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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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44 件 (全巻)/ 1–44件を表示

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後編1-No.1124文書確認度 高

本田親貞署判知行坪付

日向国飫肥の坂谷・萩合門・向之丸などの田地を井黒主殿助へ宛行った知行坪付。本田親貞が署判した文書。

登場人物
本田親貞、井黒主殿助
宛先
井黒主殿助
キーワード
本田親貞署判知行坪付、本田親貞、井黒主殿助、日向国、飫肥、坂谷、萩合門、向之丸
後編1-No.1345文書確認度 高

伊集院忠棟・本田親貞連署状

伊集院忠棟・本田親貞が遊行上人の近習へ、日向都於郡の光蓋寺・光照寺南道場の懇望を受け、上人が当国に滞在する間は寄附し、上国後には正式に申し付けると伝えた連署状。前代未聞の厚遇であるとして返書を求める。

登場人物
伊集院忠棟、本田親貞、遊行上人
宛先
遊行上人近習御中
キーワード
伊集院忠棟、本田親貞、遊行上人、都於郡、光蓋寺、光照寺、南道場、寄附
後編2-No.54文書確認度 中

本田親貞書状

本田親貞が秋月殿の使節と芳書・太刀の到来に礼を述べ、弓箭すなわち軍事上の協議を今後も怠りなく進めるよう求めた書状。 島津忠平(義弘)が前年から八城方面に在陣していることを示し、諸方面の作戦を熟談するよう促したうえで、太刀などを返贈している。

登場人物
本田親貞
宛先
秋月殿
キーワード
本田親貞、秋月殿、使節、太刀、弓箭、島津忠平、島津義弘、八城、軍事協議、贈答
後編2-No.103文書確認度 高

本田親貞書状

本田親貞が蒲池殿へ、速やかな神文提出と熊本への人質差出しを格別の忠節として喜んだ書状。まず親貞自身から謝意を伝えて太刀一腰・織物一端を贈り、近く鹿児島からも正式な感謝が示されると告げる。神文・人質・贈答を組み合わせて蒲池氏を島津方へ結び付ける外交文書である。

登場人物
本田親貞、蒲池殿、島津義久
宛先
蒲池殿
キーワード
本田親貞書状、本田親貞、蒲池殿、神文、熊本、人質、忠節、太刀、織物、島津外交
附録1-No.106文書確認度 高

本田親貞書状

本田親貞が、公儀の用務に関する人員招集と家名帳の作成を蒲地伊賀入道へ命じた書状。公儀の許可なく上洛することを禁じ、蒲地本人または所衆二人を今月二十四日までに出頭させること、二十石以下の者は敬称を除いて家名を帳面に記すことを求める。

登場人物
本田親貞、蒲地伊賀入道、所衆二人、二十石以下の衆
宛先
蒲地伊賀入道殿
キーワード
本田親貞、蒲地伊賀入道、公儀、上洛、所衆、二十石、家名、帳面、出頭
附録1-No.1013文書確認度 高

本田親貞書状案

本田親貞が、年賀と使節への謝意を述べ、両使が到着して交渉を進めていること、島津忠平が前月以来八城に滞在し熱談していることを報告する。また今後も疎遠にせず、恒例の贈答として鷹羽一尻を進上した書状案。

登場人物
本田親貞、島津忠平、両使
宛先
—
キーワード
本田親貞、島津忠平、両使、八城、交渉、年賀、鷹羽一尻、七月廿一日
後編1-No.533記事確認度 高

島津国史補注

島津貴久の葬所をめぐる異説を検証した補注。旧説では福昌寺の石塔を墓としたが、祭文や加世田の伝承から日新寺常潤院山中説が唱えられた。享和二年、本田親貞・相良常旭が現地調査すると石塔には「大中公」とだけあり、埋葬を示す銘記も伝承もなかったため、加世田で葬儀後に福昌寺へ埋葬し、常潤院の塔は灰塚と結論づけた。誤説をあえて残し、誤りの経緯を明らかにすると説明する。

登場人物
島津貴久、本田親貞、相良常旭、匡正、貞良、島津歳久、島津征久、加世田の住民
宛先
—
キーワード
島津国史補注、島津貴久、葬所、福昌寺、日新寺、常潤院、石塔、灰塚、本田親貞、相良常旭、現地調査、享和二年、史料批判
後編1-No.1123文書確認度 高

島津氏老臣連署坪付

日向国飫肥院の上崎門・巳ノ崎などの田地を懸命の地として井黒主水佑へ宛行った坪付。伊集院忠棟と本田親貞が連署する。

登場人物
伊集院忠棟、本田親貞、井黒主水佑
宛先
井黒主水佑
キーワード
島津氏老臣連署坪付、伊集院忠棟、本田親貞、井黒主水佑、日向国、飫肥院、懸命地、上崎門
後編1-No.1125文書確認度 高

井黒又左衛門尉宛知行坪付

新宮領上地のうち、灘木勘解由先・お津田・海老原筑前守先・牛畠など計一反三段を井黒又左衛門尉へ示した知行坪付。本田親貞が署判する。

登場人物
本田親貞、井黒又左衛門尉
宛先
井黒又左衛門尉
キーワード
知行坪付、本田親貞、井黒又左衛門尉、新宮領、灘木、お津田、海老原筑前守、牛畠、一反三段
後編1-No.1434文書確認度 高

