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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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48 件 (全巻)/ 1–48件を表示

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後編3-No.174記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六が、南原城の攻撃と落城後の追撃、江南方面への転戦、各地の戦闘や水軍との交戦を回想した覚書。諸将の働き、死傷者、軍船・兵糧の確保、戦功への褒賞までを具体的に記す。

登場人物
大重平六、島津義弘、島津忠恒、日本軍諸将、朝鮮軍
宛先
—
キーワード
大重平六、南原城、江南、朝鮮出兵、追撃、水軍、戦功、軍船、兵糧
後編3-No.1147記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六が、石田三成の挙兵に際し島津義弘(惟新)が徳川家康との特別な関係を理由に同心を拒んだこと、伏見城への籠城を申し入れたものの城方に拒まれたことを記す。井尻弥五助を江戸へ遣わしたが、家康の返書を携えた帰途に近江水口で襲われ、返書は判のみを残したという。

登場人物
大重平六、石田三成、島津義弘(惟新)、徳川家康、井尻弥五助、鳥居元忠、松平主殿介
宛先
—
キーワード
大重平六覚書、石田三成挙兵、島津義弘(惟新)、徳川家康、同心拒否、伏見城入城拒否、井尻弥五助、江戸使者、水口襲撃、返書判
後編3-No.1148記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六の覚書。七月十九日に伏見城攻撃が始まり、八月朔日に落城したのち島津勢が美濃へ向かい、大垣近くの奥窪・六之渡付近に陣した経過を記す。岐阜城陥落と石田勢の敗戦を受け、洲俣の人数をまとめ、新納弥太右衛門・川上久右衛門らが石田治部少輔の馬口を取り、島津豊久らと大垣城へ籠ったこと、家康が赤坂に陣し義弘が大垣に滞留したことを述べる。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、石田三成、小西行長、徳川家康、新納弥太右衛門、川上久右衛門、島津豊久
宛先
—
キーワード
大重平六覚書、伏見城攻撃、伏見落城、美濃、大垣、奥窪、六之渡、岐阜城陥落、石田三成、小西行長、洲俣、徳川家康赤坂陣
後編3-No.1406記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六が十四歳で島津義弘(惟新)の朝鮮出兵に供奉した覚書。慶長三年、泗川付近で明軍約二十万が城へ迫るなか、義弘は鉄砲を控えさせて機を待ち、城外へ斬り出して大軍を崩した。敵首三万八千七百余を集め、のち撤退時には小西行長救援や番船との戦闘があり、奪われた義弘の馬印を黒田宅右衛門が敵船から奪還した。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、川上忠兄、菱刈源兵衛、黒田宅右衛門
宛先
該当なし
キーワード
大重平六覚書、大重平六、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、朝鮮出兵、泗川、明軍、鉄砲、敵首、川上忠兄、菱刈源兵衛、小西行長、黒田宅右衛門、馬印
後編3-No.1408記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六の覚書から、関ヶ原敗戦後の島津義弘(惟新)の敵中突破、駒野・伊賀・信楽を経た退却、住吉・堺での潜伏と出船を記す。横山休内は義弘の鎧を着て持ち帰り、本田源右衛門らは危機に際して身代わりを申し出た。海路では豊後沖で船団に被害が出たが、義弘は細島・佐土原・八代を経て十月三日に帖佐へ帰着した。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、横山休内、本田源右衛門、田辺道与、塩屋孫右衛門
宛先
該当なし
キーワード
大重平六覚書、大重平六、島津義弘(惟新)、関ヶ原、駒野、信楽、住吉、堺、横山休内、本田源右衛門、田辺道与、塩屋孫右衛門、出船、帖佐帰着
後編3-No.1361記録確認度 高

