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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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94 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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後編1-No.1344文書確認度 高

島津忠平書状

島津忠平が帖佐彦左衛門尉へ、長期にわたり現地へ滞在し籠城の窮屈に耐えた軍労をねぎらった書状。海陸の交通が不自由で連絡が途絶えたが疎意によるものではなく、今回の軍功を今後も忘れないと伝える。

登場人物
島津忠平、帖佐彦左衛門尉
宛先
帖佐彦左衛門尉
キーワード
島津忠平書状、帖佐彦左衛門尉、籠城、軍労、海陸不通、感状
後編4-No.1221文書確認度 高

島津惟新書状

前年、五左衛門尉が細工修業のため上方へ赴いた際、正阿弥彦左衛門から鑢など刀工の技術を多数教えられたことに謝す。国元の重宝となる技術伝授への礼として品を贈った義弘書状。

登場人物
島津義弘、正阿弥彦左衛門、五左衛門尉
宛先
正阿弥彦左衛門
キーワード
島津義弘書状、正阿弥彦左衛門、刀工、細工修業、鑢、技術伝授、謝礼、元和元年二月二十日
附録1-No.241文書確認度 高

本田宗親書状

本田宗親が帖佐彦左衛門尉に宛てた書状。長年の在陣・在京や関ヶ原以後の困窮、子の在京による借銀増大を訴え、現状では知行を受けても軍役を果たせないため、知行目録を召し上げるよう取り次いでほしいと依頼している。

登場人物
本田宗親、帖佐彦左衛門尉、大吉兵、宗親の子、島津氏
宛先
帖佐彦左衛門尉
キーワード
本田宗親、帖佐彦左衛門尉、関ヶ原、在陣、在京、借銀、知行目録、軍役、困窮、返上
後編5-No.85文書確認度 高

沢永澄覚書

沢永澄が社殿修理に要した大工手間を列記した覚書。御宝殿の縁・柱、獅子狛犬に関わる板、四所宮・武内殿・左右の建物の板敷などを修理し、請負外の追加分として大工合計十八人を計上する。

登場人物
沢永澄、川上彦左衛門尉、大工
宛先
川上彦左衛門尉
キーワード
沢永澄、川上彦左衛門尉、大工、社殿修理、御宝殿、四所宮、武内殿、板敷、人工
前編2-No.1353文書確認度 高

大寺彦左衛門施行状

大寺彦左衛門が島津忠国の命を受け、三俣院南方内の上さり河という所と、とび松うたを宛行う旨を伝えた施行状。

登場人物
島津忠国、大寺彦左衛門
宛先
—
キーワード
大寺彦左衛門、島津忠国、施行状、三俣院南方、上さり河、とび松うた、宛行
後編2-No.629記録確認度 高

帖佐彦左衛門日記

帖佐彦左衛門が、小田原征伐に従う島津久保の軍勢について、将軍役・軍資金、川越えに備えた兵糧や渡河用具、軍馬の準備と配分を記した日記。 身分に応じて馬を割り当て、不足時には先陣の馬を回すことまで定めており、長距離遠征を支えた装備・輸送・馬匹管理の実務を具体的に知ることができる。

登場人物
帖佐彦左衛門、島津久保、北条氏政、島津家臣団
宛先
—
キーワード
帖佐彦左衛門、島津久保、小田原征伐、北条氏政、軍役、軍資金、兵糧、渡河、軍馬、馬匹管理、遠征準備、日記
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 209-4達旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

町奉行所達(上町年行司・年寄塩津彦左衛門外三名宛)

切支丹類族が病気または死亡した際に親類・子から代人を出し、宗旨改帳記載の者を同様に扱うよう上町年行司らへ命じる町奉行所達。病死時の報告、親類の監守、帳面・書付の相渡しを定める。

登場人物
町奉行所、上町年行司、塩津彦左衛門、中馬喜右衛門、川原内蔵右衛門、白男川四郎右衛門、森永長兵衛
宛先
上町年行司・年寄塩津彦左衛門外三名
キーワード
町奉行所達、上町年行司、塩津彦左衛門、切支丹類族、宗旨改帳
前編2-No.1400文書確認度 中

島津立久安堵状

島津立久が、河上又八郎方と大寺彦左衛門の間で扱われた所領について、違乱がないよう安堵した文書。

登場人物
島津立久、河上又八郎、大寺彦左衛門
宛先
—
キーワード
島津立久、安堵状、河上又八郎、大寺彦左衛門、所領、違乱停止、寛正二年
前編2-No.1445文書確認度 高

島津立久安堵状

島津立久が、河上又八郎方と大寺彦左衛門の間で扱われた所領について違乱がないよう安堵した文書。本文はNo.1400と同文のため省略される。

登場人物
島津立久、河上又八郎、大寺彦左衛門
宛先
—
キーワード
島津立久、安堵状、河上又八郎、大寺彦左衛門、所領、違乱停止、No.1400同文、寛正二年
後編1-No.376文書確認度 高

島津義久書状

島津義久が、この時期の軍事行動はいったん延期するのがよいと伝え、その詳細は白坂彦左衛門尉へ申し聞かせたとする書状。義弘の意向も同じであることを確認し、細部の記述を省く。

登場人物
島津義久、島津義弘、白坂彦左衛門尉
宛先
兵庫頭殿(島津義弘)
キーワード
島津義久書状、永禄十年、島津義弘、兵庫頭、白坂彦左衛門尉、軍事行動、延期、意向一致
後編2-No.1392文書確認度 高