北郷一雲時久書状

北郷一雲時久が本田親貞へ、肥後出陣の件を承知したと答え、変事があれば改めて注進すること、宮崎へも直ちに書状の趣旨を伝えたことを報告した。

登場人物
北郷時久、本田親貞
宛先
本田下野守殿
キーワード
北郷一雲時久書状、本田親貞、肥後出陣、宮崎、注進、八月十九日
後編1-No.1450文書確認度 高

北郷一雲書状

北郷一雲時久が本田親貞へ、宝之河内の番衆交替と肥後出陣の負担が北郷家に偏ることに不満を述べた。忠虎は遠国出張に備えて兵具を整え、菱刈で待機するが、他家の番衆が見えず、宝之河内の警備・普請も不十分であるとして善処を求めた。

登場人物
北郷時久、北郷忠虎、本田親貞
宛先
本田下野守殿
キーワード
北郷一雲書状、北郷忠虎、本田親貞、宝之河内、番衆交替、肥後出陣、菱刈、軍役負担、警備
後編1-No.1458文書確認度 高

島津氏老臣連署状

島津忠長・伊集院忠棟・上井覚兼が本田親貞へ、小代氏が質人を出し、弟と本人も参陣予定であること、隈部・和仁・辺春も出頭して肥後がほぼ平定したことを報じた。肥前からの質人を待つ間は軍勢を留め、御船・隈庄勢の悪行を戒め、小代にも早期出頭を求めるとした。

登場人物
島津忠長、伊集院忠棟、上井覚兼、本田親貞、小代氏、隈部親泰、和仁氏、辺春氏
宛先
本田下野守殿
キーワード
島津氏老臣連署状、本田親貞、小代氏、質人、隈部氏、和仁氏、辺春氏、肥後平定、肥前質人
後編1-No.1464文書確認度 高

新納忠元書状

新納忠元が伊集院忠棟・本田親貞・平田光宗へ、肥後方面の軍役について返答した書状。刑部太輔を出すよう命じられたうえ、嫡子も別口の御用で出すことになれば二重の公役となり、自身の出陣まで求められるのは困難であると訴える。前年冬に帰国を許された際の約束を踏まえ、事情を理解して取り計らうよう求めた。

登場人物
新納忠元、伊集院忠棟、本田親貞、平田光宗、刑部太輔、新納忠元嫡子
宛先
伊集院右衛門大夫殿・本田下野守殿・平田美濃守殿
キーワード
新納忠元書状、天正十二年、伊集院忠棟、本田親貞、平田光宗、刑部太輔、新納忠元嫡子、肥後出陣、軍役、二重之公儀、帰国、約束
後編2-No.96記事確認度 高

島津義久譜

天正十三年十月十一日、島津義久が本田親貞を肥後警衛へ向かわせ、上洛帰りの北郷一雲家臣から羽柴軍の九州下向・増勢が避けられないとの情報を得た。十四日には新納忠元書簡により、薩摩方へ属した豊後南郡の入田氏が大友勢に攻撃され、一門・士卒六千人が籠城して窮地にあると知り、領内へ救援兵の催促を出している。

登場人物
島津義久、本田親貞、北郷時久(北郷一雲)、新納忠元、入田氏、大友氏
宛先
—
キーワード
島津義久譜、島津義久、本田親貞、北郷一雲、新納忠元、羽柴軍下向、豊後南郡、入田氏、大友氏、救援兵
後編2-No.97文書確認度 高

島津義久書状案

島津義久が羽柴美濃守へ、伊集院忠棟・本田親貞宛の伝書を披見したことに謝し、関白就任によって天下が静謐となったことを祝う書状案。前年夏の厚意への返礼が遅れたと詫び、礼の使節を上洛させて幽斎にも申し入れたと述べ、取り成しを依頼する。生糸十斤を贈り、秀吉政権成立後も中央人脈との関係維持を図る外交文書である。

登場人物
島津義久、羽柴美濃守、伊集院忠棟、本田親貞、関白(豊臣秀吉)、幽斎
宛先
羽柴美濃守殿御宿所
キーワード
島津義久書状案、島津義久、羽柴美濃守、伊集院忠棟、本田親貞、豊臣秀吉、関白、幽斎、生糸十斤、中央外交
後編2-No.125文書確認度 高

島津忠長外二名連署状

島津忠長・本田親貞・伊集院忠棟の三名が星野伯耆守へ、前年に豊州勢が坂東寺へ在陣した際、肥前との和睦によって速やかに陣を解いた経緯を確認した連署状。その後も合意に背き高良山で対立が続くことを問題視しつつ、秋月種実と龍造寺政家が一致して協議している点を評価する。両家が島津方に属する立場を踏まえ、星野氏にも隔意なく忠節を尽くし、事態収拾へ知恵を巡らせるよう求めている。

登場人物
島津忠長、本田親貞、伊集院忠棟、星野伯耆守、秋月種実、龍造寺政家
宛先
星野伯耆守殿
キーワード
島津忠長外二名連署状、島津忠長、本田親貞、伊集院忠棟、星野伯耆守、坂東寺、肥前和睦、高良山、秋月種実、龍造寺政家
後編1-No.1122文書確認度 高

