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旧記雑録拾遺 著作史料集4の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:256 羽島氏古系図
羽島氏の一紙古系図。尚(右衛門尉、法名円信)を中心に子孫・縁者を掲げ、早世や家筋の断絶を注記する。現羽島家の系譜は縁者の春田良円院が所持すると記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:257 国分久成軍忠状
薩摩国御家人国分豊後守久成が、島津上総介伊久の注進を受けつつ、谷河の陣、肥州日岡の陣、菊池木嶋の陣などでの軍忠を列挙し、その認定を求めた軍忠状。永和元年七月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:258 島津久豊宛行状
島津久豊が羽島豊後守に、島津御庄薩摩方薩摩郡内羽島村の当知行を宛行い、先例に任せて領掌に相違がないよう命じた宛行状。応永十九年三月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:259 関東下知状
西山九郎道有の娘紀氏の夫・相良兵衛尉長継と薩摩太郎忠友との羽島浦等をめぐる相論について、譲状・勘状などの証拠と双方の主張を検討して裁許した関東下知状。勘状正文紛失のため案文により成敗したと記す。貞応二年四月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:260-1 関東御教書
北条時頼が薩摩夜叉に、父平忠茂と母惟宗氏の譲状に任せ、本若松名主職、羽島浦一曲、花牟礼村の中嶋薗・沓崎薗、名内田二町三十代、屋敷一所を知行するよう命じた関東御教書。寛元四年十月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:260-2 関東御教書裏書
関東御教書について、忠兼の申請により資家らが、正文は連券であるため案文を正文の裏に封じて副え渡したこと、自筆である旨を承伏したことを記した裏書。元亨三年十月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:261 禅恵譲状
禅恵が軍忠によって拝領した羽島浦地頭職を二郎四郎へ譲り、相違なく知行するよう定めた譲状。建徳三年八月廿八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:262 鎮西下知状
薩摩国成枝名羽島浦の田畠山野をめぐり、若松彦太郎忠兼の代官忠金と国分二郎友貞が争った相論について、譲状・契約状・陳状・証文を審査し、田畠山野の知行と相互の沙汰を裁許した鎮西下知状。元亨四年八月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:263 島津存忠豊安堵状
島津存忠(久豊)が羽島新三郎に、薩摩郡内羽島の本領当知行について領掌に相違がないよう安堵した文書。応永廿八年八月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:264 島津存忠豊宛行状
島津存忠(久豊)が羽島新三郎に、薩摩国内の東郷退治の際、国分万徳の代として取り計らうよう命じた宛行状。応永廿八年八月九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:265 島津忠国安堵状
島津忠国が羽島豊後守に、羽島その他の知行地について相違がないよう、先例に任せて領掌することを安堵した文書。宝徳二年八月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:266 平忠茂譲状
平忠茂が徳夜叉丸に、先祖相伝の本若松名田畠、成枝内羽島浦の田畠山野海、花牟礼村の園などを関係文書とともに譲与し、所定の勤仕を命じた譲状。寛元元年九月十三日付。平忠国・沙弥頼仏が証判する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:267 平忠重譲状
平忠重が嫡子千与寿丸に、先祖相伝の薩摩国薩摩郡内の知行分、成枝名内羽島浦、本若松名・是枝名の田畠山野などを証文とともに譲与し、関東御公事を怠りなく勤仕するよう命じた譲状。弘安五年十二月二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:268 惟宗久成避状
惟宗久成が、羽島浦内横須の塩屋一宇と毎年馬一匹の権利を惣領友豊の一期中は避け渡し、友豊没後は豊正に知行させると定めた避状。禅恵の自筆自判でない文書を認めない旨も記す。応安七年十二月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:269-1 平忠兼売券
