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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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139 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録8-No.421系図記事(英艦七隻来航と戦闘の叙述)旧記雑録暫定版確認度 中

英艦七隻の来航・三隻奪取と砲戦、退去・損害を記す忠義公の系図記事

御系図忠義公の記事。文久三年癸亥六月二十八日、英艦七隻が本府港へ来て来意を告げ、応接がまとまらず、七月二日に薩摩側の汽船三隻を奪ったと記す。薩摩側が砲臺から攻撃し英艦も巨砲で応戦、飛来する砲弾の中で戦い、英側の船将二人の死と多数の殺傷、翌日の英艦退去を叙述する。一方、薩摩側の戦死者は一人だけとする。相手への非難や損害数はこの系図記事の評価・記載として示し、外部資料による損害確定とはしない。第420号の参照記事は来航日を六月廿七日としており、双方の原日付を保持する。 第425号の家譜は薩摩側戦死者を二人とし、この系図の一人とは異なるため双方を原記載で保持する。

登場人物
忠義公(系図表題)、英艦将領二人、薩摩兵一人(いずれも姓名不記)
宛先
宛先なし(御系図忠義公の記事)
キーワード
御系図忠義公、文久三年癸亥六月廿八日英艦七隻本府港来航、応接不調、七月二日汽船三隻奪取、砲臺砲撃応戦、英船将二人死他殺傷、翌日退去、系図薩摩戦死一人、第420六月廿七との原日付差
追録8-No.425島津氏家譜記事(薩英戦闘の経過・損害と海防の評価)旧記雑録暫定版確認度 中

英軍艦七隻と汽船三隻の奪取、砲戦・退去を記し海防の備えを評価する家譜記事

島津氏家譜の記事。文久三年六月二十八日に英国軍艦七隻が鹿児島沖へ来て応接が終わらず、七月二日に港内の汽船三隻を奪い火を放ち、こちらを討つと命じたとする。薩摩の砲臺が攻撃し英側も応戦、敵艦将二人が死に多数の殺傷があったが、薩摩兵の死者は二人だけと記す。翌日英艦が退去し、大風暴雨の中で英艦が海戦に慣れた動きをしたのに対し、薩摩兵は初戦でありながら撃退したと評価し、忠勇だけでなく斉彬以来の海防の備えによると結ぶ。これらは家譜の叙述・評価として整理する。第421号系図の薩摩戦死一人とは異なり、両方の原数を保持する。

登場人物
島津氏、英国軍艦七隻、英側船将二人、薩摩兵二人(姓名不記)
宛先
宛先なし(島津氏家譜の記事)
キーワード
島津氏家譜、文久三年六月廿八日英国軍艦七隻鹿児島沖、七月二日汽船三隻奪取放火砲臺応戦、英船将二人死他殺傷、薩摩兵戦死二人、翌日英艦退去暴風雨、薩摩初戦忠勇・斉彬以来海防の評価、421戦死一人との原数差
旧記雑録拾遺 著作史料集8-文書ID W15_11寺領引渡執達状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

相国寺領穆佐院・三俣院の押領人退去命令

相国寺雑掌の訴えを受け、日向国穆佐院・三俣院などの押領人を退け、寺家雑掌に引き渡して知行させるよう島津又三郎に命じる。明徳二年八月七日付で右京大夫の御判がある。

登場人物
右京大夫(細川頼元、御判)
宛先
島津又三郎殿
キーワード
相国寺・穆佐院・三俣院・押領人・寺家雑掌・明徳2年
追録8-No.430御履歴記事(英艦来航・砲戦と英人の損害伝聞)旧記雑録暫定版確認度 中

汽船奪取・砲戦と暴風雨、英人から聞いた損害と薩摩戦死一人を記す履歴記事

御履歴中。文久三年六月に英国軍艦七隻が鹿児島沖へ来て応接する中、七月二日に港内の汽船を奪ったとする。汽船数は正文二艘・割注三艘で原記載を別に保持する。砲臺が攻撃し英側も応戦、攻撃は午時から暮まで続き、大風暴雨で英艦の砲撃が定まらず役立たなかったのを天の幸いとし、翌三日に英艦が退去したと記す。後日横浜在住の英人が私に告げた話として、砲弾が甲板へ落ち船将ジョスラインとウェルモットら二名が即死し、別の三十五名が死傷したという叙述を載せる。この日の薩摩兵死者は一人とする。損害は履歴の伝聞・評価で、系図421の一人、家譜425の二人を校訂する根拠とせずそれぞれ保持する。

