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旧記雑録拾遺 著作史料集4の目録

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  1. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:158 後醍醐天皇綸旨

    後醍醐天皇が、針原孫次郎久兼の当知行について、宣旨に任せて管領に相違があってはならないと命じた綸旨。元弘三年八月二十九日付、権左少弁奉書で、紙質・寸法と『旧記雑録前編一』一五一四号文書との同文注記がある。

  2. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:159 後醍醐天皇綸旨

    後醍醐天皇が、足利尊氏・直義以下に反逆の企てがあるため追討するとし、針原孫二郎久兼に鎌倉へ発向して軍忠を尽くすよう命じた綸旨。十一月二十五日付、大膳大夫奉書で、前号文書の下に写され、『旧記雑録前編一』一七四一号文書と同一らしいとの注記がある。

  3. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:160 雑掌法橋隆宗書状

    雑掌法橋隆宗が針原熊鬼に、薩摩国山門院針原名内十町九段三十に関する国方惣検の件を和与によって決着し、訴訟を停止したと伝えた書状。正安二年十一月十九日付で、針原熊鬼を山門藤原家泰の二子とする注記がある。

  4. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:161 源某下文

    源某が藤原兼綱を本田郷司職に定め、相伝のうえ参入したので、住人・浪人らを安堵して課役を勤めさせるよう本田郷住人等に命じた下文。久寿二年三月二十三日付で、本文は写しとされ、『旧記雑録前編一』二八号文書との同文注記がある。

  5. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:162 島津伊久宛行状

    島津伊久が本田左近蔵人兼久に、山門院西方内にある祖父兼阿の跡の村々と散在田畠等を、先例に任せて知行するよう宛行った文書。天授三年六月三十日付で、正文は別紙との注記がある。

  6. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:163 足利直義下文

    足利直義が本田次郎左衛門尉久兼に、度々の合戦で郎従らが負傷した忠節を神妙と評価し、恩賞は追って沙汰すると伝えたうえ、敦賀津の凶徒に対して島津孫三郎とともにその城へ馳せ向かい、軍忠を尽くすよう命じた下文。建武三年十二月二十三日付。

  7. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:164 足利尊氏御教書

    足利尊氏が本田左衛門尉久兼に、守護の催促に従い、肝付八郎兼重以下の凶徒を誅伐して軍忠を尽くすよう命じた御教書。建武三年三月二十八日付で、『旧記雑録前編一』一八二一号文書との同文注記がある。

  8. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:165 沙弥道観譲状

    沙弥道観が嫡子孫二郎に、薩摩国山門院針原の村田畠・荒野、野角内の屋敷方四町、横峯の四至内などと手継本証文を永代譲与し、他の妨げなく領知すべきとした譲状。嘉暦四年四月二十五日付。

  9. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:166 兼阿久兼譲状

    兼阿久兼が、嫡子とした金太郎へ「ちうたい」の鎧・太刀と兼阿跡を譲る旨を、みなり河殿の御方へ申し送った譲状。文和三年八月十六日付で、兼阿の自筆文書に後証として島津氏久が延文五年九月六日に判形を加えている。

  10. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:167 島津貞久大番役請取状

    島津貞久が本田孫二郎兼阿に、二条万里小路大番役について、建武二年三月一日から同七月一日まで、山門院内針原・横峯・内野分が勤仕したことを証した請取状。終期の「七月」には「六カ」の傍注がある。

  11. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:168 沙弥静観譲状

    沙弥静観が、薩摩国山門院針原の針原・野角・横峯以下の水田畠等を、関係する本文書・御下文とともに針原入道へ永代譲渡した譲状。後日には所領を残さず子息孫二郎へ譲る旨も定める。嘉暦四年三月二日付。

  12. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:169 藤原家泰譲状

    藤原家泰が、相伝所領である薩摩国山門院針原村の田畠・荒野等の一部を子息熊王丸へ一期分として譲った譲状。本証文類は嫡子しかうしゅ丸へ渡しているため、この譲状により関東の安堵を申請するよう指示し、正安二年六月十五日付で作成された。後に相模守の確認が加わる。