島津氏老臣連署寄進坪付

島津義久が肥後矢崎城出陣の際に立てた誓願に基づき、勝利後、大隅国一山のうち浮免五反を大口苗代薬師へ新寄進した坪付。市来宗左衛門先・樋渡し・奈良木・比良田などを掲げ、老臣五人が連署する。

登場人物
本田親貞、上井覚兼、平田光宗、村田経定、伊集院忠棟、市来宗左衛門
宛先
大口苗代薬師
キーワード
島津氏老臣連署寄進坪付、大口苗代薬師、矢崎城、誓願、浮免五反、本田親貞、上井覚兼、伊集院忠棟
後編1-No.1274文書確認度 高

島津氏老臣連署条々

島津氏老臣四名が種子島久時へ示した琉球渡船等の条々。琉球渡船で先例に違わず出帆ごとに島津方へ連絡すること、直木の三分一、壁材の割当、六か国や三島・他国から木材を買う船の入津を許さず停止することを定める。

登場人物
本田親貞、平田光宗、村田経平、伊集院忠棟、種子島久時
宛先
種子島三郎次郎久時
キーワード
島津氏老臣連署条々、種子島久時、琉球渡船、出帆報告、直木、壁材、木買舟、入津禁止、本田親貞、平田光宗、伊集院忠棟
附録2-No.558文書確認度 高

近衛信尹書状

本田助丞を介して贈られた二巻と島津家中の件を喜び、家康の指図で在京が長引く現状、義久の上国をめぐる見通しを伝え、久右衛門を使者として下向させた近衛信尹書状。

登場人物
近衛信尹、島津家久、本田親貞、徳川家康、島津義久、井伊直孝、山口直友
宛先
島津家久
キーワード
近衛信尹、島津家久、本田親貞、徳川家康、島津義久、井伊直孝、山口直友、上国、使者、巻物
後編1-No.1415記事確認度 高

島津義久譜

四月十九日、義久は本田親貞を伴って八代から帰国し、義弘・伊集院忠棟・平田光宗を八代、島津忠長・上井覚兼を有馬に残して肥前・筑後・肥後の調略を続けさせた。二十二日、覚兼らは有馬鎮貴へ、薩摩勢の帰帆、有馬旧領の回復、温泉山再興と神領設定を提案したが、鎮貴は一、二か月の駐留継続を求めた。

登場人物
島津義久、本田親貞、島津義弘、伊集院忠棟、平田光宗、島津忠長、上井覚兼、有馬鎮貴、鎌田政近、伊地知重秀
宛先
八代、有馬、井福、温泉山
キーワード
島津義久、八代帰国、上井覚兼、有馬鎮貴、薩摩勢帰帆、有馬旧領、温泉山再興、神領、九州調略
後編1-No.1129文書確認度 高

島津氏老臣連署坪付

福昌寺再興のため、従前寄附されていた平松の土地を繰り替え、返地として薩摩国鹿児島の浮免一町二反余を与えた坪付。平田光宗ら老臣五人が連署する。

登場人物
平田光宗、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、本田親貞
宛先
福昌寺
キーワード
島津氏老臣連署坪付、福昌寺、再興、鹿児島、浮免、一町二反、平松、替地、平田光宗、伊集院忠棟
後編1-No.1134文書確認度 中

島津氏老臣連署坪付

薩摩国加世田の津貫名にある牧野段之門・天満・午牟田・谷口・山下・宮田・尻陰俣などの公田九町余を上原隼人佑へ示した坪付。確定版年月日は『年間三月』だが、本文年紀は天正八年閏三月吉日と読める。

登場人物
本田親貞、平田光宗、上井覚兼、村田経定、伊集院忠棟、上原隼人佑
宛先
上原隼人佑
キーワード
島津氏老臣連署坪付、上原隼人佑、加世田、津貫名、公田九町、天正八年、閏三月、表記差
後編1-No.1135文書確認度 中

島津氏老臣連署坪付

大隅国蒲生の久末名・北村名などにある公田・浮免、合計一町三反余を御重恩として浜田民部左衛門尉へ宛行った坪付。確定版年月日は『月間三月』だが、本文年紀は天正八年閏三月吉日と読める。

登場人物
本田親貞、平田光宗、上井覚兼、村田経定、伊集院忠棟、浜田民部左衛門尉
宛先
浜田民部左衛門尉
キーワード
島津氏老臣連署坪付、浜田民部左衛門尉、大隅国、蒲生、久末名、北村名、御重恩、閏三月、表記差
後編1-No.1220記事確認度 高

島津義弘譜

島津義久が数万の兵で相良義陽を攻め、義弘が八景尾の陣を守り、諸将が水俣城を包囲した経緯を記す。守兵は九月二十日に降伏して退去し、義陽は津奈木・湯浦・佐敷などを献じ、二十六日に佐敷で義久へ謝罪して息子兄弟を人質とし、阿蘇氏への出兵を申し出た。

登場人物
島津義久、島津義弘、相良義陽、平田光宗、上井覚兼、本田親貞、蓑田信濃守、高橋駿河守、宮之原縫殿助、比志島紀伊守
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、水俣城攻め、相良義陽、八景尾、芦北、開城、領地献上、佐敷会見、人質、阿蘇氏
後編1-No.1367記録確認度 高

