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旧記雑録拾遺 著作史料集4の目録

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  1. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:3-33 島津忠昌社参随兵人数書

    文亀四年二月、島津忠昌が正八幡宮へ初めて社参した際の随兵人数書。十四日に鹿児島を出立、十五日に社参・帰還、十六日に先打ちとし、河上筑前守以下の随兵と武具を列挙する。合計三百七十一人とし、重久孫七を伊地知越後守重實に比定する。

  2. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:3-34 大隅国重久名坪付

    大隅国重久名の田地・屋敷を門ごとに列挙した坪付。久留須田門、星熊門、菅生門などの田数・屋敷数を記し、屋敷十一ヶ所、別府五ヶ所などを集計する。末尾に永正十八年三月吉日とある。

  3. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:3-35 島津忠兼書状

    島津忠兼が本田因幡守に与えた大永六年十一月四日付書状。頼み入れの件につき曽於郡を宛行い、忠節を尽くすよう求める。後段には本田氏から重久氏への系譜と後嗣に関する考証を付す。

  4. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:4-1 頴娃久甫口上覚

    頴娃久甫が、重久越後と養子弥三郎父子の奉公実績と家伝文書を挙げて申し立てた口上覚。龍伯・惟新に従った経緯と道鑑の文書九通などを示し、重久跡目の筋目を理由に外城養子の許可を求める。

  5. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:4-2 文書系図覚書

    重久家の文書・系図を列挙した覚書。道鑑の文書九通、尊氏公文書一通、畠山氏文書、不知文書、善宝寺文書、重久系図一巻などを記す。後段に宝永三年の御記録所による諸家系図文書徴集の経緯を付す。

  6. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:5-1 鎌田政重覚書留

    鎌田四兵衞政重が御記録所へ提出する系図・文書を列挙した覚書留。鎌田系図、曽於郡系図、道鑑公御判文書九通、尊氏公御判文書、畠山氏・善法寺の文書、重久系図等を記し、用済み後の返却を求める。

  7. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:5-2 田中国明・市来家年連署受取状

    御記録所の田中五右衞門国明と市来早左衞門家年が連署した宝永三年七月十二日付受取状。鎌田政重が提出した系図・文書を当座で受け取り、用済み次第返却するため、その際に本受取状を差し出すよう通知する。

  8. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:5-3 某覚書

    重久家の系図・古文書の伝来を記した覚書。宝永三年に鎌田政重が御記録所へ提出した文書群の由来を述べ、伊地知季安の周旋によって鎌田家から重久篤極へ伝授され、天保九年十二月十五日に引き渡された経緯を記す。

  9. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:6-1 鎌田直右衞門・鎌田仲之丞連署證文

    鎌田直右衞門と嫡子仲之丞が連署した天保九年十二月十五日付證文。重久氏系図一巻、尊氏将軍御教書、道鑑の御判物、畠山直顕・善法寺の文書などを列挙し、重久篤極へ引き渡したことを証する。

  10. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:6-2 小山萬次郎證文

    重久佐次右衞門家役人の小山萬次郎が、重久家の家宝である系図・御判書・古文書を鎌田家から受領したことを証した證文。天保九年十二月十五日、鎌田直右衞門と嫡子仲之丞に宛て、後証として作成した。

  11. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID shige:7 足立盛成證文

    足立盛成が重久氏の家宝を閲覧に供した経緯を証した證文。御判書・古系図・系譜伝を大年寄浦橋の取次で差し出し、太守の覧に供したのち即日返却されたことを記す。末尾で系譜伝が本冊であると注記する。

  12. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:1 山口直友・本多正信連署起請文

    山口直友と本多正信が血判連署した起請文。龍伯と少将の身命、薩摩・大隅・諸縣の領有、少将への家督相続、義弘への処遇などについて約束し、違背しないことを神文に誓う。

  13. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:2 徳川家康起請文案

    徳川家康の起請文案。薩摩・大隅・諸縣の領有を従前どおり認め、少将への跡目譲与に異議がないこと、義弘についても龍伯への忠節を踏まえて別儀なく扱うことを約する。後段に義弘の逼塞と赦免の経緯を付す。

