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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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73 件 (全巻)/ 1–50件を表示

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追録8-No.985-7七十九歳以上の男女の姓名年齢調査と帳面提出の達旧記雑録暫定版確認度 中

知政所達書(高齢者調査)

人家来・町人・百姓・浦浜人等の男女で当年七十九歳以上の者について、姓名と年齢を間違いのないよう調べ、それぞれ一帳に仕立て、当十一月中に申し出るよう命じる。民事局から諸郷地頭へ申し渡し、関係向々にも知らせる。明治三年閏十月二十九日知政所。

登場人物
知政所、民事局、諸郷地頭、人家来・町人・百姓・浦浜人等の男女七十九歳以上の者
宛先
民事局、諸郷地頭および関係向々
キーワード
人家来、町人、百姓、浦浜人、男女、当年七十九歳以上、姓名年齢調査、一帳、当十一月中申出、民事局、諸郷地頭、閏十月二十九日
追録5-No.1550書付・消息旧記雑録暫定版確認度 高

荻原消息

荻原が春井さまへ送った消息。保姫について「御歳御九才」「御姫様御名文字」と記した書付に、右のとおりであると述べる。包紙の伝達文では、その書付を相馬殿へ渡し、御かってんにて御ざ候まま、めでたく届けるよう依頼する。相馬には義岡久中の人名注がある。上書に春井さまへ、封と記し、扣の正文は家老座にあるとする。年は宝暦五年の朱注による。

登場人物
荻原・保姫(九歳)・春井さま(上書)・相馬殿義岡久中(元注)
宛先
春井さま(上書。相馬殿への転送依頼)
キーワード
荻原、保姫九歳、御姫様御名文字、書付、包紙、春井さま、相馬義岡久中、御かってん、御届け、扣正文家老座
追録6-No.2672-2書上旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣の官位・十九歳の年齢、薩隅日と琉球の石高・居城を記す

松平豊後守の明細書。本国は薩摩、上総介の嫡子、従四位下侍従、未年十九歳、生国は武蔵、居城は薩州鹿児島と記す。領知は薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十五万五千石余とし、その外に琉球国十二万三千七百石を掲げる。未年は刊注によって天明七年とされる。

登場人物
松平豊後守(島津斉宣)、松平上総介
宛先
宛所の記載なし
キーワード
松平豊後守、上総介嫡子、従四位下侍従、十九歳、六十五万五千石余、琉球国十二万三千七百石、本国薩摩、生国武蔵、居城鹿児島
後編1-No.18文書確認度 高

町田氏庶流系図

町田氏庶流の系図記事。町田三郎五郎が弘治元年四月朔日、隅州帖佐岩剣城の戦いで十九歳にして戦死したこと、兄の死後に新左衛門忠継が家を継ぎ、永禄十年の馬越城合戦で二十九歳にして戦死したことを記す。

登場人物
町田三郎五郎、町田新左衛門忠継、丹後守久吉
宛先
—
キーワード
町田氏、庶流系図、町田三郎五郎、帖佐岩剣城、弘治元年四月朔日、十九歳、町田新左衛門忠継、家督相続、馬越城、永禄十年、二十九歳、戦死
後編1-No.90文書確認度 高

吉利氏系図

吉利氏の久定について、永正十六年の誕生、母が島津相模守忠幸の娘であること、島津貴久から吉利の地を与えられて居住したこと、弘治三年九月十二日に三十九歳で没したこと、法名舜公・号日山を記す系図記事。

登場人物
吉利久定、島津貴久、島津忠幸女
宛先
—
キーワード
吉利氏系図、吉利久定、島津貴久、島津忠幸女、永正十六年、吉利、弘治三年九月十二日、三十九歳、法名舜公、日山
後編1-No.978記事確認度 高

川上久園覚書

川上久園の自作文として、川上久辰が九歳で父を失った際、島津義久が孤児を懇切に遇し、忠臣の子であるとして正月元日に他の諸士と分け、久辰一人を特に賞したことを記す。

登場人物
川上久辰、島津義久、川上久園
宛先
—
キーワード
川上久園覚書、川上久辰、島津義久、九歳、孤児、忠臣の子、正月元日、特別待遇
後編2-No.1184記事確認度 高

町田忠綱譜

町田久倍の子・忠綱が文禄二年春に朝鮮へ出陣し、旧都で島津義弘・久保に拝謁した後、両公に従って巨済島の唐島へ移った経過を記す。 忠綱は唐島の陣中で病死し、享年二十九歳だったという、若い家臣の朝鮮在陣と最期を伝える譜記事。

登場人物
町田忠綱、町田久倍、島津義弘、島津久保
宛先
—
キーワード
町田忠綱、町田久倍、島津義弘、島津久保、朝鮮出兵、巨済島、唐島、病死、二十九歳、譜
後編3-No.653記事確認度 高

北郷忠能譜

島津義久が北郷長千代丸に書状を与え、若年であっても自身で上洛するよう命じたため、慶長三年十一月に九歳の長千代丸が京都へ赴いたことを記す。続いて、その正文を掲げる旨を示す。

登場人物
島津義久(竜伯)、北郷忠能(長千代丸)
宛先
—
キーワード
北郷忠能譜、島津義久、長千代丸、九歳、上洛、京都、慶長三年十一月、正文
後編4-No.405記事確認度 高

殉国名簿

慶長十二年十一月八日、伊勢平左衛門貞成が肥前寺沢侯のもとへ使者として赴き、高畠仲兵衛と戦って唐津で死去したこと、および享年三十九歳と記す記事。

登場人物
伊勢平左衛門貞成、寺沢侯、高畠仲兵衛
宛先
—
キーワード
伊勢平左衛門貞成、肥前、寺沢侯、使者、高畠仲兵衛、戦闘、唐津、死去、享年三十九歳
後編5-No.102記事確認度 高

