島津惟新書状
(慶長十二年)八月一日 / 冊子 127頁
慶長十二年八月一日付の島津惟新書状。本文はNo.385と同文のため省略され、日付だけが八月一日であることを注記する。
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(慶長十二年)八月一日 / 冊子 127頁
慶長十二年八月一日付の島津惟新書状。本文はNo.385と同文のため省略され、日付だけが八月一日であることを注記する。
四月廿一日 / 冊子 131~132頁
相手の説明が曖昧では闇夜に向かって話すようで理解できないとし、狭い家中の召使にも掟を定めないのは残念だと叱責した。田野の件と出水からの客については承知し、目前の家中の規則を折々命じ、違反者があれば自分が処罰すると伝えた返書。
元禄三年二月廿六日 / 冊子 853~854頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書2272
島津綱貴が平松右衛門督へ、勅許により右衛門督となったことを祝い、祝儀として目録記載の品を進上した書状。
元禄十二年九月十日 / 冊子 159頁/整理ID 557
島津綱貴が平松中納言時量へ、近衛右大臣に依頼していた額のうち稲荷社額が染筆されて届き、諏訪社額も大概調ったと聞いたことを喜んだ書状。延引事情を承知し、まず一社が調ったことを謝して、右大臣へ伝えるよう頼む。追而書では、額の件で関白にも御礼を申し上げた方がよければ取り計らってほしいとする。
寛政2年10月23日(年次は朱注) / 冊子 16頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0041
島津重豪が平松三位(時章)へ、寒さが増すなか相手の息災を喜び、密啓の趣旨を承知したと返答する書状。詳しいことは相手方に置く留守居から申し上げるよう指示したと伝える。当時は取り込み中で代筆による返答とし、追而書にも大意だけを記したと断る。密啓の具体的な用件は本文に記されない。署名は松平上総介、年次は朱注による。
寛政2年12月15日(年次は朱注) / 冊子 20頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0056
島津重豪が平松三位(時章)へ、子息の元服が首尾よく整ったことを喜び、これに関して先に内密に申し合わせた件を調進したと伝える書状。相手の挨拶を受け、家伝の法皇の宸翰一軸を贈られたことへの謝意も述べる。追而書では端書の趣旨を承知したとする。子息や法皇の実名、内密の件の具体的内容は本書に記されない。
年月日未詳 / 冊子 448頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書0969
島津光久が寛文二年三月十九日、江戸藩邸で平松中納言時量の娘を継室に迎えた記事。継室はのちに尼となり、圓和院と号した。
延宝二年二月十三日 / 冊子 630頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1547
平松時量が松平大隅守へ、新年の祝儀として両樽二種を贈られたことに謝し、前年末の昇進については先日短札で祝ったと述べる。愚子も喜んでいる旨に続き、新院使として追って参府するので、その折に対面して謝意を伝えると記す。二種の具体品目は不記。
元禄十一年九月二十三日 / 冊子 82頁/整理ID 280
平松時方が、五日に首尾よく暇を得て近く帰国するとの知らせを喜び、近日伏見へ到着する際の面会を希望した書状。交野権佐が参府した際、多くの家来を付けて滞在中の公用を無事に済ませ上京できたことや、不慮の出火時の配慮で損害なく済んだことへ謝意を述べる。追伸でも、伏見到着時に知らせを得たいと重ねる。九月二十三日、平松中納言署で時方の傍注がある。