  14. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:3 徳川家康起請文前書

    徳川家康が島津義弘・家久父子に与えた起請文前書。秀頼への奉公を疎略にしないこと、島津父子に対して表裏や疎略をなさず、讒人の説を用いないことなどを誓約する。

  15. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:4 井伊直政書状

    井伊直政が島津家久に宛てた書状。先便の書状が到着したかを問い、島津側の釈明が遅れていることを指摘して早急な申し開きを促し、自らもできる限り奔走すると伝える。

  16. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:5 井伊直政書状

    井伊直政が島津家久に宛てた書状。前年冬に派遣された両使の口上を聞き、内府徳川家康へ申し伝え、返答を使者に言い渡したことを報告する。重ねての使者を受け、事態への辛抱を求める。

  17. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:6 山口直友書状

    山口直友が島津家久に宛てた書状。情勢を詳しく知らせるため旅庵を下し、和久甚兵衞を使者に添えたことを述べ、井伊直政と相談しながら島津側の用件を取り次いでいるとして辛抱を求める。

  18. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:7 山口直友書状

    山口直友が島津義久・家久に宛てた書状。両使の口上を詳しく承り、井伊直政と相談して披露したこと、奉行衆からの申し入れを踏まえて処置を進めていることを報告し、しばらくの辛抱を求める。

  19. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:8 山口直友書状

    山口直友が島津義弘に宛てた書状。徳川家康が当月二十五日に上着し、二十八日に島津家久が出仕して懇切な応対を受けたことを報じ、その首尾を喜び、義弘へ年末の賀意を伝える。

  20. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:9 本多正信書状

    本多正信が島津家久に宛てた書状。対面して厚意を受けた喜びを述べ、家久が造作をいとわず下向し無事帰国したことを祝う。今後も幕府への勤仕に励み、折々に音信するよう勧める。

  21. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:10 本田正純書状

    本田正純が島津家久に宛てた書状。島津勢が大嶋へ着船して同島を制し、琉球国主の居所へ進軍したとの報告を受け、徳川家康へ披露したことを伝える。遠島での働きを賞し、琉球支配の内書が出されたことと、引き続き現地の様子を注進するよう求める。

  22. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:11 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津義弘に与えた御内書。琉球へ渡った軍勢が短期間に敵勢を討ち、国王を降参させ、近日中に帰着する見込みであることを無双の仕合と賞し、詳細は本多正信から伝えるとする。

  23. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:12 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久に与えた御内書。琉球へ差し遣わした兵船が速やかに戦い、多数を討ち取って国王と三司官以下を降参させ、渡海して来るとの注進を受け、その働きを比類ないものと賞する。

  24. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:13 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津義久に与えた御内書。琉球へ派遣した兵船が敵勢を多数討ち、国王を降参させ、三司官以下が近日到着するとの報告を希有の次第と賞し、詳細は本多正信から伝えるとする。

  25. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:14 本多正純書状

    本多正純が島津家久に宛てた書状。大嶋を制したのち徳之島を経て琉球へ進み、戦闘で敵を多数討ち、国王の城を包囲して降参させた経過を詳報する。国王側の使者を幕府へ送る手配と、家康がこの戦功を喜んだことを伝える。

  26. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:15 本多正信書状

    本多正信が島津家久に宛てた書状。両御所の威光のもと琉球を速やかに服属させ、国王らが渡海するとの報告を受けたことを喜び、戦功を家康・秀忠へ詳しく披露したと伝える。

  27. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:16 徳川家康御内書

    徳川家康が島津家久に与えた御内書。琉球が速やかに平定されたとの注進を受けて手柄を賞し、同国を島津家へ進め置くので、今後の仕置を十分に申し付けるよう命じる。

  28. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:17 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久に与えた御内書。琉球平定の再度の注進と、青貝の二十四孝床屏風・段子十端の贈物を受け、珍奇な品々を喜んだことを伝え、詳細は本多正信から申し述べるとする。

