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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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68 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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後編4-No.503文書確認度 高

島津家久書状

九月二十四日、島津家久が成正院に、高野山の蓮金院・廻向院の整備が進んだとの堀小左衛門の報告を喜び、引き続き尽力するよう求め、暇ができ次第の下向を待つと伝えた書状。

登場人物
島津家久、成正院、堀小左衛門尉
宛先
成正院
キーワード
島津家久書状、成正院、高野山、蓮金院、廻向院、寺院整備、堀小左衛門、下向
附録1-No.377文書確認度 高

入来院重高書状

入来院重高が宮里治部左衛門尉に、志岐小左衛門尉の身上について、兵部少輔の取り成しにより薩州様・式部様から扶持を与える話がまとまったと知らせた書状。正式な仰せがあるまで重高の知行所に滞在させ、扶持が出るまでは現地で世話をするよう依頼し、追って使者を下すと伝える。

登場人物
入来院重高(入来院石見守)、宮里治部左衛門尉、志岐小左衛門尉、兵部少輔、薩州様、式部様
宛先
宮里治部左衛門尉殿
キーワード
入来院重高、宮里治部左衛門尉、志岐小左衛門尉、兵部少輔、薩州様、式部様、扶持、知行所、取り成し、使者
附録2-No.398文書確認度 高

島津家久書状

蓮金院と廻向院が完成したとの堀小左衛門尉の注進を喜び、なお一層尽力するよう求めた。成正院の格別の辛労をねぎらい、暇ができ次第の下向を待つと伝えた書状。

登場人物
島津家久、成正院、堀小左衛門尉
宛先
成正院床下
キーワード
島津家久、成正院、堀小左衛門尉、蓮金院、廻向院、寺院完成、辛労、下向
後編3-No.801文書確認度 高

雑抄(諸書状書抜)

諸書状の要点を抜き書きし、伊集院源次郎の楯籠をめぐって立花親成の援軍を当面見合わせたこと、小西作右衛門尉の鉄砲衆三百人派遣、寺沢志摩守・小西摂津守ら近隣勢への援軍辞退を記す。さらに、惟新から少将への書状に見える船の賊党捕縛、毛利角右衛門と上田小左衛門尉の少将への奉公希望などを日付順に記録する。

登場人物
島津義久、伊集院忠真(源次郎)、立花親成(羽柴左近太夫)、小西作右衛門尉、寺沢志摩守、小西摂津守、島津義弘(惟新)、島津忠恒(少将)、毛利角右衛門、上田小左衛門尉
宛先
—
キーワード
雑抄、諸書状書抜、島津義久、伊集院忠真、立花親成、小西作右衛門尉、寺沢志摩守、小西摂津守、島津義弘、島津忠恒、鉄砲衆三百人、援軍辞退、賊党捕縛、奉公希望
附録2-No.264文書確認度 高

島津惟新書状

寺院建立が無事完成したことを大いに喜び、長期滞在して工事を成し遂げた辛労をねぎらって早い帰国を勧め、段子二端を贈り、詳しくは葛西茂右衛門に託した書状。

登場人物
島津惟新、成正院、検校、堀小左衛門、葛西茂右衛門
宛先
成正院机下
キーワード
島津惟新、成正院、寺院建立、工事完成、長期滞在、帰国、段子二端、葛西茂右衛門
追録5-No.1616病気首尾一件旧記雑録暫定版確認度 要確認

島津重年病気首尾一件

重年の病状悪化と家督継承に関する七件の書付。病気が重く大切な容体になった旨の届書と、急変した場合に当年十一歳の嫡子松平又三郎へ跡式を相違なく継がせてほしいとの願書を収める。施療医師名書は武田長春院・井上交泰院・村田長庵・森宗乙の四人の薬を服用したと記し、別に望月三英を掲げる。縁者一類名書は容体を知らせる相手八名を列記し、容体書は四月中旬の疝積発病から薬を替え、草臥れが増して大切になった経過を述べる。山澤小左衛門の首尾書は、酒井左衛門尉の用人関茂太夫を介する病気届一通の提出と受領を報告する。相馬宛ての伺書では、帰国も難しい病状のもと、又三郎への家督・琉球国を含む領地の継承を願い、幼少の又三郎に不慮のことがあれば家中が安気でなくなるとして、実弟嶋津中(久珍、二十四歳)を又三郎の末養子とする案と琉球国の処置を一類とも相談し、事前に内々の意見を求める。

登場人物
島津重年(松平薩摩守)・嫡子松平又三郎十一歳・実弟嶋津中(久珍、二十四歳)・相馬・武田長春院(信郷)・井上交泰院(方正)・村田長庵(昌利)・森宗乙(春山)・望月三英(君彦)・松平右近将監・西尾隠岐守・堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・山澤小左衛門・関茂太夫・松平隠岐守・松平越中守・阿部伊豫守・鳥居伊賀守・松平河内守・柳生采女・水野肥前守・嶋津淡路守
宛先
堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守(願書)/松平右近将監・西尾隠岐守(医師名書)/相馬様(伺書)/他は独立宛名なし
キーワード
病気、疝積、容体、六月十三日、又三郎十一歳、跡式、手振印判、施療医師、縁者八名、服薬、届書一通、山澤小左衛門、関茂太夫、琉球国、嶋津中久珍二十四歳、末養子、内談
追録5-No.1616-6首尾書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福首尾書(の六)

宝暦五年六月十三日、山澤小左衛門が重年の病気が大切な状態である旨の届書一通を、御用番酒井左衛門尉の用人関茂太夫へ持参して差し出した首尾を記す。届書が受け取られたことを関から聞き、そのように勤めた経過を申し上げると報告する。覚には届書一通・病気大切・御用番酒井左衛門尉・御用人関茂太夫を掲げる。

登場人物
山澤小左衛門・酒井左衛門尉・関茂太夫
宛先
記載なし
キーワード
六月十三日、山澤小左衛門、病気大切、届書一通、酒井左衛門尉、用人関茂太夫、持参提出、受領報告
追録5-No.2253伺書旧記雑録暫定版確認度 要確認

島津重豪伺書(吉貴妹と当隠岐守の大坂対面)

重豪が十一月十一日、亡き高祖父上総入道吉貴の妹は先松平隠岐守定英の妻で、当隠岐守の出生後に離縁して国許にいると説明する。先隠岐守の存命中に文通・対面を許されたが、遠国のため対面は実現していないと述べる。来春の伊勢参宮と当隠岐守の参勤を機に大坂で対面させたいと願い、高齢で今後の対面機会が見通せないことを理由に挙げる。付紙は伺いどおりと認め、十一月二十日に下され、書付は山澤小左衛門を通じて縫殿殿へ差し出されたと記す。

登場人物
重豪・上総入道吉貴・吉貴の妹・松平隠岐守定英・当隠岐守・山澤小左衛門・縫殿殿
宛先
独立宛名なし(朱差出注は縫殿殿宛送付)
キーワード
十一月十一日御名、吉貴妹先隠岐守定英妻、当隠岐守出生後離縁、遠国未対面、来春伊勢参宮参勤時大坂対面、老年将来対面機会難計、付紙二十日相下、山澤小左衛門縫殿殿差出
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 260記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平塞録

『平塞録』。二十八日、熊本から大軍が天草一揆を踏み潰しに来るとの風聞が広がり、渡部小左衛門が徒党二人を三角方面へ遣わして偵察させた記事。夜中のため人数出動の様子が分からず、小左衛門自身が確かめに行くと述べ、晦日の記事へ続く。

登場人物
渡部小左衛門、天草一揆衆、熊本勢
宛先
なし
キーワード
平塞録、天草一揆、熊本勢、渡部小左衛門、偵察
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 266日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記

『寛明日記』。細川忠利領の宇土郡で、天草大庄屋渡部小左衛門が四郎の母・兄弟らを舟で連れて来たところを捕らえられたとの伝承を記す。渡部は四郎の叔父、または従母兄弟ともいい、晦日乙丑で結ぶ。

登場人物
寛明、細川忠利、渡部小左衛門、四郎、四郎母兄弟
宛先
なし
キーワード
寛明日記、細川忠利、渡部小左衛門、天草四郎、宇土郡、召捕
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 267-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

