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旧記雑録拾遺 著作史料集4の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:353 祢寝清種軍忠状
祢寝弥次郎清種が、建武三年から暦応二年八月卅日まで大隅・日向・薩摩各地の合戦で度々先懸し、軍忠を尽くしたとして恩賞を求めた軍忠状。着到・感状・御教書・一見状など一巻の証拠文書を掲げ、注進と恩賞を願う。暦応四年十一月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:354 祢寝清種軍忠状
薩摩国凶徒討伐に際し、祢寝弥次郎清種が前月五日に谷山郡へ最前に馳参し、七日に合戦、十三日の伊集院発向では助三郎忠国以下が籠る平城を攻めた軍忠を申告した軍忠状。後日の証拠となる一見状を求める。暦応五年九月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:355 祢寝清種軍忠状
祢寝弥次郎清種が、建武三年以来、大隅・日向・薩摩各地で戦い負傷した軍忠を列挙した軍忠状。大姶良城、鷹栖城、加世田城などで敵勢と合戦し、島津田三位房・饗庭九郎らの軍勢とともに攻城した経過や、志布志への発向を述べ、一見状と恩賞を求める。観応二年八月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:356 祢寝道種軍忠状
祢寝弥次郎入道道種が、楡井四郎頼仲・同又四郎頼重ら薩摩国凶徒の討伐で、大姶良城・木谷城・壱谷城などを攻め、敵援軍とも合戦した軍忠を申告した軍忠状。諸城の攻落と見知人を挙げ、急速な沙汰と一見状を求める。文和三年三月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:357 大隅国守護所下文
大隅国守護所が、多祢島御家人の見和平次有光について、見参のうえ現地へ下向させ、その所領を安堵するよう命じた下文。承久三年十二月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:358 祢寝清種申状
祢寝弥次郎清種が、多祢島現和村は養父佐多孫四郎親政以来の相伝地であるのに、越尾張左近大夫代肥後次郎入道浄心が関東の権威を称して押領したと訴え、旧主島津判官忠久の下文などの証拠に基づく安堵を求めた申状。建武四年六月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:359 畠山直顕安堵状
畠山直顕が、祢寝弥次郎清種の軍忠と右大将家下文以下の証文による相伝を認め、大隅国多祢島現和村名主職の半分を先に安堵した文書。年貢は軍勢の兵粮として直進するよう命じる。建武四年八月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:360 畠山直顕打渡状
畠山直顕が世戸山彦四郎に対し、闕所となっていた大隅国多祢島現和村名主職について、軍忠により管領を認めた祢寝弥次郎清種へ半分を打ち渡すよう命じた打渡状。建武四年八月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:361 建部清綱譲状
祢寝院司建部清綱が頼綱に、用松名の水田二町二段、郡本の水田二町、宮脇・教房居園・南入道居園などの屋敷・園地、松野・波伊・猪狩倉・小豆野など山野四か所を譲与した譲状。清綱存命中の公事負担と、没後の永代領知を定める。正元元年閏十月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:362 建部清綱譲状
建部清綱が子息らに対し、頼綱得分の田畠・山野を記した一所帳形式の譲状。用松名・郡本の水田、屋敷・園地、松野・波伊・猪狩倉・小豆野などの山野を列挙し、頼親への譲与分や子息への所分、永年の領知を定める。文永四年十二月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:363 建部清綱譲状案
建部清綱が鷹房丸に、園五か所、水田、葛蒲田などの田園を譲与した譲状案。各所の四至を記し、御佃米・府御領物や初任時の負担を定め、他の雑事を課さず永代に領知させる。建治元年十二月廿二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:364 将軍惟康親王家政所下文
将軍惟康親王家政所が、大隅国祢寝院南俣内の用松名・下直世村地頭職について、亡父建部清綱の正元元年・文永四年・建治二年の三通の譲状に任せ、先例を守って領知・沙汰するよう命じた下文。正応四年十月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:365 六波羅施行状
六波羅が、大隅国祢寝院南俣内の用松名・下直世村地頭職について、同年十月十六日の関東御下文の旨に任せ、受給者をその職に就けて先例どおり沙汰するよう命じた施行状。丹波守・越後守が連署する。正応四年十一月四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:366 尼禅阿譲状