大重平六覚書

九月十四日の大垣出陣から関ヶ原合戦、島津義弘(惟新)勢の敵中突破と帰国までを詳述する。大谷吉継勢の崩壊後に東軍を切り抜け、大垣の火災を見て伊勢路へ向かい、横山久内が義弘の鎧を着て運んだ。信楽・平野・住吉を経て船に乗り、豊後沖では黒田方の兵船と戦って死傷者を出したが、細島・佐土原などを経て十月二日に帖佐へ帰着した。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、島津豊久(中務大輔)、石田三成、小早川秀秋、大谷吉継、横山久内、本田源右衛門、伊勢平左衛門、白浜七助、東太郎左衛門、黒田長政
宛先
該当なし
キーワード
大重平六覚書、関ヶ原合戦、島津義弘(惟新)、敵中突破、大垣、信楽、住吉、横山久内、薩摩船、黒田兵船、細島、帖佐、帰国
後編3-No.1362記録確認度 高

大重平六覚書

島津義弘(惟新)の鎧を横山久内が大垣まで着けて運び、その後、京都の愛宕へ祈願のため奉納したことを記す。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、横山久内
宛先
該当なし
キーワード
大重平六覚書、島津義弘(惟新)、横山久内、鎧、大垣、京都、愛宕、祈願、奉納
附録1-No.937文書確認度 高

某覚書

大仏造立用の唐金・地金を木食上人と相談する件、国役、伏見城番と供衆の人数、大刑少殿内の閑斎の弟の奉公、杵綱平六、出水瀬崎父馬への母駄給付など、複数の用件を列記した覚書。

登場人物
木食上人、大刑少殿、閑斎、杵綱平六、出水瀬崎父馬、六右
宛先
—
キーワード
覚書、大仏造立、唐金、地金、木食上人、国役、伏見城番、供衆、閑斎、杵綱平六、出水瀬崎父馬
前編2-No.10文書確認度 高

比志島範平軍忠状

比志島範平が、前年十月二十五日の岩屋城退治以後の従軍と、正月二十一日・二十五日および三月二十日夜の濱陣合戦で先懸けを務めた軍忠を申告した。自身・中間平六・弟範家の負傷と見知人を挙げ、注進と恩賞を求める。

登場人物
比志島太郎範平、比志島彦次郎範家、中間平六、伊集院帖佐太郎左衛門尉、久木崎五郎兵衛尉
宛先
御大将
キーワード
比志島範平、岩屋城、濱陣、先懸、負傷、軍忠状、恩賞、伊集院帖佐
前編2-No.11文書確認度 高

比志島範平軍忠状

比志島範平が、前年十月二十五日の岩屋城退治以後の日夜の合戦と、正月および三月の濱陣合戦での先懸け・負傷を申告した軍忠状。度々の注進勘文を根拠に、後日の証拠となる一見状を求める。

登場人物
比志島太郎範平、比志島彦次郎範家、中間平六、伊集院帖佐太郎左衛門尉、久木崎五郎兵衛尉
宛先
御大将
キーワード
比志島範平、岩屋城、濱陣、先懸、負傷、軍忠状、一見状
後編1-No.476記事確認度 中

殉国名薮

永禄十二年に島津方で戦死・討死した者を月日別に列挙する。正月三日から十一月二十七日まで、三月十八日の蒲池越中守ら、五月二十三日・二十五日の伊地知重次、貴島源五郎ら、多数の家臣・従者の名と一部の戦場・討死事情を記す。

登場人物
上野源十郎、川上右衛門、蒲池越中守、宮原景次、伊地知重次、貴島源五郎、税所宮内少輔、深野平六、村原新介、吉田清正、有馬純喬、上床源六兵衛、加治屋新左衛門、宇都源左衛門、肝付兼致、種子田秀経ほか
宛先
—
キーワード
殉国名薮、永禄十二年、戦死者、討死、蒲池越中守、伊地知重次、貴島源五郎、家臣、従者、名簿
後編1-No.504記事確認度 高

島津貴久譜

永禄十二年五月二十五日、祁答院長野城を攻め、守兵の激しい抵抗を受けた。比志島氏・鎌田政年らが奮戦し、仲俊坊・貴島源五郎・税所宮内少輔ら多数が戦死したが、各隊が死を顧みず攻めて勝利した。蒲生境でも敵数十人を討ったため伊東方は恐れ、七月十四日に飯野桶比良陣を捨てて退却した。