上井覚兼日記

天正十一年正月元日から三月十七日までの上井覚兼日記。鹿児島・八代・宮崎を往来しながら年頭礼、酒宴、諸将の会合、合志・阿蘇・隈本・田尻・有馬への使節と軍議、八代守備、義久の病気祈祷、南蛮僧追放、近衛家・幕府使者への応接を日次で記す。三月には秋月・龍造寺との和平、八代移転、田尻兵船などを忠平と評議した。

登場人物
上井覚兼、島津義久、島津忠平、島津歳久、島津家久、島津朝久、島津義虎、伊集院忠棟、村田経平、本田親貞、平田光宗、近衛信尹、進藤長治ほか
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十一年正月、年頭礼、八代、合志、阿蘇、隈本、田尻、有馬、南蛮僧追放、義久病気、近衛家、軍議
後編1-No.1368記録確認度 高

上井覚兼日記

天正十一年三月十七日から五月二十四日までの上井覚兼日記。野村民部少輔殺害事件に関する村田経平らへの内密な処分と弁明、相良忠房の出頭、義久の病気と祈祷、八代の守将選定、日向帰国後の社寺参詣・普請・茶湯・狩猟を詳記する。田尻・有馬からの戦況報告、深江・安徳への援兵、十五町につき一人の軍役賦課も記す。

登場人物
上井覚兼、島津義久、島津忠平、島津歳久、伊集院忠棟、村田経平、本田親貞、比志島国貞、伊地知重康、相良忠房、田尻鑑種、有馬晴信、進藤長治ほか
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、村田経平、野村民部少輔殺害、相良忠房、義久病気、八代守将、日向、社寺祈祷、田尻、有馬、深江、安徳、軍役
後編1-No.1422記録確認度 高

上井覚兼日記

天正十二年五月二十二日から二十九日までの日記。折宇迫湊口の普請後に宮崎へ帰り、吉野牧の駒を拝領した。秋月種実から龍造寺との和睦仲介に関する弁明書状を受け、返書を作成したほか、築地上屋普請のため諸地頭を招集する命令、御頭役、山伏の護摩・入峯をめぐる紛議、上洛者の通行依頼などを記す。

登場人物
上井覚兼、秋月種実、税所篤和、伊集院忠棟、本田親貞、土持親成、和田江左衛門尉、善哉坊、大乗坊、野村重綱
宛先
宮崎、折宇迫、石坂寺、鹿児島、美々津
キーワード
上井覚兼日記、折宇迫、宮崎、吉野駒、秋月種実、龍造寺和睦、築地普請、御頭役、山伏、入峯、通行依頼
後編1-No.1427記録確認度 高

上井覚兼日記

天正十二年六月一日から八月二十九日までの長編日記。覚兼は諸地頭招集、栗野八幡造営、法華千部・高城施餓鬼、甲斐宗運との和睦使節などを処理し、鹿児島で有馬・肥後出兵の軍労や八代支配を協議した。帰国後は祭礼・普請・交際を記し、八月には再度の肥後出勢が決まり、諸勢へ隈本集結を命じた。家久父子の佐土原帰着を祝い、二十九日に馬越の軍議へ向かった。

登場人物
上井覚兼、島津義久、島津義弘、島津家久、島津豊久、伊集院忠棟、本田親貞、平田光宗、甲斐宗運、秋月種実、有馬鎮貴
宛先
宮崎、鹿児島、八代、飯野、馬越、佐土原
キーワード
上井覚兼日記、法華千部、高城施餓鬼、甲斐宗運、鹿児島評議、八代支配、肥後出勢、隈本集結、島津義弘、馬越軍議
後編2-No.95記事確認度 高

北郷一雲時久譜

天正十三年十月七日、島津義久が家久・忠長・伊集院忠棟・北郷一雲・上井覚兼ら重臣を召集し、豊後征伐と羽柴秀吉の九州下向への対応を評議した記事。評議後の饗膳では義久を中座に、左右へ重臣を配置した座次を具体的に列挙する。対豊後・対秀吉の軍事方針と、島津家中の序列・意思決定構造を同時に伝える重要な譜記事である。

登場人物
島津義久、島津家久、島津忠長、平田光宗、伊集院忠棟、町田久倍、本田親貞、伊集院久治、上井覚兼、北郷時久ほか
宛先
—
キーワード
北郷一雲時久譜、島津義久、島津家久、島津忠長、伊集院忠棟、北郷時久、豊後征伐、羽柴秀吉、評議、饗膳、座次
後編2-No.98記録確認度 低

上井覚兼日記

天正十三年十月、上井覚兼が豊後・肥後の軍事情勢と羽柴秀吉の九州介入への対応を連日記録した長大な日記区間。入田氏救援、城番・兵船・宿所・人質・帰服者の処置を協議し、島津家中の重臣らと秘密書状や京都使節の取次ぎを進める。秀吉の停戦・国分要求をめぐる情報、阿蘇・豊後方との折衝、諸将への返書が続く一方、寺社参詣、連歌、茶・酒宴、贈答、病気見舞いも詳しい。九州戦局と中央政局へ同時対応する島津家の緊張した実務を示す。

登場人物
上井覚兼、島津義弘、伊集院忠棟、本田親貞、上原尚近、町田久倍、新納忠元ほか
宛先
—
キーワード
上井覚兼日記、天正十三年十月、上井覚兼、伊集院忠棟、豊後、肥後、羽柴秀吉、京都使節、秘密書状、入田氏、兵船、宿所、戦時外交、島津氏、島津家中、薩摩政治、領国支配、軍事、外交
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:6系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田親貞流系図