  29. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:18 本多正信書状

    本多正信が島津家久に宛てた書状。琉球支配を認める家康・秀忠の内書を受けたことを祝い、当年中は在国して琉球の仕置を進めるよう命じられた旨を伝える。段子・唐床屏風などの進物への謝意と、江戸の様子は町田庄兵衞が言上すると記す。

  30. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:19 徳川家康御内書

    徳川家康が島津家久に与えた御内書。琉球国の領知を認めたことへの謝意を受け、返礼の音信として仏桑花・茉莉花、硫黄千斤、唐屏風、緞子五巻が届いたことを喜ぶ。

  31. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:20 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津義弘に与えた御内書。先に琉球で成果を挙げたとの注進を受けたことを述べ、その褒賞として太刀一腰・馬一疋・段子十巻を贈り、詳細は本多正信から伝えるとする。

  32. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:21 本多正純書状

    本多正純が島津家久に宛てた書状。琉球の拝領と両御所の内書を受けたことを祝い、上洛して御礼したいとの意向に対し、当年中は在国して琉球の仕置を整えるよう伝える。あわせて仏桑花・茉莉花・硫黄・唐屏風・段子などの進物への謝意を述べる。

  33. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:22 本多正純書状

    本多正純が島津家久に宛てた書状。琉球国王尚寧の上洛・東行について、伏見から江戸までの道中、宿泊、継送、随行者などを整え、両御所への拝謁に支障がないよう手配することを求める。

  34. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:23 井伊直継書状

    井伊直継が島津家久に宛てた書状。書状と太刀・馬・段子十巻・銀子三十枚の贈物に謝し、琉球国王が駿府・江戸で拝謁を遂げ、無事に帰国の途についたことを祝う。

  35. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:24 最上家親書状

    最上家親が島津家久に宛てた書状。城中での対面が短かったことを惜しみ、琉球国王の奏者を務めたため、当夜に家久の門前へ礼に赴きたいので内儀へ取り次ぐよう求める。付載記録には、琉球国王の上洛・駿府および江戸での拝謁、進物、饗応、帰途の経過が列記される。

  36. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:25 本多正純書状

    本多正純が島津家久に宛てた書状。大坂の件が無事に収まったので、船がどこまで進んでいても早々に帰国してよいとの意向を伝え、先の書状でも同趣旨を申し入れたとして速やかな帰国を勧める。

  37. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:26 豊臣秀頼書状

    豊臣秀頼が島津家久に宛てた書状。大仏供養をめぐって駿府側との関係が悪化し、大坂方の諸将が招集された経緯を伝える。片桐且元を使者として事情を説明させるので、状況をよく聞き取り、今後の対応を相談したいと求める。

  38. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:27 豊臣秀頼書状

    豊臣秀頼が島津家久に宛てた書状。大坂の情勢について相談したいとして高屋七郎兵衛尉を再度派遣し、十分に思案したうえで早々に上洛するよう求める。

  39. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:28 島津家久書状

    島津家久が豊臣秀頼側へ提出した返書。上洛の求めを受けたものの、関ヶ原合戦の際に父義弘が石田方に属した事情と、その後に徳川家康が島津家を安堵した恩義を述べ、以来徳川方へ忠勤しているため要請に応じられない旨を説明する。拝領した正宗の脇指も返上すると記す。

  40. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:29 本多正純書状

    本多正純が島津家久に宛てた書状。大御所徳川家康が十八日に入洛し、将軍徳川秀忠も二十三日または二十四日に伏見へ到着する予定であると伝える。大坂への出陣にあたり、人数の多少を問わず兵を率いて速やかに参陣するよう命じる。

  41. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:30 山口直友書状

    山口直友が島津家久に宛てた書状。五月五日に徳川家康・秀忠が出馬し、七日に先手が大坂へ攻め入り、本丸が焼け、翌八日に豊臣秀頼らが自害した経過を報じる。残置兵を国元に残して早々に上洛することと、この書状を島津義弘へ届けることを求める。

  42. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:31 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠の御内書。目録に慶長十四年七月五日付と記載され、本文は『諸旧記』一六号文書と同文であるため省略すると注記される。

