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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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47 件 (全巻)/ 1–47件を表示

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後編1-No.600記事確認度 中

殉国名薮

元亀二年の島津方戦死者を日付別に記す。九月二十七日に島津五郎四郎忠俊、十一月二十日に萩原又左衛門・武石見守・和気与左衛門らが戦死したことを掲げる。

登場人物
島津五郎四郎忠俊、萩原又左衛門、武石見守、和気与左衛門ほか
宛先
—
キーワード
殉国名薮、元亀二年、戦死者、島津忠俊、九月二十七日、萩原又左衛門、武石見守、和気与左衛門、十一月二十日、名簿
後編3-No.62文書確認度 高

島津義弘書状

島津義弘が宰相殿へ、高野から下った萩原寺の僧を通じた供養について報じた。賀参・紅生・宗江が志を寄せ、純香一種の到来によって四十九日の法要や法華経頓写などを整えたこと、高野の不慮の火災で先祖の日新・伯囿・妙安の位牌が焼失した一方、一部の位牌は焼失を免れたことを伝える。僧らが金子一枚を志として納めて下向したことに義弘は満足し、宰相殿も同様であろうと述べた書状。

登場人物
島津義弘、宰相殿、萩原寺の僧、賀参、紅生、宗江、日新、伯囿、妙安
宛先
宰相殿
キーワード
島津義弘、宰相殿、萩原寺、高野、僧、賀参、紅生、宗江、四十九日法要、法華経頓写、純香、日新、伯囿、妙安、位牌、火災、金子一枚、供養、書状
後編3-No.671文書確認度 高

島津忠恒宛行状

島津忠恒が右馬頭以久に、種子島の繰替えに対する返地として所領を宛行い、そのうち一千六百八十七石を加増分とする。以後も先例に従い、一千七百石を無役、残る九千九百八十七石を役儀負担として勤めるよう命じる。正文は向島衆萩原右京に伝来したと注記する。

登場人物
島津忠恒、島津以久(右馬頭)、萩原右京
宛先
右馬頭殿
キーワード
島津忠恒宛行状、島津以久、右馬頭、種子島、繰替、返地、加増一千六百八十七石、無役一千七百石、役儀九千九百八十七石、萩原右京
後編4-No.40記事確認度 高

島津常久譜

島津忠恒の上洛に供奉した又吉常久の旅程を記す譜記事。三月二十四日に日置の私宅を発って京泊に着き、二十七日卯刻に出帆、同日晡時に肥前樺島へ到着した。その後、長門・周防を経て安芸へ進み、四月七日には伊予国津和で繋船した。島津忠恒が萩原法師秀玄を使者として、前日上覧に供した子昂(趙孟頫)の真蹟を常久へ返し、法師に酒を強いて酔わせるよう戯れに命じたことまで記している。

登場人物
島津忠恒(後の家久)、又吉常久、萩原法師秀玄、子昂(趙孟頫)
宛先
—
キーワード
島津忠恒、又吉常久、上洛、供奉、日置、京泊、出帆、順風、肥前樺島、長門、周防、安芸、伊予津和、萩原法師秀玄、子昂、趙孟頫、真蹟、返却、酒、旅程、譜記事
附録2-No.286文書確認度 高

島津惟新書状

相手領内の御上が寂しく過ごしていると聞き、自領へ招いて慰め、軽い食事を差し上げたいと申し入れ、紀州とも内々に相談のうえ返事を求めた案文。使者は萩原万吉。

登場人物
島津惟新、伊勢兵部少輔、萩原万吉
宛先
伊勢兵部少輔殿
キーワード
島津惟新、伊勢兵部少輔、萩原万吉、女性、招待、慰問、食事、紀州、案文
追録1-No.758書状旧記雑録暫定版確認度 中

萩原三郎右衛門外二名書状

萩原三郎右衛門らが、阿久根への便船、村内の人員配置、切支丹宗門関係者の吟味・身柄、長崎役所への報告、使者の取扱いについて詳細を伝えた書状。

登場人物
萩原三郎右衛門、喜入五郎兵衛、堀四郎左衛門、鎌田政昭、大村、長崎役人
宛先
喜入五郎兵衛、堀四郎左衛門ほか
キーワード
萩原三郎右衛門、喜入五郎兵衛、堀四郎左衛門、鎌田政昭、阿久根、長崎、切支丹、吟味、使者
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 628-1書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

萩原三郎右衛門書状

萩原三郎右衛門が、大村領矢次村の兵作が長崎酒屋町の利左衛門にキリシタン信仰を勧め、訴えによって大村で多数が捕縛された事件を詳報する。薩摩側から使者を出すべきかを関係者と相談し、海路遠方のため借船で阿久根まで書状を送り、宿次で国元へ届けるよう手配した。編者は『旧記雑録追録一』758号と同一文書と注記する。

登場人物
萩原三郎右衛門
宛先
喜入五郎兵衛、堀四郎左衛門
キーワード
明暦二年十月廿一日、萩原三郎右衛門、大村領矢次村、兵作、長崎酒屋町、利左衛門、キリシタン、捕縛、薩摩、使者、借船、阿久根、宿次、喜入五郎兵衛、堀四郎左衛門、旧記雑録追録一758号
後編1-No.625文書確認度 高

加久藤噯連署差出

元禄十年、記録奉行の求めに応じて加久藤の噯役四人が提出した木崎原合戦由緒書。伊東方が槍掛口から加久藤城へ攻め込み、樺山常陸坊父子と城番衆が戦死したのち、不動寺の僧が鉄砲で米良筑後守を撃って敵陣を崩したとする。島津義弘の木崎原での奮戦、五代勝左衛門による伊東加賀守討取、粥餅田での柚木崎丹後守討取までを伝える。

登場人物
伊地知佐太夫、西国八郎左衛門、白坂勘之丞、萩原惣左衛門、島津義弘、樺山常陸坊、米良筑後守、五代勝左衛門、柚木崎丹後守
宛先
記録奉行市来源右衛門
キーワード
加久藤噯連署差出、元禄十年、木崎原合戦、伊地知佐太夫、加久藤城、樺山常陸坊、不動寺、鉄砲、米良筑後守、五代勝左衛門、由緒書
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID F:209文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