元禄十二年正月二十三日 / 冊子 99頁/整理ID 344
平松時方が松平薩摩守へ、鹿児島の諏訪社・稲荷社の鳥居額について近衛家熙へ申し入れたところ、近衛家熙が揮毫すると答えたので、まずは喜ばしいと伝えた書状。
元禄十二年正月二十三日 / 冊子 99頁/整理ID 345
平松時方が松平薩摩守へ、鹿児島の稲荷社・諏訪社の額について近衛家熙へ言上したところ、揮毫して下さるとの仰せがあったと伝えた書状。遊覧の許可を伝える文書ではない。
元禄十二年正月二十七日 / 冊子 100頁/整理ID 349
平松時方が松平修理大夫へ、新年の吉兆と相手の堅固・長寿を喜び、自身も無事に越年したと伝えた書状。早々に書状を受け取ったことへの喜びも述べる。
元禄十二年六月十八日 / 冊子 127頁/整理ID 451
平松時方が松平薩摩守へ、老父も同様に喜んでおり別紙の返答を省くとし、陽和院の機嫌と、島津左京の願いどおり佐土原が城地と認められたことへの相手の喜びを了承した書状。さらに来年の愚息元服に際し、家来二家の子を早く派遣して助力させるという配慮をありがたく受け止め、首尾よく首服できると喜び謝している。
元禄十二年七月二十五日 / 冊子 137頁/整理ID 488
平松時量が松平薩摩守へ、依頼された額のうち、右大臣が揮毫した稲荷社額が完成したので先に送ると伝えた書状。諏訪社額もおおむね整っているが遅延しており、等閑にしたのではなく事情があったためだと釈明する。
元禄十二年七月二十五日 / 冊子 137頁/整理ID 489
平松時方が松平薩摩守へ、右大臣の命により、依頼の稲荷社額は揮毫済みで送付し、諏訪社額も追って整えると伝えた書状。やむを得ない用務のため遅延した旨も取り次いでおり、No.488と同日・同件だが右大臣の命を伝達する形をとる。
元禄十三年三月四日 / 冊子 205–206頁/整理ID 700
平松中納言時方が松平薩摩守島津綱貴へ、愚息の四品叙任が勅許されたことへの祝賀書状と目録記載品を贈られたとして、念入りな心遣いに謝意を述べた書状。時方からも目録どおりの祝儀品を進覧すると伝える。
元禄十三年三月四日 / 冊子 206頁/整理ID 701
平松少納言時春が松平薩摩守島津綱貴へ、自身の四品叙任勅許に対する祝賀書状と目録記載品を贈られたことに謝意を述べ、返礼の祝儀として太刀・馬代を進上した書状。
元禄十三年三月二十七日 / 冊子 212頁/整理ID 717
平松中納言時量が松平修理大夫島津吉貴へ、孫の時春が元服して侍従に任官したことへの祝意を示されたとして、過分の厚意に謝意を述べた書状。
元禄十三年三月二十八日 / 冊子 212頁/整理ID 718
平松宰相時方が松平修理大夫島津吉貴へ、愚息時春の元服と侍従叙任が許されたことに対する祝詞を受け、喜びと謝意を述べた書状。
元禄十三年三月二十八日 / 冊子 212頁/整理ID 719
平松侍従時春が松平修理大夫島津吉貴へ、自身の元服と侍従任官を聞いて祝意を示されたことに謝意を述べた書状。祖父時量・父時方の書状と同じ慶事を本人の立場から伝える。
元禄十三年七月十八日 / 冊子 223頁/整理ID 764
平松中納言時量が松平修理大夫島津吉貴へ、残暑のなかの健勝と、海陸とも無事に鹿児島へ到着したとの知らせを喜んだ書状。本来はこちらから祝意を伝えるべきところ、先に知らせを受けたため返書になったと述べ、後日の再会を期す。
元禄十三年七月十八日 / 冊子 223頁/整理ID 765
平松宰相時方が松平修理大夫島津吉貴へ、健勝と、海陸無事に先月二十一日に鹿児島へ到着したことを喜んだ書状。本来はこちらから祝意を伝えるべきところ、先に知らせを受けたため返書になったと述べ、後日の再会を期す。
元禄十四年四月二十八日 / 冊子 297–298頁/整理ID 980
平松中納言入道時量が松平薩摩守島津綱貴へ、公武の隠居と宰相の家督が首尾よく命じられたことを祝し、綱貴から祝儀として贈られた太刀など目録どおりの品を受納したと礼を述べた書状。
