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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-7系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛永九年高帳抄

寛永九年高帳から松崎喜右衛門の百石を掲げ、松崎貞盛と貞悦の家歴を続記する。貞盛は文禄四年四月朔日生まれで、寛永九年に島津家久の上洛へ供奉し、同十二年七月二十六日に四十一歳で没して法名を風山秋月とした。貞悦は慶長十七年六月二日生まれで、十三歳で家久に御目見し采女に任じられ、寛永九年から同十一年まで上洛した。帰国直後には、刀を抜いて屋内へ籠った隣人相良善右衛門を傷つけず捕らえようとして取り押さえた。寛永十五年の島原蜂起時には、島津光久の下向に際して黒葛原治部右衛門とともに鎌田出雲から任務を命じられた。正保四年には大島取納の宿割を担当し、名瀬へ渡って取納を行った。慶安四年には島津綱久の前髪取祝儀と琉球への震旦使者来着に関する使者として江戸へ向かい、大坂で油井正雪・丸橋忠弥・川原十郎兵衛らの謀叛情報による騒動に遭遇したため、五日間眠らず江戸へ急行した。芝屋敷で祝物を差し上げ、御目見を遂げて帰国した。

登場人物
松崎喜右衛門、松崎貞盛(亀次郎・小七)、島津家久、坂元隠岐女、松崎貞悦(熊徳・采女)、吉田新左衛門清房、清房女、相良善右衛門、島津光久、鎌田出雲、黒葛原治部右衛門、伊勢鶴殿、松平越中、島津綱久、油井正雪(本文表記)、丸橋忠弥、川原十郎兵衛
宛先
—
キーワード
寛永九年高帳、松崎喜右衛門、百石、松崎貞盛、風山秋月、松崎貞悦、任采女、上洛、相良善右衛門、島原蜂起、黒葛原治部右衛門、大島取納、名瀬、島津綱久前髪取、琉球、震旦使者、油井正雪、丸橋忠弥、江戸急行、芝屋敷
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-8系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛永十三年九月鹿児島衆中屋敷検地帳抄

寛永十三年九月の鹿児島衆中屋敷帳から、松崎采女正について『下屋鋪四せ』『下々屋敷四せ廿三分』と記す抄録。続いて松崎貞悦の慶安五年以降の奉公歴を掲げる。慶安五年に上洛を命じられて三月六日に鹿児島を立ち、四月二十五日に江戸へ着いた。承応二年には琉球からの将軍継目祝使である国頭王子に関わり、島津光久に召し連れられて日光参詣へ供奉した。万治二年には進上用の腰物を選ぶため、堀尾正宗・貞宗・左文字・兼光・則光などを江戸へ持参した。寛文三年とみられる光久の上洛には道中跡払いとして供奉し、大坂・江戸の御番割に入った。六月には国許への急用使として江戸から鹿児島へ往復し、九月に再び江戸へ参着した。同年十二月には島津綱久から将軍への寒中伺候使者となり、酒井雅楽頭や老中阿部豊後守・稲葉美濃守・久世大和守を訪ね、江戸城で七島鰹節を進上した。その後も寛文四年の下向供奉、同五年の秋月佐渡家来欠落事件に関する使者、延宝二年の大坂町奉行石丸石見守への使者を務めた。

登場人物
松崎貞悦(小七郎・采女正)、満坂里介、国頭王子、島津光久、島津綱久、島津清太夫、樺山長門、平山次郎右衛門、大山六右衛門、是枝喜右衛門、北条次郎右衛門、上村茂兵衛、奈須五左衛門、平山久馬郎右衛門、本田与兵衛、名越清右衛門、沢崎主水、税所弥□武兵衛、市来次郎左衛門、肥後茂左衛門、相良善左衛門、猿渡□六郎右衛門、宇都八弥左衛門、三雲弥太夫、館小左衛門、白尾金左□采女、伊勢弥五兵衛、森喜兵衛、長尾権兵衛、内藤繁右衛門、岩元清右衛門、黒田加兵衛、左近允四郎左衛門、山崎喜右衛門、税所弥五右衛門、伊勢弥兵衛、酒井雅楽頭、阿部豊後守、稲葉美濃守、久世大和守、松平備前守、北条安房、伊沢隼人、秋月佐渡、川野長兵衛、白井久馬、播磨屋七右衛門、五兵衛、石丸石見守、新納喜右衛門
宛先
—
キーワード
寛永十三年鹿児島衆中屋敷帳、松崎采女正、下屋鋪、屋敷検地、慶安五年上洛、承応二年、国頭王子、琉球継目祝使、日光参詣、進上腰物、名刀、寛文三年上洛、道中跡払い、大坂御番、江戸御番、国許急用使、寒中伺候、七島鰹節、寛文四年下向、欠落人、延宝二年、大坂町奉行
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:65書状・陣中役職と談合衆の連絡旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十五年〕正月九日川上久国書状

川上久国が豊後守・下野守の両殿へ、今度の陣中では大将役二人が命じられ、さらに談合衆六人が加えられたと伝える。諸事は逐一こちらの意向を伺うには及ばず相談して調えるよう児玉筑後守を通じて命じられたとし、甲斐掃部助・有馬左近将監にも申し合わせて伝達するよう求めた。正月9日付の書状で、年次の寛永15年は本文外の『か』付き傍注にとどまる。欄外に『旧記雑録後編五』1170号および『同附録二』301号と同一文書かとする注記がある。

登場人物
川上久国、豊後守(島津久督の傍注)、下野守(島津久元の傍注)、児玉筑後守(利昌の傍注)、甲斐掃部助(重則の傍注)、有馬左近将監(純英の傍注)
宛先
豊後守殿・下野守殿 人々御中
キーワード
正月9日、寛永15年か、川上久国、豊後守、下野守、島津久督、島津久元、陣中、大将役二人、談合衆六人、児玉筑後守、甲斐掃部助、有馬左近将監、相談・伝達、旧記雑録後編五1170号、同附録二301号
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:66書状・陣中役職と談合の連絡旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十五年〕正月九日川上久国書状

