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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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42 件 (全巻)/ 1–42件を表示

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後編1-No.199記録確認度 高

殉国名薮

永禄五年の郡山および六月三日の横川城合戦などで戦死した島津方の武士を列挙する殉国名簿。尾辻佐左衛門尉、貴島図書助をはじめ各地の従軍者名を伝える。

登場人物
尾辻佐左衛門尉、貴島図書助、新納越後守ほか永禄五年戦死者
宛先
—
キーワード
殉国名薮、永禄五年、郡山、横川城合戦、尾辻佐左衛門尉、貴島図書助、戦死者名簿
後編1-No.200記録確認度 高

瀬戸口伊豆入道覚書

飫肥を伊東氏へ、志布志を肝付氏へ渡して福島へ退いた島津忠親が、永禄五年九月十七日夜に飫肥城へ忍び入り、伊東方百余人を討って城を奪回した経過を記す。冒頭の『弘治七年壬戌三月十八日』は、本文注記により永禄五年の誤りとされる。

登場人物
島津忠親、伊東氏、肝付氏
宛先
—
キーワード
瀬戸口伊豆入道覚書、永禄五年、三月十八日、島津忠親、飫肥城、志布志、福島、夜襲、奪回、年次誤記
後編1-No.201記事確認度 高

島津貴久譜

永禄五年、国家安全と民衆の安楽を祈るため、三月四日から福昌寺で一万部の法華経を読誦し、代賢和尚が修行したことを記す。

登場人物
島津貴久、代賢和尚
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、永禄五年、福昌寺、一万部法華経、代賢和尚、国家安全、民衆安楽
後編1-No.234文書確認度 高

田布施常珠寺法華経奥書

田布施常珠寺に伝わる妙法蓮華経巻第八の奥書。永禄五年仲秋、薩摩国加世田庄の大願主・在家菩薩日新が法華経八巻を寄進したことを記す。

登場人物
島津忠良(日新)
宛先
田布施常珠寺
キーワード
田布施常珠寺法華経奥書、永禄五年、常珠寺、妙法蓮華経、加世田庄、大願主、日新、寄進
後編1-No.236記事確認度 高

島津貴久譜

永禄五年九月十八日、島津尾張守忠親が策をめぐらして飫肥へ向かい、伊東勢を攻めて勝利し、再び飫肥の領地を取り戻したことを記す。

登場人物
島津忠親、伊東義祐
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、永禄五年、島津忠親、飫肥、伊東氏、攻略、勝利、領地回復
後編1-No.239文書確認度 高

田布施金蔵院書出

島津貴久が法華経十部を寄進し、八角形の金塔に納めて御嶽社内に安置したことを記す金蔵院の書出。塔銘には貴久の奉納名、三千番神・十羅刹女と永禄五年十一月吉日の年紀を載せる。

登場人物
島津貴久
宛先
田布施金蔵院・御嶽社
キーワード
田布施金蔵院書出、永禄五年、島津貴久、法華経十部、八角金塔、御嶽社、三千番神、十羅刹女
後編1-No.240記事確認度 高

島津良久譜

島津良久が永禄五年十二月十九日に日向国広原で生まれ、母は伊東義祐家臣福永入道月甫の長女であったことを記す。天正二年、十三歳で広原八幡宮において元服し、又三郎良久と称した。

登場人物
島津良久、福永入道月甫、福永宮内少輔
宛先
—
キーワード
島津良久譜、永禄五年、日向国広原、福永入道月甫、誕生、広原八幡宮、元服、又三郎良久
後編1-No.193記事確認度 高

島津国史

永禄五年、伊東義祐・肝付兼続の攻勢で島津忠親が飫肥・志布志を失った情勢と、真幸院北原氏の家督争いを記す。島津方は北原兼親の飯野復帰を支援し、横川城を攻略して菱刈氏へ与え、栗野・飯野方面の支配を固めた。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津義弘、島津歳久、伊東義祐、肝付兼続、島津忠親、北原兼親、樺山幸久、新納忠元
宛先
—
キーワード
島津国史、永禄五年、飫肥、志布志、真幸院、北原兼親、飯野、横川城、菱刈氏、島津義弘
後編1-No.196記事確認度 高

日向記

島津忠親が伊東方との和睦条件に従い、永禄五年二月二十二日に志布志を伊東方経由で肝付氏へ渡した。五月十八日には飫肥も伊東方へ引き渡して忠親が櫛間へ退き、日置・柏原両氏には南郷三百町が与えられた経過を記す。