本田氏十二代兼親の二男・親貞(初名親成、又五郎、刑部少輔、因幡守、入道一恕)を祖とする系図。家嫡董親の背命・悪虐をたびたび諫めながら聞き入れられず、守護に属して忠義を守った由緒を記す。後裔では友親の大隅州西原での戦死、盛親の弘治元年岩剣城攻略、親治の加世田地頭と天正六年新納院高城での大友軍との戦死、親秀の義久家老・出水地頭、親光の朝鮮での軍功、親智の忠恒奉仕と背命による誅殺、親盛の目白坂戦死、甑島・湯之尾・禰寝・高江・馬越・野田などの地頭職、婚姻・養子関係を収める。

登場人物
本田兼親、本田親貞(親成・一恕)、本田董親、本田友親、本田盛親、本田親直、島津義久(龍伯)、本田親治、島津忠明、本田親秀、本田親光、本田親智、島津忠恒、本田親次、本田親連
宛先
—
キーワード
本田親貞、兼親、董親、忠義、岩剣城、加世田地頭、新納院高城、大友軍、義久家老、出水地頭、朝鮮出兵、忠恒、目白坂、甑島地頭、湯之尾地頭、養子
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107-1知行坪付・系譜由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏老臣連署坪付

天正八年閏三月吉日、伊集院忠棟・村田経定・上井覚兼・平田光宗・本田親貞の老臣五名が上原隼人佑へ、薩摩国加世田の津貫名牧壇之門内にある、あまつこみ・谷の口・山の下・牟田・坪・宮田尻・陰俣・上公田・堀町などの田地を列記して与えた連署坪付。総量は九町二杖とされるが、伊地知季安は現存する坪付の記載だけでは九町にならず、紙端の脱落ではないかと疑い、丁・畦・町の換算を示したうえで博古の人の検討を求める。後続の系譜注記は、尚常(尚近とも作る)の軍功を略記し、天正二十年九月五日に没して高崎縄瀬村小牧に葬られ、法名を久全源昌居士としたこと、清水押職を務めた人物や尚張、新納忠堯室となった女子を掲げる。尚張については天正十二年三月の隆信合戦への従軍、慶長十六年の国分から麑府への移住、家久の用不足による百石につき四分一の田禄収公と残禄四百八十二石を記す。上原尚氏は天正十四年十一月、島津義久の豊後大友氏攻めに従軍し、天正二十年六月には日州志布志伊屋松門の二町七段八畦五歩を与えられ、島津忠長・伊集院忠棟ら老中から目録を受けたとする。坪付本文だけでなく、その受給者一族の軍歴・移住・知行変動と次の知行文書の背景まで連続して記す点が特徴である。

登場人物
上原隼人佑(前項の上原尚信)、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、河野通古、上原尚常(尚近とも作る)、上原尚張、島津義久、島津家久、新納刑部少輔忠堯、上原尚氏(隼人佑・筑前守・源右衛門尉)、島津図書頭忠長、伊集院忠棟入道幸侃、町田出羽守久倍、平田左近将監蔵宗、本田親貞入道三清
宛先
上原隼人佑殿
キーワード
上原氏老臣連署坪付、正本家蔵、上原隼人佑、天正八年閏三月吉日、薩摩国加世田、津貫名、牧壇之門、あまつこみ、谷の口、山の下、牟田、坪、宮田尻、陰俣、上公田、堀町、九町二杖、坪数不整合、紙端脱落、丁畦町換算、伊地知季安考証、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、旧記雑録後編一二三四号、河野通古、上原尚常、尚近、軍功略記、高崎縄瀬村小牧、久全源昌居士、清水押職、上原尚張、隆信合戦、国分、麑府、田禄収公、四分一、残禄四百八十二石、新納忠堯室、上原尚氏、豊後大友氏攻め、志布志伊屋松門、二町七段八畦五歩、島津忠長、伊集院幸侃、町田久倍、平田蔵宗、本田三清
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:188-12指示状/上洛規制・談合集合・家名帳旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

五月十八日三清書状

五月十八日、本田親貞の被官三清が蒲地伊賀入道へ、公儀の用務がない者の上洛規制、談合への出頭、家名帳の作成を命じた書状。無用の上洛は曲事とし、特別に談合すべき事情があるため、蒲地本人が参上できなければ所衆二人を今月二十四日までに当地へ到着させるよう求め、できれば本人の出頭を望む。さらに所衆のうち十石未満の者について、敬称の『殿』を除いて各人の家名を帳面に書き立てて提出し、当地では平田駿河入道・木脇善入道とも合意するよう指示する。

登場人物
三清(本田親貞被官)、蒲地伊賀入道、平田駿河入道、木脇善入道
宛先
蒲地伊賀入道殿
キーワード
五月十八日、三清、本田親貞、蒲地伊賀入道、公儀、無用上洛禁止、曲事、談合、所衆二人、今月二十四日、十石未満、殿文字除外、家名帳、平田駿河入道、木脇善入道
旧記雑録拾遺 著作史料集4-文書ID w1:173文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

