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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
追録8-No.827-1変死等の報告先を監察局へ、詮議刑法事項を糺明局へ指定する達旧記雑録暫定版確認度 中
明治2年二月27日知政所 / 冊子 644頁/原整理番号 827の1/整理ID 827-1
通達留。御府内と諸郷で変死者その他の変事があった際は、従来糺明奉行へ報告していたが、藩治職制の治定と諸局の設置に伴い、今後そのような報告は全て監察局へ申し出るよう命じる。但し詮議や刑法に関わる事項は、同じ案件を糺明局へも別途申し出るとし、向々へ早く伝えるよう求める。明治二己二月廿七日、知政所。報告の手続を定めた達であり、変死事件の実数・特定事件や犯罪とする判断は記されていない。
- 登場人物
- 知政所、旧糺明奉行、監察局、糺明局、御府内・諸郷の届出担当
- 宛先
- 向々、御府内・諸郷の届出担当
- キーワード
- 原827の1通達留御府内諸郷変死変事旧紏明奉行披露新監察局申出詮議刑方紏明局別段申出二月廿七知政所
追録8-No.452本文群(守衛選士の差戻し・府内番所の取締)旧記雑録暫定版確認度 中
9月(選士差戻通知);覚の年月日不記 / 冊子 320頁/原整理番号 452/整理ID 452
二内容の通知。守衛のため諸藩が強健・忠勇の選士を献じたことは満足とするが、富国強兵と武備充実が必要な中で、費用負担が病弊を招くとして各差し戻すよう命じる。但書は、多数を屋敷へ出して非常警衛を行うことはあり得るが、守衛という名目ではないと区別する。京都での九月の仰出を十万石以上へ伝える。続く覚は府内の取締を厳重にし、辻番所の番人には丈夫な者を置くよう指示する。献上・差戻しの評価と命令を分け、返還や配置を完了したとしない。
- 登場人物
- 大目付、十万石以上諸侯、守衛の選士、諸役人、番所番人
- 宛先
- 十万石以上の諸侯へ、府内番所の関係者へ
- キーワード
- 守衛選士貢献諸藩石高強乾忠勇、大目付、富国強兵武備費用病弊各差戻、屋敷非常警衛と守衛名目の区別、京都九月十万石以上、府内御取締厳重辻番所番人人壮健
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 264-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 300頁/原整理番号 264の1
『平塞録』の記事。同二十九日、豊後府内の御目付衆から熊本家老中への返簡が到着したことだけを記す短文。
- 登場人物
- 豊後府内御目付衆、熊本家老中
- 宛先
- なし
- キーワード
- 記事、平塞録、豊後府内御目付衆、熊本家老中、返簡
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 275-2書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
寛永14年11月4日 / 冊子 309頁/原整理番号 275の2
府内御横目衆からの返書写し二通を見せられたことへの礼を述べ、島への贈物・兵糧類を家中で賞味した旨を伝える田中宗行外二名連署書状。家老衆への取次ぎを頼み、十一月四日付で山本三左衛門宛に結ぶ。
- 登場人物
- 田中宗行、岡本新兵衛、多賀主水、山本三左衛門、府内御横目衆
- 宛先
- 山本三左衛門
- キーワード
- 田中宗行外二名連署書状、府内御横目衆、返書写、贈物、家老衆
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 281-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 312頁/原整理番号 281の1
七日、三宅藤兵衛方から豊後府内の御目附衆へ、書状で天草一揆の旨を申達した記事。使者草場六之丞の熊本到着、肥後家老中への内見依頼、発足と返書を記す。
- 登場人物
- 三宅重利、草場六之丞、肥後家老中、豊後府内御目附衆
- 宛先
- なし
- キーワード
- 記事、三宅重利、草場六之丞、天草一揆、熊本、肥後、豊後府内
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 305軍記・通報記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 332頁/原整理番号 305
牧野傳蔵・林丹後守に代わって豊後府内へ置かれた御目付衆に対し、十一月十三日付の飛札で一揆討伐の状況を通報した記事である。併せて島津家久側から、薩摩勢の加勢が必要か否かを問い合わせた。
- 登場人物
- 牧野傳蔵、林丹後守、島津家久(慈眼公)
- 宛先
- 豊後府内御目付衆
- キーワード
- 薩本島原軍記、豊後府内、御目付、飛札、島原一揆、加勢
追録8-No.735府内巡邏と捕縛・打捨禁止の軍令、白川戦討取数の薩藩届旧記雑録暫定版確認度 中
軍令慶応4辰五月16日、薩摩藩届も五月16日(去る朔日の戦を報告) / 冊子 565頁/原整理番号 735/整理ID 735