平忠兼が薩摩国薩摩郡羽島浦の田地などを代価百貫文で国府二郎へ永代売却し、後日の違乱を禁じ、違反時の弁償を約した売券。元応元年十一月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:269-2 平忠兼売券裏書
平忠兼が前掲売券を謀書であると申し立てたため、沙弥春寂と左衛門尉久義がその旨を記して売券の裏を封じた裏書。元亨三年十月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:270 羽島地頭検地目録
永仁二年分の羽島地頭検地について、見作田・損田・得田、地頭用、分米・残米などの面積と収量を集計し、直木殿へ注進した目録。永仁三年二月十日付。景遠・光有が署判する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:271 検注取帳抄
羽島郡名地頭御方の検注取帳から、土地名と反別を抜き書きした抄録。原本は二紙続きで、末尾を省略した旨を注記する。永仁二年十二月廿三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:272-1 平忠永譲状
平忠永が嫡子千世石丸に、先祖相伝の薩摩郡羽島浦の田畠・山野などを譲与した譲状。本文末尾を欠き、裏書は別掲されるとの原注がある。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:272-2 平忠永譲状裏書
平忠永譲状について、忠兼の申請により資家の自筆であることを承認し、正文が連券であるため案文を裏に封じて副え渡したことを記す裏書。元亨三年十月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:273 平忠兼寄進状
平忠兼が重代相伝の私領である薩摩国薩摩郡成枝名内羽島浦の田畠・山野・河海などを、若松名内の水田等を除いて天満宮薩摩国分寺へ寄進した文書。訴訟・注進の経緯と、子孫による違乱禁止を記す。元応元年十一月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:274 国分友貞宛行状
国分友貞が雑掌忠の給分として、薩摩国薩摩郡成枝名内羽島浦の水田一町のうち浜田六段・判官代田四段と塩屋一宇を宛行った文書。地頭方の先例ある所当公事は勤仕させ、寺家方の所当諸公事・山野草木・用水等は免除した。元応二年四月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:275 惟宗友重譲状
惟宗友重が松土与丸に、薩摩国分寺の原田一町・中間三段、刑部入道の千台薗一所、光富名半分を重代相伝の所領として譲与し、知行させた譲状。康永四年七月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:276 沙弥禅恵譲状
沙弥禅恵が松土与丸に、薩摩国天満宮国分寺領内の原田一町二反をはじめ、複数の田地・薗を重代相伝の所領として永代譲与し、子孫相伝させた譲状。建徳二年七月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:277 めうゑん書下
めうゑんが羽島浦内横須の塩屋について、国府殿から押さえられた件以外は公方へ申し出ても支障がない旨を聞き、了承・喜悦したことを伝えた書下。天授二年三月二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:278 惟宗久成譲状
惟宗久成が豊正に、禅恵の譲状に基づく薩摩国鹿児島郡内竹之村の所領を譲与し、永代知行させるとした譲状。応安七年十二月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:279 禅室避状
禅室が、仁田名内の一所を先祖相伝の所領としつつ、要用により羽島側の上方へ年貢・課役等を納めることや、後日の妨げをしないことを定めた避状。応永七年六月九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:280 禅祐譲状
禅祐が国分豊後守に、薩摩国薩摩郡成枝名内羽島浦三町分の本田・開・山野・河海などを譲与し、妨げなく知行するよう定めた譲状。応永八年三月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:281 沙弥通松譲状
沙弥通松が舎弟新三郎に、国分寺領内薩摩郡の羽島を、代々の坪付文書に従って譲与し、知行させるとした譲状。応永廿八年五月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:282 惟宗宗友譲状
惟宗宗友が松豊丸に、薩摩国薩摩郡内の国分寺領について、禅恵・禅祐・通松の知行分と河向の国分寺領田畠を残らず譲与し、妨げなく領知させた譲状。正長二年十一月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:283 惟宗宗友譲状