北郷翁久譜

北郷翁久の婚姻記事。寛永四年七月、島津家久の第三女と鹿児島の邸宅で婚礼を挙げ、太刀・鎧・鞍などを賜ったこと、翌寛永五年七月二十一日に十九歳で没したことを記す。

登場人物
北郷翁久、島津家久の第三女、鎌田播磨政重
宛先
—
キーワード
北郷翁久、島津家久、第三女、鎌田播磨政重、婚礼、太刀、鎧、鞍、十九歳、死去
後編5-No.511文書確認度 中

永井白元書状

永井監物白元が島津久元に、先に述べたとおり五十歳以上の者は上下とも乗物を許されると伝え、久元が五十九歳以上であるなら案紙どおりの書状を本丸目付・西丸目付へ各一通持ち込み、相談すると述べた書状。

登場人物
永井白元、島津久元、本丸目付、西丸目付
宛先
島津久元(嶋津下野様)
キーワード
永井白元、島津久元、乗物、五十歳以上、五十九歳以上、案紙、本丸目付、西丸目付、江戸幕府
追録1-No.648系譜旧記雑録暫定版確認度 中

島津久岑(虎松・又六)系譜抄

久四郎忠清一流の系図に久岑を掲げ、虎松・又六と記す。慶安三年八月九日生、母は救仁郷天神坊頼重の娘で、光久の四男と明記する。明暦二年八月十五日に光久が虎松へ佐志三千石の遺領を賜り、自ら加冠して又六と号させ、島津市正忠廣が理髪を務めた。寛文八年十二月十二日死去、十九歳。

登場人物
久岑(虎松・又六)、光久、救仁郷天神坊頼重、島津市正忠廣、久四郎忠清、又五郎久近
宛先
—
キーワード
久岑、虎松、又六、光久、四男、忠清流、救仁郷、天神坊頼重、佐志、三千石、加冠、島津忠廣、寛文八年、十九歳
追録1-No.2419記事旧記雑録暫定版確認度 高

光久逝去

島津光久が元禄七年十一月二十九日に七十九歳で逝去し、寛陽院殿と追号されたことを記す記事。

登場人物
島津光久
宛先
—
キーワード
島津光久、逝去、元禄七年、七十九歳、寛陽院殿、記事
追録1-No.2454-2記事旧記雑録暫定版確認度 高

光久病没

幕医の診療後も島津光久の病状は次第に悪化し、元禄七年十一月二十九日申刻に七十九歳で死去して、寛陽院殿泰雲慈温大居士と追号されたことを記す記事。

登場人物
島津光久
宛先
—
キーワード
島津光久、病没、元禄七年、十一月二十九日、七十九歳、寛陽院殿、記事
追録5-No.1224伺書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重年伺書(善次郎の仮養子)

松平薩摩守重年が宝暦三年四月二日、善次郎を仮養子としたいと伺う。以前の御暇の際には弟の島津杢を仮養子として届けていたが、家督以前に先妻から生まれた善次郎が当酉年に九歳となった。家中一門とも一致し国許にいる善次郎を昨年から考えていたものの、虚弱のため見合わせていたところ、今は丈夫になったので今回の御暇に際して願う。妻に男子が生まれればその子を嫡子とし、善次郎はそれまで仮養子とする考えも示す。注記は四月二日に小笠原縫殿助を通じ西尾隠岐守へ提出し、八日に留守居山澤小左衛門へ伺いどおりの回答が伝えられた経過を記す。

登場人物
島津重年
宛先
幕府(本文に宛名記載なし)
キーワード
重年伺書:九歳の善次郎を仮養子とする願いと許可注記
追録5-No.1236願書旧記雑録暫定版確認度 高

島津重年願書(善次郎の跡式相続)

松平薩摩守重年が宝暦三年四月廿一日、堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・松平右近将監・西尾隠岐守の五名へ願う。今回の御暇により国許へ帰るが、今の妻との間に男子がいないため、在国中に不測のことがあれば、家督以前に先妻から生まれ国許にいる当酉九歳の善次郎へ、相違なく跡式を認めてもらいたいとする。重年公御譜中・正文在右筆所の注と重年御書判の表示を持つ。No.1224の仮養子願に関連する、在国中の不測時に備えた跡式相続願である。

登場人物
島津重年
宛先
堀田正亮・酒井忠寄・本多正珍・松平武元・西尾忠尚
キーワード
重年願書:在国中の不測時に九歳善次郎へ跡式相続を認める願い
追録6-No.654記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、蒲生郷士の僕市右衛門を褒賞す

始羅郡蒲生郷士嶺崎平左衛門の僕市右衛門を褒賞した記事。市右衛門はもと他国の産で、九歳の時に平左衛門の僕となり、ますます慎んで仕え、吉凶を問わず私財を出して主人を給養した。この年の春二月、その勤めを褒賞し、廩米十五苞を与えたとする。

登場人物
重豪、嶺崎平左衛門(蒲生郷士)、市右衛門(僕)
宛先
—
キーワード
蒲生郷士嶺崎平左衛門、僕市右衛門、他国出身、九歳から奉公、私財による主人給養、春二月褒賞、廩米十五苞
追録6-No.713系譜旧記雑録暫定版確認度 中