  13. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:170 藤原家忠・同家泰連署沽却状

    藤原家忠・家泰が、薩摩国山門院竹原町の田二段を、用途十貫文で本田入道へ永代売却した連署沽却状。先日の竹原町割残分で境界を改めて示す必要はなく、家泰重代相伝の私領であること、田地を引き渡して今後は公事・臨時課役を本田入道側が負担することを定める。正和三年三月十日付。

  14. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:171 尼聖興譲状

    尼聖興が、重代相伝の薩摩国山門院実成河村の田畠等を、子息左近蔵人兼久へ一期を限って譲った譲状。子孫に至るまで他の妨げなく領知すべきことを定める。応安七年八月二十二日付。

  15. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:172 尼聖興譲状

    尼聖興が、薩摩国山門院実成河村の重代相伝所領のうち竹原町一町と古城屋敷を、かなめうひめ御前へ譲った譲状。公事等を勤めて領知し、子孫へ継承すべきことを定める。応安七年八月二十二日付。

  16. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:173 石田三成書判人質番組

    石田三成が島津義弘に示した人質番組。島津歳久の孫、肝付兼演・新納忠元・島津忠辰・種子島久時・入来院重時らの実子または親類年寄の子を三組に編成し、北郷忠虎・伊集院忠棟・新納忠元の質人三名を常詰とする。本田親貞・町田久倍・平田増宗も各組に加え、必要に応じ一人を京都へ召し置くことなどを定める。天正十九年十…

  17. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:174 兼阿譲状

    兼阿久兼が金太郎を嫡子として、兼阿跡の所領一円と重代の鎧・太刀・刀を譲った譲状。薩摩国山門院内針原名田、筑前国怡土荘内の田地坪付・帳簿に載る所領などを含め、残さず譲与する。文和三年十一月十五日付。

  18. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:175 本田兼久譲状

    本田兼久が嫡子金藤丸に、薩摩国山門院内の針原名田・実成河名田・横峯村・高原町・久木田・内野村などの所領と、筑前国怡土荘内の所領を譲った譲状。鎧・太刀・刀も含め、一期分として残らず譲与する。明徳三年十二月十三日付。

  19. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:176 藤原家泰売券

    藤原家泰が、相伝所領である薩摩国山門院針原村の田畠・荒野等を本田左衛門尉へ用途六十貫文で売却した売券。先に時吉太郎通泰から本田が買得したのち、関東の徳政明文により本主家泰が取り戻していたが、買得地を今後禁過できない旨の御事書を受け、改めて売り渡し、他の妨げなく領知すべきとする。正安二年六月十五日付。

  20. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:177 島津道鑑所領安堵状

    島津貞久(道鑑)が本田宮内左衛門入道道観に、薩摩国山門院西方内の名田等を給恩として安堵した文書。手作分六段余(峯本・平田・舎迫)と名々分の久富六町・光成二町・桃木田六段について、坪付のとおり知行するよう命じる。正慶二年閏二月十九日付。

  21. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:178 島津道鑑久貞下文

    島津貞久(道鑑)が本田孫次郎久兼を、薩摩国山門院内の本田左衛門次郎親兼跡半分(塩屋を除く)の代官職に補任した下文。先例を守って沙汰を行うよう命じる。建武二年三月十一日付。

  22. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:179 本田久兼軍忠状

    本田左衛門尉久兼が島津道鑑の手に属して遂げた軍忠を申告した文書。正月二十七日の賀茂河原合戦で先懸し乗馬を討たれ、翌二十八日の神楽岡合戦で敵三人を討ち取り、二月七日の大宮井西七条合戦でも軍忠を尽くしたとして恩賞を求める。建武三年三月十一日付。