登場人物
英国軍艦七隻、薩摩兵一人、英人の告知者、ジョスライン(船将)・ウェルモット(原表記)
宛先
宛先なし(御履歴中の記事)
キーワード
御履歴中、文久三年六月英国軍艦七隻鹿児島沖、七月二日汽船正文二艘割注三艘奪取、砲臺応戦午時暮、大風暴雨英艦発砲不定天幸評価、翌三日退去、後日横浜英人告、甲板ジョスライン船将ウェルモット二名即死三十五名死傷云、薩摩戦死一人原記載
前編1-No.2325文書確認度 高

島津道鑑書状

島津道鑑が比志島一族へ、東俣の城へ敵が寄せたとの知らせを受け、御城を堅固に守り人員を集めて当たるよう求める。翌日には土橋城から使者が到来し、敵の退去を喜びつつ、重ねて城の警固と合力を命じた仮名書状。

登場人物
島津道鑑・比志島一族
宛先
薩摩国ほか
キーワード
島津道鑑、比志島一族、東俣城、土橋城、敵来襲、敵退去、城郭防備、合力
前編2-No.314記事確認度 高

島津氏久譜

島津氏久譜として、九州探題今川了俊が島津氏久を招いた際、双方の警固兵が緊張して一触即発となったこと、贈答・饗応と面会、少弐冬資殺害後の九州情勢、氏久が危険を察して退去した経緯を詳述する記事。

登場人物
島津氏久、今川了俊、少弐冬資、伊地知季弘、本田氏親
宛先
—
キーワード
島津氏久譜、島津氏久、今川了俊、少弐冬資、九州探題、警固、贈答、饗応、水島、謀殺、退去
前編2-No.931記事確認度 高

応永記

応永二十一年、島津久豊方が知覧方面で伊集院頼久勢と戦い、松平・荒平付近の陣を追い破ったものの、援軍を受けた敵勢に押され、同月六日夜に城兵を率いて退去した戦闘記事。

登場人物
島津久豊(匠作)、伊作氏、河邊氏、松平氏、荒平氏、麻氏
宛先
—
キーワード
応永記、島津久豊、伊集院頼久、知覧、松平、荒平、攻城、援軍、退去
前編2-No.932記事確認度 高

島津義天譜

給黎を領する伊集院頼久を討つため、島津久豊が吉田・蒲生以下の軍勢を率いて陣営を構え、伊集院方の救援・反撃と交戦した記事。伊作・川邊勢の働き、本田・税所・吉田・加治屋らの戦死、城兵の夜間退去を記す。

登場人物
島津久豊、伊集院頼久、吉田氏、蒲生氏、時吉氏、中村氏、但馬守、伊作氏、川邊氏、本田氏、税所氏、吉田氏、加治屋氏
宛先
—
キーワード
島津義天譜、島津久豊、伊集院頼久、給黎、吉田、蒲生、伊作、川邊、攻城、戦死、退去
前編2-No.984記事確認度 中

島津義天譜

応永二十七年の頴娃城攻めと頴娃氏の没落を記す。島津久豊方の攻撃に対する城方の籠城、一族の退去と離散を追い、伊東・阿多・山田・鮫島諸氏がどちらに与したかを示しながら、頴娃氏が所領を失い周辺勢力の配置が変化した経過をまとめる。

登場人物
島津久豊、頴娃氏、伊東氏、阿多氏、山田氏、鮫島氏
宛先
頴娃城
キーワード
島津義天譜、応永二十七年、頴娃城、頴娃氏、伊東氏、阿多氏、山田氏、鮫島氏、攻城、退去、所領喪失
前編2-No.985記事確認度 中

島津義天譜

川邊・知覧方面で続いた島津久豊方と伊集院頼久方の攻防を記す。知覧氏をはじめ阿多・山田・鮫島諸氏が所領防衛のため出兵し、戦況に応じて退去・帰服・再戦を重ねた動きを追い、南薩摩の国衆が所属を変えながら領地を維持した状況を示す。

登場人物
島津久豊、伊集院頼久、知覧氏、阿多氏、山田氏、鮫島氏
宛先
川邊・知覧・山田
キーワード
島津義天譜、伊集院頼久、川邊、知覧、阿多氏、山田氏、鮫島氏、攻防、所領、退去、帰服
前編2-No.987記事確認度 中

応永記

応永二十七年の頴娃攻めで、頴娃方が抗しきれず退去したこと、小牧某が久豊に仕えて頴娃を与えられながら敵対して弓を射たことを、不知恩の例として記す。

登場人物
島津久豊、頴娃氏、小牧某
宛先
頴娃
キーワード
応永記、応永二十七年、頴娃攻め、頴娃氏、小牧某、退去、所領宛行、敵対、不知恩
後編1-No.348記事確認度 高

島津義久譜

伊東義祐が三山城を築いて相良氏と通じ、飯野侵攻を企てたため、永禄九年十月二十六日、義久を大将、義弘・歳久を副将として数万騎で攻めたことを記す。勝利を得たものの義弘が深手を負ったため、城を落とさず退去した。

