某覚書
島津義久代、朝鮮出兵期、島津家久への代替り時、原山御狩時/原整理番号 101
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概要
正本家蔵の上原氏覚書。本名字を伊作田入道甫済と伝え、市来の伊作田名と同所の小原城に由来する名乗りだが、系図がないため何代目から上原を称したかは不明とする。源右衛門の名は三代が相伝し、二代目は国分にいた島津義久へ特に奉公し、平田狩野、のち三原七左衛門・川上彦左衛門・川越三右衛門と兵具方を務めた。朝鮮出兵には義久の側に留め置かれたため出陣加増を得なかったが、家久への代替りに際して墨色の『雨之御旗』を運ぶ使者となり、加増五十石を受け、名寄も残るという。妻は吉田作州の娘で、一人娘が鹿嶋駿河守の妻となったため、弟源六左衛門―源兵衛の子・喜左衛門を兄方の養子とし、現源右衛門の父とした。原山の御狩では、本文に伏字を含む出来事で義久に働きを賞され、鉄砲・銀を拝領し、のち兼光作の長刀も受けたが、喜左衛門の江戸上洛中に二品とも家内から盗み出され、行方不明になったと記す。さらに大隅国曽於郡地頭となり、国中の城下ろしの際に城門道具を与えられた記事へ続くが、末尾は『自是切テ無し』として欠落する。
登場人物
伊作田入道甫済、上原源右衛門(二代目・三代相伝名)、島津義久、平田狩野、三原七左衛門、川上彦左衛門、川越三右衛門、島津家久、吉田作州、鹿嶋駿河守、上原源六左衛門、上原源兵衛、上原喜左衛門
宛先
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キーワード
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冊子頁
257頁
読込量
中
面白さ
★★★☆☆
(2)217~382頁(諸家系図4~5).pdf