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旧記雑録拾遺 著作史料集4の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:450 某書状
差出人・宛所不詳の仮名書状。十二日の夜の斬り合いで孫三郎らが討ち合いに遭ったことに触れ、無事を『めでたく候』と重ねて喜び、余事は追ってと結ぶ。年月日不詳。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:451 野辺盛季夢想歌
野辺平盛季が夢想によって得た歌として、『曇なき光をそへて月の影/てらすさかりや秋の夜のそら』と詠み、花押を据えた夢想歌。永禄十二年九月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:452 足利将軍家御教書
足利将軍家の意を奉じた右京大夫細川持之が野辺刑部大輔に、島津持久・高木孫三郎・市来太郎以下が処罰されたことを伝え、島津陸奥守貴久に合力して忠節を尽くすよう命じた御教書。貴久に対して無二の忠節を示したことを神妙と評価し、今後さらに戦功を挙げるよう求める。嘉吉元年十二月十二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:453 細川勝元書状
細川勝元が野辺刑部大輔に、時節に似つかわしくない依頼と断りつつ、唐鳥など適当な鳥の入手を望み、心に掛けてもらえれば喜ばしいと伝えた書状。あわせて国のことは大友と度々相談するのがよいと助言し、詳細は真鍋太郎左衛門尉が伝えるとする。六月十九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:454 長倉祐省外三名連署書状
長倉能登守祐省ら四名が野辺讃岐守に、先に申し出のあった梁瀬屋敷の件を披露したとして、早々に移って奉公するよう伝えた連署書状。小原の百姓に関する扱いや御舎弟の御用との関係にも触れ、前年以来沙汰のなかった件を新恩として扶持する旨を後日のため書き付けた。三月十八日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:455 日向国櫛間院年貢注文
日向国櫛間院の年貢を列記した注文。定田三百二十七町一段四丈のうち半分を御免分、得田を二百六十一町七段二丈とし、桑代・色革・苔・甘葛・雑紙などの負担を合わせて百九十五貫六百三十六文と算定し、東方・西方を各九十七貫八百十八文に分ける。文永五年三月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:456 野辺盛仁所領目録
安堵の御教書・御約束が下された時点での野辺盛仁の当知行分を列挙した所領目録。日向国櫛間院一円、飫肥南郷一円、飫肥院酒谷城一円、飫肥大明神瀬より上の隈屋河内、加江田郷一円、大隅国深川院内二十町、串良の弁分二十五町を掲げ、いずれも親類越中入道から押領を命じられた相伝所領で、異論なく盛仁に属するとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:457 高城名勝志方留抜萃
『高城名勝志方留』から、高城麓の寺社・城跡・墓碑・伝承を抜萃した記録。桃花山多楽院は前代十二坊・寺領八町余を有したが天正年中の兵乱で焼失し、当時は寺高二十三石とする。信興寺末寺永学寺の寺跡、古城と水引、高城三社権現・鐘守堂・天満天神宮の由緒、石塔・仏像・社殿の寸法や銘、湯田村の大石飛来伝説と天神図な…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:458 日向国櫛間院年貢注文
日向国櫛間院の年貢注文。本文は『諸家系図文書』四五五号文書と同一のため省略されており、参照先No.455では定田・得田、桑代・色革・苔・甘葛・雑紙等の年貢と東西配分を列記する。文永五年三月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:459 野辺盛仁所領目録
野辺盛仁の所領目録。本文は『諸家系図文書』四五六号文書と同一のため省略されており、参照先No.456では日向国櫛間院・飫肥南郷・酒谷城・加江田郷、大隅国深川院、串良などの当知行分を列挙する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:460 足利将軍家御教書
足利将軍家御教書。本文は『諸家系図文書』四五二号文書と同一のため省略されている。参照先No.452は、右京大夫細川持之が島津持久・高木孫三郎・市来太郎以下の処罰を伝え、島津陸奥守貴久への合力・忠節と今後の戦功を野辺刑部大輔に命じたもの。嘉吉元年十二月十二日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:461 某書状
差出人・宛所不詳の仮名書状。本文は『諸家系図文書』四五〇号文書と同一のため省略され、紙背には『賢帝の文』との外題と判読不明の仮名書きがある。参照先No.450は、十二日の夜の斬り合いで孫三郎らが討ち合いに遭ったことに触れ、無事を喜ぶ内容。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:462 日向国櫛間院田畠数進目録
日向国櫛間院田畠数進目録。本文は『諸家系図文書』四四九号文書と同一のため省略され、紙背に『あんていのもんそ』とある。参照先No.449は、安貞二年の御検注に基づき、水田三百八十七町六段二丈を総数として荒田・見作田・損田・得田・野稲畠などを注進したもの。安貞三年二月日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:463 足利直冬感状