尼禅阿が嫡子祢寝弥次郎清種に畠田三反を譲与した仮名書きの譲状。手継ぎの証文を添えて永代の領知を認め、後日の異議を禁じる。元亨二年十二月十六日付とみられる。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:367 尼禅阿譲状
尼禅阿が嫡子祢寝弥次郎清種に、大隅国祢寝院内の田地・屋敷・園地を譲与した仮名書きの譲状。南入道の園、馬門内の田五反などを列挙し、証文を添えて永代領知を認め、後日の異議を禁じる。元亨三年五月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:368 建部清元譲状
建部清元が祢寝弥次郎の母御前に、大隅国祢寝院南俣内の田地三反を譲与した譲状。田地は清元の重代相伝地で、母御前が清元の姪で忠節を尽くしたため、亡父清綱の譲状を副えて永代譲渡するとし、御佃米・府御領物などの公事負担を定める。元亨二年七月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:369 鎮西下知状
尼禅阿代清種が、大隅国祢寝院内の畠田三反は伯父建部清元から尼禅阿へ譲られたのに違乱されたと訴えた相論について、鎮西が清元の請文を確認し、譲状に任せて尼禅阿に領掌させるよう裁許した下知状。元亨三年六月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:370 関東下知状
関東が建部氏女に対し、亡父宮原五郎頼重の跡として配分された大隅国祢寝院南俣内の田五反・畠二町一反・在家四宇などを、先例どおり領掌するよう命じた下知状。北条高時・金沢貞顕が署判する。元亨三年十二月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:371 鎮西施行状
鎮西が、建部氏女の子である祢寝弥次郎清種の申請により、大隅国祢寝院南俣内の田五反・畠二町一反・在家四宇について、前年十二月七日の関東御下文に任せて建部氏女の跡として領掌させるよう命じた施行状。元亨四年七月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:372 建部重清譲状
建部重清が甥の祢寝弥二郎に、大隅国祢寝院南俣内で重清の分となった園一所を譲与した仮名書きの譲状。園は三反の広さとし、永代に領知させ、後日の異議を禁じる。元応元年十月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:373 建部高清譲状
建部高清が、長年の志が浅くない一族の甥・祢寝弥次郎に、大隅国祢寝院南俣山本村内の田地一段ほかを永代譲与した譲状。御佃新入田米、府御領物、石築地勤仕時の銭などの負担を定め、所領に不慮の煩いが生じた場合の代替田地も指定する。元亨三年十月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:374 鎮西探題御教書
鎮西探題北条英時が、祢寝弥次郎清種の申す大隅国祢寝院南俣内山本村の田地相論について、訴状を添えて祢寝五郎に参対を命じた御教書。元亨四年四月十四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:375 建部重清請取状
建部重清が祢寝弥二郎方から、大隅国祢寝院南俣持松名内の職および星川左衛門五郎後家領掌分に関する元亨三年十二月七日付御下文と、これに対応する配分状・施行状の二通を受け取ったことを証した請取状。元亨四年十月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:376 掃部助某安堵状
掃部助某が、大隅国祢寝院南俣一分地頭の祢寝弥次郎に対し、重ねて使者を下すまで知行分に相違があってはならないと命じた安堵状。元弘三年十二月二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:377 覚恵田地沽却状
覚恵が、重代相伝の大隅国祢寝院南俣馬門田内の田一反を池端殿へ銭六貫文で永代売却した沽却状。母尼禅阿の譲状に、売却の際は池端殿へ売るよう定められていたため、判形の証文を添えて引き渡す。康永二年十一月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:378 沙弥道種譲状
沙弥道種が別当丸に、大隅国祢寝院南俣内の池縁薗一所と馬門田井樋渡畠田河原小薗一所を永代譲与した譲状。関東御下文・六波羅御施行・鎮西御下知および手継ぎ以下の証文を添える。永和四年十月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:379 将軍宗尊家政所下文
将軍宗尊親王家政所が、親高の五女に、大隅国祢寝院佐汰村内の田地・薗一所を、亡父親高の処分による配分地として早く領掌するよう命じた下文。別当陸奥守北条重時・相模守北条時頼らが署判する。建長五年十二月廿八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:380 建部親綱配分状