  23. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:180 本田久兼軍忠状

    本田久兼が越前国敦賀城合戦での軍忠を申告した目安。正月十八日に大手脇の堀際で戦い、二月十六日の後巻勢来襲時、三月二日、四月十四・十五日の夜戦と城への先入でも戦功を重ね、負傷・戦況を複数の見知人が証したとして一見状を求める。建武四年四月付。

  24. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:181 本田久兼軍忠状

    本田久兼が当御手に属して遂げた軍忠を申告した文書。十月十一日に大和国二上城を攻め、凶徒退去後に味曽路越で合戦し、同十九日には河内国東条城へ馳せ向かって平良小次郎・吉田又次郎らと戦ったとして、一見状を求める。建武四年十月付。

  25. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:182 本田久兼軍忠状抄

    本田久兼の建武四年十月付軍忠状について、前号と同文であるため本文を省略し、島津道鑑の承了花押があることだけを記した抄録。

  26. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:183 本田久兼軍忠状

    本田久兼が八幡・天王寺方面での軍忠を申告した文書。三月十三日に八幡で合戦し、大隅助次郎入道・東郷小三郎が見知、同十六日には天王寺安部野で敵二人を生捕り、高橋中務丞が確認したとして、後代の証拠となる一見状を求める。建武五年三月付。

  27. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:184 本田久兼軍忠状

    本田久兼が兵庫警固と湊河城合戦での軍忠を申告した文書。四月十七日から兵庫警固に従い、六月二日に敵が湊河城へ寄せた際に戦い、同三日に前城を攻めて敵を追散したことを加藤式部丞が見知したとして、一見状を求める。建武五年六月付で、石塔頼房の承了花押がある。

  28. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:185 本田久兼軍忠状抄

    本田久兼の建武五年六月付軍忠状について、前号と同文であるため本文を省略し、島津大夫判官宗久の承了花押があることを記した抄録。

  29. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:186 本田久兼軍忠状

    本田久兼が八幡城方面での軍忠を申告した文書。六月二十七日から八幡城へ向かい、七月九日に敵が城郭を構えて籠る所へ南手から攻め入り、分捕を遂げたことを小笠原孫六・愛甲九郎が見知したとして、一見状を求める。建武五年七月付。

  30. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:187 本田久兼軍忠状抄

    本田久兼の建武五年七月付軍忠状について、前号と同文であるため本文を省略し、承了花押があることを記した抄録。

  31. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:188 島津道鑑貞久下文

    島津貞久(道鑑)が、本田次郎左衛門入道兼阿跡の給恩である薩摩国山門院内実成河地頭代官職を、孫子本田金太郎へ宛行った下文。先例に任せて沙汰し知行するよう命じる。延文五年八月二十二日付。

  32. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:189 北郷三久書状

    北郷三久が本田左市・惣次郎に、船の手配や出陣供衆の選定、仕度を談合して早く決定するよう求めた書状。京都での聞こえにも関わるため相談のうえ分別すること、久次郎の供についても取り計らうことを依頼する。五月二十二日付。

  33. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:190 税所氏系図

    都城高木住の税所氏系図。宇多天皇から敦仁親王・敦実親王・篤房へ連なる系譜を起点に、篤相以下の税所氏諸流を配し、各人の位階・官職、野太夫・税所職、居住地、婚姻、軍忠・所領関係などの注記を付す。近世の加筆が多いとの編者注があり、都城・蒲生・谷山・山門院などに展開した一族関係を示す。

  34. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:191 酒勾久景預ケ状

    酒勾久景が、御方として城に楯籠もり軍忠を尽くした延時又三郎入道忠種を賞し、薩摩国薩摩郡竹内・八弥田地内の青木田一町と竹内薗一所の各半分を預け置いた書状。今後も忠節を尽くすよう命じる。暦応二年七月二十六日付。

  35. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:192 延時法仏軍忠状

    延時又三郎入道法仏が薩摩国市来院城郭合戦の軍忠を申告した目安。重病のため、七月二十八日の攻城には舎弟彦五郎忠能を代官として遣わし、八月三日まで野頸の手で戦わせた。九月十七日以降も水手・大手・後巻で戦功を重ね、軍奉行らの見知を得たとして承判を求める。建武四年十一月付。

