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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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637 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録6-No.1179達書旧記雑録暫定版確認度 高

登城令書―御目見を許された家来二人の同行

家来二人に御目見を仰せ付けられたので、その二人を召し連れて罷り出るよう命じる。朱には安永三年とあるが、本文に月日や署名・宛書はない。前の奉書と同じ出典を示す仝上の記載を伴う。

登場人物
御目見を許された家来二人、登城する者(独立署宛なし)
宛先
家来二人を召し連れて罷出る者(独立宛書なし)
キーワード
家来弐人、御目見被仰付、召連可被罷出、安永三年朱、月日なし
前編2-No.2215記事確認度 高

殉国名藪

天文三年四月三日、執印三郎次郎公友が久體橋で戦死したこと、二十九歳で、同時に主従十二人が戦死したことを記す。

登場人物
執印三郎次郎公友、主従十二人
宛先
—
キーワード
殉国名藪、執印公友、久體橋、戦死、主従十二人、天文三年
後編3-No.89文書確認度 高

島津竜伯書状

龍伯(島津義久)が忠恒へ、在番支援の人員を渡海させる準備をしていたが、京都から忠恒を帰朝させ渡海衆を召し留めるよう命令が来たため従うと伝える。現地事情を聞くため使者二人を派遣し、帰帆決定時の事前注進を求めた。また和泉で大松三百本を船元まで運び、作業後に上洛する予定も知らせた書状。

登場人物
龍伯(島津義久)、島津又八郎(忠恒)、京都、渡海衆、使者二人、和泉
宛先
島津又八郎殿
キーワード
島津義久、島津忠恒、在番、支援人員、京都、帰朝命令、渡海衆召留め、使者二人、帰帆、和泉、大松三百本、船元、上洛
後編3-No.398文書確認度 高

島津忠恒過所

島津忠恒が船改御奉行へ発給した過所。薩摩船一艘に、船頭半左衛門、中乗八十二人、加子十二人、てるま・かくせい三十四人、合計百二十九人を乗せて帰朝させるため、支障なく通行させるよう命じる。

登場人物
島津忠恒(又八郎)、船頭半左衛門、中乗八十二人、加子十二人、てるま・かくせい三十四人、船改御奉行
宛先
船改御奉行中
キーワード
島津忠恒過所、島津忠恒、薩摩船、船頭半左衛門、中乗八十二人、加子十二人、てるま、かくせい、百二十九人、帰朝、船改御奉行、通行許可
後編5-No.832文書確認度 中

島津家久書状

島津家久が弾正殿の母へ、相次いだ夫妻の死で二人の子が両親を失った悲しみを述べ、西行の歌を引きながら世の無常を説き、嘆きを鎮めるよう勧めた仮名の弔慰書状。自身の帰国時期にも触れる。

登場人物
島津家久、島津久慶、島津久慶の母、喜入忠高夫妻、遺児二人
宛先
弾正殿の母
キーワード
島津家久、島津久慶母、喜入忠高夫妻、遺児二人、弔慰、西行、無常、帰国、仮名書状
後編3-No.435文書確認度 高

島津忠恒家久過所

島津忠恒(又八郎)が船改奉行に、四枚帆の薩摩船について、船頭大左衛門尉・中乗七人・加子四人・朝鮮人二人の合計十四人を乗せて帰朝させるので、支障なく通すよう命じた過所。

登場人物
島津忠恒(又八郎)、船頭大左衛門尉、中乗七人、加子四人、朝鮮人二人、船改奉行
宛先
船改御奉行中
キーワード
島津忠恒家久過所、島津忠恒、又八郎、船改奉行、薩摩船、四枚帆、船頭大左衛門尉、中乗、加子、朝鮮人、十四人、帰朝、通行許可
後編3-No.612記事確認度 高

島津家久譜

島津家久譜が、慶長三年十二月六日に対馬を出帆して壱岐勝本へ着き、翌日迫門で松浦法印刑部卿の盛大な饗応を受けた帰航経路を記す。あわせて、朝鮮で前代未聞の怯弱を示した深野掃部兵衛・長崎六郎左衛門を軍勢の前で処刑し、鮫島筑右衛門尉が深野の首を斬ったこと、深野の息子二人は死罪を免じて帰国させたことを記す。

登場人物
島津家久(忠恒)、松浦法印刑部卿、深野掃部兵衛、長崎六郎左衛門、鮫島筑右衛門尉、深野掃部兵衛の息子二人
宛先
—
キーワード
島津家久譜、対馬出帆、壱岐勝本、迫門、松浦法印饗応、軍律処分、怯弱、深野掃部兵衛、長崎六郎左衛門、鮫島筑右衛門尉、息子赦免
後編3-No.831文書確認度 高

島津義久書状案

島津義久が神龍院に、長年望んでいた神道伝授のため当地の社家二人を上京させ、滞りなく伝授を受けたことを国家のためにも喜ぶ。神龍院が懇切に尽力したと聞き、礼状を送り、二位殿へ生糸三斤、左兵衛殿へ同種の品を取り次ぐよう頼み、神龍院にも軽少の品を贈る。

登場人物
島津義久、神龍院、二位殿、左兵衛殿、社家二人
宛先
神龍院
キーワード
島津義久書状案、島津義久、神龍院、二位殿、左兵衛殿、社家、神道伝授、上京、謝礼、生糸、贈答、慶長四年八月二日
後編4-No.132文書確認度 高