石田三成書判人質番組

石田三成が島津義弘に示した人質番組。島津歳久の孫、肝付兼演・新納忠元・島津忠辰・種子島久時・入来院重時らの実子または親類年寄の子を三組に編成し、北郷忠虎・伊集院忠棟・新納忠元の質人三名を常詰とする。本田親貞・町田久倍・平田増宗も各組に加え、必要に応じ一人を京都へ召し置くことなどを定める。天正十九年十二月二日付。

登場人物
石田三成、島津義弘、島津歳久、島津忠辰、北郷忠虎、伊集院忠棟、新納忠元、肝付兼演、種子島久時、入来院重時、島津忠長、根占七郎、喜入季久、本田親貞、町田久倍、平田増宗
宛先
島津義弘
キーワード
石田三成、人質番組、島津義弘、常詰、三組、京都、本田親貞、町田久倍、平田増宗
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:8系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田古簾流系図

出自不詳ながら、信濃守重宣の孫・丹波守実親の弟である部左衛門親行の法名ではないかと考証される古簾(道号越岩、異伝では越山永超居士)を祖とする本田氏系図。親尚は日新公に奉仕して戦功を重ね伊集院地頭となり、親吉は日新公・貴久公に仕えて感状を受けた。親貞は兄の死後、太守の命で正嫡を継ぎ、義久の家老、吉田・加世田等の地頭となり、吉野・磯を領して家臣を配置し、岩剣城攻め、大友氏の日州侵攻、九州征伐で軍務を担った。後裔について、豊後戸次城下・瀧ヶ水・庄内安永での戦死、九州・高麗・庄内役、琉球征伐・大坂の陣、曽木・福山等の地頭職、大坪流馬術の相伝、婚姻・養子関係を記す。

登場人物
本田重宣、本田実親、本田親行、古簾(越岩・越山永超居士)、本田親尚(蘭心)、島津忠良(日新)、本田親吉(笑閑)、島津貴久、本田親貞(三省)、島津義久(龍伯)、豊臣秀吉、島津歳久、本田親長、本田親存、本田親孝、本田親次、川上久晴、樺山久高、島津義弘、本田親正、禰寝重長、本田親武
宛先
—
キーワード
本田古簾、越岩、伊集院地頭、日新公、感状、本田親貞、義久家老、吉田地頭、加世田地頭、岩剣城、大友氏、九州征伐、豊後戸次城、瀧ヶ水、庄内安永、高麗役、琉球征伐、大坂の陣、曽木地頭、福山地頭、大坪流馬術
追録6-No.1653その他文書旧記雑録暫定版確認度 中

明時館記

薩州麑島明時館記。安永八年、本府に治暦の館を創建して明時館と名づけ、公が知学事臣山本正誼に記を命じたと述べ、正文は明時館にあるとする。著者は、先君得佛公を鎌倉右大将の側室の子とし、文治二年に薩隅日三州へ封じられたが、頒朔授時の政が届かず農桑が時候を失ったため、暦官を特賜され、代々歳暦を自作して境内へ頒ち、宣明暦法を伝えたと叙述する。四百余年後、江府が改暦を議し、貞享元年に貞享暦ができると、本藩は本田親貞を遣わして法を受け、旧来どおり領内に行った。延享四年の江府の改暦では磯永周英を送り、宝暦四年に宝暦暦ができ、周英は助員として十一年ほど在って帰り、本藩へ宝暦法を伝えたという。明和二年の修暦でも暦官を徴したので、水間良實が助員として八年ほど在り、帰国後も毎年計算した気朔・交食・日躔・月離・五星・四餘等を提出したとする。藩の暦官は六百年に及び、一国の私用だけに従事したものではないが、官署がなく、家で暦を作り、推歩測候の器具にも不足があった。公の「襲封之十一年」に行人兼太史の児玉實門へ命じ、水間良實と相談して簡天儀・測午表・子午針・望遠鏡等を作り、旧有の渾天儀・樞星鏡・正方案とともに良實に付して蔵した。その後五年を経て当年に至り、国老小松清香と近侍掌務山田明遠に治暦館設置を議させ、二人は児玉實門と水間良實に諮った。府城の東南四百七十歩ほどに地を選び、能吏を選び、工と役夫を集めて築造・縄準による加工を行い露臺を設けた。高さは「丈有三尺」、上面の方形はその高さと同じ数、基址はその二倍と記し、府屋も若干区設けた。秋八月甲子に始め、冬十月丙子に完成し、水間良實を暦正として館事を管掌させた。藩の暦官制度は古いが、制度の備えが整ったのは今日からであるとして、その始末を記すとする。付説では、藩の暦官は陰陽頭に赴いて伝授を受けてから暦を作り、江府の暦官も同様で、江府の改暦も陰陽寮に命を請うてから行うため、正朔一統の遺意があると述べ、この点も記すべきだとして添える。署記は是歳冬十一月癸卯、本府知学事山本正誼謹書。先君の出自・授職・賜暦官・六百年という期間や正朔一統の意義づけは、著者の叙述と解釈として保持する。

登場人物
公(重豪、文脈)、知学事臣山本正誼(著者署記)、先君得佛公、鎌倉右大将、暦官本田親貞、磯永周英、水間良實、行人兼太史臣児玉實門、国老臣小松清香、近侍掌務臣山田明遠、陰陽頭、江府暦官、県官(名不記)
宛先
館記につき独立宛名なし
キーワード
山本正誼明時館記、安永八年、得佛公宣明暦官、貞享宝暦改暦、磯永十一年水間八年、気朔交食日躔月離五星四餘、器具整備、児玉實門小松清香山田明遠、水間良實、府城東南四百七十歩、露臺丈有三尺、八月甲子十月丙子、陰陽頭伝授と正朔一統、十一月癸卯署記
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:4系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田重恒流系図