惟宗宗友が松豊丸に、薩摩国薩摩郡内向田一曲の所職田畠を、宗友の重代相伝の所領として譲与し、後代まで領知させた譲状。正長二年十一月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:284 禅恵譲状
禅恵が二郎四郎に、薩摩国鹿児島郡内竹之村の所職田畠・山野を坪付・公験に任せて譲与し、他の妨げなく永代知行させるとした譲状。応安五年二月廿八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:285 伊集院幸侃(忠棟)署判領知目録
伊集院幸侃(忠棟)が羽嶋藤右衛門尉に、隅州肝付内新富之村の余分から高四斗二升を割り付け、五斗出米の返地として領知させた文書。文禄五年十一月二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:286 村田雅楽助署判加増目録
村田雅楽助が羽嶋藤右衛門尉に、屋敷三畦三斗、法楽寺三反二畝八分内の中田七畦拾五歩九斗などを加増として宛行った目録。慶長六年十二月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:287 羽島太郎左衛門覚書
羽島太郎左衛門が、先祖羽島豊後守友康の二男宗七郎友茂が向氏の祖に当たることを、所持する系図に相違なく見えると証した覚書。天和三年正月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:288 末吉衆中根元記抄
末吉衆中根元記から、羽島太郎次郎の祖父が川内山田から高山へ移り、慶長五年に末吉へ移住して地頭村田雅楽入道に付属した経緯を抄出し、羽島周防助以下の系譜注記を付した記録。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:289 川上親敷覚書
御記録奉行川上親敷が、関ヶ原退陣時に福島佐渡介秀安が八代の御仮屋守を勤め、惟新を迎えた功により御仮屋地周辺を拝領した由緒と、その後の相続・譲渡を福嶋休右衛門の申出に基づき証した覚書。天明八年六月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:290 善哉坊勝福寺鐘銘
日向国諸県庄の勝福寺に関する鐘銘で、寛喜三年五月、願主比丘僧晋豪によることを記す。伊東氏の時代には祐光寺と称したとの注記や、高城・高岡郷士富満大右衛門方に伝来した旨を付記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:291 大前道貞軍忠状
薩摩国祁答院の富光九郎道貞が、日向国諸県郡八代で新田義貞方の伊東藤内左衛門尉祐広らを討つため、正月廿九日から城攻め・合戦に加わり、土持七郎らと戦功を挙げたことの証判を求めた軍忠状。建武三年二月四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:292 良間請文
良間が、日向国諸県郡大田原村へ侵入した伊東藤内左衛門尉祐広・肝付八郎以下の凶徒を、土持方が最前から味方して領内より追放したことを公方へ披露すると約した請文。建武三年正月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:293 円観請文
円観が、伊東藤内左衛門尉祐広・肝付八郎以下が土持氏の領分へ侵入したところ、土持方が最前から味方して凶徒を追放したことを、公方へ詳しく披露すると約した請文。建武三年正月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:294 土持宣栄軍忠状
土持新兵衛尉宣栄が、建武二年十二月以来の日向国での軍忠を列挙した軍忠状。伊東祐広らの国富庄侵入、穆佐院・楯籠城などでの合戦、祐広の追討、宣栄・子息時栄らの負傷を記し、証判を求めた。建武三年二月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:295 土持宣栄軍忠状
土持宣栄が、新田義貞方の伊東祐広らによる穆佐院攻撃に対し、一族とともに建武二年十二月末から翌年二月まで各地で戦い、肝付兼重方の城攻めや合戦で自身・子息・若党が負傷した軍忠を申告し、証判を求めた文書。建武三年二月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:296 土持宣栄軍忠状
土持宣栄が、自身の各所での軍忠は申告どおりであるとして、奉行所への披露を求めた軍忠状。守護代沙弥栄幽の承判がある。建武三年二月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:297 足利尊氏軍勢催促状
足利尊氏が、新田義貞与党の誅伐を命じた院宣に基づき、菊池武敏・武直らの敗走後も城郭を構える伊東祐広・肝付兼重を、島津庄惣政所代と談合して討つよう土持新兵衛尉へ命じた軍勢催促状。建武三年三月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:298 足利尊氏御教書