敬姫二女系譜抄

大信公(重豪)の二女敬姫を、宇都宮領主奥平大膳太夫昌男の縁女として記す。明和七年庚寅八月二十一日、江戸で出生し、幕府には五年戊子の出生として告げたという。実母は市田喜内貞行の女で名は於登世、母は甘露寺前大納言矩長卿の女と記す。母甘露寺氏の注は安永四年乙未十月二十六日の死去と法名玉貌院殿華山妙巌大姉を記す。実母市田氏の注は、安永五年八月二十二日に茂姫君の許嫁により禄を賜ったことを記す。額は「子六百石」とあり、冒頭字の解釈を留保する。御内証様と称し、天明三年五月に御前様に準じ、寛政元年八月六日に御部屋様と称した旨を続け、享和元年辛酉十月晦日に高輪邸で死去し、大円寺に葬り、慈光院殿仏心恵証大姉の法名、浄光明寺への安牌を記す。敬姫の本条は、明和八年辛卯十一月十八日に福ヶ迫へ謁したこと、九年壬辰二月十三日の首途、二十一日の府城発、五月十七日の芝邸着、六月に公夫人甘露寺氏の養女となったことを列挙する。安永五年丙申十一月二十七日、奥平九八郎昌男との許嫁が決まった。天明六年丙午八月、昌男が結納前に死去し、その旨を官へ報告した。敬姫は天明八年戊申四月二十日、芝邸で十九歳で死去し、大円寺に葬られ、法名は淨信院殿本因即妙大姉とする。付注は十月十二日の遺毛の福昌寺への帰埋、恵燈院への主の安置と銀二十枚による弔祭を記す。

登場人物
大信公(重豪注)、二女敬姫、実母市田喜内貞行女(名於登世注)、母甘露寺前大納言矩長卿女、公夫人甘露寺氏、茂姫君、奥平九八郎昌男(大膳太夫・宇都宮領主注)
宛先
—
キーワード
重豪二女敬姫系譜、江戸出生と幕府告五年出生の差、実母と母、母甘露寺氏の死去と実母於登世の称号・禄・死去付注、福ヶ迫謁・府城発芝邸着、甘露寺氏養女、昌男許嫁・結納前死去報官、敬姫十九歳死去・大円寺葬・法名、遺毛福昌寺帰埋・恵燈院弔祭
追録6-No.1501碑文・題記旧記雑録暫定版確認度 中

太夫人島津氏の墓表と、山本正誼の碑陰文

題は太夫人島津氏墓表で、題の八字は本文の列にまたがって大字で掲げられる。既に葬ってから三十三年として、子の懋昭が墓表を立てたと記す。太夫人は諱都美、島津氏、右馬頭忠将の後裔で、家は代々垂水を領し麑府に居住した。父の名は貴儔、自称備前、老いて自号靜山翁、太夫人はその嫡女とする。先君に嫁いで二年で没し、延享二年十一月七日、十九歳、法名は正覺院殿貞範妙雅大姉、墓は隅州加治木の長年寺にあると記す。祖夫人から聞いた人物評として、温恭慈恵、上に仕え下を慈しみ、平居幽閑で言笑を慎み、操縵・書札を好み、世俗の紛華を好まなかったことを載せる。男子は懋昭一人で、母の没時には生まれて才二日だったと記す。その後の嗣位襲封と、母の慈顔を知るに及ばなかった悲しみを述べ、安永六年丁酉十一月朔日、男・従四位上中将薩隅日三州守兼領琉球国源懋昭記と署す。近侍掌務臣山田明遠が薫沐拜書したと記す。続く碑陰文は、墓表を作った公が知学事臣山本正誼に碑の陰を書かせたものとし、夫人は圓德公の元配で、公が初め公族島津久季の嗣となったためその邑加治木へ葬られたと説明する。公が爵を襲った後、夫人の主を福昌寺祖廟へ祔し、諸侯の礼で祭ったことを、母以子貴の義として述べる。末は安永六年歳次丁酉冬十一月癸亥、知学事臣山本正誼謹記。編者注は原碑による補入、原碑文十行と篆字の区別を示す。

登場人物
太夫人都美、右馬頭忠将、島津貴儔(備前・靜山翁)、源懋昭(重豪、御譜表示との対応)、山田明遠(近侍掌務臣)、山本正誼(知学事臣)、圓德公(原呼称)、島津久季
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
太夫人島津氏墓表、都美貴儔嫡女・靜山翁、延享二年十一月七日・十九歳正覺院、子懋昭生才二日、墓長年寺、十一月朔源懋昭記山田明遠書、碑陰十一月癸亥知学事山本正誼記・圓徳元配久季嗣加治木葬福昌主祔
追録6-No.2533記事旧記雑録暫定版確認度 中

斉宣の継封許可と家伝の譜牒・重器の譲渡、重豪の政務補佐を記す

正月十八日に父重豪が隠居して国を斉宣へ伝えることを幕府に願い、二十八日に老中奉書を受け、翌二十九日に斉宣が本多豊後守助受と登城したと記す。白書院で大老・老中が重豪の隠居と斉宣の継封を許し、牧野越中守貞長が命を伝えた。斉宣と助受は受命後、大老・老中各邸に謝礼し、番頭と表方使者を若年寄・御側衆各邸へ遣わした。帰邸後は家老以下が祝い、袖判の書を側役に読ませて家老に渡し、父から家伝の譜牒と重器を譲られたと述べる。斉宣の実年齢は十五歳、幕府への申告は十九歳とし、若年のため重豪が従来どおり国政を執ることを幕府へ告げたと付記する。

登場人物
島津重豪、島津斉宣、本多助受(豊後守)、牧野貞長(越中守)、井伊直幸(掃部頭)、松平康福(周防守)、水野忠友(出羽守)、鳥居忠意(丹波守)、家老
宛先
記事のため宛名なし
キーワード
斉宣、継封、隠居、登城、白書院、家老、袖判、譜牒、重器、十五歳、十九歳、国政
追録7-No.無番号_0134その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