嫡男建部親綱と後家比丘尼代藤原が、御下知に任せて、佐汰村内の五女分として水田一段、竹原田二段六十歩、湊田内四段三百歩、小薗二所、薗一所を配分した状。建長六年五月八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:381 建部氏女譲状
建部氏女が老衰して不自由となったため、息女まつ御前に、大隅国祢寝院南俣北村内の田丁職などを、将軍家御下文・池某証文とともに永代譲与した仮名書きの譲状。正応二年二月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:382 平氏女譲状
平氏女が老衰して不自由となったため、嫡子四郎親政に、大隅国祢寝院南俣北村内の田丁職などを、将軍家御下文・池某証文とともに永代譲与した仮名書きの譲状。嘉元二年三月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:383 建部親政沽却状
建部親政が祢寝弥二郎に、大隅国祢寝院南俣北村内の重代相伝の田丁職を、将軍家御下文・六波羅施行状などの証文とともに代銭三十五貫文で永代売却した沽却状。文保二年十二月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:384 建部親政譲状
建部親政が養子祢寝弥二郎清種に、大隅国祢寝院南俣北村内の重代相伝の田丁職を、将軍家御下文・家の証文とともに永代譲与した仮名書きの譲状。文保二年十二月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:385 祢寝清種代清成重申状
祢寝弥次郎清種の代清成が、大隅国佐多村の田地・屋敷などについて、佐多弥七親経が度重なる御教書に背いて参陳しないため、谷山五郎左衛門入道隆信に事実を尋ね、先例どおり裁許するよう重ねて求めた申状。元徳三年十二月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:386 大隅守護名越時章書下
大隅守護名越時章が、親高の五女に、大隅国祢寝院佐汰村内の田地・薗一所を、前年十二月廿八日の安堵御下文に任せて領掌するよう命じた書下。建長六年正月十四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:387 祢寝道種申状
祢寝弥次郎入道道種が、大隅国多祢嶋現和村について、先の下知で道種の知行とされたのに、肥後中務太郎が敵方に与して押領したとして、厳密な沙汰のうえ同村を道種へ打ち渡すよう求めた申状。文和五年三月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:388 沙弥某書下
沙弥某が佐多弥七に、祢寝弥次郎清種の申す大隅国佐多村内の田薗について、前年十二月廿一日付御教書と重申状を示し、先の命令どおり申し開くよう命じた書下。元徳四年三月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:389 鎮西下知状
祢寝弥二郎清種が建部親政から代銭三十五貫文で買得した大隅国祢寝院佐多村の田地七段・薗一所を、佐多弥七親経が正中二年以来横領した相論について、谷山五郎左衛門入道隆信の起請文や沽券・配分状・御下文を審査し、清種に領掌させるよう裁許した鎮西下知状。正慶元年十二月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:390 鎮西探題御教書
鎮西探題北条英時が、祢寝弥二郎清種の申す大隅国佐多村内の田薗について裁許が済んだため、谷山五郎左衛門入道と税所介に、その裁許状に従って清種へ沙汰し付けるよう命じた御教書。正慶元年十二月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:391 れんふく譲状
れんふくが彦松主丸に、大隅国祢寝院佐多村内の田七反と山口の薗など、重代相伝の所領を、御下文・家の証文とともに永代譲与した仮名書きの譲状。建武二年二月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:392 きょてる譲状
きょてるが新婦池端殿に、大隅国祢寝院南俣佐多村内の田七反と山口の薗を、関東御下文・家の証文とともに永代譲与した仮名書きの譲状。老少不定を理由として譲り渡す。暦応四年二月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:393 尼ねんほう避状
尼ねんほうが祢寝弥二郎に、大隅国祢寝院佐多村内の田七反、北村内の田七反・屋敷・山口の薗などについて、預かり持っていた権利を退き渡した仮名書きの避状。暦応五年九月二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:394 島津氏久書下
島津氏久が祢寝次郎入道に、大隅国佐多村の庶子・女子二人跡の相伝知行について、関東・六波羅の御下文・施行状以下の知行を示す証文を閲覧したうえ、相違があってはならないと認めた書下。延文六年七月十一日付とみられる。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:395-1 沙弥道種譲状