山口直友書状

山口直友が島津忠恒(奥州様)に、南部酒二樽を進上するとともに、平戸へ琉球船が寄港した件について差し上げられた使節二人から御書と口上の趣旨を承り、忠恒の内意どおり使者を本多上野介(正純)のもとへ派遣して関東へ伝えたと報告した書状。上意を受けた後に返事があるはずなので、改めて申し上げるとする。また、石船が忠恒の配慮によりようやく出来上がりつつあることを喜び、引き続き油断なく進めるよう求める。忠恒から贈られた経筒形の花入への謝意を述べ、詳しくは使節二人と相談したため細筆を省くとする。

登場人物
山口直友、島津忠恒(奥州様)、本多正純(上野介)、琉球使節二人
宛先
島津忠恒(奥州様)
キーワード
山口直友、島津忠恒、奥州様、南部酒、平戸、琉球船、寄港、琉球使節、御書、口上、本多正純、上野介、関東、上意、返事、石船、建造、経筒形花入、贈答
附録1-No.100文書確認度 中

伊集院忠棟書状

伊集院忠棟が、重久名を共同で持ち合うため問題が容易に決着しないことを述べた書状。各所で難しい事態が生じた際は、関係する二人が相談して処理するよう求め、まず当面はその方針とし、後日あらためて協議すると伝える。

登場人物
伊集院忠棟、関係者二人
宛先
(宛所記載なし)
キーワード
伊集院忠棟、重久名、持合、相論、談合、共同処理、後日協議
附録1-No.106文書確認度 高

本田親貞書状

本田親貞が、公儀の用務に関する人員招集と家名帳の作成を蒲地伊賀入道へ命じた書状。公儀の許可なく上洛することを禁じ、蒲地本人または所衆二人を今月二十四日までに出頭させること、二十石以下の者は敬称を除いて家名を帳面に記すことを求める。

登場人物
本田親貞、蒲地伊賀入道、所衆二人、二十石以下の衆
宛先
蒲地伊賀入道殿
キーワード
本田親貞、蒲地伊賀入道、公儀、上洛、所衆、二十石、家名、帳面、出頭
附録1-No.134文書確認度 高

片山重次書状

片山重次が、城中で初めて対面した指宿内蔵助の戦功を称賛した書状。指宿が敵二人の首を切り捨てた手柄は比類なく、自身も敵一人を切り捨てたものの首を取らなかったことを悔やむと述べ、薩州衆の前日の働きも報告する。

登場人物
片山重次、指宿内蔵助、薩州衆、敵二人
宛先
指宿内蔵助様人々御中
キーワード
片山重次、指宿内蔵助、薩州衆、城中、戦功、敵、首、手柄、合戦
附録1-No.996文書確認度 高

島津龍伯書状

島津龍伯が加藤主計頭へ、京都から仰せ付けられた巣鷹を運ぶ通路について度々申し入れても承諾がないため、阿蘇方面へ通す二人の使者と僧の道中に支障がないよう取り計らうことを頼み、近隣同士として今後も用向きを伝え合いたいと述べた書状。

登場人物
島津龍伯、加藤主計頭、阿蘇表の使者二人
宛先
加藤主計頭殿・参
キーワード
島津龍伯、加藤主計頭、京都、巣鷹、阿蘇、使者、僧、通路、四月十七日
附録1-No.1007文書確認度 高

新納忠元・肝付兼盛連署書状

新納忠元・肝付兼盛が勝軍坊へ、弓箭をめぐって長く音信が途絶えたことを不審とし、内村八兵衛尉の子二人が召し越され押し置かれた件について、相当の人質を留めるなどして返還・調停するよう求め、島津義久の意向に沿うことを願った連署書状。

登場人物
新納忠元、肝付兼盛、勝軍坊、内村八兵衛尉の子二人
宛先
勝軍坊・御同宿所
キーワード
新納忠元、肝付兼盛、勝軍坊、内村八兵衛尉、弓箭、人質、返還、調停、九月三日
附録2-No.290文書確認度 高

島津惟新書状

江戸へ向かう女房衆二人と犬二疋に持たせる守札を祈念して翌朝までに用意するよう頼み、焼き直した肩衝茶入を恒常の茶入として贈った。あわせて塔の仕様や国元の絵書の奉公について伝えた案文。

登場人物
島津惟新、霧島山座主、萱岐清左衛門、女房衆二人
宛先
霧島山座主御房御同宿中
キーワード
島津惟新、霧島山座主、女房衆、江戸下向、犬二疋、守札、祈祷、肩衝茶入、塔、萱岐清左衛門
追録4-No.1951届書旧記雑録暫定版確認度 中

京泊唐船難破と乗員六十二人の救護届

継豊は、薩摩国水引村京泊に唐船が漂着し、荒天で岸近くの砂瀬に乗り上げて破損したと届けた。乗員六十二人のうち六十一人を救助し、一人は溺死した。生存者に食事と住まいを与え、警固を付けて荷物と船を調べた。船を修理して長崎へ送れるか見極め、使えなければ別船で乗員・荷物を長崎へ移す方針を記す。