足利尊氏が、肝付八郎兼重以下の凶徒誅伐のため畠山修理亮七郎直顕を派遣したので、その催促に従って軍忠を尽くすよう土持新兵衛尉へ命じた御教書。建武三年三月廿八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:299 畠山直顕感状
畠山直顕が、土持新兵衛尉らが五月十日に新納院岩戸原彦尾で、新田義貞方の益戸弥四郎行政・益戸四郎兵衛尉秀名・石河内弁済使以下と合戦して忠節を尽くしたことを賞した感状。建武三年五月十二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:300 畠山直顕軍勢催促状
畠山直顕が、石之城に立て籠もる新田義貞方の益戸弥四郎行政以下を誅伐するため、佐伯備前権守とその一族らとともに同城へ馳せ向かうよう土持新兵衛尉へ命じた軍勢催促状。建武三年五月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:301 足利直義感状
足利直義が、畠山修理亮七郎から報告された土持新兵衛尉の鎮西凶徒誅伐における軍忠を神妙として賞し、今後も忠節を励めば恩賞を与えるとした感状。建武四年八月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:302 畠山義顕挙状
畠山義顕が、日向国の土持新兵衛尉宣栄が提出した軍忠目安状と具書を奉行所へ取り次ぎ、申告された忠節に相違なく、偽りなら神祇冥道の罰を受けるとして披露を求めた挙状。建武四年九月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:303 畠山直顕軍勢催促状
畠山直顕が、凶徒退治のため翌十四日に出発するので、土持新兵衛尉に国富庄河北へ急行し、同庄の軍勢を率いて忠勤を尽くすよう命じた軍勢催促状。建武五年三月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:304 足利直義感状
足利直義が、日向国の凶徒誅伐において度々軍忠を尽くした土持新兵衛尉を神妙と賞し、今後もいっそう忠勤に励むよう求めた感状。建武五年五月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:305 足利直義感状
足利直義が、日向国大将軍の畠山上野修理亮七郎から注進された土持新兵衛尉の軍忠を殊に神妙と賞し、今後もいっそう忠節を尽くすよう求めた感状。建武五年七月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:306 畠山直顕軍勢催促状
畠山直顕が、肝付八郎兼重の誅伐中に参陣しない国富庄の名主・庄官らを御敵と定め、土持新兵衛尉に南北郷へ急行して彼らを催促・連行し、不承引の者は住宅を焼いて身柄を召し進めるよう命じた軍勢催促状。建武五年九月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:307 畠山直顕軍勢催促状
畠山直顕が、肝付八郎兼重対治のため国富庄の名主・庄官を催すよう先に命じたのに音沙汰がないことを咎め、来る八日までに彼らを雀尾へ急ぎ連れて参るよう土持新兵衛尉へ重ねて命じた軍勢催促状。建武五年十月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:308 畠山義顕挙状
畠山義顕が、土持新兵衛尉宣栄は当初から一貫して味方として軍忠を尽くし、長年の奉公で疲弊していると述べ、合戦の要路を担うよう恩賞を宛行って勇気づければさらに忠功を尽くすとして、奉行所へ披露を求めた挙状。暦応二年二月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:309 足利直義感状
足利直義が、畠山修理亮七郎義顕から注進された、日向国の凶徒誅伐における土持新兵衛尉の軍忠を神妙と賞した感状。暦応二年十二月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:310 一色範親感状
一色範親が、去る二十四日に清瀧城の凶徒が曽井へ寄せ来た際、土持八郎時栄が馳せ加わって合戦し、親類・若党が負傷したとの注進を神妙と賞し、今後も忠節を尽くせば恩賞を与えるとした感状。延文六年六月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:311 一色範親感状
一色範親が、去る三日の合戦で土持八郎が忠節を尽くしたことを、同五日付の貞綱の注進によって確認し、毎度の軍忠を神妙と賞して、今後も忠節を尽くすよう求めた感状。延文六年十月九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:312 今川義範軍勢催促状