  36. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:193 延時忠種着到状

    京都の件で関東から早打が到着したため、薩摩国御家人延時又三郎忠種が五日付で馳参したことを御奉行所へ届け、披露を求めた着到状。元亨四年十月二十一日付で、北条英時の承了花押がある。

  37. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:194 墓碑(平田三五郎)

    財部にある平田三五郎の墓碑二基の碑面を写した資料。没年月日・享年などを刻む二つの碑面図を掲げ、延時氏文書十五枚を文政五年三月九日に財部地頭仮屋で本書から写した旨を付記する。

  38. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:195 伴三子譲状

    伴三子が、父・故大目伴信明以来の相伝所領である薩摩若松名内十三町と羽嶋浦・羽嶋田嶋一曲などを、坪付を列挙して妹女へ譲った譲状。本公験・手継は嫡女が得ていること、他人へ沽却された場合は本主へ返付して沙汰すべきことを定める。文治三年十月二十五日付。

  39. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:196 平忠友譲状

    平忠友が、先祖相伝の薩摩郡成枝名内の水田等を子息平忠富へ譲った譲状。大賀里・青木・小落見・久留美上新開・柏木・宗原・木下・瓦田里などの坪付を列挙し、一部を平次の所領として除外したうえ、子孫に至るまで妨げなく領掌するよう定める。寛喜三年二月十九日付。

  40. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:197 関東御教書

    北条時頼が薩摩平三に、母伴氏の嘉禄四年正月十五日譲状と父平忠友の寛喜三年二月十九日付二通の譲状に基づき、薩摩国薩摩郡郡司職、成枝名内の田口・山野、本若松名内水田二町等の当知行に相違がないとして、先例どおり沙汰するよう命じた関東御教書。寛元四年十一月十一日付。

  41. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:198 島津忠時書下

    島津忠時が薩摩郡平三に、京都大番役は六か月勤仕すべきこと、御教書の案文を添えて命令どおり参勤すべきことを命じた書下。老耄・出家などを理由に代官を立てることを戒める。弘長二年八月十一日付。

  42. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:199 島津道仏忠時覆勘状

    島津道仏忠時が成岡二郎について、京都大番役を六か月勤仕し終えたことを覆勘し、帰国は自由であると認めた状。弘長四年正月十三日付。

  43. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:200 沙弥見仏譲状

    沙弥見仏が三郎大蔵種忠に、薩摩郡内の名田・村々など相伝の所領を譲った譲状。譲与地を列挙し、子孫に至るまで妨げなく領掌させること、譲状の趣旨に背く場合の扱いなどを定める。文永元年十月十一日付。

  44. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:201 沙弥見仏譲状

    沙弥見仏が三郎種忠を嫡子として、名田・瓦田村などの相伝所領と証文類を譲った譲状。若松四郎への譲与分を区別し、見仏の存命中は知行を留保すること、死後は種忠が領掌すること、譲状返還時の扱いを定める。文永八年五月廿日付。

  45. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:202 平忠俊・同忠恒連署譲状

    平忠俊・忠恒が平宗尊に、名田などの所領を譲った連署譲状。蘭房に関する分を除外し、譲受人に子がない場合の相続、忠俊を親父として孝養すること、上府・異国襲来時の参府や軍庭への供奉、違反時の返還などを条件とする。文永九年四月三日付。

  46. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:203 覚恵資能博多津番役請取

    覚恵資能が備後民部大夫に、四月十七日に参着し、五月十六日まで博多津番役を勤仕したことを請け取った文書。文永九年五月十七日付。

  47. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:204 島津久時書状

    島津久時が備後民部大夫に、延時三郎種忠の訴えを取り次いだ書状。種忠は若松四郎忠重が兄・甥を殺害して所領を押領したと訴え、事実を糾明して沙汰するよう求めており、久時はその申状を送付して処置を依頼する。文永十年二月廿日付。