阿多旧簿

鉄炮五人の割当てを記した書付。池田内膳殿に五人、山田主水殿に同数を配し、夫賦や寺・家臣の名を列挙する。寛永十四年十一月十七日付。

登場人物
阿多旧簿、鉄娼五匁池之原伊与守、一同七匁池田内膳、田主水佐殴壱人萩原藤、坂元輿、池田内膳
宛先
捌一鉄娼五匁池之原伊与守、一同七匁池田内膳、主水佐殴壱人萩原藤右衛門、池田内膳
キーワード
阿多旧簿、寺社・宗教
追録7-No.無番号_0044報告書旧記雑録暫定版確認度 高

萩原龍右衛門留守居役首尾書(目録621の3)

犬追物上覧式の旧記があれば書き出すよう、前年12月に井上美濃守から命令があった。当地では分からず国元へ照会し、今回届いたので当日、留守居附役平田次郎八が持参、用人・手又と藏で面会して説明し差し出したと報告する。美濃守は登城中なので帰宅時に申し上げるとの返答を受け、添書写を付して届ける。5月19日萩原龍右衛門署、勘解由宛。命令・照会・提出・受領側の返答を分ける。

登場人物
萩原龍右衛門(留守居役)、井上美濃守、留守居附役平田次郎八、用人、手又、勘解由
宛先
勘解由様
キーワード
井上美濃守命令、国元照会、平田持参、用人手又藏面会、美濃守登城、添書写
追録7-No.636届書旧記雑録暫定版確認度 高

萩原龍右衛門届書(目録636)

豊後守隠居の松平栄翁の妾が病気で療養していたが養生かなわず、今日の寅中刻に死去したことを萩原龍右衛門が届け出る。子共の出生があるため、栄翁は日数3日の遠慮をする旨を申し上げる。十月晦日、松平豊後守内・萩原龍右衛門署名、享和元年の朱注。出典は控、正文在文庫。前635は側室登勢の死去記事だが、本届書の妾名は補わない。

登場人物
松平豊後守、隠居松平栄翁、妾、子共、萩原龍右衛門
宛先
独立宛名なし
キーワード
妾病気・死去、寅中刻、子共出生、三日遠慮、豊後守内、十月晦日
追録7-No.無番号_0083報告書旧記雑録暫定版確認度 高

桑山仲太夫首尾(御暇願と表向伺は不要との回答)

1033の3、手控書1通。隠居者の代から当年は国元御暇の順年に当たるが、御暇を願わなければ御暇は給されないため、表向の伺いを差し出す必要はないという伝達を記す。御用番牧野備前守の用人萩原要人を掲げる。用人からの切紙が到来したので今日、自分が御勝手へ出頭したところ、一昨日差し出した西郷八郎次名の内意書を返され、別紙手控どおりの内容を用人から伝えられた。相応の請けを申し上げ、別紙2通を差し上げると典膳へ報告する。7月廿日、桑山仲太夫、右一冊の表示。前附書の受領・追答予定と今回の回答・内意書返却を分ける。

登場人物
桑山仲太夫、典膳、西郷八郎次、御用番牧野備前守、御用人萩原要人、隠居者
宛先
典膳様
キーワード
1033の三手控一通、御暇願なければ給なし、表向伺不要、牧野用人萩原要人、切紙出頭、二日前八郎次内意書返却、伝達承知、別紙二通差上、七月廿日桑山典膳宛
追録7-No.716達書旧記雑録暫定版確認度 高

幕府老中達書並添書(唐物取締り)(原本・目録716)

白木御文書六番箱96号、松平豊後守へ。唐物は安永8年亥に津口番所の改め等を申し達したが、その後も規定外の唐物が国外へ出る事例が続いたとする。京醒井魚棚下ル町の近江屋新兵衛が出所不正の唐物を薩州から大坂へ持ち登り、国許役人の免切手で改番所を偽って通ったこと、番人の改めが等閑だったこと、切手を出す役人・屋敷でも従前の不行届があったことを挙げ、改めて厳重に取り扱うよう急度命じる。今後同様の件があれば安永の申し達しと引き合わせ、通引合者のみならず次第により掛役人まで吟味して仕置く旨を得意するよう求める。十二月の達書に続く添書は、老中牧野備前守用人萩原要人が、役人の来訪と切紙到着後の手渡しを求め、別紙を用人から受け取り、桜田詰中小姓をもって差し上げた旨を桑山仲太夫が12月12日に勘解由へ報告するもの。勘解由側の追申は使者による受領を了承し、今夜は夜陰のため明朝出会いの用人へ申し達すと返す。包紙は唐物一件、享和4年子2月10日に市正殿から渡されたため白木六番箱へ納めたと記す。旧規則・違反具体例・以後の処分方針と、達書受渡・追申・後日の収蔵を分ける。

登場人物
松平豊後守、京近江屋新兵衛、国許役人、番所番人、切手差出役人、屋敷通引合者、老中牧野備前守、御用人萩原要人、桑山仲太夫、勘解由、桜田詰中小姓、市正
宛先
松平豊後守(達書);勘解由様(桑山添書)
キーワード
唐物、安永八亥津口規則、京都近江屋新兵衛、薩州大坂、免切手偽通、番所改等閑、役人吟味仕置、牧野萩原伝達、桑山勘解由添書、六番箱96
追録7-No.1052記事旧記雑録暫定版確認度 高

家慶・御簾中からの干鯛と樽拝領、斉興の代奉謝礼

同年冬12月4日、家慶が使者松平壱岐守定剛を、御簾中が使者萩原金十郎を芝邸へ遣わし、重豪へそれぞれ干鯛1箱・御樽1荷を賜った。定剛には奏者、金十郎には実名闕・広敷用人との注。斉興が代わって恩旨を奉じ、ただちに老中の各邸へ謝礼した。家慶の婚儀が整ったためこの賜物があったと結ぶ。贈り手二人別の同品・同量を各1として採録し、献上と拝領、重豪の受領と斉興の代奉を分ける。

登場人物
重豪、家慶、御簾中、松平壱岐守定剛(奏者注)、萩原金十郎(実名闕・広敷用人注)、斉興、老中
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜中)
キーワード
十二月四日、家慶御簾中婚儀賜物、定剛奏者、萩原金十郎実名闕広敷用人、芝邸、干鯛各一箱御樽各一荷、重豪拝領、斉興代奉、老中各邸謝礼
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:29文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津龍伯覚書状