今川義範が、武光以下の凶徒が当城へ寄せ来て合戦の最中であるため、土持八郎左衛門入道に佐伯・蒲江辺へ急行して忠節を尽くすよう命じた軍勢催促状。応安四年十一月十四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:313 今川了俊軍勢催促状
今川了俊が、畠山治部大輔入道が味方として肥後国へ打ち出したことを伝え、土持左衛門太郎に早く同心・合力して忠節を尽くすよう命じた軍勢催促状。応安五年五月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:314 今川義範感状
今川義範が、宇目長峯へ打ち入り忠節を尽くした土持左近将監栄勝を神妙と賞し、今後も忠功に励むよう求めた感状。応安六年四月四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:315 今川了俊書状
今川了俊が、島津氏久対治の御教書に従わない者がいる中、大塚左近将監が池尻で当初から在陣し、ともに堪忍していることを、弓矢・天下のために殊勝でありがたいと賞し、恩賞を取り計らうと伝えた書状。十月廿七日付(年欠)。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:316 土持栄勝軍忠状
土持左近将監栄勝が、都城在陣中の島津越後入道との合戦、姫木城没落時の救援、真幸院への大将出陣への供奉、飫肥・櫛間への在陣と庄内出陣への供奉など、自身の軍忠を列挙し、大将が見知した事実として後代の証拠となる御判を求めた軍忠状。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:317 今川満範書状
今川満範が、土持左近将監栄勝が同年春から十二月二日まで飫肥・志布志・都城以下の諸所で諸方を味方に同心させた忠節を賞し、その詳細を探題方へ注進するとともに、今後も忠節を尽くすよう求めた書状。〔永和三年〕十二月二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:318 今川満範感状
今川満範が、日向国都之陣の合戦で忠節を尽くした土持大塚左近将監を神妙と賞し、その軍忠を注進するとした感状。康暦元年十月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:319 古系図由緒覚書
高岡士山下四郎左衛門所蔵の古文書三通に基づき、守屋大臣から藤原古東駿河守経家、その子王法師へ至る由緒と系図伝来を述べる覚書。王法師系の西国下向、周防・長門・豊前菊池庄・日向国田嶋などをめぐる伝承、継図・名字の相続、三郎次郎時重・永重までの系譜を記す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:320 伊東氏略系図
工藤一臈左衛門を上世に置き、伊東祐経・祐時以下の諸流を示す伊東氏略系図。鎌倉での奉公、日向下向、都城・高城などでの合戦と戦死、婚姻・養子、寺社・法名、所領や官途の注記を伴い、祐永・祐之・祐福・祐氏らの系統までを記す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:321 入田氏略系図
大友家四世因幡守親時の二男とされる入田次郎因幡守泰親を祖とし、入田城居住と入田姓の由来、氏朝・氏綱以下の諸流を記す略系図。大友氏からの安堵・御教書、合戦・戦死、官途・法名を付記し、氏隆が朝鮮出兵・関ヶ原を経て島津義弘に従い、日向国高原で千石を与えられた経歴までを記す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:322 大脇氏系図
為朝から為頼・為綱・為真・為春・為儀へ続く大脇氏の系図。為清が諸州流浪ののち佐々木氏に従い、烏帽子子として佐々木を称して四目結紋を用いたという由来、頼朝期に日向国大脇名の名主職を与えられ下向したとの伝承を記し、加治木・谷山・高岡の諸流や白山田の塔・棟札記事を付す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:323 大脇親為譜
伊東氏に近侍した十六人の一人、大脇源四郎民部左衛門尉親為(斎号自庵)の伝記。正月十一日の御所的で荒武氏と争い、代々の文書・系図を焼いて為和・為綱を伴い周防国山口へ退去した経緯、残留した妻子との再会、伊東氏からの帰参命令、晩年と法名相阿弥を記す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:324 貞恒補任状
左衛門尉貞恒が、大脇孫四郎恒為を大脇名主職に補任し、先例に任せて領知するよう命じた補任状。康永二年三月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:325 某袖判下文
袖判者が、大脇孫四郎経為に対し、都於郡大脇名内の田畠が先に藤見阿へ宛行われた後も、御恩の地である名主職は従前どおり知行し、御公事役も先例に従うよう命じた下文。観応元年十月廿七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:326 後光厳天皇口宣案