  48. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:205 六波羅御教書

    六波羅が大宰少弐入道に、薩摩国御家人・見仏後家尼持性の代栗心の訴えを伝えた御教書。種忠が多数を率いて弓箭・兵具を帯び、住宅に乱入して瓦田村などを押領したという申状について、実否を調査し報告するよう命じる。文永十一年六月三日付。

  49. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:206 おおくらのさいあみたふ譲状抄

    大蔵さいあみだ仏の譲状一通が存在したことを記す抄録。弘安八年八月十日付で、花押のある譲状であることを示す。

  50. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:207 大蔵種忠着到状

    薩摩国御家人延時三郎大蔵種忠が、関東から早馬が到着したとの報に接して急ぎ馳参したことを届け、着到の披露を求めた状。正応六年六月六日付で、北条兼時の承了花押がある。

  51. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:208 鎮西御教書

    鎮西が延時三郎に、薩摩国御家人の公事をめぐる訴状を添えて示し、早く参決するよう命じた御教書。正安元年十二月十七日付で、前上総介北条実政の花押がある。

  52. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:209 在国司道雄代道弘和与状

    在国司入道道雄と延時三郎入道成仏の間で争われた、薩摩郡延時名内の真弓町・御霊田・上山本・中山本など四町の公事について和与した状。今後は延時本名四十分一の公事所役を勤仕し、違乱・変更を禁じる。正安四年八月四日付。

  53. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:210 守護代本性覆勘状

    守護代本性が延時三郎入道に、石築地修理の延時名分三丈二尺を勤仕し終えたことを覆勘した状。正安四年八月廿六日付。

  54. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:211 少弐経資書状

    少弐経資が延時三郎に、四月一日付六波羅御教書が七月六日に到来したことを知らせた書状。薩摩国在庁種光の子種継が御家人種忠による名田屋敷押領を訴え、二位大納言家の消息にもとづき沙汰して注進するよう命じられたため、急いで上府し、御教書案を副えて報告するよう求める。弘安三年七月六日付。

  55. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:212 正八幡宮司尊長安堵状

    正八幡宮の御使僧尊長が栗野に、正八幡宮領薩摩郡万得内河原田村の枝名女子分の薗について、親父の譲りに任せて違乱なく領知することを認めた安堵状。万雑公事と薗地利物は傍例どおり本名が沙汰するものと定める。弘安五年九月付。

  56. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:213 沙弥道雄書下

    沙弥道雄が延時三郎入道に、新田宮雑掌阿源が当宮の御神拝御供米を抑留されたと訴えたため、八月二十九日付御教書と重訴状に従い、明確な請文を提出して注進するよう命じた書下。延慶三年九月四日付。

  57. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:214 延時成仏代忠種陳状

    延時入道成仏方が忠兼の訴えに反論した陳状。薩摩郡延時名内の真弓町・御霊田・上山本・中山本など四町の公事をめぐり、見仏から妻女平氏・養子千与寿への譲与や、成仏による長年の知行、相伝証文を根拠として、忠兼の濫訴を退けるよう求める。正和三年五月付。

  58. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:215 延時名并瓦田訴状一件抄

    延時入道成仏に関する延時名并びに瓦田の訴状一件について、正和三年八月四日付、前上総介在判・若松彦太郎宛の一通があったことを記す抄録。本文は省略されている。

  59. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:216 平忠兼一門連署証状

    平忠兼・沙弥貞知らが、薩摩郡の名田・水田をめぐる由緒を証した連署証状。文永九年の見仏後家譲状にもとづき、三郎入道成仏が四十余年にわたり違乱なく知行してきたことを確認し、その譲状を成仏の嫡子延時又三郎忠種へ付け渡して、今後の知行を認める。正和四年九月廿日付。