登場人物
島津忠親、伊東義祐、肝付兼続、木脇八郎左衛門尉、日置周防介、柏原宮内少輔
宛先
—
キーワード
日向記、永禄五年、島津忠親、伊東義祐、肝付兼続、志布志、飫肥、櫛間、南郷三百町
後編1-No.197記録確認度 高

年代記

永禄五年三月四日から福昌寺で国家太平を祈る一万部法華経が行われ、代賢が焼香し貴久が檀那となったことを記す。さらに飫肥の伊東方への引渡し、忠親の反攻、六月三日の横川城攻略、義久の栗野越年を載せる。

登場人物
島津貴久、代賢、島津忠親、島津義久、北原伊勢介
宛先
—
キーワード
年代記、永禄五年、福昌寺、一万部法華経、代賢、飫肥、横川城、島津義久、栗野
後編1-No.203記事確認度 高

島津尚久譜

島津尚久が永禄五年三月一日に三十二歳で死去し、法名を曇秀、号を一枝、陽広山曇秀寺殿と称したことを記す。家臣尾辻源八が追腹殉死し、尚久の娘が島津義久の前室となった系譜情報も載せる。

登場人物
島津尚久、尾辻源八、島津義久前室
宛先
—
キーワード
島津尚久譜、永禄五年、島津尚久、三十二歳、曇秀、一枝、尾辻源八、追腹、島津義久前室
後編1-No.209記事確認度 高

北郷時久譜

北郷氏が約三十年間にわたり伊東氏と戦った軍功への賞として、永禄五年五月に末吉三百五十町が北郷時久へ与えられた。土持摂津助を地頭とし、のち忠虎を末吉へ移し、梅北も飫肥後援のため時久に付属させた。

登場人物
北郷時久、北郷忠虎、土持摂津助輿綱、島津忠親、伊東義祐
宛先
—
キーワード
北郷時久譜、永禄五年、北郷時久、伊東氏、末吉三百五十町、土持輿綱、北郷忠虎、梅北、飫肥
後編1-No.210記事確認度 高

島津貴久譜

永禄五年六月三日、横川城の北原伊勢介・新介を討つため義弘・歳久を大将として攻撃した。新納忠元・伊集院久春らが奮戦し、歳久も負傷しながら城門へ攻め入り、北原父子を討って城を陥落させ、横川を菱刈氏へ与えた。

登場人物
島津貴久、島津義弘、島津歳久、新納忠元、伊集院久春、北原伊勢介、北原新介、本田刑部少輔、瀧聞美作守
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、永禄五年、横川城合戦、北原伊勢介、島津義弘、島津歳久、新納忠元、伊集院久春、菱刈氏
後編1-No.211記録確認度 高

横川城合戦従軍者交名

永禄五年六月三日の横川城攻防に参加した島津方の従軍者と働きを列記する交名。箕匂舎人佐・村田雅楽助・瀧聞美作守・本田刑部丞らを挙げ、濱田民部左衛門が敵七人を切り捨てたことなどを記す。

登場人物
箕匂舎人佐、村田雅楽助、瀧聞美作守、本田刑部丞、濱田民部左衛門ほか
宛先
—
キーワード
横川城合戦従軍者交名、永禄五年、横川城、箕匂舎人佐、村田雅楽助、瀧聞美作守、本田刑部丞、分捕
後編1-No.216記事確認度 高

島津義弘譜

永禄五年六月三日、島津義弘・歳久を大将として横川城を包囲した戦いを詳記する。新納忠元・伊集院久春らが攻め、北原伊勢介・新介が戦死して城が陥落し、横川は菱刈氏へ与えられ、北原兼親は栗野を島津方へ献上した。

登場人物
島津貴久、島津義弘、島津歳久、新納忠元、伊集院久春、北原伊勢介、北原新介、本田刑部少輔、瀧聞美作守
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、永禄五年、横川城合戦、島津義弘、島津歳久、新納忠元、北原伊勢介、菱刈氏、栗野
後編1-No.218記事確認度 高

新納忠元譜

真幸院主北原兼守の死後、横川城に拠って島津方へ背いた北原兼正を討つため、永禄五年六月三日に義弘らが出陣した。新納忠元は伊集院久春と先登し、城門で槍を振るって負傷しながら城を陥落させた。