川上久国が喜入摂津守・北郷佐渡守・渋谷石見守・山田民部少輔・三原左衛門佐・新納加賀守の六人へ、今回の陣中大将役を豊後守・下野守に命じ、談合衆を定めた旨を伝える。諸事をいちいちこちらへ伺えば遅れるため、相談して調えるよう児玉筑後守を通じて命じられたとし、甲斐掃部助・有馬左近将監にも詳しく伝えたので承知するよう求める。正月9日付の川上久国書状で、年次の寛永15年は本文外の『か』付き傍注。欄外は『旧記雑録後編五』1171号文書との同文を推定する。

登場人物
川上久国、豊後守、下野守、児玉筑後守、甲斐掃部助、有馬左近将監、喜入摂津守、北郷佐渡守、渋谷石見守、山田民部少輔、三原左衛門佐、新納加賀守
宛先
喜入摂津守殿、北郷佐渡守殿、渋谷石見守殿、山田民部少輔殿、三原左衛門佐殿、新納加賀守殿
キーワード
正月9日、寛永15年か、川上久国、陣中、大将役、豊後守、下野守、談合衆、児玉筑後守、甲斐掃部助、有馬左近将監、喜入摂津守、北郷佐渡守、渋谷石見守、山田民部少輔、三原左衛門佐、新納加賀守、旧記雑録後編五1171号
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:67書状・軍勢見積もりと兵糧相談旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

〔寛永十五年〕正月十八日川上久国書状

川上久国が豊後守・喜入摂津守・北郷佐渡守・渋谷石見守・山田民部少輔・新納加賀守へ、今回の軍勢賦課を約二万人とする一方、軍勢と水手を合わせれば約三万人にもなり得るとの見積もりを伝える。手元の米はわずか五千石で、一か月分の兵糧に関わり、すでに二十日分を渡したと記す。兵数を抑えるか、肥前・肥後などから借用するか急いで判断すべきだとの物奉行の言葉を伝え、日向・庄内・肝付表・根占などの衆を召し留める案を含め、招集する衆を選ぶよう相談する。正月18日付で、寛永15年は本文外の『か』付き傍注。欠字が複数あり、人数と米の数量は本文の見積もり・報告として扱う。

登場人物
川上久国、豊後守、喜入摂津守、北郷佐渡守、渋谷石見守、山田民部少輔、新納加賀守、物奉行
宛先
豊後守様、喜入摂津守様、北郷佐渡守様、渋谷石見守様、山田民部少輔様、新納加賀守様
キーワード
正月18日、寛永15年か、川上久国、軍勢賦課約二万人、軍勢・水手約三万人の可能性、米五千石、一か月兵糧、二十日分支給、肥前、肥後、借用、物奉行、日向、庄内、肝付表、根占、招集調整、欠字
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:68書状・楯板の急ぎの調達指示旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十五年〕正月十八日川上久国書状

川上久国が出水喧嘩衆中へ、松平伊豆守からの書出しを受け、長嶋で調える楯板を二、三千枚、長さ四尺四、五寸・幅三尺四、五寸・厚さ二寸内外で用意するよう伝える。枚数はでき次第順に調達し、急用なので板を削らないままでも差し支えないという。正月18日付で、寛永15年とする年次は本文外の『か』付き傍注にとどまる。

登場人物
川上久国、松平伊豆守、出水喧嘩衆
宛先
出水喧嘩衆中
キーワード
正月18日、寛永15年か、川上久国、松平伊豆守、長嶋、出水喧嘩衆中、楯板二・三千枚、長四尺四・五寸、幅三尺四・五寸、厚二寸内外、未削り可、急用
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:79連署書状抄・籠屋移転と罪科照会旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

〔寛永十九年〕十月十七日島津久通外二名連署書状抄

島津久通ほか二名の連署書状から抜いた三項目。籠屋の現在地は悪いとして、郡本の野付近へ移すよう命じる。夏の火事に関わる折田勘解由・真連房・田中善九が当面寺領で籠っていると聞き、召し出すべきか指示を求める。沖長門守の罪科については書物を差し出し、今回年寄衆にも呈上したが、まだ処分の仰せがないと報告する。10月17日付で寛永19年は本文外の傍注。冒頭に『前後略』とあり、差出人は『国老前条三人』『差出国老同前』と前条を参照するため、抄録自体から三名の署名を確認できない。

登場人物
島津久通ほか二名(目録標題)、折田勘解由、真連房、田中善九、沖長門守、国老三人、年寄衆
宛先
宛所は抄録範囲に記載なし
キーワード
10月17日、寛永19年の傍注、島津久通外二名(目録)、前後略、籠屋移転、郡本野付、折田勘解由、真連房、田中善九、夏の火事、寺領での籠居、召出し照会、沖長門守、罪科書物、年寄衆、処分未決、国老前条三人
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:80連署書状抄・森寺清左衛門の召抱えと切米旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十九年〕七月十九日島津久通外二名連署書状抄

島津久通ほか二名の連署書状の抄録。松平新太郎の家臣森寺清左衛門尉が奉公を望み、能勢小十郎らを通じて上聞に達した際は、他国人は召し抱えないと返答された。ところが能勢小十郎が東禅寺から再度申し入れ、近年も他国人を少数召し抱えていることなどを理由に頼み込んだため、森寺の召抱えが認められたと伝える。松平新太郎のもとでは高400石だったが、新たには大坂で切米150石を給し、当地で乗馬に関する賦を与える旨を知らせる。7月19日付で寛永19年は本文外の傍注。前後を省いた抄録で、宛名は『宛書同』と前条を参照する。

