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鹿児島県史料第6集の目録
家・氏族・職掌・人物関係を調べるための補助史料です。試験導入中です。
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394 講堂学頭申渡
文書393で新設された講堂学頭について、御右筆稽古の次の席次、中通の格式、役料米四十俵、四人賦を定め、聖堂方の諸事を担い学問に励んで有用となるよう命じた申渡を収める。安永六年六月十八日付で長崎鉄之丞へ申し渡され、天明元年六月には給米を都合七十五俵へ増し、天明六年十月に助教と改称した。
395 助教格
天明四年五月、脇田仁左衛門貞文へ初めて講堂学頭格を命じ、役料米四十俵を給したことを記す。見出しでは後代の役名を助教格、初名を講堂学頭格とする。
396 御儒者
安永八年十一月に御儒者の役を初めて設け、水間亭八と読める人物を任じた。申渡では役名を御儒者、役格を御近習通とし、四人賦と役料米八石を定める。旧整理で独立項目とされた『御近習通』は、本条では御儒者の格式を示す箇条として扱う。
397 御鷹匠頭見習
安永六年五月に御鷹匠頭見習を初めて設け、宮内源右衛門安富と読める人物を任じた。役料米二十七俵、御右筆稽古の次の役格、四人賦を定め、勤方は本役の御鷹匠頭と同様とし、御用筋を勤め、諸書付に連名するよう命じた。職掌紀原の末尾記事である。
398 島津忠久
島津家元祖の忠久について、三郎、左兵衛尉・左衛門尉・大夫判官・豊後守・従五位下などの称号・官途を掲げ、治承三年の出生から、鶴岡での元服、島津御庄下司職・総地頭職や信濃国塩田庄地頭職などの補任、軍事・奉公、没年・墓所に至る年譜を列記する。御母を丹後局とし、御夫人・子女・御連枝を併載する。頼朝を父とする…
399 島津忠時
島津家二代の忠時について、左兵衛尉・修理亮・大隅守などの官途を掲げ、建仁二年の出生、承久の乱を含む軍事奉仕、所領・地頭職、鎌倉での勤仕、没年・墓所に関する年譜を列記する。さらに御母・御夫人と、忠綱・忠直、三代となる久経、女子二名などの御連枝を掲げ、当主継承と兄弟姉妹・婚姻関係を示す。
400 島津久経
島津家三代の久経について、初名を久時とし、修理亮・下野守などの官途を掲げる。嘉禄元年の出生以後、将軍命令による鎌倉警固などの奉公、没年・墓所を年譜として記す。御母・御夫人に続き、忠継、四代となる忠宗、高久、女子、忠康、忠佐、久時、忠経、久氏まで九人の御連枝を列挙し、当主継承と庶流・婚姻関係を示す。
401 島津忠宗
島津家四代の忠宗について、三郎左衛門尉・下野守・上総介などの官途を掲げ、建長六年の出生、国務・歌道、文保年間の所領給付、正中二年の没年・享年・法名を年譜として記す。御母・御夫人に続き、五代となる貞久、久長、女子一名などの親族関係を掲げる。
402 島津貞久
島津家五代の貞久について、三郎左衛門尉・上総介などの官途を掲げ、文永六年の出生、元弘・建武期以降の合戦・軍事奉仕、所領・守護職、没年・墓所を年譜として記す。御母・御夫人に続く御連枝には、忠氏(和泉)、忠光(佐多)、時久(新納)、資久(樺山)、資忠(北郷)などを列挙し、師久・氏久を含む総州家・奥州家お…
403 島津師久
貞久の子・師久について、幼名・上総介・左衛門尉・大夫判官などの官途を掲げ、正中二年の出生、兄宗久の早世後に薩摩・大隅・日向三国の守護職・庄園を氏久と分掌したことを総州家の起点として記す。永和二年の没年・墓所、御母・御夫人を載せ、続く御連枝欄では頼久・宗久・光久・氏忠・女子三名など貞久の子女を列挙する…
404 島津氏久
島津家六代の氏久について、又三郎・越後守などの通称・官途と奥州家の注記を掲げ、嘉暦三年の出生、大隅守護職、居城・志布志への移動、筑前金隈などでの合戦、没年・墓所を年譜として記す。御母を梅林夫人、御夫人を敬外夫人とし、次代の元久へ続く。既存人物整理にある上総介・左衛門尉・大夫判官等は直前の師久条との混…