慶応四年辰五月十六日の軍令として、薩州・長州・因州・佐土原に府内の潜伏する残賊を警戒して市街を巡邏するよう命じる。みだりな捕縛・打捨を禁じ、見つけた場合は取締って申し出れば指揮する旨を伝える。人数は五十員から二十員までとし、それ以下の少人数を禁じる。続く五月十六日の薩摩藩届は、去る朔日の白川城攻略で討ち取った敵兵死骸を順次調べたところ合計六百八十二人になったと、現地出張の同藩からの報に基づいて届ける。人数と戦果は届書の報告として記す。
- 登場人物
- 薩州・長州・因州・佐土原藩、残賊(軍令の評価)、薩摩藩・出張同藩、朝廷側
- 宛先
- 軍令:薩州長州因州佐土原、薩藩届の個別宛名不記
- キーワード
- 原735慶応四辰五月十六江城日誌府内残賊市街巡邏四藩猥捕縛打捨禁見当取締申出指揮五十員二十員少人数禁薩藩届去朔白川城討取死骸取調都合六百八十二出張同藩報五月十六
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 410編纂史料・伝聞記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 438頁/原整理番号 410
『平塞録』十二月十七日の伝聞として、十二月朔日に府内の目付から再び飛脚が来たと記す。十一月十九日に天草・島原の一揆が合同で富岡城を攻め、二の丸まで乗り取ったとの風聞を注進し、三日に言上したという。
- 登場人物
- 府内御目付
- 宛先
- なし(記事)
- キーワード
- 飛脚 風聞 富岡二の丸 言上
追録8-No.321幕府沙汰書(久光の国許政務協力)旧記雑録暫定版確認度 中
本文年月日不記;外包:万延2年酉3月12日 / 冊子 233頁/原整理番号 321/整理ID 321
松平修理大夫への沙汰。嶋津周防久光が家督の際から国政へ様々に心を添え精勤していると聞くので、来年修理大夫が参府した後も、国許の政事へさらに厚く心を用いて万事行き届くよう取り計らう旨を久光へ伝えておくよう求める。この段を内々に伝えるとの沙汰とする。本文に年月日・発給者姓名は記さない。外包には久光の儀について公義から太守へ渡された承知の書付一通、万延二年酉三月十二日に摂津から格護する旨を千田七郎兵衛へ知らせ、白木御文書十番箱へ納めた記録がある。
- 登場人物
- 嶋津周防(注:久光)、松平修理大夫、摂津殿、千田七郎兵衛、公義
- 宛先
- 松平修理大夫へ(口裏・本文表示)
- キーワード
- 幕府沙汰、松平修理大夫宛、嶋津周防久光、家督時国政心添、精勤、来年参府、国許政事継続協力、内々伝達、公義書付一通、万延二年三月十二日、摂津千田七郎兵衛格護、白木十番箱百十六番
後編2-No.199記事確認度 中
年月日未詳 / 冊子 241~242頁
島津義久が日向・大隅・薩摩・肥後・筑後の軍勢を動員して豊後へ向かわせ、義弘が肥後口から南郡へ、家久が日向側の険路から進んだ配置を記す。家久勢は城を攻め、敵の救援軍を河川・険路で迎撃して多数を討ち、府内方面へ追撃した。戸次川合戦を含む家久軍の進路、兵数、攻城と追撃を詳述する軍記記事である。
- 登場人物
- 島津家久、島津義弘、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津家久、島津義弘、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、豊後侵攻、戸次川合戦、府内、攻城、追撃
後編2-No.209記録確認度 高
年月日未詳 / 冊子 255~264頁
天正十四年末、島津軍が複数路から豊後へ侵攻した経過を、各隊の進路・城攻め・戦死者まで日を追って記す長編軍記。鶴賀城攻防を経て、戸次川では島津家久軍が仙石秀久・長宗我部元親ら四国勢を破り、長宗我部信親・十河存保らを討ち取った。その後、府内へ進み、大友宗麟が籠もる丹生島城をはじめ諸城を攻めるが、鉄砲・夜襲・火攻めを交えた激戦でも堅城の抵抗は続く。島津方の勝利だけでなく、損害・兵站・攻城の難航まで描き、豊後戦役全体を追える中核史料である。
- 登場人物
- 島津家久、島津義弘、仙石秀久、長宗我部元親、長宗我部信親、十河存保、大友宗麟、新納忠元
- 宛先
- —
- キーワード
- 天正十四年豊後へ発向之事、豊後侵攻、九州征伐、島津家久、島津義弘、鶴賀城、戸次川の戦い、仙石秀久、長宗我部元親、長宗我部信親、十河存保、府内、大友宗麟、丹生島城、鉄砲、夜襲、火攻め、兵站、攻城戦
後編2-No.226記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 269頁
島津家久が府内に留まり豊後半国を掌握したものの、諸将の抵抗と兵糧不足で進退に窮したため、樺山忠助を三重の松尾城へ退かせた記事。天正十五年正月十八日、忠助が府内から三重へ到着し、新納縫殿助・平田狩野介らと守備に当たった経過を記す。
- 登場人物
- 島津家久、樺山忠助、新納縫殿助、平田狩野介
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津家久、樺山忠助、新納縫殿助、平田狩野介、府内、三重、松尾城、兵糧不足、守城
後編2-No.227記録確認度 中
年月日未詳 / 冊子 269~272頁
樺山紹剣が、府内・三重・松尾城周辺での守備と進退を自身の見聞として詳述する。年越し後、敵の反攻と兵糧難が強まる中、諸将からの書状・使者を受け、各城の兵を集めるか退くかを評定した。夜間の移動、城への入退、渡河、砲撃・放火への備え、負傷者や病人、食料・宿所の確保まで記し、伊集院忠棟らとの連絡や意見対立も描く。豊後侵攻後半の島津軍が、勝敗だけでなく補給・情報・指揮系統の混乱に直面したことを伝える長文の自記である。