登場人物
島津貴久、比志島宮内少輔、比志島彦四郎、鎌田政年、祁答院新兵衛尉、仲俊坊、貴島源五郎、税所宮内少輔、深野平六、村原新介、肝付権介、伊東氏
宛先
—
キーワード
島津貴久譜、永禄十二年、祁答院長野城、比志島氏、鎌田政年、戦死者、蒲生、伊東氏、飯野、桶比良、退却
後編3-No.411文書確認度 高

島津竜伯書状

島津義久(竜伯)が島津又八郎に、帰朝には治部少輔の助力が得られる見込みを伝え、在京者同士の神文や茶の湯を介した結び付きに注意して判断するよう助言した書状。大和に現れた不思議な人物、東国馬の受領、家中の人手不足、阿多の者の帰国希望、有方の茶の湯による用務遅延など、京都・家中の近況も詳しく報じる。

登場人物
島津義久(竜伯)、島津又八郎(忠恒)、石田三成(治部少輔)、有方、平六父子、柏原殿、本六右ほか
宛先
又八郎殿
キーワード
島津竜伯書状、島津義久、島津忠恒、帰朝、治部少輔、石田三成、神文、茶の湯、大和国、奇異、東国馬、家中人手不足、有方、京都近況
追録6-No.1813届書旧記雑録暫定版確認度 高

桜島の三月十八日・四月八日の噴火と田畑損失を幕府へ届ける書状

領内の桜島が当年三月十八日と四月八日に噴火し、田畑が損なわれた件について、詳しくは後日報告すると既に届けていたところ、国元の家来が来て別紙の情報を伝えたため届け出る。九月十三日付、松平薩摩守。付記は当日御用番松平周防守へ、矢野清右衛門が持参し、取次の安達平六を通じて提出したこと、同人から受領の旨を知らされたことを記す。被害の具体的な数値はこの届書本文には載らない。

登場人物
島津重豪、松平周防守、矢野清右衛門、安達平六
宛先
御用番松平周防守
キーワード
島津重豪、桜島、噴火、三月十八日、四月八日、田畑損失、別紙、矢野清右衛門、安達平六
追録7-No.2068記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉興宝島の諸士の功を賞す

近秘野抄中の斉興公記事。文政8年9月朔日、斉興は町田久視に宝島の功労者への褒賞を命じ、島津権五郎を当番頭・領御用人に任じた(当番頭に百苞の小注)。吉村九助には歳俸50苞を終身給付して功績を賞する。本田助之丞を種子島へ移し、九助に従って功を成したことを嘉し、罪を特に赦す。種子島伊勢輔時に安置を命じ、御船奉行にも伝える。平田平六と中村理兵衛には米各5斛、平田藤助には米2斛を賜り、平六が吉村に、藤助が本田に従って命令を守ったことと、理兵衛の防備の働きを評価した。10月、九助を郡奉行に擢用し、勤務に加えて戦功も賞した。初め、異人の鉄炮と雑佩を久視らが長崎へ護送するよう命じたが、鉄炮について奉行へ特に願い出た。異物を官庫へ収め国典とする扱いのもと、奉行が江戸へ伝えた願いが許され、鉄炮が返されると九助に授け、子孫へ伝えるよう命じた。

登場人物
島津斉興、町田監物久視、島津権五郎、吉村九助、本田助之丞、種子島伊勢輔時、平田平六、中村理兵衛、平田藤助、長崎奉行
宛先
—
キーワード
島津斉興、町田久視、宝島論功、島津権五郎、当番頭百苞注、領御用人、吉村九助、歳俸五十苞終身、本田助之丞、種子島移送、赦免、種子島伊勢輔時、平田平六、中村理兵衛、米各五斛、平田藤助、米二斛、郡奉行擢用、鉄炮雑佩、長崎護送、官庫国典、江戸許可、鉄炮返還、九助子孫伝承
追録8-No.913-1馬術射術鎗術長刀の師家を免じ希望者への指南は許す達旧記雑録暫定版確認度 中