島津久徳祭文

No.2704の附属資料「の4」、島津内匠久徳が献じた祭文。重豪を三州兼領琉球国源公・大信院殿栄翁如證大居士と称し、高輪邸で病に伏し医療が効かず二月三日に正寝で死去、翌日から執事が霊柩を奉じ、四月某日に薩府玉龍精舎へ帰葬したと述べる。中陰の日に族臣源久徳が追慕の情を告げ、領地の僧侶に供えを備えさせ尊霊を祭ると記す。韻文は幼少からの仰望と高い位階、雄名、徳、文武と学習・講説を讃え、八十九歳の死、山川を隔てる道、落花・流水・柳車・玉龍宝窟の寂しさを詠む。法幢と経声、草木に及ぶ追慕を述べ、供えを受けるよう願って「尚饗」と結ぶ。序文の死亡・帰葬は祭文の叙述として保持し、四月某日を八日などの具体的な日に置き換えない。久徳の献祭と僧侶への準備の指示も分ける。

登場人物
族臣源久徳(島津内匠久徳・加治木家)、大信院殿栄翁如證大居士(島津重豪)、領地の僧侶
宛先
尊霊(島津重豪)
キーワード
2704の4、無番号0134、島津久徳、島津内匠、加治木家、源久徳、島津重豪、二月三日正寝死去の叙述、四月某日帰葬、玉龍精舎、中陰日、僧侶、祭文、文武、八十九歳、落花流水、玉龍宝窟、法幢、経声、追慕、尚饗
追録7-No.1929書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪書状(神田橋伺候の御礼と進物)

重豪が飛鳥井・瀬川・花町・梅園・むめ溪・花崎の六名へ送った書状。前日の御臺様の神田橋屋形への立寄りに際し、重豪自身も伺候して御目見を許され、長年望んでいた御臺様への御礼を直接申し上げられた喜びを伝える。幼年からの折々の恩顧を振り返り、老後も厚く遇されたことを有り難く思う一方、最初は恐縮して十分に言葉を尽くせず、後から無礼がなかったか案じたと述べる。子孫にも御臺様の恩を忘れぬよう伝え、献上した御品と魚肴が無事に届いたかを尋ねる。結びでは手元の品を贈るので今後も取りなしを頼む。後書は文政六年三月二十九日の礼状とし、重豪の七十九歳、御臺様は重豪の三女で将軍家斉の御臺所と注記する。

登場人物
島津重豪、御臺様、飛鳥井、瀬川、花町、梅園、むめ溪、花崎
宛先
飛鳥井、瀬川、花町、梅園、むめ溪、花崎
キーワード
島津重豪、御臺様、神田橋、御目見、御礼、進物、飛鳥井、瀬川、花町、梅園、むめ溪、花崎、三月二十九日、七十九歳
追録8-No.288松平修理大夫茂久明細書旧記雑録暫定版確認度 中

茂久の官職・父・領地石高と琉球国外高を記す明細書

太守の明細書。安政六年二月七日、従四位下少将松平修理大夫茂久、未十九歳と記す。養父は故薩摩守斉彬、実父はその弟島津周防。本国・生国は薩摩、居城は薩州鹿児嶋、領地は薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十万五千石余とし、別に琉球国について「外十二万三千七百石」を掲げる。包紙に安政六年四月朔日、伯耆殿から渡され白木御文書十番箱に収納した旨がある。各記載高は合算せず原欄の区別を保持する。

登場人物
松平修理大夫茂久、養父故薩摩守斉彬、実父島津周防、伯耆殿
宛先
包紙:太守の明細書;外包:伯耆から渡す記録(相手名不記)
キーワード
太守明細書、松平修理大夫茂久、従四位下少将、未十九歳、斉彬養父周防実父、薩摩大隅日向、六十万五千石余、外十二万三千七百石琉球国、本国生国居城、二月七日、四月朔収納
追録8-No.1259-1布告旧記雑録暫定版確認度 中

家督相続の年齢・協議・後見人を定める布告

十九歳十一か月までの未成年者が家督を相続するときは、士族・平民を問わず親族または適任者を後見人とする。十五歳以上は親族の協議によって後見を免じてもよく、女子の家督相続にも同様の扱いを適用する。

登場人物
鹿児島県令岩村通俊、区戸長
宛先
士族・平民・家督相続人
キーワード
家督相続、未成年、十九歳十一か月、親族、後見人、十五歳、協議、士族、平民、女子家督
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:396文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

うは太郎母人身質券

飢饉のため、うは太郎の母が九歳の子うは太郎を池端殿の家へ銭二百文で質入れした人身質券。翌九月中に銭を返せば請け戻すが、返済できなければうは太郎を永代の家人として召し取ることなどを定める。建武五年四月八日付。

登場人物
うは太郎母、うは太郎、池端殿
宛先
池端殿
キーワード
うは太郎母人身質券、うは太郎母、うは太郎、池端殿、九歳、飢饉、銭二百文、質入れ、請戻し、永代家人、建武五年
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0018弓箭覚書抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

新納忠元弓箭覚書

忠元の弓箭覚書が、伯囿が伊集院にいた時に郡山を警固し、八月十七日の夜に呼び出されて敵一人を討ったと記す。内城の近くで山口という者と刀で切り合い、その首を伯囿へ見せた。槍傷を負ったが、十九歳の初合戦であったという。

登場人物
新納忠元、島津貴久(伯囿)、山口某
宛先
—
キーワード
新納忠元弓箭覚書、郡山の警固、八月十七日の夜襲、山口との刀戦、首級、槍傷、十九歳の初合戦
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W07_文書0002-5抄録旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