六月一日、島津義久(龍伯)が兵庫頭へ送った覚書状。萩原寺が兵庫頭のもとへ赴くと聞き、現地での談合を求める一方、石田殿から直接、諸事を幸侃(町田久倍)が分別するよう命じられているため、別人との談合は不都合だと注意する。幸侃が存松・税所越入を通じ、談議所寺中で捕縛された科人の件を申し出たこと、萩原寺が京都・高麗にも言上したとの風聞を記す。科人勘介については、超雲の女房との密懐を成敗しようとしたところ逃亡し、霧嶋を頼って談議所へ来たとの披露を伝える。萩原寺側から正式に聞いてはいないため処置を差し延べているとして、翌日の来訪後に相談のうえ返答するよう求め、詳細は川東善左衛門尉が述べるとする。末尾に龍伯の花押を据える。

登場人物
島津義久(龍伯)、町田久倍(幸侃)、存松、税所越入、萩原寺、石田殿、長寿、超雲、勘介、霧嶋、川東善左衛門尉(後の北条土佐守時弘)、兵庫頭
宛先
兵庫頭殿
キーワード
島津龍伯覚書状、島津義久、龍伯、兵庫頭、萩原寺、石田殿、町田久倍、幸侃、存松、税所越入、談議所、科人、勘介、超雲、密懐、成敗、霧嶋、京都、高麗、川東善左衛門尉、北条土佐守時弘、談合、返事、花押、六月一日
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:43覚書・伴氏/鹿屋氏の由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

鹿屋忠兼覚書

鹿屋周防入道(忠兼)が、大隅・薩摩・日向の三州に伴氏の流れが分かれた次第を、知る範囲で書き留めた覚書。大伴親王の後胤とする善男大納言が清和天皇の時に流罪となり、その末子兼貞が鵜戸参詣の途上で三俣院を通り、現地の『平たひけん』と仮名書される人物の家に逗留して娘を妻に迎えたという由緒を語る。兼貞の子として太郎肝付・二郎萩原・三郎安楽・四郎和泉・五郎梅北を挙げ、梅北をめぐる伝承、神柱大明神の金銅仏と伊勢の夢想、都城・梅北間の屋形や大堂宮から下された錦幡の伝来を述べる。幡の横幅三尺三寸・長さ一丈二寸五分、竿一丈五尺、幕の白黒の別、妙見を氏神とする記事も記す。年記・宛所はなく、本文末尾に鹿屋周防入道とある。

登場人物
鹿屋周防入道(忠兼)、大伴親王、善男大納言、清和天皇、兼貞、平太ひけん(原文仮名表記)、太郎肝付、二郎萩原、三郎安楽、四郎和泉、五郎梅北
宛先
本文に宛所なし
キーワード
鹿屋忠兼、鹿屋周防入道、伴氏、三州分流、大隅、薩摩、日向、大伴親王、善男大納言、清和天皇、兼貞、鵜戸参詣、三俣院、婿入り、肝付、萩原、安楽、和泉、梅北、神柱大明神、金銅仏、伊勢夢想、錦幡、三尺三寸、一丈二寸五分、妙見氏神
追録4-No.2459連署消息旧記雑録暫定版確認度 中

大守の用向きと長閑の報告に対する奥向の返書

奥向の豊岡らが松平上総入道吉貴へ返す連署の消息。吉貴からの文を喜び、大守の用向きや家中の様子を聞いて安堵したと述べる。今後も用件や近況を知らせてほしいと頼み、相手の健康と年中の無事を祈る。利根姫の訃報や儀礼ではなく、近況報告への返答。

登場人物
豊岡、梅その、まつ嶋、山の井、うら尾、せかわ、たきつ、さゑた、藤え、岡田、萩原
宛先
松平上総入道(島津吉貴)
キーワード
島津吉貴、松平上総入道、豊岡、梅その、まつ嶋、山の井、藤え、岡田、萩原、奥向、連署消息
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:21系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓萩原家来歴

伴姓萩原家の祖系と下向由緒を記す導入系図。天智天皇について、推古三十五年誕生、舒明天皇の皇子・中大兄皇子、母は皇極天皇、即位・崩御・近江志賀大津宮・大安寺造営・藤原鎌足薨去などを記し、大友皇子と斯喜王子から光仁・桓武・嵯峨・光孝・宇多・醍醐の諸帝へ系線を引く。別伝として伊賀皇子、黒主王、葛野皇子・池辺王・小野祖、与多麿らを掲げ、大伴氏・伴氏の起源を説く。後半は伴宿禰以下、主麿・兼俊・兼行らの系譜を配し、兼行が安和元年に薩摩国守護を賜り、翌年鹿児島郡へ下向して神食江四十町に屋形を築き『伴様御館』と称したこと、村上天皇の勅命で舞鶴紋を賜ったこと、永観二年に大隅国肝属郡高山庄本城へ移ったことを記す。末尾は安楽豊前守・彦四郎の安楽庄受領へ続く。

登場人物
天智天皇(中大兄皇子)、舒明天皇、皇極天皇、藤原鎌足、大友皇子、斯喜王子、光仁天皇、桓武天皇、嵯峨天皇、光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇、伊賀皇子、黒主王、葛野皇子、池辺王、小野祖、与多麿、都井麿、夜須良麿、伴宿禰、義比少将、主麿(鶴若丸・新太夫)、兼俊、兼行(兼家・童太夫判官)、安楽豊前守、彦四郎
宛先
—
キーワード
伴姓萩原家来歴、天智天皇、中大兄皇子、大友皇子、大伴氏、伴氏、伊賀皇子、黒主王、与多麿、伴宿禰、兼行、薩摩国守護、安和元年、鹿児島郡下向、神食江四十町、伴様御館、舞鶴紋、村上天皇、永観二年、高山庄本城、安楽庄、系図、祖系、下向由緒
追録5-No.1614書状旧記雑録暫定版確認度 高

義岡久仲外二名在府家老連署書状

義岡相馬・嶋津主鈴・伊集院十藏が六月十三日、嶋津主殿・鎌田典膳へ、重年の病状届と嫡子又三郎の跡式願の取次を急報する。容体は前日と同じながら草臥れが増して重くなったため、御用番酒井左衛門尉へ重病の届書を出し、一類への相談では異存のない返答を受け、堀田相模守へ隠岐守を通じて内談し、治定すれば嫡子の届書を出すよう指示された経過を記す。当夜は相模守との相談を踏まえ、萩原・岡田を介し淡路守が病状届を酒井へ出して受け取られ、跡式の御書付と別紙三通一結は御用人小笠原縫殿助を介して淡路守のもとへ出し、これも受け取られたと報告する。通融の方々や隣国長崎への通知は先例を相談して扱うよう求め、急飛脚を差し立てるので隅州・女中方へ伝えるよう依頼し、病勢を案じつつ別紙三通と留守居首尾書一通を添える。

