旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w6:3略系譜・藤原姓菊池氏末流/志岐氏由緒・薩摩移住旧記雑録拾遺暫定版・確認中
藤原姓菊池之末流志岐氏略譜
天正16年(1588)・文禄元年(1592)・寛永9年(1632)/原整理番号 3
確認度高
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概要
藤原姓菊池氏の末流とする志岐氏の略譜。警固太郎経隆の嫡男経政を山鹿太夫兵藤四郎の嫡流とし、肥前国志岐六箇浦を領した重弘、志岐城主でのち入道麟泉と号した鎮経、親重へ系線をつなぐ。親重は天正十六年、加藤清正・小西行長に志岐城を攻められて降伏し、豊臣秀吉の命によって清正の従軍として肥後へ移り、文禄元年には清正に従って朝鮮・高麗へ渡海し、清正から四百二十石を与えられた。親重の子親益・親昌は島津義虎の娘を母とし、寛永九年に清正嫡男の肥後守が没落すると、親昌は肥後を去って薩摩へ来住し家臣となった。
登場人物
警固太郎経隆、経政、山鹿太夫兵藤四郎、重弘(弾正)、鎮経(兵部大夫・志岐城主・豊前守・麟泉)、親重(兵部大夫・藤右衛門)、加藤清正、小西行長、豊臣秀吉、親益(正助)、島津義虎、親昌(小左衛門)、加藤忠広(清正嫡男肥後守)
宛先
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キーワード
藤原姓菊池氏、志岐氏略譜、警固太郎経隆、経政、山鹿太夫兵藤四郎、重弘、肥前国志岐六箇浦、鎮経、志岐城主、麟泉、親重、天正十六年、加藤清正、小西行長、志岐城降伏、豊臣秀吉、肥後移住、文禄元年、朝鮮渡海、高麗、四百二十石、親益、親昌、島津義虎女、寛永九年、加藤忠広改易、薩摩来住、家臣
冊子頁
389~390頁
読込量
小
面白さ
★★★★☆
原文を確認
(3)383~603頁(諸家系図文書1~3).pdf