- 登場人物
- 樺山紹剣、島津家久、樺山忠助、伊集院忠棟、平田狩野介
- 宛先
- —
- キーワード
- 樺山紹剣自記、島津家久、樺山忠助、伊集院忠棟、平田狩野介、府内、三重、松尾城、兵糧難、使者、守城、退却判断
後編2-No.228文書確認度 高
(天正15年)正月19日 / 冊子 272頁
本文はNo.230と同文のため原資料では省略されている。島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。
- 登場人物
- 島津義久、豊臣秀長、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
- 宛先
- 羽柴美濃守殿(豊臣秀長)
- キーワード
- 島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明、No.230同文、本文省略
後編2-No.229文書確認度 高
(天正15年)正月19日 / 冊子 272頁
本文はNo.231と同文のため原資料では省略されている。島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。
- 登場人物
- 島津義久、石田三成、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
- 宛先
- 石田治部少輔殿(石田三成)
- キーワード
- 島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明、No.231同文、本文省略
後編2-No.230文書確認度 高
正月19日 / 冊子 272頁
島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。
- 登場人物
- 島津義久、豊臣秀長、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
- 宛先
- 羽柴美濃守殿(豊臣秀長)
- キーワード
- 島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明
後編2-No.231文書確認度 高
正月19日 / 冊子 273頁
島津義久が石田三成へ送った書状。島津義久は、戸次川合戦について、大友方が仙石秀久・長宗我部勢を引き入れて日向境へ攻め寄せ、制止にも応じなかったため、やむを得ず防戦して勝利したと説明する。数千を討ったと報告する一方、府内に残った京都・四国勢には弟の島津家久が大船を用意して退去させたと述べ、秀吉の停戦命令に背く意図はないこと、敵兵にも寛大に対処したことを強調して取り成しを求める。戸次川合戦後の島津方の弁明と外交戦略を示す書状。
- 登場人物
- 島津義久、石田三成、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、島津家久
- 宛先
- 石田治部少輔殿(石田三成)
- キーワード
- 島津義久書状、戸次川の戦い、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、日向境、防戦、豊臣秀吉、停戦命令、島津家久、府内、四国勢、敵兵退去、外交、弁明
後編2-No.232文書確認度 中
(天正15年)2月7日 / 冊子 273~274頁
島津義弘が喜入摂津守へ、三江口で勝利した後、府内へ進むべきか南郡を固めるべきか、談合衆の意見が割れていると伝えた書状。霧島社の神慮も確かめつつ、家久らの判断や朽網氏との折衝を踏まえて進退を決めようとしている。前進と守備の二案が併存し、島津軍内部で指揮方針が定まらない緊張を示す。
- 登場人物
- 島津義弘、島津家久、喜入季久、朽網氏
- 宛先
- 喜入摂津守殿
- キーワード
- 島津義弘、島津家久、喜入季久、三江口、府内、南郡、霧島社、神慮、軍議、進退判断
後編2-No.239記事確認度 中
年月日未詳 / 冊子 278頁
北郷忠虎が豊後府内で太守の兵と合流した後、中国・四国から来援する豊臣方の大軍を迎えた記事。豊臣軍の兵船が西海へ達し、府内の守備が崩れて日向方面へ退く局面を簡潔に伝える。
- 登場人物
- 北郷忠虎、島津義弘、豊臣秀吉、中国・四国軍
- 宛先
- —
- キーワード
- 北郷忠虎譜、北郷忠虎、豊後府内、中国四国軍、豊臣秀吉、兵船、撤退、九州征伐
後編2-No.249記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 287~288頁
高野山木食興山上人と一色駿河守が豊後府内へ来て、島津義久に豊臣方との和睦と早期帰国を勧めた記事。義久は直ちに帰国せず、三月十八日に長谷川内へ進んで敵を退け、翌十九日に高城へ入った。和平勧告を受けながら軍事行動を続けた島津方の判断と、高城決戦前夜の動きを示す。
- 登場人物
- 島津義久、高野山木食興山上人、一色駿河守、阿多筑後守
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津義久譜、島津義久、高野山木食興山上人、一色駿河守、和睦勧告、府内、長谷川内、高城、九州征伐
後編2-No.264記録確認度 中
年月日未詳 / 冊子 294~295頁
