倉重次切腹・舎弟助命記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

『寛明日記』は十二月五日、松倉長門守重次が四十二歳で切腹を命じられたと記す。領内の悪政で百姓が困窮し、やむなく一揆を起こした事情が目付衆から上聞に達し、詮議の末の処分であった。養子となっていた舎弟右近も同罪となるべきところ、島原城での忠戦を理由に死罪を免じられた。

登場人物
松倉長門守重次、舎弟右近
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛明日記、本文十二月五日、松倉長門守重次、四十二歳、切腹、悪政、百姓困窮、一揆、西国目付衆、上聞、詮議、舎弟右近、養子、島原城、忠戦、死罪免許
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 506松倉重次切腹・舎弟軍功助命記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

元寛日記

『元寛日記』は十二月五日、仕置の悪さから百姓一揆を招いた松倉長門守重次が四十二歳で切腹を命じられたと記す。養子である舎弟右近は同罪となるべきところ、たびたび身命を捨てて軍功を励んだことが聞き届けられ、死罪を免じられた。末尾の六日甲午は次の日次見出しである。

登場人物
松倉長門守重次、舎弟右近
宛先
宛先記載なし
キーワード
元寛日記、本文十二月五日、松倉長門守重次、四十二歳、切腹、悪政、百姓一揆、西国目付衆、上聞、舎弟右近、養子、軍功、死罪免許、六日甲午、次の日次見出し
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 533日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

相良清兵衛口事日記

相良清兵衛の口事に伴う大童伴兵衛方籠城の経過と損害を記す日記。伴兵衛親子三人をはじめ、親族、山伏四人、出家一人、内の者二十人余、女五十二人ほどが清兵衛宿所を構えて籠城し、寄手がこれを攻めた。寄手側の損害は合計百二十一人で、内訳を死者百十人・負傷十一人とする。七月十二日の事件記事に続き、松平石見守家中など別件の切腹者・預け先や妻子に及ぶ処置、隠岐国仕置衆等に関する七月十七日付の伝聞も併載する。目録年月日は空欄のため、これらの日付をB列へ補入しない。

登場人物
相良清兵衛、大童伴兵衛、大童内膳正、大童孫太郎、田之浦仲五郎、大童飛騨守、宮之原九七郎、立山与左衛門
宛先
宛先記載なし
キーワード
相良清兵衛口事、大童伴兵衛、籠城、親子三人、山伏四人、出家一人、内の者二十人余、女五十二人、寄手損害百二十一人、死者百十人、負傷十一人、七月十二日、七月十七日、切腹、妻子、預け先、隠岐国仕置衆、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:46系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肥後氏系図

種子島氏と同じく藤原氏の跡を継ぐとする肥後氏系図。信基・信家・正信・信盛・正盛以下の系線を掲げ、信家には文永二年の切腹記事を付す。盛武は建久六年に大隅国守護代となり、先に日州穂北へ下着して一時居住した後、島津忠久に従って薩摩へ下り、東福寺城取懸を命じられ、下大隅九十五町を与えられたとする。信盛の代に下大隅山之城を取って居住し、後世は古江の知行を得て鹿児島府立野へ移り、古江氏を肥後氏一族とする由緒を記す。高盛―幸盛―盛垂の系線では盛垂が菱刈平城に住み、軍功により高城を与えられた。文明八年四月二十八日付の『肥後平盛高』頭注も載せる。末尾の盛家は周防介を称し伊集院谷口を領し、島津貴久に仕えて花棚村を与えられ、命を受けて日本国中を巡歴し、一国一部の大乗妙典を奉納した。盛吉は嫡家後嗣とされる。

登場人物
信基、信家、正信、信盛、正盛、盛武、島津忠久、盛久、氏盛、盛綱、高盛、幸盛、盛垂、久盛、重時、盛高、盛尭、盛継、盛資、盛照、盛益、盛治、盛真、盛秀、盛家、島津貴久、盛吉
宛先
—
キーワード
肥後氏系図、種子島氏、藤原氏続跡、信基、信家、文永二年切腹、盛武、建久六年、大隅国守護代、日州穂北、島津忠久、薩摩下向、東福寺城、下大隅九十五町、下大隅山之城、古江、鹿児島府立野、肥後氏一族、菱刈平城、高城給付、文明八年、肥後平盛高、伊集院谷口、島津貴久、花棚村、日本国巡歴、一国一部大乗妙典奉納、嫡家後嗣
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:20系図・平姓庶流平田氏/軍歴・家職・没年記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平姓庶流平田氏系図