『平塞録』の記事。熊本へ着いた三淵内匠が長岡監物宅の会議で天草の情勢を詳しく報告し、宇土へ出張するよう命じられた経緯を記す。晦日申刻、渡部小左衛門・弟多兵衛・瀬戸小兵衛と天草四郎の母・姉を宇土で召し捕ったと続ける。

登場人物
長岡監物、三淵内匠、渡部小左衛門、多兵衛、瀬戸小兵衛、天草四郎母姉
宛先
なし
キーワード
記事、平塞録、三淵内匠、長岡監物、渡部小左衛門、宇土、召捕
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 267-4記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

二十八日、天草一揆の風聞を受け、渡部小左衛門方の者や瀬戸長次郎らを宇土郡から熊本へ召し出した記事。関係者の家族・近隣者を取り調べ、一揆への加勢を疑われた者、四郎の母・姉らを捕縛して熊本へ送った経緯を詳述する。

登場人物
渡部小左衛門、瀬戸長次郎、三渕内匠、永良彦太夫、四郎母姉
宛先
なし
キーワード
記事、天草一揆、渡部小左衛門、瀬戸長次郎、宇土郡、熊本、捕縛
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 268-1記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

記事

『平塞録』の記事。十一月朔日夜、天草四郎方の玄察が大矢野小左衛門らを鶴之浦へ遣わし、四郎の母・姉を奪還しようとした経緯を記す。夜陰の渡海、火縄・鉄砲を用いた警固、村々での人集めと熊本方の迎撃・捕縛を詳述する。

登場人物
天草四郎、玄察、大矢野小左衛門、永良彦太夫、三渕内匠、九太夫
宛先
なし
キーワード
記事、平塞録、天草四郎、玄察、鶴之浦、大矢野小左衛門、鉄砲、捕縛
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 485-1伊達秀宗への公儀普請役儀書付照会記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛明日記所収記事

『寛明日記』慶安二年八月二十五日条は、朝比奈源六・庄田小左衛門が伊達遠江守秀宗へ、先年勤めた公儀普請・役儀等の書付を送るよう求めたと記す。宇和島から届いた書付目録は両人から老中へ披露された。

登場人物
朝比奈源六、庄田小左衛門、伊達遠江守秀宗、老中
宛先
宛先記載なし
キーワード
寛明日記所収記事、慶安二年八月二十五日条、去る六月、朝比奈源六、庄田小左衛門、伊達遠江守秀宗、公儀普請、役儀、書付、豫州宇和島、目録、老中、披露
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 530書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津久慶書状

島津久慶は入来院左兵衛らへ、相良清兵衛の留守を守る大童半兵衛が七日未明に壱岐守の留守居衆と衝突し、半兵衛の子は一手で切り出して討たれ、半兵衛は約四百人で籠城し、清兵衛の宿所が焼かれたと伝える。ただし江戸からの情報には異説があり、清兵衛召喚や相良側の訴訟・処置をめぐる見通しを記す。人員を預け置くかなどの判断を求め、事件が収まらなければ上使が大口・加久藤付近まで下向する可能性があるため、接待の士衆を用意し志岐小左衛門も加えるよう指示する。末尾で三日来の咳病のため辛うじて書いたと付記する。

登場人物
島津久慶、相良壱岐守、相良清兵衛、大童半兵衛、細川越中守、志岐小左衛門
宛先
入来院左兵衛、東郷吉兵衛、種子田久左衛門
キーワード
寛永十七年七月九日、島津久慶、相良清兵衛、大童半兵衛、相良壱岐守、七日未明、子討死、約四百人、籠城、宿所焼却、江戸異説、訴訟、細川越中守、上使、大口、加久藤、接待、志岐小左衛門、咳病
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 551-1差出旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

松下源五左衛門尉差出

有馬・島原出陣衆の人数・日数と兵糧米不足を精算する。人躰は第一組百四十人に市来八左衛門与力の貴島小左衛門一人を加えた百四十一人、第二組九十人で、合計二百三十一人。下人は第一組百二十五人、貴島分二人、第二組六十二人で合計百八十九人。支給不足は真米二十三石七升五合、赤米二十石八升とする。市来八左衛門保管の受取証文が火災で焼失したが、軍役の事実に相違がないため算用を認めるよう求める。

登場人物
松下源五左衛門尉、市来八左衛門尉、貴島小左衛門尉
宛先
極所御奉行衆中
キーワード
正月廿日、松下源五左衛門尉、市来八左衛門尉、貴島小左衛門尉、有馬・島原出陣、人躰二百三十一人、下人百八十九人、真米二十三石七升五合、赤米二十石八升、証文焼失、闕文
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w6:515-4系図・系譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

百姓嘉左衛門家系図

都城川東村柿木薗門の百姓嘉左衛門家の系図。上世の出所は不明とし、源左衛門は志布志に住み、入道して宗可と称した。その子助三郎は修験者となって行蔵と改名し、志布志から末吉、さらに山之口へ移り、御心付番頭役を務め、石垣普請にも召し出されたという。権之介以下の後裔、嘉左衛門・小左衛門へ至る継承と、都城諸家との婚姻を列記する。

登場人物
源左衛門(宗可)、助三郎(行蔵)、権之介、嘉左衛門、小左衛門
宛先
—
キーワード
百姓嘉左衛門家系図、都城、川東村、柿木薗門、源左衛門、宗可、志布志、助三郎、行蔵、修験、末吉、山之口、御心付番頭役、石垣普請、権之介、嘉左衛門、小左衛門、婚姻
後編6-No.148文書確認度 中

島津久慶書状

島津久慶が相良家中の騒動について国元の関係者へ指示した書状。相良家老清兵衛尉の縁者犬童牛兵衛らをめぐる殺傷・逃亡、江戸・肥後・人吉での捜索や追放者の処置を詳報し、薩摩へ逃げ込んだ場合は匿う者や協力者を含めて内密に調査・拘束し、早急に報告するよう命じている。追而書では大和守島津久章が高野山蓮金院へ登ったとの知らせを受け、蓮金院側から事情を聞き取るよう求めている。

登場人物
島津久慶、相良清兵衛尉、犬童牛兵衛、志岐小左衛門、島津久章
宛先
入来院左兵衛殿・東郷吉兵衛殿・種子田久左衛門殿 御宿所
キーワード
島津久慶、相良清兵衛尉、犬童牛兵衛、志岐小左衛門、島津久章、相良家中、殺傷、逃亡、江戸、肥後、人吉、捜索、追放、匿人、拘束、高野山、蓮金院、書状
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 485-2島原一揆上使船御用覚旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊達秀宗覚

伊達遠江守秀宗は、寛永十四年霜月から十五年四月まで、肥前国島原一揆に際して上使の船御用に船五十艘・水主千二百十四人を出し、飯米は公儀から支給されたと記す。ほか二か条は編者が省略する。

登場人物
伊達遠江守秀宗
宛先
朝比奈源六、庄田小左衛門
キーワード
伊達秀宗覚、八月廿五日、寛永十四年霜月、寛永十五年四月、肥前国島原一揆、上使、船御用、船五十艘、水主千二百十四人、飯米、公儀支給、朝比奈源六、庄田小左衛門、二十七日庚申、次の日次見出し
追録5-No.804記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年夫人芝邸ニ到ル

八月朔日、重年夫人が麑城南門から薩府を出発し、十一月二日に江戸芝邸へ到着した。供奉した者として大目付市来左中政方、側用人北郷助太夫久傳、近習役北郷八右衛門資知、江都留守居役山澤小左衛門盛福、納殿役人相良善太夫長居・兒玉利右衛門安通らを挙げる。九州・山陽・東海を経て、伊勢大神宮と諸神社へ参拝し、名勝旧跡を歴覧した。出発地・随員の役職氏名・経路・到着日を記録する。

登場人物
重年夫人(本文呼称)・島津重年・市来左中政方・北郷助太夫久傳・北郷八右衛門資知・山澤小左衛門盛福・相良善太夫長居・兒玉利右衛門安通
宛先
—
キーワード
重年夫人、市来政方、北郷久傳、北郷資知、山澤盛福、相良長居、兒玉安通、八月朔日、麑城南門、九州、山陽、東海、伊勢大神宮、十一月二日芝邸着
追録5-No.938書状・伺書旧記雑録暫定版確認度 高