本田氏十代家督・重恒(又二郎、信濃守、法名義翁)を祖とする系図。兄元親から家督を譲られ、島津忠国に仕えて家老となったが、国親の讒訴で家督を奪われ、文安三年の上洛中に清水城を攻略され、のち曽於郡で国親に殺された経緯を記す。後裔について、隅州菱刈院・穂北・伊集院・湯之尾等の地頭職、親貞の養子相続と関ヶ原後の新納旅庵との周旋、高城・蒲生・滝ヶ水・牛根・三之山・関ヶ原での戦死、朝鮮出兵・川辺地頭、婚姻・養子による諸家への分岐を収める。

登場人物
本田重恒、島津忠国、本田元親、本田国親、本田親行、本田実親、本田親歳、本田親次、本田親貞、脇元清元、新納旅庵、本田親俊、島津歳久、本田家親、本田親紀、本田重次、本田親寧
宛先
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キーワード
本田重恒、島津忠国、家督争い、本田国親、清水城、曽於郡、菱刈院、穂北地頭、伊集院地頭、湯之尾地頭、新納旅庵、関ヶ原、朝鮮出兵、川辺地頭、戦死、養子
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:5系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田市郎左衛門家略系図

本田市郎左衛門家の略系図。清寧天皇から親峯・親正・親満・親定へ続く系線を掲げ、善光を天竺の月蓋長者・聖徳太子の過去世の師とし、難波浦で得た阿弥陀如来を信濃へ奉送したとする善光寺如来縁起を詳記する。続いて薩州出水郡山門院の本田氏について、平氏下向時に近衛家へ参って藤原氏を称したとの伝承、親森(道観)以下の系譜を記し、親治の大隅西原での戦死、正親の高麗留守・出水衆頭・富隈での老名役、親貞の家督相続、加治木板井口の戦闘と日州高城での戦死記事へ続き、末尾を「以下略」とする。

登場人物
清寧天皇、本田親峯、本田親正、本田親満、本田親定、本田善光、聖徳太子、用明天皇、本田親森(道観)、本田道親、本田兼久、本田忠親、本田光親、本田親廣、本田親時、本田元親、本田守親、本田親知、本田親治、本田正親、島津義弘(惟新)、島津義久(龍伯)、本田重親、本田親貞、北原景親、玄阿弥
宛先
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キーワード
本田市郎左衛門家、清寧天皇、本田善光、月蓋長者、聖徳太子、用明天皇、阿弥陀如来、善光寺縁起、山門院、近衛家、藤原氏、高麗留守、出水衆頭、老名役、高城合戦
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0115日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

天正二年八月以後の出仕・交渉・接待を記す日記の抄録。川辺で盗人孫左衛門をめぐって起きた鹿籠との争論を忠元・鎌田らと相談し、中書の内議を使者の忠元から聞く。隈城の四十町、山田三十町、天辰・田崎を交換する所領調整や、弓箭の談合、江月斎・和泉の使者への対応を続けて記す。頴娃や唐口の座席と接待、諸役と参加者、雑説をめぐる義虎や中書への報告も記録する。天草の使僧の太刀・厚板物・馬代などの進献、和泉・天草の和平交渉と所領の一部譲渡、使僧の返事についても述べる。

登場人物
上井覚兼、新納武州、鎌田尾州、孫左衛門、金田、折田、左馬頭忠長、中書、入来院、北郷時久、本田野州、本田親貞、伊地知重秀、江月斎、喜入季久、平田昌宗、梅北國兼、川上久辰、新納忠堯、義虎、天草の使僧
宛先
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キーワード
上井覚兼日記、川辺鹿籠争論、盗人孫左衛門、所領四十町、山田三十町、天辰田崎の交換、弓箭談合、使者の接待、雑説と義虎、和泉天草の和平、天草進献品
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W06_文書0123日記旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

上井覚兼日記

天正三年十一月三・四日の出仕と酒宴を記す。三日は稲荷祭礼に供をし、御幣を取る川上源三郎へ衣服を渡した。御膳・幕の役人、宮仕の役と、寶持院の酒宴の座次を挙げる。四日には入来院・樺山らも参会し、對面所での点心・酒、三献の進行と贈物を記す。

登場人物
上井覚兼、川上源三郎、本田周防介、新納武州、伊集院久治、本田親貞、伊地知、伊集院忠棟、市来家朝、村田越州、川上経久、入来院、樺山、寺山四郎三郎
宛先
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キーワード
上井覚兼日記、天正三年十一月、稲荷祭礼、川上源三郎の御幣取、衣服、幕役、酒宴の座次、三献
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w4:107系譜・家蔵書画・知行由緒旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

上原氏系譜

本文で『上原氏系譜地取』と題し、上原隼人佐・筑前守尚信の由緒二件を記す系譜。天正四年七月、近衛前久が麑府を去って京都へ帰る際、八月十六日に『箱崎八幡大菩薩』の七字を揮毫し、上原家へ与えたと伝え、今なお蔵する旨の傍注を伴う。天正八年閏三月には島津義久が尚信(記事では隼人佑)へ薩州加世田津貫名牧壇門の采地九町二杖を与え、御老中の伊集院忠棟・村田経定・上井覚兼・平田光宗・本田親貞が坪付を裁許して授けたと記す。家蔵の書画伝承と具体的な知行給付を一代の系譜注記として結び付ける点が特徴である。