登場人物
島津継豊、唐人六十二人
宛先
幕府
キーワード
継豊、水引村、京泊、唐船、難破、六十二人、救助六十一人、溺死一人、砂瀬、修理、長崎
追録5-No.1496通知旧記雑録暫定版確認度 高

家来二人御目見申渡(記事)

家来二人に御目見を仰せ付けられたので、召し連れて出るよう通知する短い申渡。目録には独立項目がなく、原本では七月二十七日付の重年宛登城令書に続いて番号1496を付す。家来は二人と明記されるが、氏名・役職・御目見の相手は本文には記されない。独立した日付・署名・宛名はなく、前文の翌二十八日登城と関連するとみられる。二人の実名はこの史料だけでは確定できない。御目見はこれから実施する予定である。

登場人物
家来二人(実名・役職不記)
宛先
重年側(前の登城令書に続く文面)
キーワード
家来二人、御目見、召連、登城令書続文
追録6-No.1047申渡書旧記雑録暫定版確認度 中

島津仲申渡―一門登城時の刀扱い・刀番二人と殿中作法

御一門が登城する際、敷舞臺入口の杉戸辺までは刀を帯び、表坊主が刀を受け取る。家老座へ通る場合は刀を座まで持ち、御近習へ通る時には鳴子之間で表御小姓へ渡す等の扱いを記す。刀番は以前から二人で勤めていたが、刀を坊主が取る際には刀番の仕向けがないので、二人を連ねて召し、一人は城内を先行し、一人は脇に付いて来るよう示す。刀は高欄や上板敷に置かず控えること、取り次ぎの用事で刀持ちが内へ入ってしまわないよう心得ることを求める。御一門方に殿中その他で諸人が参集する際は、差し控えるか殿勤めで平伏する扱いを指示し、寺方もこの二ヶ条に準じるとする。本丸前通りで御一門方の先供が立つことは差し支えなく、「鎚ハ伏セ」とする付記がある。末尾は安永二年巳五月二十日、嶋津仲。刀の取次場所、刀番二人の役割、参集時の作法と先供の扱いを記した申渡。

登場人物
嶋津仲(島津久健)、御一門、表坊主、表御小姓、御近習、刀番二人、寺方、参集する人々
宛先
独立宛書なし
キーワード
登城時の刀取次、刀番二人、置き場禁止、殿中参集の作法、寺方・先供
追録6-No.1387達書旧記雑録暫定版確認度 高

家来二人の御目見と召連を許す登城令書

家来二人に御目見を仰せ付けるので、召し連れて出るよう命じる短文。正文在文庫と記すが、この短文自身には独立した日付・署名・宛名は記さない。二人という当初の許可人数を保ち、当日病気で一人欠けた結果とは分ける。重豪自身が差し出した書状とはせず、前の三老中連署書状の署宛をこの短文の署名として転記しない。

登場人物
家来二人、松平薩摩守(前後の文脈)
宛先
独立宛名記載なし(薩摩守への指示の文脈)
キーワード
家来二人、御目見仰付、召連罷出、登城令書
追録6-No.1539達書旧記雑録暫定版確認度 高

家来二人の御目見に伴う召連れの指図

家来二人の御目見を命じるので、召し連れて罷り出るよう指示する短文。家来の名、独立した日付・差出人・宛所はない。直前の明朔日五時登城・参勤礼の指図と関連する位置にあるが、その日付や五つの差出欄をこの短文の独立署記として転記しない。二人という人数を保持し、後の御譜に載る実際の同行家老の記事とは指図と経過を分ける。

登場人物
家来二人(無名)
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
家来二人御目見、召連れ罷出指図、独立署日宛なし
追録6-No.2077達書旧記雑録暫定版確認度 中

家来二人の御目見と同伴登城を命じる

家来二人に御目見を仰せ付けるので、二人を召し連れて登城するよう命じる。本文に年月日は記されず、目録では天明四年二月十四日の登城令書として掲げられる。

登場人物
松平薩摩守(島津重豪)、家来二人
宛先
松平薩摩守
キーワード
家来二人、御目見、召連、登城
前編2-No.1912文書確認度 高

霧島社造立趣意書

山川郷に霧島御社一宇を造立する趣意と息災延命の祈願を記し、大檀那伴兼憲・大工助兵衛尉元吉らの名を列記した文書。

登場人物
伴兼憲、大工助兵衛尉元吉、鍛冶孫兵衛尉、小工二人
宛先
—
キーワード
霧島社、山川郷、造立、伴兼憲、助兵衛尉元吉、息災延命、趣意書、永正十六年
附録1-No.117文書確認度 中

五代友喜書状

五代友喜が、受け取った写しと条書の内容について本田助允へ回答した書状。写しはひとまず預かって比志島殿へ伝えるとし、本田正親に関わる条書の相違や、書状中の両舌・置目違反について、項目ごとの条書を作成して送るよう求める。

登場人物
五代友喜、本田助允、比志島殿、本田正親、関係者二人
宛先
本田助允殿御報
キーワード
五代友喜、本田助允、比志島殿、本田正親、写し、条書、両舌、置目、相違
追録4-No.1810漂流記録旧記雑録暫定版確認度 中