島津義弘城米請取状

島津義弘家臣の帖佐彦左衛門尉が、釜山浦で城米四百五十四石四斗五升四合を受け取ったことを証明する請取状。 受領場所・米の数量・受取人が明記されており、朝鮮在陣中の島津軍へ供給された兵糧米の規模と受領実務を具体的に確認できる。

登場人物
島津義弘、帖佐彦左衛門尉
宛先
宛先なし(城米請取状)
キーワード
島津義弘、帖佐彦左衛門尉、釜山浦、城米、四百五十四石、兵糧、請取状、米輸送、朝鮮在陣
後編4-No.730文書確認度 高

島津惟新書状

慶長十五年八月二十五日、島津義弘が島津家久に、関ヶ原退却の際に近江国本山付近で道案内をした入道道珍の所在を帖佐彦左衛門尉から聞いたと知らせ、通行の折に召し出して格別に謝礼するよう求めた書状。

登場人物
島津義弘、島津家久、道珍、帖佐彦左衛門尉
宛先
島津家久
キーワード
島津義弘書状、島津家久、関ヶ原、退却、道案内、道珍、近江、本山、帖佐彦左衛門尉、謝礼
後編3-No.825記事確認度 高

殉国名薮

『殉国名薮』は、慶長四年の庄内合戦で戦死した島津方の武士を、月日・戦場・所属や続柄とともに列挙する。六月一日の中田十郎をはじめ、山田城・恒吉・安永・高城・北郷・神田橋など各地で討死した町田新助忠玄、長野藤兵衛、平田三五郎、上井仲五兼政ら多数を掲げ、六月から翌年正月に及ぶ戦没者の記録をまとめる。

登場人物
中田十郎、町田新助忠玄、長野藤兵衛、平田三五郎、上井仲五兼政、伊地知彦左衛門重鑑、原助左衛門
宛先
—
キーワード
殉国名薮、庄内の乱、戦死者名簿、中田十郎、町田新助忠玄、長野藤兵衛、平田三五郎、上井仲五兼政、伊地知彦左衛門重鑑、原助左衛門、山田城、恒吉、安永、高城、北郷、神田橋、慶長四年
後編4-No.797文書確認度 中

(某)為俊追悼和歌

為俊を追悼する一連の和歌。武士としての名残、春の花、水の清さ、夢路、月などに寄せ、故人への哀惜と追善の思いを各人が詠む。

登場人物
為俊、武彦左衛門、仙朝坊、染川源之丞、村岡豊前介、濱田民部左衛門
宛先
—
キーワード
為俊追悼和歌、武彦左衛門、仙朝坊、染川源之丞、村岡豊前介、濱田民部左衛門、武士、春、花、月、追善
後編4-No.799文書確認度 中

島津竜伯外六名詠草

島津義久(龍伯)の御歌と六名の詠草。米と水、春風、夢路、花、月などを題材に、変わらぬ忠節と主君への思慕を唱和する。

登場人物
島津義久、山口対馬、武彦左衛門、仙朝坊、染川源之丞、村岡豊前介、濱田民部左衛門
宛先
—
キーワード
島津龍伯外六名詠草、島津義久、山口対馬、武彦左衛門、仙朝坊、染川源之丞、村岡豊前介、浜田民部、忠節
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 134書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

国分友知書状

国分友知が野間口彦左衛門尉へ、琉球船の件を承知したと答える。薩州様が東目筋を下ると聞いて庄内へ出たが島原へ直行するため戻ったこと、八日に出立するので当衆中を八・九日に参着させること、三人につき日用夫一人を立てる手配などを命じる。

登場人物
国分十右衛門尉友知、野間口彦左衛門尉、薩州様、当衆中、日用夫
宛先
野間口彦左衛門尉殿
キーワード
国分友知、野間口彦左衛門尉、琉球船、薩州様、東目筋、庄内、島原直行、八日出立、当衆中、日用夫
前編2-No.1336文書確認度 高

牛屎院内光吉水田坪付

牛屎院内光吉の水田について、せとくち門・三反井・小山下・山下のならひなど各所の面積を列挙し、合計を示した坪付。村田経房・大寺光貴・町田胤久が署判した。

登場人物
村田肥前守経房、大寺彦左衛門尉光貴、町田周防介胤久
宛先
—
キーワード
牛屎院、光吉、水田、坪付、せとくち門、村田経房、大寺光貴、町田胤久、田地面積
後編1-No.371文書確認度 高

島津義久書状

島津義久が先の談合に際して義弘が急ぎ来訪したことを喜び、その後無沙汰したことを詫びた書状。ある一箇条の処置について内々の検討を求め、自身は病気が再発して歩行も不自由なため諏訪祭礼への参詣が難しく、企てが延期される場合は名代を立てる意向を伝える。

登場人物
島津義久、島津義弘、白坂彦左衛門尉
宛先
兵庫頭殿(島津義弘)
キーワード
島津義久書状、永禄十年、島津義弘、兵庫頭、談合、一箇条、病気、歩行不快、諏訪祭礼、名代
後編3-No.267記事確認度 高

島津常久譜

『島津常久譜』から、宇多与右衛門尉が上京して安宅三河守へ訴状を提出したため、五代右京亮らを招いて糾明した経過を記す。関係者の申状・答書を京都へ送り、太守兄弟から与えられた書状もあわせて記録したとする。