  60. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:217 信忠沽券抄

    信忠が知行を延時殿へ二貫文で売却した証文が存在したことを記す抄録。元亨二年五月十六日付で、信忠の花押がある。

  61. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:218 ますとみそめう置文抄

    ますとみそめうの花押がある置文一通が存在したことを記す抄録。嘉元三年三月十五日付。

  62. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:219 上ふつゆつり状抄

    上ふつによる譲状一通が存在したことを記す抄録。応長二年二月廿一日付。

  63. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:220 平忠治和与状

    平忠治が延時又三郎入道との争いを和与した状。宇佐御造営役のため忠治母堂の宿所で所持物等を押し取ったとして守護方へ訴えたが、和談により銭貨が支払われたため、以後の訴訟を停止すると定める。嘉暦元年十二月五日付で、本性の加判がある。

  64. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:221 道巌請取状抄

    新田宮の御神拝御供米四石に関する道巌の文書一通が存在したことを記す抄録。嘉暦三年十二月五日付で、道巌の花押がある。

  65. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:222 道巌請取状抄

    新田宮の御神拝御供米四石を受け取った道巌の請取状一通を記す抄録。嘉暦四年四月二日付で、道巌の花押がある。

  66. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:223 少弐資能書状

    少弐資能が延時三郎に、若松四郎忠重の訴えについて六波羅御教書の趣旨を伝えた書状。先の下知に任せて乱入・狼藉を止め、忠重の身を安堵し、押し取った作毛以下の損物を返付させること、事実に違うなら子細を注進することを命じる。七月廿二日付。

  67. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:224 新田宮雑掌道海重申状

    新田宮雑掌道海が、延時又三郎入道が度々の御下知に背いて御神拝内の御供米四石を抑留していると重ねて訴えた申状。使節渋谷又次郎入道覚禅が違背の実否を尋ねようとしたが、延時が不在を理由に応じなかったため、早く法に従って裁許するよう求める。元徳二年九月付。

  68. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:225 延時名交名注文

    薩摩郡延時名の交名注文。吉富又太郎入道、延時孫三郎入道、延時四郎入道、延時大夫房、東郷入道とその一族、在国司入道、山田九郎入道、白浜五郎入道、山口平四郎、大迫孫八ら、延時名に関係する人々を列記する。元徳二年十一月付。

  69. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:226 渋谷覚禅施行状

    渋谷又次郎氏重入道覚禅が延時又三郎入道に、新田宮雑掌が訴えた御神拝内の神馬・供米等について、御教書と重訴状を示し、命令の趣旨に従って早く事情を明らかにするよう命じた施行状。元徳二年十月廿六日付。

  70. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:227-1 をゝくまの太子譲状

    くんあみだ仏が大熊通久に、先祖相伝の薩摩郡成枝名内の所領を譲った譲状。上小敷などの田薗を列挙して譲り渡し、証人湛西が加判する。宝治三年二月十四日付。

  71. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:227-2 をゝくまのみちひさ譲状

    前文書に続き、大熊通久が「むとへのをゝいこ」へ譲った譲状一通があったことを記す抄録。本文は省略されている。建長五年十一月廿六日付。

  72. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:227-3 れんしやう譲状抄

    沙弥蓮性が孫熊寿に、薩摩郡内宇留佐古南の薗を、母の手継文書を添えて永代譲与した譲状の抄録。子孫が多い中、特に意向があって熊寿へ譲るとし、比丘尼蓮阿弥陀仏が証人として加判する。文永十年十一月十三日付。

  73. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:228 知行目録抄

    喜入大炊助久正の印があり、延時六介宛と記された知行目録一通が存在したことを記す抄録。慶長六年二月十九日付。

  74. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:229 知行目録抄

    前文書と同日・同人から延時助右衛門尉宛と記された知行目録一通が存在したことを記す抄録。慶長六年二月十九日付。

  75. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:230 沙弥覚念譲状

    沙弥覚念が子息又三郎入道法仏を嫡子として、薩摩郡成枝名内の田畠・山野・狩倉など先祖相伝の所領を譲った譲状。手継文書に従って関東御公事を勤め、本証文を守り、子孫に至るまで妨げなく知行するよう定める。正慶二年閏二月五日付で、子息平忠村らが証人として加判する。