登場人物
新納忠元、伊集院久春、北原兼守、北原兼正、島津義弘、島津貴久
宛先
—
キーワード
新納忠元譜、永禄五年、横川城合戦、新納忠元、伊集院久春、北原兼正、先登、槍、負傷
後編1-No.221記事確認度 高

新納忠元勲功記

真幸院主北原兼守の死後、北原兼正が横川城に立て籠もったため、永禄五年六月に島津方が攻撃した。歳久を大将とする軍勢の中で、新納忠元は伊集院久春と先登し、城戸で槍を合わせて城を攻め落とした戦功を記す。

登場人物
新納忠元、伊集院久春、島津貴久、島津歳久、北原兼守、北原兼正
宛先
—
キーワード
新納忠元勲功記、永禄五年、横川城合戦、新納忠元、伊集院久春、島津歳久、北原兼正、先登、槍
後編1-No.237記事確認度 高

日向記

日置・柏原両氏ら三十六人が神判して時機を待ち、永禄五年九月十七日夜に忠親勢とともに飫肥本城へ侵入した経過を詳記する。伊東方の守兵と各門で戦い本城を奪い、翌十八日には酒谷城も落として、忠親が再び飫肥へ入部した。

登場人物
島津忠親、日置周防介、柏原宮内少輔、吉野大炊助、木脇越前守ほか
宛先
—
キーワード
日向記、永禄五年、島津忠親、飫肥本城、酒谷城、夜襲、日置氏、柏原氏、三十六人、奪回
後編1-No.195文書確認度 高

島津忠平義弘書状

真幸境の雑説に対処して在陣を続けるよう老中から命じられ、義弘が支度したところ、大夫殿から独断で続行しないよう申し渡されたため、自身では判断できないとして使者を送り、蒲生美作守に詳しい返答と披露を求めた書状。

登場人物
島津義弘(忠平)、大夫殿、老中
宛先
蒲生美作守
キーワード
島津忠平義弘書状、永禄五年、蒲生美作守、真幸境、在陣、老中、大夫殿、使者、判断伺い
後編1-No.202文書確認度 高

島津氏老臣連署坪付

薩摩国伊集院のうち、修理田・野田名・上原・加藤先・大谷などの田地を寄進するため、坪付を示した島津氏老臣四名の連署文書。

登場人物
伊集院忠倉、村田経定、肝付兼盛、川上久朗
宛先
—
キーワード
島津氏老臣連署坪付、永禄五年、伊集院、寄進、修理田、野田名、伊集院忠倉、肝付兼盛、川上久朗
後編1-No.205文書確認度 高

島津氏老臣連署状

郡の金鐘寺を新地に建立して当年秋中に移し、寺職を改めて旧門派へ帰付することを認めた島津氏老臣四名の連署状。

登場人物
伊集院忠倉、村田経定、肝付兼盛、川上久朗
宛先
保福寺・本寺闇首座
キーワード
島津氏老臣連署状、永禄五年、金鐘寺、新地建立、寺職、旧門派、伊集院忠倉、肝付兼盛、川上久朗
後編1-No.206文書確認度 高

島津日新起請文

日新が頴娃山城入道との信頼関係について、合意した条項を守り、他方からの妨害や中傷を信用せず、両者の間に雑説が生じた際は直接問い合わせて確かめると神々に誓った起請文。

登場人物
島津忠良(日新)、頴娃兼堅
宛先
頴娃山城入道
キーワード
島津日新起請文、永禄五年、島津忠良、日新、頴娃兼堅、相互信頼、中傷排除、起請文
後編1-No.207文書確認度 高

島津忠平起請文

忠平が川上経久に対し、島津家への奉公について互いに覚悟を固め、隔意なく相談することを望み、取り決めを長く他言しないと誓った起請文。

登場人物
島津義弘(忠平)、川上経久
宛先
川上十郎左衛門尉経久
キーワード
島津忠平起請文、永禄五年、島津義弘、忠平、川上経久、奉公、談合、秘密保持、起請文
後編1-No.208文書確認度 高

島津義久起請文

義久が頴娃山城入道に対し、今度の雑説をめぐって互いに疎略なく、敵方がどのような計略をめぐらしても同心せず、世上がどう変化しても一味して奉公し、相手に謀略を用いないと誓った起請文。

登場人物
島津義久、頴娃兼堅
宛先
頴娃山城入道
キーワード
島津義久起請文、永禄五年、島津義久、頴娃兼堅、雑説、敵方計略、一味奉公、起請文
後編1-No.225文書確認度 高