登場人物
島津常久、宇多与右衛門尉、安宅三河守、五代右京亮、有河助兵衛尉、帖佐彦左衛門尉
宛先
—
キーワード
島津常久譜、宇多与右衛門尉、安宅三河守、訴状、糾明、五代右京亮、京都、答書
後編3-No.663文書確認度 高

上原氏由緒書

上原氏二代目の源右衛門は国分で島津義久に近侍し、平田狩野らと兵具方を勤めたため、他の者が高麗へ出陣して加増を受けた際にも義久のそばに留め置かれた。忠恒への代替わりに際して墨色の「あめの御旗」を持つ使者を務め、その加増として五十石を与えられ、義久は本来百石を与える意向であったと伝える。

登場人物
上原源右衛門、島津義久、島津忠恒(家久)、平田狩野、三原七左衛門、川上彦左衛門、川越三右衛門
宛先
—
キーワード
上原氏由緒書、上原源右衛門、島津義久、島津忠恒、国分、兵具方、高麗、加増、あめの御旗、使者、五十石、百石
後編3-No.1401記録確認度 高

桐野掃部覚書抜書

桐野掃部が関ヶ原で島津義弘(惟新)の側に奉公し、九月十五日から駒野越え、伊勢路、土山、伊賀、山城、住吉、堺を経て二十一日に乗船し、帖佐まで供奉した経路を記す。途中では負傷者の処置、米の調達、田辺屋道春への迎え依頼や堺の見聞を担当し、他の御側衆同様の加増を願い出た。

登場人物
桐野掃部、島津義弘(惟新)、須田博士、南郷覚右衛門、帖佐彦左衛門、白坂興竹、伊地知掃部兵衛
宛先
該当なし
キーワード
桐野掃部覚書抜書、桐野掃部、島津義弘(惟新)、関ヶ原、駒野、伊勢、伊賀、住吉、堺、帖佐、米調達、見聞、加増願
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 785書状・兵糧不足による外城衆の渡海停止旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

兵糧が不足するため、別紙で示す外城衆を天草へ渡さず、出水に留め置くよう命じる。すでに渡海した分はやむを得ないが、まだ残っている者は留め、その様子を追って知らせるよう求める。正月十八日、出水の岩切六右衛門・川上彦左衛門宛。

登場人物
川上久国 岩切六右衛門尉 川上彦左衛門尉 吉利下総守 外城衆
宛先
出水 岩切六右衛門尉 川上彦左衛門尉(吉利下総守殿御宿所)
キーワード
外城衆 天草渡海停止 出水留置 兵糧不足 書付 次飛脚
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 49文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署書状

正月二十九日、川上久国と本文署名「宗庸」が川上彦左衛門尉・市来八左衛門尉・岩切六右衛門尉へ送った連署書状。薩州様が十三日に暇を得て十七日に駿河へ着き、直ちに有馬へ向かうとの命令を受けたため、この書状を早船で陣へ送り、陣道具も順次急送するよう求める。公儀用の楯板を当地の用にも転用できるとし、後発人数が順次帰るとの情報を伝え、近隣衆を召し寄せ、遠方衆には送夫を遣わして急ぎ参集させ、有馬へ送るよう指示する。本文中の十三日・十七日は経過日であり、文書の年月日は目録どおり正月二十九日とする。

登場人物
川上久国、三原宗庸(目録・傍注は重庸)、薩州様、川上彦左衛門尉久康、市来八左衛門尉宗友、岩切六右衛門尉信堯
宛先
川上彦左衛門尉殿、市来八左衛門尉殿、岩切六右衛門尉殿
キーワード
正月廿九日、川上久国、三原宗庸、三原重庸、薩州様、十三日、十七日、駿河、有馬、早船、御陣、御陣道具、公儀用楯板、後発人数、近所衆、遠方衆、送夫、参集
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 148書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署書状

川上久国・三原重庸が川上彦左衛門尉らへ、引付を持たない者には船を渡さないよう追伸し、薩州様の有馬直行、米之津・獅子島の仮屋、紫尾・川内筋の帰路を相談する。琉球船は先着三艘、続いて二艘、さらに十四・五艘を見込み、山川から直送させ、加勢人数と船の配分決定を求める。

登場人物
川上久国、三原重庸、川上彦左衛門尉、岩切六右衛門尉、市来八左衛門尉宗友、薩州様
宛先
川上彦左衛門尉殿、岩切六右衛門尉殿、市来八左衛門尉宗友殿御報
キーワード
川上久国、三原重庸、薩州様、有馬、米之津、獅子島、紫尾、川内、琉球船三艘・二艘・十四五艘、船配分
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:6-49覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

鎌田政直覚

鎌田政直は、諸外城から提出された文書、御家の系図、御記録草案を平田清右衛門から引き継ぎ、御文書倉に収めるよう日高主膳と川上彦左衛門へ命じた覚。受取と保管の対象を三種に分けて列記する。

登場人物
鎌田政直、平田清、日高主膳、川上彦左衛門
宛先
平田清右衛門、日高主膳、川上彦左衛門
キーワード
鎌田政直覚、記録・文書管理、系図・由緒
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 736書状・兵糧と舟奉行差配旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