足利直冬感状。本文は『諸家系図文書』四四三号文書と同一のため省略されている。参照先No.443は、足利直冬が野辺野五の日向国における忠節を神妙と評価し、今後もさらに軍忠を尽くすよう励ましたもの。観応三年十月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:464 伊集院為久宛行状
伊集院為久宛行状。本文は『諸家系図文書』四四一号文書と同一のため省略され、この写しには宛書等がない。参照先No.441は、伊集院為久が飫肥殿・野辺殿に、大隅国深川院のうち二口町を除く残余を料所として宛行い、先例に任せて知行させたもの。永享五年二月廿四日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:465 某安堵状
差出人不詳の安堵状。本文は『諸家系図文書』四三九号文書と同一のため省略され、この写しには宛書等がない。参照先No.439は、盛仁の跡を平次郎盛覚が相続し、一家の惣領として盛仁の拝領地すべてを知行することを認めたもの。年月日不詳。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:466-1 武蔵国榛沢郡野辺郷内地頭職相続分系図
武蔵国榛沢郡野辺郷内地頭職の相続分について、以前の事績を繁雑として省き、当要に必要な系統だけを抜記した系図。野辺次郎左衛門入道成願・野辺次郎入道阿念から、野辺孫六郎左衛門尉久盛、野辺孫七盛忠、愛寿丸(当時の野辺孫太郎泰盛)へ至る相続系統を示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:466-2 日向国櫛間院地頭職相伝分系図
日向国櫛間院地頭職の相伝分について、開発由緒・外戚・遠祖を省き、当要を略記した系図。河野大輔法橋観睿・同大弐法眼通睿の系統と、野辺六郎左衛門尉久盛から野辺孫七盛忠、愛寿丸へ続く系統を示し、野五政範、霊寿丸、女子らを配する。先朝の御代に本領の由緒を申し開き、建武元年三月廿一日に勲功の賞として拝領した旨…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:467 野辺氏系図
武蔵国に発する野辺氏の諸系統を示した系図。武蔵守隆泰―好隆―資秀の系統、木部次郎行兼・尾薗野五郎家高・野部六郎広兼から盛行・盛秀へ続く系統、横山介三郎時資・猪俣野五郎時範の系統などを掲げ、野辺太郎左衛門入道成願、久盛、盛忠、愛寿丸らへつなぐ。元弘三年五月の捕縛・赦免、深河院下向、義兵・凶徒鎮圧などの…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:468 野辺克盛和歌
伊勢大郎刑部大輔平克盛(野辺克盛)が正月の試筆として詠んだ春の祝言和歌。『雲かせもおさまるやまをいつる日や/みちある御代の春をてらさむ』と、雲風の治まる山から昇る日を泰平の御代の春に重ねる。文明十二年正月元三日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:469 野辺盛仁一流系図
野辺刑部大輔盛仁(法名寛柔)の一流を示す系図。桓武天皇から平清盛まで十二代を略し、重盛・維盛から宗平、盛平、員盛、盛行へ続く本流と、有盛・師盛・忠房・宗実、久盛・盛忠、盛久・盛在、泰盛・盛仁・良盛らの分岐を配する。長禄三年八月廿一日、一条兼良が花押を据えて一見した系図で、偏諱の一字書出に関する注記も…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:470 日向国櫛間院本主次第手継系図
日向国櫛間院の本主と地頭職の手継ぎを示す系図。郡司尾張守是助・尾張氏・小石祢丸名主から伴兼任らへ続く相伝を、嘉応三年・安元二年・治承二年・永暦元年・文治二年などの本家御下文・目代施行・譲与に関する注記とともに掲げる。末尾は元弘・建武年間の勲功による地頭職給付を経て、観睿・通睿から久盛・盛忠へ至る。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:471 平氏野辺家系図抄
平氏野辺家の系譜を抄出した系図。宗実・宗平から盛平、員盛、盛行へ続く流れと、久盛・盛忠、盛政・泰盛、盛久・盛高・盛豊などの諸分岐を示し、官途・通称を付す。貞和二年十月五日の契状に関する注記や小野盛政・盛尚らの系統も収める。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:472 野辺盛季夢想歌
野辺平盛季の夢想歌。本文は『諸家系図文書』四五一号文書と同一のため省略されている。参照先No.451では『曇なき光をそへて月の影/てらすさかりや秋の夜のそら』と月光と秋夜を詠み、花押を据える。永禄十二年九月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:473 足利将軍家御教書
足利直冬が野辺野五政式に発給した文書。本文は『諸家系図文書』四四五号文書と同一のため省略されている。参照先No.445では、勲功の賞として、津上総入道が帯していた大隅国曽河村十一町の地頭職と、惣検校入道跡の同国郡田村小地頭職二十町を宛行い、先例に任せて沙汰するよう命じる。観応三年四月廿九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:474 従儀師幸雅施行状