  43. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:32 徳川家康御内書

    徳川家康の御内書。本文は『諸旧記』一一号文書と同文のため省略される。付記には、琉球から唐への通交についての御諚を山口直友が申し伝えた書状であると記す。

  44. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:33 山口直友書状

    山口直友が島津家久に宛てた書状。徳川家康が無事に駿府へ帰着したことを伝え、家康の在京中に琉球から唐への通交について尋ねられた件の返答を報告する。さらに琉球国王から唐へ商船を渡海させたいとの願いを申し上げ、その内容を口上で伝えるとする。

  45. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:34 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久に与えた御内書。琉球から大明へ派遣した使節について、先船が帰国し、使者は北京へ達して当夏に帰着する見込みとの報告を受けたことを喜ぶ。花砂糖・白砂糖・焼酎などの進物の到来にも謝意を示す。

  46. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:35 松平信綱外二名老中連署状

    松平信綱・阿部忠秋・阿部重次が島津光久に宛てた老中連署状。大明の兵乱に際して琉球への中国糸商売をどう扱うかとの照会を受け、琉球については従来どおり売買を続けるのがよいと回答する。

  47. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:36 堀田正盛書状

    堀田正盛が島津光久に宛てた書状。琉球の八重山島に以前から置かれていた番人を引き取ることと、琉球国王の継目は島津家の判断で申し付けてよいことを、上意として伝える。使者を派遣した丁寧な対応も了承する。

  48. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:37 松平信綱・阿部忠秋老中連署状

    松平信綱・阿部忠秋が島津光久に宛てた老中連署状。八重山島の番人引取と琉球国王継目について先の上意を承知したとの返答を確認し、使者派遣を了承する。付記では、韃靼王による唐の攻略と琉球への冠船渡来の風聞を背景として、幕府への報告と松平定行への伝達に触れる。

  49. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:38 島津久通外四名連署覚

    島津久通ら五名の連署覚。順治帝から琉球へ使者船が渡来するとの風聞を受け、江戸の老中へ内意を尋ねた経過を記す。清朝使節の受入れ、琉球を介した唐との通交、冠船の取扱い、幕府への報告、琉球へ派遣する使者と指示内容などを協議し、国際関係を損なわず慎重に処置する方針を整理する。

  50. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:39 島津久通外四名連署書状

    島津久通ら五名の連署書状。長崎の薬丸刑部左衞門から、琉球へ清朝の冠船が渡来するとの風聞や福州での大船建造の情報が届いたことを伝える。琉球へ誰を派遣するかを早急に決め、派遣者への指示を国元から示すよう求める。

  51. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:40 島津久通外四名連署書状

    島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。琉球へ清朝の使者が渡来するとの風説を大隅守から江戸の老中へ披露し、その旨を飛脚で松平定行へ報告した経過を伝える。琉球へ二人の使者を派遣したことも知らせ、定行への披露を依頼する。

  52. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:41 島津久通外四名連署書状

    島津久通ら五名の連署書状。長崎で広まった清朝使節船の琉球渡来説について、現地の情報収集者から奉行所へ届け、通事を介して唐船に確かめた内容を覚書形式で報告する。大船建造や使節派遣の情報を列挙し、付記では松平定行へ竹宮内記を使者として差し向けたと記す。

  53. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:42 松平定行書状

    松平定行が島津家の家老五名に宛てた書状。島津光久の在国中の無事と、江戸在府の島津忠朗の安泰を伝える。琉球へ渡る清朝の冊封使船をめぐり、福州船や漂着船の情報を示し、幕府への申達と琉球側の受入れ対応について相談する。

  54. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:43 島津久通外四名連署書状

    島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。松平定行からの書状を受け、琉球へ向かう清朝の冊封使船、福州での船の準備、漂着唐人の口上などを報告する。幕府内証のうえ琉球側へ指示する必要があるとして、定行の意見と仲介を求める。

  55. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:44 松平定行書状

    松平定行が島津家の家老五名に宛てた書状。琉球から唐へ渡る進貢船が海賊被害に遭った件について、長崎の唐船・東寧船への調査と過料銀の措置を伝える。あわせて琉球へ渡る冊封使船の情報と、竹宮内記が持参した書状への返答を述べる。