後光厳天皇の宣旨として、藤原恒為を佐衛門尉に任ずる口宣案。上卿は松殿大納言、奉者は蔵人勘解由次官平行和。延文四年二月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:327 足利義満袖判宛行状
足利義満が、大脇掃部亮重為に日向国都於郡大脇名の一部と百姓二人の跡を宛行い、故政殿の計らいと父恒為の譲りに任せて相違なく知行するよう命じた袖判宛行状。永徳三年卯月廿二日付(本文に『六月カ』の傍注)。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:328 伊東祐尭起請文
伊東祐尭が大脇掃部介に対し、双方の子孫まで等閑にせず、虚偽の訴えを受け入れず、面々への訴訟も細部まで承ると誓約した起請文。違背すれば八幡大菩薩・熊野三所大権現・天満大自在天神・霧島六所権現らの罰を受けると誓う。永享五年八月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:329 某袖判宛行状
袖判者が、大脇孫四郎恒為に日向国都於郡大脇名内の田一町代(中村)を宛行い、先例を守って領掌するよう命じた宛行状。貞和四年九月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:330 一色範親感状
一色範親が、清武城合戦で負傷しながら軍功を挙げた大脇四郎左衛門を神妙と賞し、その功を注進するとした感状。貞治二年十月八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:331 足利義詮感状
足利義詮が、一色刑部少輔範親から注進された大脇四郎左衛門の清武城での功名を神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。貞治四年八月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:332 伊東祐尭加冠状
伊東祐尭が大脇孫四郎祐為の加冠を行ったことを記す加冠状。応永廿五年六月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:333 伊東尹祐起請文
伊東尹祐が大脇加賀守に対し、双方の子孫まで等閑にせず、讒者の虚言を受け入れず、相互に疑義があれば腹蔵なく申し合わせると誓約した起請文。違背時には神々の罰を受ける旨を記す。永正九年八月十二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:334 本田権右衛門・春田喜左衛門連署届書
寛永十九年五月八日夜、本田兵右衛門の屋敷へ中尾仁左衛門・同千兵衛父子が切り入り、家人や近隣者を巻き込んで死傷・放火・追跡に至った事件について、本田権右衛門と春田喜左衛門が関係者の年齢、負傷、死亡、その後の聞き取りを記して本田兵右衛門へ提出した届書。(元禄八年カ)六月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:335 本田兵右衛門書状
亡父本田兵右衛門の屋敷へ中尾仁左衛門・同千兵衛が夜中に侵入し、母が十か所余り負傷し、下人・下女にも死傷者が出た事件について、当事者の多くが死亡したため、存命者から事情を聞き取って書き付けた書状。(元禄八年カ)六月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:336 佐多西方仲次郎系図抄
内大臣平重盛から維盛・維清を経て、佐多氏の清重・清忠・清親・清治らへ続く系譜抄。大隅国祢寝郷との関係、佐多家の分流、御鹿倉・西方屋敷の由緒、光久からの褒賞、西方屋敷の氏神を山川から勧請したことなどを記す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:337 池端氏系図
建部高清・清種の系統、宮原氏との婚姻、覚恵・清輝・別当丸らの系譜と、沙弥崇音・清康から池端氏へつながる系統を記す。池辺・馬門田・佐多の松坂薗・浜田などの所領譲与、文明年間の文書、戦死記事を文書とともに確認できるよう綴った系図。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:338 祢寝・佐多氏系図
建部清綱から清親・清治・清保・清成へ続く祢寝氏系統と、頼綱・親綱・親政らの佐多氏系統を示す系図。大和寺、佐多内の田地・屋敷、水田、南俣の領知や、親から子女への所領譲与、『古佐多系』の分流を記す。日付欠。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:339 関東下文
大隅国祢寝南俣地頭職について、従来知行していた重延が死去したとの申告を受け、清重法師を補任する下文。異論を申し出る者があれば双方を召して裁定すると定める。建仁三年七月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:340 北条時政書状