平田正輔書状

平田靭負正輔が七月十六日、主殿久柄・伊勢兵部貞起・義岡相馬久中・主鈴久郷・鎌田典膳政昌・河野八郎左衛門通興へ、有徳院の遺物拝領と謝礼について報告し、国元の指示を求める。十日に上使小出信濃守から、太守・隅州へ脇差各一腰、菊姫へ御手鑑一帖が授けられ、同日の飛脚で知らせた。刀の外箱を整え、御馬廻川上喜藤太、新番荒武蔵右衛門、御歩行五代喜左衛門、愛甲嘉兵衛、足軽八人を付け、護送に差し立てた。川々の渡しを慎重に扱い、佐屋経由では日数を定めず油断なく参着するよう申し合わせた。 両殿は在国のため、取次の小左衛門・長澤牛兵衛を通じ、加賀守忠雅の名代御礼と上使への礼使札を相談した。十日に小左衛門が参上し、上使の書状を受け取り、両殿の謝礼使者について加賀守が承知したと伝えたが、牛兵衛の説明に食い違いもあり、翌朝七時ごろに改めて確かめた。遠国在住の両殿へ上使が遺物を授ける例は家中になく、謝礼は今後の家格に関わるため、御一門から名代を頼み、老中・若年寄などへは名代が廻勤し、側衆・物頭へは使者で御礼すること、国元でも先に定めた名代御礼の筋を通すことを求める。留守居と星野久務に内談し、平田半之丞・赤松甚右衛門の連絡も挙げ、上使への挨拶で誤解を生じないよう相談する。 さらに、両殿の名代御礼の節に京都諸司代・大坂城代へ通知するか、長崎へ留守居の使者と書状を送るかを尋ねる。十一日に小左衛門を通じ、御用番酒井左衛門尉から太守・菊姫・隅州の御礼を記した御付紙を渡す旨を聞き、御付紙の銘と書付二通、留守居の首尾書一通、佐々木の案文二通を送る。菊姫の表立った謝礼は御用番へは不要とされたが、御留守居から申し出た扱いと松平右近将監・上使への謝礼を照会し、深姫にも言及する。日光宮・御三家・御一門その他へ拝領を知らせるため、使者を通じた通知と隣国への伝達を相談する。末尾に印鑑一枚と別紙五通を送ると記す。

登場人物
平田靭負正輔・小出信濃守英智・太守・隅州・菊姫・深姫・嶋津加賀守忠雅・長澤牛兵衛・山澤小左衛門・川上喜藤太・荒武蔵右衛門・五代喜左衛門・愛甲嘉兵衛・足軽八人・星野久務・平田半之丞・赤松甚右衛門剛正・佐々木・酒井左衛門尉忠寄・松平右近将監・松平陸奥守宗村・有徳院・御三家・御一門・老中・若年寄・側衆・物頭
宛先
嶋津主殿久柄・伊勢兵部貞起・義岡相馬久中・嶋津主鈴久郷・鎌田典膳政昌・河野八郎左衛門通興
キーワード
有徳院遺物、七月十日上使、脇差各一腰、御手鑑一帖、護送、足軽八人、川々渡し、佐屋、名代御礼、礼使札、家格、京都諸司代、大坂城代、長崎、御付紙、首尾書、菊姫謝礼、日光宮、御三家、隣国通知、印鑑一枚、別紙五通
追録5-No.951書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津久柄外五名家老連署書状

八月二十一日、嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門の六家老が、平田靭負・市来左中へ、大御所の遺物を太守・隅州・菊姫が拝領した後の謝礼について返答する。上使小出信濃守への御礼を山澤小左衛門が酒井左衛門尉の御用人に取り次いだところ、名代で御礼するよう上使から伝えられたという。国元で聞き合わせた結果、名代御礼の筋は当初から定まっており、上使の有無によって変わるものではないとする。大御所の隠居祝いに慈徳院が腰物を授けた例と、延享二年十一月、病身の隅州に代わり嶋津加賀守が登城して謝礼した例を挙げる。この時は老中・上使側へ直接廻勤し、若年寄へは家老の使者、側衆・物頭へは使者を遣わした。在国の慈徳院遺物拝領では御用番に相談して使札を勤めたことも示す。 今回も先例に従い、上使への御礼を使札で勤めたい意向を伝える。小左衛門からの口伝と廻勤例書による説明だけでは不足があるとして、堀田相模守へ内談し、留守居と御用人浅井八兵衛を通じて詳しく調整するよう求める。使札の扱いが整わなくても名代御礼に差し障りがないようにし、老中・上使側への名代の廻勤、若年寄への家老使者、側衆・物頭への使者を先例に合わせて勤める。御書の案文は佐々木に差図し、国元で判紙を整える。 太守は当分忌中なので、忌明後に御礼を勤めることとする。隅州は忌明となり今日御頂戴し、名代御礼の首尾を申し越すよう求める。同日、日積を付けて加賀守へ依頼し、淡路守にも連絡する。国元では十一日付の判紙を整え、老中その他の役人への書状と、使札を勤める場合の使者を先格に従って準備する。大御所からの腰物拝領時に国元の馬廻を使者にした例を挙げ、今回も使札が整えば同様に取り計らう。御内証の謝礼、太守・隅州の御礼、菊姫の御手鑑拝領への謝礼は別紙朱書返答によって相談し、日光宮・御三家・御一門その他へ拝領を知らせる件も別紙で伝える。隅州の御礼が済んだ首尾と、太守の忌明後の御礼の扱いを報告するよう結ぶ。

登場人物
嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門・大御所・太守・隅州・菊姫・小出信濃守・山澤小左衛門・酒井左衛門尉・慈徳院・嶋津加賀守・堀田相模守・浅井八兵衛・佐々木・淡路守・御留守居・老中・若年寄・側衆・物頭・御三家・御一門
宛先
平田靭負正輔・市来左中政方
キーワード
六家老連署、遺物拝領、名代御礼、小出信濃守、延享二年十一月、慈徳院腰物、使札、堀田相模守、浅井八兵衛、御留守居、廻勤、佐々木、判紙、太守忌中、隅州忌明御頂戴、加賀守、淡路守、馬廻使者、御内証、菊姫御手鑑、日光宮、御三家、御一門
追録5-No.962御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

重年、有徳院墓前へ銅燈籠二基を奉献

八月二十六日、用番老中松平右近将監武元が江戸留守居役山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、有徳院吉宗の尊前へ銅燈籠を献じる命を伝えた記事。薩摩にいた重年はその命を奉じ、翌宝暦二年二月十日に製作が完了し、同年五月十三日に銅燈籠二基を備えて奉献した。記事末は、その銘文を掲げる旨を記す。

登場人物
島津重年・松平右近将監武元・山澤小左衛門盛福・徳川吉宗(有徳院殿)
宛先
—
キーワード
重年、松平武元、山澤盛福、江戸留守居、有徳院吉宗、八月二十六日、銅燈籠二基、宝暦二年二月十日完成、五月十三日奉献
追録5-No.974御譜記事旧記雑録暫定版確認度 高

家重、重年入部ノ安否ヲ問ヒ

九月十九日、家重が重年の襲封後初の帰国を祝い、安否を問うため佳肴一種、鮭十尺を賜った記事。老中本多伯耆守正珍が江戸留守居山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、老中宿次奉書と驛路證印を渡した。比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音、歩士三人・軽卒六人が警衛して同日芝邸を発ち、東海・山陽・西海路を昼夜休まず進み、十月十五日に薩府城へ着いて重年が拝戴した。同日、山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅が重年の謝書と驛路證印を携えて執政へ赴き、軽卒六人も従った。重年は一門島津周防忠紀を謝恩使とし、継豊も物頭中江九衛門員張を同行させた。秀命・恒堅らは西海・山陽・東海道を経て十一月十一日に江戸へ着き、山澤盛福の案内で武元へ重年の報翰を呈し、正珍の證印を返納した。忠紀は九州の駅路から豊前小倉、大坂、東海道を経て十八日に芝邸へ着き、二十一日に酒井忠寄へ家重宛の連署、秋元凉朝へ家治宛の連署を届け、西尾忠尚へ両公宛の格書と書状を渡した。十二月朔日、忠紀は白書院で重年の献物二種・雙樽を家重へ献じ、家治にも謝恩を伝え、松平周防守康福が奏達した。忠紀自身も太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じた。続いて西城で朽木土佐守玄綱を奏者とし、重年の献物一種・雙樽と、忠紀自身の太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。十二日に召されて登城し、檜之間で武元から回翰を手渡され、紗綾三巻を拝領した。青山因幡守忠知が奏達し、十三日には西城で武元から、十八日には西尾忠尚の邸で回翰を受けた。二十九日に芝邸を発ち、東海道を経て翌三月二十五日に薩府へ帰り復命した。