登場人物
島津久通ほか二名(目録標題)、森寺清左衛門尉、松平新太郎、能勢小十郎、野州老、兵部殿
宛先
宛所は抄録範囲に記載なし(『宛書同』の参照注記)
キーワード
7月19日、寛永19年の傍注、島津久通外二名(目録)、前後略、森寺清左衛門尉、松平新太郎、能勢小十郎、野州老、兵部殿、他国人不採用の当初返答、再申入れ、召抱え容認、高400石、切米150石、大坂、乗馬之御賦、宛書同
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:82連署書状・国府城施設と屋敷造営の許可旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛永十三年三月十四日土井利勝外三名連署書状

土井大炊頭利勝・堀田加賀守正盛・阿部豊後守忠秋・酒井讃岐守忠勝が薩摩中納言の家中へ、大隅国の国府城に追手と裏口の門、城内に少人数の番人を置く番屋を建て、山下に薩摩守の屋敷を構えたいという絵図付きの申請を上聞に達した結果、申請どおり申し付けてよいと許可されたことを知らせる。寛永13年3月14日付で、城の防備・居所を一体で認可した点が特徴。欄外には『旧記雑録後編五』911号と同一文書かとの推定注記がある。

登場人物
土井大炊頭利勝、堀田加賀守正盛、阿部豊後守忠秋、酒井讃岐守忠勝、薩摩中納言(島津家久の傍注)、薩摩守
宛先
薩摩中納言殿 人々御中(島津家久の傍注)
キーワード
寛永13年3月14日、土井利勝、堀田正盛、阿部忠秋、酒井忠勝、薩摩中納言、島津家久、薩摩守、大隅国、国府城、追手門、裏口門、城内番屋、少人数の番人、山下の屋敷、絵図、造営許可、旧記雑録後編五911号同文推定
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:83連署書状・薩州の国分居住許可の通知旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十三年〕六月十五日伊勢貞昌・川上久国連署書状

伊勢兵部少輔貞昌と川上左近将監久国が四人の宛先へ、薩州様が国分に居住したいと望み、酒井讃岐守を通じて披露したところ許可されたと伝える。連署の奉書が出され、黄門様が下国すればこの件も追って伝えられる見込みだという。詳しい事情は野州老から伝えるためここでは述べきれないとし、この段は承知してほしいと通知する。6月15日付で、寛永13年は本文外の傍注。確認用画像第2頁は次項84の冒頭『貴報』のみで、本書状の本文は第1頁・原PDF冊子577頁上段で完結する。

登場人物
伊勢兵部少輔貞昌、川上左近将監久国、薩州様、酒井讃岐守、野州老、黄門様、弾正大弼、山民部少、鎌山雲守、三左衛門
宛先
弾正大弼様、山民部少様、鎌山雲守様、三左衛門様
キーワード
6月15日、寛永13年の傍注、伊勢貞昌、川上久国、薩州様、国分居住希望、酒井讃岐守、許可、連署の奉書、黄門様の下国後の伝達見込み、野州老、四名宛所、確認用画像第2頁の次項84混入
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:84書状・島津家系図と古文書の提出・照会旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十八年〕八月廿七日川上久国書状

川上因幡守久国が四人の宛先へ、御系図を太田備中守に今月初めに差し出すつもりだったが、若君誕生による多忙で延び、21日に持参した経過を報告する。太田から古書物は家の重宝なので写して差し出すよう求められ、久国は家系図をめぐり道春や右衛門佐とも相談し、頼朝の子忠久の系譜、北条家の判、人物・家名の記載について生じた疑問を照会した。島津家の系図は他の大名家のものより代々の記載が細かいとの太田の評、加賀・肥前などの系図はまだ提出されていないとの話を伝え、黄門様の昇進口宣の写しなど、なお必要な資料の提出を求める。寛永18年8月27日付で、末尾に久国と四名の宛所を記す。

登場人物
川上因幡守久国、太田備中守、若君、道春、廣元、頼朝、忠久、北条家、河上上野介、黄門様、弾正大弼、頴娃左馬佐、鎌田治部少輔、山田民部少輔
宛先
弾正大弼様、頴娃左馬佐様、鎌田治部少輔様、山田民部少輔様
キーワード
寛永18年8月27日、川上久国、太田備中守、若君誕生、21日持参、御系図、古書物、写し、道春、頼朝の子忠久、北条家の判、諸大名の系図、加賀、肥前、黄門様昇進口宣、四名宛所、旧記雑録後編五927号同文推定、旧記雑録後編六205号同文推定
後編5-No.593文書確認度 中

寛永九年高帳写

寛永九年の高帳写。島津氏家臣・役人・外城担当者を知行高順に列記し、各人の石高、役職・官途・配置先を記す。高禄層から百石前後までの多数の家臣、人数合計、出水・阿久根・水引・各外城の衆中や軍役人数も収録する。

登場人物
島津氏家臣団、外城衆、地頭衆、軍役担当者
宛先
―
キーワード
寛永九年、高帳写、島津氏家臣団、知行高、石高、官途、役職、外城衆、地頭衆、軍役、出水、阿久根、水引
後編5-No.835文書確認度 高

寛永武家諸法度

寛永十二年六月二十一日付の武家諸法度。文武・弓馬の修練、参勤交代、城郭修補の許可、私的な同盟・婚姻や徒党の禁止、反逆者・殺人者の処罰、倹約、衣服・乗輿の身分秩序、五百石以上の船の停止、寺社領保護、キリシタン禁制、道路・宿駅・関所、江戸法令の全国適用などを定める。