登場人物
伊東義祐、相良氏、島津義久、島津義弘、島津歳久
宛先
—
キーワード
島津義久譜、永禄九年、伊東義祐、相良氏、三山城、飯野、島津義久、島津義弘、島津歳久、負傷、退去
後編1-No.387記事確認度 高

島津義久譜

菱刈氏が島津家に背いたため、永禄十年に貴久・義久が出陣して馬越城を攻め、横川城主菱刈中務少輔が同地を島津方へ献じて退去したことを記す。途中の詳細は省略される譜中記事。

登場人物
島津貴久、島津義久、菱刈氏
宛先
—
キーワード
島津義久譜、永禄十年、島津貴久、島津義久、菱刈氏、馬越城、横川城、献上、退去
後編1-No.393記録確認度 高

箕輪伊賀自記

菱刈方の野心を察した島津方が、小林出勢と披露して軍勢を横川へ通しながら、実際には軍路を変えて永禄十年十一月二十四日早朝に馬越城を急襲した経過を記す。義弘らが井手籠父子を討って城を落とすと九城が一日で退去し、菱刈方は大口城へ籠った。相良頼房は球磨・八代・葦北勢を動員して大口城へ援軍を入れた。

登場人物
箕輪伊賀、島津貴久、島津義久、島津義弘、菱刈氏、相良頼房、井手籠氏ほか
宛先
—
キーワード
箕輪伊賀自記、永禄十年、馬越城、偽装出勢、奇襲、島津義弘、菱刈氏、井手籠氏、九城退去、大口城、相良頼房、球磨、八代、葦北
後編1-No.418記事確認度 高

庄内平治記

永禄十一年正月、伊東氏が大軍で飫肥本城・酒谷間の篠ケ峯に陣し交通を遮断したことから、北郷時久が酒谷へ出陣して本城勢と挟撃し、一月二十一日に伊東勢を破った経過を詳述する。二月の兵糧輸送戦では島津・北郷方が敗れて多数が戦死し、本城は人肉を食するほど飢えた。北郷忠徳が和議をまとめ、六月八日に飫肥を伊東氏、福島を肝付氏へ渡し、七月に忠親・時久らが都城へ退去した。

登場人物
伊東義祐、島津忠親、北郷時久、北郷忠増、北郷忠俊、土持頼綱、本田親豊、北郷忠徳、米良筑後守ほか
宛先
—
キーワード
庄内平治記、永禄十一年、飫肥、酒谷、篠ケ峯、伊東義祐、島津忠親、北郷時久、兵糧輸送、飢餓、北郷忠徳、和議、福島、都城退去
後編1-No.864記事確認度 高

島津忠長譜

伊東方が高原城を拠点に霧島山を越えて侵入したため、天正四年八月、義久・義弘が薩隅軍を率いて攻囲した。門壁を破り水路を断つと城兵は二十三日に降伏退去し、その間、忠長は義弘・征久・歳久・家久・北郷時久らと軍務に尽力した。

登場人物
島津忠長、島津義久、島津義弘、島津征久、島津歳久、島津家久、北郷時久、伊東義祐
宛先
—
キーワード
島津忠長譜、高原城攻め、伊東義祐、霧島山、門壁、断水、降伏退去、島津一門、軍功
後編1-No.946記事確認度 高

日向記

上原尚近が偽書を用いて伊東義祐に福永丹波守を疑わせ、対面拒否や嫡子藤十郎の元服をめぐる遺恨から福永・野村一族を島津方へ内応させた。十二月七日夜、島津勢三百人が野尻城へ入り、翌日戸崎も退去・放火された。義祐は紙屋まで出たが領内の火煙を見て佐土原へ戻り、九日未明に米良を経て豊後へ落ちた。

登場人物
上原尚近、福永丹波守、福永藤十郎、野村文綱、伊東義祐、島津義弘、島津義久
宛先
—
キーワード
日向記、上原尚近、福永丹波守、野村文綱、反間、野尻城、戸崎城、伊東義祐、佐土原、豊後退去
後編2-No.228文書確認度 高

島津義久書状案

本文はNo.230と同文のため原資料では省略されている。島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。

登場人物
島津義久、豊臣秀長、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
宛先
羽柴美濃守殿(豊臣秀長)
キーワード
島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明、No.230同文、本文省略
後編2-No.229文書確認度 高

島津義久書状案

本文はNo.231と同文のため原資料では省略されている。島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。

登場人物
島津義久、石田三成、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
宛先
石田治部少輔殿(石田三成)
キーワード
島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明、No.231同文、本文省略
後編2-No.230文書確認度 高

島津義久書状案

島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。

登場人物
島津義久、豊臣秀長、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
宛先
羽柴美濃守殿(豊臣秀長)
キーワード
島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明
後編2-No.231文書確認度 高