登場人物
島津重年・徳川家重・本多伯耆守正珍・山澤小左衛門盛福・比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音・山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅・島津周防忠紀・島津継豊・中江九衛門員張・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・秋元但馬守凉朝・西尾隠岐守忠尚・徳川家治・松平周防守康福・朽木土佐守玄綱・青山因幡守忠知
宛先
—
キーワード
家重、重年、鮭十尺、奉書、驛路證印、比志島國泰、谷山通音、歩士三人、軽卒六人、山本秀命、調所恒堅、島津忠紀、中江員張、謝恩使、白書院、西城、二種雙樽、一種雙樽、紗綾三巻、回翰、復命
追録5-No.983書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

平田正輔・市来政方連署書状

平田靭負正輔・市来左中政方が六家老へ、太守・隅州の有徳院遺物拝領後の御礼について、江戸での相談と書状・使札の提出経過を報告する。加賀守から名代御礼についての照会がないため、留守居を通じて御用番酒井左衛門尉へ申し上げ、山澤小左衛門を取次に遣わした。国元在住の拝領者には名代御礼の例がなく、上使の差図もないまま、有徳院の隠居祝いの拝領例だけで処理するのは不足があるとして、堀田相模守へ内談した。留守居が御用人浅井八兵衛から、御用番の出勤を待って礼使札を差し出す扱いを聞き、赤松甚右衛門にも申し合わせた。甚右衛門は病気で参上できず、小左衛門が佐久間源太夫へ事情を伝え、先月十五日に相模守へ内談する手はずを整えたが、浅井八兵衛の内用のため進まなかった。そこで倉次甚太夫にも相談し、十七日付の手紙と十九日の来訪を経て、御用番の差図どおり名代で勤めることになったと報告する。 名代が登城して御礼するのか、廻勤で済むのかについても堀田側と相談した。隅州が病中のため、在府の加賀守が両丸へ登城し、老中へ廻勤する扱いとし、似寄りの例書を添えるよう八兵衛から伝えられた。当分出勤しない酒井左衛門尉・秋元但馬守への御礼は差し控え、出勤後に改めて勤める。大納言への御礼も御用番へ申し上げて済ませるという。有徳院遺物の両殿への拝領について本多伯耆守へ提出した書付一通と例書一通、隅州から大納言への御礼についての書付一通と付紙の扱いを挙げる。加賀守父子の名代については先に願い、御用人を通じて登城を要しない廻勤の差図を受けた。先月二十五日の書状提出、翌二十六日の加賀守の老中・上使側への廻勤、若年寄への菱刈孫兵衛の使者、側衆への表方・隠居方それぞれの使者を記す。 太守・菊姫の遺物拝領に隅州から謝礼する連署書状一通について、本多への提出と受け取り、秋元宛書状が西丸用務のため登城しなかったこと、西尾隠岐守宛書状の提出、元で整えた連署書状と御右筆の案文を挙げる。太守・菊姫の拝領に対する奉書一通、隅州から大納言への謝礼に関する同一通、本丸の老女五人から隅州への返事六通も報告する。隅州の公方・大納言への御内証の御礼は名代使札で決めにくく、国元で文面を整えるよう伝えられた。八月二十一日付の御文と御案文、御礼文の八月九日・九日付、使札の八月二十一日付に相違があるため、御文を案文として扱い、双方を相談して調え直した。先月二十六日に御守殿から提出した御文はその日に返事が下り、女使の口上と春井の取次を経た。二十七日には春井から添文付きの御文六通を提出したという。 太守の御頂戴がまだ済んでいないため、七月十日の拝領として差し出す御礼文の扱いを佐々木に尋ね、差し支えないとの返答を得た。隅州の御礼文は御右筆が提出し、国元の御案文も添える。日付の異なる案文と調え直した文面を送って、国元の心得とする。京都諸司代・大坂城代への通知は、隠居祝いの拝領時の例に従って調えるよう使番へ申し渡したが、先例が見当たらないため、近衛その他への通知とあわせて相談する。日光宮・御三家・御一門への通知は、太守の御礼が済んだ時に使番へ申し渡すよう求める。隅州の御礼が済んだことも伝え、別紙九通を送るとして結ぶ。末尾に十月四日の朱記と、平田靭負・市来左中の名義、六家老宛名を掲げる。

登場人物
平田靭負正輔・市来左中政方・太守・隅州・菊姫・嶋津加賀守・山澤小左衛門・酒井左衛門尉・堀田相模守・浅井八兵衛・赤松甚右衛門・佐久間源太夫・倉次甚太夫・有徳院・秋元但馬守・本多伯耆守・西尾隠岐守・菱刈孫兵衛・大納言・公方・春井・山野・老女五人・御留守居・御用番・御右筆・御使番・老中・若年寄・側衆・物頭・京都諸司代・大坂城代・近衛・日光宮・御三家・御一門
宛先
嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門
キーワード
遺物拝領、名代御礼、御用番、酒井、堀田、留守居、浅井八兵衛、赤松甚右衛門、佐久間源太夫、倉次甚太夫、両丸登城、廻勤、病中隅州、加賀守、菱刈孫兵衛、本多、西尾、秋元、連署書状、奉書、老女五人、返事六通、八月二十一日、礼文日付相違、御守殿、春井添文、御文六通、御右筆、佐々木、京都諸司代、大坂城代、近衛、日光宮、御三家、御一門、別紙九通
追録5-No.1241届書旧記雑録暫定版確認度 中

山沢盛福届書

山澤小左衛門盛福が四月廿九日、島津主殿久柄へ届けた書付。堀田相模守から伝えられた御書付と、松平阿波守・松平陸奥守からの添廻状がただいま到来したので、差し上げると報告する。御渡しの際に、私共のうちの者が出向き、御中途に申し上げる旨を請け、跡から申し上げる件があるため、今回も先例どおり相模守のもとへ参上し、御中途に申し上げることを取次ぎまで伝えるとする。 末尾に四月廿九日、山澤小左衛門の名と盛福の注、主殿様の宛名と島津久柄の注がある。阿波守には宗鎭、陸奥守には宗村の注記が付される。書付・添廻状の到来と、道中での申し上げ・取次ぎに関する手続きを伝える届書である。

登場人物
山澤小左衛門盛福・堀田相模守・松平阿波守宗鎭・松平陸奥守宗村
宛先
島津主殿久柄
キーワード
山澤盛福書状:堀田御書付・阿波守陸奥守添廻状の到着と取次ぎ
追録5-No.1248伺書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福伺書(籾囲置と江戸回米高)

山澤小左衛門盛福が宝暦三年五月五日付で申し上げる書付。当秋からの籾囲置と三年以来の江戸廻米高の書出しについて堀田相模守からの命令を承知したが、重年が旅行中のため薩摩守方へ申し送り、国許で調べて報告するので、暫く猶予してほしいとする。重年公御譜中・正文在江戸家老座の注を持つ。書附壹通の注は、国許で調べるため延引の届けであることを説明する。No.1240の命令に対し、旅中の重年への連絡と国許照会のため、提出猶予を求める。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
幕府側(本文に宛名記載なし)
キーワード
山澤盛福書付:籾囲置・江戸廻米高提出を重年旅行中につき猶予
追録5-No.1249届書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福届書(籾囲置命令の受領)

山澤小左衛門盛福が宝暦三年五月十五日、島津主殿へ報告する。勘定組頭依田茂八郎・佐久間郷右衛門に出向き、堀田相模守から命じられた当秋からの籾囲置・三年以来の江戸廻米高報告について、旅中の重年へ伝えて国許で調べ、回答が届き次第申し上げるので猶予してほしいと書付を提出した。相手は承知し、籾一俵の斗数と万石余の知行に対する囲置割合を尋ねたが、それも奉行へ届けて後に知らせるという回答を得たと伝える。No.1248とは提出先・日付が異なり、本書は提出時の問答を報告する。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
島津主殿久柄
キーワード
山澤盛福届書:勘定組頭への籾囲置・廻米高報告猶予の届けと回答
追録5-No.1290書状旧記雑録暫定版確認度 要確認