登場人物
徳川家光、諸大名、旗本、全国の武家
宛先
全国の大名・武家
キーワード
寛永武家諸法度、徳川家光、参勤交代、城郭修補、私盟禁止、婚姻統制、倹約、身分秩序、大船停止、寺社領、キリシタン禁制、道路、宿駅、関所
追録2-No.94記事旧記雑録暫定版確認度 高

綱貴、寛永寺本堂造営ノ助役ヲ命ゼラル

島津綱貴が六月晦日に老中から東叡山寛永寺本堂造営の助役を命じられ、七月朔日に登城し、島津久明らを役方へ配置したのち、同月二十二日に本堂造営を始め、八月二日には小屋掛けなどに着手した経緯を記す記事。

登場人物
島津綱貴、島津久明、北郷久嘉ほか
宛先
—
キーワード
島津綱貴、島津久明、土屋政直、寛永寺、本堂造営、助役、役方配置、七月二十二日、八月二日、小屋掛け
追録2-No.95記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津久明等、寛永寺造営ニ従フ

島津綱貴が寛永寺本堂造営の助役を務めるにあたり、禰寝清雄が助役総監使を命じられ、島津久明がこれを補佐し、多数の家臣と工事に従事した。翌年七月二十一日の竣工後、八月三日に清雄・久明以下十四人が時服・銀子を拝領したことを記す記事。

登場人物
禰寝清雄、島津久明、島津綱貴ほか
宛先
—
キーワード
島津綱貴、禰寝清雄、島津久明、寛永寺、本堂造営、助役、総監使、竣工、時服、銀子
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:187日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国上使附日記

川上久国の上使附日記。寛永十年に諸国へ上使が遣わされ、九州へ来た役人の名を挙げる。狼煙や見回りに関わる人々の動き、城へ人数を集めて報告する経緯を記す。

登場人物
川上久国上使附日、城織部、八木民部
宛先
一寛永十年発酉諸園、九州、城織部、宮内少諸所、持牛之峠、正月六日鉄肥山
キーワード
川上久国上使附日記、役職・人事、外交・使者、江戸
追録2-No.112記事旧記雑録暫定版確認度 高

北郷久嘉、寛永寺竣功ヲ賞セラル

北郷久嘉の譜に、八月九日に大書院で本堂普請成就の褒美を受け、喜入安房を介して労いの口上を伝えられ、時服六を拝領したと記す。十一日には東叡山御堂の槌打規式にも勤仕した。九月五日に久嘉が普請成就を祝って綱貴へ樽肴を献じ、同日吉貴も樽肴を献じた。久嘉は九月十一日に江都を発ち、十一月二日に鹿府へ帰着する。樽肴の献上先を明示し、これを将軍への献上や馬代に読み替えない。

登場人物
北郷久嘉、喜入安房、土井五郎左衛門、黒葛原源左衛門、綱貴、吉貴
宛先
—
キーワード
北郷久嘉、喜入安房、寛永寺本堂普請成就、八月九日大書院、時服六拝領、十一日槌打規式、九月五日綱貴への樽肴献上、吉貴、九月十一日江都発、十一月二日鹿府帰着
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:170文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

盛香集寛永廿年加久藤曖所案文并萬留帳

御馬追を帰陣祝いの恒例とする伝承を記した記事。吉野御馬追で若い乗り手が馬を巧みに乗りこなし、人々の注目を集めた逸話を伝える。あわせて加久藤の古帳や留帳を参照し、馬追と牧をめぐる記録を類集する。

登場人物
伊地知重延、白坂篤豊、惟新、寛陽院、一伊地知杢
宛先
惟新、寛陽院
キーワード
盛香集寛永廿年加久藤曖所案文并萬留帳、御旧式類抄三、御馬追・牧政、史料内容
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID D:171-9文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

土持綱辰覚

沢原野の御馬追と牧柵に関する三月二十五日付の覚。柵木をどこへ何本寄せるか、東西からの運搬と人員の割当てを定める。馬を捕るための準備を進め、関係者に手配を命じる。

登場人物
寛永廿一年加久藤、土持平、伊地知杢右衛門
宛先
被聞合、伊地知杢右衛門
キーワード
土持綱辰覚、御旧式類抄三、御馬追・牧政、目録・所蔵
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w12:2本田助之丞蔵高帳抜書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

某覚書五寛永七年八月七日某覚書

本田助之丞所蔵の帳面から、定禄、島津久光ほかの知行高、各所の石高を抜き書きする。給地の数量を石・斗・升・合・勺の単位で列挙する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
本田助之丞、高帳、知行高、給地、石高
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000126系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:重張譜中記事:○寛永四年…家久卿…光臨重張

家久卿が九男福壽丸を伴い重張の吉利宅を訪れ、雄刀一腰・馬一匹・樽酒・青蚨を賜ったと記す。 供膳の後に家久卿が還り、重張が登城して礼を述べ、さらに雌刀一腰を賜ったと記す。

登場人物
太守中納言家久卿、福壽丸、重張
宛先
—
キーワード
系譜記事
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID KW1-G000133系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:重永譜中記事:○寛永十四年…恒吉地頭職

隅州恒吉の地頭職に補任されたと記す。

登場人物
—
宛先
—
キーワード
系譜記事、地頭職、恒吉
追録2-No.101記事旧記雑録暫定版確認度 高

綱貴家臣等、寛永寺本堂普請手伝ヲ終ル

北郷久嘉の譜に、元禄十年七月朔日、綱貴が東叡山本堂造営の手伝を命じられたと記す。八月三日の御鍬初では禰寝丹波清雄が総奉行、久嘉が番頭として勤仕し、鍬初後に門主の広間で饗応を賜る。翌十一年七月二十一日の普請成就時には、清雄・島津大蔵久明・久嘉が御門主へ太刀一腰・銀馬代を進上して各々謝礼を述べ、饗応を賜った。