沙弥道種が子息別当丸に、大隅国祢寝院佐多村内の湊田四段三百歩、竹原田二段六十歩、田薗一所、濱田七段、山口薗一所などを、関東御下文・六波羅御施行・鎮西御下知・守護御奉書と手継証文を添えて永代譲与した譲状。永和二年三月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:395-2 沙弥道種譲状抄
前掲の沙弥道種譲状と同文の別通を抄記したもの。松坂薗一所と寂円房居所を含む田薗一所を記すが、年号・月日はない。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:396 うは太郎母人身質券
飢饉のため、うは太郎の母が九歳の子うは太郎を池端殿の家へ銭二百文で質入れした人身質券。翌九月中に銭を返せば請け戻すが、返済できなければうは太郎を永代の家人として召し取ることなどを定める。建武五年四月八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:397 沙弥崇音譲状
沙弥崇音が二郎左衛門清康に、大隅国祢寝院南俣内の池辺薗一所、馬門田・樋渡畠田、河原小薗一所などの重代相伝地を、判形の証文を添えて永代譲与した譲状。文明八年四月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:398 沙弥崇音譲状抄
沙弥崇音が二郎左衛門清康に、大隅国祢寝院佐多村内の松坂薗一所、濱田七段、山口薗一所を譲与した文書の抄。本文の定型部分と年号・月日・署名は前文と同じとして省略する。文明八年四月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:399 御崎野々馬宛行状
祢寝重清が池辺済阿に、御崎野の二歳の黒駄を与え、後日の証拠として記した馬の宛行状。文明七年八月廿三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:400 沙弥善従譲状
沙弥善従が孫嫡子又十郎清年に、大隅国祢寝院南俣内の池縁薗一所、馬門田・樋渡田、畠田二段、河原小薗一所などの重代相伝地を、本証文を添えて永代譲与した譲状。明応六年七月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:401 沙弥善従譲状抄
沙弥善従が孫嫡子又十郎清年に、大隅国祢寝院佐多村内の松坂薗一所、濱田七段、山口薗一所を譲与した文書の抄。年号・月日・署名は前文と同じとして省略する。明応六年七月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:402 池端清勝田地沽却状
池端佐渡守清勝が、要用のため水田「わきの田」一段を代銭三貫五百文で池縁主免助に永代売却し、子孫が違乱した場合は買主の領有とすることを定めた沽却状。永正七年十一月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:403 沙弥清本譲状
沙弥清本が孫又七に、大隅国祢寝院南俣内の池縁薗、馬門田・樋渡田、畠田三段、河原小薗などの重代相伝地を、本証文を添えて永代譲与した譲状。嫡子清住とその嫡子清尚の戦死を記し、次男にあたる孫又七へ譲る。天文十三年十一月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:404 沙弥清本譲状
沙弥清本が、軍忠を尽くした忠時の嫡子清住と、その嫡子清尚が戦死したため、嫡家伝来の文書数通を二男孫又七へ譲り、後代の異議を禁じた譲状。天文十三年十二月付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:405 祢占重虎縁取日記断簡
祢占重虎と球磨相良氏との縁組について、鹿児島老中の取成し、使者の池端出羽守・西方伊賀守、同年十二月の迎え、婚礼での取次・刀持・供奉などの役割と人数を記した日記の断簡。天正十三年八月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:406-1 沙弥道性請取状
沙弥道性が、西宇佐弥勒寺造営の米銭として、大隅国祢寝院南俣得丸五分一のうち女子一人分・祢寝弥二郎分に関わる畠田三反から、銭百五十文を請け取った請取状。嘉暦二年五月廿一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:406-2 沙弥道性請取状抄
前掲の沙弥道性請取状と同内容で、一部の語句だけが異なる別通があることを示し、相違箇所以外を省略した抄。西宇佐弥勒寺造営料の請取りに関する。嘉暦二年五月廿一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:407 権大検校珍賢書状
権大検校珍賢が、佐多村内の女子分について、前年・当年分の佃米二斗二升と新入田米三升を受け取って進上したこと、定使や孫四郎男らの扱いは承知しておらず請継ぎに及ばないことなどを返答した書状。十月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:408 散位清信書状