各術の実用の利が少ないとの評価で列記師家を免じ、懇望者に術を指南することは差し支えないとする

通達留。馬術の比志嶋静馬・町田平・高橋甚五兵衛、射術の高田十郎右衛門・東郷長左衛門・伊集院半五右衛門・平田平六・木上源五郎、鎗術の梅田九左衛門・白尾登五右衛門、長刀の田代宗次郎を列記する。これらは師家として置いていたが、諸術の実用の利が少ないという達の評価から、各人の師家を免じる旨を本人と関係先へ伝える。但し望む人にその術を指南することは差し支えないとする。明治二巳九月、知政所。師家の役と私的な指南の但書を区分し、武術自体の全面禁止や各人の能力への現代評価、指南実績は補わない。

登場人物
知政所、比志嶋静馬・町田平・高橋甚五兵衛、高田十郎右衛門・東郷長左衛門・伊集院半五右衛門・平田平六・木上源五郎、梅田九左衛門・白尾登五右衛門、田代宗次郎、指南希望者
宛先
列記した師家本人、関係向々
キーワード
原913の1通達留馬術師家比志嶋静馬町田平高橋甚五兵衛射術高田十郎右衛門東郷長左衛門伊集院半五右衛門平田平六木上源五郎鎗術梅田九左衛門白尾登五右衛門長刀田代宗次郎實用利少評価師家差免但懇望指南可明治二巳九月知政所
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:352文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

畠山直顕挙状

畠山直顕が、建武三年から暦応二年八月の兼重城没落までの祢寝弥次郎清種の軍忠を注進した挙状。兼重城・石山城で清種が二度負傷し、上財部向城合戦では親類平六兼安も負傷したこと、南郷大和田城・下財部新宮城・兼重本城などを攻め落としたことを挙げる。暦応四年十二月廿日付。

登場人物
畠山直顕、建部清種、祢寝平六兼安
宛先
—
キーワード
畠山直顕挙状、畠山直顕、建部清種、祢寝平六兼安、兼重城、石山城、上財部向城、南郷大和田城、下財部新宮城、負傷、落城、暦応四年
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w9:145令旨・軍忠催促旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

正平六年十一月廿七日征西将軍宮令旨

正平六年十一月二十七日、修理権大夫が征西将軍宮の意向を受け、山門彦七郎に馳せ参じて軍忠を尽くすよう命じた令旨。修理権大夫が花押を据え、山門彦七郎館に宛てる。前年の令旨w9:144と同じ軍忠催促だが、本文には恩賞の約束がなく、山門院東方の田畠の相続・知行も記されない。

登場人物
征西将軍宮、修理権大夫、山門彦七郎
宛先
山門彦七郎館
キーワード
正平六年十一月二十七日、征西将軍宮、修理権大夫、山門彦七郎館、馳参、軍忠、令旨、花押、前年令旨との相違
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-IKEHATA-D0691畠山直顯挙状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:畠山直顯挙状

大隅国祢寝弥次郎清種の建武三年から暦應二年八月兼重城没落までの、日向国での軍忠を注進する。 建武三年十二月十八日兼重城、建武四年正月十日石山城、暦應二年正月十三日上財部向城の合戦と、清種・親類平六兼安の負傷を記す。 石山城・大和田城・新宮城・兼重本城の落城を挙げ、原小字に三俣院・南郷・下財部を添える。 虚偽の申候なら日本国中大小神祇の御罰を受けるとの誓約を添え、源直顯が御奉行所へ注進する。

登場人物
大隅國祢寝弥次郎清種、親類平六兼安
宛先
御奉行所
キーワード
日向国、兼重城、石山城、上財部向城、大和田城、新宮城、負傷、誓約
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-IKEHATA-GOSHOHAN-D0698建部清種軍忠状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:建部清種軍忠状

建武三年十一月二十一日の太田城着到以来、新宮城・三俣院などの合戦を申す。 兼重城郭と石山城での先懸・被疵、建武四年十月までの軍忠を述べる。 南郷大和田城を今年四月十三日に攻落し、今月十三日に兼重城を押巻き同廿七日に攻落したとする。 親類平六兼安の被疵も記し、所々の先懸と軍忠について御披露を求める。