島津義久書状案

島津義久が石田三成へ送った書状。島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。

登場人物
島津義久、石田三成、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
宛先
石田治部少輔殿(石田三成)
キーワード
島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明
後編3-No.558記事確認度 高

島津義弘譜

『島津義弘譜』の記事。慶長三年十月、海陸から包囲された順天城との連絡を回復するため、島津義弘が立花宗茂・宗義智・寺沢正成と相談し、敵艦を退けようとした経緯を記す。十月卯日に現地の遠近を調べたが、敵は九日夜に退去し、残船だけが残ったため、これをすべて焼却したとする。

登場人物
島津義弘、立花宗茂(左近将監)、宗義智(対馬守)、寺沢正成(志摩守)、順天の敵船
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、島津義弘、慶長三年十月、順天城、海陸包囲、立花宗茂、左近将監、宗義智、対馬守、寺沢正成、志摩守、敵艦、九日夜、退去、残船焼却
後編3-No.1036記事確認度 高

島津義久譜

慶長五年二月六日、数か月にわたり兵粮を断たれた志和池城の籠城衆は、菜根も尽き、角・皮製の器など食べられる物を食べ、矢・弦もほぼ尽きて防戦の手段を失い、屈して降伏を願った。これに対して死罪を宥め、包囲の一面を解いて退去させたことを記す島津義久譜の記事。

登場人物
島津義久、志和池城籠城衆
宛先
—
キーワード
島津義久譜、慶長五年二月六日、島津義久、志和池城、籠城、兵粮断絶、菜根、角製の器、皮製の器、食糧欠乏、矢、弦、防戦不能、降伏、死罪宥免、包囲一面解除、退去
後編3-No.1061記事確認度 高

島津家久譜

二月二十九日、庄内の端城である高城・山口・勝岡・梶山・野々三谷・安永の六か所が撤去され、守備側が退去したことを記す。

登場人物
島津忠恒(家久)
宛先
—
キーワード
島津家久譜、庄内の乱、高城、山口、勝岡、梶山、野々三谷、安永、端城撤去、退去
後編3-No.1387記録確認度 高

瀬戸口休五郎覚書

島津方の人質を退去させる手形がないため、使僧を大坂城へ遣わした。仙秀坊は島津義弘(兵庫頭・惟新)が豊臣秀頼のため関ヶ原で戦死したと申し立て、人質を国元へ下すよう求め、返答が出るまで一日一夜城に詰めて手形を得た。出立時には後に残る者が必要となり、山田弥九郎が残留を申し出た。

登場人物
瀬戸口休五郎、仙秀坊、島津義弘(兵庫頭・惟新)、豊臣秀頼、山田弥九郎
宛先
該当なし
キーワード
瀬戸口休五郎覚書、仙秀坊、島津義弘(兵庫頭・惟新)、豊臣秀頼、人質、手形、大坂城、使僧、山田弥九郎、残留、退去
後編5-No.534文書確認度 中

水野勝成外四名連署書状

水野勝成ら五名が島津家久に、加藤忠広の領国召上げに伴い加藤家中の者が退去するため、彼らが薩摩領内へ来た場合には宿を貸して休ませても差し支えない旨を伝えた連署書状。追而書では家久父子の無事を承知したことも述べる。

登場人物
水野勝成、伊丹康勝、稲葉正勝、石川主殿頭、内藤左馬助、島津家久、加藤忠広、加藤家臣
宛先
松平大隅守殿(島津家久)
キーワード
水野勝成、伊丹康勝、稲葉正勝、石川主殿頭、内藤左馬助、島津家久、加藤忠広、肥後改易、加藤家臣、領国退去、宿泊許可
後編5-No.547文書確認度 中

新納忠清書状

新納忠清が有村隼人に、肥後からの風説を出水経由で聞いたため、事情を念入りに聞き合わせるよう命じた機密書状。熊本周辺の動向、百石までの者が馬に乗って退去するとの風聞、秋月勢の出立などを報じ、他言せず読後は火中に投ずるよう求めた。

登場人物
新納忠清、有村隼人、加藤家旧臣、秋月氏
宛先
有村隼人殿
キーワード
新納忠清、有村隼人、肥後、熊本、風説、情報収集、百石、騎馬、退去、秋月、機密、火中、他言無用
後編6-No.301文書確認度 高

島津久通・川上久国連署書状

島津久通・川上久国が、金山から両使が帰国したことを報じ、金山停止後の処置を指示した連署書状。北郷佐州と相談のうえ、曾木・横川の衆から四人ほどを金山番手として移し、扶持と山衆屋敷を与えて山内を朝夕巡回させること、金山停止に伴い他国人約二千人を早々に帰国・退去させることを求める。さらに高麗人の取扱責任者を為善から左衛門佐方へ付け替える件を関係者へ申し渡すよう伝えている。