舟奉行一人を天草へ、もう一人を兵糧輸送に当て、物奉行と相談するよう指示する。二十日分の飯米支給、出水・加世田方面の御蔵米、船と人数の手配、輸送完了後の舟の帰還を求める。天草陣にも便ごとに連絡し、奉行間で事情を通じて調整することを重視する。正月十五日、次飛脚で送る書状。原史料に欠字が多く、数量・対象の欠落部は補わない。

登場人物
川上久国 岩切六右衛門尉 川上彦左衛門尉 平田民部少輔 是枝喜右衛門尉 舟奉行 物奉行
宛先
岩切六右衛門尉・川上彦左衛門尉・平田民部少輔(是枝喜右衛門尉殿御宿所)
キーワード
舟奉行 物奉行 飯米 御蔵米 兵糧 輸送 次飛脚
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 769書状・兵糧不足と出陣人数の調整旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

川上久国書状

軍衆と水手が合計三万近くになり、兵糧が続かず手持ちの米も少ない状況を伝える。先に二番立の者の帰還を検討し、後続人数を呼び留めるよう相談する一方、有馬城攻めが急に始まる場合への備えも必要とする。当面は城攻めの沙汰がないため先発人数を戻すことが重要と述べ、関係者間の協議を求める。正月十七日付。米数量などの欠字は補わない。

登場人物
川上久国 吉利下総守 川上彦左衛門尉 平田民部少輔 是枝喜右衛門尉 岩切六右衛門尉 野州 上使 物奉行
宛先
吉利下総守 川上彦左衛門尉 平田民部少輔 是枝喜右衛門尉(岩切六右衛門尉宿所)
キーワード
兵糧不足 軍衆 水手 三万 二番立 帰還 後続留置 有馬城攻め
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 5文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国書状

川上久国が岩切六右衛門尉らへ、有馬・天草への渡海衆以外の三千三百六十八人が米之津に残る件について、長陣では兵糧が続かないため帰すのがよいが、必要人数は陣と協議して定めるよう指示する。米二百八十石の配分、楯板の早急な送付、天草の兵糧切れへの対応、有馬宛書状の早送も求める。

登場人物
川上久国、岩切六右衛門尉、川上彦左衛門尉、市来八左衛門尉、伊豆守、左門、三老、豊後守、喜入摂津守、北郷佐渡守、入来院石見守
宛先
岩切六右衛門尉、川上彦左衛門尉、市来八左衛門尉
キーワード
有馬、天草、米之津、三千三百六十八人、長陣、兵糧、米二百八十石、楯板、書状、早送
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 11文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国書状

川上久国が岩切六右衛門尉らへ、有馬・天草への渡海衆以外の三千三百六十八人が米之津に残る件について、長陣では兵糧が続かないため帰すのがよいが、必要人数は陣と協議して定めるよう指示する。上使十人へ米二百八十石を進める件、楯板の早急な送付、天草の兵糧切れへの対応、有馬宛書状の早送も求める。

登場人物
川上久国、岩切六右衛門尉、川上彦左衛門尉、市来八左衛門尉、伊豆守、左門、三老、豊後守、喜入摂津守、北郷佐渡守、入来院石見守
宛先
岩切六右衛門尉、川上彦左衛門尉、市来八左衛門尉
キーワード
有馬、天草、米之津、三千三百六十八人、長陣、兵糧、上使十人、米二百八十石、楯板、書状、早送
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 184書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国・三原重庸連署書状

川上久国・三原重庸が岩切信堯・川上久康・市来宗友へ、当地へ向かう軍衆のうちこちらの手形を持たない者には船も兵糧も与えないよう命じる。違反は軍法の妨げとなり後日処分の対象になると警告する。

登場人物
川上久国、三原重庸、岩切六右衛門信堯、川上彦左衛門久康、市来八左衛門宗友、渡海軍衆
宛先
岩切六右衛門尉殿、川上彦左衛門尉殿、市来八左衛門尉殿
キーワード
川上久国、三原重庸、岩切信堯、川上久康、市来宗友、手形、渡海統制、船、兵糧、軍法
追録7-No.2486記事旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪、将軍家の御鷹による雲雀を拝領する記事

重豪公御譜中の記事。天保二年八月九日、将軍家から使番大久保彦左衛門忠良が芝邸へ遣わされ、重豪に御鷹による雲雀一羽を賜った。島津筑後守忠徹が重豪に代わって受領し、同日、老中邸へ赴いて謝意を述べた。入力表題の崩れを原本と目録に基づいて訂正する。

登場人物
島津重豪、将軍徳川家斉、大久保彦左衛門忠良、島津筑後守忠徹、老中
宛先
—
キーワード
島津重豪、徳川家斉、大久保彦左衛門忠良、島津忠徹、天保二年八月九日、芝邸、使番、御鷹、雲雀一羽、拝領、老中邸、謝恩
追録7-No.2664届書旧記雑録暫定版確認度 高

島津斉興届書

松平大隅守が、同氏栄翁の病気の悪化を届けた書。栄翁が病気で養生しているが、臥床が増した旨は一昨日届けた通りであり、今朝に至っても快方に向かわず、軽くない容体であることを申し上げる。正月二十八日付、朱書天保四年、松平大隅守署。控えの正文は家老座にあるとの出典注を伴う。末尾の朱書注によれば、書付はその日、留守居本田六左衛門を通じて御用番松平和泉守へ差し出され、受領された旨を取次の大山彦左衛門から聞いた。先行届から二日後の容体報告と、その日の提出・受理を記す。本文の病状は幕府への表向きの届出として扱い、実際の死去日をこの日としない。