豊臣勢の接近を受け、島津軍が府内方面から夜半に退却し、阿蘇内坂などで追撃戦を行った経過を詳述する。敵を討ちながら各城へ退く道筋、伊集院肥前守らの配置、各地の守将・戦死者名を列挙し、敗走時の部隊再編と人的損害を具体的に伝える。
- 登場人物
- 勝部兵右衛門、島津義久、伊集院忠棟、佐多久政、島津方諸将
- 宛先
- —
- キーワード
- 勝部兵右衛門聞書、勝部兵右衛門、島津義久、伊集院忠棟、佐多久政、府内、阿蘇内坂、夜間撤退、戦死者、九州征伐
後編2-No.282記事確認度 中
年月日未詳 / 冊子 313~314頁
天正十五年三月十五日、新納忠元は豊後府内に着き、岡城の志賀氏らが坂梨に陣して退路を遮ったと聞く。以後、坂梨・深水・球磨川・大口城などを経て帰還するまでを日付順に記し、途中の戦闘、城の守備・移動、討死者、伊集院忠棟・平田増宗らの動向までを列挙する。豊後から薩摩方面へ退く島津軍の経路と混乱を凝縮した譜記事である。
- 登場人物
- 新納忠元、町田久倍、伊集院忠棟、平田増宗、志賀氏、深水氏、相良氏ほか
- 宛先
- —
- キーワード
- 新納忠元譜、新納忠元、町田久倍、伊集院忠棟、平田増宗、豊後府内、坂梨、深水、球磨川、大口城、退路遮断、撤退経路、九州征伐
後編2-No.298記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 325~326頁
豊臣軍の九州進攻を受け、府内にいた島津方が軍を日向路・肥後路の二手に分けて撤退したことから説き起こす。島津忠長は義久・義弘に従って根白坂の豊臣方陣地を攻めたが、島津忠隣ら三百余人を失って敗北し、伊集院忠棟を人質に和議を結んだ。その後、義久が剃髪して龍伯と号し太平寺で秀吉に出仕したこと、忠長も剃髪して紹瑛と号したことまでを記す。
- 登場人物
- 島津忠長、島津義久、島津義弘、島津歳久、島津征久、羽柴秀長、山田有信、伊集院忠棟、島津忠隣
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津忠長譜、島津忠長、府内撤退、日向路、肥後路、根白坂合戦、伊集院忠棟、人質、島津義久剃髪、紹瑛
後編5-No.1207文書確認度 中
(寛永十五年)正月廿三日 / 冊子 743頁
見舞使者と琉球酒一壺・鰹塩引二つへの礼を述べ、自身の煩いはなお残るものの、各隊の仕寄が間もなく整う見込みと報告する。府内からの飛脚による諸大名の帰国や、水口・小笠原一門の当地到着も伝えた書状。
- 登場人物
- 細川光利
- 宛先
- 松平大隅守(島津家久)
- キーワード
- 細川光利、島津家久、見舞、琉球酒、鰹塩引、病気、仕寄、府内、帰国、飛脚、水口、小笠原
追録8-No.552民情上達の上書箱を設ける御筆旧記雑録暫定版確認度 中
正文:子9月晦日/外包:元治元年子11月6日収納注 / 冊子 388頁/原整理番号 552/整理ID 552
これまでも存慮がある者は封書で筋々を通じて上書するよう求めてきたが、府内の情態や領内民間の疾苦など細かな物情を上達させたいので、明朔日から御楼門内に上書箱を置き、太守自身が切封すると述べる子九月晦日の御筆。百姓・町人に至るまで意見を言上したい者は姓名を記した封書を出し、無役の諸士も同じ筋で上書してよいとし、漏れなく周知するよう命じる。外包に太守御筆一通とあり、元治元年子十一月六日に但馬から護置を命じられ伊藤整之介が承知して白木御文書十一番箱へ納めたとの注を持つ。九月晦日の命令、翌朔日の設置予定と十一月六日の収納を区別する。
- 登場人物
- 太守、百姓・町人、無役の諸士、但馬、伊藤整之介
- 宛先
- 領内の百姓・町人・無役の諸士など存慮を述べたい者
- キーワード
- 御筆太守上書封書筋々府内情態領内民間疾苦巨細物情上達、明朔御楼門内上書箱我等切封、百姓町人姓名記載無役諸士上書子九月晦、元治元子十一月六但馬伊藤整之介白木十一番箱二十三番収納
追録8-No.647九州諸侯へ布告を届ける使者・配布先の名書(布告本文略)旧記雑録暫定版確認度 中
慶応4年辰正月24日、使者差立ての記録 / 冊子 478頁/原整理番号 647/整理ID 647
この藩から布告文を持たせ使者を送った大名衆の名書を掲げる。熊本・久留米・柳川・福岡・佐賀、飫肥・高鍋・延岡・中津・小倉・岡・杵築・臼杵・府内・森・日出・佐伯、島原・唐津・平戸・五島・大村の配布先を、原の領主称号と使者の組ごとに列記する。慶応四年辰正月二十四日に使者を差し立てたと記し、続く布告文は略すと明示する。使者派遣の記録と布告内容の省略を区別し、訪問・受領の完了や省略された布告の文言を補わない。
- 登場人物
- 熊本細川越中守・久留米有馬中務太輔・柳川立花左近将監・福岡松平美濃守・佐賀松平肥前守、飫肥伊東修理太夫から佐伯毛利安房守までの諸侯、島原・唐津・平戸・五島・大村、傳兵衛(姓原字留保)・肥後直次郎、園田彦左衛門・久保田新次郎、福田與一郎・川崎强八
- 宛先
- 布告の配布先として名書に掲げる九州の大名衆
- キーワード
- 慶応四辰正月廿四使者差立布告文持参配布大名名書熊本久留米柳川福岡佐賀飫肥高鍋延岡中津小倉岡杵築臼杵府内森日出佐伯島原唐津平戸五島大村傳兵衛肥後直次郎園田彦左衛門久保田新次郎福田與一郎川崎强八布告本文略
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 458-2書状・返書催促旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
12月10日 / 冊子 468頁/原整理番号 458の2
