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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:84書状・島津家系図と古文書の提出・照会旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

〔寛永十八年〕八月廿七日川上久国書状

川上因幡守久国が四人の宛先へ、御系図を太田備中守に今月初めに差し出すつもりだったが、若君誕生による多忙で延び、21日に持参した経過を報告する。太田から古書物は家の重宝なので写して差し出すよう求められ、久国は家系図をめぐり道春や右衛門佐とも相談し、頼朝の子忠久の系譜、北条家の判、人物・家名の記載について生じた疑問を照会した。島津家の系図は他の大名家のものより代々の記載が細かいとの太田の評、加賀・肥前などの系図はまだ提出されていないとの話を伝え、黄門様の昇進口宣の写しなど、なお必要な資料の提出を求める。寛永18年8月27日付で、末尾に久国と四名の宛所を記す。

登場人物
川上因幡守久国、太田備中守、若君、道春、廣元、頼朝、忠久、北条家、河上上野介、黄門様、弾正大弼、頴娃左馬佐、鎌田治部少輔、山田民部少輔
宛先
弾正大弼様、頴娃左馬佐様、鎌田治部少輔様、山田民部少輔様
キーワード
寛永18年8月27日、川上久国、太田備中守、若君誕生、21日持参、御系図、古書物、写し、道春、頼朝の子忠久、北条家の判、諸大名の系図、加賀、肥前、黄門様昇進口宣、四名宛所、旧記雑録後編五927号同文推定、旧記雑録後編六205号同文推定
後編1-No.255記事確認度 高

島津義久譜

永禄六年六月十六日に生まれた島津義久の女子について、島津義虎および島津彰久の室となったこと、母は種子島氏の女子であることを記す。寛永十八年八月十五日に新城で七十九歳で死去し、法名も載せる系図記事。

登場人物
島津義久の女子、島津義虎、島津彰久、島津家久、種子島時堯の女子
宛先
—
キーワード
島津義久女子系図、永禄六年、島津義虎、島津彰久、種子島氏、誕生、寛永十八年、新城、法名
後編6-No.203記事確認度 高

島津彰久室譜

島津彰久室の譜記事。島津義久の二女で新城君と称し、永禄六年六月十六日に種子島左近大夫時堯の娘を母として生まれた。寛永十八年八月十五日に新城で死去し、享年七十九、法号を珠月浄珊庵主としたことを記す。

登場人物
島津義久、島津彰久、義久二女(新城君)、種子島時堯
宛先
—
キーワード
島津義久、島津彰久、新城君、種子島時堯、永禄六年、寛永十八年、新城、七十九歳、珠月浄珊庵主、譜記事
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 535覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天草覚書

『天草覚書』は、寛永十八年から天草が代官鈴木三郎九郎の支配となり、同年九月十一日の奉書によって富岡在番を細川越中守へ命じたと記す。目録年月日は空欄のため、本文の九月十一日はB列へ補入しない。

登場人物
鈴木三郎九郎、細川越中守
宛先
宛先記載なし
キーワード
天草覚書、寛永十八年、代官、鈴木三郎九郎、天草支配、九月十一日、奉書、富岡在番、細川越中守、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 536別記・表紙旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

北郷久加世別記

北郷久加が寛永十八年十月五日、国老の尋ねに対して書物を提出した記事と、その表紙書きを収める。表紙には寛永十八年九月二十八日から明暦三年十一月七日までを収める旨、『寛永軍徴巻之二十 餘響の巻』『合弐拾壱冊』などを記す。さらに、この後には寛永以後の事柄も混じるが、いずれもその余響に当たるため付載したと説明する。目録年月日は空欄のため、本文・表紙の日付をB列へ補入しない。

登場人物
北郷久加、国老
宛先
国老
キーワード
北郷久加世別記、寛永十八年十月五日、国老、書物提出、表紙、寛永十八年九月二十八日、明暦三年十一月七日、寛永軍徴巻之二十、餘響の巻、合二十一冊、寛永後記事、付載、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 538編者記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安は、寛永十八年二月十二日に提出された三通を記録する。第一は谷口次郎左衛門尉・伊地知弥右衛門による地頭伊地知杢右衛門尉重政主従三十二人の有馬陣立差出、第二は加久藤衆中の人躰・被官・夫丸九十五人の同断差出、第三は検地寺領衆自力立・一向宗寺領衆自力立の差出である。三通は寛永十五年正月十六日の箇所にすでに掲載したため、ここでは省略するとする。目録年月日は空欄のため、両日付をB列へ補入しない。