  76. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:231 延時信忠軍忠状

    延時又三郎入道法仏の代官信忠が、御教書に応じて越前国敦賀城へ馳参し軍忠を尽くしたとして、御注進と恩賞を求めた軍忠状。建武四年三月六日付で、川上頼久の承判がある。

  77. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:232 延時法仏着到状

    薩摩国御家人延時又三郎入道法仏が、肝付八郎兼重の与党・凶徒らを誅伐するため馳参したことを届け、披露を求めた着到状。建武三年四月廿五日付で、道鑑公の承判がある。

  78. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:233 延時法仏軍忠状

    延時又三郎入道法仏が大隅国加瀬田城合戦での軍忠を申した軍忠状。肝付兼重・兼高らの与党を誅伐するため大将総州が発向した際、法仏は病気のため代官平田小次郎真宗を差し向け、去月六日から今月十日まで水手で連日戦い、城を攻め落として凶徒を静謐したとして、御注進と恩賞を求める。建武三年六月付。

  79. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:234 延時法仏軍忠状

    延時又三郎入道法仏が薩摩国市来院各所での軍忠を申した軍忠状。病気の法仏に代わり舎弟彦五郎忠義が出陣し、石走で市来太郎左衛門入道以下の凶徒を射伏せて追い返し、十四日夜には赤崎で命を捨てて長時間戦ったとして、合戦次第への承判、御注進と恩賞を求める。建武四年八月付で、守護代酒匂久景の承判がある。

  80. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:235 平忠村譲状抄

    平忠村が後の惣領法仏へ譲った譲状一通が存在したことを記す抄録。本文は省略され、『反古』の注記がある。建武四年十一月廿一日付で、忠村・法仏の花押がある。

  81. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:236 沙弥覚禅施行状

    新田宮執印友雄が訴えた社領押領・神役拒否について、重ねて奉書と申状を添え、命に従って速やかに対処するよう延時又三郎入道へ命じた施行状。暦応四年十一月十四日付。

  82. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:237 高重茂奉書

    新田宮執印友雄が社領押領・神役拒否を七か条にわたり訴えたため、東郷・野田・山門院・延時・宮里・武光ら関係者へ通知し、代官を参決させて訴訟に応じさせるよう命じた奉書。暦応四年三月廿四日付。

  83. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:238 新田宮執印友雄申状抄

    新田宮執印左衛門大夫友雄が御供米について申し立てた申状の抄録。本文は冒頭と末尾のみが残る。暦応四年二月付。

  84. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:239 宮内大輔三雄安堵状

    延時筑前守に対し、薩摩郡延時名地頭職ならびに山野・本若松名・串木野・若松・橋間・寄田・火同丸・成岡名地頭職成枝などの所領を安堵し、違乱があってはならないとした文書。至徳四年閏五月四日付。

  85. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:240 薩摩国庄園郷保地頭職以下所領注文断簡

    薩摩国の荘園・郷・保の地頭職以下について、所領、年貢・仕丁役、二十分一の賦課などを列挙した注文の断簡。若松名などの所領関係を記し、末尾を欠く古文書で、建久図田帳以後のものと注記される。年次は建武二年か。

  86. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:241 米良周右衛門家系図

    財部の米良周右衛門家に伝わった系図。隆直以下の系譜を掲げ、元寇の戦功と鷹羽紋の由来、後裔の動向や関ヶ原での戦死などを注記する。文政五年三月九日に写し受けた旨がある。

  87. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:242 米良重良書状

    米良重良が、家の系図を求められたため同姓同流であることを証する写しを送った書状。他見を慎み、後日の証拠とするよう申し含める。文禄元年七月十五日付。

  88. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:243 島津義弘書状

    当月予定の出陣が春の仕寄の延引により延期されたことを伝え、高麗奥陣以来の苦労をいたわりつつ、静かに養生して出陣準備を整え、時節の通知を待って油断なく渡海するよう命じた島津義弘の書状。三月八日付。

