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旧記雑録拾遺 著作史料集4の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:78-3 町田久辰譜
町田久辰の譜。弥介・石見と称し、道号を宝山宗珍上座とする。名乗りと道号を掲げ、人物の体貌に触れる短い家譜記事。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:79 川上忠通譜
川上忠通の譜。島津家久夫人が国分へ隠居した際、家中の重要文書が譲られていなかったため、忠通が使者として国分へ赴き、譲渡された文書を持ち帰って賞された経緯を記す。川上七郎次郎文書の一通。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:80 小西行長・寺沢正成連署状
小西行長・寺沢正成が島津又八郎へ送った連署状。唐島の移動に伴う現地の奉行として両人を任命し、十分に取り計らうよう求め、唐人への対応のため遊撃官人一人を派遣した旨を伝える。文禄四年八月二十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:81 市来家尚覚書
市来家尚が市来家の由緒を記した覚書。源頼朝の知人柄木藤四郎の妹丹後局が島津忠久を住吉で出産し、その後八文字民部太輔に与えられたという伝承を記す。市来伴右衞門家尚の署名を付す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:82 島津義弘書状
島津義弘が川上三河入道へ送った書状。川上の大坂下向時の取り成しに謝意を示し、久四郎が近く帰国することを喜ぶ。自身も面会を望むが病気でかなわないため、詳しくは枕斎から伝えるとする。九月十七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:83 島津家久書状
島津家久が川上三河入道へ送った書状。又八郎が疱瘡を患ったと聞き、見舞いの使者を遣わしたこと、油断なく養生させるよう求めることを記し、詳しくは嶋田与兵衞尉から伝えるとする。正月二十日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:84 友野甲斐守入道元真申状
友野甲斐守入道元真が、長年の軍役と奉公を箇条書きで申告した申状。菱刈馬越城・外神尾・佐敷など各地の合戦、討取・負傷、使者・城詰、所領や給地に関する経緯を、証人名を添えて記す。慶長二十年三月二十七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:85-1 薩隅日往古之事
薩摩・大隅・日向の往古を語る由緒書。文徳天皇の皇子惟高親王・惟仁親王の継承争いに始まり、都から下った人物や在地勢力の由緒、三州各地への配置・所領、渋谷氏諸流の成立などを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:85-2 御当家由来之事
島津家の由来を記した由緒書。源頼朝の子としての島津忠久の出生伝承から、忠久以後の歴代・支流、三州の所領と相続、各地の合戦・奉公、日新斎期の領国形成に至る由緒をまとめる。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:85-3 渋谷四家由来之事
渋谷氏諸流の由来を記した由緒書。相模国渋谷庄の領主渋谷重国と六人の子を挙げ、重光・早川・吉岡・大谷・入来院・落合の各系統が祁答院・東郷・入来院・高城などへ分かれた経緯を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old4:86 三ヶ国物語
薩摩・大隅・日向三ヶ国と島津家の由来を語る物語。源頼朝と丹後局、島津忠久の出生伝承に始まり、島津氏歴代の軍功、所領形成、寺社・家臣・在地諸氏の由緒を叙述し、三州支配の展開をまとめる。享保十四年酉正月吉日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:87-1 大村重頼古戦書付写
大村重頼の古戦書付を写した軍記。永禄元年以後の年次を追い、肝付氏との戦い、日向・大隅・薩摩各地の合戦、島津氏の出陣と帰陣、戦死者、所領・検地、寺社、朝鮮・琉球関係などを年代順に記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:87-2 真清覚書
真清が、加治木住の大村市兵衛重頼の古戦書付をもとに書写したことを記す覚書。酉十一月二十五日付で、前文書『大村重頼古戦書付写』の書写由来を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:88-1 島津義久代諸外城地頭衆書上
島津義久代の三州諸外城と地頭衆を書き上げた記録。真幸・飯野をはじめ各城・地域ごとに、地頭・城主や給分、関係家臣を列記し、義久期の外城配置と領国支配の構成を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:88-2 大隅・薩摩二ヶ国諸外城地頭衆書上
大隅・薩摩二ヶ国の諸外城と地頭衆を書き上げた記録。吉田・蒲生・帖佐・伊集院・市来などの各城について老中・地頭・使衆等を列記し、末尾に外城数を四十六と集計する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:88-3 日向一国諸地頭衆書上
日向一国の諸地頭衆を書き上げた記録。島津家久の佐土原居城と給分に続き、三納・都於郡ほか各城の地頭・城主を列記する。末尾に三ヶ国の外城百三十二、直轄七十五、内之城五十七と総括する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:88-4 天正年中老中・御使衆書上
天正六年頃の島津義久代における老中・御使衆等を書き上げた記録。川上久明、伊集院忠棟、平田盛宗、村田経定、本田三清、喜入季久らをはじめ、役職ごとに家臣名を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:88-5 真清覚書
真清が、加治木衆大村市兵衛重頼の旧記をもとに書写したことを記す覚書。酉十一月二十六日付で、88-1~88-4の諸外城地頭衆・老中等書上の書写由来を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:89 湯田氏蔵旧記