登場人物
伊地知季安、谷口次郎左衛門尉、伊地知弥右衛門、伊地知杢右衛門尉重政、加久藤衆中
宛先
宛先記載なし
キーワード
伊地知季安、寛永十八年二月十二日、谷口次郎左衛門尉、伊地知弥右衛門、伊地知重政、主従三十二人、有馬陣立、加久藤衆中、人躰、被官、夫丸九十五人、検地寺領衆、一向宗寺領衆、自力立、三通、寛永十五年正月十六日、既掲載、省略、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 542記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

続長崎鑑

『続長崎鑑』は、寛永十八年にオランダ人を平戸から長崎へ移して出島に置いたこと、その時の奉行が山崎権八・馬場三郎左衛門であり、貞享四年まで四十七年になると記す。また出島の築造は寛永十三年で、奉行榊原飛騨守・馬場三郎左衛門の代に完成したとする。目録年月日は空欄のため、記事中の年次をB列へ補入しない。

登場人物
山崎権八、馬場三郎左衛門、榊原飛騨守
宛先
宛先記載なし
キーワード
続長崎鑑、オランダ人、平戸、長崎、出島、寛永十八年、山崎権八、馬場三郎左衛門、貞享四年、四十七年、寛永十三年、榊原飛騨守、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:30文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

久保氏見聞秘記

『久保氏見聞秘記』から長崎警固の沿革を抄出した記事。寛永十八年までは長崎奉行のみで大番がなかったが、同年、筑前福岡城主黒田右衛門佐忠元が異国警固と西辺防護の任を初めて願い出て許可され、翌年には肥前佐賀城主鍋島氏も同職を願い出たため、以後両家が交替で長崎を警固したと記す。正保四年には当番でない年にも加番するよう命じられ、夏秋は在国で加番、冬に江戸へ参勤して翌春帰国し、その年は長崎在番を勤める仕組みとなったこと、同年に南蛮船来航の先例があったことを述べる。

登場人物
黒田右衛門佐忠元、鍋島氏
宛先
—
キーワード
久保氏見聞秘記、長崎、長崎奉行、大番、長崎在番、異国警固、西辺防護、筑前福岡、黒田右衛門佐忠元、肥前佐賀、鍋島氏、交替勤務、加番、江戸参勤、南蛮船、寛永十八年、正保四年
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 537差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久賀外五名連署差出

山田有栄ら六名は、寛永十五年正月晦日までに天草へ渡った人数を、都合五千七百三十一人、内訳は人躰二千六百十九人・雑兵三千百十二人として差し出す。内訳二項の合計は総数と一致する。文書539と人数・連署者は同じだが、本書の対象期日は『正月晦日まで』であり、539の『正月朔日まで』と区別する。

登場人物
山田民部少輔有栄、新納加賀守忠清、入来院石見守重国、北郷佐渡守久加、喜入摂津守忠政、島津豊前守久賀
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛永十八年九月廿八日、山田有栄、新納忠清、入来院重国、北郷久加、喜入忠政、島津久賀、天草渡海、寛永十五年正月晦日、都合五千七百三十一人、人躰二千六百十九人、雑兵三千百十二人、内訳合計一致、文書539との期日差
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 539差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久賀外五名連署差出

山田有栄ら六名は、寛永十五年正月朔日までに天草へ渡った人数を、都合五千七百三十一人、内訳は人躰二千六百十九人・雑兵三千百十二人として差し出す。内訳二項の合計は総数と一致する。文書537と人数・連署者は同じだが、本書の対象期日は『正月朔日まで』であり、537の『正月晦日まで』と区別する。

登場人物
山田民部少輔有栄、新納加賀守忠清、入来院石見守重国、北郷佐渡守久加、喜入摂津守忠政、島津豊前守久賀
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛永十八年九月廿八日、山田有栄、新納忠清、入来院重国、北郷久加、喜入忠政、島津久賀、天草渡海、寛永十五年正月朔日、都合五千七百三十一人、人躰二千六百十九人、雑兵三千百十二人、内訳合計一致、文書537との期日差
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 657自記・島原出陣時の捕虜と軍勢差配旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

山内淡路守自記

島原出陣時、隈城方面での人数捕縛、薩摩勢との協力、軍勢の差配と帰陣を回想し、子孫の見合書として残した山内淡路守の自記。

登場人物
山内淡路守 鎌田権右衛門 國分平兵衛 山口与三左衛門 久木崎三郎右衛門
宛先
子孫
キーワード
山内淡路守自記 寛永十八年二月吉日 島原 捕虜 軍勢 子孫
後編6-No.200文書確認度 中

島津氏家臣某覚書

島津家臣某が、若君竹千代(後の徳川家綱)誕生に伴う江戸城での祝儀・参賀の次第を記した覚書。諸大名への祝言の申し渡し、太刀持参と登城・着座の作法、九日夜の大納言・中納言・大僧正らを交えた酒宴、若君や諸大名衆への饗応、十一日の使者参上など、数日にわたる儀礼と席次を列記する。本文末に寛永十八年八月十一日とあり、家綱の同月三日誕生に関する書として参照する旨の注記を伴う。