松倉勝家が長岡佐渡守・有吉頼母へ送った書状。大坂からの両名の書状が届いたことを述べ、先に府内へ遣わした書状への返答を求める。当日、城へ押し寄せた旨を追記する。
- 登場人物
- 松倉勝家 長岡佐渡守 有吉頼母
- 宛先
- 長岡佐渡守・有吉頼母
- キーワード
- 大坂書状 府内 返書 城攻め 追而申候
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 854書状・見舞贈答への謝礼と攻城・諸将動静旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
寛永15年正月23日 / 冊子 780頁/原整理番号 854
渋谷四郎左衛門が持参した八日付書状と琉球酒一壺・鰤塩引二枚の見舞贈答に謝意を述べ、家久の病状を気遣う。当方に変事はなく、諸手の仕寄もやがて整う見込みと報じる。府内目付からの知らせとして、鍋信濃・有玄蕃・立飛騨・越中守の帰国許可、水日向や小笠原一門の当地来着などを伝える。
- 登場人物
- 細川光利 島津家久 渋谷四郎左衛門尉 鍋信濃 有玄蕃 立飛騨 越中守 水日向 小笠原一門
- 宛先
- 松平大隅守(島津家久)
- キーワード
- 渋谷使者 琉球酒 鰤塩引 見舞返礼 仕寄 府内目付 帰国許可
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-9記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 225~226頁/原整理番号 333-9
西郡要人配下の浪人平田太郎兵衛が、白紙の天目采を付けた番指物で三の郭から乗り込み、同じ手の浪人阿部七郎兵衛・水田半右衛門を証人として行動したことに始まる攻城記事。小屋内外で敵と遭遇した三人の戦闘、二の丸城戸口付近での諸勢の進退、妙解公らの指揮と諸将の働きを記す。大先手の十時摂津・同三弥之助・立花壱岐らが強く働いて高名を挙げ、討死も多かったとし、この時、妙解公と立花殿の同陣から、豊後府内の目付川勝丹波守・佐々権兵衛へ連名で早打の注進を送り、その紙面一通があると記す。
- 登場人物
- 差出なし(記事)
- 宛先
- 宛先なし(記事)
- キーワード
- 西郡要人、浪人平田太郎兵衛、番指物、白紙の天目采、三の郭、阿部七郎兵衛、水田半右衛門、証人、小屋、二の丸城戸口、妙解公、立花殿、十時摂津、立花壱岐、討死多数、豊後府内、川勝丹波守、佐々権兵衛、連名早打、注進一通
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-44記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 256~259頁/原整理番号 333-44
原城本丸の大走りへ到達して戦った細川方の諸士を、佐渡守一手の各組・組頭別に列挙し、その後の戦闘・死傷・軍功証明を詳述した記事。諸士が矢・石・鉄砲を受けながら石垣・大走りへ進み、熊谷忠右衛門らが敵と斬り合い、鉄砲・槍・投石で多数の討死・手負が出た経過を記す。また、先登や働きの証拠をめぐって妙解公・細川立允・長岡佐渡守らの間で使者を往復させ、証人・書状・旗本の判定を求めたこと、城内への突入と退却の順序をめぐる主張が交錯したことを述べる。末尾では鉄砲頭らが横撃して退きつつ、妙解公・真源公が早打で府内の目付へ注進したとする。
- 登場人物
- 佐渡守一手の諸組、熊谷忠右衛門、細川立允、妙解公、長岡佐渡守ほか
- 宛先
- 宛先なし(記事・記録類)
- キーワード
- 原城、本丸、大走り、佐渡守一手、組別名簿、熊谷忠右衛門、細川立允、妙解公、長岡佐渡守、石垣、矢、石、鉄砲、槍、討死、手負、先登争い、軍功証明、証人、書状、使者、旗本判定、城内突入、退却、真源公、早打、府内目付
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 333-46記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 260~262頁/原整理番号 333-46
府内への戦況注進後、日暮れの原城本丸前で味方が密集・混乱するなか、夜間防備を整えた経過を記す記事。寺本久太郎は、諸隊が先を争って入り込んだ状態で敵が突出すれば味方が自由に戦えないと旗本へ警告し、敵味方を隔てる柵木の設置を提案した。妙解公の許可を得て、長良長兵衛・長岡佐渡らと夜中に柵を立て、出入口を設け、鉄砲を配備して敵の突撃に備えたという。作業中も投石・鉄砲で死傷者が出たが、防備を固め、足軽頭中根市左衛門の鉄砲指揮を賞する。確認用画像末頁の『寛永軍徴巻之十八ノ上』扉は本文外の付随頁。
- 登場人物
- 寺本久太郎、妙解公、長良長兵衛、長岡佐渡、澤村宇右衛門、中根市左衛門ほか
- 宛先
- 宛先なし(記事・記録類)
- キーワード
- 府内注進、原城、本丸、日暮れ、味方密集、混乱、寺本久太郎、旗本、敵突出、柵木、防備、妙解公、長良長兵衛、長岡佐渡、出入口、鉄砲配備、投石、死傷、中根市左衛門、足軽頭、鉄砲指揮、巻之十八ノ上扉、本文外
後編2-No.193記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 237頁