山沢盛福書

山澤小左衛門盛福が宝暦三年九月廿三日、主鈴様へ書き送る。大御目付の廻状と御書付写一通が、細川越中守と松平大膳大夫の添廻状を伴って届いたので、これを差し上げると報告する。細川には重賢、松平には毛利重就の補注があり、山澤には盛福の補注がある。本文は書付の具体的内容を記さないため、No.1289の銀器禁制との同一性はこの史料だけでは確定できない。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
主鈴様(島津久憑)
キーワード
大御目付、廻状、書付写、添廻状、細川重賢、毛利重就
追録5-No.1301報告書旧記雑録暫定版確認度 要確認

山沢盛福書状

山澤小左衛門盛福が宝暦三年九月廿五日、主殿様へ提出経過を報告する。琉球は収納が早く、当年の籾囲いを調えられないため処置を伺う御書付一通を、堀田相模守の用人春日井庄兵衛へ持参して差し上げた。書付は受け取られ、追って挨拶するとの言葉を庄兵衛から得たと伝える。No.1300の伺書が幕府側へ提出された段階を示し、この時点で代替備蓄の許可が出たとの記載はない。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
主殿様(島津久柄)
キーワード
籾囲置、伺書、春日井庄兵衛、受取、回答待ち
追録5-No.1303報告書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福書状

山澤小左衛門盛福が宝暦三年九月廿三日、主殿久柄へ報告する。勘定奉行一色周防守・大井伊勢守からの呼出しを受けて勘定所へ出向き、江戸廻米を当年から亥年まで三年間二分通減らすよう、伊勢守本人から申渡され、書付を受け取った。薩摩側の廻米には家元の御用分があるため、これも減らしてよいかを尋ねたところ、追って伺うようにとの指示を得たと伝える。本書には家元の御用分を記し、家中飯料の記載はない。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
主殿様(島津久柄)
キーワード
勘定奉行、一色周防守、大井伊勢守、廻米削減、御用分、照会
追録5-No.1304伺書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福書状

御名内の山澤小左衛門が宝暦三年九月廿八日、江戸廻米削減の適用範囲を伺う。物成による江戸廻米高を当酉年から亥年まで三年間二分通減らすよう命じられたが、薩摩守の江戸廻米は当地の用事と家中飯料に使う分で、売米はないと説明する。この御用分・飯料まで減らしてよいかを承知して国本へ伝えたいので、回答を求める。全上・正文在江戸家老座の注を持つ。No.1303の口頭照会に続く書付であり、御用分・家中飯料への適用と売米の有無を説明する。この段階では削減免除や許可が下りたとの記載はない。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
宛名記載なし(No.1305に勘定所への提出報告)
キーワード
江戸廻米、二分通、三年間、御用分、家中飯料、売米なし
追録5-No.1305報告書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福書状

山澤小左衛門盛福が宝暦三年九月廿八日、主殿様へ報告する。江戸廻米に御払米はなく、御用分と家中飯料を送るだけなので、それらも二分通減らしてよいかを伺う書付一通を勘定所へ持参した。勘定組頭小木藤助に会って差し出したところ、書付を受け取り、奉行へ申し上げて追って回答があるとの説明を得たと伝える。No.1304の正式な伺書が提出された段階を記す。本書に回答内容はなく、削減の適用可否は回答待ちである。

登場人物
山沢小左衛門盛福
宛先
主殿様(島津久柄)
キーワード
御払米なし、御用分、家中飯料、二分通、小木藤助、回答待ち
追録5-No.1483別紙旧記雑録暫定版確認度 高

普請場差出人数書届

右別紙写として、小奉行三十二人、歩行士百六十四人、足軽二百三十一人を掲げる。水行普請の際に各場所へ差し出す人数は右のとおりで、九手替の人数も申し付けており、惣奉行役をはじめ他の役人も元木屋・出張木屋へ詰め、順次現場で働くと記す。場所ごとの人数は別紙で差し上げると結び、六月八日、御名内・山澤小左衛門、盛種の注がある。末尾に六月九日、美濃国笠松の御役所で青木・吉田へ記名して提出したと注記する。No.1481主本文の三職の予定人数と一致するが、別紙自身の六月八日と提出日の九日を、主本文七月八日と区別する。

登場人物
御名内・山澤小左衛門(盛種注)
宛先
青木様・吉田様(提出先の末尾注)
キーワード
別紙、小奉行三十二人、歩行士百六十四人、足軽二百三十一人、九手替、六月八日
追録5-No.1605首尾書旧記雑録暫定版確認度 高

山沢盛福届書

山沢小左衛門が宝暦五年六月十一日、相馬へ病気届提出の首尾を報告する。重年の病気がすぐれない旨の届書一通を、御用番酒井左衛門尉の用人長沢半兵衛へ持参し、半兵衛を通して受け取られたと記す。覚には届書の通数・内容・提出先・用人名を列記する。

登場人物
山沢小左衛門(原注盛福)
宛先
相馬様
キーワード
病気、草臥、病状届、取次
追録5-No.2353伺書・付紙旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪願書(淡路守往来・付紙朱注)

島津淡路守が先祖以来の用事で国元へ時々赴くことについて、重豪が五月二十五日、従来は往来の希望を申し上げ、願いどおり許可されていたと述べる。代替を機に、以後は伺いを出さずに往来できるよう願い出る。当日、御用番松平右近将監へ山澤小左衛門盛福を通じて提出し、二十九日に御用人から切紙が届いた。佐久間源太夫盛邦が出向き、従前どおりとする付紙の返答を受けた。

登場人物
重豪・島津淡路守・松平右近将監・山澤小左衛門盛福・佐久間源太夫盛邦・御用人
宛先
独立宛名なし(朱注の提出先は御用番松平右近将監)
キーワード
五月二十五日往来願、淡路守先祖以来用事、従来その都度希望申上許可、代替以後伺い省略希望、付紙前々之通、松平右近将監、山澤盛福、二十九日切紙、佐久間盛邦
追録5-No.1331重年公御譜記事旧記雑録暫定版確認度 要確認

幕府濃勢尾諸川治水助役ヲ下命ス、平田正輔等コレニ當ル

重年公御譜の記事。宝暦三年十二月廿五日、西尾忠尚の奉書によって美濃・伊勢・尾張諸川の治水助役を命じられ、重年は平田靱負正輔と伊集院十蔵久東に担当させる。翌四年正月から川上彦九郎親英らを派遣し、美濃大牧村に役館を置く。正輔らは大阪・伏見で留守居と協議して銀師から借銀し、閏二月に大牧へ入る。記事は木曽・長良・伊尾・段海・牧田各川の分合流、輪中、堤・水柵・浚渫・閘の工事、四つの工区と担当者を詳述する。四年二月廿七日に初期工事を始め、同年九月から翌五年三月廿八日まで続く工事を完成させ、四~五月に検査を受ける。費用は芝邸からの伝聞で概ね金三十万両とする。正輔は五月廿四日に吐血し翌日死去、伏見大黒寺に葬られる。久東らが報告のため江戸へ向かい、重年の代わりに親戚の松平定多が登営し、治川の功に時服五十二を賜る。九月には堀田正亮が従役十三人を召して各々に差のある恩賞を与えた。

登場人物
島津重年・西尾隠岐守忠尚・平田靱負正輔・伊集院十蔵久東・川上彦九郎親英・山澤小左衛門盛福・松平河内守定多・堀田相摸守正亮・一色周防守政沆・倉橋武右衛門・細井九助(ほか本文に派遣役人交名)
宛先
宛所なし(御譜記事)
キーワード
治水助役、平田正輔、伊集院久東、川上親英、輪中、借銀、四工区、工事完成、検査、死去、恩賞
追録5-No.1552首尾書旧記雑録暫定版確認度 高

平田正輔首尾書

平田靱負が正月五日、嶋津主殿・鎌田典膳へ、御手伝普請の工程・検分と人員引取の首尾を報告する。一~四之手の追加目論見により工事が進み、二・三之手は旧臘二十三・二十四日に幕府役人立会いの検分を受け、完成した工事の小屋返却と人員引取を求める。油嶋から松之木村まで百九十間の水分切は指示がなく、油嶋側五百五十間・松之木側百五十間の築留には見積変更で約五十間を加え、大榑川二百六十五間の切り・洗堰も未決とし、石田・八神の石寄せを急ぐが難場では三月までかかり得ると述べる。江戸の御馬廻・新番・御歩行・足軽からの派遣について、現場では足軽約四十人が不足すると伝え、太田新田の小屋は返却して人員を元木屋へ引き取り、早春の小屋返却・人員引取を年内に申し渡したこと、引取人数の不要分を吟味して追って差し下す旨を報告する。