登場人物
徳川家光、竹千代(徳川家綱)、島津光久、酒井忠勝、松平信綱、阿部忠秋
宛先
—
キーワード
徳川家光、竹千代、徳川家綱、島津光久、江戸城、若君誕生、祝儀、参賀、太刀、登城、着座、酒宴、大納言、中納言、大僧正、諸大名、使者、儀礼、覚書
後編6-No.212文書確認度 中

島津久達等連署差出

島原・天草一揆への出兵人数を集計した連署差出。寛永十五年正月朔日までに天草へ渡った人数を、二千六百十九人と雑兵三千百十二人、合計五千七百三十一人と記し、寛永十八年九月二十八日付で島津家の重臣らが連署している。

登場人物
島津久達、山田有栄、新納加賀守、入来院石見守、北郷佐渡守、島津家兵員
宛先
—
キーワード
島津久達、山田有栄、新納加賀守、入来院石見守、北郷佐渡守、島原天草一揆、天草出兵、兵員集計、五千七百三十一人、雑兵三千百十二人、連署差出
後編6-No.225文書確認度 高

林羅山書状

本文はNo.292と同文のため省略されている。No.292の本文によれば、林羅山が島津光久へ、島津家使者が持参した系図一巻と覚書を検討して依頼に沿う加筆草案を作成したと伝え、光久の家督相続を祝い、緞子五巻・なし物一壺・琉球酒一壺の贈答に礼を述べた書状である。No.225は「寛永十八年」十二月十六日、No.292は「十九年」十二月十六日と年次注記が異なる。

登場人物
林羅山、島津光久、太田資宗、川上久国、島津家使者
宛先
松平薩摩守殿(島津光久)
キーワード
林羅山、島津光久、太田資宗、川上久国、島津家使者、島津家系図、系図加筆、覚書、草案、家督相続、緞子五巻、なし物、琉球酒、贈答、本文省略、No.292、年次差
後編6-No.231文書確認度 高

徳川家光御内書

徳川家光が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十領が到来したことを喜び、詳しくは土井大炊頭(土井利勝)から伝えるとした御内書。寛永十八年十二月二十七日付で黒印を据え、薩摩侍従宛てに発給した。

登場人物
徳川家光、島津光久、土井利勝(大炊頭)
宛先
薩摩侍従殿
キーワード
徳川家光、島津光久、土井利勝、土井大炊頭、薩摩侍従、小袖十領、歳暮、祝儀、御内書、黒印、十二月二十七日
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:153覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国口上覚

川上久国の口上覚。島津家の系図や古書の所在と写しの取り寄せについて述べ、家名・続柄を照合するため関係者に系図を示してもらうよう求める。寛永十八年八月二十七日付。

登場人物
川上久国口上、若君、能勢喜庵備中、致同心伺、忠久、如何、田六郎、備中
宛先
若君、能勢喜庵備中、忠久、如何、備中、上野介、黄門、弾正大弼、下野守、頴娃左馬頭、鎌田治部少輔、山田民部少輔
キーワード
川上久国口上覚、系図・由緒、書写・奥書、目録・所蔵、大隅
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w09:81有馬陣立人数・日数差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

有馬陣立人数差出

有馬陣への参加者と従者の人数・従軍日数を列挙した寛永十八年の差出。季安は先祖が島原出陣時に率いた「一向宗寺領衆自力立」の由来を説明し、宗門改後の処分と赦免の可能性を考える。

登場人物
伊地知弥右衛門、谷口次郎左衛門、伊地知季安
宛先
―
キーワード
有馬陣、島原、従軍人数、一向宗寺領衆、伊地知家、宗門改
後編4-No.1478文書確認度 高

島津光久譜

島津光久譜に、光久・忠朗・久直・岩松丸・又十郎・式部大輔の名を掲げ、元和三年十一月二十六日の出生、北郷忠亮の養子となったこと、寛永十八年十一月六日に二十五歳で死去したことを記す記事。

登場人物
島津光久、北郷忠亮、岩松丸
宛先
島津光久
キーワード
島津光久譜、忠朗、久直、岩松丸、又十郎、式部大輔、北郷忠亮、出生、養子、死去
後編6-No.183記事確認度 高

島津光久譜

島津光久譜の記事。寛永十八年二月十九日、阿部対馬守重次が上使として光久に帰国の暇を告げ、光久は同月二十五日に江戸を出発し、家老山田民部有栄を伴って四月二日に鹿児島へ着いた。帰国を許されたことへの謝礼のため、種子島左近忠時を江戸へ派遣し、数品を献上したことを記す。