405 島津元久
島津家七代の元久について、又三郎・陸奥守を掲げ、貞治二年の出生、志布志から鹿児島本城への移動、家督・軍事奉仕、福昌寺建立、上京と将軍義持への奉仕、応永十八年の没年・墓所を年譜として記す。御母を敬外夫人、御夫人を久山妙染大姉とし、守邦、女子七人、伊作四郎左衛門尉勝久室、アヒルと読める人物などの子女を冊…
406 島津久豊
島津家八代の久豊について、南殿・次郎三郎・陸奥介・修理亮などの称号・官途を掲げ、永和元年乙卯の出生、元久の二男守邦が出家したため元久没後の応永十八年に家督を継いだこと、応永三十二年乙巳の没年・享年・法名を記す。御夫人を佐多忠光の娘、後御夫人を寿山妙久大姉とする記載と、伊集院頼久室となった女子などの御…
407 島津忠国
島津家九代の忠国について、初名貴久・虎寿丸・又三郎・修理大夫を掲げ、応永十年の出生、将軍足利義教への奉公、伊集院氏との争いと永徳寺での首実検に関する記事、文明二年の没年・享年・墓所を記す。御母を伊東大和守祐安の娘とされる寿山夫人、御夫人を新納近江守忠臣の娘・心安開安大姉とし、次代立久へ続く。
408 島津立久
島津家十代の立久について、安房丸・又三郎・修理亮を掲げ、永享四年の出生、文明六年の没年・享年・法名を記す。御母・御夫人に続く御連枝欄は冊子74頁下段から75頁上段へまたがり、友久・久逸・勝久・忠経・桂山守棟・忠弘・頼久、僧、女子らを列挙する。既存人物関係台帳では、この御連枝列の多くを忠国の子、すなわ…
409 島津忠昌
島津家十一代の忠昌について、初名武久・安房丸・又三郎・修理進を掲げ、寛正四年五月三日の出生、文明六年の元服、永正五年二月十五日夜半に鹿児島清水寺で自害したことと享年・法名を記す。御母を梶原弘純の娘・茂山夫人、御夫人を大友政親の娘・天真妙香大姉とし、奈良原助八の殉死を付記する。
410 島津忠治
島津家十二代の忠治について、安房丸・又三郎・修理進を掲げ、延徳元年正月十七日の出生、文亀三年の元服、永正十二年八月二十五日の死去と享年二十七・法名を記す。御母を大友政親の娘・天真妙香大姉、御夫人を伊東大和守祐某の娘とする。末尾には寛政元年の調査に触れ、旧系譜・諸大名由緒書では法名・没年月が不詳であっ…
411 島津忠隆
島津家十三代の忠隆について、百房丸・又六郎を掲げ、明応六年八月十四日の出生、兄忠治の早世により永正十二年に守護職を継いだこと、永正十六年四月四日に病没したことと享年二十三・法名を記す。御母は大友豊前守政親の娘である天真夫人とする。
412 島津勝久・島津忠良
前半は島津家十四代勝久について、初名忠兼、宮房丸・又八郎、修理大夫・陸奥守を掲げ、文亀三年の出生、頴娃氏の猶子となったのち両兄の早世で守護職を継いだこと、大永・享禄・天文年間の改名・政争・鹿児島出退などを記す。後半は伊作又四郎善久の子・忠良について、父の早世と相模守運久の猶子となった経緯、伊作・田布…
413 島津貴久
島津家十五代の貴久について、虎寿丸・又三郎、左衛門尉・修理大夫・従五位下・陸奥守・侍従を掲げ、永正十一年五月五日の出生、大永六年に勝久の命で鹿児島へ出て元服したこと、以後の家督・軍事・居所に関する年譜、天文十九年の伊集院から鹿児島への移住、永禄七年の陸奥守任官、元亀二年の死去を記す。御母寛庭夫人・御…
414 島津義久
島津家十六代の義久について、初名忠良・義辰、虎寿丸・又三郎、三郎左衛門尉・修理大夫などの改名・官位官途を掲げ、天文二年の出生、元服と将軍義輝からの賜諱、永禄七年以後の叙任、義弘を守護代として国事を掌らせたこと、豊臣秀吉・秀長との交渉と降伏後の処遇、文禄四年の富隈移住、慶長九年の国分移住、慶長十六年の…
415 島津義弘
島津家十七代の義弘について、初名忠平・義珍、又四郎・兵庫頭、従五位下・侍従・従四位下・参議、惟新の号を掲げ、天文四年七月二十三日に伊作で生まれたこと、飯野・栗野などを拠点とする軍歴、豊臣政権下の叙任、関ヶ原合戦からの帰還、慶長十二年冬の帖佐から加治木への移住、元和五年七月二十一日の死去と享年八十五・…
