大内義輿書状
「永正十六年」十月十日 / 冊子 622頁
大内義輿が島津忠朝に、渡唐船の儀について陶安房守弘詮に委細を申し含めたので、その指示に従うよう求めた書状。
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「永正十六年」十月十日 / 冊子 622頁
大内義輿が島津忠朝に、渡唐船の儀について陶安房守弘詮に委細を申し含めたので、その指示に従うよう求めた書状。
「永正十六年」十月十日 / 冊子 622頁
陶弘詮が島津忠朝に、渡唐船を分国内に留め置くことや使者の入国、船事の許容などを申し入れた書状。
「永正十七年」十一月十六日 / 冊子 626頁
細川高国が島津忠朝に、渡唐船について吉河出雲守を下向させたので、特別の事情なく受け入れて便宜を図るよう求めた書状。
(永正十八年)八月十四日 / 冊子 632~633頁
香西元盛が島津忠朝に、渡唐船二艘のうち絹川佐渡入道が関係する船の扱いについて申し入れた書状。
(永正十八年)八月十六日 / 冊子 633頁
細川高国が島津忠朝に、渡唐船二艘と絹川佐渡入道の入道先、船の取扱いについて指示した書状。
(永正十八年)八月廿三日 / 冊子 633頁
大友親教が島津忠朝に、伊東祐加助からの仲介趣旨を踏まえ、領国境の安全と和議について申し入れた書状。
(永正十八年)十一月二日 / 冊子 633~634頁
大内義輿が島津忠朝に、貴国船の新造と塩田壱岐からの申入れを踏まえ、陶弘詮に委細を申し含めた書状。
(永正十七年)十一月二日 / 冊子 634頁
陶弘詮が島津忠朝に、渡唐船について先に申し入れた内容と塩田方の申旨を重ねて伝えた書状。
「大永五年」二月八日 / 冊子 651頁
祁答院嵐浦が島津忠朝に、以前の命令への対応、北原久兼・金吾らとの連絡、鹿児島周辺の情勢について報告した書状。
(大永五年)閏十一月三日 / 冊子 655頁
北原右並・臼杵長景が島津忠朝に、使節への礼を述べ、境目の争いについて伊東方へ助言し、なお乱れが続けば改めて相談すること、定恵院が説明すると伝えた連署状。
(大永五年)閏十一月三日 / 冊子 655頁
大友義鑑が島津忠朝に、境目の件で使僧を受けたことへの謝意を述べ、伊東方への助言のため定恵院を派遣し、太刀一腰・織物一端を贈った書状。
(永正十八年)八月廿三日 / 冊子 633頁
本庄右述・臼杵長景・大神親照が連署し、三か国の弓矢と和議、近年の乱れについて申し入れた書状。
応永十四年二月九日 / 冊子 225~226頁
島津忠朝が、薩摩郡内天辰谷口の三段を冠嶽山三所権現へ永代寄進し、朝廷・家門・弓箭・子孫・郷内の安穏と人々の快楽、息災延命・安全の祈祷を願った寄進状。
応永十四年八月廿一日 / 冊子 227頁
島津忠朝が冠嶽山三所権現へ、世上がめでたく弓箭の運が開けたなら以前の本寄進を復し、さらに一所を寄進すると立願し、祈祷を求めた願文。
応永十四年八月廿一日 / 冊子 228頁
No.764と同文の島津忠朝立願文。本文は同文のため省略され、冠嶽山三所権現へ弓箭成就時の本寄進回復と追加寄進を誓う内容である。
応永廿八年十一月十五日 / 冊子 321頁
島津忠朝が宮子若狭守に「久種」の名字を与えた文書。
「永正十六年」十一月四日 / 冊子 622頁
島津忠朝が陶弘詮に、渡唐船に関する書状と贈物を受け、船の入津と進物の扱いについて返答した書状。
「永正十六年」十一月四日 / 冊子 622~623頁
島津忠朝が陶弘詮に、船の停泊・修理と関係者の往来について許容条件を示し、詳細を返答した書状。
永正十七年七月廿二日 / 冊子 625頁
島津忠朝が誓札に基づく約束を確認し、双方に隔意なく、争いが生じた場合も協議して処理することを誓約した契状。
年月日未詳 / 冊子 626頁
島津忠朝が、提出された証文と懸案の処理について、使僧を介して返答し、筆談による調整を求めた書状。
(永正十八年)二月十一日 / 冊子 630頁
島津忠朝が京兆方に、池永修理の渡唐船、陶安房守への申入れ、塩田壱岐守の取次などについて返答した書状。
(永正十八年)二月十一日 / 冊子 630頁
島津忠朝が陶弘詮に、渡唐船について先に示された内容を重ねて了承し、修理大夫からの申旨と塩田壱岐守の取次を伝えた書状。
(永正十八年)二月十一日 / 冊子 630頁
島津忠朝が京兆方へ太刀一腰と陶安房守の書状を贈り、面会・取次を求めた書状。
(永正十八年)四月一日 / 冊子 631頁
島津忠朝が陶弘詮に、書状への返礼と絹川佐渡入道に関する用件の許容を求めた書状。
(永正十八年)四月一日 / 冊子 631頁
島津忠朝が京兆方へ、渡唐船に関する礼意を述べ、修理大夫への取次と披露を求めた書状。
(永正十八年)五月十九日 / 冊子 632頁
島津忠朝が甘露寺殿方に、琉球船の荷口と妙満寺による披露、琉球での忠節などについて申し入れた書状。
(大永元年)十二月八日 / 冊子 634~635頁
島津忠朝が島津豊後守に宛て、伊東尹祐の助言を踏まえた伊集院忠武・北郷関係者との交渉経過を報告した書状。各方の主張と仲介の動きを説明し、対立の拡大を避けて和睦を成立させるため、豊後守にも関係者の説得と取り計らいを求める。
