平田狩野之助先祖之次第
明応二年、弘治二年、永禄元年三月十九日、永禄五年五月、天正十七年五月二十五日、慶長五年九月十五日、明暦四年三月二十四日/原整理番号 19
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概要
平田重宗から分かれたと伝える狩野之助家の系譜・軍歴・知行記録。筑前守宗勝は日州福島で戦死し、日置美濃守久遂の二男・出羽守宗仍は末吉地頭として居住した後、貴久に召し出され先代同様に家老職を務め、永禄元年三月十九日の肝付勢との宮ヶ原合戦で子の虎五郎と家人六名とともに戦死した。弘治二年生まれの平次郎狩野之助は七歳で北郷家へ付され、のち鹿児島へ戻って日州本城地頭・近村五十余町を与えられ、肥後・豊後、豊臣秀吉の九州攻め、庄内の戦いで奉公したが、慶長五年九月十五日に関ヶ原で四十五歳で戦死した。二男源太は飫肥方面の戦いで福島内市木にて戦死し、宗弘は宗應の跡を継いで羽月・日州野尻の地頭を務めたことまで記す。
登場人物
平田重宗、平田筑前守宗勝、平田出羽守宗仍(初名久能)、日置美濃守久遂、平田正宗、平田又拾郎、貴久公、平田虎五郎(新左衛門尉)、竹之下孫七郎、鍋倉三郎九郎、川野左近、池山弥次郎、嘉川神五、厚地孫八、平田虎五郎(平次郎・狩野之助)、北郷殿、豊臣秀吉、平田源太(新介)、平田宗親(喜左衛門)、平田宗公(新介・三兵衛)、平田宗清(新介・弥一左衛門)、平田宗弘(平三・狩野之助)、宗應
宛先
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キーワード
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冊子頁
481~482頁
読込量
大
面白さ
★★★★★
(3)383~603頁(諸家系図文書1~3).pdf