従儀師幸雅施行状。本文は『諸家系図文書』四四六号文書と同一のため省略されている。参照先No.446では、野祖賢御房に光明院領日向国柏原・〔某〕両郷の収納使職への補任を伝え、年貢等を懈怠なく徴収・進納するよう命じる。七月四日付(年号不詳)。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:475 長倉祐省外三名連署書状
長倉能登守祐省ら四名の連署書状。本文は『諸家系図文書』四五四号文書と同一のため省略されている。参照先No.454では、野辺讃岐守に、先に申し出のあった梁瀬屋敷の件を披露したとして早々に移って奉公するよう伝え、小原の百姓や御舎弟の御用との関係にも触れ、前年以来沙汰のなかった件を新恩として扶持する旨を書…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:476 野辺盛忠譲状
野辺盛忠譲状。本文は『諸家系図文書』四四四号文書と同一のため省略されている。参照先No.444では、野辺盛忠(署名は小野盛忠)が子息愛寿丸に、武蔵国榛沢郡野辺郷行貞と日向国櫛間院の地頭職、譲状・置文、建武以来の軍忠・恩賞を証する御教書等を譲り、惣領として知行させる。目録は貞和五年十二月八日、参照先本…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:477 某安堵状
差出人不詳の安堵状。本文は『諸家系図文書』四四二号文書と同一のため省略されている。参照先No.442では、野辺刑部大輔入道寛柔に対し、先に知行していた所領をことごとく返付・安堵し、他者の妨げなく領掌するよう認める。長禄三年七月十六日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:478 細川勝元書状
細川勝元書状。本文は『諸家系図文書』四五三号文書と同一のため省略されている。参照先No.453では、野辺刑部大輔に、時節に似つかわしくない依頼と断りつつ唐鳥など適当な鳥の入手を望み、国のことは大友と度々相談するよう助言し、詳細は真鍋太郎左衛門尉が伝えるとする。六月十九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:479 島津氏久書状
島津氏久が野辺盛久に宛てた書状。本文は『諸家系図文書』四四七号文書と同一のため省略されている。参照先No.447では、盛久が申し出た件について相違なく安堵する旨を伝え、今後の奉公を命じる。応安八年二月廿五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:480 野辺盛長系図並相伝次第書
野辺盛長を中心に一族の系譜と相伝事情を記した書。盛仁から平左衛門盛長、克盛、盛季へ続く系統、盛仁の娘と北郷忠能・敏久家との婚姻、伊豆守盛与以下の子孫を掲げる。後段では流野辺源太左衛門から野村金左衛門へ至る伝承、女子の婚姻、家督・跡目相続の経緯を述べる。六月廿六日付(年不詳)。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:481 野辺家由緒問状
野辺家の由緒・知行・家伝を尋ねた問状。雲甫の父の名乗・受領・官途、北方・南郷・深河向などの分知経緯、隠岐を称する一族、天王寺隠岐との関係、年貢負担、武具・什物、庶家、系図・家譜の有無などを条目ごとに質問する。末尾注記は、櫛間院の年貢記事以下が都城郡元住の野辺氏旧蔵文書であるとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:482 肝付源助家系図
肝付源助家の系図。宮内丞・加賀守兼義について、廻之城に忍び入り、島津方が城を攻めた際の濱ノ口合戦で戦死したこと、馬の水舟を被って城内に潜入したとの家伝を記す。子孫の奉公・戦死、僧籍入り、婚姻・養子関係を連ね、兼福の出生と天和三年五月三日の死去、法名金室金剛信士まで記載する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:483 肝付次右衛門家系図
肝付次右衛門家の系図。弥五介に実子がなく、肝付金右衛門尉兼利の嫡男を養子とした由緒を記し、その伝右衛門尉が万治元年九月八日に没し、法名を光徹芳清としたとする。伴九郎弥五介は島津義弘に供奉して朝鮮で戦死した。以下、兼頼・兼広・兼近らの分岐、女子の婚姻、養子、出生・死亡年月日と法名を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:484 肝付源之丞家系図
肝付源之丞家の系図。伊賀守兼心の子兼光を祖とし、兼供らの養子・婚姻・出生死亡を多数の分岐で示す。大坂で長年奉公し、琉球渡海にも関わった人物の事績、兼達が江戸・小倉・長門国赤間関・大坂などへ公用で赴いた履歴を記す。末尾は寛文七年生まれの兼副と、兼武・兼富らの相続関係に至る。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:485 伴姓肝付氏系図
伴姓肝付氏の大部な系図。天智天皇の皇子流から大伴氏・勝部氏の起源を説き、肝付を号した諸代と多数の庶流を系線で示す。官職・通称、所領、婚姻・養子、寺院住持、法名を付し、高麗・朝鮮出兵、加治木・志布志などの合戦と戦死、島津氏への奉公、謀反人に関する注記を収める。末尾は肝付姶良玉泉庵の僧と兼明・兼佳らに至…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:486 肝付清左衛門家系図
肝付清左衛門家の系図。肝付庶流の津曲家が後に肝付伴氏を称したとし、肝付四代嫡兼員の四男兼行を津曲の祖とする。系図・文書焼失のため中間の先祖を詳記できない旨を断り、津曲但馬以下の諸代を記す。肥後・江戸・大坂・琉球などでの奉公、婚姻・養子、出生死亡、法名を列記し、兼明・兼戴らの分岐に至る。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:487 喜入次兵衛・相良主税連署覚