(大永二年)二月廿八日 / 冊子 639~640頁
島津忠朝が本庄伊賀守に、北郷と山田・野々美谷をめぐる争い、伊東尹祐による調停の経過を述べ、引き続き仲介するよう求めた書状。
(大永二年)六月十八日 / 冊子 640頁
島津忠朝が香西殿に、渡唐船と絹川佐渡入道の船について、前年の渡海や順風を待つ事情を伝え、取り計らいを求めた書状。
六月廿三日 / 冊子 640頁
島津忠朝が寺町石見守に、二号船の津への着岸と警固の手配を伝え、無事の帰国に向けた配慮を求めた書状。
六月 / 冊子 640頁
島津忠朝が寺町石見守に、二号船をめぐる書状を披見した旨と、客衆の錯乱で大友義長が憤った件を述べ、無事帰国できるよう処置を求めた書状。
(大永三年)二月廿八日 / 冊子 642頁
島津忠朝が本庄伊賀守に、国中の弓矢・紛乱と旧冬以来の調停について述べ、早期に和平が成立するよう尽力を求めた書状。
(大永三年)六月廿日 / 冊子 643頁
島津忠朝が臼杵長景らに、庄内の争いと伊東尹祐の調停、山田・野々美谷をめぐる処置を述べ、引き続き仲介を求めた書状。
(大永三年)七月廿一日 / 冊子 643~644頁
島津忠朝が吉見長井に、父忠兼の上洛時以来の厚意と扶助への謝意を述べ、今後も取り計らいを求めた書状。
九月四日 / 冊子 644~645頁
島津忠朝が進藤長井に、修理大夫忠兼に関する意向や進藤の助言・奉公への謝意を述べ、引き続き取り計らいを求めた書状。
(大永三年)十一月六日 / 冊子 645頁
島津忠朝が土持右馬頭に、新納忠勝の動向、北郷・庄内をめぐる争いと調停経過を述べ、助力を求めた書状。
(大永三年)十一月六日 / 冊子 645頁
島津忠朝が臼杵長景・本庄右述に、伊東尹祐の仲介、新納・庄内・北郷をめぐる調停について述べ、早急な裁断を求めた書状。
大永三年十一月十五日 / 冊子 646頁
島津忠朝が寺社の衆徒に発した統制命令。訴訟の濫発、破戒、呪詛など寺社内外の争いを慎み、僧侶として規律を守るよう命じるとともに、郡郷の繁栄と島津方の軍容・勝運を祈る勤行を怠らないよう求め、宗教秩序と領国安泰を結び付ける。
(大永四年)九月十三日 / 冊子 647頁
島津忠朝が新納忠勝に、串良院の処置と安千代殿の進退、志布志衆への対応を伝え、協力を求めた書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 652頁
島津忠朝が北原伊与守に、伊東氏を中心とする党派の動きと国中の不安を述べ、従来どおり忠節を尽くすよう求めた書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 652頁
島津忠朝が田所勘解由左衛門尉に、近年の弓矢・争乱と奉公の状況を述べ、忠節を尽くすよう求めた書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 653頁
島津忠朝が臼杵長景に、伊東方への対応と援助の必要を述べ、協力して策を進めるよう求めた書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 653頁
島津忠朝が、相州嫡男虎寿丸への相続、島津忠兼の伊作院隠居、鹿児島城と新納・北郷方の動向について報告した書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 653頁
島津忠朝が土持右馬頭に、伊東方の企てと来秋の蜂起への警戒を伝え、これまでの助力に謝意を示して今後の支援を求め、薄板一端・花瓶一対を贈った書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 654頁
島津忠朝が本庄・木上・臼杵・北原の四名に、国内の争乱と伊東方の隠謀を知らせ、常春院に詳情を託して援助を求めた書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 654頁
島津忠朝が、先方の父以来の懇切を忘れていないと述べ、使僧を御老中へ派遣したので先例どおり取り次ぐこと、国中の戦乱が続くなか今後も変わらぬ交誼を求めた書状。
(大永五年)六月十六日 / 冊子 654頁
島津忠朝が大友方に、これまでの扶助への謝意と今後の支援を求める意向を伝え、太刀などの進物を贈って披露を依頼した書状。
(大永六年)三月廿七日 / 冊子 658頁
島津忠朝が北原伊与守・臼杵民部少輔に、境目の争いについて伊東方へ助言してもらったことに謝意を述べ、今後の相談と定恵院による詳説を求めた書状。
(大永六年)三月廿七日 / 冊子 658頁
島津忠朝が大友方に、太刀二腰・織物一端を受けた礼と、伊東方への助言に対する謝意を述べ、返礼の進物を贈った書状。
(大永八年)十月 / 冊子 695頁
島津忠朝が、当国の鉾楯を鎮めるための書状と傳芳院を通じた懇切な働きかけに感謝し、勝久が本意を遂げて無事となることを望んだ書状。