桓武天皇―葛原親王―高望王から貞盛・維衡・正度・忠盛・清盛を経て、小松内大臣重盛の後裔を平田氏諸流へつなぐ庶流系図。平田安房助悦山を加世田龍徳院に葬ったこと、谷山吉幸城主・平田民部少輔宗秀が隅州平松の岩剣合戦で戦死したことを記し、宗貞・宗祐・宗位・宗如らの官途・没年・法名へ続く。宗清は天文六年八月七日に阿多宮崎本地河原で戦死し、宗張は天正十五年三月十五日に豊後坂梨で戦死、平田新七光宗は実父を宗秀とし、慶長十年十二月二十六日に七十七歳で没した。さらに妙谷寺・福昌寺住持となった宗徳、増宗まで続く家老役、宗次の野尻での被討、行宗の筑前航海中の船破損に際する切腹、宗親・宗朋・宗房らの没年と葬地を載せる。村田雅楽頭経宣の三男・宗敏は子のない宗房の猶子となり、九歳で義久の近習、十三歳で家久の幕下に奉仕し、十四歳の慶長四年には伊集院源次郎の庄内一揆に従軍したところまで記す。

登場人物
桓武天皇、葛原親王、高見王、高望王、良望、貞盛、維衡、正度、正盛、忠盛、清盛、重盛、基盛、宗盛、知盛、清宗、能宗、宗正、宗増、親宗、重宗、氏宗、宗秀、宗貞、宗祐、宗位、宗如、宗直、宗清、光宗、宗張、盛房、盛光、宗鑑、宗武、宗輪、宗吉、宗勝、宗成、宗徳、増宗、宗次、行宗、宗親、宗定、宗朋、宗房、宗敏、村田雅楽頭経宣、義久公、家久公、伊集院源次郎
宛先
—
キーワード
平姓庶流平田氏、桓武平氏、小松内大臣重盛、平田氏系図、加世田龍徳院、谷山吉幸城、宗秀、岩剣合戦、宗清、阿多宮崎本地河原、宗張、豊後坂梨、光宗、宗徳、妙谷寺、福昌寺、家老役、宗次、野尻、行宗、筑前海難、切腹、宗朋、南林寺、宗房、松原山、宗敏、村田雅楽頭経宣、猶子、義久公近習、家久公幕下、伊集院源次郎、庄内一揆
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:489系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

肝付七右衛門家系図

宮之城の肝付七右衛門家の系図。肝付兼賢(初め兼延)以下、兼種・兼明・兼孝らの分岐を示し、兼明が永禄四年七月十二日に戦死して法名を寛心浄円居士としたこと、兼孝が同日忠節のため切腹したことを記す。後段は島津紹益への付人、加藤左衛門家への婿入り・跡目相続、婚姻・養子関係を経て兼郷・孫三郎へ至る。

登場人物
肝付兼賢、兼種、兼明、兼孝、兼武、兼貞、兼親、兼信、兼郷
宛先
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キーワード
肝付七右衛門家系図、宮之城、肝付兼賢、兼種、兼明、兼孝、兼武、兼貞、兼親、兼信、兼郷、永禄四年、戦死、切腹、島津紹益、加藤左衛門、婿養子、跡目相続
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w04:40申状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久章申状

大和守久章が、父相模守久倍は罪がないのに幾度も切腹を命じられ、のち毒害されても沙汰がなかったと述べる。子として遺恨を抱き、国元へ戻らずこの身上となった理由を表明する七月十四日付申状。

登場人物
島津久章、島津久倍(相模守)、島津家久
宛先
宛先なし(申状)
キーワード
島津久章、相模守久倍、切腹命令、毒害、遺恨、出奔理由
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0092記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

応永記

『応永記』が、応永四年四月下旬、伊久・元久らが山北・鹿児島・日隅各地の軍勢を集め、清色城を攻囲したと記す。黒瀬・木場原・満手野・野頸・寿昌寺の峰などに陣を置き通路を遮断したが、河と険山のため道貞の旧攻囲と同じ難儀を受け、味方や子息を派遣して守護方にも事情を伝えた。高江では渋谷の計略とされる侍三十八人の切腹があり、清色城も食糧・矢弦不足の中で内通者を得られず没落した。その後、新山寺で渋川探題らが対面し、座席・礼・酒宴の次第を記し、探題は膝の不調で滞在したのち十月下旬に帰ったという。