登場人物
平田靱負(正輔は目録)・嶋津主殿・鎌田典膳・福山(御用人、名未詳)・山澤小左衛門・川上彦九郎・村田五右衛門・大久保荒之助・青木次郎九郎・仁右衛門(勘定役、姓判読留保)・倉橋武右衛門・吉田久左衛門・山口民部・横山傳右衛門・山下忠次郎・佐藤又四郎・川村太四郎・堀田相模守・一色周防守・高木内膳
宛先
嶋津主殿殿・鎌田典膳殿(本文末尾)
キーワード
正月五日、御手伝普請、検分、二三之手、築留、石、足軽四十人不足、小屋引払
追録5-No.2736結納使者取持次第旧記雑録暫定版確認度 高

御結納使者取持次第書

十一月朔日、薩摩守側で結納祝儀使者を迎える取持次第で、表門から入れた品を馬廻が受け、四時に来着する御番頭衆を用人二人が迎えて書院三の間へ案内する。家老が口上を受け、二の間で酒肴を供し、上の間で薩摩守が対面して家老が太刀目録を披露し、盃を薩摩守へ納めて返答し、玄関まで見送り西門から退出する手順を定める。使者には縮緬三巻を贈り、隼之助・鎌三郎の使者にも鳰之間で口上を受けて酒肴・紗綾三巻を出し、随行者へ銀二枚・金子二百疋・青銅十二貫文などを配り、内玄関でも酒肴や赤飯・煮染を供する。保姫への小袖三重・帯二筋・末廣二本・塩鯛一折・鰹一折・昆布一折・樽五荷、刑部卿・豊之助への太刀と金馬代一枚、刑部卿への三種二荷・豊之助への二種一荷、隼之助・鎌三郎への箱肴二種ずつと、高橋縫殿らの使者役も記す。

登場人物
薩摩守・御番頭衆・用人・家老・隼之助・鎌三郎・保姫・刑部卿・豊之助・高橋縫殿・山澤小左衛門・宮之原甚五太夫・有川勇馬・馬廻・随行者
宛先
記載なし(独立宛名なし)
キーワード
十一月結納祝使薩摩側取持、四時御番頭用人二迎書院三間口上二間酒肴上間対面太刀目録盃、縮緬三巻隼之助鎌三郎紗綾三巻、随行銀金青銅酒肴赤飯煮染、保姫小袖帯末廣魚昆布樽、刑部卿豊之助太刀金馬代隼之助鎌三郎箱肴、進上使者、玄関見送り西門退出、金馬代一枚、刑部卿三種二荷豊之助二種一荷
追録5-No.2763高橋種寿・島津久郷(在国家老)連署申渡書旧記雑録暫定版確認度 要

高橋種寿・島津久郷連署申渡書

高橋種寿・島津久郷が十二月、二十一日に重豪と御前が一橋へ赴く三ツ目祝・里披の手配を申し渡す。玄関・書院・大奥での役人配置、太刀・目録の受渡し、刑部卿・民部卿・隼之助・鎌三郎との三献、保姫との対面、太守への三汁十菜、長袴・半上下等の服装と道筋・供廻りを定める。太守から刑部卿へ太刀一腰・馬代金一枚・縮緬十巻、民部卿へ太刀一腰・馬代金一枚・縮緬五巻、隼之助・鎌三郎へ各太刀一腰・馬代金一枚を進める。太守・御前別に家老・番頭・用人・女中らへの贈物を配し、御前から刑部卿へ縮緬三巻・鯛一箱、民部卿へ縮緬三巻・鯛一折・樽代千疋、女中三十一人への銀二十枚(朱十五枚)等を記し、帰館時の出迎え・祝詞も指示する。

登場人物
高橋縫殿(種寿)・島津主鈴(久郷)・太守(重豪)・御前(保姫)・刑部卿・民部卿・隼之助・鎌三郎・越前守・山澤小左衛門・田沼能登守・田中出羽守・高林彌兵衛・末吉善左衛門・石川孫太郎・小宮山利助・成田八右衛門・鈴木彦八郎・鈴木治左衛門・守山八十郎・細井幸次郎・加藤權左衛門・笹瀬助右衛門・本庄藏・新海半左衛門・土岐五郎左衛門
宛先
記載なし(婚姻祝儀の手配申渡し)
キーワード
十二月二十一日三ツ目祝御里披、太守御前一橋、三献太刀目録三汁十菜、服装供廻帰館祝詞、太守刑部縮緬十民部五隼鎌太刀馬代、御前刑部三巻鯛箱民部三巻鯛折千疋、女中三十一銀二十朱十五
追録8-No.780会津進撃の戦死・手負名簿と京都本営の戦死手負書等送状旧記雑録暫定版確認度 中

会津の戦死・負傷と病院死を隊別に掲げ、国許へ書冊等を送る

雑録中の会津進撃に関する隊別死亡・負傷名簿と、京都本営の送状。九番・十一番・十二番隊等の戦死者を掲げ、十二番隊では三春の村人や庄屋支配下の者も含め、即死・戦死を記す。諸隊の死者には手負の後に三春病院で死亡した者があり、続く手負人数では深手・浅手・薄手と、負傷した日・場所を区別する。田村小太郎、伊佐敷金之進、加藤郷兵衛、上原正八郎らのほか、道案内、隊付夫卒、地元村人などを列記する。原文内の異日付や前の名簿との異同は残し、同名を別人として合算しない。末尾の十月四日京都本営送状は、戦死手負書一冊・降伏状一帖・問合二通を掲げ、去る九月二十二日に会津へ進撃して終に降伏したとの報知を述べる。通行允許を携えて到京した日須峯敬二郎ほか一人に封書を託して国許へ送り、披露等を取り計らうよう御国許陸軍所へ依頼する。死亡・負傷の区分と送付の叙述は各名簿・送状に帰属させる。

登場人物
京都本営、御国許陸軍所、各隊兵士・隊付夫卒・道案内・村民等、伊佐敷金之進・田村小太郎・肱岡藤八・小左衛門・富次・藤右衛門・勝三郎・林太郎・藤助・傳藏・木幡孝之介・福留嘉右衛門・加藤郷兵衛・加藤次左衛門・上原正八郎・川上彦八郎・園田勇吉・中嶋岩次郎・松藏・米良仲之丞・猪保壮七郎・川崎休右衛門・萩原強之丞・松崎壮八・喜之助・山本中助・竹内正介・藤四郎・山口彦八・西田藤助・諏訪次郎右衛門・川上四郎次・半右衛門・丸田喜右衛門・山之内次郎・榮藏・木原藤一郎・奈良原彌六左衛門・岩右衛門・米良清之介・吉井七之丞・川上嘉次郎・源八・西佐一郎・松元彦十郎・松太郎・佐々木清藏・種子嶋宗之丞・仲助・喜助・仲藏・市之丞・大脇源左衛門・益山次左衛門・清次郎・長藏・村山源左衛門・甚太・郡山甚後左衛門・山形龍次郎・向井納四郎・肥田軍右衛門・豊丸與藤次・武郷兵衛・簗瀬源次郎・村岡源助・毛利權之丞・筒井清五郎・左近允新六・川崎仲之丞・蒲生彦四郎・榎本源次郎・市来宗次郎・福島良介・讃良竹五郎・市成彦右衛門・金助・民助・加治木彦太郎・二階堂彦太郎・松田健四郎・竹内惣七・大山彌介・新納壮右衛門・木藤吉左衛門・小次郎・藤崎勇藏・山田直四郎・小出健齋・岩松喜介・白濱助之進・奥書輔・松方長作・飯牟禮休左衛門・梅北八郎右衛門・淵邊彦二・竹山藤右衛門・藤崎清之丞・和田乘太郎・廻新次郎・仁助・汾陽直次郎・肥後平八・梅北伊八郎・東郷已之助・谷村孫七・土師孫一・大山十郎次・淺田政次郎・川上源七郎・平田九十郎・有馬七郎左衛門・山口直右衛門・古川源助・川南東右衛門・種子嶋宇左衛門・畠山源七・桐野藤太郎・柏原吉左衛門・石原七郎太・曾木彦二・伊助・勘太郎・日須峯敬二郎
宛先
御国許陸軍所(十月4日京都本営送状)
キーワード
原780雑録会津進撃戦死人手負人数隊別即死戦死深手後三春病院死現地夫卒村民案内深手浅手薄手加藤郷兵衛九月廿四十四誤注九月二十二会津進撃降伏報知戦死手負一冊降伏状一帖問合二通日須峯敬二郎外壹人京着通行允許封送披露十月四京都本営国許陸軍所
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 234説書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天草征伐説書