諏訪瀬島船乗組員の難破・舟山漂着から長崎帰還までの証言

大脇為貞が聞き取った漂流者の証言。琉球八重山からの帰途、寛保元年七月の暴風で本船が沈み、一人が溺死、二十人が小舟で清国舟山へ漂着した。現地で食糧や宿を与えられ、寧波・杭州・紹興を経て乍浦に移り、翌年五月十日に出帆、二十日に長崎へ着いた。二人の琉球人は清国で日本人の装いと名を用いたと記す。

登場人物
仲五郎、侍兵衛、琉球人二人、大脇為貞、清国役人
宛先
頴娃内膳・鎌田太郎右衛門
キーワード
諏訪瀬島船、八重山、暴風、溺死一人、漂流者二十人、舟山、寧波、杭州、紹興、乍浦、長崎、琉球人二人
追録4-No.1890書状旧記雑録暫定版確認度 中

中山王尚敬の諏訪瀬島船琉球水主帰還謝礼

中山王尚敬は、那覇の百姓二人が諏訪瀬島船に雇われ八重山へ渡り、帰帆中に船とともに唐へ漂着した経過を述べる。二人は前年五月に長崎へ送られ、吟味の後に不問とされて琉球へ戻された。尚敬は幕府の威光によって無事に帰還できたことへの謝意を老中へ伝え、将軍への披露を頼んだ。

登場人物
中山王尚敬、琉球水主二人
宛先
幕府老中
キーワード
中山王尚敬、那覇百姓二人、諏訪瀬島船、雇水主、八重山、唐国漂着、長崎、帰還、謝礼、幕府老中
追録6-No.88達書旧記雑録暫定版確認度 高

登城令書

家来二人の御目見を仰せ付けられたので、召し連れて出るよう命じる登城令書。出典注は正文在文庫。本文には年日・差出人の署名・宛名・家来二人の実名を記さない。

登場人物
家来二人、家来を召し連れる者(実名記載なし)
宛先
—
キーワード
家来二人、御目見、召連れ、登城令書
追録6-No.158書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久金・高橋種寿連署状

髙橋此面・嶋津左中の連署状。官位の口宣・宣旨を受領する使者高橋七郎右衛門が京都へ行き、禁裏への献上物や脇への贈物等を先規どおり済ませ、口宣・宣旨を滞りなく受け渡し、去る十一日に当地へ帰着したと報告する。その後の口宣・宣旨・女房奉書二所への伝達等を尋ねる。長く当地に置くと火事等が心配なので、口宣・宣旨は先の差越し方と同様に送るよう命じられ、新納市右衛門・橋口助左衛門が宰領し、足軽二人を付けて、一昨十九日に差し立てた。到着後は先例どおり道中静渡の扱いで記録所へ納め、内箱を左中切封で送り、詳しいことは国元の記録奉行から同役へ照会させると伝える。正月廿一日付、年は朱注明和二年。出典注は全上・扣正文在家老座。

登場人物
髙橋此面種寿、嶋津左中久金、嶋津山城久定、樺山左京久智、菱刈藤馬実恵、嶋津主鈴久郷、高橋七郎右衛門種央、新納市右衛門、橋口助左衛門、足軽二人、記録奉行
宛先
嶋津山城殿、樺山左京殿、菱刈藤馬殿、嶋津主鈴殿
キーワード
正月廿一日、口宣宣旨受領、高橋七郎右衛門、京都、禁裏献上、脇贈物、先規、十一日帰着、女房奉書二所、火事懸念、一昨十九日差立、新納市右衛門、橋口助左衛門、足軽二人、宰領、道中静渡、記録所納置、内箱左中切封、記録奉行照会
追録6-No.181-43報告書旧記雑録暫定版確認度 高

東郷実孝(留守居)首尾書

東郷源五が、日光へ差し遣わす留守居付橋口与三次と外番足軽二人の出立・道中賦銀を申し出る。本使が四月十一日に当御地を出立する予定のため、与三次と足軽を九日に先発させたいとする。道中往来の賦銀等は、先年、本使出立の二日前から渡すよう命じられており、その例に従うよう願う。四月一日の朱書は、このとおり九日に差し立てる旨を源五と首尾懸へ伝え、取次を岩下佐次右衛門と記す。四月八日の朱書では、日光使者を島津左中に命じていたが、留守詰家老の島津主鈴が未着で、御暇・御給の時期が迫れば差支えがあるため、高橋此面を差し遣わす旨が内々に命じられたとする。十一日の出立は整い難く十二日出立となるため、与三次も十日に差し立てる旨を申し渡したと記す。正文の本使十一日・先行者九日と、後日の朱書の本使十二日・先行者十日を分けて示す。

登場人物
東郷実孝(源五)、橋口与三次、外番足軽二人、島津久金(左中)、高橋種寿(此面同)、島津主鈴、岩下佐次右衛門
宛先
—
キーワード
日光使者、橋口与三次、外番足軽二人、先発、道中往来、賦銀、二日前、四月一日、四月八日、代使、高橋此面、島津主鈴未着
追録6-No.181-50書上旧記雑録暫定版確認度 中

日光山法会使者人数書

酉四月十一日付で、日光へ差し立てる留守居・献納物宰領と随行人数を記す。留守居東郷源五は上下十二人、御献納物宰領津留五右衛門は上下三人とし、続けて足軽二人を掲げる。末尾は、右の者を今日差し立て、日光へ差し遣わすと記す。正文の月日は四月十一日であるが、目録では四月十日とされ、日付が一致していない。