喜入次兵衛・相良主税が連署した覚。津曲清兵衛が先頃江戸で身を捨てて格別に奉公した忠節を賞し、褒美として知行高百石を拝領させる。あわせて梶山見廻の勤めについては追って指示すると伝える。延宝五年六月九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:488 島津久竹外五名連署引付
島津久竹ら六名が連署した引付。津曲清兵衛が先年江戸で身を捨てて奉公した褒美として高百石を与えるので、支配するよう支配奉行へ命じる。肝付主殿久兼、町田勘解由忠代、新納又左衛門久了、島津帯刀久元、島津市正久美、島津出雲久竹が署判し、川上・村田・東郷・志岐ら五名の奉行に宛てる。延宝五年六月十五日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:489 肝付七右衛門家系図
宮之城の肝付七右衛門家の系図。肝付兼賢(初め兼延)以下、兼種・兼明・兼孝らの分岐を示し、兼明が永禄四年七月十二日に戦死して法名を寛心浄円居士としたこと、兼孝が同日忠節のため切腹したことを記す。後段は島津紹益への付人、加藤左衛門家への婿入り・跡目相続、婚姻・養子関係を経て兼郷・孫三郎へ至る。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:490 肝付曽兵衛家系図
島津内記家中の肝付曽兵衛家系図。宮之城肝付与兵衛兼武の二男兼貞を祖とし、兼貞が延宝九年霜月四日に没して法号を旭山了輝居士としたことを記す。以下、曽兵衛兼弘、伝左衛門兼常・兼全らの出生、女子の婚姻、母方を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:491 肝付市郎右衛門家系図
樋脇の肝付市郎右衛門家系図。武蔵介兼賢の五男で隼人入道道庵を称した兼里を祖とし、天文十八年の出生、河内守兼久の二男兼親を養子とした由緒、寛永九年正月廿三日の死去を記す。以下、兼政・兼綱・兼明・兼有らの系統、女子の婚姻、南雲氏からの養子を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:492 伴姓肝付氏系図
古系図と注記された伴姓肝付氏の系図。天智天皇・大友皇子から大伴氏、勝部氏へつながる起源説を掲げ、肝付氏の諸代と多数の庶流を系線で示す。官途・通称、所領、婚姻・養子、寺院、法名を付し、加治木・高山城などの合戦、戦死、島津氏への奉公、謀反人に関する記事を収める。人名上の丸印が朱書であるとの注記もある。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:493 肝付十兵衛家系図
伊集院の肝付十兵衛家系図。樋脇衆中の肝付隼人入道道庵兼里の二男、利作諸兵衛兼綱を祖とする。兼綱が島津忠長(紹益)に仕え、寛永十二年の手札改めの頃に宮之城で家臣となった経緯を記す。後裔の兼秀・兼張・兼憲らについて、尾張国での死去、婚姻、通称を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:494 肝付諸右衛門家系図
宮之城の肝付諸右衛門家系図。肝付諸兵衛兼綱の三男兼張、兼憲、兼次へ続く系統を示す。諸右衛門市左衛門が天和元年七月廿五日に没し、法名を自参常心居士としたこと、男子がなかったため市来七郎兵衛家豊の子を猶子として家を継がせたことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:495 法名書上
肝付氏関係者とみられる法名・戒名の書上。阿仏禅定門、峻山妙大姉、翁兼忠居士、大僧都省釣法印、蘭溪芳和尚、狐雲芳清居士などを列記する。居士・大姉・禅定門・上坐・法印・和尚等の称号を含むが、俗名との対応や作成年月日は記されない。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:496 肝付豹右衛門口上覚
肝付豹右衛門家の口上覚。豹右衛門兼弘の死去時に系図が失われたため、伝承で知り得る範囲を書き上げる。兼弘と親族の系譜、島津右馬頭以久・島津彰久への奉公、朝鮮出陣、川上六郎兵衛負傷時の軍代などを述べ、後段では伴家の幡、大堂宮・梅北大宮司との関係、都城と梅北の間にあった屋形の伝承に及ぶ。元禄七年十月五日付…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:497 鹿屋忠兼覚書
大堂宮から下された錦の幡の寸法を記した覚書。幡の横幅を三尺三寸、長さを一丈二寸五分、竿を一丈五尺とし、鹿屋忠兼の記録を鹿屋豹入道が注し、鹿屋周防入道玄兼が名を記す。『諸家系図文書』四三号・五二三号と同一文書とする編者注がある。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:498 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が肝付豹右衛門に宛てた書状。度々の使者に礼を述べ、相手の快気を気遣い、回復すれば同行してほしいとする。前日に送った左衛門尉宛ての一札を見せたいと述べ、重い用件は簡単に述べ尽くせないが、推量のうえ相談してほしいと依頼する。六月一日付、伊弥九(伊勢貞昌)花押。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:499 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が肝付豹右衛門兼弘に宛てた書状。