登場人物
祢寝弥次郎清種(原表記留保・比定未確認)、親類平六兼安(原表記留保・比定未確認)、畠山直顕(刊本注・比定未確認)
宛先
御奉行所
キーワード
南郷、大和田城、石山城、先懸、軍忠
追録7-No.2008記事旧記雑録暫定版確認度 高

英人宝島の牛を奪取す(近秘野抄中)

七月八日、白帆の大型異船が宝島沖へ来航し、七人が小艇で前籠へ上陸した事件の別記録。言葉が通じないため身振りで応接し、焼酒・菓子・金銀・衣服などとの交換を求めた異人へ米や野菜を与えたが、島民が小艇を留めると異人は発砲して牛を奪った。番鎮は火縄銃や石火矢を整えて前籠へ進み、九助らが応戦し、異人一人が倒れて他は退船した。その後も銃声を上げながら移動した船を遠見・海行で追跡し、島役人は異人死体と遺留品を収めた。八月に江戸の町田監物久視へ報告し、九月には斉興が老中青山忠裕へ届け、幕府への公報が許された経過まで記す。

登場人物
島津斉興、吉村九助、平田藤助、本田助之丞、平田平六、中村理兵衛、青山忠裕、町田監物久視
宛先
—
キーワード
島津斉興、宝島、異国船、英国人、吉村九助、平田藤助、町田監物久視、青山忠裕、前籠、牛、発砲、異人死体、幕府報告
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 65人数書上・戦場供衆名簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

戦場御供衆人数書上

戦場御供之人数として67名分の項目を列記し、うち御道具衆6名・御小者2名・御馬取3名を区分する。鳴海覚右衛門尉と松下喜左衛門尉は御道具衆の人名である。末尾の貼紙は、慶長五年の関ヶ原退却時に道中を供した人数とみられる、と推定する。

登場人物
桂太郎兵衛尉、本田与兵衛尉、伊集院半五郎、山田民部少輔、横山久内、長田三平、鳴海覚右衛門尉、前田万右衛門、松下喜左衛門尉、山口喜左衛門尉、平六、才八、与早左衛門尉、作兵衛尉、善左衛門尉ほか
宛先
なし(人数書上)
キーワード
戦場御供之人数、67名分、御道具衆6名、御小者2名、御馬取3名、関ヶ原退却、貼紙の推定
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:350文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

建部清種軍忠状

建武三年十一月の太田城着到以後、建部清種が櫛間城・新宮城・兼重城・石山城など日向国各地で合戦し、追巻・城戸口での戦闘や城攻めに先懸して二度負傷した経過を列挙した軍忠状。友永七郎澄雄・高木孫三郎久安らの見知を記し、披露を求める。暦応二年八月卅日付。

登場人物
建部清種、肝付兼重、友永七郎澄雄、高木孫三郎久安、祢寝平六兼安
宛先
御奉行所
キーワード
建部清種軍忠状、建部清種、肝付兼重、友永澄雄、高木久安、太田城、櫛間城、新宮城、兼重城、石山城、先懸、負傷、暦応二年
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-IKEHATA-GOSHOHAN-D0701禰寢清種軍忠状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:禰寢清種軍忠状

建武三年から暦応二年八月卅日までの軍忠について急速な御沙汰を求める。 御着到・御感御教書・御一見状など一巻を副進する。 清種と兼安らの負傷、城の攻落、身命を捨てた先懸を述べる。 御注進と恩賞を求める申告に直顕判を伴う。

登場人物
清種(原表記留保・比定未確認)、兼安(原表記留保・比定未確認)、直顕(原表記留保・比定未確認)、平六(刊本注・比定未確認)
宛先
—
キーワード
御注進、恩賞、御感御教書、軍忠
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:62系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