登場人物
松平大隅守(島津斉興)、同氏栄翁(島津重豪)、本田六左衛門、松平和泉守、大山彦左衛門
宛先
御用番松平和泉守
キーワード
島津斉興、松平大隅守、島津重豪、栄翁、病状悪化、臥床、不相勝、不軽容体、病気届、家老座、本田六左衛門、松平和泉守、大山彦左衛門、受理
追録7-No.2688記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪の喪を領国に発す

重豪公御譜中の、江戸からの凶報と領国での発喪の記事。本文は「二月二十日夜」、江戸から飛報が届いて重豪の凶信を伝えたと記す。その夜に家老・若年寄・大目付と家老座書吏等が登城し、翌日発喪して国中で密八音を奏した。二十四日、斉興の生母を江戸へ遣わすため、広敷番の頭田尻小次郎種常を派遣したと記す。一門・一族、家老・若年寄・大目付・一所持・一所持格・寄合・寄合並・諸有司へは、目付裁許掛の近藤彦左衛門正為を遣わし、本文注ではその行を馬廻が代行したとする。諸士の相中へは中小姓廻新蔵政備を遣わし、各門で斉興、老君溪山と庶子等の哀悼を伝えた。月日の本文記載を保持するが、後続する二月十二日付書状の通知到着記事などとの前後関係は疑義として留保する。推測で二月を正月に置き換えない。

登場人物
島津重豪、斉興、頭田尻小次郎種常、近藤彦左衛門正為、中小姓廻新蔵政備、斉興生母
宛先
—
キーワード
島津重豪、領国発喪、江戸飛報、二月二十日夜、時系列留保、登城、家老、若年寄、大目付、家老座書吏、密八音、二十四日、斉興生母、田尻小次郎種常、近藤彦左衛門正為、馬廻代行、中小姓廻新蔵政備、一門、一族、一所持、寄合、諸士相中、哀悼
追録7-No.2689書状旧記雑録暫定版確認度 高

諏訪武兼書状

諏訪治部が調所笑左衛門へ送った、重豪の死去通知の到着、機嫌伺と慎の取扱いについての書状。三日の逝去を同日の極急飛脚で伝えた詳細が一昨十日夜に届き、すぐ御内證へ申し上げたと記す。内證の機嫌に支障はなく、田尻小次郎・近藤彦左衛門・中小姓廻新蔵を機嫌伺の使に充て、明後十四日に遣わす。一門・大身分・奥表役人と月次礼に当たる者は本日登城して死去を披露し、家老へ太守・御隠居・若殿の機嫌を伺った。女中・大奥も同様とし、国元の機嫌を使者から伝えるよう求める。寺院の着座の者、他の寺社、諸郷寺院、琉球人、諸士・組与力、移地頭・地頭代と諸郷の機嫌伺の場所・日時・到着順を各条に定める。慎は直士の月代と殺生・鳴物を三十日、当請作事を十五日、漁猟・商売・家職の音高い仕事を七日後可とし、足軽・御口の者・壱身者の月代は三十日、町人・百姓にはその制限を及ぼさない。高輪・白金の付属者は五十日とし、諸郷・琉球・諸嶋には到達の日から慎むよう申し渡した。二月十二日付、朱書天保四年、諏訪治部署。三頁の各条を精読記録に保持し、死去日・通知到着・派遣予定・各区分の慎を分ける。

登場人物
諏訪治部(武兼)、三位様(島津重豪)、御内證様、田尻小次郎、近藤彦左衛門、中小姓廻新蔵、太守様、御隠居様、若殿様
宛先
調所笑左衛門殿
キーワード
諏訪武兼、諏訪治部、調所広郷、島津重豪、三日逝去通知、極急飛脚、一昨十日夜到着、御内證、田尻小次郎、近藤彦左衛門、新蔵、十四日派遣、登城、機嫌伺、寺院着座、寺社奉行、琉球人、組与力、地頭、諸郷、慎、月代三十日、殺生鳴物三十日、作事十五日、漁猟商売七日、高輪白金五十日、到達日起算
追録8-No.34-2沙汰書旧記雑録暫定版確認度 高

幕府老中沙汰書

松平大隅守島津斉興に、宰相昇進は今回限りの特例と伝えた沙汰書写し。斉興は正四位下中将であり、それ以上の昇進は本来沙汰し難いが、前年の慶事で御三家や縁柄の人々を特別に昇進させたこと、斉興には由緒があり大御所から厚い意向が伝えられていたことによって、格別の思し召しで宰相へ昇進させるとする。今後の家格には及ばない旨を明記し、承知したと返答するよう命じる。朱記は安房殿から得能彦左衛門へ書付写しを渡し、返答後、本書をその日のうちに安房殿へ差し出した経過を記す。

登場人物
松平大隅守(島津斉興)、大御所(徳川家斉)、御三家、安房殿、得能彦左衛門
宛先
松平大隅守
キーワード
島津斉興、宰相、正四位下中将、特例、家格、大御所、得能彦左衛門
追録8-No.263本文群(宰相の介助・政務規定維持の沙汰書二通)旧記雑録暫定版確認度 中