先日、又六の来訪時に提出した願文の案文を手元に置いたはずだが見つからないため、写して渡してほしいと頼む。願いの成就を進めたいとして相談を求め、前日に送った二巻も都合のよい時に読んで聞かせてほしいと依頼する。八月十五日付、伊弥九(伊勢貞昌)花押。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:500 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が肝付豹右衛門に宛てた書状。多忙で面会できないため、内々の概略を書いた書物について来訪を頼みたいが、当日は雲州のもとに終日いるので翌日の晩など都合のよい時を求める。先刻届けられた見事な二種の贈物に礼を述べ、委曲は対面で話したいとする。九月一日付、伊弥九(伊勢貞昌)花押。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:501 伊勢貞昌書状
伊勢貞昌が肝付豹右衛門に宛てた書状。相手が釜山浦から一昨日帰ったと聞きながら、多忙で連絡できなかったことを詫びる。物不足の折に一種を贈られた厚意に礼を述べ、内々に話していた書物が国元から少し届いたので見せたいが、当日は番のため叶わず、翌日に知らせるので来て見てほしいと頼む。九月廿三日付、伊弥九(伊勢…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:502 樺山久敦書状
樺山久敦が肝付城介に宛てた書状。久しく便りをしなかったことを詫び、相手方の無事を尋ね、自身の地は変わりないと知らせる。前年に大坂で会えず、帰国後も書状を送れなかったとして、音信のしるしに箱入りの扇子二本を贈る。追而書では母へ木綿足袋一足、内々へ帯一筋を進上すると伝え、長次郎への伝言も頼む。六月十九日…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:503 肝付兼林書状
肝付兼林が肝付城介に宛てた書状。先日の来訪で久しぶりに会えたことを喜び、安右衛門殿の内儀への配慮を頼む。見事な茶入を覚之允へ下されたことに格別の礼を述べ、自身は江戸勤めを命じられて近日出立する予定だと知らせる。相手が当地へ来る際は、自分が留守でも宿所を利用してほしいと伝える。五月七日付、肝付三郎兵衛…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:504 福崎重元書状
福崎重元が肝付俵右衛門尉に宛てた書状。先日、高松新七郎の件で使僧を受けた礼を述べ、雑務に取り紛れて返事が遅れたことを詫びる。公儀の取扱いで延引して本意に背き、こちらの関係者だけでは埒が明かないため、松山方面からも取りまとめるよう依頼する。高松新七郎へ返答してほしいと追而書で重ねて頼む。九月廿八日付、…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:505 肝付覚左衛門家系図
末吉の肝付覚左衛門家系図。上世の出所は不明と注記し、権之助豊前守兼隆が十七歳で伊東河内守を討ち、恩賞として知行六町を得たこと、二十三歳から兵道を行い、岩屋城攻めで敵三人を討ち取ったことを記す。兼隆が肝付郡高山から末吉へ移った由緒を述べ、治右衛門兼清・覚左衛門兼豊以下、伴右衛門・権右衛門らの分岐と婚姻…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:506 伴姓肝付氏系図
古系図と注記された伴姓肝付氏の系図。天智天皇・大友親王から伴姓へつながる起源説を掲げ、伴善男の官位・流罪記事を経て、河内右馬頭兼遠・兼行らから肝付氏諸流へ系線を展開する。多数の諱・通称・官途、出家名、女子、庶流を記し、末尾は兼清・兼宣・兼基・兼季・兼右・兼左・兼政・兼連らへ至る。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:507 肝付伴五左衛門家系図
肝付豊前守兼隆の弟兼清を祖とする肝付伴五左衛門家系図。男子のない兼清が伴七兼陳を養子とし、兼陳は慶長十二年九月十七日生、万治三年四月十二日没、法号亭月陳長上坐と記す。後裔の兼林・兼高・兼陳らについて出生年月日、母方、通称、婚姻を列記し、伴弥・甚太夫へ続く。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:508 肝付権左衛門家系図
伊勢豊松内の肝付権左衛門家系図。肝付豊前兼隆の三番目の弟で、初め権右衛門、のち七郎右衛門を称した人物を祖とする。七歳の時に肝付落城に遭って出家し、十四、五歳で還俗して伊勢兵部の家来となり、その後も奉公を続けた由緒を記す。以下、権之助・権左衛門・堅右衛門・権右衛門・文十郎らの分岐と母方・婚姻を列記する…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:509 肝付伊左衛門家系図
谷山の肝付伊左衛門家系図。古い系図は縫殿助の代の類火で焼失したため、それ以前は不明として略す。兼佳(縫殿助)は谷山で奉公し、島津大和守に従って正保二年十二月十一日に戦死、福昌寺戦亡帳にも記載されたという。男子のなかったため伊集院古左京亮の弟久兵衛尉の嫡子兼政を養子とし、兼政の子女、兼英・兼武・兼寛ら…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:510 肝付孫七家系図
末吉の肝付孫七家系図。上世の出所は不明で、肝付左近の実名・法号も不詳とする。左近に男子がなかったため、大山弥八左衛門の子を弥左衛門として養子に迎え、法名を潤心識屋禅定門と記す。以下、弥八左衛門・弥七・太郎兵衛・七郎らの分岐、養子、母方、婚姻を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:511 肝付弥八左衛門家系図