大前氏東郷斧渕氏系図

薩摩国在国司・大前氏東郷斧渕氏の系図。敏達天皇の後胤・橘諸兄の苗裔とし、道胤は幼名菊王丸、東郷弾正少弼・左衛門尉、西前寺殿、法名慈寛を称し、東郷城に居住、建久九年に上洛して内裏大番を勤めた。道武は菊寿丸・兵衛尉・武蔵守、西前寺殿、慈光で、妻を山門院郡司秀忠の女とする。道義は平太郎・蔵人・弾正少弼・摂津守、斧渕を号し、西前寺殿・慈道。正平六年十二月二十三日に渋谷九郎重興が軍勢を催して戦った記事を伴う。道長は平次郎・弾正少弼・相模守、西前寺殿・慈法で、道張(山田)から道久・道宗(荒川)へ分かれる。道将は平六郎・弾正少弼・相模守、西前寺殿・慈徳で、道重へ続く。後半は道盛、道真(今村兵部太夫)と道時・道実(藤川)の系、道信、良道を掲げる。道信は大泉坊・不動院として平佐城・樋脇天神坊に住み三十五町を領し、法名仙香、八十二歳で没した。良道は源五郎・神力坊・不動院で入来院重時の家臣となり、子孫を入来院家臣・斧渕仁兵衛とする。

登場人物
敏達天皇、橘諸兄、道胤、道武、山門院郡司秀忠、道義、渋谷九郎重興、道長、道張、道久、道宗、道将、道重、道盛、道真、道時、道実、道信、良道、入来院重時、斧渕仁兵衛
宛先
—
キーワード
大前氏東郷斧渕氏系図、薩摩国在国司、敏達天皇、橘諸兄、道胤、菊王丸、東郷弾正少弼、左衛門尉、西前寺殿、慈寛、東郷城、建久九年、上洛、内裏大番、道武、菊寿丸、兵衛尉、武蔵守、慈光、山門院郡司秀忠女、道義、平太郎、蔵人、摂津守、斧渕号、慈道、正平六年十二月二十三日、渋谷九郎重興、軍勢、道長、平次郎、相模守、慈法、道張、山田、道久、道宗、荒川、道将、平六郎、慈徳、道重、道盛、道真、今村兵部太夫、道時、道実、藤川、道信、大泉坊、不動院、平佐城、樋脇天神坊、三十五町、仙香、八十二歳、良道、源五郎、神力坊、入来院重時、斧渕仁兵衛
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:119正統系譜・職掌由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

惟宗姓執印氏正統系譜

醍醐天皇第五皇子保明親王の子慶頼王が承平六年(936)に惟宗姓を賜ったとの伝承から、具瞻・正邦・孝親・孝言・忠方・友国・国広らを経て康友へ至る系線と、陰陽頭・能登守・伊賀守・筑前守などの官職を示す執印氏正統系譜。康友を執印一代として薩摩国鹿児島郡司・弁済使に位置づけ、文治年間に新田宮執印職・五大院院主職を子孫代々が補任されたこと、次男友久が高城郡国分寺留守および同所天満宮祢宜・別当職を伝えたこと、康友・友久の子孫が寺社領の領主となり鎌倉・室町両将軍家に代々御家人として仕えたことを記す。新田宮祭礼は、かつて禁裏から勅使が毎年下向したが遠境のため康友の子孫が代勤するようになったとし、家紋を蓬莱亀、氏神を稲荷大明神、祭日を十一月三日とする。

登場人物
醍醐天皇、保明親王、慶頼王、惟宗具瞻、惟宗正邦、惟宗孝親、孝言、忠方、友国、国広、忠友、高友、忠康、忠広、成光、忠久、友光、忠季、友兼、友広、康友、友久
宛先
—
キーワード
惟宗姓執印氏正統系譜、醍醐天皇、保明親王、慶頼王、承平六年、惟宗姓、陰陽頭、康友、執印一代、鹿児島郡司、弁済使、新田宮執印職、五大院院主職、友久、高城郡国分寺留守、天満宮祢宜別当職、寺社領、御家人、禁裏、勅使、新田宮祭礼、蓬莱亀、稲荷大明神、十一月三日
附録1-No.604文書確認度 高