元禄十四年四月二十八日 / 冊子 298頁/整理ID 981
平松宰相時方が松平薩摩守へ、入道の隠居と自身の家督が首尾よく命じられたことを喜び、その祝儀として太刀など目録どおりの品を贈られたことに謝し受納を伝える。隠居と家督相続を祝って品を受け取った側からの返礼書状である。
元禄十四年五月十日 / 冊子 300頁/整理ID 989
平松宰相時方が松平薩摩守島津綱貴へ、平松入道の隠居と時方の家督相続に対する使者を介した祝意を喜び、返礼として太刀・目録と御樽代を進上した書状。
元禄十四年五月十日 / 冊子 300–301頁/整理ID 990
平松侍従時春が松平薩摩守島津綱貴へ、平松入道の隠居と父平松宰相時方の家督相続に対する祝意を喜び、返礼として太刀・目録を進上した書状。
元禄十四年六月二十一日 / 冊子 312頁/整理ID 1023
平松時方が島津綱貴へ、先日の自邸訪問を喜び、初めての近衛殿訪問が首尾よく済み、取持ちにも満足したとの知らせを慶んだ書状。大坂から出船したと聞き、海路を滞りなく帰国することを願う。
元禄十四年六月二十一日 / 冊子 313–314頁/整理ID 1027
平松宰相時方が松平薩摩守へ、去る十三日に近衛殿へ伺候し万事首尾よく済んだことを喜び、自分の取り持ちへの謝礼を受けたと返答する。自宅にも来訪して久々にゆっくり面会できたことに謝し、船中無事に帰国するよう願う。追書では息時春への伝筆を承知し、時春からの礼を取り次ぐとする。
元禄十四年十二月二十七日 / 冊子 338頁/整理ID 1120
平松時春が島津綱貴へ、石井宮内卿が右衛門督に叙任されたことを大いに喜び、綱貴から早々に祝詞を贈られた厚意に謝した書状。No.1118の石井行康書状と同じ任官を別の立場から扱う。
元禄十五年九月朔日 / 冊子 380頁/整理ID 1274
平松時量が島津吉貴へ、江戸の一族が無事であることを伝え、陽和院の宅が薩摩守島津綱貴の配慮によって早くも見事に完成し、近頃移ったと陽和院から知らせがあったことを報じた書状。時量自身も喜んでいると述べる。
元禄十五年十二月二十六日 / 冊子 406頁/整理ID 1371
平松時量が松平薩摩守へ、二十四日に火災が発生して自邸へ悪い風向きとなり案じたものの、鎮火して安堵したと伝えた書状。その際、京都屋敷の伊集院主水配下の者たちが尽力したことに謝意を述べる。
元禄十六年十月十三日 / 冊子 443–444頁/整理ID 1520
平松時方が島津綱貴へ、交野時香が三位・宮内卿に任じられたことを大いに喜び、その件への綱貴の祝詞に謝意を述べた書状。
元禄十六年十二月六日 / 冊子 449頁/整理ID 1540
平松時量が島津綱貴へ、先月十八日の江戸大火と二十二日の大地震について、芝御屋敷と高輪が無事だったと聞いて安堵し、田町御屋敷の類焼を痛ましく思うと伝えた書状。遠国にいる綱貴の心配を察する。
元禄十六年十二月六日 / 冊子 449頁/整理ID 1541
平松時方が島津綱貴へ、先月十八日の江戸大火と二十二日の大地震について、田町御屋敷は類焼したが芝・高輪御屋敷は無事で、将軍も健勝であると伝えた書状。遠国にいる綱貴の心配を察する。
宝永元年五月十六日 / 冊子 484頁/整理ID 1689
平松時方が島津綱貴へ、道中無事に四月十八日江戸へ到着し、二十八日に首尾よく登城したと聞いて祝意を述べた書状。
十二月五日 / 冊子 538頁/整理ID 1835
平松中納言時方が島津吉貴へ、吉貴の改名願が先月二十七日に願いどおり許されたと聞き、賀札を送って祝意を伝えた書状。
十二月廿一日 / 冊子 541頁/整理ID 1852
平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、十一日に少将任官の通知を受けたことを祝し、口宣の拝領を待ち望むと伝え、目録のとおり御太刀を進上した書状。