末吉の肝付弥八左衛門家系図。上世の出所は不明とし、肝付石見の実名も不詳とする。兼重(弥八左衛門)は肝付弥左衛門の次男で、八郎兵衛の養子となった。後裔の母方・婚姻を記し、別系の八郎兵衛は井之前半左衛門の次男から養子に入り、法号を教心善阿信士とする。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:512 肝付伴右衛門家系図
高尾野の肝付伴右衛門家系図。肝付如心入道(右近藤左衛門、実名不詳)は慶長五年に帖佐から出水へ召し移され、高尾野城地頭宮原秋扇(景晴)の談合衆として徳永・樅所らと旧高尾野城内へ移住して奉公したという。以下、兼盛・兼行・兼平・兼経らの分岐、養子、母方、婚姻を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:513 肝付源六左衛門家系図
串木野の肝付源六左衛門家系図。上世の出所は不明とし、僧元院・善行院・大仙坊・連光院を掲げる。大仙坊は本名を飛騨といい脇に居住、平左衛門は内之浦に居住したと記す。大仙坊に男子がなかったため休六を婿養子とし、以後、兼明(三左衛門)・兼次(五郎兵衛)から円次・仲七・三吉らへ至る母方・婚姻を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:514 伊集院幸侃署判領知目録
伊集院幸侃が発給した領知目録。日向国諸県郡三ケ山のうち一作・高五石を、高麗国の奥陣まで奉公した功により宛行う。文禄五年十二月二日付で、伊集院右衛門入道・蓮光坊に宛て、幸侃が花押を据える。『旧記雑録後編三』一四五号文書と同一文書と注記される。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515 肝付五左衛門家系図
内之浦の肝付五左衛門家系図。樋脇士・肝付善行院の三男平左衛門は元来清敷衆中で、約五十年前、平田豊前が内之浦地頭であった時に内之浦へ召し移されたという。兼寛に男子がなかったため白坂五左衛門篤盈の次男を婿養子とし、兼通(五左衛門)と名乗らせ、万次郎へ続く系譜を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515-1 都城川東村柿木薗門嘉左衛門覚書
都城川東村柿木薗門の嘉左衛門が、家の由緒を記して梅北正兵衛に追書を求めた覚書。曽祖父の肝付源左衛門は高山から志布志へ召し移され、ぞうめき口の屋敷を与えられ、のち入道して宗可と名乗ったという。助三郎の死後の家督継承、北原小名の称用、石垣普請や知行目録、龍峰寺・柿木薗門での家の継承を述べ、証文としての追…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515-2 梅北正兵衛添書
梅北正兵衛が嘉左衛門の覚書に添えた証明文。前掲の内容に別条はなく、自分と同姓であると伝承しているため、次書をもって申し上げるとする。元禄八年四月五日付、梅北正兵衛印。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515-3 北原拾兵衛証状
山之口衆中の北原拾兵衛が、都城内川東柿薗門の嘉左衛門の筋目を証した書状。嘉左衛門は先祖北原半右衛門の甥に当たり、親の肝付行蔵の代に名字を北原へ改めたが、その代で系図を焼失したため、由緒を示す書物がないと説明する。嘉左衛門が確かに筋目の者であるとして取り計らいを頼む。元禄八年四月五日付、肝付甚兵衛宛、…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515-4 百姓嘉左衛門家系図
都城川東村柿木薗門の百姓嘉左衛門家の系図。上世の出所は不明とし、源左衛門は志布志に住み、入道して宗可と称した。その子助三郎は修験者となって行蔵と改名し、志布志から末吉、さらに山之口へ移り、御心付番頭役を務め、石垣普請にも召し出されたという。権之介以下の後裔、嘉左衛門・小左衛門へ至る継承と、都城諸家と…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:516 島津義久袖加判領知目録
島津義久の袖加判を伴う領知目録。日向国志布志のうち、志布志名・すみとこ門内の牛田一段および二反の内を肝付助三郎に示す。天正二十年十二月一日付で、町田出羽守久倍が花押を据える。『旧記雑録後編二』一〇〇一号文書と同一文書と注記される。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:517 肝付系図
天智天皇から大友親王へ連なる伴姓・肝付氏の系図。余那足・善名・国通・善雄・仲用・兼行以下の代々を、官職・通称・法名、母方・婚姻、所領・居住地とともに列記する。兼義の肥後立石塚出陣、兼隆の島津・伊東との戦闘や伊東河内守捕縛などの軍功記事も収める。末尾では兼隆代に系図・文書が焼失したため、類系図を参照し…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:518 伴家薬丸系図
天智天皇・大友皇子から余那足、善名、国通、仲用、兼行以下へ連なる伴家・薬丸氏の系図。近江国志賀郡辛崎の黒主社に関する由緒を掲げ、各代の官職・通称・法名、出生・死去年月日、居住地、母方・婚姻、養子関係を詳記する。加治木・鎌倉などとの関係や寺院・法名も含め、薬丸氏諸流の展開をまとめる。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:519 津曲休右衛門家系図