登場人物
島津久通、川上久国、金山両使、松平右衛門佐、金森出雲、津軽某、北郷佐州(北佐州)、曾木・横川衆、阿部対馬守、為善、高麗人
宛先
山田民部少輔様・頴娃左馬頭様・島津下野守様ほか御中
キーワード
島津久通、川上久国、金山両使、金山番手、北郷佐州、曾木、横川、山行廻り、扶持、山衆屋敷、金山停止、他国人退去、二千余人、阿部対馬守、高麗人、為善、左衛門佐
追録5-No.2045作法書旧記雑録暫定版確認度 高

御一字拝領の黒書院作法書

黒書院で松平又三郎が御一字を受ける際の作法を定める。小サ刀の扱いと御下段の敷居内右側への着座、老中から御字の折紙を受けて御次間へ持ち戻り、上意を受けた後に進物の御礼をする手順を記す。再び御下段に座って御盃・御銚子の作法を行い、御次間に退いて小サ刀を取って出て、下された肴と道具を受けた後、道具を御次間に置き、小サ刀を帯びて出て一献の後に退座する。御縁頬での御礼、盃・銚子・道具の扱いと献上刀の取り出し、元の席での老中への挨拶と御礼、退去までを指示する。

登場人物
松平又三郎・老中
宛先
松平又三郎(作法の対象者。独立宛名なし)
キーワード
黒書院、御下段敷居内右、小サ刀、御字折紙、上意、進物御礼、盃銚子肴道具、一献、献上刀、御縁頬、老中挨拶退去
追録6-No.167記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、若君生誕ヲ賀ス

先に若君が江府で誕生したので重豪が祝い、老中を芝邸へ招いた記事。三月四日、松平右京大夫輝高・阿部伊予守正右、若年寄鳥居伊賀守、奏者番土井大炊頭利里・牧野遠江守康満および数名の諸役人が芝邸へ来て、先例どおり饗応した。晩に各人が退去すると、重豪は輝高・正右の宅を訪ねて礼を述べた。鳥居の本文名は忠孝、人物注は忠喜。目録は記事で年月日欄なし。出典注は全御譜中。

登場人物
重豪、若君家基、松平右京大夫輝高、阿部伊予守正右、鳥居伊賀守忠孝(注忠喜)、土井大炊頭利里、牧野遠江守康満、諸役人
宛先
—
キーワード
若君誕生祝賀、江府、三月四日、老中招請、芝邸饗応、若年寄、奏者番、先例、晩退去、輝高正右宅訪問謝礼、鳥居忠孝注忠喜
追録6-No.2802-2達書旧記雑録暫定版確認度 高

松平豊後守の着座御礼手順書写

松平豊後守が御縁頬へ出て御奏者番の披露を受け、上意の後、御敷居の内の右方に着座することを定める。月番老中が祝儀を申し上げる旨を取り次ぎ、その後退去するという御礼の手順を記す。

登場人物
松平豊後守、御奏者番、月番老中
宛先
松平豊後守殿に関する手順(名宛書式なし)
キーワード
着座御礼、御縁頬、御奏者番、披露、上意、御敷居、右方、月番老中、退去
追録8-No.445八月十八日の御所騒動についての説明記旧記雑録暫定版確認度 中

実美・長州等に陰謀があったとする立場から御所騒動の経緯を説明する記事

「八月十八日御所騒動之由来」とする五頁の説明記。三条実美・長州側が朝廷を利用して近国や関東を掌握し、天子を長州へ移す等の陰謀を企て、大和行幸・親征の話もその一環だったとする立場から経緯を述べる。會津侯・中川王らが実情を朝廷へ伝え、八月十六日の詔と十八日の処置、実美ら七人の退去に至ったという説明を載せる。大和五條の焼討、浪人と長澤の付役人、馬や金銭の要求、町人への恐喝・殺害とする話、益田・久坂らの策謀、他藩への非難も関連づける。末尾は亥九月廿八日で、御所騒動について別雑集に記録があるため詳細は略すとの注がある。政治評価・陰謀・恐喝等は本文の主張として整理し、各記載を第三者検証済みの事実にしない。筆者や参照雑集の全文は未確認。

登場人物
三条実美、長州関係者、會津侯松平容保、中川王(注:朝彦親王)、天子、近衛家、中山侍従(注:忠光)、牧和泉(原表記、注:真木保臣)、長澤付役人、町人布彦、益田・久坂等
宛先
宛名・筆者姓名不記(御所騒動由来の説明)
キーワード
八月十八御所騒動由来、三条実美長州陰謀とする説明、大和行幸親征天子長州移転説、會津容保中川王朝彦奏聞、八月十六詔十八処置七人退去、大和五條焼討長澤浪人、牧和泉原表記真木保臣注、中山忠光、布彦金銭要求、益田久坂八百万石説、亥九月廿八日、別雑集参照省略注
追録8-No.446山之内一郎書状(対英国戦闘の反応と京都情勢・警備)旧記雑録暫定版確認度 中