若年の跡目への斉興の介助と政務・節倹・士風維持の沙汰二通

宰相の御沙汰書二通。第一通は斉彬死去後の跡目茂久がまだ若年で、国務を放置できない事情を斉興が聞き、当分介助する旨を伝える。御取次は得能彦左衛門、八月の記載を伴う。第二通は薩摩守殿の死去を受け、若年の跡目を介助し、従来の領国・屋敷中の取締規定を忘れず家老以下が誠実に精勤するよう命じる。勝手向掛は無益な失費を細かく吟味し、風俗を政務の基本として文武・忠孝・律儀を守り、古国の士風を失わないよう求める。若年家督を理由に一同の心掛が緩み家法が弛むことを警戒し、その趣旨を深く伝達する。豊後・伯耆との包紙の記載があり、外包には安政五年九月九日、左衛門殿が格護を指示し青山弥兵衛が承知して白木御文書十番箱に収納した旨がある。

登場人物
宰相(注:斉興)、太守・薩摩守殿(注:斉彬)、御跡目(注:茂久)、御取次得能彦左衛門、家老、勝手向掛、左衛門殿、青山弥兵衛、豊後・伯耆(包紙)
宛先
領国・当所屋敷中の家老以下向々へ伝達;第一通は御取次を介する旨
キーワード
宰相斉興、斉彬死去、茂久若年跡目、国務介助、沙汰書二通、得能彦左衛門、家老精勤、取締規定、勝手向掛、失費吟味、文武忠孝、律儀士風、家法弛緩防止、九月九日格護
追録8-No.978-5黒田彦左衛門の地頭任命と居所の達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書

黒田彦左衛門を上三俣・山之口・下庄内地頭に任じ、上三俣に在るよう命じる。関係向々にも知らせるよう求める。九月知政所、明治三年の朱注がある。

登場人物
知政所、黒田彦左衛門、上三俣・山之口・下庄内地頭
宛先
地頭関係者および関係向々
キーワード
黒田彦左衛門、上三俣山之口下庄内地頭、上三俣在、任命居所、知政所
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 290記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

武野燭談

『武野燭談』。板倉重昌の島原上使任命にまつわる僧・土屋宗蔵の逸話を批判的に検討する。酒井忠勝・大久保彦左衛門らの言説、宗蔵の讒言と処置、重昌の切支丹討死をめぐる風説を論じる。

登場人物
板倉重昌、酒井忠勝、大久保彦左衛門、土屋宗蔵
宛先
なし
キーワード
武野燭談、板倉重昌、島原上使、酒井忠勝、大久保彦左衛門、土屋宗蔵、切支丹
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 494松平甲斐守抜駆処分逸話旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

盛香集

『盛香集』は、落城時に伊豆守の子松平甲斐守が抜駆して働いた逸話を記す。大久保彦左衛門は伊豆守に、軍法違反として子を勘当・追放した形を取り、密かに高野山へ送れば、無私の処置として父子双方の名誉となり、後に召し返しも期待できたと説く。伊豆守はそのように処置しなかったことを残念がった。

登場人物
松平甲斐守、伊豆守、大久保彦左衛門
宛先
宛先記載なし
キーワード
盛香集、松平甲斐守、伊豆守、大久保彦左衛門、落城、抜駆、軍法違反、勘当、追放、高野山、無私、名誉、召返し、六月朔日癸巳
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:101覚書・上原氏由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某覚書

正本家蔵の上原氏覚書。本名字を伊作田入道甫済と伝え、市来の伊作田名と同所の小原城に由来する名乗りだが、系図がないため何代目から上原を称したかは不明とする。源右衛門の名は三代が相伝し、二代目は国分にいた島津義久へ特に奉公し、平田狩野、のち三原七左衛門・川上彦左衛門・川越三右衛門と兵具方を務めた。朝鮮出兵には義久の側に留め置かれたため出陣加増を得なかったが、家久への代替りに際して墨色の『雨之御旗』を運ぶ使者となり、加増五十石を受け、名寄も残るという。妻は吉田作州の娘で、一人娘が鹿嶋駿河守の妻となったため、弟源六左衛門―源兵衛の子・喜左衛門を兄方の養子とし、現源右衛門の父とした。原山の御狩では、本文に伏字を含む出来事で義久に働きを賞され、鉄砲・銀を拝領し、のち兼光作の長刀も受けたが、喜左衛門の江戸上洛中に二品とも家内から盗み出され、行方不明になったと記す。さらに大隅国曽於郡地頭となり、国中の城下ろしの際に城門道具を与えられた記事へ続くが、末尾は『自是切テ無し』として欠落する。

登場人物
伊作田入道甫済、上原源右衛門(二代目・三代相伝名)、島津義久、平田狩野、三原七左衛門、川上彦左衛門、川越三右衛門、島津家久、吉田作州、鹿嶋駿河守、上原源六左衛門、上原源兵衛、上原喜左衛門
宛先
—
キーワード
某覚書、正本家蔵、伊作田入道甫済、上原氏、本名字、市来、伊作田名、小原城、系図欠如、名乗り由緒、上原源右衛門、三代相伝名、国分、島津義久、平田狩野、三原七左衛門、川上彦左衛門、川越三右衛門、兵具方、朝鮮出兵、留守奉公、島津家久、代替り、雨之御旗、墨色御旗、使者、加増五十石、名寄、吉田作州、鹿嶋駿河守、上原源六左衛門、上原源兵衛、上原喜左衛門、養子、原山御狩、鉄砲、銀、兼光長刀、盗難、行方不明、大隅国曽於郡地頭、城下ろし、城門道具、末尾欠落
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-7書状・奉公知行由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊集院幸侃書状