登場人物
綱貴、禰寝丹波清雄(総奉行)、北郷久嘉(番頭)、島津大蔵久明、御門主
宛先
—
キーワード
北郷久嘉譜、綱貴、東叡山本堂造営、七月朔日命令、八月三日御鍬初、禰寝清雄総奉行、久嘉番頭、島津久明、翌年七月二十一日普請成就、門主へ太刀一腰銀馬代進上、進上者の謝礼、賜饗応
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w12:3田租考旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

某条書七慶長十五六年高帳J\寛永十六年十二月御分国中惣高井衆中乗馬究帳

慶長期以後の高帳や旧記を引き、給地の割当てと田租の変化を考証する。領内の諸士・役人に関する記録を照らし、知行高の算定に用いる史料を示す。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
田租考、慶長三年、高帳、旧記、知行高
後編4-No.1851文書確認度 高

賦何船連歌

寛永元年五月八日、島津家久が市来惟清宅へ御成りの際に催された「賦何船」連歌。夏の空、雲、雨、春風、月、雪、旅、山、恋などを題材とし、家久・惟清・利昌・久元・重長・有栄・国隆・政喬らが百韻を連ねた作品。

登場人物
島津家久、市来惟清、児玉利昌、島津久元、三原重長、山田有栄、比志島国隆、鎌田政喬ほか
宛先
連歌
キーワード
賦何船連歌、島津家久、市来惟清、児玉利昌、島津久元、三原重長、山田有栄、比志島国隆、鎌田政喬、百韻、御成、寛永元年五月八日
後編5-No.13文書確認度 高

島津久元外二名連署書状

島津久元・喜入忠政・比志島国隆が三原重長へ、前日の向島で又八郎ら兄弟が多くの鹿を捕らえ、自分たちも鹿を拝領して賞味したことへの謝意を伝えた連署書状。寛永三年卯月二十一日付。

登場人物
島津久元、喜入忠政、比志島国隆、島津忠朗、三原重長
宛先
三原飛騨守重長
キーワード
島津久元、喜入忠政、比志島国隆、三原重長、又八郎、向島、鹿、拝領、連署、寛永三年四月二十一日
後編5-No.254文書確認度 中

樺山久高覚書

樺山美濃久道が、過去の合戦・境目警固での働き、帖佐春毛村などの所領処置、敷根氏らへの返地・配分、加増・替地・兵粮扶持・役料等の経緯を列挙し、未決の扱いを明確に裁定するよう求めた長文覚書。自身が老齢で後に尋ねられる者がいなくなるため、今回の機会に返答を得たいと述べる。本文署名は寛永八年八月二十四日、樺山美濃久道。

登場人物
樺山美濃久道、澁谷四郎左衛門尉、三原左衛門佐、島津家久、敷根氏ほか
宛先
澁谷四郎左衛門尉殿・三原左衛門佐殿
キーワード
樺山美濃久道、澁谷四郎左衛門尉、三原左衛門佐、島津家久、合戦、境目警固、帖佐春毛村、所領、返地、加増、替地、兵粮扶持、役料、裁定、寛永八年八月二十四日
後編5-No.601文書確認度 中

某覚書

寛永十年の軍役覚書。鎧千八百本・鉄砲三千丁・弓千二百丁を総高六十万石に対する軍役の賦として掲げ、別に乗馬六百七十四騎、鉄砲千五百丁、弓六百四十七丁、鎧七百本などの数量を記す。

登場人物
軍役担当者
宛先
―
キーワード
寛永十年、軍役、総高六十万石、鎧、鉄砲、弓、乗馬、兵備、動員
後編5-No.679文書確認度 低

児玉利実覚書

児玉利実が、寛永十年十二月初七日付の江戸書状を翌十一年正月二日に受け取り、筑後守が始良(姶良)の地頭職と毎年八木(米)三十石を拝領した旨を確認した記録。同夜の兵法初めは式部大輔邸での実施が延期され、仁礼蔵人の宿所で若衆によって行われた。寛永十一年正月三日付で藤原氏利実が署名し、追記では同月二十三日・二十五日の市来八右衛門らによる地頭拝領関係の連絡・進物を記す。本文日付は寛永十一年正月三日で、索引の寛永十年正月三日とは相違する。

登場人物
児玉利実、児玉利昌(筑後守)、野村大学介、伊勢右京進、仁礼蔵人、市来八右衛門
宛先
―
キーワード
児玉利実、児玉利昌、筑後守、野村大学介、伊勢右京進、仁礼蔵人、市来八右衛門、始良、姶良、地頭職、八木三十石、江戸書状、兵法初め、寛永十一年正月三日、索引日付相違、児玉氏家蔵
後編5-No.688文書確認度 低

入来院重高覚書

配当高に応じた門・屋敷の割当、配当目録の受取り、神文、返地への移住、荒地防止、奉公・未進者の処置など、入来院領の配当と統治手順を定めた覚書。本文末尾の日付は寛永十一年二月十三日で、索引の二月十二日とは相違する。

登場人物
入来院重高、島津家久、弾正大弼、配当衆、代官・肝煎
宛先
弾正大弼殿
キーワード
入来院重高、弾正大弼、配当、門、屋敷、神文、返地、代官、肝煎、奉公、未進、寛永十一年二月十三日、索引日付相違
後編5-No.834文書確認度 低

島津家久書状

修正版インデックスでは六月二十一日付の島津家久書状とされるが、本文では直前の六月二十日付書状の後に寛永武家諸法度が続き、独立した該当書状を確認できなかった。本文・目録・インデックスの行対応にずれがある可能性がある。

登場人物
島津家久(修正版インデックス記載)
宛先
要確認
キーワード
島津家久、六月二十一日、本文未特定、インデックス行ずれ、要確認、寛永武家諸法度
後編5-No.879文書確認度 低