諸外城から召し寄せられ、たびたび談合に加わった武辺功者を書き上げた旧記。日州・高山・伊作・加治木・蒲生など地域別に人物名を列記し、蒲生衆湯田靏右衛門所蔵の旧記から写したとする。『旧記雑録後編一』一一六五号と同文。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old5:90 神戸五兵衛覚書
神戸五兵衛の談話を野村勘兵衛が伝えた覚書。慶長五年九月の大垣城・関ヶ原前後における島津義弘勢の動向と退却、追撃・戦闘、その後の諸事件や家臣の行動を記す。宝永七年三月に赤塚源太左衛門所蔵本から書写した旨と伊地知季安蔵の注記を付す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:91-1 財部善三右衛門前書
財部善三右衛門が佐久間勘兵衛へ差し出した前書。続く古記録には誤字・衍文や不通の文句が多いが、本書のまま改めず書写したこと、古い実録として大意を汲んで読むよう求める。五月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:91-2 有田将監記
北郷家の由来と歴代の軍事・奉公を伝える家記。北郷名拝領と安永の地名由来に始まり、都城周辺の所領、島津氏との関係、各地の合戦・使者・寺社・家臣の働きなどを長期にわたり記す。末尾を『有田将監記終』と結ぶ。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:91-3 川上親郁後書
川上親郁が『有田将監記』の伝来と書写経緯を記した後書。都城の荒川某が所蔵する本を、友人佐久間盛陽の依頼で借り受け、公務の合間に文字を改めず忠実に書写したことを述べる。文化十五年寅五月吉日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:92 濱田民部左衛門高名帳
濱田民部左衛門の軍功と奉公を書き上げた高名帳。蒲生久瀬戸山口での初分捕をはじめ、吉田・蒲生・帖佐・高城・朝鮮などでの戦闘、負傷、使者、城詰め等を列挙する。慶長十六年辛亥二月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:93-1 長野勘左衛門書出
長野勘左衛門が父の代からの奉公と自身の境遇を書き出した申立。島津義弘が帖佐に居住した際、父が普請奉行を務めたこと、各地での戦働きや負傷・戦死、家族と所領の事情を述べ、地頭父子の取り成しを求める。明暦二年九月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:93-2 長野勘左衛門覚書
長野勘左衛門が伝聞した島津義弘期の合戦・奉公を記す覚書。飯野在城中の相良・菱刈方面への出陣、少人数での戦闘、家臣の負傷・戦死や働きを列挙し、自身が聞き置いた分を書き出したとする。明暦二年九月十三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:94-1 横山忠篤覚書
横山忠篤が横山家の由緒と奉公を書き残した覚書。祖先東條安房が島津忠久の下向に随従した由来から、歴代の名乗り、所領、各地の合戦・負傷・奉公を記し、後代のため古日記などに基づいてまとめたとする。寛永十九年九月吉日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:94-2 島津惟新感状
島津惟新が横山弓内へ与えた感状。関ヶ原合戦で粉骨し、伊勢・近江・伊賀・大和・河内・和泉を経る帰国路でも片時も離れず奉公したことを賞し、知行五十石を宛行う。慶長五年十月十日付。家村源左衛門の抜書注記を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old6:95 日記
天正十五年の上洛中の見聞を記した日記。新納右衛門佐と京都へ向かい、聚楽の小路の高札、北野大茶湯、寺社・町中の見物、関白豊臣秀吉への出仕や御殿での饗応、細川氏の宿所への帰着などを日次で記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:1 伊地知季安書付
伊地知季安が白坂氏系図文書の取扱いについて記した書付。年号・月日・人名や文意に誤りや不明点が多いため有識者に訂正を求めること、家伝でも偽りを伝えず、真実を後世へ伝えるべきことを戒める。本文は朱書。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:2 藤原姓白坂氏系図序
伊地知季彬が内之浦の白坂氏系図に寄せた序。白坂氏が同地の郷士中で重きをなし、戦死者や奉公の事績を伝えてきたこと、家の由緒を系図にまとめ後世へ残す意義を述べる。文化二年十一月穀旦付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:3 白坂氏系譜後序
伊地知季安が白坂氏系譜に付した後序。若年時に二度内之浦の番鎮を勤め、郷士白坂篤義と親交を結んだこと、依頼を受けて同氏の系譜を稿した経緯を述べる。慶応二年十月十二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4 藤原姓白坂氏系図
白坂氏の祖先と歴代の事績を記した系図。天正十二年生まれの篤辰(大学坊以益)が修験者となったこと、関ヶ原合戦後の帰国路で島津惟新に随従して知行五十石を与えられたことを中心に、子孫の相続と奉公を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-1 島津惟新感状
島津惟新が白坂以益へ与えた感状。関ヶ原合戦と帰国路で片時も離れず奉公したことを賞し、知行五十石を宛行う。後半には以益と子孫の勤仕・役儀や、歴代当主・国老から受けた文書を付録した旨の系譜注記を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-2 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が島津久慶・久元・川上久国へ送った書状。谷山の移衆で、当時は鹿児島に居住していた白坂以益について、その人物に相応しい役に召し仕えるよう取り成しを求める。四月廿二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-3 島津久元書状