年未詳十二月二十二日、伊集院右衛門入道幸侃が平田狩野介宗應と上原源右衛門尉尚氏へ、重久名の件が持合で未解決となり各所に難しい問題が生じているため、二人で談合して処理するよう求め、詳細は追って協議すると伝えた書状。付属する由緒記事は、慶長四年に島津義久(龍伯)が尚氏を兵具奉行とし、平田宗應・三原七左衛門・川上彦左衛門らと兵具方を掌らせたため、尚氏が朝鮮出兵を免除されたと記す。前年に島津義弘・忠恒が朝鮮から帰国し、忠恒が朝鮮での功により五万石を加増され少将任官と宝刀を受けると、龍伯は国政を忠恒へ譲る意向を強め、二月に尚氏へ時雨御旗を持たせて京都の忠恒へ届けさせ、忠恒は二十日に受領して謝恩した。尚氏は初め朝鮮へ出役しなかったものの、この使者勤仕を忠恒から賞され、隅州敷根小牧門三十二石五斗・末吉深川十八石を加増された。本文は加増を五十一石と記す一方、内訳の通計を五十石五斗とし、慶長六年二月三日に比志島国貞・平田増宗・鎌田政近・島津忠長が目録を授けたとする。龍伯は尚氏の使者勤仕には百石が相当で五十石では少ないと不満を述べたとの季安按も付される。

登場人物
伊集院右衛門入道忠棟(幸侃)、平田狩野介宗應、上原源右衛門尉尚氏、島津義久(龍伯)、三原七左衛門、川上彦左衛門、島津義弘(惟新斎)、島津忠恒、比志島紀伊守国貞、平田太郎左衛門尉増宗、鎌田出雲守政近、島津図書頭忠長、伊地知季安
宛先
平田狩野介宗應殿、上原源右衛門尉尚氏殿
キーワード
伊集院幸侃書状、正文家蔵、十二月二十二日、重久名、持合、未解決、談合、伊集院忠棟、伊集院幸侃、平田狩野介宗應、上原源右衛門尉尚氏、慶長四年、島津義久、龍伯、兵具奉行、兵具方、三原七左衛門、川上彦左衛門、朝鮮出兵免除、島津義弘、惟新斎、島津忠恒、朝鮮功、五万石加増、少将任官、宝刀、国政移譲、時雨御旗、京都使者、二月二十日受領、隅州敷根、小牧門、三十二石五斗、末吉深川、十八石、五十一石、通計五十石五斗、数量不一致、慶長六年二月三日、比志島国貞、平田増宗、鎌田政近、島津忠長、百石相当、伊地知季安按、旧記雑録附録二一〇〇号
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-8由緒書・奉公知行旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏由緒書

二代目上原源右衛門が、島津義久の国分在住期にとりわけ奉公し、初め平田狩野、のち三原七左衛門・川上彦左衛門・川越三右衛門らと相役となって兵具方を務めた由緒書。源右衛門は義久の側近くに召し置かれたため高麗出兵に伴う加増を受けなかったが、島津家久(忠恒)への代替わりに際し、黒色の『雨の御旗』を奉持する使者を命じられ、その加増として知行五十石を与えられ、名寄も現存すると記す。国分へ帰って報告した際、義久はこの使者役には百石を与えるつもりだったのに少分しか下されなかったとの意向を示したと伝える。兵具方勤仕・朝鮮出兵不参加・御旗奉持・五十石加増を一続きの奉公由緒として説明する文書である。

登場人物
二代目上原源右衛門、島津義久、平田狩野、三原七左衛門、川上彦左衛門、川越三右衛門、島津家久(忠恒)
宛先
—
キーワード
上原氏由緒書、正本家蔵、二代目上原源右衛門、島津義久、国分、平田狩野、三原七左衛門、川上彦左衛門、川越三右衛門、相役、兵具方、義久近侍、高麗出兵、朝鮮出兵、加増不支給、島津家久、島津忠恒、代替わり、雨の御旗、墨色の御旗、御旗奉持、使者、知行五十石、名寄現存、百石相当、少分支給、奉公由緒、旧記雑録後編三六六三号
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:130-19文書・安堵状/所領相違なき旨の保証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津立久安堵状

寛正二年十一月二十四日、島津立久が河上山城守へ出した安堵状。河上又八郎忠塞方の大寺彦左衛門幸朝を通じて河上側の意向を詳しく承知したと述べ、所領等について今後相違の扱いをしないことを保証する。立久には島津氏十代当主との傍注がある。

登場人物
島津立久、河上山城守、河上又八郎忠塞、大寺彦左衛門幸朝
宛先
河上山城守殿
キーワード
島津立久安堵状、寛正二年十一月二十四日、島津立久、十代太守、河上山城守、河上又八郎忠塞、大寺彦左衛門幸朝、意趣承知、所領、不可有相違儀、安堵、仲介、旧記雑録前編二1400号、同文注記
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:130-20文書・連署起請文/立久への一心談合・所領保証旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

大寺幸朝・川上忠塞連署起請文

五月九日、大寺彦左衛門幸朝と河上又八郎忠塞が連署して河上殿へ差し出した起請文。二度の書状への返事が留守中のため遅れた事情を釈明したうえ、島津立久に二心なく談合するとの意向を「千秋万歳」「目出」と歓迎し、詳細は対面で伝えるとする。また所領については提示された坪付どおり異議はないとの回答を伝え、疑問があれば早々に尋ねるよう促し、虚偽なら日本国中の大小神祇の罰を受けると誓う。