玉海

『玉海』の文治元年十一月十三日条から、関東武士の入洛と、十九歳で未元服の北陸宮の記事を引く。季安の考証は、皇室の重宝吠丸・鵜丸・蒔鳩の伝来を検討する。源氏の重代の膝丸が吠丸と呼ばれたこと、保元年間の義朝による皇室への献上、平氏西海没落の際の流出、範頼による回収・奉献などを述べる。北陸宮の立皇論と義仲の意向にも触れ、朝家の守護と源氏の奉公の関係を考える。

登場人物
北陸宮、源頼朝、範頼、義仲、法皇、崇徳上皇、白河殿、左典厩義朝、清經、高倉院、後鳥羽帝
宛先
—
キーワード
玉海、北陸宮十九歳、関東武士の入洛、吠丸、鵜丸、蒔鳩、源氏重代膝丸、保元の献上、西海の流出、範頼の回収奉献、立皇と護剣
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-IKEHATA-ZASSHO-D0745番号文書/うは太郎母人身質券旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:うは太郎母人身質券

うはたらうの母が、九歳の子をいけはたとのへ用途二百もんに入れ置く。飢饉で自身と子が飢え死ぬためと述べ、二百もんを日頃の二くわん三くわんもんにも当たると記す。 「もしらい九月中に、ふほうなる事候ハゝ」という条件のもと、子を永代を限って相伝の御とのの人に召し取る旨を記す。 御用途は来九月中に「いちはいをもて、わきまゑ申候へく候なり」と記す。 九月中を過ぎる場合は、この状をはうけんとして子を永代相伝・服仕させる旨を別の条件節に定める。

登場人物
子息うはたらうわらわ、いけはたとの
宛先
—
キーワード
人身質、九歳、放券、服仕
後編6-No.203記事確認度 高

島津彰久室譜

島津彰久室の譜記事。島津義久の二女で新城君と称し、永禄六年六月十六日に種子島左近大夫時堯の娘を母として生まれた。寛永十八年八月十五日に新城で死去し、享年七十九、法号を珠月浄珊庵主としたことを記す。

登場人物
島津義久、島津彰久、義久二女(新城君)、種子島時堯
宛先
—
キーワード
島津義久、島津彰久、新城君、種子島時堯、永禄六年、寛永十八年、新城、七十九歳、珠月浄珊庵主、譜記事
追録6-No.2734書状旧記雑録暫定版確認度 高

島津重豪書状

敬の死去に際し、内々の香奠として白銀五枚を拝領したことを受け、重豪が藤崎へ礼を申し上げる書状。上々様の機嫌を喜び、まず受領の礼を伝える。敬の名に付された朱注には、戊申四月二十日に芝邸で没し、年十九とある。

登場人物
島津重豪(目録)、敬、藤崎、上々様
宛先
藤崎さま
キーワード
敬、死去、香奠、白銀五枚、芝邸、四月二十日、十九歳
追録7-No.1006書上旧記雑録暫定版確認度 高

斉興・斉宣明細書写二枚(石高・官位・本国生国・家督隠居)

白木御文書七番箱中46番、斉興と斉宣の明細書写2枚。冒頭から次頁にまたがり、薩摩国一円、石高60万5千石余と大隅国一円・日向国之内、別に12万3千7百石と琉球国を掲げる。斉興は本国・生国とも薩摩、文化元年甲子10月4日元服、従四位下侍従、文化6年己巳6月17日家督、居城薩州鹿児嶋、松平豊後守斉興、年齢欄は己21と記す。斉宣は本国薩摩、生国武蔵、文化6年己巳6月17日隠居、18日改名、従四位上中将・上総介事、榮翁重豪嫡子、松平修理太夫斉宣、年齢欄は己41と記す。右包紙に明細書写二枚、外包に朱46番と太守・御隠居の明細書写二枚を記し、文化6年己12月廿八日、安房から三原次郎四郎へ渡され七番箱へ納置した旨を付す。二人別の生国・官位・年齢・家督隠居改名を分ける。1004朱按の斉興19歳・斉宣37歳とは異なり、年齢欄を推測で統一しない。後続1014の御譜注は斉興を実19歳、幕府には21歳と告げたと明記するので、斉興の年齢差は申告上の差として説明できる。斉宣41と朱按37の差は引き続き未解明。

登場人物
松平豊後守斉興、松平修理太夫斉宣、榮翁重豪、安房、三原次郎四郎
宛先
独立宛名なし(明細書写。外包に三原次郎四郎への受渡注)
キーワード
明細書写二枚、薩摩大隅日向、六十万五千石余、外十二万三千七百石琉球、斉興薩摩生国元服従四位下侍従家督己二十一、斉宣武蔵生国隠居改名従四位上中将己四十一、榮翁嫡子、外包十二月廿八日安房三原受渡、七番箱四十六番、1014実十九歳幕府二十一歳申告注、斉宣四十一三十七差未解明
追録7-No.1039複合文書旧記雑録暫定版確認度 高

重豪親族忌服・公辺届集(美作死去、善次郎・又三郎届と後年再吟味)