島津義久書状

島津義久が六月三日の大隅横川合戦で喜入季久が奮戦し、配下の者も多数粉骨したことを比類ない名誉であり神妙であると賞した書状。

登場人物
島津義久、喜入季久
宛先
喜入式部大輔季久
キーワード
島津義久書状、永禄五年、喜入季久、横川合戦、奮戦、家臣、感賞
後編1-No.226文書確認度 高

樺山玄佐起請文

樺山玄佐が自身への無実の讒言について直接糾明されたことに感謝し、樺山家十一代にわたり守護へ不忠をしていないと述べた起請文。今後も終始一貫して忠節を尽くし、雑説があれば天道に従って弁明すると誓う。

登場人物
樺山玄佐、三原重秋、島津貴久、島津勝久
宛先
三原遠江守重秋
キーワード
樺山玄佐起請文、永禄五年、樺山玄佐、三原重秋、讒言、忠節、島津氏、起請文
後編1-No.228文書確認度 高

島津貴久感状

島津貴久が歳久に対し、横川城戸口で太刀打ちして負傷しながら尽力したことを賞し、手負いの具合とその後の容体を案じて知らせるよう求めた感状。

登場人物
島津貴久、島津歳久
宛先
又六郎歳久
キーワード
島津貴久感状、永禄五年、島津歳久、横川城、城戸口、太刀打ち、負傷、見舞い
後編1-No.229文書確認度 高

伊集院弧舟忠朗等連署起請文

伊集院忠朗ら島津・北原・相良方の関係者が、将来にわたり合意を違えず、世情が変化しても不安を抱かせず、和議に関する雑説が生じた際は互いに申し知らせると神々に誓った連署起請文。

登場人物
伊集院忠朗(孤舟)、北郷忠徳、肝付兼盛、北原兼親、深水頼金、東長兄
宛先
球磨老中
キーワード
連署起請文、永禄五年、伊集院忠朗、北郷忠徳、肝付兼盛、北原兼親、相良氏、球磨老中、和議
後編1-No.230文書確認度 高

島津貴久起請文

島津貴久が樺山玄佐に対し、近時の雑説を信用せず、玄佐の度重なる忠節と助太郎の死を忘れていないと述べた起請文。今後も玄佐父子を疎略に扱わず、雑説があれば何度でも互いに説明すると誓う。

登場人物
島津貴久、樺山玄佐、助太郎
宛先
樺山安芸守入道玄佐
キーワード
島津貴久起請文、永禄五年、樺山玄佐、雑説、忠節、助太郎、父子、相互説明、起請文
後編1-No.231文書確認度 高

伊集院孤舟書状

伊集院孤舟が球磨から届いた複数の書状への返答や使者の扱いについて肝付氏へ相談した書状。球磨との恩義を鹿児島へよく相談し、真幸の所領問題と横川を菱刈氏へ与える方針を伝えるよう求め、旅宿へ酒も贈った。

登場人物
伊集院忠朗(孤舟)、肝付兼盛、相良氏老中、菱刈氏
宛先
肝付弾正忠
キーワード
伊集院孤舟書状、永禄五年、肝付兼盛、球磨、相良氏、真幸、横川、菱刈氏、使者、堺酒
後編1-No.232文書確認度 高

相良頼房起請文

相良頼房が北郷氏に対し、将来にわたり合意を違えず、世情が変転しても不安を抱かせず、和議に関する雑説が生じた際は互いに申し知らせると神々に誓った起請文。

登場人物
相良頼房、伊集院忠朗(孤舟)、北郷氏
宛先
北郷氏当主
キーワード
相良頼房起請文、永禄五年、相良頼房、北郷氏、伊集院孤舟、和議、相互通報、起請文
後編1-No.235文書確認度 高

島津忠平書状

忠平が飫肥方面への出陣予定について知らせた書状。当初は兵糧を籠める程度と聞いていたが、日新の度重なる意見を受け、両陣役を終えたうえで全軍を率いて越山する案を協議中であり、軍勢が順次上ることは確実だと伝える。

登場人物
島津義弘(忠平)、島津忠良(日新)
宛先
又四郎殿
キーワード
島津忠平書状、永禄五年、島津義弘、日新、飫肥、出陣、兵糧、越山、軍勢
後編1-No.241文書確認度 高