登場人物
島津光久、阿部重次、山田有栄、種子島忠時
宛先
—
キーワード
島津光久、阿部重次、山田有栄、種子島忠時、帰国許可、上使、江戸出発、鹿児島到着、家老随行、謝礼使者、進上品、譜記事
後編6-No.189記事確認度 高

北郷久直譜

北郷久直譜の記事。寛永十八年四月十九日、江戸屋敷にいた島津光久が久直へ諸事を指図するよう命じたこと、伊勢兵部貞昌が同月二日夜に江戸で病没し、その訃報が十八日夜に光久へ届いたため、光久が深く悲しみ、久直にいっそう諸事を勤めるよう命じたことを記す。関連する光久書状二通の正文が存在するとしている。

登場人物
北郷久直、島津光久、伊勢貞昌
宛先
—
キーワード
北郷久直、島津光久、伊勢貞昌、江戸屋敷、諸事指図、病没、訃報、悲嘆、正文二通、譜記事
後編6-No.199記事確認度 中

島津光久譜

島津光久譜の記事。寛永十八年八月三日に将軍徳川家光の子竹千代が誕生したため、光久が島津安芸久雄を江戸へ先発させ、同月九日に久雄が江戸城で祝儀の進上品を献じたことを記す。竹千代へ腰物・脇指・産衣など、家光へ太刀・馬代などを贈り、安藤右京亮・松平出雲守をはじめ城中の関係者や女中方にも銀子・衣類・魚類などを広く進上した詳細な目録を伴う。

登場人物
徳川家光、竹千代、島津光久、島津久雄、安藤右京亮、松平出雲守
宛先
—
キーワード
徳川家光、竹千代、島津光久、島津久雄、安藤右京亮、松平出雲守、誕生、江戸城、祝儀、腰物、脇指、産衣、太刀、馬代、銀子、衣類、魚類、進上品目録、譜記事
後編6-No.201記事確認度 高

喜入忠続譜

喜入忠続譜の記事。寛永十八年八月三日に将軍家の若君家綱が誕生したため、忠続が祝賀の使節となり、九月に江戸へ赴いて将軍の聞こし召すところへ慶賀を申し上げたことを記す。

登場人物
喜入忠続、徳川家綱
宛先
—
キーワード
喜入忠続、徳川家綱、若君誕生、祝賀使節、江戸、慶賀、譜記事
後編6-No.202記事確認度 中

殉国名藪

『殉国名藪』の記事。寛永十八年八月十五日、富山助兵衛が島津右衛門尉彰久室の死に後を追って殉死したことを記す。彰久室は島津義久の二女で、新城君と称したとの傍注がある。

登場人物
富山助兵衛、島津彰久室(新城君)、島津義久
宛先
—
キーワード
富山助兵衛、島津彰久室、新城君、島津義久、後追い、殉死、殉国名藪、傍注
後編6-No.244記事確認度 高

島津光久譜

島津光久譜の記事。徳川家光が諸大名に各家の系譜提出を命じたため、光久は家蔵の系譜を林羅山(道春)に校訂させ、根拠となる文献を添えて提出した。寛永十八年三月五日、家老川上久国が献上し、太田資宗が奉行として受領して幕府の官庫へ納めたことを記す。

登場人物
徳川家光、島津光久、林羅山(道春)、川上久国、太田資宗
宛先
—
キーワード
徳川家光、島津光久、林羅山、道春、川上久国、太田資宗、系譜、校訂、文献、献上、奉行、幕府官庫、譜記事
附録2-No.1159文書確認度 高

某覚書

島津弾正が寛永十八年に御納戸から借りた普光院の琉球関係文書と徳川秀忠御内書について、万治二年に返上の有無を島津大膳家へ照会した経過を日付順に記した覚書。受取の返却可能性も含め、老中・御納戸を通じた確認手続きを記録する。

登場人物
島津弾正、堀四郎左衛門、川上弥太夫、鎌田源左衛門、島津大膳
宛先
島津家
キーワード
島津弾正、島津大膳、堀四郎左衛門、川上弥太夫、鎌田源左衛門、琉球文書、徳川秀忠、御内書、返却、御納戸
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 33書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

岩井藤兵衛書状

甲冑師岩井藤兵衛が伊杢右衛門へ、上洛する児玉四郎兵衛に「こ手・ふんこみ・すねあて」の三色を託し、代銀八十目の約束履行を求める。是枝喜右衛門の注文品は未完成で留め置いたという。後掲解説は宛先を京都御蔵奉行の伊地知杢右衛門重政とし、寛永十八年五月に受けた文書と説明する。