登場人物
東郷実孝(源五・留守居)、津留五右衛門(御献納物宰領)、足軽二人
宛先
—
キーワード
日光法会、留守居、東郷源五、上下十二人、御献納物宰領、津留五右衛門、上下三人、足軽二人、今日差立、正文四月十一日、目録四月十日
追録5-No.2717幕府登城追加指示旧記雑録暫定版確認度 要

登城令書

家来二人も御目見を仰せ付けられたので、召し連れて登城するよう伝える。

登場人物
家来二人(個人名不記)
宛先
記載なし(独立宛名なし)
キーワード
家来二人御目見仰付、召連登城指図、日付署宛不記
追録6-No.298達書旧記雑録暫定版確認度 高

登城令書

家来二人に御目見を命じたので、召し連れて出るよう指図する令書。本文には家来二人とだけ記され、個人名・日付・発給者の署名・正式宛所はない。参勤御礼の登城指図と、家来の病欠を届ける文書の間に収められる。出典は「全上」とされる。

登場人物
家来二人(名記載なし)
宛先
—
キーワード
家来二人、御目見、召連、登城指図
追録6-No.299届書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪届書

松平薩摩守が、今日の参勤御礼に家来二人を召し連れて出るよう命じられたところ、高橋此面が今暁から病気を発し、登城できない旨を届ける。四月廿二日付で、年は朱注の明和三年による。松平薩摩守の署を備える。朱注には、この届書を両御丸の老中に各一通差し出したと記される。写正文は文庫にあると注記する。

登場人物
松平薩摩守(島津重豪)、高橋此面(関連記録では種寿)、家来二人、両御丸の老中
宛先
両御丸の御老中(朱注に記された提出先)
キーワード
参勤御礼、家来二人、高橋此面、今暁病気、登城不能、両御丸老中、各一通
追録6-No.450式次第旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪参勤首途規式次第

十二月十九日の首途式について、対面所から出て城下吉野橋筋を行列し、請笠・竪笠・鉄炮二挺・弓台二肩・旗竿・鎧一領・道具四本を伴い、四時に諏方へ参詣する次第を定める。山伏金藏院が先に控えて海陸の安全を祈り、安養院が供し、祇園前から召船に乗る。供の家老は羽織袴で乗馬、用人以下は駕籠廻りを勤め、馬廻新番・歩行・筆者・小役人も羽織袴とする。用人以上は長柄の手鎗を持ち、馬廻新番は持たない。諏方社の御膝着青銅百足、諏方・祇園両社の神楽料青銅各六十足、安養院からの盛塩と三献を記す。供の御側小姓は二人で一人を御名字下から勤めさせ、安養院へ先に入る。住持の一束一本進上と御目見、奏者番の麻上下・進物番の羽織袴、安養院への引次拝領青銅百足、大乘院坊中が取り次ぐ五ヶ寺の御目見を定める。吸物・挾肴・盃・銚子・茶の供し方、安養院への吸物等の拝領青銅二十足も記す。終えて祇園へ参詣し、伊集院覚左衛門屋敷前を通って召船に乗る。家老・用人には小早を各一艘渡し、築地御普請方脇の波戸で着船、江戸橋金藏前・御蔵下辻番脇筋から帰館する。その他の供は上築地通・琉球假屋前新橋・御普請方前小路で控えて帰館の供を勤め、町田源左衛門屋敷角から清水馬場筋への繰入れも指示する。帰館後は本丸で御處斗・茶・吸物・銚子・御差味・平皿・菓子等を供し、供の諸役にも酒を下す。出御・帰館とも役を平日どおり勤め、近習番所で祝儀を申し上げる。担当役と供の面々へ伝達・申渡しを命じる。伊織・仲の署に諱注、関山新左衛門の取次記載を備える。年は明和四年朱注、本文は十二月、末尾に亥十二月十六日の朱注がある。扣正文は家老座にある。

登場人物
島津重豪、伊織(川田国福注)、仲(島津久健注)、取次関山新左衛門、山伏金藏院、安養院住持、大乘院坊中、供の家老・用人・使番・馬廻新番・歩行・筆者・小役人、御側小姓二人、奏者番・進物番、近習役・納戸奉行
宛先
担当御役・御供の面々(本文の伝達・申渡先)
キーワード
首途式次第、吉野橋筋、諏方四時参詣、金藏院海陸安全祈願、祇園乗船、鉄炮二挺・弓台二肩・鎧一領・道具四本、役職別羽織袴と手鎗、青銅百足・両社各六十足・安養院百足/二十足、小姓二人、住持一束一本、五ヶ寺御目見、家老用人小早各一艘、帰館本丸饗膳、銚子二篇(原語)、祝儀・役人伝達
追録6-No.463記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、御鷹の鶴拝領