本文に『伴家津曲氏一流系図』と題する津曲休右衛門家の系図。天智天皇・大友親王から余那足、善名、国通、仲用、兼行以下を連ね、兼善(源兵衛)ら津曲氏諸代の官職・通称・法名、母方、婚姻と分岐を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:520-1 伴氏并勝部氏系図
『大伴氏今伴家氏并勝部氏』と掲げる伴氏・勝部氏の系図。天智天皇から大友皇子、善名、善男、仲用以下へ連なる多数の支流を、官職・通称・法名、母方、婚姻、養子関係とともに大系図として示す。各支流の分岐と、河内守・伊豆守・民部少輔・式部少輔などの官途を詳記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:520-2 肝付彦兵衛奥書
『伴氏并勝部氏系図』の伝来・書写に関する奥書。串良下小原の万八千大明神神主・石塚相模のもとに格護されていた系図を、明和九年壬辰四月二十四日に肝付彦兵衛が写したと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:521 伴姓鹿屋氏系図
志布志士鹿屋権兵衛家に伝わる伴姓鹿屋氏の系図。天智天皇・大友親王から余那足、善名、善男以下を連ねる。兼雄の鹿屋一谷長谷山城での軍功、兼好の加治木合戦、兼賢の鹿屋院弁済使補任、兼永の高城合戦死、兼健の平田氏からの養子入りと北郷氏との戦闘などを記し、兼明・兼次ら後裔と婚姻関係へ続く。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:522 島津庄庄官等申状
島津庄の庄官らが、政所の仰せに基づく大隅国正八幡宮造営負担について言上した申状。庄成立以来二百六十余年、同宮造営への用途貢進の先例はないと主張し、承元二年九月日付の普賢寺禅定殿下政所下文案などを副進する。正八幡宮の由緒、庄内無主荒野の開発、伊勢大神宮との関係を挙げて負担停止を求める。末尾に『右正応元…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:523 鹿屋忠兼覚書
鹿屋周防守忠兼が、伴氏の由緒と諸流を記した覚書。大隅・薩摩・日向の三州に分かれた伴氏の源流を大伴親王・善男大納言に求め、清和天皇期の検非違使別当などの伝承を述べる。さらに梅北を含む諸家の分布、家の標識・旗・大杖に関する由緒、都城の神柱大明神を氏神とする伝承などを記す。鹿屋周防入道忠兼の作で、『諸家系…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:524 島津庄預所下文
島津庄預所が、散位伴朝臣兼広を鹿屋院弁済使職に補任した下文。兼広が同職を相伝してきた由を申したことにより補任し、百姓らに承知して違失しないよう命じる。建暦元年八月四日付、預所の花押を伴う。『旧記雑録前編二』一二三四号、『家わけ二』肝付文書一八六号、『諸家系図文書』五五号文書と同一文書と注記される。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:525 島津庄預所下文
島津庄預所が、左馬允伴兼賢を鹿屋院弁済使職に補任した下文。同職は重代相伝の所職であるとして兼賢を補任し、恒例・臨時の御公事を怠りなく沙汰するよう命じ、土民らに承知を求める。寛元二年八月二日付、預所僧の花押を伴う。『旧記雑録前編二』一四三三号、『家わけ二』肝付文書一八九号、『家わけ九』鹿屋文書一号、『…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:526 島津庄預所下文
島津庄預所が伴千寿王丸を鹿屋院弁済使職に補任した下文。同職は重代相伝の所職であるとして補任し、恒例・臨時の御公事を怠りなく沙汰するよう命じ、土民らに承知を求める。建長四年七月日付、預所の花押を伴う。『旧記雑録前編二』一四九八・一五〇一号、『家わけ二』肝付文書一九〇号、『家わけ九』鹿屋文書二号と同一文…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:527 島津庄預所下文
島津庄預所が伴実兼を鹿屋院弁済使職に補任した下文。兼賢の死後、次男兼世に同職を宛てたが、年貢などを沙汰せず不忠が甚だしいとして収納使が訴えたため、嫡子実兼の申請を受けて兼世を停止し、実兼を補任した。恒例・臨時の御公事と年貢を怠りなく沙汰するよう命じる。弘長元年七月日付、預所法眼和尚位の花押を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:528 島津庄預所下文
島津庄預所が左馬允伴実兼を鹿屋院弁済使職に補任した下文。同職は兼賢相伝の職であるため、その嫡子実兼を任ずるとする。弘長二年八月日付、預所法眼和尚位の花押を伴う。『旧記雑録前編二』一六四〇号、『家わけ二』肝付文書一九二号、『家わけ九』鹿屋文書四号、『諸家系図文書』五八号と同一文書。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:529 島津庄預所下文
島津庄預所が左馬允伴実兼を鹿屋院弁済使職に補任した下文。兼賢相伝の職について子息の中から補任するはずのところ、兼世を任じたが不忠で庄家の事を全く沙汰しなかったため、兼世を停止し、実兼を補任するとする。土民らに承知を命じる。文永七年八月日付、預所法眼和尚位の花押を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:530 島津庄預所下文