国許への慰問と京都の御門警衛、朝廷・公卿の動静や風聞を五人へ報じる私状

山之内一郎が五人へ送る亥八月廿四日の書状。英国との戦闘を勝利と評価して諸士を慰める一方、浄光明寺・集成館・上町・商家の焼失と汽船奪取、物資や馬の駈引を心配する。英国側の再来・横浜兵の増勢等は風聞として載せる。京都では十七日夜の中川宮・陽明家父子参内、服装を改めた警備準備、長州や浪人による騒動との見方、勅使を通した説明と御門の警衛を詳述する。敵方八千・味方百人程度・会津一万人等の話と十九日の公卿七人退去、十八日の配置・参内、諸藩の旗や装束にも触れる。筆者の出張・当番など自分の報告と、他人の話・推量・政治的評価を分ける。原日付と概数を保持し、兵数や陰謀の認定を外部事実として確定しない。

登場人物
山之内一郎、伊地知傳左衛門、早田萬左衛門、東郷武左衛門、阿多源藏、樺山正之進、両殿、諸士、中川宮、陽明家父子、松平肥後守、会津、長州、公卿・諸藩、上杉
宛先
伊地知傳左衛門様・早田萬左衛門様・東郷武左衛門様・阿多源藏様・樺山正之進様
キーワード
亥八月廿四日山之内一郎五人宛、対英国戦闘評価慰問、浄光明寺集成館上町商家火災汽船奪取、英再来横浜増兵風聞、中川宮陽明家参内十七夜、京都御門警備服改、長州浪人の騒動説、勅使説明、敵八千味方百会津一万の話、十九七公卿退去十八配置、諸藩旗装束、自分当番出張報告
附録1-No.139文書確認度 高

新納忠元書状

新納忠元が土持大膳亮に、火元と噂されて退去させられた被官・供木の処遇を申し入れた書状。供木は先祖代々の被官で、出火を否定していると説明し、処罰によって面目は失わせたとして、慈悲をもって本服・復帰させるよう求め、明確な返答を促す。

登場人物
新納忠元、土持大膳亮、太守、供木、供木の隣家
宛先
土持大膳亮殿参御宿所
キーワード
新納忠元、土持大膳亮、供木、被官、火事、火元、退去、本服、復帰、裁定
附録2-No.1201文書確認度 高

町田家久書状案

町田家久が芥河某に、南蛮船をめぐる事件を報じる。南蛮船が出港の準備をしていたところ、前月二十三日、匠作(島津久盛)が大勢を率いて境へ来たため、家久方は駆け付けて防戦した。敵方は数百艘の兵船をもって南蛮船を奪おうと企て、その意図が明らかになったため、船側は大いに驚き、碇綱を切り捨てて急遽退去したという。この騒動で港の住民も残らず退散し、家久は対応できなかったことを「無面目次第」と述べる。詳細は使者に説明させたとして、上意に沿うよう取り成しを求めた書状案。

登場人物
町田家久、芥河某、石塚大和入道、島津久盛(匠作)、南蛮船関係者、港住民
宛先
芥河某(芥河殿)
キーワード
町田家久、芥河、石塚大和入道、島津久盛、匠作、南蛮船、出港準備、境、防戦、数百艘、兵船、船舶奪取、碇綱切断、緊急退去、港住民、退散、使者、上意
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 381編纂史料・戦記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

前日の出軍を止めた松倉長門守が、翌日、近藤源左衛門を千本村へ、白石市左衛門を尾平村へ物見に遣わしたと記す。一揆勢は退去して一人もいなかったため、残された家を焼いて戻り、長門守と江戸から同行した侍たちが残念がったと述べる。二十四日の記事を参照する注がある。

登場人物
松倉長門守 近藤源左衛門 白石市左衛門
宛先
なし(記事)
キーワード
物見 一揆退去 焼払 松倉長門守
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 437老中奉書・天草加勢指示旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津家久書状

幕府老中四名が島津家久へ送った奉書。天草の一揆に対して近隣へ人数を差し遣わし、指図次第で渡海させるよう申し付けたところ、牧野傳蔵・林丹波守からまず現地の人数を引き入れるよう指示があったため、それに従い一揆勢を退去させるよう命じたことを伝える。

登場人物
島津家久 酒井忠勝 松平信綱 阿部忠秋 堀田正盛 土井利勝 牧野傳蔵 林丹波守
宛先
島津大隅守家久
キーワード
老中奉書 島津家久 加勢 渡海 指図 一揆退去
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:7系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田親賢流系図