登場人物
義岡相馬・嶋津主鈴・伊集院十藏(本文署名)・嶋津主殿・鎌田典膳・重年(太守)・嫡子又三郎・継豊(隅州)・女中方・酒井左衛門尉・堀田相模守・松平隠岐守・嶋津淡路守・萩原・岡田・小笠原縫殿助
宛先
嶋津主殿・鎌田典膳
キーワード
重年病状届、跡式願、一類相談、堀田取次、急飛脚、隣国長崎通知
追録6-No.1003書状旧記雑録暫定版確認度 中

小松帯刀・山岡斎宮書状―守殿借地拝領と御礼・祝儀・通知の三条

小松帯刀・山岡斎宮から五名へ送った三ヶ条の書状。御守殿の借地千五百五十坪余を直接太守の「御拝借地」としたいと、浄岸院が以前から別紙のとおり願っていたところ、去る十五日の月次登城の際、用番松平右近将監に用事があり、出仕後に居残るよう大目付萩原主水正・目付柘植三蔵から知らされた。白書院の縁頬で、右近将監が書付によって願いのとおりの指図を伝えたので御礼を申し上げ、そのまま西丸へ登城した。月次の祝儀には及ばず、拝領地の礼を奏者へ述べ、老中を廻勤、若年寄には番頭を使者として礼を伝え、側衆には表方の知らせ等を手配した。これに関連して、太守・御前から公方・大納言へ内証の御勤を済ませ、拝領地の引渡しのため去る十七日に普請奉行久松筑前守の下奉行・付役等が出向き、滞りなく引渡しを終えたので使者による挨拶もした。第二条は、拝領当日に太守・御前へ出る者は祝儀を申し上げ、役人は家老へ謁し、諸士は御帳に記して祝儀を申し上げること、その他の祝詞を相談して首尾よく扱うことを述べる。第三条は享保十四年の添屋敷拝領に際して京都・大坂の役場や長崎へ知らせた筋書が残るものの、今度はその通知に及ばず、隣国への知らせは相談することを述べる。屋敷拝領を喜ぶ旨を伝え、女中へ申し上げるよう求め、別紙の写しを添えて送ると結ぶ。末尾は三月四日、小松帯刀・山岡斎宮の連署で、朱に安永二年。

登場人物
小松帯刀(目録清香)、山岡斎宮(目録久登)、太守、御前、浄岸院、松平右近将監、大目付萩原主水正、目付柘植三蔵、久松筑前守、御普請方下御奉行、女中、家老・役人・諸士
宛先
嶋津左中殿・樺山左京殿・喜入主馬殿・川田伊織殿・嶋津仲殿
キーワード
借地拝領、登城・居残、指図、御礼・引渡、祝儀、通知旧例
追録7-No.無番号_0046書状旧記雑録暫定版確認度 高

記録奉行覚書(目録621の5)

別冊の通り享和元年7月16日に月番市正から直に渡され、当座で写して川上十郎左衛門へ渡す旨を本田孫九郎が承知、写1冊を作り同月晦日に孫九郎から十郎左衛門へ渡したとの覚書。続く7月29日御記録奉行署の送付書は、公儀へ提出した家伝犬追物上覧式の控え、平田次郎八添書、萩原龍右衛門首尾書、大炊の書付写を、後年の見合せ用に自分方で写して渡すと記す。指示日・送付書日・実際受渡日と四資料の写を分ける。

登場人物
月番市正、本田孫九郎、川上十郎左衛門、御記録奉行、平田次郎八、萩原龍右衛門、大炊
宛先
川上十郎左衛門殿(送付書)
キーワード
七月16・29・晦日、当座写一冊、孫九郎から十郎左衛門、四資料控、後年見合
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 747-5人数差出・寺領衆自力出陣旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

有馬陣立人数差出

加久藤の検地寺領衆と一向宗寺領衆が自力で有馬へ出陣した名簿・日数差出。萩原藤介以下を帰還日別に列記し、正月十六日から二月八日・十八日・十九日、三月八日までの日数を計上する。寛永十八年二月十二日付、伊地知・谷口連署。後半には「合4人・一人53日」に対し「合106日」と記すなど、人数と延べ日数が一致しない箇所があるため原記載を保持する。

登場人物
萩原藤介 次左衛門 大川豊前守 井上弥左衛門 白坂左京亮 加右衛門 西田大蔵正 与八 井上帯刀長 万右衛門 赤川兵左衛門 八左衛門 中村丹波守 池田八千左衛門 薗田市右衛門 源右衛門 藤右衛門 内田大学介 久米万左衛門 谷口次郎左衛門 伊地知弥右衛門
宛先
なし(人数差出)
キーワード
有馬立 検地寺領 一向宗寺領 自力出陣 日数差出
追録5-No.1708消息旧記雑録暫定版確認度 高

松しま消息

松しまが萩原らへ、挨拶と取次への謝意を述べ、長寿を祝って今後もよく世話をするよう伝える。上様方と竹姫の機嫌がよいことを喜び、一ツ橋の姫との縁談がいよいよ進み、刑部卿が一ツ橋へ申し上げて喜ばれたと知らせる。内々の用件として、自分へ返答をもらい、御礼や次の指示を早く申し上げるよう頼む。昨日も折よく会ったとして、祝意を重ねて結ぶ。

登場人物
松しま
宛先
萩原ら
キーワード
長寿祝賀、一ツ橋、縁談、内々取次
追録8-No.779-1会津方面の戦死・負傷後死亡名簿と仮葬・遺髪送付・葬式料の報告旧記雑録暫定版確認度 中

会津戦の死亡者名簿を掲げ、仮葬と遺髪送付・親類への引渡を報じる

雑録中。会津攻撃に関わる死者を所属隊別に列記し、八月二十三日・二十六日・九月十五日の戦死、深手を負って三春病院等で死亡した者、八月二十日・二十一日の戦死を区別する。六番隊五人のうち川上彦八郎・園田勇吉・中嶋岩次郎は砲戦が激しく遺骸引揚ができていないとし、米良仲之丞・猪保壮七郎は八月二十三日戦死、藤崎勇藏は深手の後二十九日に会津城下の病院で死亡したと記す。「十七人」を会津城下明寺院に仮葬したとの記載を掲げ、後段の九人では七人が深手の後に死亡し、残る二人は戦死とまとめ、内龍穩院に葬ったとする。各人の遺髪は十九日出立の山下七郎に託して国許へ送り、到着後に親類へ渡し、先規の葬式料も処置するよう求める。九月十九日、会津在陣本営から御国許陸軍所・京都本営役所宛。戦死・負傷後死亡、遺骸未収容、仮葬、送付済みと到着後の指示を分けて記す。