登場人物
大寺彦左衛門幸朝、河上又八郎忠塞、島津立久、太夫殿、四郎二郎殿、河上殿
宛先
河上殿
キーワード
大寺幸朝・川上忠塞連署起請文、五月九日、大寺彦左衛門幸朝、河上又八郎忠塞、河上殿、太夫殿、四郎二郎殿、島津立久、二心なく談合、千秋万歳、目出、所領、坪付、返事遅延、対面説明、不審照会、日本国中大小神祇、神罰、旧記雑録前編二1401号、同文注記
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:130-21文書・坪付抄/市来院十五町三段旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

市来院之内坪付抄

寛正三年卯月十五日、市来院内十五町三段の坪付について、個々の坪付本文を「末略」として総面積だけを掲げた抄録。平田右馬助兼宗・石井丹波守義忠・本田三郎五郎宗親・大寺彦左衛門尉幸朝が連署判を据えて河上山城守守家へ渡したもので、真本は家蔵と注記し、この年十一月に建竜雲寺が建立されたかとの傍注も付す。

登場人物
平田右馬助兼宗、石井丹波守義忠、本田三郎五郎宗親、大寺彦左衛門尉幸朝、河上山城守守家
宛先
河上山城守殿(守家)
キーワード
市来院之内坪付抄、寛正三年卯月十五日、市来院、十五町三段、坪付、末略、平田右馬助兼宗、石井丹波守義忠、本田三郎五郎宗親、大寺彦左衛門尉幸朝、河上山城守守家、連署判、真本家蔵、建竜雲寺、旧記雑録前編二1406号、同文注記
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:2覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某覚書

天保四年、島津久風(但馬)が長く停滞していた御家譜編集を再開させ、得能彦左衛門・有馬休左衛門に編纂を分担させ、平川宗之進らを補助にあてた経過を記す。天保八年には清書十四冊が上覧に供され、寛政三年から文化八年までの草稿十三冊も提出されたが、巡見使などの御用が重なるため編集は暫時猶予された。

登場人物
島津久風、得能彦左衛門、有馬休左衛門、平川宗之進、築原善助、相良甚太夫、種子島六郎、黒田輪君丞、田原仲之丞、江田五郎左衛門
宛先
宛先なし(覚書)
キーワード
島津久風、得能彦左衛門、御家譜編集、御記録奉行、清書十四冊、草稿十三冊、天保年間、編纂事業
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 287書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

川上久国書状

川上久国が岩切六右衛門尉信尭・川上彦左衛門尉久康へ、有馬宛ての文箱二つを送るので、その地から早船で一刻も早く送り届けるよう命じた二月二十一日戌刻付の書状。あわせて、黄門様の容体が一大事となったと報じ、次飛脚としている。

登場人物
川上久国
宛先
岩切六右衛門尉信尭、川上彦左衛門尉久康
キーワード
川上久国、岩切六右衛門尉信尭、川上彦左衛門尉久康、二月二十一日、戌刻、有馬、文箱二つ、早船、次飛脚、黄門様、病状
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 311書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某書状

二月二十四日付と目録に載る差出不明の書状。黄門様こと島津家久が病状回復せず、前夜四ツ時ごろ死去したことを川上彦左衛門尉へ知らせ、これに伴い有馬へ早く船を渡すよう求める。本文には複数の欠字があり、月は傍注で「二カ」とされる。

登場人物
某、島津家久
宛先
川上彦左衛門尉(傍注・久康)
キーワード
某書状、二月二十四日、島津家久、前夜四ツ時、死去、有馬、船、川上彦左衛門尉、久康、欠字、二カ
追録2-No.1338連署書状旧記雑録暫定版確認度 中

小坂昌朝外二名連署書状

小坂昌朝ら三名が連署して島津大蔵ら四名へ、領分絵図の控を当地で渡すとの通知を了承し、十二月十一日か十二日頃に受取人を派遣すると答えた書状。絵図役人から受取人へ引き渡すよう頼む。

登場人物
小坂昌朝(六郎左衛門)・隈江五郎左衛門・小田知貞(彦左衛門)
宛先
島津大蔵・島津中務・新納市正・川上式部
キーワード
小坂昌朝、六郎左衛門、隈江五郎左衛門、小田知貞、彦左衛門、島津大蔵、島津中務、新納市正、川上式部、領分絵図、控、十二月十一日、十二月十二日、受取人、絵図役人、元禄十五年十一月二十九日、書状
追録2-No.1343連署書状旧記雑録暫定版確認度 中

小坂昌朝外二名連署書状

小坂昌朝・隈江昌興・小田知貞が島津久明へ、長門守領分絵図控を十二月十一日か十二日頃に渡すとの通知に応じ、受取人の恵利清八を派遣したと回答した。恵利への引渡しを取り計らうよう頼む。

登場人物
小坂昌朝(六郎左衛門)・隈江昌興(五郎左衛門)・小田知貞(彦左衛門)
宛先
島津久明(大蔵)
キーワード
小坂昌朝、六郎左衛門、隈江昌興、五郎左衛門、小田知貞、彦左衛門、島津久明、大蔵、長門守、領分絵図、絵図控、十二月十一日、十二月十二日、恵利清八、受取人、元禄十五年十二月七日、連署書状