本田氏十二代兼親の三男・親賢(源二郎、兵部少輔)を祖とし、肥駄隼人介の後嗣となった系統。親豊が肥駄氏を去って本田氏に復したこと、親次が永禄九年十月二十六日に三之山で戦死したことを記す。親商は惟新公の加治木在城時の家老で、関ヶ原退去の際に忠志を尽くし、蒲生地頭を務め、慶長十年四月二十日に没した。ほか、親昌(初名親信、実は比志島源右衛門国家)の慶長五年九月十五日関ヶ原戦死、上井・宇宿・友野・木脇・川畑諸氏との婚姻、養子・早世・法名を収める。

登場人物
本田兼親、本田親賢(源二郎・兵部少輔)、肥駄隼人介、本田親豊、本田親次、本田親商、島津義弘(惟新)、上井秀秋、本田親存、本田親能、本田親昌(親信)、比志島国家、宇宿伝左衛門、友野左近、木脇九右衛門、川畑五右衛門
宛先
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キーワード
本田親賢、肥駄氏、本田親豊、三之山合戦、加治木家老、関ヶ原退去、蒲生地頭、比志島国家、関ヶ原合戦、婚姻、養子
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0110自記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

長谷場越前自記

比良床への出陣と牛根城攻略を述べる自記。天正二年正月三日の攻撃では諸将が競って先陣を務め、軍勢を出した。義久が牛根を詠んだ戯歌を城へ射込む一方、大口の住民二人が夜に岸を掘り崩して城内を攻めた。軍神へ誓った新納武蔵守が下城を取り、諸城の地頭を置いた。浄光明寺の僧を介して肝付方へ和睦を勧め、諸所を与えて赦免すると、敵は兵船で退去した。重興らへの所領付与と、忠節を尽くした者への恩賞も記す。

登場人物
島津義久、右馬頭、中書、左衛門督、五郎、上原長門守、伊地知重興、鎌田出雲守、河田豊後守、伊集院右衛門兵衛尉、新納武蔵守、逆瀬川奉膳兵衛尉、久留伴五左衛門尉、安樂備前守
宛先
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キーワード
長谷場越前自記、比良床出陣、天正二年正月三日の攻撃、牛根城、義久の戯歌、岸の堀崩し、二人の住民の潜入、神への誓い、忠元の下城攻略、和睦、船による退去、地頭と恩賞
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0125勲功記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元勲功記

天正四年、近衛龍山の下向に伴う歌会へ忠元も召されたことに続き、高原城攻略の働きを記す。八月十六日の戦いで二十三歳の忠堯は小楯を持ち打刀で突入し、首を得たが多くの傷を負った。十八日の落城時、足軽大将漆豊前介がその名を尋ねて勇士と称えた。高原の落城後は三之山・温水・須木など七城が退去し、忠元は勝利の祝いに参じ、太刀を進上した。

登場人物
新納忠元、新納忠堯、新納刑部太輔、近衛龍山前久、貴明、漆豊前介、川田駿河守義朗
宛先
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キーワード
新納忠元勲功記、近衛下向の歌会、高原城攻略、二十三歳の忠堯、小楯と打刀、首級、負傷、十八日の落城、七城の退去、勝利祝い、太刀進上
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0131日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

天正四年の三之山などの退去と、島津方の番衆・祝宴を記す日記。仲秋二十三日に城を退いたが伊東の迎えが来ず、二十四日には敵が三之山と須木を捨てたため番を置いた。二十五日に忠平が三之山へ籠もり、翌日は一門・諸地頭が談合し、二十八日に太守が出向いて川田駿河守が太平を祝った。山田新助・三原右京亮の膳と三献、忠元を含む参会者の太刀進献を挙げる。次第は残っておらず、夜は飯野へ赴いたと記す。

登場人物
上井覚兼、伊東新次郎、忠平、川田駿河守、山田新助、三原右京亮、義虎、征久、年久、家久、忠長、伊地知民部、新納武蔵守、本田因幡守、肝付弾正忠
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正四年仲秋廿三日、城からの退去、伊東の迎え、番衆、忠平の参籠、家臣と地頭の談合、二十八日の太平祝、三献、太刀進献
前編1-No.2326文書確認度 高

島津道鑑書状

島津道鑑が比志島孫太郎へ、土橋城付近で敵と合戦し、福崎から同時に使者が到来したこと、敵が退いた後も情勢が定まらないことを伝える。今夜から明日にかけて油断なく備え、重ねて報告するよう求めた仮名書状。

登場人物
島津道鑑・比志島孫太郎
宛先
福崎ほか
キーワード
島津道鑑、比志島孫太郎、土橋城、福崎、合戦、敵退去、夜間警戒
前編2-No.511記事確認度 中

島津元久譜

島津元久譜として、伊久方の勢力が衰え川辺も孤立するなか、伊集院勢が警固の兵を襲撃し、伊久が川辺を離れて元久を頼り薩摩郡へ退いたことを記す。

登場人物
島津元久、島津伊久、伊集院某
宛先
—
キーワード
島津元久譜、島津元久、島津伊久、伊集院、川辺、警固、襲撃、薩摩郡、退去
前編2-No.1603記事確認度 高