本文見出しを『天草郡覚書』とする『切支丹一件の事』。益田四郎の才覚・出生と親類、天草・島原の邪宗流布、肥前高来郡や湯島での相談、蜂起準備、唐津からの年貢催促をめぐる伝聞を記す。目録正式標題は『天草征伐説書』。

登場人物
益田四郎、千束善左衛門、小左衛門、山田右衛門佐、寺沢堅物
宛先
なし
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天草征伐説書、天草郡覚書、益田四郎、切支丹一件、湯島
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 423編纂史料・籠城編成記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤掛集書

原城一揆籠城の記録。寛永十四年十二月朔日から原古城を修築し春か城と称したとして、各郭の大将・軍人衆・奉行・使番・防火担当などの名と配置人数を列記する。兵勢二万三千余に童女一万余が加わったとし、防壁・銃眼・石や武器の配置、交替警備、矢文と火矢の警戒、四郎の巡回と法度伝達を詳述する。巻尾には高来郡などの村名を付し、一揆衆が在村の名を名字として名乗ったと説明する。

登場人物
天草四郎時貞 芦塚忠右衛門 渡邊傳左衛門 赤星主膳 馬場休意 會津宗印 同右京 毛利平左衛門 林七左衛門 松竹勘右衛門 三宅次郎右衛門 久田七郎右衛門 泰村休澤 折田本之丞 上津浦大藏忠次 有馬龜之允時家 山田右衛門佐 大浦四郎兵衛 有馬掃部頭重正 下津浦左衛門尉清安 葛諸藏人正清 千束善右衛門 加津佐助右衛門 三平 戸島惣右衛門 田嶋刑部 堂嶋對馬次家 大塚四郎兵衛是時 會津左兵衛正則 大江源右衛門 布津吉藏 北有馬久右衛門 大矢野三左衛門 箕村右京 木場作左衛門 深江次右衛門 池田清左衛門光時 松嶋半之允 布津村大右衛門 天草玄札 有江監物貞次 本戸但馬安正 上津浦三郎兵衛種清 柴田六兵衛次重 口之津次郎兵衛家時 千々岩佐左衛門正時 有江市助光家 芝田六藏 會津刑部定重 濱田三吉正為 藤次小左衛門景定 四鬼丹後安吉 栖本左京之時 柳瀬茂右衛門 鹿子木右馬之助 時枝隼人 蟻川左京 森宗意軒 高可權八 楠浦孫兵衛 藤掛勘九郎
宛先
なし(記事)
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原城 郭別配置 奉行 防備 村名 名字
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 425日記所収・原城物頭名簿旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

時任氏日記

島津久賀に従軍した時任氏の日記所収「有馬一起物語」。本丸の有馬四郎をはじめ、二・三の丸、出丸の将や侍大将・使番・鉄砲頭・武士頭・普請奉行の名を列記する。物頭は合計二十一人、年齢は二十から五十まで、勢は一万騎とする。肝付兼屋の従臣緒方主殿の日記にも大同小異の名書きがあり、異なる箇所を傍記したと説明する。

登場人物
島津久賀 時任氏 有馬四郎時貞 有馬掃部助定正 道崎對馬介次家 有江監物助貞次 池田清左衛門貞吉 有江市介光家 口之津次郎兵衛次家 芝田六藏種久 千石作右衛門正時 左馬滿安 上津浦大藏忠頼 大浦三左衛門清成 楠浦藏人正清 本戸但馬忠正 大塚次郎兵衛安光 有馬龜之丞時貞 上津浦三郎兵衛安平 口之津左兵衛正利 芝田六兵衛次重 濱田三吉忠安 藤崎小左衛門貞次 肝付兼屋 緒方主殿
宛先
なし(名簿)
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物頭二十一人 役職名簿 一万騎 人名異同
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 794人数差出留・十九日前後の着津者と飯米旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島原軍衆人数差出留

村田市助家蔵の模本から、三原喜太郎・里村十左衛門や谷山・加治木・財部・末吉・大崎・志布志・頴娃・指宿・飯野・高原などの人躰、卒者・夫丸、個人別の随伴人数と着津日を記す。飯米は十日または二十日分を渡し、長嶋ふくら蔵元と米津で分けて支給する例もある。末吉衆中の検見崎兼堯について、家系・移住と島原出陣時の行動を元禄七年の系図申出により補注する。末尾は二十三日条へ続く旨の注。

登場人物
村田市助 三原喜太郎 里村十左衛門 木脇三右衛門 江浪勘兵衛 有川源右衛門 柏原但某 鎌田豊前守 鎌田傳左衛門 是枝長左衛門 川上助左衛門 波多与兵衛 池田右近将 市来勘解由 前田喜兵衛 恒吉主膳正 有馬茂右衛門 法元内蔵助 寺師九左衛門 大村次左衛門 有川長二郎 壱岐五兵衛 岩下渡右衛門 圖師平兵衛 江田新兵衛 宮内盛右衛門 新納杢右衛門 二階堂傳右衛門 菱田四市丞 川原正左衛門 川崎拾左衛門 池田五郎右衛門 鳥井与右衛門 黒田清介 野田喜左衛門 山口与四郎 川内主馬允 古郷次兵衛 中神喜右衛門 寺原主馬 竹之内神介 小野傳左衛門 本田九郎左衛門 中山早右衛門 鎌田少右衛門 中戸藤五左衛門 白尾七左衛門 竹下主膳 岩切宗左衛門 田口七兵衛 松下十郎左衛門 久長新左衛門 山城与八左衛門 鎌田孫右衛門 大慶坊 検見崎権之介兼堯 肝付兼泰 村田経宣寿仙 子権左ヱ門兼近 長田勘左衛門 久木元吉右衛門 谷口喜兵衛 松下四郎左衛門 青山治右衛門 落合新十郎 有馬勘解由左衛門 溝辺弥兵衛 黒木孫兵衛 田嶋治部左衛門 原兵右衛門 市来主水 本山分右衛門 岩元丹波守 鎌田新蔵 瀬戸山五右衛門 玉泉坊 伊集院五兵衛 伊十院兵右衛門 大乗院 持寶院 堀内主膳正 肥後吉右衛門 有馬安右衛門 山下勘右衛門 二見傳次郎 大弐坊 山本藤七兵衛 日高二右衛門 中村百左衛門 小城銀右衛門 中嶋七左衛門 岩崎三五郎 木下小左衛門 菱輪軍介 北原半介 田中休兵衛 山口右京 大脇右京 安庄織部佑 瀬崎安右衛門 鎌田少兵衛 長谷五兵衛 坂元才兵衛 大重六左衛門 有留大蔵助 田中六郎左衛門 柳田為左衛門 三石弥九郎 郡山監物助 谷口大蔵卿 柏木縫殿助 相良五右衛門
宛先
なし(人数留)
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人数差出留 着津 人躰 卒者夫丸 相之夫 飯米 十日 二十日 検見崎兼堯 系図
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-6系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

鹿児府衆中高究之帳抄

鹿児府衆中高究之帳から松崎杢右衛門入道の高七十五石を掲げ、同人と後継の貞綱の家歴を続記する。慶長十八年の江戸質開始に、杢右衛門入道は島津義弘の姫の上洛代官として役人十人を伴い、六月二十四日に鹿児島を出発し、十一月十六日に江戸桜田屋敷へ入った。四年間勤め、本文に『元和元年丙辰(ママ)』とある四月に暇を得て、御盃と小袖を拝領して六月七日に帰着した。元和五年から蔵入代官を務め、同六年の質様下向時にも谷山で代官となり、島津下野守久元への祝儀まで処理した。寛永十二年十一月二十五日に八十四歳で没し、幼少時に父貞充と伯父貞清を戦死で失いながら家を中興したとし、法名を覚翁宗泉と記す。貞綱は天正十六年正月二日生まれ、指宿左近女を妻とし、元和三年・七年の島津家久上洛と日光参詣に供奉し、能書として知られ、寛永十年七月十一日に四十六歳で没して法名を松屋常青とした。