前年十二月十九日、大樹家治公が宿次奉書をもって御鷹之鶴一隻を賜った件を記す。康福が家臣中村與太夫種曉へ鶴と奉書等を託し、新番本田甚右衛門親香・汾陽茂右衛門盛庸に歩行士二人・足軽六人を添えて薩府へ送った。親香・盛庸はその夜芝邸を発ち、東海・山陽・西海を経て、明和五年正月十八日に薩府へ到着し、重豪は対面所へ出迎えて賜りを受けた。同日、馬廻本田助之丞親就・新番平田孫次郎位勝に足軽六人を添え、拝復の書と宿次証文を江府へ送らせ、別に謝恩使入來院大和定救も鹿児島を発った。親就らは定救に先立ち二月十三日に江府へ着き、阿部正右宅へ書を呈し宿次証文を返した。定救は西海・山陽・東海を経て同月十九日に芝邸へ到着、二十一日に正右宅で旨を伝え連署等を呈した。三月朔日に召されて登営し、白書院で先例の品物を礼使として献じ家治公に御目見、さらに献物を上げ台顔を拝し、西営檜の間で勝清にも献物を奉って退出した。五日に再び登城すると、檜の間へ出た輝高から奉書を受け、将軍家から巻物を賜った。同日勝清宅へもその奉書を託した。事を先格どおりに勤め、芝邸へ戻って復命する。命があって定救は江府に留滞し、九月十五日に芝邸を発ち、十一月十四日に薩府へ帰着した。

登場人物
重豪、大樹家治公、松平周防守康福、中村與太夫種曉、本田甚右衛門親香・汾陽茂右衛門盛庸(鶴輸送)、歩行士二人・足軽六人(輸送付員)、本田助之丞親就・平田孫次郎位勝・足軽六人(返書証文)、入來院大和定救(謝恩使)、阿部伊豫守正右、板倉佐渡守勝清、松平右京大夫輝高
宛先
—
キーワード
前年十二月十九日鶴一隻下賜、康福から中村へ委託、親香・盛庸輸送、歩行士二人/足軽六人、正月十八日薩府到着拝受、親就・位勝返書証文/足軽六人、定救謝恩使、二月十三日返書/十九日定救芝着/二十一日正右宅、三月朔日礼使御目見/五日奉書・巻物、九月十五日芝発/十一月十四日薩府帰着
追録6-No.504達書旧記雑録暫定版確認度 高

登城令書

家来二人に御目見を仰せ付けたため、召し連れて出頭するよう命じる。年は明和五年の朱注で、月日・差出人・宛所・家来の実名は本文に記されない。目録は登城令書とする。御目見を命じられた家来二人を同行させる指示であり、実際の出頭完了を報じるものではない。

登場人物
家来二人
宛先
—
キーワード
家来二人、御目見仰付、召連出頭指示
追録6-No.676達書旧記雑録暫定版確認度 中

登城令書

家来二人に御目見を命じたので、召し連れて出るよう命じる。正文は文庫にあるという。本書には年月日、差出人の署名、宛所は記されておらず、四月十四日付の登城・参勤礼の連署状に続けて掲げられている。

登場人物
家来二人(名前無記載)
宛先
—
キーワード
家来二人、御目見、召連れ、登城命令、年月署宛無記載
追録6-No.893達書旧記雑録暫定版確認度 高

登城令書

家来二人の御目見を命じたので、召し連れて出るよう求める。独立の年月日、署名、宛所は記さない。

登場人物
家来二人、松平薩摩守(編年の文脈)
宛先
—
キーワード
家来二人御目見、召連罷出命、年月日署名宛所無記載
追録6-No.1194-2覚書旧記雑録暫定版確認度 中

一橋への内談経過―慈照院養子の約束と届書提出の取次

五月十九日の条。山岡齋宮を使者として一橋へ差し越し、末吉善左衛門へ内談して口上書を渡したところ、家老二人をもって何分か返答するとの答えがあり、追って伝えられることになった。五月十八日には善左衛門から山岡へ手紙が来て、先日の使者に関する公辺御内慮の相談を整えたので、この間の挨拶のため使者に参上してほしい、民部卿からの口上を伝えたいと知らせた。この日善左衛門が使者として来て、山岡が出会い、口上を承った。民部卿は内容を聞き、御内意を思い立ったので、稲葉越中守へ内談し、右近将監・田沼主殿頭にも内意を伝えた。両老中は尤もとし、思召し寄りもなく、勝手次第に届書を差し出してよいとの沙汰があった。民部卿はこれを承知して満悦し、慈照院養子を存生中に約束したことを一緒に届けるなら十九日に差し出すよう伝えた。内意が整えば一橋からも、家老二人をもって届けるとされ、山岡が承知した。内談の使者、書付・手紙と返答、老中への取次、二つの届を併せる段取りを記し、養子関係が実際に成立した日時とはしない。

登場人物
山岡齋宮、家老二人、末吉善左衛門(一橋家側用人利隆注)、民部卿、御側衆稲葉越中守(正明注)、松平右近将監、田沼主殿頭
宛先
一橋民部卿側、老中二名(内談・届書取次の経路、独立宛書なし)
キーワード
五月十八日手紙・十九日条、山岡・善左衛門、家老二人、民部卿満悦、稲葉正明、右近将監田沼内談、勝手次第届書、慈照院存生中約束、一橋からも届
追録6-No.1395届書旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、家来御目見の召連予定に対し山岡市正の病気を届ける

今日家来二人の御目見を仰せ付け、召し連れて出るよう命じられていたが、山岡市正が今暁から病気になり登城できないので、そのことを届ける。六月十一日、松平薩摩守。

登場人物
松平薩摩守重豪、山岡市正、家来二人
宛先
独立宛所名記載なし(幕府への届出)
キーワード
家来二人御目見仰付、召連、山岡市正今暁病気、登城不能、六月十一日薩摩守届
追録6-No.1634伺書旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪伺書