十月十日、北郷忠虎が府内から豊前境へ至る方面の軍に加わり、南郡へ攻め入った経過を記す。鳥嶽城攻略では先陣の兵が城内へ登り、忠虎方も指揮して敵を討ち取ったが、家臣の津曲玄蕃兼詮と前原弥七郎国実が戦死した。高崎城の記事ではなく、豊後侵攻中の鳥嶽城攻めと北郷家臣の犠牲を伝える戦功・戦死記事である。
- 登場人物
- 北郷忠虎、島津忠長、津曲玄蕃兼詮、前原弥七郎国実
- 宛先
- —
- キーワード
- 北郷忠虎譜、北郷忠虎、鳥嶽城、豊後侵攻、島津忠長、津曲玄蕃兼詮、前原弥七郎国実、先陣、戦死
後編2-No.196記事確認度 高
年月日未詳 / 冊子 238~239頁
島津家久が豊後南郡へ進み、府内近辺の諸城を攻略する一方、大友義統・仙石秀久・長宗我部元親らの大軍が十二月十三日に家久の利光陣へ迫った経過を記す。家久方は河川の増水と地形を利用して伏兵を置き、敵の渡河を待って反撃し、長宗我部信親らを討つ。戸次川合戦から大友方の退却、島津軍の追撃・府内進出までを連続して示す。
- 登場人物
- 島津義久、島津家久、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、長宗我部信親、十河存保
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津家久、大友義統、仙石秀久、長宗我部元親、長宗我部信親、十河存保、利光、戸次川合戦、伏兵、豊後侵攻
後編2-No.197記事確認度 中
年月日未詳 / 冊子 239~241頁
島津義弘勢の豊後侵攻を、進軍路・城攻め・兵員配置・戦死者まで詳しく記す。義弘は肥後口から南郡へ入り、志賀氏らの諸城を攻め、夜襲や伏兵、城内突入を重ねて敵を退けた。各地の軍勢、使者、兵糧、負傷・討死の記録が連続し、島津軍が険路を越えて府内方面へ進む実態と、豊後方の抵抗を具体的に伝える長文の軍記記事である。
- 登場人物
- 島津義弘、島津忠長、島津家久、志賀親次、伊集院久治、大友義統
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津義弘、島津忠長、島津家久、志賀親次、伊集院久治、豊後侵攻、攻城戦、夜襲、伏兵、戦死者
後編2-No.322文書確認度 高
〔天正15年〕5月19日 / 冊子 334~335頁
木食応其が島津義久へ、府内以来伝えてきたことが一向に進まず、事態の遅延を強く案じていると訴えた書状。義久が正式に礼を尽くせば諸事は速やかに整い、豊臣秀吉も早く上洛できて島津家・領国のためになると説く。すでに人質を差し出した以上、なお油断して交渉を滞らせるのは嘆かわしいとして、昼夜を分かたず処置を急ぐよう迫る。
- 登場人物
- 木食応其、島津義久
- 宛先
- 島津義久
- キーワード
- 木食応其書状、木食応其、島津義久、豊臣秀吉、礼参、人質、交渉遅延、上洛、催促、九州征伐後
追録7-No.890書状旧記雑録暫定版確認度 高
文化4年3月7日(朱注) / 冊子 273~275頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0890
高輪御殿では以前子女が天亡し、慈光院も卒去して御隠居が徒然に過ごし、随姫を引き取り世話し、昨年御前様の子女も来たが、追って芝へ残らず移り今は御隠居一人だと述べる。御内證様との高輪同居について太守の思召しどおりにされれば安心し、芝御殿からも余程隙ができ、平生の心配も軽くなるとして、遠路の出府を何卒願う。現在の高輪費用は気遣いなく、老年の御隠居と同居の安心、孝養を第一とする太守の意向を一統ありがたく思うとし、双方が直書を送り使渋谷藤内を急ぎ派遣した経緯を記す。以前の出府内沙汰は御隠居だけが入り御方様は入らず、芝から時々訪ね家内の世話を相談する案だったが、御方様も老年になり、芝同居・高輪のいずれでも思召次第に随うとする。惣方にも改めて相談して出府を願い、遠境の苦労はあるが老年介抱のため惣方を始め一統が望むとして直書を送った。江戸住居への断り・対顔について高輪で承知し、表も無故障で御隠居の機嫌が快然だったと伝える。高輪住居の世話が承知されれば早速段取りを知らせるよう求め、藤内は直ちに休息の暇を下し、返書等は別段の急飛脚でよいとする。出府の供女中は途中用の人数を召し連れ、道具は極力軽く、当地で支障なく手当でき、後の取寄せも都合次第。留守の田之浦を切に願い、残る女中の本丸大奥配置を差図されたいが、土産・下し物は当座のことで手当不要、江戸の手当は後で命じられたい。出府承知を得たらまず急飛脚で知らせ、追って用件を指示し、日数が掛からぬよう進め、道中の見物・伊勢参詣は思召次第とする。何度も願うのは老年介抱と惣方の都合によるためで、高輪側に存じ切った断りはないと内用で説明する。3月7日朱文化4年、市田勘解由署、三名宛。出典は重豪公御譜中、扣正文在家老座。依頼・既存内沙汰・承知を得る条件・将来の取計いを分け、実際の出府完了とはしない。
- 登場人物
- 御隠居様、御内證様、御惣方様、太守様、慈光院(重豪妾市田氏・注)、随姫、御前様・御子様方、市田勘解由(盛常・注)、渋谷藤内、嶋津将監(久泰・注)、頴娃信濃(久喬・注)、新納内蔵、男女の役、女中、御留守
- 宛先
- 嶋津将監殿・頴娃信濃殿・新納内蔵殿(各友き)
- キーワード
- 高輪御殿芝移転、慈光院卒去、随姫世話、御内證同居出府願、老年介抱孝養、惣方相談、渋谷藤内休息、急飛脚返書、供女中道具軽減、田之浦留守、本丸大奥女中配置、土産手当不要、伊勢参詣
追録8-No.455本文群(海陸防備・政事総裁儀礼・上洛留守と鎖港貿易の六内容)旧記雑録暫定版確認度 中