島津義久書状

義久が飫肥・志布志南口の問題を一途にまとめるため、関係者と内談するよう三原重益へ求めた書状。忠親が急な戦況にあるため、飫肥内の所領調整で一時難儀を延ばし、伊東方が和融しなければ肝付方を通じる策も検討するよう指示する。

登場人物
島津義久、島津貴久、島津忠親、三原重益、伊東氏、肝付氏
宛先
三原遠江守重益
キーワード
島津義久書状、永禄五年、三原重益、飫肥、志布志、島津忠親、伊東氏、肝付氏、和融、所領調整
後編1-No.198記事確認度 高

庄内平治記

伊東勢が本城・酒谷を攻略したため、島津忠親が飫肥南郷を伊東氏へ、志布志を肝付氏へ渡して福島へ退いた経過を記す。忠親は九月十七日夜に飫肥城を奇襲して百余人を討ち、翌日酒谷城も奪回し、北郷時久には末吉三百五十町などが与えられた。

登場人物
島津忠親、伊東義祐、日置周防介、柏原宮内少輔、北郷時久、北郷忠虎
宛先
—
キーワード
庄内平治記、永禄五年、島津忠親、伊東義祐、飫肥城、酒谷城、奇襲、北郷時久、末吉
後編1-No.227記事確認度 高

島津歳久譜

北原兼守死後、白坂氏・樺山玄佐らが北原兼親を球磨から迎えて家督を継がせ、踊・栗野・吉松などを島津方へ従わせた経過を記す。永禄五年六月三日の横川城攻めでは歳久が義弘と大将を務め、城門へ攻め入って負傷した。

登場人物
島津歳久、島津義弘、島津貴久、北原兼親、北原伊勢介、北原新介、樺山玄佐、白坂氏、新納忠元、伊集院久春
宛先
—
キーワード
島津歳久譜、北原兼親、真幸院、白坂氏、横川城合戦、島津歳久、島津義弘、新納忠元、負傷
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏庶流系図

舒明天皇・天智天皇・大友皇子を起点に伴姓の祖系を示し、兼経・兼益以下の肝付氏と庶流を配する系図。萩原・救仁郷・安楽・検見崎・北原・和泉・岸良・野崎・川南・鹿屋・小野口・山下など各氏の分出を明記する。兼尚が鎌倉在府中、兼重が留守・番代を務め、その子秋兼が兼尚の養子となって嫡家を相続した経緯を載せる。後段では兼続(法号省釣)の永正八年誕生、永禄五年の松山・志布志知行、永禄九年十一月十五日の志布志での死去、良兼・兼勝・兼樹・兼包・兼政らの続柄を記す。兼政は早世した良兼の娘を妻として嫡家を相続し、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原で戦死したとし、兼元の島津元久上京供奉や兼忠の頴娃拝領にも触れる。

登場人物
舒明天皇、天智天皇、大友皇子、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、行貞、兼貞、兼俊、兼経、兼益、兼員、兼任、兼綱、貞、兼友、兼幸、行俊、兼藤、兼尚、兼重、秋兼、兼光、兼廣、宗兼、信兼、兼氏、兼朝、久兼、兼政、兼続、良兼、兼勝、兼樹、兼包、兼元、兼忠、島津元久、島津久豊、島津忠朝、伊東義祐
宛先
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キーワード
伴姓肝付氏庶流系図、天智天皇、大友皇子、伴姓、肝付氏、萩原氏、救仁郷氏、安楽氏、検見崎氏、北原氏、和泉氏、岸良氏、野崎氏、川南氏、鹿屋氏、小野口氏、山下氏、兼尚、秋兼、養子、嫡家相続、兼続、省釣、松山、志布志、兼政、慶長五年、関ヶ原合戦、戦死、島津元久、上京供奉、頴娃、系図、庶流
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w9:157-7覚書・牛屎氏系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天文十二年三月廿七日牛屎実元覚書

天文十二年三月二十七日、牛屎平次郎実元が『大平家覚書系図一通』として家の由緒を記した覚書を起点とする最終の系図記事。永禄五年に貞幸院司北原兼隆が早世した後、当家一族が忠平公へ奉公し、栗野へ移ったことを記す。後続の元秋・重綱らの条には、天正六年の日州高城での大友軍との合戦、肥前・筑州などへの出陣、義弘公の供奉、栗野・飯野・帖佐・加治木等への居住地の移動が記される。さらに元貞ら子孫の軍役や恩賞、嫁入り・養子・改名、子女の出生・没年を正徳年間まで書き継ぎ、末尾には系図の人名上の丸印と罫線が朱書であると注記する。天文十二年の実元覚書と後代の追記を一つの同時成立文書とみなさず、系図の記述として扱う。