重豪公御譜中の控えで、正文は右筆所にあるとする。松平薩摩守は、参府の御礼には供の家老二人を召し連れ、その際に御目見を仰せ付けられるところ、病気ややむを得ない差合いにより、来年は一人を召し連れる心得であると述べる。そのため当年留守に置いた家老を、来年の在府中に直ちに詰めさせたいという。この家老は当年すでに御目見を仰せ付けられた者だが、参勤の御礼などには先格のとおり供の家老と一緒に御目見を願ってよいか、来年のことながらこの時点で伺い置くとする。十月朔日付、朱書年記は安永八年、差出表示は松平薩摩守。付記によると、田沼主殿頭の内見では、これまで例のない願いなので同席中が揃って評議しなければ決められないとされた。松平右京大夫は「来月朔日」に日光へ発足するため、今明日中にこの伺いを御名前で提出する方がよいとの田沼の指示があり、御用番板倉へ九十九から提出済みと聞いたので記し置いたという。その後、十一月二日に付紙をもって伺いどおりに仰せ渡されたと記す。本文脇の朱書御附紙にも「御伺之通候」とある。家老の名は記されない。

登場人物
松平薩摩守(重豪、目録表記)、供の家老二人・当年留守の家老(各無名)、田沼主殿頭、松平右京大夫、御用番板倉、九十九(付記の提出者)
宛先
本文に独立宛名の明記なし(付記では御用番板倉へ提出)
キーワード
参府御礼供家老二人、来年供一人、当年留守家老在府勤務、既済御目見と参勤礼御目見、先格、田沼内見、同席評議、右京日光発足、九十九板倉提出、十一月二日付紙許可
追録6-No.1639書状旧記雑録暫定版確認度 高

喜入久福外三名連署返書

行間朱書の四名連署返書。付記には、当分「田布施御光越」があったため問い合せ書を添えて左仲へ申し越し、朱書のとおり指示が届いたので江戸へ返答したという経緯がある。本文は、赤松造酒に礼使を仰せ付けた件を承知し、国元の頂戴の式にはならないと思い、先に申し渡しておいた旨を述べる。発駕前に届かず旅中で頂戴する場合には、鹿児島発駕前に使者を差し立て九州筋を通って大坂で待つ手配とし、野先から鶴が上がって江戸近くへ入る途中に頂戴があれば早く知らせて直ちに勤めさせる。大坂までに頂戴がなければ御跡から遣わし、頂戴の場所から差し立てることも指示したという。勤向は先例を調べ、京・大坂・長崎への御書等も旅の中途から差し越してよいとする。宿次の証文返上には、去る酉年に定めた扱い、宰領人には及ばず足軽二人とする旨、屋敷まで持越して首尾を整えることにも触れる。これまでと仕向が変わった後の初めてのことであるため、その都合を適宜取り計らい、別紙を控え置くと結ぶ。十一月十日の朱日付があり、元黒字の共用署宛に朱上・下を付けて、山岡市正を宛先、喜入主馬・小松帯刀・嶋津仲・二階堂主計を差出側に用いる。左中久金の単独返信は別の書状である。礼使の受領場所別の動きと、各地の勤向・証文の処理を承知して整えた段階を述べ、鶴の実受領を報告するものではない。

登場人物
喜入主馬久福、小松帯刀清香、嶋津仲久健、二階堂主計行且(四差出)、山岡市正久澄(返書宛)、嶋津左中久金、太守、御礼使赤松造酒、宰領人・足軽二人
宛先
山岡市正(久澄、原朱上による転用)
キーワード
十一月十日四名連署、田布施問合左仲返信、赤松造酒礼使、鹿児島九州大坂待受、江戸近く旅中頂戴、京大坂長崎御書、宰領不要足軽二人、宿次証文返上、仕向変更後初例
追録6-No.1665記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、参勤の途次に御鷹の鶴を拝領す

御譜の記事。安永九年庚子春正月九日、重豪は本府を発って江戸へ向かい、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常ら諸司が供奉した。九州の驛路を通り、二十日に豊前大里へ着き、翌日に長州赤間関へ渡り、中国路を取って晦日に備前片上驛へ着いた。先に正月十八日、大樹家治公が宿次奉書をもって御鷹の鶴一隻を重豪へ賜い、月直老中松平右京大夫輝高が家臣矢野清右衛門清香を召して鶴・奉書・宿次証文を託し、新番中島直八利容と中小姓亀澤八兵衛安村を護送に遣わしたと記す。附足軽二人の注がある。利容・安村はその夜に芝邸を発ち、東海道を取って二月朔日に片上驛へ到着し、重豪は同日の客舎で頂戴した。直ちに足軽二人に礼の返書と宿次証文を持たせて江府へ向かわせ、謝恩使の番頭赤松造酒も遣わしたが、当時は大坂にいたとの注がある。十一日に足軽二人が江府へ着き、宿次証文等を芝邸へ届け、留守居が月直老中板倉佐渡守勝清の宅へ行って礼の返書と証文を呈した。利容らは大坂から東海道を通って十二日に江戸芝邸へ着き、孝恭院殿の中陰法事に当たったため、十五日に勝清の邸へ行って趣旨を述べ、連署等を呈したとする。重豪は二月五日に片上驛から大坂へ至り、翌日に枚方筋を取って伏見へ行き、東海道の驛路を通り、十八日に江府の芝邸へ入った。直ちに留守居を勝清へ遣わして参府を報じ、翌十九日には重豪自身が勝清を訪ねて大家の安否を問い、他の老中にも同様に述べた。二十九日、上使阿部豊後守正允が芝邸へ来て労問し、諸老中もそれぞれ礼を述べたという。この年の朝覲が早いのは前年に予め請うたことによるもので、七年の朝覲の例に従ったとする。三月朔日には勝清が留守居を召し、重豪はすでに朝覲しているので賜鶴の礼使は大家へ拝謁するに及ばず、奉書も下されないと伝えたという。正月十八日の宿次奉書による賜鶴と、二月朔日の旅中頂戴、その後の証文返納・謝恩使、二月の参府と三月の礼使取扱いを分けて示す。