登場人物
会津在陣本営、横濱病院掛見聞役山下七郎、親類、萩原郷之丞・松崎壮八・加藤郷兵衛・奈良原彌六左衛門・上原正八郎・藤井才之助・川上彦八郎・園田勇吉・中嶋岩次郎・米良仲之丞・猪保壮七郎・藤崎勇藏・西田藤助・田村小太郎・脇岡藤八・丸田喜右衛門・川上八郎左衛門・山元仲助(末報山本中助)・山之内次郎・竹内正助・山口彦八・諏訪次郎右衛門・川上四郎次・加藤次左衛門・伊佐敷金之進・木原藤一郎
宛先
御国許陸軍所、京都本営役所
キーワード
原779の1雑録会津隊別名簿八月廿三廿六九月十五戦死彦八郎勇吉岩次郎遺骸引揚未調藤崎勇藏深手廿九病院死十七人明寺院仮葬九人七深手後死二戦死三春病院内龍穩院九月十九山下七郎遺髪送国許親類引渡葬式料先規本営陸軍所京都
追録8-No.780会津進撃の戦死・手負名簿と京都本営の戦死手負書等送状旧記雑録暫定版確認度 中

会津の戦死・負傷と病院死を隊別に掲げ、国許へ書冊等を送る

雑録中の会津進撃に関する隊別死亡・負傷名簿と、京都本営の送状。九番・十一番・十二番隊等の戦死者を掲げ、十二番隊では三春の村人や庄屋支配下の者も含め、即死・戦死を記す。諸隊の死者には手負の後に三春病院で死亡した者があり、続く手負人数では深手・浅手・薄手と、負傷した日・場所を区別する。田村小太郎、伊佐敷金之進、加藤郷兵衛、上原正八郎らのほか、道案内、隊付夫卒、地元村人などを列記する。原文内の異日付や前の名簿との異同は残し、同名を別人として合算しない。末尾の十月四日京都本営送状は、戦死手負書一冊・降伏状一帖・問合二通を掲げ、去る九月二十二日に会津へ進撃して終に降伏したとの報知を述べる。通行允許を携えて到京した日須峯敬二郎ほか一人に封書を託して国許へ送り、披露等を取り計らうよう御国許陸軍所へ依頼する。死亡・負傷の区分と送付の叙述は各名簿・送状に帰属させる。

登場人物
京都本営、御国許陸軍所、各隊兵士・隊付夫卒・道案内・村民等、伊佐敷金之進・田村小太郎・肱岡藤八・小左衛門・富次・藤右衛門・勝三郎・林太郎・藤助・傳藏・木幡孝之介・福留嘉右衛門・加藤郷兵衛・加藤次左衛門・上原正八郎・川上彦八郎・園田勇吉・中嶋岩次郎・松藏・米良仲之丞・猪保壮七郎・川崎休右衛門・萩原強之丞・松崎壮八・喜之助・山本中助・竹内正介・藤四郎・山口彦八・西田藤助・諏訪次郎右衛門・川上四郎次・半右衛門・丸田喜右衛門・山之内次郎・榮藏・木原藤一郎・奈良原彌六左衛門・岩右衛門・米良清之介・吉井七之丞・川上嘉次郎・源八・西佐一郎・松元彦十郎・松太郎・佐々木清藏・種子嶋宗之丞・仲助・喜助・仲藏・市之丞・大脇源左衛門・益山次左衛門・清次郎・長藏・村山源左衛門・甚太・郡山甚後左衛門・山形龍次郎・向井納四郎・肥田軍右衛門・豊丸與藤次・武郷兵衛・簗瀬源次郎・村岡源助・毛利權之丞・筒井清五郎・左近允新六・川崎仲之丞・蒲生彦四郎・榎本源次郎・市来宗次郎・福島良介・讃良竹五郎・市成彦右衛門・金助・民助・加治木彦太郎・二階堂彦太郎・松田健四郎・竹内惣七・大山彌介・新納壮右衛門・木藤吉左衛門・小次郎・藤崎勇藏・山田直四郎・小出健齋・岩松喜介・白濱助之進・奥書輔・松方長作・飯牟禮休左衛門・梅北八郎右衛門・淵邊彦二・竹山藤右衛門・藤崎清之丞・和田乘太郎・廻新次郎・仁助・汾陽直次郎・肥後平八・梅北伊八郎・東郷已之助・谷村孫七・土師孫一・大山十郎次・淺田政次郎・川上源七郎・平田九十郎・有馬七郎左衛門・山口直右衛門・古川源助・川南東右衛門・種子嶋宇左衛門・畠山源七・桐野藤太郎・柏原吉左衛門・石原七郎太・曾木彦二・伊助・勘太郎・日須峯敬二郎
宛先
御国許陸軍所(十月4日京都本営送状)
キーワード
原780雑録会津進撃戦死人手負人数隊別即死戦死深手後三春病院死現地夫卒村民案内深手浅手薄手加藤郷兵衛九月廿四十四誤注九月二十二会津進撃降伏報知戦死手負一冊降伏状一帖問合二通日須峯敬二郎外壹人京着通行允許封送披露十月四京都本営国許陸軍所
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 325軍役夫賦・鉄砲配当簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

阿多旧簿

阿多地域で島原出兵に備え、池之原伊与守・山田主水らへ配当する五匁・七匁鉄砲と人夫を列記した軍役簿である。武士だけでなく寺僧を含む人員を書き上げ、十一月十七日付で編成を確定する。

登場人物
池之原伊与守、山田主水、萩原藤右衛門、池田内膳、正覚寺僧
宛先
池之原伊与守・山田主水ほか
キーワード
阿多旧簿、鉄砲、五匁、七匁、夫賦、軍役
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 659人数賦・馬関田衆の島原出陣名簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

馬関田衆中島原立人数賦

肥前国島原へ出立する馬関田衆の人名と若党・小者を列記し、合計十三人とした人数賦。

登場人物
斎藤五兵衛 野村三郎兵衛 高牟礼甚右衛門 白坂慶右衛門 萩原源右衛門
宛先
なし(人数賦)
キーワード
馬関田衆中島原立人数賦 寛永十五年正月十一日 肥前 島原 十三人
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 759指出・加久藤衆の人数と飯米旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原立人数差出