登場人物
島津伊久(久哲)、島津元久、守久、伊作久義、新納実久、本田忠親、渋川満頼、修理亮殿、山城殿
宛先
—
キーワード
応永記、清色城、伊久、元久、攻囲、山北、鹿児島、兵糧不足、通路遮断、三十八人切腹、新山寺、渋川探題
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0139記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

応永記

『応永記』が、応永二十二年乙未、河辺と鹿児島が合躰し、匠作は河辺へ、久世は匠作を伴って帰院したと記す。久世は年内に河辺城を受け取ることを求め、支える者の子孫を見離さないでほしいとも述べた。翌二十三年正月十三日には侍中太郎、本田伊賀守、天辰助次郎らが切腹し、平等寺から退いた時に匠作が泣いて発した言葉を取り上げ、多くが恐れを抱いたという。

登場人物
島津久世、匠作、侍中太郎、本田伊賀守、天辰助次郎
宛先
—
キーワード
応永記、久世匠作の合躰、帰院と滞留、河辺城の請取り、支える子孫、伊集院との返事断絶、近臣の切腹、涙酒
島津世禄記-A31記事関連史料(外伝)確認度 高

佐々陸奥守謀叛之事付義弘昇進并義久賜朱印等之事

肥後一国を与えられた佐々成政が国人・百姓への苛政によって一揆を招き、豊臣政権と九州諸大名がこれを鎮圧した経過を記す。義弘は肥後へ進軍し、相良方に道を阻まれるが、安国寺恵瓊らの調停を経て一揆討伐に参加する。浅野長政・加藤清正らの軍によって反乱が平定され、肥後国人は処刑・所領没収となり、成政も尼崎で切腹を命じられた。記事には秀吉の朱印状が長文で収められ、成政の過去の違背と度重なる赦免、肥後統治の失敗が罪状として列挙される。続いて義弘が上洛して侍従・従四位下に叙され豊臣姓を賜ったこと、義久に摂津・播磨の在京料一万石、義弘に日向諸県郡の所領が与えられたことを村名・石高とともに示す。さらに義久と近衛前久・細川幽斎・紹巴らの和歌・連歌、義久の再上洛と聚楽第付近の屋敷、小田原征伐に従った久保、秀吉からの山中城・小田原落城や奥州平定の戦況通知、義久の祝儀進献までを収録する。肥後国人一揆の処理から島津氏の官位・知行・文化交流・豊臣軍役への編入までを一続きに示す記事である。

登場人物
佐々成政、豊臣秀吉、島津義弘、島津義久、島津久保、伊集院忠棟、安国寺恵瓊、木食応其、浅野長政、加藤清正、細川幽斎、近衛前久、里村紹巴
宛先
—
キーワード
肥後国人一揆、佐々成政、切腹、義弘叙任、豊臣姓、在京料、小田原征伐
前編1-No.34記事確認度 高

島津家譜義朝伝

『御譜中 義朝伝』。平治元年十二月一日、藤原信頼の挙兵に源義朝が加わり、内裏を固め、三条殿を焼いて信西入道の一類を退治したと記す。恩賞として義朝は播磨守、鎌田正清は兵衛尉となり政家と改名。平清盛が密かに上皇・天皇を六波羅へ移したため形勢が逆転し、十七日の六波羅攻撃で義朝軍は敗走する。龍華越で負傷し歩けなくなった朝長は父に死を請い、義朝が殺したとする。東国へ向かう途中、青墓宿で数百人に襲われるが佐渡式部大夫重成が敵を射殺して退け、自ら腹を十文字に掻き切って死ぬ。義朝は案内人鷲栖光に導かれ尾張国野間内海の長田忠宗邸へ入り、忠宗の勧めで滞在したと記す。

登場人物
源義朝、藤原信頼、信西、鎌田正清(政家)、平清盛、源朝長、佐渡式部大夫重成、鷲栖光、長田忠宗、上皇、天皇ほか
宛先
—
キーワード
御譜中、島津家譜、源義朝、藤原信頼、平治の乱、三条殿、信西、播磨守、鎌田正清、鎌田政家、平清盛、六波羅、源朝長、龍華越、青墓宿、佐渡重成、十文字切腹、鷲栖光、尾張国、野間内海、長田忠宗
前編2-No.1242文書確認度 高