島津家久書状

島津家久が島津弾正へ、書状と使者を受けた礼を述べ、明後日の来訪を喜び、日の出から待って面会し事情を相談したいと伝えた書状。本文日付は寛永十二年十一月七日で、索引の十一月十七日とは相違する。

登場人物
島津家久(松平大隅守)、島津弾正
宛先
島津弾正様
キーワード
島津家久、松平大隅守、島津弾正、使者、来訪、日の出、対面、相談、寛永十二年十一月七日、索引日付相違
後編5-No.880文書確認度 低

壱岐幸光外二名連署書状

壱岐右近将監幸光・川崎大学助祐宣・肥田木主馬佑重昌が島津弾正へ、キリシタン改めに伴う往来管理について志布志方面と相談したうえで、清武と高岡の間で同様の取扱いを定めるよう求めた連署書状。清武側では平渡長右衛門・田中四郎左衛門の印判により奉公人・町人・百姓以下を往来させ、高岡側も同じ定めとするよう求める。本文日付は寛永十二年十一月十七日で、索引の十二月四日とは相違する。

登場人物
壱岐右近将監幸光、川崎大学助祐宣、肥田木主馬佑重昌、平渡長右衛門、田中四郎左衛門、島津弾正
宛先
島津弾正様・人々御中
キーワード
壱岐右近将監幸光、川崎大学助祐宣、肥田木主馬佑重昌、島津弾正、キリシタン改、志布志、清武、高岡、平渡長右衛門、田中四郎左衛門、印判、奉公人、町人、百姓、往来管理、寛永十二年十一月十七日、索引日付相違
後編5-No.881文書確認度 低

新納忠清願書

鹿児島町奉行の新納加賀守(忠清)が島津弾正へ、肥後へ商売に赴き宗門改めで留め置かれた鹿児島町の三官を迎えるため与四郎を派遣する旨を伝えた文書。与四郎について「貴師旦宗ニ而無御座通」と記し、五人組側の証文を取ってあるので判形を下すよう願う。本文日付は寛永十二年十二月四日で、索引の十二月十五日と相違する。

登場人物
新納加賀守(忠清)、鹿児島町三官、与四郎、島津弾正
宛先
島津弾正殿
キーワード
新納加賀守、新納忠清、鹿児島町奉行、三官、与四郎、島津弾正、肥後、商売、キリシタン改、宗門改、留置、五人組、証文、判形、寛永十二年十二月四日、索引日付相違、師旦宗、宗旨証明
後編5-No.915文書確認度 低

島津久慶外六名連署条書

島津久慶(弾正大弼)・島津久元(下野守)・川上久国・伊勢貞昌・山田有栄・三原重庸・鎌田政統が連署し、家中の政務処理を定めた「物定三十五条」。旧例・訴え・奉公上の申立ての扱い、家老衆・物奉行衆・賦衆・普請奉行等の職掌、知行・扶持・切米・納銀・欠米売買、江戸勤番・役人交替、訴訟・借銀・家中統制、年貢・諸役・蔵入などの処理を定める。末条では諸料物・調所の代物を別納し、神社・仏閣・橋の建立や給付の費用に充てることを定め、談合で決定した条々に違背しないよう命じる。本文は冊子537~541頁、日付は寛永十三年卯月二十六日。

登場人物
島津久慶(弾正大弼)、島津久元(下野守)、川上久国(左近将監)、伊勢貞昌(兵部少輔)、山田有栄(民部少輔)、三原重庸(左衛門佐)、鎌田政統(出雲守)
宛先
—
キーワード
島津久慶、弾正大弼、島津久元、下野守、川上久国、左近将監、伊勢貞昌、兵部少輔、山田有栄、民部少輔、三原重庸、左衛門佐、鎌田政統、出雲守、物定三十五条、家老衆、物奉行衆、賦衆、普請奉行、旧例、訴訟、奉公、知行、扶持、切米、納銀、欠米、江戸勤番、借銀、年貢、蔵入、神社、仏閣、橋建立、寛永十三年四月二十六日
後編5-No.1005文書確認度 低

島津光久書状

「光久公御譜中」の記事。前年冬に父・島津家久が病臥した際、光久は江戸にいて見舞えなかった。寛永十四年二月、家久は平田盛右衛門純正を介し、島津家伝来の愛染明王像・摩利支天像・鷹之巣の御刀・鳥利作の太刀・光忠作の腰刀を光久へ譲った。愛染明王像は弘法大師作で「谷渡愛染」と呼ばれ、源頼朝が所持したのち信濃深草山の光忍を経て家久へ伝来したと記す。本文は宛所・署名のない譜記事であり、索引の「文書・島津光久書状」と形式が相違する。

登場人物
島津光久、島津家久、平田盛右衛門純正、弘法大師、源頼朝、光忍
宛先
—(譜記事・宛所なし)
キーワード
島津光久、島津家久、平田盛右衛門純正、光久公御譜中、譜記事、江戸、病臥、愛染明王、摩利支天、谷渡愛染、鷹之巣の御刀、鳥利作太刀、光忠作腰刀、弘法大師、源頼朝、信濃深草山、光忍、家宝、譲渡、索引形式相違、寛永十四年二月
後編5-No.1118文書確認度 低

某書状

「覚」として『家久公御譜中』に収められた島原・天草の戦況記事。島原城から一里ほどの米蔵へ侍十二人・鉄砲二百挺を遣わしたところ、千本村の一揆勢に襲われ、鉄砲頭の高橋弥次右衛門・入江与右衛門・高畠次郎太夫とほか四、五人が討死し、城へ退いたこと、城近辺の村々も焼かれたことを記す。唐津勢は十一月十日に天草本戸へ着き、先手四、五百人が島子村で約三千人の一揆勢に攻められて本戸へ退却、本戸の在家を焼かれ、三宅藤兵衛のいる富岡へ移ったという。これらは天草からの未確定情報であり、上使の下向・隣国加勢の続報はなく、御横目衆が高瀬へ来たとも記す。本文日付は寛永十四年十一月十七日。差出人・宛所のない覚書・譜記事で、索引の「文書・某書状」と形式が相違する。