加久藤衆の島原立人数として人躰五十人、内衆四十二人等を記し、残る二十九人を伊地知弥右衛門ら十一名の人数に分けて列記する。十七日夜に米津へ到着したので飯米を引き渡してほしいと求める。伊地知杢右衛門尉から村田郷左衛門尉・猪俣猪右衛門尉宛。副本は加久藤地頭役屋に所在すると注記する。

登場人物
伊地知杢右衛門尉 村田郷左衛門尉 猪俣猪右衛門尉 伊地知弥右衛門尉 西田和泉守 河野与右衛門尉 宮内右兵衛尉 谷口弥兵衛尉 前田内蔵助 東郷作左衛門尉 瀬戸山摂津介 前田彦左衛門尉 宮竹越右衛門尉 萩原甚介
宛先
村田郷左衛門尉 猪俣猪右衛門尉
キーワード
加久藤衆 島原立 人数差出 米津 飯米 副本
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 779人数差出留・正月十八日前後の着津軍勢旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

正月十八日を中心に、米之津へ参着した各郷の人躰・卒者・夫丸と、主だった者が連れた人数を記す。恒吉・日当山・飯野・曽木・加久藤・須木・馬関田・踊・高原・出水・山之口・小林・諏訪神・曽於郡・野尻・真幸吉田・志布志・清水・蒲生・百引・庄内高城・東郷・高岡・高山・横川・穆佐・串良・垂水・伊集院などを列記し、十日または二十日分の飯米支給を注す。高山の名簿に載る以益について白坂氏譜を引いて帰還時期を考証し、兵糧不足による減員帰還と読む。末尾は十九日条への分載と十八日着津者の補記。

登場人物
村田市助 遠屋弥吉 横山弥兵衛 山下傳次郎 肥後民部左衛門 肥田木勘左衛門 大川平久兵衛 池田傳右衛門 児玉才兵衛 伊地知助兵衛 荒武藤兵衛 野田狩野介 須宗兵衛 浅稲二兵衛 本田雅楽助 加藤七右衛門 堀七左衛門 黒木惣左衛門 隈元隼人 崎山了兵衛 窪田新左衛門 伊地知杢右衛門 伊地知弥右衛門 西田和泉介 宮竹越右衛門 萩原甚介 馬関田衆 権屋飛驒守 野村三郎兵衛 斎藤五兵衛 平山仲兵衛 津曲幸右衛門 指宿内蔵助忠易 同盛左衛門忠能 伊集院久右衛門 北原雅楽助 松元彦左衛門 押川新左衛門 大脇民部左衛門 本田甚吉 稲留喜左衛門 堺田五兵衛 九市左衛門宗方 田原彦左衛門 川畑平右衛門 高橋平右衛門 濱田右京 松下源五左衛門 堅持駿右衛門 新南市左衛門 肥田木備後守 根占久兵衛 本田次郎兵衛 米良豊前守 海江田十兵衛 日高小平次 大迫弥兵衛 柏原久次郎 白坂大学坊篤辰以益 稲留与兵衛 山下傳右衛門 児玉千右衛門 下村主計助 加塩監物 津曲二右衛門 酒匂新左衛門 四位大蔵 中村主膳正 奥郷兵衛 中村正兵衛 町田安房介 川上主殿助 伊集院藤左衛門 三原左衛門佐 田中善兵衛 ほか各郷衆・卒者・夫丸
宛先
なし(人数留)
キーワード
島原軍衆 人数差出留 米之津 着津 人躰 卒者 夫丸 飯米 各郷 減員帰還
後編1-No.424文書確認度 高

島津義久書判坪付

霧島社領として寄進した大隅国曽於郡坂上之門の田地を列挙した坪付。岩尾田・池田・松之木田・田中田・萩原などの各筆と面積を記し、島津義久が書判を据える。

登場人物
島津義久、霧島社
宛先
霧島社
キーワード
島津義久書判坪付、永禄十一年、霧島社領、大隅国、曽於郡、坂上之門、岩尾田、池田、松之木田、田中田、萩原、田地
後編1-No.549文書確認度 中

島津氏老臣連署坪付

北辰大明神領として、大隅国曽於郡郡田名萩原門内の田地を記した老臣連署坪付。寺前の三反のうちに含まれる土地であると注記する。

登場人物
喜入季久、村田経定、平田昌宗、伊集院忠金、川上意釣
宛先
北辰大明神
キーワード
島津氏老臣連署坪付、永禄十三年、北辰大明神領、大隅国、曽於郡、郡田名、萩原門、寺前、三反、老臣連署
後編1-No.910文書確認度 高

島津氏老臣連署坪付

戸柱大明神へ、薩摩国鹿児島内萩原名の原田源左衛門先三反を寄進した坪付。島津氏老臣五名が連署する。

登場人物
伊集院忠棟、村田経定、平田光宗、川上意釣、喜入季久、原田源左衛門
宛先
戸柱大明神
キーワード
島津氏老臣連署坪付、戸柱大明神、鹿児島、萩原名、原田源左衛門先、三反、伊集院忠棟、喜入季久
後編3-No.1910文書確認度 高

島津龍伯義久詠草

島津龍伯義久の詠草。慶長九年二月二十二日に鹿児島護摩所で、家桜や春を題材とする歌、神への法楽として小萩原などを詠んだ歌を記す。

登場人物
島津義久(龍伯)
宛先
(島津龍伯義久詠草)
キーワード
島津龍伯義久詠草、慶長九年二月二十二日、島津義久、龍伯、鹿児島護摩所、和歌、家桜、春、法楽、小萩原、神詠
追録4-No.2580連署消息旧記雑録暫定版確認度 中

吉貴が新年の祝意と家中への配慮を伝える書状

吉貴公の譜に収める延享四年正月二日付の書状。年が明けた祝いを述べ、寒さの中でも相手が健やかであることを喜ぶ。菊姫にもよろしく伝えるよう求め、年始の祝いが届いたことに謝意を示す。家中の者や御機嫌を気に掛けつつ、今年も身辺のことを知らせ、支障なく過ごすようにと記す私信。宛名には萩原・岡田らを挙げる。