登場人物
岩井藤兵衛、伊杢右衛門(伊地知杢右衛門重政)、児玉四郎兵衛(利實)、是枝喜右衛門
宛先
伊杢右衛門(伊地知杢右衛門重政)
キーワード
岩井藤兵衛、児玉四郎兵衛、道具送付、代銀、京都御蔵奉行
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 747-3人数差出・在陣延べ日数旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

有馬陣立人数差出

加久藤地頭仮屋に伝わる有馬陣立差出。伊地知重政の主従21人について、与力・供人を帰還日別に列記し、正月十六日からの在陣日数を計算する。二月八日唐津から帰還した組、二月十七日・二十三日および三月八日に有馬から帰還した組を記し、惣合日数1342日とする。寛永十八年二月十二日付、谷口次郎左衛門と伊地知弥右衛門の署名がある。

登場人物
伊地知重政 谷口次郎左衛門 伊地知弥右衛門重延 立久井七介 喜左衛門 但馬介 源兵衛 助市 休右衛門 松岡長右衛門 荒竹弥五右衛門 池上内膳亮 彦作 西田七左衛門 長崎与吉 江平清右衛門 中馬弥市 ほか供人
宛先
なし(人数差出)
キーワード
有馬陣立 主従 与力 帰還 延べ日数 差出
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 747-4人数差出・在陣延べ日数旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

有馬陣立人数差出

有馬陣立人数差出として加久藤衆の人躰・被官・夫丸を主従95人と掲げ、帰還日別に氏名と人数・在陣日数を計算する。正月十六日から二月八日・十五日・十八日・十九日、三月二日・八日までの各組のほか、正月十四日出発者、夫丸11人、自力で参加した3人を記す。延べ日数3686日、うち66日は自力衆3人分とする。寛永十八年二月十二日付、谷口・伊地知連署。

登場人物
谷口次郎左衛門 伊地知弥右衛門 水間平左衛門 二ノ宮平兵衛 木ノ作右衛門 田中十左衛門 郡山傳内左衛門 田中休兵衛 奥民部左衛門 黒田三之丞 薗田安左衛門 佐土原六右衛門 西田和泉守 川口安房介 小原織部佑 桑原覚兵衛 ほか加久藤衆・夫丸
宛先
なし(人数差出)
キーワード
有馬陣立 加久藤衆 主従95人 人躰 被官 夫丸 自力 在陣日数
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 747-5人数差出・寺領衆自力出陣旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

有馬陣立人数差出

加久藤の検地寺領衆と一向宗寺領衆が自力で有馬へ出陣した名簿・日数差出。萩原藤介以下を帰還日別に列記し、正月十六日から二月八日・十八日・十九日、三月八日までの日数を計上する。寛永十八年二月十二日付、伊地知・谷口連署。後半には「合4人・一人53日」に対し「合106日」と記すなど、人数と延べ日数が一致しない箇所があるため原記載を保持する。

登場人物
萩原藤介 次左衛門 大川豊前守 井上弥左衛門 白坂左京亮 加右衛門 西田大蔵正 与八 井上帯刀長 万右衛門 赤川兵左衛門 八左衛門 中村丹波守 池田八千左衛門 薗田市右衛門 源右衛門 藤右衛門 内田大学介 久米万左衛門 谷口次郎左衛門 伊地知弥右衛門
宛先
なし(人数差出)
キーワード
有馬立 検地寺領 一向宗寺領 自力出陣 日数差出
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:24日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

元寛年月日記

『元寛年月日記』巻十四からの抜書。寛永十八年二月十一日、太田備中守資宗に諸大名・旗本の系図提出を取りまとめ、日光山の宝蔵に納めるよう命じたと記す。系図のなかった家も急いで数代分を作成して提出したこと、同年の日光山での権現の宝塔造営にも触れる。

登場人物
元寛年月日、一権現
宛先
一権現
キーワード
元寛年月日記、系図・由緒、寺社・宗教、役職・人事
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:25文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

川上久国は、島津家の系図を太田備中守に差し出す予定だったが、若君誕生による混雑で延期し、八月二十一日に持参したと報告する。林道春親子が系図と古文書を点検し、近代の事績を書き加えるよう求めたため、江戸と国元で照会を重ねて清書を進めたいと述べる。寛永十八年八月二十七日付の書状。

登場人物
川上久国、加賀肥前、又黄門、大田備中守、若君、致同心伺、忠久、如何
宛先
加賀肥前、又黄門、大田備中守殿、若君、去廿一日備中守蹴、忠久、兎角道春、如何、可申歓与右衛門佐股、圃書、弾正太弼、下野守、頴娃左馬頭、鎌田治少輔、山田民部少輔
キーワード
川上久国書状、系図・由緒、目録・所蔵、大隅
島津世禄記-A48記事関連史料(外伝)確認度 高