  56. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:45 板倉重矩書状

    板倉重矩が島津光久に宛てた書状。前年、琉球から清朝へ渡った進貢船二艘のうち一艘が唐で海賊に襲われ、荷物を奪われて琉球人にも死傷者が出た件を取り上げる。長崎奉行の調査結果を伝え、入念な対応と報告を求める。『旧記雑録追録一』一四五六号文書と同一とする注記がある。

  57. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:46 稲葉正則書状

    稲葉正則が島津光久に宛てた書状。琉球の清朝進貢船が唐で海賊被害に遭い、長崎で東寧船関係者を取り調べ、過料として白銀三百貫目を差し上げさせた経過を述べる。近年の琉球との交易、とくに毛織物の取引方法まで詳しく報告するよう求める。『旧記雑録追録一』一四七六号文書と同一とする注記がある。

  58. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:47 某届書

    琉球から薩摩へ毛織物が大量に渡り、京都・大坂で売買されているとの幕府の照会に答えた届書。天鵝絨、毛氈、紗綾、縮緬、繻子、緞子、綸子、糸などの取引状況を説明し、従来どおりの売買で不相替であると報告する。天和三年の琉球渡来品書付は省略される。

  59. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:48 某口達覚

    大久保忠朝から島津家側へ伝えられた口達の覚。琉球の冊封使に伴って唐人が持ち渡った糸・巻物類と、薩摩から琉球へ渡した品物・銀高について、過去三年分の数量と金額を書き出して提出するよう求める。相良仁右衞門から角田数馬への伝達経路も記す。

  60. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:49 伊勢十兵衛覚

    伊勢十兵衞の覚。琉球からの唐買物品の書付について、相良仁右衞門から受け取った一年分に加え、天和三年以後の三年分を国元へ急ぎ照会して提出するよう大久保忠朝から命じられた経過を記す。近藤吉左衞門を通じて受けた指示と、書付を受領して差し出した旨を報告する。

  61. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:50 伊勢十兵衛覚

    伊勢十兵衞の覚。琉球から薩摩へ渡す物品の数量・銀高と、薩摩から琉球へ渡す物品の数量・銀高について、過去三年分を書付にして早急に提出するよう命じられたことを記す。

  62. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:51 某届書

    大久保忠朝へ差し出した届書。唐買物と琉球・薩摩間の売買品・銀高を書付にするよう命じられ、国元へ照会したが詳細の把握には時間を要すると説明する。先に把握できた分を提出し、天和三年から貞享元年まで三年間の琉球渡来品と、その売却代銀で琉球へ買い下した品々の書付を添えたとする。

  63. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:52 某届書

    大久保忠朝へ差し出した届書。琉球から薩摩へ渡る売物が年三千両余に及ぶため、今後は二千両以内に制限するとの内意に対し、諸物の相場や為替差損、船の損害などを理由に一律制限の困難を説明する。琉球物購入後の残銀を持ち渡すことはないとして、従来どおりの取扱いを求める。

  64. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:53 琉球渡金高制限覚書

    島津綱貴が登城した際、老中列座の場で申し渡された覚書。薩摩・大隅両国から琉球への年々の商売を金高二千両に限り、さらに金銀を直接渡すことを禁じる。琉球から買い取る品も必要品に限り、不要品を一切買わないよう命じる。『旧記雑録追録一』一一〇三八号文書とほぼ同文との注記がある。

  65. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:54 某口上覚

    大久保忠朝へ差し出した口上覚。琉球から唐へ渡す買物品・銀高、日本から琉球へ渡す品・銀高、琉球から薩摩へ渡して売る品・銀高を説明する。唐買物は進貢船の隔年航海に伴うもので、代銀や相場は年により変動するとし、天和二・三年と貞享元年の三年間の算用書を添えて従来どおりの取扱いを願う。