重豪公御譜中・写正文在文庫。文化4年4月2日、榮翁の母方叔父嶋津美作(貴澄・垂水家)が国元で先月5日に死去したため、続半減の忌服を届ける。忌5日・3月5~9日、服15日・3月5~19日、日数が過ぎ残日数がないので遠慮1日とする貼紙を付す。本丸の書留には日限がなく老中側の扱い、ほかの書留は見当たらないと記す。続く重年の系譜説明は、継豊の二男で嶋津兵庫名跡を継ぎ、美作の姉と婚姻して榮翁が生まれ、その後宗信の養子となったが榮翁は重年実子として家督相続し、美作は養子であっても母方叔父半減の忌服になると述べる。宝暦3年4月23日、重年が帰国許可を受け、先妻所生の善次郎・9歳を家督以前の男子として跡式相違なく命じられるよう願う届を五宛へ出す。4月4日御暇、13日発足、21日善次郎の申上げを付記。宝暦4年閏2月23日、善次郎を家中一門に置き前年仮養子として願ったこと、今回参勤で召し連れる件を記す。延享2年乙丑11月7日一門家で生まれ母は備中女、宝暦4年に10歳、8月5日に嫡子届を行い松平又三郎と改名したとの説明と、同8月4日の改名届も収める。文化6年、珎林院(久柄妻)の病気を機に旧続書を再調査し、美作死去時の母方叔父半減について、重年実子なのに養子となって他家を継いだとの続書文言が不適切だと牧野側から指摘された経緯を記す。旧続書はそのまま置き難いとして、卯4月提出の続書を取り消し、所定の母方叔父母の扱いで届けるよう内々に決めた。国元の家老座・記録所に帳面書類を取り寄せ、江戸詰記録方添役篠原善助を介して照会した。その後珎林院が死去し訂正どおりの届を出し、公辺の都合も無滞に済んだと結ぶ。年次・実子と養子の申告文言・旧書面撤回を分け、単一日付の忌服届として縮めない。1072末注は本件と同一とするが、院号は本件珎林院・1072瑤林院の掲載字形を出典別に保つ。

登場人物
榮翁重豪、嶋津美作(貴澄・垂水家注)、重年、継豊、薩摩守宗信、嶋津善次郎、松平又三郎、嶋津備中(貴儔・垂水家注)、堀田相模守正亮、酒井左衛門尉忠寄、本多伯耆守正珍、松平右近将監武元、西尾隠岐守忠尚、久世忠右衛門、御用番牧野備前守、珎林院(久柄妻注)、國徳院(重年注)、慈徳院(宗信注)、篠原善助
宛先
宝暦3年届の五宛:堀田・酒井・本多・松平右近将監・西尾。文化4年届に独立宛名なし
キーワード
文化四年母方叔父美作死去、忌五服十五残日なし遠慮一、本丸書留日限なし、重年継豊二男宗信養子榮翁実子申告、宝暦三年善次郎九歳跡式届、宝暦四閏二月仮養子参勤、延享二出生備中女、十歳嫡子又三郎改名八月四五日、文化六珎林院病気続書再調査、牧野指摘、卯四月旧続書撤回、正式忌服、記録所篠原善助照会
追録7-No.1072複合文書旧記雑録暫定版確認度 高

重豪続書并公辺届振一巻帳(親族忌服・嫡子届と文化6年の再吟味)

白木御文書七番箱72番。文化6年、御記録所の「御隠居様御事瑤林院江之御続合、於江戸御吟味之上以後公邊御届振被究置一巻帳」の蓋紙を付す。文化4年4月2日、榮翁の母方叔父嶋津美作(貴澄・垂水家)が国元で先月5日に死去したため、続半減の忌服を届ける。忌5日・3月5~9日、服15日・3月5~19日、日数が過ぎ残日数がないので遠慮1日とする貼紙を付す。本丸の書留には日限がなく老中側の扱い、ほかの書留は見当たらないと記す。続く重年の系譜説明は、継豊の二男で嶋津兵庫名跡を継ぎ、美作の姉と婚姻して榮翁が生まれ、その後宗信の養子となったが榮翁は重年実子として家督相続し、美作は養子であっても母方叔父半減の忌服になると述べる。宝暦3年4月23日、重年が帰国許可を受け、先妻所生の善次郎・9歳を家督以前の男子として跡式相違なく命じられるよう願う届を五宛へ出す。4月4日御暇、13日発足、21日善次郎の申上げを付記。宝暦4年閏2月23日、善次郎を家中一門に置き前年仮養子として願ったこと、今回参勤で召し連れる件を記す。延享2年乙丑11月7日一門家で生まれ母は備中女、宝暦4年に10歳、8月5日に嫡子届を行い松平又三郎と改名したとの説明と、同8月4日の改名届も収める。文化6年、瑤林院の病気を機に旧続書を再調査し、美作死去時の母方叔父半減について、重年実子なのに養子となって他家を継いだとの続書文言が不適切だと牧野側から指摘された経緯を記す。旧続書はそのまま置き難いとして、卯4月提出の続書を取り消し、所定の母方叔父母の扱いで届けるよう内々に決めた。国元の家老座・記録所に帳面書類を取り寄せ、江戸詰記録方添役篠原善助を介して照会した。その後瑤林院が死去し訂正どおりの届を出し、公辺の都合も無滞に済んだと結ぶ。末尾の編者注は本文書が1039号と同一と明示する。院号は1039の珎林院に対し本件瑤林院の掲載字形を保持する。

登場人物
榮翁重豪、嶋津美作(貴澄・垂水家注)、重年、継豊、薩摩守宗信、嶋津善次郎、松平又三郎、嶋津備中(貴儔・垂水家注)、堀田相模守正亮、酒井左衛門尉忠寄、本多伯耆守正珍、松平右近将監武元、西尾隠岐守忠尚、久世忠右衛門、御用番牧野備前守、瑤林院(1072掲載表記)、國徳院、慈徳院、篠原善助
宛先
宝暦3年届の五宛:堀田・酒井・本多・松平右近将監・西尾。文化4年届に独立宛名なし
キーワード
文化四年母方叔父美作死去、忌五服十五残日なし遠慮一、本丸書留日限なし、重年継豊二男宗信養子榮翁実子申告、宝暦三年善次郎九歳跡式届、宝暦四閏二月仮養子参勤、延享二出生備中女、十歳嫡子又三郎改名八月四五日、文化六瑤林院病気続書再調査、牧野指摘、卯四月旧続書撤回、正式忌服、記録所篠原善助照会、七番箱72、御記録所一巻帳、1039同一編者注院号異同
追録8-No.167系譜抄旧記雑録暫定版確認度 中