登場人物
高橋弥次右衛門、入江与右衛門、高畠次郎太夫、三宅藤兵衛、島原城籠城者、唐津勢、天草一揆勢、上使、隣国加勢、御横目衆
宛先
—(覚書・宛所なし)
キーワード
家久公御譜中、覚、島原、島原城、米蔵、侍十二人、鉄砲二百挺、千本村、一揆、高橋弥次右衛門、入江与右衛門、高畠次郎太夫、討死、唐津勢、天草、本戸、島子村、四五百人、三千人、三宅藤兵衛、富岡、上使、隣国加勢、御横目衆、高瀬、戦況報告、未確定情報、索引形式相違、寛永十四年十一月十七日
後編5-No.1168文書確認度 中

智定坊供物請取状抄

伊勢正宮の御供所再興を祈って立てた供物の受取状の抄録。寛永十五年九月八日付で、当番智定坊が受け取ったことを記し、条文の詳細は省略されている。

登場人物
智定坊
宛先
国分隈兼中(書付)
キーワード
智定坊、国分隈兼中、伊勢正宮、御供所再興、祈願、供物、受取状、抄録、寛永十五年九月八日
後編5-No.1327文書確認度 中

島津光久書状

先公方徳川家康の時に島津家が琉球を拝領した由緒、遠隔地であるため使者の往還が稀となり関係が途絶えかけたこと、武力行使の構えを経て和睦し、先代中納言島津家久が琉球国司を従来どおり立て置いた経緯を述べる。島津光久が家督を継いだ後も家久同様に取り扱うので心得るよう求め、詳細は使者の口上に委ねた書状。寛永十五年八月二十五日付。

登場人物
島津光久、島津家久(中納言)、徳川家康、肥後長左衛門尉、田中善兵衛尉
宛先
琉球国司・中山王側(宛所記載なし)
キーワード
島津光久、島津家久(中納言)、徳川家康、琉球、琉球国司、中山王側、家督相続、使者往還、和睦、肥後長左衛門尉、田中善兵衛尉、寛永十五年八月二十五日
後編5-No.1329文書確認度 中

川上久国外三名連署覚書

川上久国(左近将監)・三原左衛門佐・山田民部少輔・鎌田出雲守が、家中の政務上の懸案と処置方針を条書きした連署覚書。罪人の遠島・籠居・寺預け・召還・赦免、逃亡者や罪人を匿う者および親類への対応、南蛮宗の者の取締り、琉球への日本人の居付きの禁止、知行地・荒地の返還と代銀、役儀・土地回復などを扱う。寛永十五年九月二十一日付。

登場人物
川上久国(左近将監)、三原左衛門佐、山田民部少輔、鎌田出雲守
宛先
伊兵少様・野州様
キーワード
川上久国、川上左近将監、三原左衛門佐、山田民部少輔、鎌田出雲守、伊兵少様、野州様、連署覚書、罪人、遠島、籠居、寺預け、逃亡者、南蛮宗、琉球、日本人居付、知行地、荒地返還、代銀、役儀、寛永十五年九月二十一日
後編6-No.80文書確認度 中

安倍正之書状

安倍正之が島津光久へ、将軍家光が健勝であると報じ、贈られた琉球酒一壺に謝した書状。江戸城本丸の作事が盛んに進み、翌年四月前には完成するとの取沙汰を伝え、伊勢貞昌と折々会って光久のことを話しているので、江戸で適当な用があれば命じてほしいと述べる。本文の日付本体は寛永十六年三月十九日で、脇注に「御譜ハ十一月トス、余カ寫誤カ」とあり、御譜では十一月とする異同を併記する。

登場人物
安倍正之、島津光久、徳川家光、伊勢貞昌
宛先
薩州様参入々御中(島津光久)
キーワード
安倍正之、島津光久、徳川家光、伊勢貞昌、琉球酒、贈答、江戸城本丸、作事、翌年四月、取沙汰、寛永十六年三月十九日、御譜十一月、日付異同
後編6-No.165文書確認度 中

新納忠清書状

新納加賀守忠清が、廻国の聖を領内でどのように扱うか国元役人へ問い合わせた書状。通手形を持って到着し、羽月若王寺へ経納に向かう聖に一人を付き添わせ、菱刈九左衛門を遣わしたと聞いたことを記す。このような修行者を内場へ通すことは法度であるため、鹿児島へ連行して指示を仰ぐ案を示し、薩摩・大隅・日向での巡回を終えた者なので最終的には下知に従うとしている。本文年紀注は「寛永十六、十七、十八比カ」、インデックスは「寛永十七、十八年比」で、八月十五日は一致する。

登場人物
新納忠清、菱刈九左衛門、廻国聖
宛先
谷口次郎左衛門尉殿・伊地知弥右衛門尉殿 御報
キーワード
新納忠清、菱刈九左衛門、廻国聖、通手形、羽月若王寺、経納、修行者、内場、法度、鹿児島、薩摩、大隅、日向、下知、本文年紀注、寛永十六・十七・十八年頃、インデックス年紀、寛永十七・十八年頃、八月十五日、年紀異同、書状
後編6-No.177文書確認度 高

島津家久石塔銘

島津光久が、父島津家久の三回忌追福のため高野山に建立した石塔の銘。家久を薩摩・大隅・日向三州の太守、従三位中納言、慈眼院殿華心琴月大居士と記し、寛永十七年二月二十三日付で、その追善と成仏を願っている。