登場人物
上原尚信(隼人佐・筑前守。知行記事では隼人佑)、近衛前久、島津義久、伊集院右衛門太夫忠棟、村田越前守経定、上井伊勢守覚兼、平田美濃守光宗、本田下野守親貞
宛先
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キーワード
上原氏系譜、上原氏系譜地取、上原尚信、上原隼人佐、上原筑前守、天正四年、近衛前久、麑府、還京、八月十六日、揮毫、箱崎八幡大菩薩、七字、家蔵、天正八年閏三月、島津義久、隼人佑、采地、九町二杖、薩州加世田、津貫名、牧壇門、伊集院忠棟、村田経定、上井覚兼、平田光宗、本田親貞、御老中、坪付、裁許
後編1-No.405文書確認度 高

島津氏老臣連署状

島津氏老臣三名が、前日に菱刈方面への出立予定を伝えたものの、球磨領内に逆乱が起きたため、典厩様に軍勢を率いて時を移さず飯野へ赴き、境目の様子を確認するよう強く申し入れた連署状。敷根殿・肝付弾正忠にも同様に伝えたとして、川上・町田両名に心得を求める。

登場人物
本田下野守親貞、平田美濃守光宗、伊集院右衛門大夫忠棟、典厩様、敷根殿、肝付弾正忠
宛先
川上出羽守殿・町田周防殿御一宿所
キーワード
島津氏老臣連署状、正月三日、本田親貞、平田光宗、伊集院忠棟、菱刈、球磨、逆乱、飯野、境目、敷根、肝付兼盛
追録6-No.1652記事旧記雑録暫定版確認度 中

重豪、明時館を創建す

重豪公御譜中の記事。今茲有司に命じて明時館を創建したとし、その来歴として、鎌倉の源頼朝が太祖得佛公、島津忠久を薩隅日三州の守護とした際、頒朔授時の令が国へ届かず農桑が時候を失うことがあったため、暦官を特に賜り、歳暦を自作して境内へ頒つことを許された、その術は宣明暦法を伝えたと述べる。四百余年後、常憲廟の時に渋川春海へ改暦を命じ、貞享元年に貞享暦が完成すると、七代の祖寛陽公、島津光久は暦官本田市右衛門親貞を遣わしてその法を受けさせた。延享四年に江府が暦正渋川氏、六蔵と、西川氏、忠次郎に改暦を命じ、薩摩から暦官を助員として召したため、慈徳公、島津宗信は本田武兵衛親茂、親貞との注と、磯永孫四郎周英を遣わしたという。三年を経た寛延二年に親茂は鹿児島へ帰ることを請い、周英が独り二氏の助員として数年残り、宝暦四年に新暦が完成して宝暦暦と名づけられたとする。さらに明和二年、江府が暦正佐佐木氏、文次郎に暦の修訂を命じ、宝暦の例によって暦官を召したので、重豪は水間喜八良實を遣わし、佐佐木氏の助員となって八年で帰った。県官は帰国後も良實に毎年計算した気朔・交食・日躔・月離・五星・四餘等を提出させたと述べる。藩の暦官は六百年にわたり置かれ、当日まで国の私用だけに従事したものではないとするが、なお官署を設けておらず、各家で仕事をし、推歩測候の器具にも備わらないものがあった。重豪は良實に簡天儀・測午表・子午針・望遠鏡等を作らせ、旧有の渾天儀・樞星鏡・正方案とともに付した。城南に地を選んで治暦の館を建て、秋八月十三日に始め、冬十月二十六日に完成させ、良實に管領させ、明時館と名づけたと結ぶ。先祖の授職・暦官の賜与や六百年という期間は当記事の歴史叙述として示し、現代の確定史実へ置き換えない。

登場人物
重豪、鎌倉右大将源頼朝、得佛公(島津忠久)、常憲廟(徳川綱吉)、渋川春海、寛陽公(島津光久)、本田市右衛門親貞、本田武兵衛親茂(親貞注)、渋川氏(六蔵)、西川氏(忠次郎)、慈徳公(島津宗信)、磯永孫四郎周英、暦正佐佐木氏(文次郎)、水間喜八良實、県官(名不記)
宛先
記事につき独立宛名なし
キーワード
明時館、宣明暦法、貞享暦本田親貞、延享四年改暦派遣、寛延二年親茂帰鹿、磯永周英宝暦暦、明和二年佐佐木修暦水間八年、気朔交食日躔月離五星四餘、簡天儀測午表子午針望遠鏡、城南八月十三日起工十月二十六日竣工
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 554-1記事・鹿児島使者の島原到着旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

本田親右衛門親貞が鹿児島からの使者として島原へ到着し、在陣せず帰国したこと、三原重庸が二之宮杢右衛門を帰して島原の状況を報告させたことを記す。

登場人物
本田親右衛門親貞 三原重庸 二之宮杢右衛門
宛先
なし(記事)
キーワード
伊地知季安記事 本田親貞 三原重庸 二之宮杢右衛門 使者 帰国報告