  66. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:55 某届書

    大久保忠朝へ差し出した届書。天和二年の進貢船二艘、同三年の左聞船一艘、貞享元年の進貢船二艘について、唐へ渡した銀高と金換算額を列挙する。これらは上方・薩摩で買い調えた物品の代価であり、記載額以外の現銀を琉球へ渡していないと説明する。

  67. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:56 某口上覚

    大久保忠朝へ申し入れた口上覚。琉球から清朝へ渡す売買品と金高の書付を求められ、琉球側から届いた詳細をもとに、隔年の進貢船二艘による唐買物、薩摩から渡す金銀、買立・売立の計算方法を説明する。金銀相場の変動と船数により金高が一定しないため、関連する算用書を添えて報告する。

  68. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:57 伊勢十兵衛覚

    伊勢十兵衞の覚。琉球から唐へ商売する金高の書付・口上書を大久保忠朝が披見し、当年は琉球への渡銀を千三百両減らすよう命じた経過を記す。日本の金銀流出を抑えるため年貢・商取引を勘案し、唐物に封印を施し、長崎の割符宿や上方の問屋を通じて販売する方策を検討するよう求める。

  69. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:58 国元家老連署書状

    島津家の国元家老が長崎在勤者らに宛てた連署書状。琉球の進貢船が唐から買い渡す商売品は従来長崎や上方で売却してきたが、前年は長崎で滞ったと説明する。中山王の内意を受けて市来次郎左衞門を派遣するため、今後の商売が滞らないよう長崎での取成しを依頼する。

  70. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:59 京都町奉行前田直勝・井上正貞連署書状

    京都町奉行の前田直勝・井上正貞が松平薩摩守に宛てた連署書状。琉球が清朝へ進貢船を出し、糸・巻物類を輸入してきたが長崎で売買が滞ったため、他所の商品と混同しない形で京都販売を認めてほしいとの願いを扱う。大久保忠朝の指示により、京都で問屋を定めて販売させる旨を伝える。

  71. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:60 島津久明覚書

    島津久明の覚書。琉球の対明・対清進貢と薩摩への聘礼の由来、島津氏による琉球支配、進貢・接貢や冊封使接待に要する銀を述べる。元禄銀の鋳造停止後も、琉球へ渡す銀に限って元禄銀位へ吹き替える許可を求め、正徳三年七月二日に井上正岑から返答があった経緯を記す。

  72. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:61 幕府老中達書

    幕府老中が松平薩摩守家来へ示した達書。元禄銀は当時鋳造していないが、琉球国王の冊封使来航に伴う銀の必要については先代将軍も願意を聞き届けているため、願いどおり元禄銀位に吹き替えるよう命じる。『旧記雑録追録三』二四一号文書と同一との注記がある。

  73. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:62 島津吉貴請書

    島津吉貴が幕府老中へ差し出した請書。領国琉球へ渡す進貢・接貢料の銀について、願いどおり吹替えを許可されたことを謝し、使者を差し出した旨を述べる。主文は『旧記雑録追録三』二四五・二四六号文書と同文との注記がある。

  74. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:63 土屋政直書状

    土屋政直が島津吉貴へ送った書状。将軍の機嫌を伝え、琉球へ渡す進貢・接貢料銀の吹替えが願いどおり許可され、島津家から使者が派遣された旨を承知したと返答する。『旧記雑録追録三』二六三号文書と同一との注記がある。

  75. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old2:64 猪俣見益老日記

    猪俣見益が弘化三年正月から書き写した家伝・日記。猪俣家の出自、父祖の履歴、島津家への奉公、合戦での軍忠、知行・移住、婚姻や親族関係、寺社との関わりなどを年代順に記す。末尾近くに家に有益な書として伝写した旨があり、次文書『上野隼人覚書』の中表紙へ続く。

  76. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old2:65 上野隼人覚書

    上野隼人入道宗秋が七十三歳でまとめた覚書。桓武平氏・高望王にさかのぼる家の由緒、自身の誕生と父祖、島津氏への奉公、各地の合戦・軍忠、役務や知行、寺社関係を回顧する。承応二年七月十六日付で、末尾は次文書『瀬戸口壱岐入道自記』の中表紙へ続く。