散位清信が、六郎冠者はもとより重病で、市来から薬師へ赴いて療治を受けたものの悪化し、前月十一日に自害したと報じ、併せて博多の事情を詳しく知らせてくれたことへの謝意を伝えた書状。卯月廿六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:409 国衙定使定盛請取状
国衙定使定盛が、佐多村内の四女・五女分について、池端殿の代官さう五郎から国衙の徴楽米二升二合八夕を請け取ったことを証した請取状。康永二年十月四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:410 政位請取状
政位が、佐多村内の女子二人分について、池端殿の代官きう五郎から前年・当年分の御節料代八十四文を請け取ったことを証した請取状。康永三年十一月廿二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:411 大宰府料物用途請取状
大宰府使の随泉と同二郎三郎が、祢寝院南俣内の池縁殿の代草五郎から、大宰府料物の用途銭合計三百五十四文を請け取ったことを証した請取状。得富五分一内や岡山本村内の田、北村内の女子二人分などの負担内訳を記す。康永四年四月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:412 二郎判官代末元請取状
二郎判官代末元が、国衙の十月五日・十五日・十六日・十九日の四度分の徴楽米として、佐多村内の女子二人分、池端殿の負担分から合計二升七合三勺を請け取ったことを証した請取状。暦応四年十一月十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:413 すけよし請取状
すけよしが、一切経の惣銭米として、佐多村内の池端殿の負担にかかる女子二人跡分から合計八合を請け取ったことを証した請取状。貞和二年十月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:414 国衙正税物請取状
二郎判官末元が、佐多村内の池端殿の女子二人分から、国衙正税物百六十六文と徴楽米二升三合八勺を請け取ったことを証した請取状。貞和三年五月四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:415 迫助田地沽却状
迫助が田地を代銭一貫五十文で池端殿の内へ売った沽却状。子年から辰年までの五年間を期限とし、期間経過後は田地を迫助へ返す条件を記す。文明十二年九月廿日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:416 関東御教書
関東方の散位平盛時が島津忠久に、久米次郎家願に子がないため、その跡を舎弟忠重へ継がせるよう命じた御教書。奉公人の跡を保護する趣旨を示し、当時藤内康友が知行している事情も踏まえて、証文・下文を整えて家願の跡を忠重へ与えるよう伝える。建久九年付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:417-1 大山定清奥書
大山定清が、村田雲根の書写しておいた一冊を借用し、文政九年十月廿四日の夜に書写を終えたことを記した奥書。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:417-2 園田実好奥書
園田勘右衛門実好が、文政九年十二月下旬に大山氏の本を用いて長谷場氏文書を書写したことを記す奥書。中表紙の大隅守・若君豊後守に関する日付と、伊地知小十郎の所蔵注記を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:418 沙弥阿妙譲状
沙弥阿妙が乙房丸に、薩摩国鹿児島郡長谷場村内の田薗を譲与した譲状。長谷場森田三段、水田一町内の内崩下二段・大田五段などを列挙し、重代相伝の所領として永代譲与し、子孫の違乱を禁じる。元応二年八月三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:419 長谷場純阿譲状
沙弥純阿が次男の兵庫允久純に、薩摩国鹿児島郡内の坂本名長谷場五段、甘子木村内比牟田五段、長谷場薗二所などの田薗を、阿妙・阿実の譲状を添えて永代譲与した譲状。兄弟が協調し、公方役・地頭年貢を分限に応じて勤めるよう定める。貞和六年二月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:420 長谷場純阿置文
沙弥純阿と実純が、国衙・領家の年貢を水田の分限に応じて兄弟が弁償すること、地頭米・藍・佃を毎年欠かさず納めること、公方所役を怠らず勤仕することを定め、兄弟が水魚の思いで末代まで相違なく知行するよう命じた置文。貞和六年二月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:421 長谷場純阿・同実純譲状