島津久元が白坂以益へ送った書状。他国の商船が来航する内之浦では諸事に注意し、キリシタン宗・一向宗についても情報を集めるよう命じる。あわせて予想外に滞留しているため、暇を得て帰国後に相談すると伝える。十月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-4 島津久元書状
島津久元が白坂以益へ送った書状。法度に背いて船を売る者がいるとの風聞を受け、公儀の沙汰となれば諸郷にも及ぶため、事情を調べ十分に注意するよう命じる。以益が島津惟新に召し仕えられた者であることにも触れる。正月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-5 島津久慶書状
島津久慶が白坂以益へ送った書状。十一日夜の飛札と蒲地平右衛門の口上を受け取り、重ねて届いた書状の内容を主君へ報告したこと、直ちに村田藤兵衛を派遣し詳細を説明させることを伝える。八月十四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-6 島津久通書状
島津久通が白坂以益へ送った書状。大迫大学助の便で満尾対馬方まで届いた書状を披見し、互いの無事を喜ぶ。江戸で病に伏して出立が遅れたことなどを述べ、翌春に帰国した際に詳しく相談すると伝える。六月五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-7 島津久通書状
島津久通が白坂以益へ送った書状。神舞見物の近況に触れ、以益の息子一郎兵衛が当地で奉公し、相勤めていることを伝える。当地の様子は一郎兵衛が話すとして、近月中に下向して詳しく相談すると述べる。五月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-8 伊勢貞豊書状
伊勢貞豊が白坂以益へ送った書状。用向きがあるため、明日か明後日のうちに必ず来訪するよう求め、待っていると伝える。十月七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-9 福屋兼昭書状
福屋兼昭が白坂以益・吉井主膳へ送った書状。上様の忌日に伴う禁断の周知を伝え、以益の役儀と子息勘左衛門による代勤・奉公について、関係者で相談するよう求める。七月廿一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-10 福屋兼昭書状
福屋兼昭が白坂以益・吉井主膳・白坂勘左衛門へ送った書状。相良主税を通じて以益の役を免じ、勘左衛門へ役を仰せ付けることになった旨を知らせ、承知するよう求める。承応二年八月十七日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-11 福屋兼昭書状
福屋兼昭が白坂以益へ送った書状。以益が老齢のため内之浦の曖役を退く願いが認められ、子息勘左衛門へ役を仰せ付けること、以益には後見として相談に加わるよう求める。後半に白坂家の系譜注記を伴う。承応二年八月十九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:4-12 福屋兼昭書状
福屋兼昭が白坂勘左衛門へ送った書状。父以益の老齢に伴い内之浦の曖役を勘左衛門へ継がせること、以益を後見として相談するよう命じる。続いて白坂氏歴代の婚姻・役職・居住地・没年などを幕末・明治期まで記した詳細な系譜を収める。承応二年八月十九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:5 伊地知季安奥書
白坂氏系図の草案に付された奥書。文法や内容に不案内な点が多いため、朱書の添削を踏まえて書き改め、鹿児島の同族にも照会して不明箇所や生没年月を補うよう求める。目録は伊地知季安奥書とし、本文末尾には津口番所詰伊地知小十郎季彬の署名がある。文化二年十二月十一日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:6 酒勾景明覚書写
酒勾平右衛門景明の覚書写。慶長十一年に島津義弘が帖佐から平松へ移った際の随従、加治木への移住、元和元年の大坂落城時における加治木衆の召集・配置などを記す。祖父景綱以来の事績をまとめ、酒勾城介に贈ったもの。慶安二年八月吉祥日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:7 慶長十九年日記抜書
慶長十九年の日記から大学坊の使者勤めを抜書したもの。五月廿六日に霧島山脇坊衆へ派遣され、般若寺別当坊を霧島座主と定める旨を伝達したこと、十月に羽柴越中守への使者として小倉へ赴き帰着したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:8 衆中帳抄
加治木衆中帳の抄録。川上・樺山・新納・伊勢らに続き、白坂清左衛門・仲右衛門・大学坊などの名を掲げる。加治木・吉田・山田・帖佐・蒲生の人数が、年一度六月に加治木で振舞を受ける際の参上順を記した帳簿である。元和元年六月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:9 島津家久書状写
島津家久が父島津義弘へ送った書状の写。用向きに備えて大学坊を留め置いたこと、吉田九郎右衛門と大学坊を付けたこと、京中で権を振るう人物の動向などを報告する。七月十日付で惟新宛、家久御判。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:10 薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳上ノ抄
寛永十三年の薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳からの抄録。新堀より上の上屋敷・中屋敷の面積と、岩元清左衛門、白坂氏関係者ほか各屋敷の名請人・所在地を列記する。九月廿日、田尻嘉兵衛の名を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID white:11 慶安年間鹿児島絵図竪野馬場写(一部分)
慶安年間の鹿児島絵図から竪野馬場周辺を写した部分図。竪野馬場、大乗院、大乗院脇の馬場、周辺の道筋・屋敷配置などを略図で示し、白坂氏関係地を含む鹿児島城下の位置関係を伝える。