10月(通知群、年日不記);貿易条は去ル申年の措置への言及 / 冊子 321~322頁/原整理番号 455/整理ID 455
六内容の雑集。雅楽頭の海陸備えの御用は和泉守・周防守と相談して扱うよう命じる。紀伊中納言は大坂で守衛・海岸防禦を厚くし、必要時に家老と諸藩を指揮する役とする。政事総裁を命じられた松平大和守には公義の御礼以外の贈物等をせず、機嫌伺も書状にするよう求める。大樹の上洛中に横浜鎖港談判が進む場合は適任者へ委任して成功を図るとし、別通知は談判にあたり軽挙暴発を避けるよう諸藩家来まで周知を求める。最後は神奈川開港後の生糸・日用五品等の輸出取締について、去る申年からの措置、今年の不作と物価・国費増加、府内外商人への影響を述べ、国中の支障を生まないよう取締を命じる。十月の通知群として各主題を分け、政策評価は本文の見解で鎖港・取締の完了とはしない。
- 登場人物
- 雅楽頭、和泉守・周防守、紀伊中納言、家老・諸藩、松平大和守(注:直克)、大樹、留守中の委任者、諸商人
- 宛先
- 諸藩・万石以上以下の向々へ、商人等の取締関係者へ
- キーワード
- 六通知、雅楽頭海陸御用和泉周防相談、紀伊中納言大坂守衛海防家老諸藩指揮、松平大和直克政事総裁公義礼外贈物禁止機嫌伺書状、大樹上洛留守横浜鎖港談判委任、軽挙暴発戒諸藩家来周知、神奈川生糸日用五品輸出取締去申年措置凶作物価国費商人波及、十月
追録8-No.1041-1西郷吉之助が桂四郎へ政局の混乱と改革の進め方について所見を述べた書状旧記雑録暫定版確認度 中
辛未7月20日 / 冊子 825~826頁/原整理番号 1041の1/整理ID 1041-1
西郷吉之助が桂四郎に、朝廷・政府内の議論が一致せず政局が混乱している状況を伝え、目前の利益に流されず根本を立てて改革を進める必要を説く。自らの在京中の見聞と今後の対応について所見を述べる。七月二十日。
- 登場人物
- 西郷吉之助、桂四郎、朝廷、政府
- 宛先
- 桂四郎
- キーワード
- 西郷吉之助、桂四郎、朝廷、政府、政局、議論不一致、改革、在京、七月二十日
追録8-No.1041-2西郷隆盛が桂四郎へ政府人事と改革をめぐる協議・対立の状況を報じた書状旧記雑録暫定版確認度 中
辛未7月10日 / 冊子 826~827頁/原整理番号 1041の2/整理ID 1041-2
西郷隆盛が桂四郎に、政府内の人事と制度改革をめぐる協議がまとまらず、木戸・大久保らとの調整が続く状況を報じる。各省への人員配置、参議の選任、改革案の進め方について、自らの対応と今後の見通しを述べる。辛未七月十日。
- 登場人物
- 西郷隆盛、桂四郎、木戸孝允、大久保利通、山縣有朋、参議、各省官員
- 宛先
- 桂四郎
- キーワード
- 西郷隆盛、桂四郎、木戸孝允、大久保利通、山縣有朋、参議、各省、官員、人事、制度改革、協議、七月十日
附録1-No.998文書確認度 高
正月十九日 / 冊子 409頁
島津義久が宰相殿へ、遠境のため連絡を欠いたことを述べ、日向境への出兵と防戦、千石・長宗我部・義統らの動向を説明する。京都との疎隔はないので戦を避けるよう申し渡したが承引されず、戦勝と多数の討死に至った経緯、府内で京都・四州の士卒を島津家久が船で退避させたことを伝え、仲介を求めた書状案。宰相殿の人物同定は保留する。
- 登場人物
- 島津義久、宰相殿、千石殿、長宗我部殿、義統、関白、島津家久
- 宛先
- 宰相殿・御宿所
- キーワード
- 島津義久、宰相殿、千石、長宗我部、義統、関白、島津家久、日向境、出兵、戦勝、正月十九日、人物同定保留
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 383連署書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
11月25日 / 冊子 418~419頁/原整理番号 383
十一月二十五日、熊本家老の長岡監物・有吉頼母・長岡佐渡守が松倉長門守へ返信する。二十四日付書状の到着を知らせ、帰城の報告と江戸注進のための訴状・文箱は、傳蔵・丹波から府内へ送られていると述べる。目付衆への連絡や次飛脚による江戸送付を約し、留守家老への見舞いにも触れる。城内の兵糧不足と聞いて少量の米を送ったが返されたため、気遣い無用と伝える。
- 登場人物
- 松井興長 有吉英貴 米田是季 松倉長門守 牧野成就 林勝正 御目付衆
- 宛先
- 松倉長門守
- キーワード
- 熊本家老 松倉長門守 江戸注進 文箱 兵糧米
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 407編纂史料・軍事記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 435~436頁/原整理番号 407
『平塞録』十二月十七日の伝聞として、十一月二十九日に府内の目付川勝丹波守・佐々権兵衛から江戸へ飛脚が着いたと記す。十四日の天草での戦闘で寺沢方が敗れ、家老ら多数が戦死し富岡城へ籠ったとの報告を受け、将軍は井伊・酒井・土井と評議した。追加上使による早い鎮圧を求める意見などを経て、松平信綱と戸田氏鉄を派遣することになったと伝える。
- 登場人物
- 川勝丹波守 佐々権兵衛 寺沢堅高 井伊直孝 酒井忠勝 土井利勝 松平信綱 戸田氏鉄
- 宛先
- なし(記事)
- キーワード
- 富岡籠城 幕府評議 上使増派 伝聞