純阿と実純が兵庫允久純に、長谷場内五段と甘子木村内西牟田五段を譲与した譲状。先主純阿の死後、鶴一丸に本譲状を添えて宛て譲った所領について、公方役・地頭年貢を分限に応じて勤め、惣領と協調して末代まで相違なく知行するよう定める。正平十四年六月廿一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:422 長谷場久武・同氏純連署状
久武と氏純が、墓へ寄進した水田と井尻四杖については覚阿の裁量に任せ、子孫に至るまで異論や妨げを申し立てないと約した連署状。貞治四年七月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:423 覚阿譲状
覚阿が、長谷場内井尻四杖を孝行の助けとして覚阿弥陀仏へ寄進し、その後は六郎に与えること、後々まで違乱を申し立てないことを定めた譲状。貞治六年十月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:424 覚阿譲状
覚阿が、子のない弥六の跡の水田について、長谷場内の田地や甘子木村内西牟田五段などを正弟六郎に譲った譲状。六郎に弥五郎を親と思って仕え、互いに水魚の思いで知行するよう定める。貞治六年十月一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:425 長谷場久武譲状
長谷場久武が、覚阿の裁量に従い、弥六跡の水田・屋敷について六郎を養子とし、後世まで妨げや違乱をしないことを約した譲状。久武に子がないため、互いに協調するよう求める。貞治七年五月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:426 笠懸日記
文明十五年八月廿一日、薩摩国の新田八幡大菩薩神前で行われた笠懸について、奉行の島津十郎左衛門尉、射手、日記役、介添えなどの役割と参加者を列記した日記。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:427 長谷場実純契状
実純が、日向国飫肥北郷山西弁分方内の水田十町について、一乗院家御下文を受けた鶴一丸から千代熊丸へ契約譲与されたことを踏まえ、年貢・臨時課役・公事を分限に応じて沙汰し、合戦時には協力して所領を知行することを約した契状。正平十年十二月廿七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:428 沙弥道阿契状
沙弥道阿が、日向国飫肥北郷山西弁済使職について、院家御下文を道慶に宛てるよう申請したことを前提に、双方が身命を惜しまず軍忠を尽くし、公私の用務で支え合うことを約した契状。違約時の年貢・神罰などを定める。貞和二年九月廿二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:429 一乗院僧琳乗奉書
一乗院僧琳乗が鶴一に、島津庄日向方飫肥北郷の収納使・弁済使代官職について、忠政以下の悪党による押領・狼藉を排除し、春日御供の料足地として年貢を進済するよう命じた奉書。貞和二年八月七日付とみられる。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:430 一乗院門跡覚実御教書
一乗院門跡覚実が、春日社兼一乗院領島津庄日向方飫肥北郷の収納使・弁済使職について、鶴一丸代久幸が訴える栄証法眼・子息忠政らの所務押領を上杉伊豆守に伝え、処置を求めた御教書。法印覚快が奉じ、〔貞和二年〕八月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:431 永成奉書
永成が鶴一丸代に、春日社兼一乗院領島津庄日向方飫肥北郷の収納使・弁済使職について、水間栄証法眼・子息忠政らが武家御教書等を称して押領する件を伝え、調査で根拠がないと判明したため、所務を回復して年貢を進納し、なお従わなければ与力人の交名を注進するよう命じた奉書。貞和三年八月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:432 長谷場久純外八名連署契状
長谷場久純ら九名が、一乗院領の各自の拝領地を興行し、他人が競望した際は契約衆が直ちに参集して自粮米で支援すること、共同知行地に問題が生じた際は合力して所務を全うすること、和讒・凶害を行う者を排除し、違反は衆中評定に付すことを誓約した連署契状。貞和二年十月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:433 一乗院留守所下文
一乗院留守所が長谷場十郎兵衛尉幸純に、島津庄日向方南郷中野の隆増跡石永図合田内にある水田二町・園二箇所について、隆増との契約と目代縁実の申状に基づき相続を認め、春日大宮司への御供米を怠りなく勤仕し、子孫の違乱を禁じるよう命じた下文。康永四年三月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:434 内裏大番役支配注文
右衛門兵衛尉が薩摩国御家人に、内裏大番役を勤仕すべき者を郡司・在国司など地域・役職別に列挙し、各守注文に従って翌春三月中に参洛し、役所へ出仕するよう命じた支配注文。鎌倉殿の仰せとして、建久八年十二月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:435 長谷場久純軍忠状