細川頼春書状

細川頼春が、去る十六日に入洛したことと道中の危険、早期の拝謁を望むことを伝え、子息三郎を参向させて使者への対応を求めた書状。

登場人物
細川頼春、薩摩守殿、子息三郎、使者
宛先
薩摩守殿
キーワード
細川頼春、書状、薩摩守殿、入洛、道中、拝謁、子息三郎、使者、正平六年
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:281文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

後村上天皇綸旨

後村上天皇の綸旨。軍功のある者への抽賞を認め、その功労を奏上するよう伝える。正平六年八月三日付。

登場人物
後村上天皇綸旨、大隅左京進
宛先
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キーワード
後村上天皇綸旨、軍事・武具、大隅
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:282文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

後村上天皇綸旨

後村上天皇の綸旨。武功を挙げた者を賞し、事情を報告するよう伝える。正平六年八月三日付。

登場人物
後村上天皇綸旨、渋谷九郎
宛先
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キーワード
後村上天皇綸旨、軍事・武具、入来院
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:283文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

後村上天皇綸旨

後村上天皇の綸旨。早急に賊軍を追討し、忠節を尽くした者の働きについて申告するよう命じる。正平六年十月二十五日付。

登場人物
後村上天皇綸旨
宛先
—
キーワード
後村上天皇綸旨、軍事・武具
前編1-No.2335記事確認度 高

島津国史

南朝正平六年・北朝観応二年を中心に、尊氏・直義・直冬の対立が九州へ波及した情勢を月日順に詳記する。島津貞久・氏久・師久、肝付兼重、祢寝清種・清増らが大姶良城・樺山・福山・志布志城などで戦った経過、幕府・征西方の教書、軍忠・恩賞、討死・負傷、諸氏の離合集散を多数の文書と系譜記事から集成した島津国史。

登場人物
島津貞久・足利直冬・足利義詮ほか
宛先
薩摩国・九州各地ほか
キーワード
島津国史、観応二年、足利尊氏、足利直義、足利直冬、島津貞久、大姶良城、志布志城、軍忠恩賞
追録5-No.428文書旧記雑録暫定版確認度 高

伊勢貞起返書

下屋敷の普請はおおむね完成し、近く座敷を仕上げると返答する書付。荒神供、門の地鎮、門開きの加持と鎮宅祈祷、通初めを順に予定し、四月十一日の吉日に名代による移徙と御祝を行うと記す。三献の衣服は無紋の白色とし、平田平六の祈祷、普請役への酒・吸物などの祝儀も先例を調べて整える。末尾では太守へ別紙で申し上げることを伝える。

登場人物
樺山主計久初
宛先
伊勢兵部貞起
キーワード
伊勢貞起、樺山久初、下屋敷、普請、酒肴、返書
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:50系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

橘姓東山藤崎系図

橘諸兄の末流とする東山藤崎氏の系図。小四郎公紀は従五位下美濃守で藤崎を号し、鎌倉合戦では宮方として新田陣に加わり、初めて薩州へ下って向島および諸所を領したとする。公辰(美濃守・橘次)―公明(備前・小四郎)―公兼(肥前守・平六兵衛)の系線、公範(豊前守・小四郎)―公行(善六左衛門・但馬守・小四郎)―公昌(助右衛門・吉次)の系線、公朝(六郎右衛門)―公常(善六左衛門)の系線を掲げ、公朝の母を島津左近将監忠富の娘と記す。子孫は六太夫。

登場人物
橘諸兄、公紀、公辰、公明、公兼、公範、公行、公昌、公朝、公常、島津左近将監忠富
宛先
—
キーワード
橘姓東山藤崎系図、橘諸兄末流、公紀、従五位下、美濃守、藤崎号、鎌倉合戦、宮方、新田陣、薩州下向、向島領有、公辰、公明、公兼、肥前守、公範、豊前守、公行、但馬守、公昌、公朝、公常、島津左近将監忠富女、婚姻、六太夫
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:284文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