光久主為家督帰国并賜上使事付金山之事

光久が家督を継いで帰国し、幕府上使を迎えたことと、永野金山の発見・献上を記す。寛永十六年、家光は光久に亡父家久の跡を継ぎ、国を治め民を安んずるよう命じ、銀千枚・衣服百領・馬を与えた。光久は江戸で謝礼を済ませ、六月に鹿児島へ帰城して家臣・領民の歓迎を受ける。その後再び江戸へ参府中、伊佐郡祁答院永野郷で内山与右衛門が川砂から砂金を得たとの報告が届く。幕府の命で採掘を進めると産金が続き、寛永十八年に砂金九百八十九両余を家光へ献上した。翌年、家光は金山を光久へ賜い、北郷久加が金山奉行となった。代替わり後の統治承認と、新たな鉱山資源の幕府への報告・献上・領有公認を結びつける記事である。

登場人物
島津光久、徳川家光、伊勢貞昌、入来院重国、内山与右衛門、阿部重次、北郷久加、島津久元
宛先
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キーワード
光久家督、帰国、上使、砂金、永野金山、献上、金山奉行
島津世禄記-A50記事関連史料(外伝)確認度 高

島津家系図之事付若君誕生之事

島津家系図の幕府提出と、将軍家光に男子が誕生した際の祝賀を記す。寛永十八年、光久が帰国の暇を得た折、太田資宗から諸大名同様に島津家の系図を上覧へ備えるよう命じられる。光久は帰国後、島津久慶・久通・川上久国・喜入忠政・野村元綱らに累代系図の校訂を命じる。並行して家光の若君誕生を祝い、江戸留守居の島津久雄が若君・家光へ刀剣・黄金・産衣などを献じ、光久の嗣子虎寿丸も祝儀を進める。完成した系図一巻は川上久国らが江戸へ持参し、太田資宗の閲覧・再検討を経て、過去の家光・秀忠御成記録とともに受領された。家の由緒を幕府へ公証させる系譜編纂と、将軍家の継嗣誕生を祝う大名儀礼を併記する記事である。

登場人物
島津光久、徳川家光、太田資宗、島津久慶、島津久通、川上久国、喜入忠政、野村元綱、島津久雄、虎寿丸
宛先
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キーワード
島津家系図、上覧、系譜編纂、若君誕生、祝賀、御成記録
後編6-No.180文書確認度 高

島津久慶外三名連署書下

島津久慶ら四名が、荒廃した吉松般若寺の観音堂について、勧進によって再興するため、身分の貴賤を問わず志に応じて奉納するよう命じた連署書下。川上因幡守・下野守・弾正少弼・治部少輔の印判を伴う。

登場人物
島津久慶、川上久国、島津久元、鎌田政統
宛先
吉松般若寺観音堂
キーワード
島津久慶、川上久国、島津久元、鎌田政統、吉松、般若寺、観音堂、廃壊、勧進、再興、奉納、連署書下、印判
後編6-No.181文書確認度 高

島津光久書状

島津光久が根占七郎へ、世間の噂や讒言によって人を憎み悪く言う者がいても、自分は同調せず、七郎を頼もしく思っているので心配しないよう伝えた書状。今後も奉公に疎意なく、信任によって驕ることもなく、互いに疑わしい事柄があれば率直に申し分けるよう求めている。

登場人物
島津光久、根占七郎
宛先
根占七郎殿
キーワード
島津光久、根占七郎、世間、噂、讒言、信任、奉公、疎意、驕り、相互連絡、書状
後編6-No.182文書確認度 高

中山王尚豊書状

中山王尚豊が島津光久へ、前年に大明の勅使が琉球へ着岸し、冊封の冠を頂戴できたことは島津家の高恩によるとして謝意を述べた書状。報告と礼のため佐鋪王子を遣わし、別紙目録を添えて薄礼の品物を進上している。

登場人物
中山王尚豊、島津光久、佐鋪王子、大明勅使
宛先
光久尊公
キーワード
中山王尚豊、島津光久、佐鋪王子、大明勅使、琉球、着岸、冊封、冠、御高恩、使者、進上品、別紙目録、書状
後編6-No.184文書確認度 高

島津光久条書

島津光久が留守中の火災対応と江戸への注進方法を定めた条書。火災時には門外へ人を出さず、屋根に見張りを置き、延焼が近づけば家財を搬出すること、奥方では混乱の有無に応じて女子衆を整然と避難させることを命じる。江戸の様子は年六度ほど報告し、将軍からの命令や緊急の注進は随時伝え、城内で誕生があればその夜から急報する一方、未確定の雑説は報告せず、改易など落着した事実に限るよう定め、新納右衛門佐久詮と相談して処理させている。