睦姫斉彬系譜抄

斉彬公の子の系図から睦姫の条を収め、忠義夫人と記す。男女九人の表示があり、嘉永四年正月十六日に生まれ、母は菊三郎と同じとし、実母を伊集院兼珍の女とする注がある。明治二年三月二十四日に没し、年十九、神号を稚桜豊睦姫命と記す。

登場人物
睦姫、島津斉彬、忠義(夫)、菊三郎、伊集院兼珍の女(実母注)
宛先
宛先なし(系譜)
キーワード
睦姫、島津斉彬、忠義夫人、出生、菊三郎と同母、伊集院兼珍女、明治二年没、十九歳、稚桜豊睦姫命
前編1-No.346記事確認度 高

島津忠久譜

『島津世家』巻二所収の島津忠久譜。忠久を源頼朝の庶子、母を比企能員の妹・丹後局とし、政子の嫉妬を避けた局が播磨国住吉の誕生石で出産し、狐火に照らされたとの出生伝承を記す。七歳で鶴岡八幡宮にて畠山重忠を加冠役に元服し、重忠の娘を妻とし、島津御荘地頭職と薩摩・大隅・日向三国守護職を得たとするが、薩摩下向年次には異説を併記する。奥州合戦で重忠と先鋒を務め、阿津賀志山攻めに従軍したこと、比企能員の変による守護職喪失・回復、近衛家の猶子となって藤原姓を称した二説、越前島津氏系譜を収録。後半は花尾権現の縁起、頼朝・丹後局らの像、建保六年銘の御正躰七鉢、霊鏡・国平丸の図と銘文、貞享元年の宝剣紛失確認、嘉禄三年四十九歳没の伝承を記す。

登場人物
島津忠久・源頼朝・丹後局・北条政子・比企能員・惟宗広言・畠山重忠・島津忠季・島津忠綱・藤原泰衡・近衛家
宛先
播磨国住吉・鶴岡八幡宮・伊勢国・信濃国塩田荘・島津御荘・薩摩国・大隅国・日向国・若狭国・越前国・山門院感応寺・厚地山花尾権現・鎌倉
キーワード
島津忠久譜、島津世家、島津忠久、源頼朝、丹後局、北条政子、比企能員、惟宗広言、畠山重忠、島津忠季、島津忠綱、出生伝承、播磨国住吉、誕生石、狐火、惟宗姓、藤原姓、鶴岡八幡宮、元服、島津御荘、三国守護、奥州合戦、阿津賀志山、藤原泰衡、若狭国守護、越前国守護、比企能員の変、十字紋、大十文字、小十文字、膝丸、愛染明王、山門院感応寺、厚地山花尾権現、御正躰七鉢、阿弥陀、観音、大日、千手、建保六年銘、霊鏡、国平丸、毘沙門天王安置作、貞享元年、嘉禄三年、史料考証
前編2-No.817記事確認度 高

島津元久譜

島津元久譜が、元久方と渋谷氏方の軍勢配置、伊集院頼久らの進退、元久発病後の軍勢崩壊を記す。元久は応永十八年八月六日に四十九歳で没し、法名を玄忠としたこと、その後頼久が伊集院へ退いたことを述べる。

登場人物
島津元久、渋谷氏、伊集院頼久、本田忠親、島津久世、島津忠朝、北郷氏ほか
宛先
—
キーワード
島津元久譜、島津元久、渋谷氏、伊集院頼久、本田忠親、軍勢崩壊、病死、応永十八年、玄忠、伊集院
前編2-No.2215記事確認度 高

殉国名藪

天文三年四月三日、執印三郎次郎公友が久體橋で戦死したこと、二十九歳で、同時に主従十二人が戦死したことを記す。

登場人物
執印三郎次郎公友、主従十二人
宛先
—
キーワード
殉国名藪、執印公友、久體橋、戦死、主従十二人、天文三年
前編2-No.2659記事確認度 中

樺山玄佐譜

樺山善久が十九歳で上洛を企て、正宮の尊体に眼病平癒を祈願し、近衛家や飛鳥井家との交流を通じて和歌の会を催した経過を記す。

登場人物
樺山善久(玄佐)、近衛殿、飛鳥井殿
宛先
—
キーワード
樺山玄佐譜、樺山善久、玄佐、上洛、眼病平癒、近衛家、飛鳥井家、和歌会
後編1-No.3記事確認度 高

島津歳久譜

蒲生北村の敵が帰順を装って島津軍を誘い出し、弘治元年正月二十二日に貴久・義久が吉田から出陣したところ伏兵に遭った。弟子丸播磨守・指宿丹後守以下十八人が戦死し、十九歳の歳久も負傷したと記す。

登場人物
島津貴久、島津義久、島津歳久、弟子丸播磨守、指宿丹後守、蒲生北村の敵兵
宛先
—
キーワード
北村合戦、偽降、伏兵、吉田、島津歳久、十八人戦死、負傷
後編1-No.171文書確認度 高

町田氏庶流系図

島津貴久の命で島津忠将の家老となった町田忠林が、永禄四年七月十二日に廻の竹原山で戦死したことを記す。二男の軍四郎忠次も十九歳で父とともに戦死し、両人の法名を載せる。

登場人物
町田忠林、町田忠次、島津忠将、島津貴久
宛先
—
キーワード
町田氏庶流系図、町田忠林、町田忠次、島津忠将、竹原山合戦、戦死、法名
後編1-No.255記事確認度 高