島津庄預所が右馬允伴実包を鹿屋院弁済使職に補任した下文。実包を同職に補任し、恒例・臨時の御公事を怠りなく沙汰するよう命じる。文永九年八月日付、預所法眼和尚位の花押を伴う。『旧記雑録前編二』一七四一号、『家わけ二』肝付文書一九五号、『家わけ九』鹿屋文書六号、『諸家系図文書』六〇号と同一文書。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:531 島津庄預所下文
島津庄預所が左馬允伴実兼を鹿屋院弁済使職に補任した下文。実兼を同職に補任し、御年貢以下の恒例・臨時御公事を怠りなく沙汰するよう命じる。弘安四年八月日付、預所法眼和尚位の花押を伴う。『旧記雑録前編二』一八三四号、『家わけ二』肝付文書一九八号、『家わけ九』鹿屋文書七号、『諸家系図文書』六一号と同一文書。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:532 院家某御教書
院家の意向を預所が伝えた御教書。入道観阿が夜討ちで殺害した件について申し開きを済ませたため、今後は鹿屋院弁済使職へ還補するよう命じる。院家の御気色により預所殿が下知した旨を僧栄耀が執達する。永仁四年十一月二十日付、鹿屋院弁済使宛。『旧記雑録前編二』二〇〇四号、『家わけ二』肝付文書二〇一号、『家わけ九…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:533 島津庄預所下文
島津庄預所が沙弥観阿を鹿屋院弁済使職に補任した下文。観阿を同職に補任し、兼世が沙汰していた御年貢以下の恒例・臨時御公事を怠りなく処理するよう命じる。永仁六年五月三日付、預所の花押を伴う。『旧記雑録前編二』二〇二二号、『家わけ二』肝付文書二〇二号、『家わけ九』鹿屋文書九号と同一文書と注記される。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:534 島津庄預所下文
島津庄預所が沙弥観阿を鹿屋院弁済使職に補任した下文。兼世が定心を補任していたものの、観阿の重代相伝の職であるとして改めて観阿を補任し、定心が前年に納取した分を糺し返すよう命じる。観阿には御年貢以下の恒例・臨時御公事を滞りなく沙汰するよう求める。永仁七年二月一日付、預所の花押を伴う。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:535 鹿屋院雑掌兼信申状
鹿屋院雑掌兼信が、領家一乗院による鎮西管領の回復後も、惣地頭名越尾張孫次郎の代官が領家進止地の水田六十余町、在家・山野などを押領しているとして訴えた申状。鹿屋院は本来領家一円所務で下地を弁済使が進止し、仏神事・公家武家への負担を担う地であると主張し、押作地の返還と年貢・済物の回復を求める。元徳二年八…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:536 鹿屋院惣地頭代押領田在家山野注文
鹿屋院惣地頭代官らによる領家年貢・諸済物の抑留と、田地・在家・山野などの押領を列挙した注文。押作田三十二町余と御米、田貫社・大窪田・馬庭田・同野稲島などの地名別田数・年貢、守護・地頭代官らの抑留分、狩倉、在家・公田、各村の田畠・屋敷・山野を具体的に記す。領家方の所務回復のため、数量と押領者を網羅的に…
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:537 大追物手組
肝付で催された大追物の手組を記した名簿。島津式部大輔、肝付周防守、平田又七郎、伊地知左衛門尉、肝付又八郎、鹿屋三郎二郎らの組分けに加え、検見・喚次などの役を記す。末尾に『御屋形様忠昌御代』とあり、島津忠昌代の催事であることを示す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:538 大追物手組
永正十三年十一月二十日の犬追物手組。肝付修理亮十三疋、鹿屋民部少輔十四疋、岸良左衛門次郎七疋など、射手ごとの担当疋数を記し、検見・喚次の役も示す。末尾は肝付又八郎宛。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:539 大追物手組
永正十三年十一月二十一日の犬追物手組。肝付又八郎、肝付四郎二郎、肝付新四郎、岸良左衛門二郎らについて担当疋数を記し、検見を大寺駿河守、喚次を島津十郎左衛門尉とする。鹿児島郡で催されたことを末尾に記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:540 大追物手組
大追物の手組を記した名簿。『殿・與岳』以下、島津左衛門尉、肝付又八郎、本田三河守、島津太郎左衛門尉、伊地知又七、吉田若狭守らの担当疋数を列挙し、検見・喚次を示す。末尾に大寺駿河守を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:541 肝付郡弁済使尊阿兼藤用途料請取状
肝付郡弁済使の尊阿(肝付兼藤)が、鹿屋院預所方の見参斫用途として三貫文を宗兼の手から受け取ったことを証した請取状。文保元年六月九日付。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:542 樺山久高覚書
鹿屋周防介らに対する城務・軍備関係の覚書。御普請、篦切り、竹尻、番衆の掃除、板城戸、城近山の伐採禁止、弓鉄砲、城屋敷、兵粮米、財部から秋月殿への移送、福島への人返しなどの事項を列挙する。七月二十八日付、樺山権左衛門判。
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:543 鹿屋理右衛門届書
新城の臣鹿屋理右衛門が、自家には系図・文書を所持せず上古のことを知らないため、年長の近親者に詳しく尋ね、従前からの伝承をもとに近い先祖以来の由緒を略系図として書き上げた旨を届けた書付。引合いとなる証文があれば照合してほしいと願う。