登場人物
重豪、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常、大樹家治公、月直老中松平右京大夫輝高、家臣矢野清右衛門清香、新番中島直八利容、中小姓亀澤八兵衛安村、附足軽二人(注)、斎乙の足軽二人、礼使番頭赤松造酒、板倉佐渡守勝清、留守居、孝恭院殿、阿部豊後守正允、諸老中
宛先
記事につき独立宛名なし
キーワード
安永九年正月九日発駕、供奉三役、大里二十赤間関翌日片上晦、正月十八日宿次賜鶴一隻、矢野清香中島利容亀澤安村護送、二月朔片上頂戴、足軽二人斎乙証文、赤松造酒謝恩、十一日十二日江府届、孝恭院中陰十五日勝清、二月五大坂翌枚方伏見十八芝邸十九問候二十九上使、三月朔礼使拝謁不要奉書不降
追録6-No.1673願書旧記雑録暫定版確認度 中

島津重豪願書

松平薩摩守の願書。参府の節には供の家老二人を連れ、御礼を申し上げる際に御目見を仰せ付けられてきたと述べる。前年に伺った趣旨があり、留守に置いた家老は前年に御目見を仰せ付けられた者であったが、先格のとおり供の家老と一緒に御目見するよう、去冬の伺いどおりに仰せ渡されていた。しかしその家老がこの節に病死したため、以前から参勤の御礼時に家来二人を御目見させてきたことを踏まえ、前年中に留守へ置いた年寄の者が参府した上で、御礼を申し上げる際に供の家老と一緒に御目見するよう願う。以上と結び、二月五日、松平薩摩守の署と安永九年の朱年注を付す。扣正文在右筆所とする出典注がある。朱書の御付紙には「可為伺之通候」と記す。別の朱注は、本文日付の当日に御用番板倉佐渡守へ差し出して置いたところ、同月十七日に同人から、御取次熱海多宮を通じて御付札のとおり仰せ渡されたという経過を記す。従前の二人同伴の慣例、去冬の取扱い、病死による変更願、付紙の指示、十七日の取次経過を別の段階として示し、病死家老と新しく同伴を求める年寄を同一人物にしない。

登場人物
松平薩摩守(願書署、重豪は目録)、供の家老二人(従前)、病死した留守家老、前年留守差置の年寄(姓名不記)、御用番板倉佐渡守、御取次熱海多宮(朱注)
宛先
独立宛名記載なし(朱注は板倉佐渡守への差出し)
キーワード
従前供家老二人御礼御目見、留守家老前年御目見・去冬許可、この節病死、留守年寄参府と供家老同伴願、二月五日松平薩摩守、御付紙伺之通、二月十七日板倉熱海多宮取次
追録6-No.1679達書旧記雑録暫定版確認度 中

登城令書

家来二人に御目見を仰せ付けるので、召し連れて出るよう命じた短い令書。原文は「家来二人御目見被仰付候間、召連可被罷出候」とする。安永九年の朱年注を付すが、独立の月日・差出署名・宛名、家来二人の実名は記さない。人数二人と御目見の指示を保持し、前項の二月晦日を当令書の自己日付として転記しない。

登場人物
家来二人(姓名不記)、指示側(姓名不記)
宛先
独立宛名記載なし
キーワード
家来二人、御目見仰付、召連罷出、安永九年朱年注、月日署宛不記
追録6-No.2165届書旧記雑録暫定版確認度 高

浄岸院十三回忌の香奠銀配分を寺社方へ届ける

浄岸院十三回忌の香奠銀四貫百七十五匁九分八厘九毛の配分を記す。内訳は、祠堂銀として寺社方へ二貫七百五十七匁三分二厘六毛、福昌寺住持へ一貫三百七十八匁六分六厘三毛、副司二人へ一人二十匁ずつ計四十匁である。三分の二を祠堂銀、三分の一を住持に与え、副司への二十匁ずつも申し渡すよう十二月十七日に届ける。

登場人物
寺社奉行、浄岸院、福昌寺住持、副司二人
宛先
寺社方(福昌寺住持・副司への配分関係者)
キーワード
寺社奉行、浄岸院、福昌寺住持、副司二人、浄岸院、十三回忌、香奠銀、祠堂銀、配分、福昌寺住持、副司