登場人物
島津光久、新納久詮、留守居衆、奥方、女子衆
宛先
—
キーワード
島津光久、新納久詮、留守居、火災、門外禁止、屋根見張り、家財搬出、奥方、女子衆、避難、江戸注進、年六度、将軍命令、城内誕生、雑説、改易、条書
後編6-No.186文書確認度 高

黒田頼崇起請文

黒田三左衛門頼崇が、振舞方の見廻役として諸事に念を入れて奉公し、御前で聊爾がないよう注意すること、どのような策があっても同調せず直ちに言上すること、聞き違いによる疑いを受けた場合は糺明のうえ召し仕えるよう願うことを誓った起請文。違反時には梵天・帝釈・四大天王・日本国中の諸神などの神罰を受けるとする神文を伴う。本文見出しは「起請文前書之事」、本文署名およびインデックス表題はいずれも「黒田頼崇」と確認した。

登場人物
黒田三左衛門頼崇
宛先
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キーワード
黒田頼崇、黒田三左衛門頼崇、起請文前書之事、振舞方、見廻役、奉公、御前、計策、言上、糺明、起請文、神文、梵天、帝釈、四大天王、神罰、本文署名、インデックス表題
後編6-No.187文書確認度 高

島津光久書状

島津光久が北郷式部大輔久直へ、伊勢兵部貞昌が四月二日夜に死去したとの知らせが届き、驚き悲しんでいることを伝えた書状。久直の身を案じ、今後の諸事に十分注意して勤めるよう求めている。

登場人物
島津光久、伊勢貞昌、北郷久直
宛先
北郷式部大輔殿
キーワード
島津光久、伊勢貞昌、北郷久直、伊勢兵部、死去、訃報、悲嘆、諸事精勤、書状
後編6-No.188文書確認度 高

島津光久書状

島津光久が新納右衛門佐久詮へ、伊勢兵部貞昌が四月二日夜に死去したとの知らせを受け、驚き悲しんでいることを伝えた書状。久詮の身を案じ、諸事にいっそう注意して勤めるよう求めている。本文注は貞昌がこの年に七十二歳で没したとする。

登場人物
島津光久、伊勢貞昌、新納久詮
宛先
新納右衛門佐殿
キーワード
島津光久、伊勢貞昌、新納久詮、伊勢兵部、死去、訃報、七十二歳、悲嘆、諸事精勤、本文注、書状
後編6-No.191文書確認度 中

長岡興長・阿茶(監物)連署書状

長岡興長・阿茶監物が島津家重臣へ、出水近海に流着した無人船の調査と沿岸警戒について報じた連署書状。船内外に生貝・生蠣が付着して長期間漂流した形跡があり、長崎へ向かう唐の釣舟で、付着した貝も高砂辺のものとする見立てを伝える。島津光久の命で出水周辺や領内の島々・浦々を警戒し、山田民部少輔有栄が出水へ赴いたこと、肥後側でも水俣に近い芦北郡や領内の津々浦々・山中を厳重に捜索したことを記している。

登場人物
長岡興長、阿茶監物、島津光久、山田有栄、長岡監物
宛先
島津弾正様・北郷佐渡守様・頴娃左馬頭様・山田民部少輔様 御報
キーワード
長岡興長、阿茶監物、島津光久、山田有栄、出水、無人漂流船、唐船、釣舟、生貝、生蠣、高砂、沿岸警戒、島々、浦々、水俣、芦北郡、捜索、連署書状
後編6-No.192文書確認度 高

柘植正時書状

柘植平右衛門尉正時が島津光久へ、琉球領八重山で唐人・南蛮人が同乗した船が破損し、生き残った南蛮人三人と唐人二人が四月二十二日に当地へ到着したため、籠舎させたと報じた書状。ほかの島々で唐船の破損に遭った唐人も着船しており、島津側の通報を幕府老中へ申し入れ、詳細は二人の使者へ伝えたとしている。

登場人物
柘植正時、島津光久、唐人、南蛮人、幕府老中
宛先
松平薩摩守様 尊報
キーワード
柘植正時、島津光久、八重山、琉球、唐人、南蛮人、混乗船、船破損、生存者五人、籠舎、漂着、幕府老中、使者、書状
後編6-No.194文書確認度 高

阿倍忠秋・重次連署書状

阿部豊後守忠秋・阿部対馬守重次が島津光久へ、暇を得て道中無事に国元へ到着したとの報告を了承し、使者と巻物二十・鶴二羽・赤貝の漬物一壺・樽一荷などの進上品が届いたことを伝えた連署書状。披露の際に種子島左近忠時が御前へ召し出され、念の入った対応を将軍が上機嫌に受け止めたとして、詳細は左近から聞くよう述べている。