足利尊氏御教書

吉野方との和睦を受け、入道直義を追討する旨の綸旨とその案文を伝え、協力を命じる。正平六年十一月十三日付。

登場人物
足利尊氏御教、可追罰、尊氏
宛先
—
キーワード
足利尊氏御教書、軍事・武具
前編1-No.2368文書確認度 高

後村上天皇綸旨

後村上天皇が渋谷美濃守へ、御方へ参る意向を聞き届けたとして、征西将軍宮に属して軍忠を尽くし、殊功があれば恩賞を与えると伝えた綸旨。

登場人物
後村上天皇・左中弁ほか
宛先
九州ほか
キーワード
後村上天皇、渋谷美濃守、征西将軍宮、軍忠、殊功、恩賞、綸旨
前編1-No.2369文書確認度 高

後村上天皇綸旨

後村上天皇が大隅左京進入道へ、御方へ参る意向を聞き届けたとして、征西将軍宮に属して軍忠を尽くし、殊功があれば恩賞を与えると伝えた綸旨。

登場人物
後村上天皇・左中弁ほか
宛先
九州ほか
キーワード
後村上天皇、大隅左京進入道、征西将軍宮、軍忠、殊功、恩賞、綸旨
前編1-No.2370文書確認度 高

後村上天皇綸旨

後村上天皇が渋谷九郎左衛門尉へ、御方へ参る意向を聞き届けたとして、征西将軍宮に属して軍忠を尽くし、殊功があれば恩賞を与えると伝えた綸旨。

登場人物
後村上天皇・左中弁ほか
宛先
九州ほか
キーワード
後村上天皇、渋谷九郎左衛門尉、征西将軍宮、軍忠、殊功、恩賞、綸旨
前編1-No.2381文書確認度 高

後村上天皇綸旨

後村上天皇が島津上総入道へ、朝命に背いて没落した足利直義を早く追討し、軍忠を尽くす者には抜群の恩賞を与える旨を伝えた綸旨案。

登場人物
後村上天皇・島津上総入道ほか
宛先
九州ほか
キーワード
後村上天皇、島津上総入道、足利直義、朝命違背、追討、抜群恩賞、綸旨案
前編1-No.2389文書確認度 高

征西将軍宮令旨

征西将軍宮方が、吉野との和睦を受けて足利直義追討の綸旨が下ったとして、直義党類を追って関東へ下向し、一族を催して官軍への忠節を尽くすよう命じた令旨。

登場人物
征西将軍宮ほか
宛先
九州ほか
キーワード
征西将軍宮、吉野和睦、足利直義追討、綸旨、関東下向、一族催促、令旨
前編1-No.2391文書確認度 高

渋谷重輿軍忠状

渋谷九郎左衛門尉重興が、当月五日に大将の目前で合戦して忠節を尽くしたことについて、幕府への注進と後日の証拠となる一見状を求めた軍忠状。

登場人物
渋谷重輿ほか
宛先
薩摩国ほか
キーワード
渋谷重興、当月五日、大将目前、合戦、忠節、幕府注進、一見状、軍忠状
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:306覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

本田宗親覚書

本田宗親の覚書。大覚寺をめぐる上意・詮議の経過、関係者の取扱い、寺領に関する見解を記す。嘉吉元年の出来事などを引いて説明する。

登場人物
本田宗親、大覚寺
宛先
大覚寺
キーワード
本田宗親覚書、寺社・宗教
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:307文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津忠治証状

島津忠治の証状。薩摩国鹿児島郡大興寺は島津家の祖父以来の菩提所であり、寺領や支配をめぐる諸役の干渉を退けるべきことを述べる。永正十二年六月七日付。

登場人物
島津忠治証状、軍義持御舎弟大副党寺、大覚寺、権大僧都、別紙至彼地高雑
宛先
大将軍義持御舎弟大副党寺、大覚寺
キーワード
島津忠治証状、寺社・宗教、軍事・武具、役職・人事、薩摩、京都
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID G:308文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津忠隆安堵状

島津忠隆の安堵状。大興寺の建立の由緒と寺領の定法を確認し、先代忠治の証状に従って他者の妨げを許さない旨を示す。永正十四年八月二十七日付。

登場人物
島津忠隆安堵状
宛先
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キーワード
島津忠隆安堵状、寺社・宗教、薩摩