一月廿一日 / 冊子 552頁/整理ID 1898
平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、前年冬の任官について両伝奏へ申し入れ、口宣が滞りなく整ったと報告した書状。祝儀として贈られた太刀と馬代黄金十両を受納し、時方の息子たちへの祝儀にも謝意を述べた。
二月廿七日 / 冊子 560頁/整理ID 1922
平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、吉貴の使者が上京し、任官の口宣を首尾よく頂戴したことを喜んだ書状。京都での事情を使者と相談し、その内容を吉貴が聞いたうえで厚く礼を述べたことにも謝意を示した。
三月廿八日 / 冊子 562–563頁/整理ID 1931
平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、亀姫を吉貴の養女とする件が願いどおり許可されたことを喜び、吉貴家の繁栄を祝った書状。
閏四月八日 / 冊子 570頁/整理ID 1951
平松時方が島津吉貴へ、亀姫の婚姻万端を取り計らうよう命じられた件を了承し、吉貴からの礼状にも謝意を示した書状。婚姻に関する諸事は吉貴の家来と相談するので安心するよう伝えた。
閏四月十三日 / 冊子 570–571頁/整理ID 1952
平松時方が島津吉貴へ、封印を受け取って返進し、左大臣の命を吉貴が了承した旨を奏上すると、そのとおりでよいとの返答を得たと知らせた書状。亀姫が五月十日頃に出発し、婚礼万端が首尾よく整うことを祝った。
五月十三日 / 冊子 579頁/整理ID 1973
平松中納言時方が五月十三日、薩摩守吉貴へ、自分の娘が西丸御簾中に召し出されたことへの祝儀として目録品を贈られ、受納したと礼を述べる。とくに娘方にも目録どおり品を贈られた厚意に謝し、しかるべく礼を勤めると返す。
六月三日 / 冊子 581頁/整理ID 1976
平松時方が島津吉貴へ、先の書状が届き、亀姫が道中を健やかに進み無事に到着したと知って喜んだ書状。今後も一層健康を保つよう願った。
六月十六日 / 冊子 585–586頁/整理ID 1989
平松時方が島津吉貴へ、近衞大納言家久と亀姫の婚礼が滞りなく整い、満悦していると伝えた書状。亀姫の末永い繁栄を祝い、目録どおり祝儀を贈った。
六月廿五日 / 冊子 588頁/整理ID 1996
平松時方が六月二十五日、吉貴へ、九日に帰国の暇を賜ったことを喜び、左大臣を訪ねる際は拙宅で朝食を取り休息して狩衣に着替え、同行してはどうかと招く。亀姫関係の諸事は河上長左衛門一人では不案内で、猿渡喜右衛門は江戸留守を命じられたと聞くため、嶋津大蔵・家村平八のうち一人を吉貴上京まで京都にとどめるのがよいと勧め、詳しくは対面して話すと伝える。
七月四日 / 冊子 589頁/整理ID 1999
平松時方が島津吉貴へ、娘が長旅を無事に終えて去る十三日に江戸へ到着し、三所への御目見も滞りなく済んだと報告した書状。吉貴から寄せられた祝意と目録品に謝意を述べた。
七月卅日 / 冊子 590頁/整理ID 2003
平松時方が島津吉貴へ、大坂へ向かったと伊集院主水から聞き、船中の無事と帰国を願った書状。島津帯刀を介した返答を受け、亀姫のことは疎略にせず心配不要と述べ、亀姫への配慮と文箱中の贈物に謝意を示した。
九月廿三日 / 冊子 595頁/整理ID 2021
平松時方が松平薩摩守島津吉貴へ、海上を無事に帰国したことを重ねて祝い、少し不快であった亀姫が日ごとに快復しているので安心するよう伝えた書状。吉貴の到着への祝意も述べた。
十月五日 / 冊子 596–597頁/整理ID 2032
平松時春が松平薩摩守島津吉貴へ、亀姫の養生がかなわず前夜に死去したことへの驚きと、吉貴および江戸の関係者の悲嘆を察し、悔やみを述べた書状。