登場人物
荻原、岡田ほか、島津吉貴
宛先
島津家
キーワード
島津吉貴、延享四年、正月二日、年始挨拶、菊姫、萩原、岡田、家中、私信
追録5-No.1706家老連署書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久馬外二名家老連署書状

島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳が九月六日、島津主鈴・伊集院十蔵へ、忠洪と刑部卿の姫保姫との縁組について相談する。菊姫と御守殿の意向を萩原から承知し、相馬の出立時に菊姫からも聞いているため、到着後に同席して相談し、その経過を継豊へ伝えるよう求める。近年の物入りで所帯が続き難く婚礼の手配も幼少の忠洪にはすぐ整えられないが、刑部卿方との合意後、時期を待たず早く縁組を取り組めるかを照会する。御守殿から忠洪・継豊への内々の通用と忠洪の意向を確かめ、当面の通用を控えること、菊姫から御守殿へ継豊の意向を伝えること、菊姫との内約の段取りも相談し、忠洪がまだ知らなければ申し上げて意向を聞くよう頼む。

登場人物
島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳(本文署名)
宛先
島津主鈴・伊集院十蔵
キーワード
保姫縁組、菊姫、御守殿、萩原、所帯、婚礼手配、内々通用、忠洪意向
追録5-No.1764家老連署書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久亮外四名在国家老連署書状

島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳・高橋縫殿が十二月十五日、江戸二家老へ太守の縁談について連絡する。継豊の意向を求原とのに伝え、御守殿の同意を松島への書状で知らせた経過を承知し、御守殿の年寄や若御年寄、御部屋の年寄、御女中から御目付以下へも同じ内容を伝えるよう求める。継豊の喜びと婚礼・御地の相談は、刑部卿側からの御礼や挨拶に応じ、萩原を通じて各方へ伝えるよう述べ、菊姫から継豊への挨拶も取り次ぐよう依頼する。相馬が萩原の意向を承知し、縁談が成り合うよう相談して御請・御礼を整えることを求め、松島の書状は留め置いたと答える。

登場人物
島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳・高橋縫殿
宛先
島津主鈴・伊集院十蔵
キーワード
太守縁談、御守殿、松島、刑部卿、萩原、相馬、菊姫、御請御礼
附録2-No.883文書確認度 高

島津家久書状

毎年の例により八月二十五日に萩原天神で法楽連歌があるため、萩を題とする発句を書き送り、遠慮なく意見を述べ、皆で入念に見分して良ければ点を付けるよう求めた島津家久書状。

登場人物
島津家久、喜入久正、猿渡氏
宛先
喜入久正
キーワード
島津家久、喜入久正、萩原天神、法楽連歌、発句、萩、点者
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 265-2覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

某覚書

前文で有馬から帰された加久藤衆十二人の覚書。長山仲右衛門、赤川喜早兵衛内、前田内蔵内、萩原甚介内、萩原藤介、内田大学介、園田市右衛門、池田八千左衛門、久米万らの所属・人名を列記し、自力立の者も示す。

登場人物
加久藤衆十二人
宛先
宛先なし(帰還者覚書)
キーワード
加久藤衆、十二人、長山仲右衛門、赤川喜早兵衛、前田内蔵、萩原甚介、萩原藤介、内田大学介、園田市右衛門、池田八千左衛門、久米万、自力立、人名覚
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:21-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

神名書上

冒頭に大原・平野・住吉三社を御姓神として本地仏と祖先下向以来の守護祈願を掲げ、兼経以下の肝付・萩原諸流を展開する神名書上兼系図。中世部では兼元の応永十七年島津元久上洛供奉・足利義持拝謁・河内守任官・加治木陣没、萩原城・萩原館・萩原庄主、高崇寺・帝釈寺などを記す。近世部では兼隆・兼義の川辺から加世田への移住と島津忠良への奉公、島津義弘の飯野移住への供奉・七十三石拝領、兼通の飯野から出水・軸谷外城への移住と物主役、禁制宗旨を理由とする宝暦五年の出水から高山への移住を述べる。末尾は高山新留村・下之門・宮下村の居住を経て、甚五左衛門が寛政十年十一月十三日に三十四歳で高山を出奔し、家系が断絶したことを記す。

登場人物
兼経、成真、成直、兼綱、兼益、兼貞、兼友、兼石、兼光、兼吉、兼貴、兼忠、兼廣、兼行、信兼、兼豊、兼藤、兼市、兼孝、兼保、兼成、兼重、兼尚、秋兼、兼朝、兼氏、兼元、島津元久、足利義持、兼春、兼俊、兼久、兼国、兼村、兼永、兼胤、兼武、兼清、兼理、兼長、兼綿、兼真、兼範、兼良、兼延、兼康、兼伴、兼家、兼隆、兼義、島津忠良、島津義弘、兼寛、兼通、兼寿、兼孫、兼亮、兼英、甚五左衛門
宛先
—
キーワード
神名書上、大原大明神、平野大明神、住吉大明神、本地仏、伴姓萩原氏、肝付氏、系図、兼経、兼元、島津元久、足利義持、上洛、河内守、加治木陣、萩原城、萩原館、萩原庄、高崇寺、帝釈寺、川辺庄、加世田、島津忠良、島津義弘、飯野、七十三石、出水、軸谷外城、物主役、禁制宗旨、宝暦五年、高山、新留村、下之門、宮下村、寛政十年、出奔、断絶
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏庶流系図

舒明天皇・天智天皇・大友皇子を起点に伴姓の祖系を示し、兼経・兼益以下の肝付氏と庶流を配する系図。萩原・救仁郷・安楽・検見崎・北原・和泉・岸良・野崎・川南・鹿屋・小野口・山下など各氏の分出を明記する。兼尚が鎌倉在府中、兼重が留守・番代を務め、その子秋兼が兼尚の養子となって嫡家を相続した経緯を載せる。後段では兼続(法号省釣)の永正八年誕生、永禄五年の松山・志布志知行、永禄九年十一月十五日の志布志での死去、良兼・兼勝・兼樹・兼包・兼政らの続柄を記す。兼政は早世した良兼の娘を妻として嫡家を相続し、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原で戦死したとし、兼元の島津元久上京供奉や兼忠の頴娃拝領にも触れる。