登場人物
島津光久、島津家久(慈眼院殿華心琴月大居士)
宛先
—
キーワード
島津光久、島津家久、慈眼院殿華心琴月大居士、琴月、高野山、石塔銘、三回忌、追福、従三位、中納言、薩摩、大隅、日向、寛永十七年二月二十三日
後編6-No.250文書確認度 高

島津光久袖判条書

本文は「二三七号文書ト同文ニツキ省略ス」とする。参照先No.237によれば、島津光久が家中の職分運営について定めた袖判条書で、職分・物定の吟味と談合を担当する頭取二、三人を選び、諸役人へ渡す書物には頭取が判形を据えること、職分帳・条書を扱う担当者を置くことを命じる。役務・奉行・兵具・褒賞などの案件は必要な人数を招集して吟味し、決定事項を記録し、難しい案件は複数の適任者で相談して処理するよう定める。No.250は寛永十九年四月二十三日、参照先No.237は同年正月二十三日である。

登場人物
島津光久、家老、諸役人、頭取衆、与力、筆者
宛先
—
キーワード
島津光久、家老、諸役人、頭取、職分、物定、吟味、談合、判形、職分帳、条書、奉行、兵具、褒賞、記録、袖判条書、本文省略、No.237同文、寛永十九年四月二十三日
後編6-No.307文書確認度 高

林春斎書状

林春斎が、改元の噂について照会に答えた書状。即位時に年号を改める例と改めない例があり、公家・武家の間で前年から沙汰はあるものの、まだ正式な改元はないと説明する。公儀から仰せが出るまでは寛永年号を用いるべきであり、改元が決定したとの情報ではないと注意している。

登場人物
林春斎、島津光久、公家衆、武家衆、朝廷
宛先
—
キーワード
林春斎、島津光久、改元、年号、寛永、即位、公家、武家、公儀、先例、照会、書状
後編6-No.445記事確認度 高

島津光久譜

島津光久譜の記事。寛永二十一年十二月十六日、留守居の新納久詮が諸大名の留守居とともに評定場へ出席し、井上筑後守・宮木越前守から、各領国の地図を幕府へ献上するよう命じた条書を受領した。日向国の領地は諸氏に分かれている一方、薩摩・大隅・日向三州の地図は島津光久に一括して献上させることとなったため、飯野城主伊東祐久・縣城主有馬康純・財部城主秋月種春・佐土原城主島津久慶に、光久の命に従って地図作成を担わせた。

登場人物
島津光久、新納久詮、井上政重、宮木正次、諸大名留守居、伊東祐久、有馬康純、秋月種春、島津久慶
宛先
—
キーワード
島津光久、新納久詮、井上政重、宮木正次、諸大名留守居、評定場、領国絵図、地図献上、幕府命令、日向国、薩摩国、大隅国、三州、飯野城、伊東祐久、縣城、有馬康純、財部城、秋月種春、佐土原城、島津久慶、寛永二十一年十二月十六日
後編6-No.447文書確認度 高

覚(領国絵図作成条目)

領国絵図作成の条目を列挙した覚。城の本丸・二丸・三丸、堀、天守・櫓、城内外の高所、侍町・町屋、山城・平城の書式を定める。郷村の知行高を別紙帳二通にまとめ、一国・一郡ごとの石高、山野、道程、国境、道・川・橋・渡し、難所、滝・溝川の水色、絵図の縮尺・色分け・仮名書きを統一し、水損・塩損地も記載して旧絵図と照合し、相違なく作成するよう命じる。寛永二十一年十二月十六日、井上政重・宮木正次が評定場で示し、新納久詮が諸大名衆・留守居衆とともに受領した。

登場人物
井上政重、宮木正次、新納久詮、諸大名衆、留守居衆
宛先
—
キーワード
領国絵図、国絵図、城絵図、本丸、二丸、三丸、堀、天守、櫓、侍町、町屋、山城、平城、郷村、知行高、石高、国境、道程、川、橋、渡し、難所、水損、塩損、縮尺、色分け、仮名書き、井上政重、宮木正次、新納久詮、評定場、寛永二十一年十二月十六日
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 84-8記事・家久伏見参勤回想旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

権現様が伏見に在座した際、島津家久が夜中に船で上陸して召し出され、黒毛・鹿毛の馬二疋を拝領した経緯を記す。後日の御目見と上意を付記し、寛永18年9月27日付で回想をまとめる。

登場人物
島津家久、徳川家康(権現様)
宛先
なし(記事)
キーワード
記事、島津家久、徳川家康、伏見参勤、御目見、拝領馬、寛永18年
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 565-6連署書状・薩摩勢の島原参陣要請旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

戸田氏鉄・松平信綱連署書状

戸田氏鉄・松平信綱が松平大隅守家久へ、薩摩の人数を島原へ急ぎ参陣させるよう求める。軍役の具体的指図は石谷十蔵貞清から伝えるため、その命に従うよう命じる。寛永十五年正月五日付。

登場人物
戸田氏鉄 松平信綱 松平家久 石谷貞清
宛先
松平大隅守家久
キーワード
戸田氏鉄 松平信綱 連署書状 寛永十五年正月五日 松平家久 薩摩勢 参陣
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 573手形・大口衆の島原加勢人数割付旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鹿児島賦所手形

大口地頭仮屋に伝来した鹿児島賦所手形。島原加勢の人数を定め、鉄砲・弓・鑓、飯米、水船などを準備して指定どおり差し出すよう命じる。寛永十五年正月五日付。

登場人物
新納加賀守 大口衆 鹿児島賦所
宛先
新納加賀守・大口衆中
キーワード
鹿児島賦所手形 寛永十五年正月五日 大口衆 島原加勢 人数割付 武具