さぬき房等詠草

大覚寺義昭事件に関係する人物らの詠草。義昭らの死、京都への望郷、野辺の煙、花の無常などを詠み、自ら腹に刀を立てた際の歌を含む複数首を収める。

登場人物
さぬき房、治部卿ほか
宛先
—
キーワード
さぬき房、治部卿、詠草、大覚寺義昭、辞世、京都、野辺、花、無常、切腹、和歌
後編2-No.676記事確認度 高

島津久保譜

小田原城の降伏過程を、徳川家康・小早川隆景らの交渉、北条氏政・氏直の処分、城兵の武装解除まで詳述する。 島津久保が豊臣秀吉の本陣で勝利を見届け、諸将への褒賞や軍議にも立ち会ったことを示す、小田原征伐終結の重要記事。

登場人物
島津久保、豊臣秀吉、徳川家康、小早川隆景、石田三成、北条氏政、北条氏直
宛先
—
キーワード
島津久保、豊臣秀吉、徳川家康、小早川隆景、北条氏政、北条氏直、小田原城、降伏、切腹
後編2-No.932文書確認度 高

島津晴蓑遺書

島津歳久(晴蓑)が近習衆へ、自分は病で手足も不自由であり、秀吉に反逆する意図はなかったと弁明する遺書。島津家累代を守るため自分一人が自害すると家臣へ繰り返し伝えたが、家臣が承諾しなかった事情も記す。 病身の当主と従臣との葛藤、処断直前の心情を本人の言葉で伝える重要な史料である。

登場人物
島津歳久(晴蓑)、豊臣秀吉、島津義久、歳久の家臣ら
宛先
近習中
キーワード
島津歳久、晴蓑、遺書、近習中、豊臣秀吉、反逆嫌疑、病気、切腹、家臣、島津家
前編2-No.2355文書確認度 中

伊集院某申状

伊集院民部少輔の切腹後、伊集院某が一族の処遇を願い出た申状。島津忠良・勝久への長年の奉公、伊作方での軍事的働き、家中が困難に陥った事情を具体的に述べ、民部少輔の事件だけで一族全体を処罰せず、過去の功績を考慮して知行・身上を処置するよう求める。

登場人物
伊集院某、伊集院民部少輔、島津忠良(日新公)、島津勝久、伊作方
宛先
—
キーワード
伊集院某申状、伊集院氏、伊集院民部少輔、島津忠良、島津勝久、奉公、家中、恩賞
後編1-No.762記録確認度 高

壱岐賀州年代記

伊東氏内部の変動と合戦を編年的に記し、伊東祐充の死去、福永伊豆守父子の切腹、北郷・北原・肝付・飫肥・新納勢との三俣・高城合戦、伊東武州の生害とその子の謀叛、義祐の日知屋退去、荒武氏らの離反、綾城・守永城の動向を列挙する。

登場人物
伊東祐充、福永伊豆守、北郷氏、北原氏、肝付氏、飫肥氏、新納氏、伊東義祐、伊東武州、荒武氏、稲津三郎右衛門尉
宛先
—
キーワード
壱岐賀州年代記、伊東祐充、伊東義祐、伊東武州、三俣、高城、日知屋、綾城、守永城、謀叛、離反
後編3-No.1366記録確認度 高

神戸休五郎覚書

住吉に残った供衆が田那辺屋道与への相談を検討し、もし公方へ密告すれば道与を討って義弘が切腹すると決めた。道与は義弘の生存を喜び、自宅へ迎えて薩摩まで送ると申し出た。船を持つ塩屋孫右衛門も協力し、逃走用の船を手配した。

登場人物
神戸休五郎、島津義弘(惟新)、田那辺屋道与、塩屋孫右衛門、島津供衆
宛先
該当なし
キーワード
神戸休五郎覚書、島津義弘(惟新)、田那辺屋道与、塩屋孫右衛門、住吉、密告、船手配、薩摩帰還
追録6-No.643諭達旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪諭達書

在国中に行跡を正すよう繰り返し申渡していたが、このごろ度々喧嘩をする者があると聞き、許されないとする諭達。喧嘩・口論の禁止は公義の法令でも明らかであり、短慮で理不尽な行為をする者には成敗と所帯没収を命じる旨を毎朔の条目に載せていたので、親兄弟からも厳しく戒めるべきだと述べる。若気で無益な死傷者が多いことを憂い、人を殺して切腹すれば済むと軽く心得ることを批判する。国恩による生育には忠勤で、父母の大恩には孝養で報いるべきで、自分の身を私有と考えるのは不届きであるとする。無礼・法外の喧嘩の張本を吟味し、不忠不孝の罪人として凡下扱いとし、死亡した場合の死躰の取捨を命じ、親兄弟も吟味して事情の軽重に応じた咎を科す旨を告げる。身分の上下を分けず、理不尽に人を殺せば吟味の上で処分するとする。無礼・法外なことを掛けられてもできる限り堪忍し、放置しがたい場合は事情を言上することを求め、相手には相当の咎、神妙に対処した者には褒美を与えるとする。領国中へ堅く申渡し、その他取り締まりの細目も家老中で相談して処理するよう命じる。明和七年正月の朱注を伴う写で、正文は文庫にあるという。