  77. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old2:66-1 瀬戸口壱岐入道自記

    瀬戸口壱岐入道の自記。日向の南之郷・福島之院・志布志・梅北や大隅末吉などをめぐる島津忠広らの動向を起点に、伊東方との抗争、城郭・所領、軍勢の移動、攻防と退却を物語る。文書冒頭は前段から続く形で、末尾は水之手郷から退く場面に至る。

  78. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old2:66-2 大隅国直冬方交名注文

    大隅国で足利直冬方に属した凶徒の交名注文。税所介・加治木彦次郎・祢寝郡司・修理所弥太郎・姫木郡司・羽坂孫太郎・小川郡司・蒲生彦太郎らの一族や入道を地域・系統ごとに列挙し、末尾を『右注進如件、氏御判』と結ぶ。『旧記雑録前編一』一四九九号文書と同一との注記がある。

  79. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old2:66-3 瀬戸口民右衛門書状

    瀬戸口民右衞門が薗田尊公へ送った書状。所持していた一冊と一族付について、前年秋に来宅した薗田から写本作成を求められたため、遅延を詫びつつ乱筆で写して進上したと述べる。文政七年三月下旬付で、末尾に今後も寛免を願う追啓を添える。

  80. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old2:67 面高連長坊朝鮮在陣日記

    面高連長坊による朝鮮在陣日記。慶長二年七月二十八日の固川・唐島付近での渡海と布陣から始まり、軍勢の移動、兵糧、攻城・合戦、使者や書状、傷病・戦死、天候などを日次で記す。泗川・晋州方面の戦況と撤収・帰国過程を経て十二月十九日に至り、のちの豊作を喜ぶ記事で結ぶ。『旧記雑録後編三』三四六・三四七号文書と同…

  81. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:68-1 文明記

    文明十六年に始まる薩摩・大隅・日向の戦乱記録。島津久逸と新納忠績の不和を発端に、近江守方と伊勢守方の対立、鹿児島・伊作・加治木・帖佐・蒲生・市来・東郷・祁答院などでの出陣、城攻め、和睦、軍勢の移動を日次に記す。末尾は東郷・山田・平川方面の掃討と帰陣に至る。

  82. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:68-2 文明記末文書

    『文明記』に付された戦闘記事。長禄二年以後に島津忠廉が関わった牛屎院・東郷城・蒲生・加治木・隈州など各地の戦闘と勝敗を箇条書きで記し、文明八年の弓箭合戦へ及ぶ。『旧記雑録前編一』一三六四・一五〇六・一五八七号文書と同一との注記がある。

  83. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:68-3 長谷場宗純書状

    長谷場宗純が島津忠昌の文武・忠節を称揚し、国や家のために身命を惜しまぬ覚悟と、後世の子孫が心得るべき規範を記した書状。慶長十二年四月上吉日付で長谷場越前守宗純が記し、文政九年八月に書写を終えた旨を付す。

  84. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:69-1 行脚僧雑録

    文明六年八月頃、京都から九州三か国を巡った行脚僧が見聞した雑録。守護島津武久の年齢と鹿児島居住を記し、薩摩・大隅・日向の一族・領主・地頭、居城・所領、寺社などを地域別に列挙する。末尾に肝付分・祢寝分の諸地名を掲げる。

  85. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:69-2 伊地知重英覚書

    伊地知重英の覚書に付された写本由来。知覧の寺にあった本書を河野彌左衞門が持参したため書写して置いた旨を記す。元禄五年十二月二十六日付。

  86. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:69-3 伊地知季美証状

    伊地知季美が、先祖助右衞門重英の自筆本を家に伝えてきたこと、そこに先祖・民部殿の名が見えるため求めに応じて書写したことを証する。後証として花押を据え、文化十三年三月二十六日付で記す。

  87. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:70-1 樺山玄佐自記

    樺山安芸守善久入道玄佐の自記。島津忠久の出自と三州下向、樺山氏の成立、歴代の系譜・所領・軍役、島津家への奉公、各地の合戦、家督・譲与、親族関係を回顧する。玄佐六十五歳の天正五年五月十八日付で辞世を添えて結ぶ。