登場人物
牛屎平次郎実元、忠平公、義弘公、元秋、重綱、元貞、元辰、元次、元能、元長、元通
宛先
宛先の記載なし
キーワード
天文十二年三月二十七日、牛屎平次郎実元、大平家覚書系図、北原兼隆、忠平公、栗野、元秋、重綱、天正六年、日州高城、大友軍、義弘公、飯野、帖佐、加治木、元貞、軍役、婚姻、養子、改名、正徳、朱書
後編1-No.194文書確認度 高

島津日新忠良書状

日新が新納康久の従来の忠節を忘れていないと述べ、廻陣で子の文八郎順次が戦死した悲嘆を慰めた書状。弟弥五郎に家を継がせることを了承し、鹿児島へ上申し、自身からも取り成すとして後亀の鏡を贈った。

登場人物
島津忠良(日新)、新納康久、新納文八郎順次、新納弥五郎
宛先
新納伊勢守康久
キーワード
島津日新忠良書状、日新、新納康久、新納順次、廻城、戦死、家督相続、弥五郎、後亀鏡
後編1-No.204文書確認度 高

島津貴久書状

金鐘寺の門役が断絶した件について、二度の書状を受けた島津貴久が、代わりの役を立てて寺職を旧来の門派へ返付すると回答した書状。詳細は福昌寺から伝えるとしている。

登場人物
島津貴久、福昌寺関係者
宛先
総持寺衣鉢閣下
キーワード
島津貴久書状、三月十六日、金鐘寺、門役断絶、寺職、旧門派、総持寺、福昌寺
後編1-No.224文書確認度 高

島津貴久書状

島津貴久が相良氏の計らいによって北原兼親を真幸院へ入部させられたことに満足を表し、横川城も容易に切り取れたのは相良氏の尽力によるとして謝意を伝えた書状案。

登場人物
島津貴久、北原兼親
宛先
相良氏当主
キーワード
島津貴久書状、六月四日、相良氏、北原兼親、真幸院入部、横川城、謝意、書状案
後編1-No.238文書確認度 高

島津義久書状

島津義久が北郷氏と肝付氏との国境で和融の動きがあることを肝要と評価した書状。肝付方が島津家の鬱憤を懸念しても、今後真実に親交するなら島津家に執着や遺恨はないと伝え、納得を求める。

登場人物
島津義久、北郷時久、肝付氏
宛先
北郷左衛門尉
キーワード
島津義久書状、十月二日、北郷時久、肝付氏、国境、和融、親交、遺恨解消
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:19系図・平田狩野之助家先祖由緒/軍功・知行記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田狩野之助先祖之次第

平田重宗から分かれたと伝える狩野之助家の系譜・軍歴・知行記録。筑前守宗勝は日州福島で戦死し、日置美濃守久遂の二男・出羽守宗仍は末吉地頭として居住した後、貴久に召し出され先代同様に家老職を務め、永禄元年三月十九日の肝付勢との宮ヶ原合戦で子の虎五郎と家人六名とともに戦死した。弘治二年生まれの平次郎狩野之助は七歳で北郷家へ付され、のち鹿児島へ戻って日州本城地頭・近村五十余町を与えられ、肥後・豊後、豊臣秀吉の九州攻め、庄内の戦いで奉公したが、慶長五年九月十五日に関ヶ原で四十五歳で戦死した。二男源太は飫肥方面の戦いで福島内市木にて戦死し、宗弘は宗應の跡を継いで羽月・日州野尻の地頭を務めたことまで記す。

登場人物
平田重宗、平田筑前守宗勝、平田出羽守宗仍(初名久能)、日置美濃守久遂、平田正宗、平田又拾郎、貴久公、平田虎五郎(新左衛門尉)、竹之下孫七郎、鍋倉三郎九郎、川野左近、池山弥次郎、嘉川神五、厚地孫八、平田虎五郎(平次郎・狩野之助)、北郷殿、豊臣秀吉、平田源太(新介)、平田宗親(喜左衛門)、平田宗公(新介・三兵衛)、平田宗清(新介・弥一左衛門)、平田宗弘(平三・狩野之助)、宗應
宛先
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