登場人物
重豪、家老中、与中の若輩・傍輩、親兄弟、父母
宛先
—
キーワード
喧嘩口論禁止、公義法令・毎朔条目、親兄弟戒め、若輩死傷、国恩忠勤・父母孝養、張本吟味・成敗所帯没収、凡下扱い死躰取捨、親兄弟咎、上下無差別吟味、堪忍・事情言上、咎と褒美、領内申渡・家老細目
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 2披露状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伊勢貞昌披露状

伊勢貞昌が御近習中へ、加藤肥後守の処置について詳しく問い入れることを遠慮し、切腹の場合も定められた者が処理するので、御馬廻衆を出して世間を騒がせないよう述べる。相手の衆が来ても屋敷から一人も出ず下知を得ること、雅楽頭・伊井掃部の返書は人数出動を命じる趣旨ではないことを伝える。城受取などの命令がないまま出動せず、一人の切腹に大勢で城を囲むことは後世の嘲りを招くと戒める。

登場人物
伊勢貞昌、加藤肥後守、雅楽頭、伊井掃部
宛先
御近習中
キーワード
伊勢貞昌、加藤肥後守、披露状、人数出動の抑制、御馬廻衆、返書、囲城への戒め
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:188-2覚書/家由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

蒲地伊賀(甫心)家由緒書

蒲地仲右衛門が、祖先蒲地伊賀(甫心)の奉公と家の移動をまとめた由緒書。伊賀は十三歳から日新・島津義久に仕え、高崎大炊助の妹を妻とし、八十三歳で義久の出家に伴って入道を命じられ甫心の名を賜ったという。太閤下向時には泰平寺へ向かう龍伯を追参し、京勢に道を塞がれると切腹を申し出て通手形を得たこと、伊作で大野正右衛門と城役を勤め居所が『甫心が城』と呼ばれたこと、庄内陣後に脇元へ下り、国分移住後は廻の地名を福山へ改めるよう進言して許されたことを記す。嫡子帯刀が龍伯から五十石加増と腰物を拝領し、子孫が鹿児島・国分で番役等を勤め、仲右衛門の代まで国分高に居住した経緯も伝える。

登場人物
蒲地仲右衛門、蒲地伊賀(甫心)、日新、島津義久(龍伯)、高崎大炊助、大野正右衛門、蒲地帯刀、蒲地喜次郎、蒲地四郎左衛門
宛先
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キーワード
蒲地伊賀、甫心、蒲地仲右衛門、日新、島津義久、龍伯、太閤下向、泰平寺、京勢、通手形、甫心が城、庄内陣、脇元、国分、福山改称、蒲地帯刀、五十石加増、腰物拝領
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0141記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

山田聖栄自記

山田聖栄自記が、伊作勝久を介した川野辺との交渉と、年末に鹿児島へ来た久世が御屋形と対面したことを記す。勝久が命を助けるなら川野辺城を与えるよう求めたのに対し、久世は城を明けて切腹すると返答し、福昌寺の太田長老は城を明けることを恥としないよう教訓した。二、三歳の大太郎の扶持、小田原弾正・柳田大膳・長門守らによる説得もあったが、久世は決意を変えなかった。正月十三日、久世が切腹し、侍中太郎・本田伊賀守ら十一人も討死したと記す。剃髪後の存忠という法名、契約を悔いた事情、久豊が南方の通路を断ったことにも触れる。

登場人物
山田聖栄、伊作勝久、島津久世、御屋形、本田伊賀守、大太郎、小田原弾正、柳田大膳、福昌寺太田長老、天辰玄徳庵、安房介、長門守、侍中太郎
宛先
—
キーワード
山田聖栄自記、勝久の仲介、河辺城と命の救助、久世の謝罪と自害の決意、長老の教訓、幼子大太郎、近臣の殉死、存忠、南方の通路遮断