登場人物
舒明天皇、天智天皇、大友皇子、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、行貞、兼貞、兼俊、兼経、兼益、兼員、兼任、兼綱、貞、兼友、兼幸、行俊、兼藤、兼尚、兼重、秋兼、兼光、兼廣、宗兼、信兼、兼氏、兼朝、久兼、兼政、兼続、良兼、兼勝、兼樹、兼包、兼元、兼忠、島津元久、島津久豊、島津忠朝、伊東義祐
宛先
—
キーワード
伴姓肝付氏庶流系図、天智天皇、大友皇子、伴姓、肝付氏、萩原氏、救仁郷氏、安楽氏、検見崎氏、北原氏、和泉氏、岸良氏、野崎氏、川南氏、鹿屋氏、小野口氏、山下氏、兼尚、秋兼、養子、嫡家相続、兼続、省釣、松山、志布志、兼政、慶長五年、関ヶ原合戦、戦死、島津元久、上京供奉、頴娃、系図、庶流
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:63系図・伴姓鹿屋氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伴姓鹿屋氏系図

天智天皇・大友親王から伴姓の善名・善男を経て鹿屋氏に至る系線を掲げ、兼俊を肝付城高山の領主、兼任を萩原、俊貞を安楽、行俊を和泉、兼高を梅北とする諸分流を図示する。宗兼が父兼石から鹿屋院の弁済使職を譲られ、鹿屋を家号としたという名字の由来が中心記事で、日州三俣院の領主領阿との関係も記す。永和の乱に宮方へ属した兼永と高城での戦死、兼雄の鹿屋院長谷山城での戦闘、忠兼の島津元久の家老職、兼好の加治木・千本方面での軍功、幼い兼健が伯父兼直の養子となり平田兼宗の口添えなどを経て高隈を領した経緯を添える。弘治2年8月17日の日州国合原の北郷氏・肝付氏戦では肝付氏に加勢した兼豊が戦死し、幼い兼清は鹿屋を離れて日州志布志に住んだことも記載する。後半は日州・隅州の地頭職、改名・法名、婚姻・養子と各家への分岐を追い、元禄・正徳・享保・宝暦・安永期の出生・死亡・居所まで記す。系図中の古い祖系・軍歴は本文に記された家伝として扱い、文書全体の成立年とは区別する。

登場人物
天智天皇、大友親王、善名、善男、兼俊、兼任、俊貞、行俊、兼高、兼石、宗兼、兼永、兼雄、忠兼、兼好、兼賢、兼健、兼幸、兼豊、兼清、兼方、兼治、兼明、兼次、兼平、兼澄、兼庸ほか鹿屋氏諸流
宛先
なし(系図)
キーワード
伴姓鹿屋氏系図、天智天皇、大友親王、善名、善男、兼俊、肝付城高山、萩原、安楽、和泉、梅北、宗兼、鹿屋院弁済使職、鹿屋家号、領阿、三俣院、永和の乱、宮方、高城、兼雄、長谷山城、忠兼、島津元久家老、兼好、加治木、千本、兼健、兼直、平田兼宗、高隈、弘治2年8月17日、国合原、北郷氏、肝付氏、兼豊戦死、兼清、志布志、地頭職、養子、婚姻、近世家系
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w09:45萩原甚右衛門の宗門嫌疑に関する証状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

白坂篤林外二名連署証状

萩原甚右衛門の名子の母が差し出した一向宗本尊は、一時永山村の市右衛門に預けられていたものと説明する。甚右衛門自身は宗門の行いをしていないと弁じる。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
萩原甚右衛門、名子の母、永山村、市右衛門、一向宗本尊、証状
旧記雑録拾遺 著作史料集7-文書ID w09:49一向宗本尊の預け主への科銀に関する書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

喜入久守外二名連署廻状

永山村の市右衛門が萩原甚右衛門の名子の母の一向宗本尊を預かった件について、前の利銀は母方に科し、今回は預け主にも科銀を命じたと報告する。

登場人物
本文記載人物(詳細は本文画像参照)
宛先
―
キーワード
永山村、市右衛門、萩原甚右衛門、名子の母、一向宗本尊、科銀
前編1-No.1767記事確認度 高

肝付兼重譜

建武三年正月、肝付兼重・兼重子金童丸・萩原太郎兵衛尉兼重らが佐城・慈円城・池内城周辺で伊東方と戦った経過を記す肝付兼重譜。宣栄の攻撃、城郭慈円・猪見城の焼討ち、敵の追落し、池内城への帰陣までを日付順に記す。

登場人物
肝付兼重・土持宣栄・伊東氏・島津氏関係者
宛先
日向国池内城・慈円城
キーワード
肝付兼重譜、肝付兼重、金童丸、佐城、慈円城、池内城、猪見城、宣栄、焼討ち、追撃
追録2-No.2931連署証状・目録旧記雑録暫定版確認度 低

南泉院寄附地五百石の村別内訳を示す連署証状

肝付主殿ら四名が南泉院権僧正智周へ、東照宮再興と南泉院修造のため吉貴が寄附した計五百石の内訳を示す。下伊敷村の萩原門・福地門・米蔵門など、平松村の追屋敷・折口門・曲迫門・深田屋敷などを門・屋敷ごとの石高まで列記し、修造所の寄附を確実に伝える。

登場人物
肝付主殿兼柄・種子島蔵人久時・島津帯刀仲休・島津将監久當
宛先
南泉院権僧正智周
キーワード
肝付主殿、種子島蔵人、島津帯刀、島津将監、南泉院、智周、下伊敷村、平松村、五百石、門、屋敷、連署証状・目録
追録5-No.1707家老連署返書旧記雑録暫定版確認度 高

島津久郷・伊集院久東家老連署返書

島津主鈴・伊集院十蔵が十月十三日、島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳の縁組相談に朱書で返答する。忠洪へ継豊の意向を萩原から伝え、姫君も同意したと記し、松嶋から届いた内々の伝言を取り次いだ一方、当面の通用は控え、御守殿は若年寄以上にのみ知らせ、そのほかへは漏らさないよう手配したと答える。菊姫への伝達後、刑部卿方の手配と、幼年の忠洪について一ツ橋へ内々に申し上げる件を松嶋から承知したが、まだ返答はないと記し、御礼や継豊の挨拶についても松嶋へ内々に頼んだと知らせる。忠洪・継豊双方の意向は役人から申し越すよう伝え、菊姫から御守殿への世話を願い、松嶋の書状を別紙に写して送ると結ぶ。

登場人物
島津久郷・伊集院久東(目録。朱返答に独立署名なし)
宛先
島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳(主書への応答先。朱返答に独立宛名なし)
キーワード
姫君同意、松嶋伝言、通用控え、伝達範囲、一ツ橋内談、返答未着、書状写