登場人物
松崎杢右衛門入道(法名覚翁宗泉)、島津義弘、義弘公御姫様、四本金右衛門、淵辺領右衛門、鳥井与右衛門、竪山丹後、青山与次右衛門、迫田源右衛門、山下治右衛門、田尻小左衛門、本田彦左衛門、村田源左衛門、島津久元(下野守)、松崎貞充、松崎貞清、松崎貞綱(熊徳・助七・喜右衛門尉)、指宿左近女、島津家久
宛先
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キーワード
鹿児府衆中高究之帳、松崎杢右衛門入道、高七十五石、慶長十八年江戸質、義弘公御姫様、上洛代官、江戸桜田屋敷、元和元年丙辰ママ、御盃・小袖拝領、蔵入代官、谷山、家中興、覚翁宗泉、松崎貞綱、島津家久上洛、日光供奉、能書、松屋常青
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:17-8系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

寛永十三年九月鹿児島衆中屋敷検地帳抄

寛永十三年九月の鹿児島衆中屋敷帳から、松崎采女正について『下屋鋪四せ』『下々屋敷四せ廿三分』と記す抄録。続いて松崎貞悦の慶安五年以降の奉公歴を掲げる。慶安五年に上洛を命じられて三月六日に鹿児島を立ち、四月二十五日に江戸へ着いた。承応二年には琉球からの将軍継目祝使である国頭王子に関わり、島津光久に召し連れられて日光参詣へ供奉した。万治二年には進上用の腰物を選ぶため、堀尾正宗・貞宗・左文字・兼光・則光などを江戸へ持参した。寛文三年とみられる光久の上洛には道中跡払いとして供奉し、大坂・江戸の御番割に入った。六月には国許への急用使として江戸から鹿児島へ往復し、九月に再び江戸へ参着した。同年十二月には島津綱久から将軍への寒中伺候使者となり、酒井雅楽頭や老中阿部豊後守・稲葉美濃守・久世大和守を訪ね、江戸城で七島鰹節を進上した。その後も寛文四年の下向供奉、同五年の秋月佐渡家来欠落事件に関する使者、延宝二年の大坂町奉行石丸石見守への使者を務めた。

登場人物
松崎貞悦(小七郎・采女正)、満坂里介、国頭王子、島津光久、島津綱久、島津清太夫、樺山長門、平山次郎右衛門、大山六右衛門、是枝喜右衛門、北条次郎右衛門、上村茂兵衛、奈須五左衛門、平山久馬郎右衛門、本田与兵衛、名越清右衛門、沢崎主水、税所弥□武兵衛、市来次郎左衛門、肥後茂左衛門、相良善左衛門、猿渡□六郎右衛門、宇都八弥左衛門、三雲弥太夫、館小左衛門、白尾金左□采女、伊勢弥五兵衛、森喜兵衛、長尾権兵衛、内藤繁右衛門、岩元清右衛門、黒田加兵衛、左近允四郎左衛門、山崎喜右衛門、税所弥五右衛門、伊勢弥兵衛、酒井雅楽頭、阿部豊後守、稲葉美濃守、久世大和守、松平備前守、北条安房、伊沢隼人、秋月佐渡、川野長兵衛、白井久馬、播磨屋七右衛門、五兵衛、石丸石見守、新納喜右衛門
宛先
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キーワード
寛永十三年鹿児島衆中屋敷帳、松崎采女正、下屋鋪、屋敷検地、慶安五年上洛、承応二年、国頭王子、琉球継目祝使、日光参詣、進上腰物、名刀、寛文三年上洛、道中跡払い、大坂御番、江戸御番、国許急用使、寒中伺候、七島鰹節、寛文四年下向、欠落人、延宝二年、大坂町奉行
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:3略系譜・藤原姓菊池氏末流/志岐氏由緒・薩摩移住旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤原姓菊池之末流志岐氏略譜

藤原姓菊池氏の末流とする志岐氏の略譜。警固太郎経隆の嫡男経政を山鹿太夫兵藤四郎の嫡流とし、肥前国志岐六箇浦を領した重弘、志岐城主でのち入道麟泉と号した鎮経、親重へ系線をつなぐ。親重は天正十六年、加藤清正・小西行長に志岐城を攻められて降伏し、豊臣秀吉の命によって清正の従軍として肥後へ移り、文禄元年には清正に従って朝鮮・高麗へ渡海し、清正から四百二十石を与えられた。親重の子親益・親昌は島津義虎の娘を母とし、寛永九年に清正嫡男の肥後守が没落すると、親昌は肥後を去って薩摩へ来住し家臣となった。

登場人物
警固太郎経隆、経政、山鹿太夫兵藤四郎、重弘(弾正)、鎮経(兵部大夫・志岐城主・豊前守・麟泉)、親重(兵部大夫・藤右衛門)、加藤清正、小西行長、豊臣秀吉、親益(正助)、島津義虎、親昌(小左衛門)、加藤忠広(清正嫡男肥後守)
宛先
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キーワード
藤原姓菊池氏、志岐氏略譜、警固太郎経隆、経政、山鹿太夫兵藤四郎、重弘、肥前国志岐六箇浦、鎮経、志岐城主、麟泉、親重、天正十六年、加藤清正、小西行長、志岐城降伏、豊臣秀吉、肥後移住、文禄元年、朝鮮渡海、高麗、四百二十石、親益、親昌、島津義虎女、寛永九年、加藤忠広改易、薩摩来住、家臣
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:21-7辞世・平田純正後裔系図/警護事件・役職履歴旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田純正辞世

寛文二年十月十七日に八十歳で没した平田盛右衛門尉藤原純正の辞世と、純直・純音以下の後続系譜。純正は『今年今月今日今時今刻』と死の時を明記して歌を残し、法名を天心又玄庵主とする。孫の純直は外祖父壱岐加賀守幸則の養子となり、正保二年冬、遠流途中で谷山正泉寺に宿泊した島津大和守久章の警護を新納仁右衛門と担当した。久章が逃亡を企て、多数を斬って血刀を提げ堂前へ出た際、純直は急走して組み伏せ、左右の額・腕など三か所に深手を負いながら鎮圧した。承応三年に平田姓へ復し、万治元年から綱久に仕えた。清右衛門純音は吟味役・高隈地頭・光久納戸奉行・勘定奉行を歴任し、光久没後には遺物の紋付衣裳を賜り、平山元仲とともに遺骨を高野山蓮金院から墓所へ担いだ。鶴丸紋を連環形に略した純音の家紋、後裔の出生・婚姻・幼死・役職も元禄年間まで記す。

登場人物
平田純正(盛右衛門尉)、純直(木工千代・源左衛門・九郎右衛門・幸伯)、壱岐加賀守幸則、島津大和守久章、新納仁右衛門、島津綱久、和田右京秋寛、純音(木工介・小左衛門・清右衛門)、若松十左衛門久盛、鎌田後藤兵衛政方、島津光久、平山元仲、奈良原助左衛門廣清、中原為兵衛尚昭
宛先
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平田純正、辞世、寛文二年十月十七日、今年今月今日今時今刻、天心又玄庵主、純直、壱岐幸則養子、島津久章、遠流、谷山正泉寺、逃亡企図、血刀、組み伏せ、額・腕深手、新納仁右衛門、平田姓復帰、島津綱久、純音、高隈地頭、納戸奉行、勘定奉行、吟味役、島津光久遺骨、高野山、蓮金院、平山元仲、鶴丸紋、連環紋
後編5-No.1051文書確認度 中

伊勢貞昌書状

志岐小左衛門尉の知行について、薩摩では三百石を与えられたが肥後では四百石余との申告があったため、家久の意向を確認して四百石とするか検討するよう指示した。未確定なら当面三百石とし、親類関係による連判回避にも触れた書状。

登場人物
伊勢貞昌
宛先
川上左近将監・山田民部少輔・三原左衛門佐
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伊勢貞昌、志岐小左衛門尉、知行、三百石、四百石、肥後、島津家久、川上左近将監、山田民部少輔、三原左衛門佐、親類、五月二十九日