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 420覚書・出兵指示旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
寛永十四年12月3日 / 冊子 443~444頁/原整理番号 420
伊勢貞昌へ示した覚書。検使の下知を厳守し、切支丹の家以外での乱妨・狼藉・放火を禁じる。天草・島原の状況を府内の横目へ報告し、鎮圧後は早く帰還するよう求める。一揆が広がれば増派が必要になるため、薩摩から米・大豆・船などを肥後へ回して役立て、全軍集結を待たず天草近辺の兵を先に出すよう指示する。
- 登場人物
- 松平定行 伊勢貞昌
- 宛先
- 伊勢貞昌(兵部少輔)
- キーワード
- 軍紀 放火禁止 情報報告 兵站 先発出兵
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID old1:43書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
(明暦元年)九月廿三日 / 冊子 368頁/原整理番号 43
島津久通ら五名が遠山三郎左衞門に宛てた連署書状。松平定行からの書状を受け、琉球へ向かう清朝の冊封使船、福州での船の準備、漂着唐人の口上などを報告する。幕府内証のうえ琉球側へ指示する必要があるとして、定行の意見と仲介を求める。
- 登場人物
- 島津久通、伊勢貞昭、新納久詮、町田久則、鎌田政有、松平定行、遠山三郎左衞門
- 宛先
- 遠山三郎左衞門殿
- キーワード
- 島津久通外四名連署書状、明暦元年九月廿三日、伊勢貞昭、新納久詮、町田久則、鎌田政有、松平定行、遠山三郎左衞門、琉球、清朝、冊封使、福州、漂着唐人
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID I::37文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高
年月日未詳 / 冊子 451~452頁/原整理番号 37
重豪が脇坂安董に、琉球と島々の干ばつ・暴風による飢饉で千五百六十三人が餓死し、薩摩からの救米も遠海まで行き届かないと述べる。唐物品替の許可を願い出たので、関係役人にも困窮を伝え、幕府内で取り成してほしいと依頼する。
- 登場人物
- 島津重豪(松平栄翁)
- 宛先
- 脇坂安董(中務大輔)
- キーワード
- 島津重豪、脇坂安董、琉球、宮古島、飢饉、救米、唐物品替
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W08_文書0007-5系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 低
年月日未詳 / 冊子 520~523頁/原整理番号 7-5
忠久を高倉王の子とする系図の説について、二十四項目の疑問を列挙する。丹後内侍と高倉王の関係、法師房の呼称、三宮と北陸宮の区別、母方の系譜などに明文があるかを問い、推察を根拠とする箇所を指摘する。仁安三年出生・六十歳没と、八歳入国・十九歳没の記録を比較し、年齢や生没年の整合を検討する。三郎から忠久への改名、頼朝が王子をかくまう必要、三位家下文、甘縄居住、後陣供奉や幕府内の待遇が皇統説を裏付けるかを問い直す。
- 登場人物
- 島津久光、伊地知季安、忠久、高倉王、北陸宮、後白河法皇、丹後内侍、惟宗廣言、隆曉、法師房、源頼朝、政子、畠山重忠、宗景、景盛、比企遠宗、比企能員、義仲、義高、信允、平田純正、菊地、田中
- 宛先
- —
- キーワード
- 島津久光証付箋、忠久の皇統説への疑問、典拠の明文と推察、法師房の呼称、生没年と年齢の検討、母方、北陸宮と三宮の区別、元服と改名、島津庄下文、甘縄の居住、幕府との関係
島津世禄記-A28記事関連史料(外伝)確認度 高
巻三/冊子 38~41頁
伊東氏を保護した大友氏が秀吉へ島津征伐を求めたことに対し、義久が先に豊後へ攻め入った経過と、秀吉の九州国分け・征伐命令を記す。入田宗和・志賀道益ら大友方内部の離反を受け、新納忠元が密使を送り、天正十四年十月、義弘を大将とする三万七百余騎が肥後側から豊後へ進む。義弘勢は野尻・高城・津賀牟礼・松尾・鳥嶽などを攻略し、家久勢も日向側から三重方面へ進んだ。秀吉は島津・伊東・大友らの所領を配分する調停案を示して戦争停止を求めるが、島津方は従わず、十二月の戸次川方面の戦いで大友義鎮・仙石秀久・長宗我部信親・十河存保らの軍を破り、信親・存保を討つ。翌天正十五年、秀吉はこれを命令違反として九州征伐軍を進める。島津勢は府内・野上・玖珠方面から撤退を決め、義弘・家久は日向路、歳久・征久・忠元・伊集院久春らは肥後路へ分かれる。清田・三重・梅の隘・坂無・谷山・八代で追撃を受けながら防戦し、忠元らは国人の離反と豊臣方の海陸大軍の接近を見て、人吉を経て薩摩へ帰る。豊後侵攻の進展、戸次川での勝利、秀吉の国分け命令違反、豊臣軍来襲による撤退を一連の転換として描く。
- 登場人物
- 島津義久、島津義弘、島津家久、島津歳久、島津征久、島津忠長、新納忠元、伊集院忠棟、伊集院久春、入田宗和、志賀道益、大友義鎮、豊臣秀吉、仙石秀久、長宗我部信親、十河存保、伊勢貞昌、大野久高
- 宛先
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- キーワード
- 豊後征伐、九州国分け、戸次川合戦、秀吉九州征伐、豊後撤退、肥後路・日向路