島津義久譜

永禄六年六月十六日に生まれた島津義久の女子について、島津義虎および島津彰久の室となったこと、母は種子島氏の女子であることを記す。寛永十八年八月十五日に新城で七十九歳で死去し、法名も載せる系図記事。

登場人物
島津義久の女子、島津義虎、島津彰久、島津家久、種子島時堯の女子
宛先
—
キーワード
島津義久女子系図、永禄六年、島津義虎、島津彰久、種子島氏、誕生、寛永十八年、新城、法名
後編1-No.575文書確認度 高

薩州島津家略系図

薩州島津家の略系図。忠辰を島津歳久の猶子とし、永禄十二年三月十三日生、天正十五年四月十七日に十九歳で死去したと注記する。元亀二年に出水で生まれた忠清は義久長女を母とし、兄忠辰の罪により母・母堂・弟忠富・忠豊とともに小西行長へ預けられ、長年肥後に在住したとする。

登場人物
島津忠辰、島津忠清、島津歳久、島津義久長女、島津忠富、島津忠豊、小西行長
宛先
—
キーワード
薩州島津家略系図、島津忠辰、島津忠清、島津歳久、島津義久長女、元亀二年、出水、小西行長、忠富、忠豊、肥後、系譜
後編2-No.154記録確認度 高

上野隼人覚書

天正十四年七月六日辰刻の鷹取城攻撃で、二十九歳の上野隼人佑が土師兵部と一歩も退かず戦い、互いに刺し違えて討死したことを記す覚書。末尾の歌は、その名を「高取の露」として後世に残す忠節をたたえる。個人の年齢・対戦相手・最期が具体的に分かる短い戦功・討死記事である。

登場人物
上野隼人佑、土師兵部
宛先
記事
キーワード
上野隼人覚書、上野隼人佑、土師兵部、鷹取城、七月六日、刺し違え、討死、和歌、忠節
後編2-No.375書状確認度 中

吉田清在書状

吉田清在が執印河内守へ、新田神社の祭礼に例年どおり太刀・馬を奉納したことを伝えた書状。馬屋を預かる立場から、七歳で置いた馬が九歳となったが、戦乱のため鹿児島領内から移して飼育し、傷んで見苦しくなった事情を説明し、今後の祭礼用の馬をどうするか判断を求めている。

登場人物
吉田清在、執印河内守
宛先
執印河内守
キーワード
吉田清在書状、吉田清在、執印河内守、新田神社、祭礼、太刀、馬、馬屋、戦乱、奉納
後編2-No.712記事確認度 高

樺山忠助譜

樺山忠助譜に収められた、七十九歳の老母・通善周慶大姉の書状と事績。上京して龍伯に供奉する忠助へ、主君への忠節を尽くし、酒色を慎み、病を養い、仏道を忘れないよう諭す。母の教養と家訓、忠助が書を珍蔵して繰り返し読んだこと、母の死と龍伯の追悼までを伝える、家族の情愛が鮮明な史料である。

登場人物
樺山忠助、通善周慶大姉、島津竜伯
宛先
—
キーワード
樺山忠助、通善周慶大姉、老母、母書、忠節、酒色戒め、病気、仏道、女性教養、追悼
後編2-No.1362記事確認度 高

北郷忠虎譜

秀吉の上使が薩摩・大隅・日向を検地し、北郷忠虎領では田中吉政らが都城・安永・高城・末吉・財部など十五か所、計六万九千二百余石を調査したと記す。 同年冬、忠虎は巨済城で寒気と軍務の疲労から病を得て、十二月十四日に三十九歳で死去した。鶴田貞明が殉死したことも記し、検地による領地確定と朝鮮陣中での最期を一続きに伝える家譜記事。

登場人物
北郷忠虎、豊臣秀吉、田中吉政、白井三郎右衛門尉、友田新允、富森九介、鶴田貞明
宛先
宛先なし(譜の記事)
キーワード
北郷忠虎、太閤検地、都城、六万九千二百石、田中吉政、巨済城、陣中病没、鶴田貞明、殉死、朝鮮出兵
後編2-No.1476記事確認度 高

島津彰久譜

島津彰久が義弘に従って昌原浦辺の大山で虎狩りに参加し、家臣の安田某が剣で虎を討ち、忠恒から宝刀を与えられたことを記す。 彰久は同年七月五日に朝鮮国巨済の陣中で二十九歳で病没した。死後は家老の川上忠実が軍勢を率いて在陣を続け、義弘の命で旧館岩を守ったという。

登場人物
島津彰久、島津義弘、島津忠恒、安田某、川上忠実
宛先
宛先なし(島津彰久譜の記事)
キーワード
島津彰久、島津義弘、島津忠恒、虎狩り、昌原浦、安田某、川上忠実、巨済、病没、旧館岩
後編3-No.1396記録確認度 高

上野隼人覚書

慶長五年の関ヶ原敗戦後、須木衆は島津方を迎えて日向へ進み、十月朔日に紙門寺を攻めた。俵屋原弥介との戦いでは十九歳の村尾長介と二十歳の上野彦九郎が負傷しながら敵を討ち、村尾笑栖が若者の働きを称えた。その後、上野隼人は細島で島津義弘(惟新)へ拝謁し、鹿児島清水で弓の技を披露した。

登場人物
上野隼人、村尾笑栖、村尾長介、上野彦九郎、俵屋原弥介、島津義弘(惟新)
宛先
該当なし
キーワード
上野隼人覚書、上野隼人、村尾笑栖、村尾長介、上野彦九郎、俵屋原弥介、島津義弘(惟新)、関ヶ原、紙門寺、日向、合戦、細島、弓