  89. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:244 伊集院幸侃棟忠署判領知目録

    米良勝右衛門尉に対し、薩州大口の柳瀬村・大儀寺村、合計五十石七斗二升九合を領知させた目録。高麗の後陣までの奉公に対する加増として与え、伊集院幸侃が署判する。文禄五年十二月二日付。

  90. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:245 伊集院幸侃棟忠・本田三清貞連署証状

    薩州伊佐郡羽月の柳瀬村・下殿村・宮里をめぐる知行替について、惣高三百五十九石二斗一升五合八勺九才から返上分三百三十九石二斗七升一合を差し引き、残る十九石九斗四升四合八勺九才を別所で宛行うと証した連署状。両殿の意向による処置で、正式目録は追って出すとする。文禄四年九月三日付。

  91. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:246 米良勝右衛門尉差出

    米良勝右衛門尉が、高麗での見次・引渡し、久保による銀子借上げ、上地・寺領などの石高を列挙した差出。惣都合三百三十九石二斗七升一合、うち上地七十四石七斗九升三合と集計する。文禄四年六月廿八日付。

  92. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:247 伊集院抱節久信・山田理安有信連署知行目録

    米良備前入道に、隅州曽於郡下財部村内の西大河原之門ほか合計六十石を加増として配分した知行目録。伊集院抱節久信と山田理安有信が連署する。慶長八年十一月廿八日付。

  93. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:248 伊集院幸侃書状

    伊集院幸侃が米良勝右衛門尉に、弥六の上洛と龍伯への拝謁が首尾よく済んだことを祝い、当地と龍伯以下が平穏・健勝であると知らせた書状。三月十九日付。

  94. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:249 山田聖栄自記

    山田聖栄の自記に、島津立久の時代、薩州の市来・羽島・高江・宮里・高城および坂から財部までが平定され、いずれも島津氏の新所となったと記す中表紙の抄録。

  95. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:250 末吉衆中根元記抄

    末吉衆中宮里家の由緒を記す根元記の抄録。宮里善兵衛尉の弟助太郎と父隠岐守の来歴を述べ、馬越で伊東清右衛門に奉公したのち、帖佐・本城・曽木を経て慶長六年に末吉へ移り、村田雅楽助に仕えた経緯を記す。

  96. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:251 子督譲状

    子督が古開山無伝の意向に任せ、祖超御房へ薩摩国官司領田・国府司領内宮里の長生五反を一期分として譲り与え、支障なく知行させるとした譲状。天授三年二月九日付。本書を欠く写しとの注記がある。

  97. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:252 宮里惣右衛門系図

    宮里惣右衛門家の系図。孝元天皇から彦太忍信命、屋主忍男武雄心命、武内宿禰、平群木菟宿禰・真鳥宿禰へ連なる系譜を起点に、宮里氏の諸流・婚姻・法名・奉公、薩摩・大隅での合戦や戦死、知行関係を広く注記する。

  98. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:253 弾正忠宗□下知状

    薩摩国宮里郷益口名主新大夫正持の訴えにより、益口名内の田五反と園二か所に対する地頭代の濫妨を、寛元三年七月十六日付下文に任せて停止・処理するよう命じた下知状。宝治二年七月十九日付。

  99. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:254 島津貞久書下

    島津貞久が薩摩国の凶徒を退治するため、一族を催して用意し、当月二十日以前に出陣するよう宮里了性房へ命じた書下。暦応四年七月七日付。ほか二通も同趣旨と注記される。

  100. 旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:255 惟宗姓羽島氏系図

    惟宗姓羽島氏の系図。聖武天皇・具瞻から正邦、孝親、忠親、知国を経て羽島氏諸流へつながる系譜を掲げ、官職・法名・婚姻、執印職相伝、各地での奉公・合戦・戦死、所領・知行、関東御教書などを詳記する。