  88. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:70-2 川上久盤覚書

    川上久盤の覚書。樺山家八代の樺山善久(玄佐)の生没・法名と辞世、樺山忠助ら近親者の生没年や関係を注記し、樺山家の伝記を補足する。

  89. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:70-3 川上久寧奥書

    川上久寧による『樺山安芸守善久入道玄佐斎之自記』の奥書。畠山湛深所持本から謄写した旨を記し、享保五年四月六日付で川上縫殿久寧が署名する。続いて文政六年十月の写本中表紙と、次文書『鮫島日向入道自記』への案内がある。

  90. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:71-1 鮫島日向入道自記

    鮫島日向入道松岳の自記。島津忠国・立久以後の当主と家族、伊作・阿多などの居住・所領、家臣の由緒や奉公、婚姻、年中行事、相続に関する伝承を、自身が聞き伝えた範囲で記す。末尾で記憶違いや遺漏の可能性を断り、鮫島日向入道松岳と署名する。

  91. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:71-2 伊地知季安奥書

    伊地知季安が、子孫所持の本であること、文政六年十月に有馬矢左衞門から借りて書写したことを記した奥書。伊地知小十郎季安の署名を付す。

  92. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old3:71-3 島津忠国一流系譜書抜

    島津忠国から立久らへ続く一流の系譜を書き抜いたもの。文明二年の聖栄自筆系図に見える系統を掲げ、末尾に丈之助が平上総介を婿養子として迎えた由緒を注記する。

  93. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:72 福崎伊与覚書

    福崎伊与が一代の奉公を列挙した覚書。高城の籠城・合戦をはじめ、豊後・肥後・高麗などへの出陣、敵討取や分捕、使者・先駆などの軍功を記し、慶長十七年正月吉日付で結ぶ。出水士福崎伊兵衛の由緒書に伝わる。

  94. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:73 下村甚右衛門覚書

    天正四年八月、伊東方の軍勢が田原山方面へ進出した際の戦闘を中心とする覚書。湯之尾・飯野周辺での軍勢の移動、交戦、討取などを記し、川上大炊介・次郎九郎らを証人として挙げる。田布施士下村甚右衛門文書に伝わる。

  95. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:74 豊州表在陣覚書

    天正十五年十一月二十二日以後の豊州在陣を記す覚書。鷲ヶ臺の城攻めを起点に、諸将・家臣の配置、交戦、討取、退却の経過を記し、佐渡・玄番の署名で結ぶ。鹿児島士瀬戸口浅右衞門所蔵文書に伝わる。

  96. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:75 伊集院頼久契状

    伊集院頼久が相互扶助と一味同心を誓った契状。約束に背く場合は諸神諸仏の罰を受ける旨を記し、応永六年十二月三十日付で伊集院弾正少弼頼久が署名する。『旧記雑録前編二』六三九号文書と同一。

  97. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:76 川上忠真譜

    川上忠真の忠節を記す譜。長年日新斎に仕え、その死後は島津貴久に奉公したこと、五十八歳で忠真の膝上に没するまで篤く仕えたことを挙げ、忠義を称える。

  98. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:77 川上忠直譜

    明応四年六月二十八日夜、加治木勢が帖佐を奪おうとした際、川上忠直が高尾城から応戦してこれを退け、帖佐地頭職を与えられた経緯を記す譜。末尾に忠直の名乗り・系譜を付す。

  99. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:78-1 恵岳妙智譜

    恵岳妙智の譜。島津家の女子として和泉薩摩守に嫁ぎ、豊臣秀吉の高麗出兵時には父や子らに伴って名護屋へ赴いたこと、その後薩摩へ召し返され、奥方への訴えを肥後様の取り成しで処理して大隅上井へ移った経緯と、終始奉公に励んだ生涯を記す。

  100. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:78-2 町田久光譜

    町田久光の譜。左馬伊与守と称し、道号を梁山東津居士とする。心慶寺殿が肝付方の支配下に入った際に奉行を命じられて大崎へ移り、同地で没した経歴を記す。