北条時政が島津左衛門尉忠久に対し、大隅国祢寝郡司入道が下文を賜って下向するので、その趣旨を承知するよう伝えた書状。(建仁三年)七月廿三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:341 建部別当丸着到状
京都騒乱に際し、大隅国御家人祢寝弥次郎清種が病気のため、子の建部別当丸が博多へ馳参して着到を済ませ、引き続き津に在陣していることを奉行所へ届けた着到状。元徳三年十月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:342 大隅守護狩田師頼軍勢催促状
大隅守護狩田師頼が祢寝弥次郎に対し、三月十七日付の関東御教書が四月二十六日に到来したことを伝え、凶徒誅伐のため大隅国の地頭御家人を催し、庶子らを伴って伯耆国へ発向し軍忠を尽くすよう命じた軍勢催促状。正慶二年四月廿七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:343 建部清成外五名一族連署契状
世上の騒乱に際し、建部清成・清能・清種・清武・頼純・道恵の一族六名が、一門一身として協力し、諸事を衆議で決し、異議を差し挟まないことを誓約した連署契状。違反者には日本国中の大小神祇・冥道の罰が及ぶとする。建武三年正月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:344 建部清種軍忠状
肝付八郎兼重・同彦太郎兼隆以下の与党を退治するため、大隅国肝付郡方面へ発向した軍勢に建部清種が従い、加瀬田城周辺などで合戦した軍忠を申告し、披露を求めた軍忠状。建武三年六月十八日付。端裏に島津沙弥道鑑の証文とある。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:345 建部清種着到状
日向国の凶徒伊東藤内左衛門尉祐広・肝付八郎兼重らの誅伐に際し、大隅国祢寝弥次郎清種が国富庄太田城へ馳参して軍忠を尽くす旨を届け、披露を求めた着到状。建武三年十一月廿一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:346 建部清種軍忠状
建部清種が、建武三年十二月十八日の兼重城合戦で大手から攻めて右肘に矢傷を負い、翌年正月十日の石山城攻落でも先懸して左手に矢傷を負ったことを申告した軍忠状。二度の負傷を述べ、奉行所へ提出し、見知の証判を受ける。建武四年正月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:347 土持重綱書状
土持重綱が祢寝弥次郎に対し、建部清種が前年十二月十八日の兼重城合戦で右肘を負傷し、建武四年正月十日の石山城攻落でも左手を負傷したことを見知し、注進すると伝えた書状。建武四年三月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:348 建部清種軍忠状
日向国凶徒の伊東藤内左衛門尉祐広・肝付兼重らの討伐で、建部清種が国富庄太田城、兼重城、石山城など各地の合戦に先懸し、城戸口で負傷するなど前年以来連日軍忠を尽くしたことを述べる軍忠状。高木孫三郎久安らが見知し、二度の自身負傷を申告する。建武四年四月廿三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:349 畠山直顕感状
畠山直顕が祢寝弥次郎に対し、日向国凶徒肝付八郎兼重の党類が籠る大岩田城の没落時に軍忠を尽くしたことを神妙と賞し、今後も忠節に励むよう命じた感状。暦応二年四月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:350 建部清種軍忠状
建武三年十一月の太田城着到以後、建部清種が櫛間城・新宮城・兼重城・石山城など日向国各地で合戦し、追巻・城戸口での戦闘や城攻めに先懸して二度負傷した経過を列挙した軍忠状。友永七郎澄雄・高木孫三郎久安らの見知を記し、披露を求める。暦応二年八月卅日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:351 祢寝清種軍忠状
薩摩国凶徒討伐に際し、祢寝弥次郎清種が島津方に属して伊集院一宇治城・市来城・東福寺山城・馬来城などで合戦し、先懸・城攻めを重ねた軍忠を申告した軍忠状。建武三年以来の各合戦と御教書・一見状を証拠として掲げ、披露を求める。暦応四年閏四月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:352 畠山直顕挙状
畠山直顕が、建武三年から暦応二年八月の兼重城没落までの祢寝弥次郎清種の軍忠を注進した挙状。兼重城・石山城で清種が二度負傷し、上財部向城合戦では親類平六兼安も負傷したこと、南郷大和田城・下財部新宮城・兼重本城などを攻め落としたことを挙げる。暦応四年十二月廿日付。