登場人物
阿部忠秋、阿部重次、島津光久、種子島忠時
宛先
松平薩摩守殿
キーワード
阿部忠秋、阿部重次、島津光久、種子島忠時、帰国、道中無事、使者、巻物二十、鶴二羽、赤貝漬物、樽、進上品、御前、将軍、連署書状
後編6-No.196文書確認度 高

相良頼元起請文

相良藤七郎頼元が、振舞方の見廻役として諸事に念を入れて奉公し、御前で聊爾がないよう注意すること、どのような計策にも加わらず直ちに言上すること、疑いを受けた場合は糺明のうえ召し仕えるよう願うことを誓った起請文。違反時には梵天・帝釈・四大天王や国内諸社の神罰を受けるとする神文を伴う。

登場人物
相良頼元(相良藤七郎)
宛先
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キーワード
相良頼元、相良藤七郎、振舞方、見廻役、奉公、御前、計策、言上、糺明、起請文、神文、梵天、帝釈、四大天王、神罰
後編6-No.197文書確認度 中

島津久通書状

島津図書頭久通が新納加賀守へ、一同の疱瘡が軽く済んだことを伝え、祝儀の使者と酒を贈られたことへの謝意を述べた書状。受け取った酒を皆で祝い賞翫したとしている。

登場人物
島津久通、新納加賀守
宛先
新納加州様
キーワード
島津久通、新納加賀守、図書頭、疱瘡、軽症、祝儀使者、酒、謝礼、祝宴、賞翫、書状
後編6-No.198文書確認度 高

馬場利重・柘植正時連署書状

馬場三郎左衛門尉利重と柘植平右衛門尉正時が島津家重臣へ、領内の浦へ唐船一艘が着岸した件を報じた連署書状。船内を調査し、唐人二十三人と荷物の書付を厳重に添えて届けたことを了承し、詳細は二人の使者へ伝えたとしている。

登場人物
馬場利重、柘植正時、島津家重臣、唐人二十三人
宛先
島津弾正殿・島津下野守殿・頴娃左馬頭殿・鎌田治部少輔殿・山田民部少輔殿
キーワード
馬場利重、柘植正時、唐船、着岸、浦、船内調査、唐人二十三人、荷物書付、使者、連署書状
後編6-No.204文書確認度 中

島津光久書状

島津光久が、若君竹千代誕生の祝儀として幕府老中衆を私宅へ招く旨を申し入れ、翌月十八日朝に来訪するとの返事を得たため、宛所の者にも同じ時刻に出席してほしいと依頼した書状。本文の宛所は「稲[欠損]人々御中」で、欠損箇所に編者注「(葉カ)」が付されるため「稲葉」と推定されるが、原文は欠損しており完全な宛名は確定できない。

登場人物
島津光久、竹千代(徳川家綱)、幕府老中、稲〔葉カ〕[宛所欠損]
宛先
稲〔葉カ〕[欠損]人々御中
キーワード
島津光久、竹千代、徳川家綱、若君誕生、祝儀、幕府老中、私宅、来訪、出席依頼、稲葉カ、編者注、宛所欠損、書状
後編6-No.205文書確認度 中

川上久国口上覚

川上因幡守久国が島津家重臣へ、幕府による島津家系図の調査・書写の経過を報告した口上覚。太田備中守へ系図を提出したところ、古文書は家の重宝であるため写本を差し出すよう命じられ、林道春らが北条時政・大江広元の筆跡や島津忠久の系譜を検討したこと、近代部分を詳しく追記する必要があることを伝える。黒田六郎右衛門を筆者として清書を急がせ、図書殿・川上上野介らと相談して完成させるよう求めている。

登場人物
川上久国、太田資宗、林羅山(林道春)、野勢喜庵、黒田六郎右衛門、島津光久、北条時政、大江広元、島津忠久、大友能直
宛先
弾正大弼様・頴娃左馬佐様・鎌田治部少輔様・山田民部少輔様・下野守様
キーワード
川上久国、太田資宗、林羅山、林道春、野勢喜庵、黒田六郎右衛門、島津家系図、古文書、北条時政、大江広元、島津忠久、大友能直、筆跡鑑定、写本、系譜追記、幕府、口上覚
後編6-No.207文書確認度 高

松平信綱・阿倍忠秋連署書状

松平伊豆守信綱と阿部豊後守忠秋が島津光久へ、領内で金山が見つかり採掘したところ金が産出する見込みであるとの報告と、砂金千両の献上を受けて将軍へ披露したことを伝えた連署書状。今後も変わらず鉱山が繁栄するかは予測できないとの光久の説明も了承したとしている。

登場人物
松平信綱、阿部忠秋、島津光久
宛先
松平薩摩守殿
キーワード
松平信綱、阿部忠秋、島津光久、領内金山、採掘、金産出、砂金千両、献上、将軍披露、鉱山繁栄、連署書状