島津忠昌譜

同月二十一日、祁答院方の計略により東郷右馬允が帖佐から退き、その子松法師丸が立てられたことを記す譜記事。

登場人物
島津忠昌、祁答院氏、東郷右馬允、松法師丸
宛先
—
キーワード
島津忠昌譜、祁答院、東郷右馬允、松法師丸、帖佐、退去、家督
後編1-No.411記事確認度 高

北郷時久譜

永禄十一年正月、伊東勢が篠小峯に陣して飫肥本城を囲んだため、北郷時久が酒谷へ援軍を出し、二十一日に本城勢と挟撃して伊東勢を破ったことを記す。二月二十一日の兵糧輸送戦では北郷忠俊・本田親豊・土持頼綱ら多数が戦死し、酒谷・本城は飢餓に陥った。貴久の命を受けた北郷忠徳が和議を進め、六月に飫肥を伊東氏、福島を肝付氏へ渡し、七月に島津忠親・北郷時久らが都城へ退いた。

登場人物
北郷時久、島津忠親、北郷忠増、北郷久盛、北郷久裁、伊東義祐、北郷忠俊、本田親豊、土持頼綱、北郷忠徳、米良筑後守ほか
宛先
—
キーワード
北郷時久譜、永禄十一年、飫肥、酒谷、北郷時久、島津忠親、伊東義祐、篠小峯、兵糧輸送、戦死、飢餓、北郷忠徳、和議、都城退去
後編1-No.436記事確認度 中

豊州島津忠親譜

永禄十一年、島津忠親が飫肥を伊東氏へ、福島を肝付氏へ渡し、子の朝久とともに庄内都城へ退いて以後同地に居住したことを記す。本文には月を四月とする記載と六月八日とする異本注がある。

登場人物
島津忠親(泰心)、島津朝久、伊東氏、肝付氏
宛先
—
キーワード
豊州島津忠親譜、永禄十一年、島津忠親、泰心、島津朝久、飫肥、伊東氏、福島、肝付氏、都城退去、異本注
後編1-No.742文書確認度 高

一色藤長書状

一色藤長が、足利義昭が前年京都を退いた旨の御内書を別紙で伝える。以前在洛中の季久に会えなかったことを残念とし、近況は歳阿・道正、詳細は江月斎が伝えると述べる。

登場人物
一色藤長、喜入季久、足利義昭、歳阿、道正、江月斎
宛先
喜入摂津守季久
キーワード
一色藤長書状、喜入季久、足利義昭、京都退去、歳阿、道正、江月斎
後編1-No.919記事確認度 高

北郷時久譜

天正五年、伊東家臣福永・野村らの内応を受けて島津軍が日向諸城を攻略し、伊東義祐が豊後へ逃れ、日向一円が義久の領土となったことを記す。この報が京都へ届くと、近衛前久が北郷時久へ祝賀の書状を送ったという。

登場人物
北郷時久、島津義久、伊東義祐、福永丹波守、野村氏、近衛前久
宛先
—
キーワード
北郷時久譜、日向平定、福永丹波守、野村氏、伊東義祐、豊後退去、島津義久、近衛前久、祝賀
後編1-No.940記録確認度 高

長谷場越前自記

伊東義祐の暴政に反発した福永丹波守・野村但馬守らが蜂起し、民家への放火を合図に島津方へ内応したため、義祐が豊後へ逃れた経緯を叙述する。上原尚近が報告すると、正八幡宮参詣中の義弘は直ちに野尻へ進み、評議後に本城へ迫って日向諸城へ番兵を置いた。

登場人物
島津義弘、島津義久、伊東義祐、福永丹波守、野村但馬守、上原尚近
宛先
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キーワード
長谷場越前自記、伊東義祐、福永丹波守、野村但馬守、内応、豊後退去、上原尚近、島津義弘、野尻、日向平定
後編1-No.944記事確認度 高

庄内平治記

高原地頭上原尚近が、伊東義祐に遺恨を持つ野尻の福永丹波守・野村文綱と内通を結び、十二月七日夜に三百余騎を野尻城へ招き入れた。翌日義久が十万余騎で入城し、戸崎・佐土原も落ち、義祐は山中を経て豊後の大友氏のもとへ逃れ、日向は島津領となった。

登場人物
上原尚近、福永丹波守、野村文綱、島津義久、伊東義祐、大友氏
宛先
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キーワード
庄内平治記、上原尚近、福永丹波守、野村文綱、野尻城、島津義久、伊東義祐、佐土原、豊後退去、日向平定