長谷場六郎久純が、前年十二月十日から三俣院兼重城攻略の大将軍に随行して度々合戦し、二月廿九日の北野頸の合戦で左腿と右足頸に矢傷二箇所を負い、検見と両軍奉行の書下を受けたとして、一見状の発給を求めた軍忠状。建武四年四月廿九日付で御奉行所へ進上し、島津貞久が承了した。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:436 足利直義感状
足利直義が長谷場十郎兵衛尉に、鎮西凶徒誅伐における軍忠を島山修理亮七郎が注進したことを伝え、その働きを神妙と認め、今後も忠節を励めば恩賞を与えるとした感状。建武四年八月六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:437 島津氏久一字書出
島津氏久が弥六に「氏」の一字を与え、「氏純」の名乗りを認めた一字書出。康安二年十二月一日付、氏久花押。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:438 伊地知季安奥書
伊地知季安が、伊集院兼誼に依頼して都城士野辺休太郎所蔵の文書十一葉を模写させ、後日の採録に備えたことを記した奥書。文政己丑、文政十二年秋の季安書。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:439 某安堵状
差出人不詳の人物が、盛仁の跡を平次郎盛覚が相続することに他者の妨げがあってはならず、一家の惣領として盛仁の拝領地をすべて知行すべきことを認めた安堵状。年月日・差出人は本文欠落のため不詳。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:440 野辺氏由緒問状
野辺氏の祖先・名乗り・官途、北方・南郷・深河向の分割経緯、三方中嶋との関係、隠岐称号の由来、家紋、庶子家の家名、系図・関係文書の写し、刑部少輔の名乗りなどについて回答を求めた由緒問状。都城郡元住野辺氏蔵文書からの採録。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:441 伊集院為久宛行状
伊集院為久が飫肥殿・野辺殿に、大隅国深川院のうち二口町を除いた残余を料所として宛行い、先例に任せて知行するよう命じた宛行状。永享五年二月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:442 某安堵状
差出人不詳の人物が、野辺刑部大輔入道寛柔に対し、先に知行していた所領をことごとく返付・安堵し、他者の妨げなく領掌するよう認めた安堵状。長禄三年七月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:443 足利直冬感状
足利直冬が野辺野五に、日向国における忠節を神妙と評価し、今後もいっそう軍忠を尽くすよう励ました感状。観応三年十月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:444 野辺盛忠譲状
野辺盛忠(本文署名は小野盛忠)が子息で一子の愛寿丸に、武蔵国榛沢郡野辺郷行貞および日向国櫛間院の地頭職を譲り、譲状・置文ならびに建武以来の軍忠と恩賞を証する御教書・一見状等の文書を渡し、惣領として相違なく知行させるとした譲状。貞和五年十一月八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:445 足利直冬下文
足利直冬が野辺野五政式に、勲功の賞として、津上総入道が帯していた大隅国曽河村十一町の地頭職と、惣検校入道跡の同国郡田村小地頭職二十町を宛行った下文。観応三年四月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:446 従儀師幸雅施行状
従儀師幸雅が野祖賢御房に、光明院領日向国柏原・〔某〕両郷の収納使職への補任を伝え、年貢等を懈怠なく徴収・進納するよう命じた施行状。七月四日付(年号不詳)。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:447 島津氏久書状
島津氏久が斎藤六郎左衛門入道に、野辺刑部大輔盛久が申請した日向国櫛間院・大隅国深河院北方について、盛久の相伝知行に相違がないとして、安堵の御教書を発給するよう求めた書状。応安八年二月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:448 野辺克盛和歌
伊勢大郎刑部大輔平克盛(野辺克盛)が、文明十二年正月元三日の試筆として、雲や風の治まる御代と山から昇る日の光を重ね、泰平の春を祝った祝言和歌。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:449 日向国櫛間院田畠数進目録
日向国櫛間院が、安貞二年の御検注に基づく田畠数を注進した目録。水田三百八十七町六段二丈を総数とし、荒田・常荒・年荒・見作田・損田・得田・野稲畠などの内訳を列記し、公文・弁済使・書生・地頭・御使兼留守が署判した。安貞三年二月日付。