416 島津家久(忠恒)
島津家十八代の家久(初名忠恒)について、米菊丸・又八郎、陸奥守・中将・宰相・正四位下少将などを掲げ、天正四年の出生、元服・改名・叙任、義弘からの家督継承、鹿児島城を本拠としたこと、寛永十五年に鹿児島城で死去したことと享年・法名を記す。御母実窓夫人、御夫人で義久の娘にあたる島津亀寿、久保・万千代丸・忠…
417 島津光久
島津家十九代の光久について、初名忠元、虎寿丸・又三郎、薩摩守・大隅守・侍従・左近衛少将・中将などを掲げ、元和二年の出生、寛永元年の元服、寛永八年の将軍家光による賜諱と叙任、寛永十五年の襲封、貞享四年の綱貴への譲封、元禄七年の鹿児島での死去と法名を記す。御母心応夫人、御夫人曹源夫人・真修院殿に続き、冊…
418 島津綱貴
島津家二十代の綱貴について、初名延久、虎寿丸・又三郎、修理大夫・薩摩守・侍従・左近衛少将・中将などを掲げ、慶安三年の出生、明暦四年の元服、寛文七年に将軍家綱から一字と松平称号を賜ったこと、父綱久の早世により祖父光久から貞享四年に封を譲られたこと、元禄元年の初帰国、宝永元年に江戸芝邸で没して福昌寺へ帰…
419 島津吉貴
島津家二十一代の吉貴について、初名忠竹、菊三郎・又三郎、修理大夫・薩摩守・上総介・左近衛少将・中将などを掲げ、延宝三年の出生、天和三年の元服、元禄二年に将軍綱吉から一字を賜って吉貴と称したこと、宝永元年の襲封、享保六年の継豊への譲封、享保十七年の剃髪、延享四年の大磯館での死去と法名を記す。御母・御夫…
420 島津継豊
島津家二十二代の継豊について、初名忠休、鍋三郎・又三郎、大隅守・左近衛少将・中将を掲げ、元禄十四年の出生、正徳五年に将軍家継から一字と松平称号を賜ったこと、享保六年の襲封、享保十四年の竹姫との婚姻、享保二十年の帰国、宝暦十年の鹿児島での死去を記す。御母・御夫人、宗信・重年を含む御連枝・子女の生没・婚…
421 島津宗信
島津家二十三代の宗信について、初名忠顕、益之助・又三郎、薩摩守・侍従・左近衛少将・中将を掲げ、享保十三年に芝邸で出生して竹姫の養子となったこと、元文元年の元服、元文四年に将軍吉宗から一字と松平称号を賜ったこと、延享三年の襲封、寛延二年に鹿児島で二十二歳にて没したことと法名を記す。御母・御夫人・御連枝…
422 島津重年
島津家二十四代の重年について、初名久門、善次郎・兵庫・薩摩守・左近衛少将を掲げ、享保十四年の出生、加治木島津家の久季の後嗣となったのち兄宗信の無嗣により宗家へ戻ったこと、寛延二年の襲封、将軍家重からの賜諱、宝暦三年に命じられた美濃・伊勢・尾張の川普請、宝暦五年に江戸芝邸で二十七歳にて没したことを記す…
423 島津重豪
島津家二十五代の重豪について、初名久方・忠洪、善次郎・兵庫・薩摩守・上総介・左近衛少将・中将を掲げ、延享二年の出生、宝暦三年の元服、重年の世子となったこと、宝暦五年の襲封、宝暦八年に将軍家重から一字を賜って重豪と称したこと、官位昇進、天明四年の江戸城内での席次・賀儀待遇、天明七年の隠居を記す。御母・…
424 島津斉宣
島津家二十六代の斉宣について、初名忠尭、虎寿丸・又三郎、豊後守・薩摩守・修理大夫・侍従・左近衛少将・中将を掲げ、安永二年の出生、天明四年の元服、天明六年に将軍家斉から一字を賜って斉宣と称したこと、天明七年の襲封、官位昇進、文化六年の隠居を記す。御母・御夫人に続き、斉興および多数の男女の生没・婚姻先・…
425 島津斉興
島津家二十七代の斉興について、初名忠温、虎寿丸・又三郎、豊後守・侍従・左近衛少将を掲げ、寛政元年の出生、享和二年の元服、文化元年の将軍家斉への初謁と賜諱、文化六年の襲封・左近衛少将転任を記す。御母・御夫人に続き、斉彬・久光を含む御連枝・子女の生没・婚姻記事を掲げ、末尾に原書の書入れ・筆者等に関する冊…